――わかってる。
わかってる、レースが気迫の勝負ってこと。
わかってる。あらゆる物事は、気合いで負けたら終わりだってこと。
わかってる。何かを勝ち取るなら、気持ちを確かに持たなくちゃいけないってこと――
でも、
でも。
この状況を見て、この状態に置かれて。冷静に考えていた。落ち着いて考えていた。
このままじゃ、
負ける――!!
足りない。本能的にそう感じる。あと一歩、あと半歩足りずに終わる未来が見える。
もうこれは気迫とかじゃない。気持ちとかじゃない。気合いとかでもない。もう純粋な、能力の次元の話!
私の力が及ばない、自分の力が足りない。その不足した隙を突かれて――
辛酸を舐める、
未来が見える――!!
でも。
でも、もう、他に、やりようなんてない。
レースはもう、小細工の利かない最終直線。自分に出来るのは、最後にやれるのは――
ただ全力を賭して、走ることだけ――!!
「っ……!!」
諦めるな。
立ち止まるな。
走れ、走れ、走り続けろ!!
一歩でも前に、半歩でも先へ行くんだ!!
彼女よりも。
彼女らよりも、先んじなくては――!!
「――、――」
諦めない。
もう、諦めて、なるものか。
一心不乱に、無我夢中に。細かい思考などかなぐり捨てて。
本能に従うまま――走る、走る。
走り、続ける――
「――っ」
――その時。
色んな記憶が、脳裏をよぎり始めた。
――夜更けのターフを、走ったこと。
白色。
――学園のコースを、走ったこと。
緑色。
――知られざる、地下のレース場を走ったこと。
赤色。
――あの、立派な大木の下で。
無邪気に、約束したこと――
青色。
――虹。
……想いを背負って。
それらを噛み締めて。
私は、走り続ける。
あと一歩。
夢まで、あと一歩。
未来まで、あと一歩。
約束まで。
あと、一歩――……
「――っ」
行け。
「――ぁ、ぁ、ぁ、」
行け――!!
「――ッぁぁぁぁあああああ――」
行けぇぇぇぇぇッ――!!
「あああぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
――……
その時だった。
「――?」
ふわり、と。
身体が、軽くなる。
周囲の音が消えて。
感覚すらも、曖昧になる。
世界に、一瞬で、ただ一人になったかのような、不可思議な状態で――
ただ、それでも、私の足は。
これまでにないほど、
力強い一歩を、
踏んでいた。
「――……!!」
――ゴール板を過ぎた。
無音の世界の中で、私はその後少しだけ走り。
膝に手を突いて、立ち止まる。
聞こえるのは、自分の呼吸音だけ。
感覚も、ごくごく、限られたものだけ。
結果がどうなったかなんて、まだ、目には、していない。
……
……、でも。
私は、不思議と確信を持っていた。……まるでそれは。
天啓のようで。
音の途切れた、さっきの瞬間から、本能的に、理解したようで……
……私は。
ゆっくりと、ターフビジョンへと、目をやっていた。
向かって右側――
そこに映された、着順の表示。
その一番上――つまるところ。
この競争の。
1着を。
取ったのは――……
――7番。
7番の、選手だった。
「……」
音が、徐々に復帰する。
会場全体が、凄まじい歓声に満ちていることに、そこで初めて気が付く。
私が、周囲を見回す中――
「――っ!?」
背中から、軽い衝撃。
驚いて振り向くと、視界の下の方に……芦色の髪。
「ありおんちゃんっ!!」
……アルちゃんが。
心底に嬉しそうな顔で、私を見上げていた。
「やった!! やったやった!! ほんとにやったぁ!!」
「……へ」
「おいおい、何ボーっとしてんだよ……」
呆然とする私に、次、近づいてくるのは、フェアちゃん。
「ちゃんと喜んでくれねーと、こっちがいたたまれないだろ?」
「そうですよ。そうすることも、『勝者』の務めです」
そして、スレイちゃん。
口にした言葉。
『勝者』、という単語。
「……」
……あぁ、そうだ。
あまりに高揚していて、忘れていた。
今日。私が、このレースで背負っていた、番号は――……
7番……
「……」
……想いが、こみあげてくる。
「……、……」
記憶が、蘇ってくる。
「……、……、……!!」
実感が、湧いてくる……!!
「……わ、」
私。
「わ、たし……」
――やった。
やった――……
「……っ」
私、
遂に――
やったんだ――!!
「――、」
身体中を埋め尽くした感情が。
堰を切ったように溢れる。
それに押されたように、私は――
「――!!」
空に向かって。
大きく、強く――咆哮していた。
第██回有マ記念大会 1着――
7番、サファイアアリオン
レコード
2分34秒4――
歓声に包まれる会場に、実況の声が響く。
『着順確定――着順確定しました――!』
アリオンの地元では、教頭始めとする人々が喜びに飛び上がり。
『第██回有マ記念大会、近代稀に見る激戦を制し――!』
スレイエメラルドの父は、祝福の大笑いを上げ。
『今日、遂に! 悲願の初・G1タイトル獲得を達成しました――!』
南坂は、ノートパソコンを閉じ。
東条ハナは、微笑みに口元を綻ばせる。
シンボリルドルフは目を伏せ。
イクノディクタスは、歓喜と残念が綯交ぜになった表情になる。
マチカネタンホイザは、涙ぐみ。
ライスシャワーは両手で口を覆い、目を見開いて。
アリオンの担当は――
「……」
静かに、小さく。
ガッツポーズをしていた。
『1着は、サファイアアリオン!
7番! サファイアアリオンです――!!』
がくり、と力が抜ける。
思わず、その場に跪いてしまう。
アルちゃんが、フェアちゃんが、スレイちゃんが――みんなが、心配そうに私に寄り添ってくれる。けれど、大丈夫。身体がおかしくなったわけじゃない……
ちょっと……ちょっと、緊張の糸が切れただけ。みんなに困ったように笑いながら、改めてターフビジョンを見直した。
……見間違いじゃない。
夢でも、ない。
やった――私は、やった。
本当に、
本当の本当に、やったんだ……!!
「――!!」
感情が収まり切らなくて。
感動が溢れて止まらなくて。
もう一度、座り込んだまま、空に向かって叫ぶ。
それに煽られたように、レース場を満たす声が、より一層大きくなったような気がした。……
歓喜に打ち震えるアリオンから、少し離れた場所。
対照的に、一言も発していない少女が、一人。
サクラチヨノオーは――空を仰いだまま。
虚ろな目で、そこに立ち尽くしていた。
終わった。
何もかも、終わった。
届かなかった。
結局、彼女に、届かなかった。
これまでにやってきたこと。これまでに過ごした時間のこと。その全てが走馬灯のように過ぎり――消えていく。
無意味だった。
全部、全部、ムダだった。
それを自覚させられて――突き付けられて――彼女の頬を、一筋の涙が伝った。
「……、」
チヨノオーは、それを拭いつつ、顔を前へと戻す。
未だ色の失われた瞳で、勝利の喜びを噛み締めている『かつての』親友を見つめると。
ゆっくりと、その傍へ歩み寄った。
「……アリオンさん」
消え入りそうな声で呼びかけると、アリオンはそれに反応し、目を向けてくる。
自分とは正反対の、光に満ち溢れた瞳。
「……おめでとうございます」
擦り切れた声のまま、彼女は手を差し出す。
「いい、勝負でした」
今にも崩れ落ちてしまいそうな。
今にも、消えてなくなってしまいそうな。
儚げなその姿を見たアリオンは。
身体をよろめかせながら、その場に立ち上がる。
「……」
すぐには手を取らず。
何事かを思案するように、しばし無言を返すと。
「……チヨちゃん」
チヨノオーに――言っていた。
「……ありがとう」
その言葉に。
チヨノオーは、やや訝しげになる。
「私がここまで来られたのは……みんなが、いたからだよ」
そんな彼女に、アリオンは続ける。
「みんながいたから、ここまで来れた」
支えてくれた人が、いたから。
「みんながいたから、ここまでやれた」
追うべき背中が、あったから。
「独りじゃ……こんなところまで、来られなかった」
競うべき姿が。
あったから。
「……だから」
だから。
「だから……ありがとう。
私の、
ライバルでいてくれて」
「――……」
チヨノオーは、その言葉を聞き、目を見開く。
自分の中の、凝り固まったどす黒い何か。
心を包み込み、塞いでいた何かが、それを聞いた途端に、氷解した感覚を覚える。
納得した。
理解した。
全ては――自分の、思い違い。
一方的な、思い込みだったのだということを、感じた。
――ライバル。
競い合う相手。
あぁ――そうか。彼女は、自分の夢を見捨てて、他の夢を見ていたんじゃない。
彼女は……全部の夢を見ていたのだ。
親友との夢も。
『帝王』との誓いも。
自分との……約束も。
彼女には。
この子には……
等しく、大切なものだったのだ。
等しく、
大事にされていたんだ――
「……、」
チヨノオーは、表情を綻ばせる。
憑き物が取れたようなそれを見て、アリオンもまた、安堵の表情を浮かべていた。
……そして。
差し出された彼女の手を。
力強く、握っていた。
『――!!』
それを見て、観衆の熱狂が更に高まる。
こりゃ、しばらくは収まりそうもないな――と、どこか冷静に見守っているのは、世に知れた白い衣装。
トウカイテイオーだった。
「――っ!」
ずきん、と左足から、鋭い痛み。
彼女は思わずその場に座り込む。ブーツを履いてるせいで容態はわからないが、なんとなく想像くらいはついた。
――あちゃあ……
やっちゃったな、とテイオーは、他人事のように考える。そこまで酷い故障、というわけではなさそうだが、決して軽いものでもないだろう。
実際の容態は、医師にかからなければわからないだろう。ただ――彼女もアスリートだ。見てくれで、それがどれくらいの影響を及ぼすかの推測くらいはついた。
――さすがにもう。
走るのは無理だな、と、認識していた。
「……」
ターフビジョンを見る。
順位表は確定。ここから変動することはない。
サファイアアリオンは1着で、自分は4着。
祝意を無言で表明する中で……
3着についていたのは。
『彼女』だった。
目を向ける。
『彼女』は、直立したまま、動かない。
それがちょっとおかしくて、思わず笑ったテイオーは、ラチを掴んで立ち上がり、痛む左足を引きずりながらも、そのすぐ傍まで近づいた。
「――ネイチャ」
そして……
その名を、呼んでいた。
ナイスネイチャは。
呆然とした顔で、テイオーの方へ振り向いていた。
いかにも、信じがたいという顔。
現実を、受け入れられていない、という表情。
もちろん、それは1着で無かったことに対しても、だろうが。
きっと彼女は――それ以上に。
「……、」
テイオーは、自虐的に笑みを深めていた。
「――いやぁー、やっちゃったよ。ボクとしたことがさ」
そして、いつもの調子で、話し始める。
「歩くのには支障無さそうだけど……もう、今日みたいに走るのは無理だな」
喜ぶアリオンたちを見つめながら。
そこに、かつての自分を、重ねながら。
「……はは。難儀なもんだよ。煽られたら加減も出来ない。これで立てなくなったらどうすんだって話だよね~」
「……」
「……」
ネイチャは、依然として何も言わない。
無言で、無反応で、ただただ、話を聞き続ける彼女に――
「……、」
テイオーは。
仕方がないな、とばかりに、告げていた。
「――おめでとう」
キミは。
今日。
確かに――
勝ったんだよ、と。
「……」
ようやく正気を取り戻したのか、ネイチャの瞳に、色が宿り始める。
「……アタシ」
細い声で、言葉を紡ぐ。
「アタシ……」
アタシ、
勝ったの? と。
「うん」
テイオーは、あっさりと応じる。
「1着ではなかったけどね。キミは……勝った。確かに、今日、勝った」
その事実に。
嘘偽りは、無かった。
「……」
それを認識したネイチャの顔が、少しずつ綻んでいく。
「……、……」
それは当初、歓喜へと変わるかとばかり思われたが。
「……、……――」
やがては、歪みへと変わっていき――
その目から、
涙があふれていた。
「――あ、」
ネイチャは、困惑したように涙を拭う。
「あ、あれ……?」
そんなことがしたかったんじゃない、とばかりに、乱暴に拭う。
「あれ、お、おかしい、なぁ……?」
それでも、涙は止まらない。
溢れて。
溢れて。
留まらない。
「なんで……アタシ……」
――泣いてんだろ。
それを、自覚した時。
「――っ」
堰を切ったように――
嗚咽が漏れていた。
「――あぁぁぁぁぁッ……!!」
子供のように。
幼子のように泣き始める彼女に、テイオーは近寄る。
左足を庇うように、ほとんど倒れ込むように、ネイチャの胸に飛び込んだ。
ひし、と抱き締める。
それを受けてか、ネイチャは更に感極まって、その場に座り込んでしまった。
テイオーを抱き留めたまま、周囲の状況も憚らず、号泣する。
そして、テイオーもまた。
微笑みながら――静かに、涙を流していた。
「……っ、」
それを見守っていた、一部の観客は――
さらに言えば、テイオーの、ファンたちは。
「――テイオー!!」
声を上げていた。
「いいレースだったぞー!!」
「ネイチャもー! よく頑張ったねー!!」
「ありがとぉー!! テイオー!!」
「……」
――彼らもきっと、これが最後だと感じたのだろう。
手向けのように告げられた言葉に、テイオーは顔を向け。
片手はネイチャを抱き締めたまま。もう片手を挙げることで、それに応じていた。
「……」
セイウンスカイは、顎まで滴った汗を手の甲で拭っていた。
「……はぁ。ぐっちゃぐちゃにされたなぁ……」
「――だな。のっけからすっかり引っ掻き回されたぜ」
そんな彼女に、軽口のように話しかけるのは、短い赤髪だった。
「あんなんじゃ、ペース掴もうったって無理だよなぁ」
「……惑わされずに、自分のペースを保てばよかったんだけどね。いやはや。セイちゃんもまだまだですな~」
「けど、まだ辞める気は無いんだろ?」
フェアの不敵な問いかけに、スカイは目を丸くする。引退――その二文字は、正直少しは過ぎっていたのだが。
彼女の、揺るぎなく、迷いのない瞳を見ると、眠りかけていた闘争心が、擽られたように目覚めるのを感じた。
「……、」
だから、彼女は答えた。
「――当然!」
次は、私が勝つからね。
そう伝えるように、言葉は、瑞々しい生気に満ち溢れていた。
「――フェア姉ー!!」
そんなフェアへの声は、観客席から。
目を向けると、そこには、見慣れたあの四人の姿。
四人が四人、いかにも嬉しそうに、こちらに手を振っている。
「おー、ご家族のみんなも元気そうだ」
「家族じゃねぇっての」
軽口を叩くスカイに返しながら、フェアは思う――別にあたし、勝ってねぇんだけどなぁ。
ちょっと複雑な気持ちになりながらも、彼女らへと手を振り返す。……それと同時。
「――……」
その上側――
観客席の最後方に、フェアはそれを認める。
黒と白の、ツートンカラーの長髪。
トウチュウエイが。
無表情で、彼女を見下ろしていた。
フェアは、それに視線を送り返す。
しばしお互いに、そうして見つめ合い続けていたが――
やがてフェアは、不敵に笑うと。
「……、」
自身の拳を、胸に当て。
彼女に向けて――その拳を、差し出していた。
次は。
お前の番だぞ、と言わんばかりに。
「……」
それを見たトウチュウエイは、目を見開く。
その反応を見届けないまま、フェアはスカイと共に、どこかへと歩き出す。
じんわりと胸の中に、忘れていた熱が灯るのを感じながら。
彼女は、その場から立ち去る。
歩きながら。
携帯電話を取りだし。
かけるのは、懐かしい番号。
「――あ……母さん……? 久しぶり――っ、うん。ごめん……」
普段の彼女からは想像もつかない、弱々しい声。
心底に申し訳なさそうに言った彼女は、先のフェアの様子を思い描きながら。
「いや……実は……その」
しどろもどろに、言っていた。
「……お願いが、あるんだ」
その一方――
「――ブライトーっ!!」
メジロドーベルは、メジロブライトに勢いよく抱き着いていた。
「やったやった!! アタシ、アタシやったわっ!!」
「もう、ドーベル……そんなにはしゃがないでくださいませ。わたくしも疲れているのですわ~……」
ぴょんぴょんと飛び跳ねる彼女を受け止めつつ、呆れつつ。それでもブライトは突き放そうとしない。彼女の、少女らしい喜びを受け止め、自身もまた、嬉しい気持ちになっていた。
「優勝は出来なかったけど、出来なかったけど! 勝った、勝てた、やれた!! すごい!! 今なら空も飛べるかも!! わっほほーっ!!」
「キャラがおかしくなってますわ……気を確かに持ってくださいませ」
タガが外れているとはいえ、ここまではしゃぐ子だっただろうか。母親のように思うブライトの視界に、
一つの影。
「……」
スレイエメラルドの表情は、悔しそうにも、なんとも思ってなさそうでもあった。
「……あ」
声を漏らしたドーベルは、ブライトから身体を離し、彼女と相対する。
何を言うべきか、何から話すべきか。スレイは決めあぐねるように唇を結んでいた。
それがおかしく映ったのか、先に表情を崩したのはドーベルだった。
「……追うべき相手がいないと、勝負は張り合いがないものなのよ」
スレイが彼女に、初めてライバルという感情を抱いたように。
ドーベルもまた、彼女のことを強く意識していた。
「アタシはレース中……何かこう……自分の中の、越えるべき壁を超えたような感じがした。あんたがいなかったら……絶対に勝つ、って思ってなかったら……もしかしたら、越えられてなかったかもしれない」
あの未来を。
名も知らぬ何者かに決められた、運命を。なぞっていたのかもしれない。
「……終わる気は無いんでしょ?」
スレイは、固まっていた口端を緩ませた。答えは、それだけで十分だった。
「またアタシから……奪いとってみせなさい」
「……えぇ」
果たして、紡がれたスレイの言葉は――これまでのどんなものよりも、晴れやかだった。
「上等です」
「――も~っ」
で、そんな二人に、ぷくっと頬を膨らませるのはブライトだ。
「わたくしも忘れないでくださいませ! そんな楽しそうなこと、わたくし抜きではさせませんわ!」
「ふふっ、大丈夫。ちゃんと忘れてないよ」
そんな彼女の頭を、ドーベルは撫でる。一転してドーベルの方が、母親然としていた。
「――はぁー、はぁー……」
そこから、更に離れた芝生の上にて。
ツインターボは、大の字で寝転がっていた。
「――はは、はははははっ」
結局ドンケツか、とターボは笑う。悔しいには悔しい。歯痒いには歯痒い。だが彼女の中を満たしている感情は、決してそればかりではなかった。
全速と全力を尽くした、これまでで最も自分らしい走り。
負けてしまったけれど。
勝てなかったけれど――
「――楽しかった……!!」
ギザっ歯を開け、満面の笑顔を浮かべる彼女の顔に、影が落ちる。
青空を背に覗き込んでいるのは、あどけない表情と芦毛。
レースの終盤。苦しそうな走りを見て、考えなしに導いた編入生。
「……たーぼ、」
ダイヤアールヴァクは、彼女の名を呼んだ。
「ありがとう。あなたがおうえんしてくれたから、わたしも、さいごまで、はしりきれた……」
「……ははっ、トーゼンだ!」
ターボは、上半身を起こす。アールヴァクも、彼女の前にぺたりと座り込んだ。
「こんなにすっごいレースなんだ! みんなで楽しまないと損だろ!」
「うん……うん。くるしかったけど……いいれーすだった」
「それで、どうなんだ?」
ターボの淀みない瞳が、アールヴァクの姿を映す。その問いかけの意味するところを、彼女は瞬時に理解していた。
「……ん」
彼女は言う。
「だいじょうぶ。きっと、だいじょうぶ」
きっと。
きっと。
自分の想いは――届いたはずだ、と。
「……」
目は、観客席の方へと向けられる。
「……スズカ」
それを見守っていた西崎は、スズカに呼びかける。
レース終了から、小刻みに肩を震わせていたスズカは、その声に反応し、顔を上げ、ターフを真っ直ぐに見つめた。
「……トレーナー」
彼のことを呼ぶ。
「ずいぶん長く……待たせちゃったわね」
振り返った彼女の顔は――
翳りの消えた、明るいものへと戻っていた。
「――走りましょう。もう一度……」
レースとは夢だ。
誰もが、そんなことを言う。
果たすべき夢、誰もが目指す夢――そういう意味でもあるんだけれど。
準備期間の長さに対して、本番が一瞬――という意味でも、夢、であった。
私たちのもたらした夢は、披露した意志は、どこへ、誰に、どんな風に伝わって。
どんな風に、影響するのだろう。
……わからないけれど。
喜びと。
盛り上がりと。
驚きと。
笑いに満ちた、その年の、有マ記念大会は……
そうして。
盛況のうちに。
幕を閉じた。……