16年度の卒業生(新版)   作:Ray May

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きっと、その先へ…! その4

 ――わかってる。

 

 わかってる、レースが気迫の勝負ってこと。

 わかってる。あらゆる物事は、気合いで負けたら終わりだってこと。

 わかってる。何かを勝ち取るなら、気持ちを確かに持たなくちゃいけないってこと――

 

 でも、

 でも。

 この状況を見て、この状態に置かれて。冷静に考えていた。落ち着いて考えていた。

 

 このままじゃ、

 負ける――!!

 

 足りない。本能的にそう感じる。あと一歩、あと半歩足りずに終わる未来が見える。

 もうこれは気迫とかじゃない。気持ちとかじゃない。気合いとかでもない。もう純粋な、能力の次元の話!

 私の力が及ばない、自分の力が足りない。その不足した隙を突かれて――

 

 辛酸を舐める、

 未来が見える――!!

 

 でも。

 でも、もう、他に、やりようなんてない。

 レースはもう、小細工の利かない最終直線。自分に出来るのは、最後にやれるのは――

 ただ全力を賭して、走ることだけ――!!

 

「っ……!!」

 

 諦めるな。

 立ち止まるな。

 走れ、走れ、走り続けろ!!

 一歩でも前に、半歩でも先へ行くんだ!!

 彼女よりも。

 彼女らよりも、先んじなくては――!!

 

「――、――」

 

 諦めない。

 もう、諦めて、なるものか。

 一心不乱に、無我夢中に。細かい思考などかなぐり捨てて。

 本能に従うまま――走る、走る。

 走り、続ける――

 

「――っ」

 

 ――その時。

 色んな記憶が、脳裏をよぎり始めた。

 

 ――夜更けのターフを、走ったこと。

 

 白色。

 

 ――学園のコースを、走ったこと。

 

 緑色。

 

 ――知られざる、地下のレース場を走ったこと。

 

 赤色。

 

 ――あの、立派な大木の下で。

 無邪気に、約束したこと――

 

 青色。

 

 

 

 ――虹。

 

 

 

 ……想いを背負って。

 それらを噛み締めて。

 私は、走り続ける。

 

 あと一歩。

 夢まで、あと一歩。

 未来まで、あと一歩。

 

 約束まで。

 あと、一歩――……

 

「――っ」

 

 行け。

 

「――ぁ、ぁ、ぁ、」

 

 行け――!!

 

「――ッぁぁぁぁあああああ――」

 

 行けぇぇぇぇぇッ――!!

 

「あああぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

 ――……

 

 その時だった。

 

「――?」

 

 ふわり、と。

 身体が、軽くなる。

 周囲の音が消えて。

 感覚すらも、曖昧になる。

 世界に、一瞬で、ただ一人になったかのような、不可思議な状態で――

 ただ、それでも、私の足は。

 

 

 

 これまでにないほど、

 力強い一歩を、

 踏んでいた。

 

 

 

「――……!!」

 

 ――ゴール板を過ぎた。

 

 無音の世界の中で、私はその後少しだけ走り。

 膝に手を突いて、立ち止まる。

 

 聞こえるのは、自分の呼吸音だけ。

 感覚も、ごくごく、限られたものだけ。

 結果がどうなったかなんて、まだ、目には、していない。

 

 ……

 ……、でも。

 私は、不思議と確信を持っていた。……まるでそれは。

 天啓のようで。

 音の途切れた、さっきの瞬間から、本能的に、理解したようで……

 

 ……私は。

 ゆっくりと、ターフビジョンへと、目をやっていた。

 

 向かって右側――

 そこに映された、着順の表示。

 その一番上――つまるところ。

 

 この競争の。

 

 1着を。

 

 取ったのは――……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――7番。

 

 

 

 7番の、選手だった。

 

 

 

「……」

 

 音が、徐々に復帰する。

 会場全体が、凄まじい歓声に満ちていることに、そこで初めて気が付く。

 私が、周囲を見回す中――

 

「――っ!?」

 

 背中から、軽い衝撃。

 驚いて振り向くと、視界の下の方に……芦色の髪。

 

「ありおんちゃんっ!!」

 

 ……アルちゃんが。

 心底に嬉しそうな顔で、私を見上げていた。

 

「やった!! やったやった!! ほんとにやったぁ!!」

「……へ」

「おいおい、何ボーっとしてんだよ……」

 

 呆然とする私に、次、近づいてくるのは、フェアちゃん。

 

「ちゃんと喜んでくれねーと、こっちがいたたまれないだろ?」

「そうですよ。そうすることも、『勝者』の務めです」

 

 そして、スレイちゃん。

 

 口にした言葉。

『勝者』、という単語。

 

「……」

 

 ……あぁ、そうだ。

 あまりに高揚していて、忘れていた。

 今日。私が、このレースで背負っていた、番号は――……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 7番……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 

 ……想いが、こみあげてくる。

 

「……、……」

 

 記憶が、蘇ってくる。

 

「……、……、……!!」

 

 実感が、湧いてくる……!!

 

「……わ、」

 

 私。

 

「わ、たし……」

 

 ――やった。

 やった――……

 

「……っ」

 

 私、

 遂に――

 

 

 

 やったんだ――!!

 

 

 

「――、」

 

 身体中を埋め尽くした感情が。

 堰を切ったように溢れる。

 それに押されたように、私は――

 

 

 

「――!!」

 

 

 

 空に向かって。

 大きく、強く――咆哮していた。

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 第██回有マ記念大会 1着――

 

 7番、サファイアアリオン

 

 レコード

 2分34秒4――

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 歓声に包まれる会場に、実況の声が響く。

 

『着順確定――着順確定しました――!』

 

 アリオンの地元では、教頭始めとする人々が喜びに飛び上がり。

 

『第██回有マ記念大会、近代稀に見る激戦を制し――!』

 

 スレイエメラルドの父は、祝福の大笑いを上げ。

 

『今日、遂に! 悲願の初・G1タイトル獲得を達成しました――!』

 

 南坂は、ノートパソコンを閉じ。

 東条ハナは、微笑みに口元を綻ばせる。

 

 シンボリルドルフは目を伏せ。

 イクノディクタスは、歓喜と残念が綯交ぜになった表情になる。

 マチカネタンホイザは、涙ぐみ。

 ライスシャワーは両手で口を覆い、目を見開いて。

 アリオンの担当は――

 

「……」

 

 静かに、小さく。

 ガッツポーズをしていた。

 

『1着は、サファイアアリオン!

 7番! サファイアアリオンです――!!』

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 がくり、と力が抜ける。

 思わず、その場に跪いてしまう。

 アルちゃんが、フェアちゃんが、スレイちゃんが――みんなが、心配そうに私に寄り添ってくれる。けれど、大丈夫。身体がおかしくなったわけじゃない……

 ちょっと……ちょっと、緊張の糸が切れただけ。みんなに困ったように笑いながら、改めてターフビジョンを見直した。

 ……見間違いじゃない。

 夢でも、ない。

 やった――私は、やった。

 

 

 

 本当に、

 本当の本当に、やったんだ……!!

 

 

 

「――!!」

 

 感情が収まり切らなくて。

 感動が溢れて止まらなくて。

 もう一度、座り込んだまま、空に向かって叫ぶ。

 それに煽られたように、レース場を満たす声が、より一層大きくなったような気がした。……

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 歓喜に打ち震えるアリオンから、少し離れた場所。

 対照的に、一言も発していない少女が、一人。

 

 サクラチヨノオーは――空を仰いだまま。

 虚ろな目で、そこに立ち尽くしていた。

 

 

2着 サクラチヨノオー

 

 

 終わった。

 何もかも、終わった。

 

 届かなかった。

 結局、彼女に、届かなかった。

 

 これまでにやってきたこと。これまでに過ごした時間のこと。その全てが走馬灯のように過ぎり――消えていく。

 無意味だった。

 全部、全部、ムダだった。

 それを自覚させられて――突き付けられて――彼女の頬を、一筋の涙が伝った。

 

「……、」

 

 チヨノオーは、それを拭いつつ、顔を前へと戻す。

 未だ色の失われた瞳で、勝利の喜びを噛み締めている『かつての』親友を見つめると。

 ゆっくりと、その傍へ歩み寄った。

 

「……アリオンさん」

 

 消え入りそうな声で呼びかけると、アリオンはそれに反応し、目を向けてくる。

 自分とは正反対の、光に満ち溢れた瞳。

 

「……おめでとうございます」

 

 擦り切れた声のまま、彼女は手を差し出す。

 

「いい、勝負でした」

 

 今にも崩れ落ちてしまいそうな。

 今にも、消えてなくなってしまいそうな。

 儚げなその姿を見たアリオンは。

 身体をよろめかせながら、その場に立ち上がる。

 

「……」

 

 すぐには手を取らず。

 何事かを思案するように、しばし無言を返すと。

 

「……チヨちゃん」

 

 チヨノオーに――言っていた。

 

「……ありがとう」

 

 その言葉に。

 チヨノオーは、やや訝しげになる。

 

「私がここまで来られたのは……みんなが、いたからだよ」

 

 そんな彼女に、アリオンは続ける。

 

「みんながいたから、ここまで来れた」

 

 支えてくれた人が、いたから。

 

「みんながいたから、ここまでやれた」

 

 追うべき背中が、あったから。

 

「独りじゃ……こんなところまで、来られなかった」

 

 競うべき姿が。

 あったから。

 

「……だから」

 

 だから。

 

「だから……ありがとう。

 

 

 

 私の、

 ライバルでいてくれて」

 

 

 

「――……」

 

 チヨノオーは、その言葉を聞き、目を見開く。

 自分の中の、凝り固まったどす黒い何か。

 心を包み込み、塞いでいた何かが、それを聞いた途端に、氷解した感覚を覚える。

 

 納得した。

 理解した。

 全ては――自分の、思い違い。

 一方的な、思い込みだったのだということを、感じた。

 

 ――ライバル。

 競い合う相手。

 あぁ――そうか。彼女は、自分の夢を見捨てて、他の夢を見ていたんじゃない。

 彼女は……全部の夢を見ていたのだ。

 

 親友との夢も。

『帝王』との誓いも。

 自分との……約束も。

 彼女には。

 この子には……

 等しく、大切なものだったのだ。

 

 

 等しく、

 大事にされていたんだ――

 

 

「……、」

 

 チヨノオーは、表情を綻ばせる。

 憑き物が取れたようなそれを見て、アリオンもまた、安堵の表情を浮かべていた。

 ……そして。

 

 差し出された彼女の手を。

 力強く、握っていた。

 

『――!!』

 

 それを見て、観衆の熱狂が更に高まる。

 こりゃ、しばらくは収まりそうもないな――と、どこか冷静に見守っているのは、世に知れた白い衣装。

 トウカイテイオーだった。

 

 

4着 トウカイテイオー

 

「――っ!」

 

 ずきん、と左足から、鋭い痛み。

 彼女は思わずその場に座り込む。ブーツを履いてるせいで容態はわからないが、なんとなく想像くらいはついた。

 

 ――あちゃあ……

 

 やっちゃったな、とテイオーは、他人事のように考える。そこまで酷い故障、というわけではなさそうだが、決して軽いものでもないだろう。

 実際の容態は、医師にかからなければわからないだろう。ただ――彼女もアスリートだ。見てくれで、それがどれくらいの影響を及ぼすかの推測くらいはついた。

 

 ――さすがにもう。

 走るのは無理だな、と、認識していた。

 

「……」

 

 ターフビジョンを見る。

 順位表は確定。ここから変動することはない。

 サファイアアリオンは1着で、自分は4着。

 祝意を無言で表明する中で……

 

 3着についていたのは。

『彼女』だった。

 

 目を向ける。

『彼女』は、直立したまま、動かない。

 それがちょっとおかしくて、思わず笑ったテイオーは、ラチを掴んで立ち上がり、痛む左足を引きずりながらも、そのすぐ傍まで近づいた。

 

「――ネイチャ」

 

 そして……

 その名を、呼んでいた。

 ナイスネイチャは。

 呆然とした顔で、テイオーの方へ振り向いていた。

 

 

3着 ナイスネイチャ

 

 

 いかにも、信じがたいという顔。

 現実を、受け入れられていない、という表情。

 もちろん、それは1着で無かったことに対しても、だろうが。

 きっと彼女は――それ以上に。

 

「……、」

 

 テイオーは、自虐的に笑みを深めていた。

 

「――いやぁー、やっちゃったよ。ボクとしたことがさ」

 

 そして、いつもの調子で、話し始める。

 

「歩くのには支障無さそうだけど……もう、今日みたいに走るのは無理だな」

 

 喜ぶアリオンたちを見つめながら。

 そこに、かつての自分を、重ねながら。

 

「……はは。難儀なもんだよ。煽られたら加減も出来ない。これで立てなくなったらどうすんだって話だよね~」

「……」

「……」

 

 ネイチャは、依然として何も言わない。

 無言で、無反応で、ただただ、話を聞き続ける彼女に――

 

「……、」

 

 テイオーは。

 仕方がないな、とばかりに、告げていた。

 

「――おめでとう」

 

 キミは。

 今日。

 確かに――

 

 

 

 天才(ボク)に。

 勝ったんだよ、と。

 

 

 

「……」

 

 ようやく正気を取り戻したのか、ネイチャの瞳に、色が宿り始める。

 

「……アタシ」

 

 細い声で、言葉を紡ぐ。

 

「アタシ……」

 

 アタシ、

 勝ったの? と。

 

「うん」

 

 テイオーは、あっさりと応じる。

 

「1着ではなかったけどね。キミは……勝った。確かに、今日、勝った」

 

 その事実に。

 嘘偽りは、無かった。

 

「……」

 

 それを認識したネイチャの顔が、少しずつ綻んでいく。

 

「……、……」

 

 それは当初、歓喜へと変わるかとばかり思われたが。

 

「……、……――」

 

 やがては、歪みへと変わっていき――

 

 その目から、

 涙があふれていた。

 

「――あ、」

 

 ネイチャは、困惑したように涙を拭う。

 

「あ、あれ……?」

 

 そんなことがしたかったんじゃない、とばかりに、乱暴に拭う。

 

「あれ、お、おかしい、なぁ……?」

 

 それでも、涙は止まらない。

 溢れて。

 溢れて。

 留まらない。

 

「なんで……アタシ……」

 

 ――泣いてんだろ。

 それを、自覚した時。

 

「――っ」

 

 堰を切ったように――

 嗚咽が漏れていた。

 

「――あぁぁぁぁぁッ……!!」

 

 子供のように。

 幼子のように泣き始める彼女に、テイオーは近寄る。

 左足を庇うように、ほとんど倒れ込むように、ネイチャの胸に飛び込んだ。

 

 ひし、と抱き締める。

 それを受けてか、ネイチャは更に感極まって、その場に座り込んでしまった。

 テイオーを抱き留めたまま、周囲の状況も憚らず、号泣する。

 

 そして、テイオーもまた。

 微笑みながら――静かに、涙を流していた。

 

「……っ、」

 

 それを見守っていた、一部の観客は――

 さらに言えば、テイオーの、ファンたちは。

 

「――テイオー!!」

 

 声を上げていた。

 

「いいレースだったぞー!!」

「ネイチャもー! よく頑張ったねー!!」

「ありがとぉー!! テイオー!!」

「……」

 

 ――彼らもきっと、これが最後だと感じたのだろう。

 手向けのように告げられた言葉に、テイオーは顔を向け。

 片手はネイチャを抱き締めたまま。もう片手を挙げることで、それに応じていた。

 

「……」

 

 セイウンスカイは、顎まで滴った汗を手の甲で拭っていた。

 

 

6着 セイウンスカイ

 

 

「……はぁ。ぐっちゃぐちゃにされたなぁ……」

「――だな。のっけからすっかり引っ掻き回されたぜ」

 

 そんな彼女に、軽口のように話しかけるのは、短い赤髪だった。

 

 

5着 ルビーフェア

 

 

「あんなんじゃ、ペース掴もうったって無理だよなぁ」

「……惑わされずに、自分のペースを保てばよかったんだけどね。いやはや。セイちゃんもまだまだですな~」

「けど、まだ辞める気は無いんだろ?」

 

 フェアの不敵な問いかけに、スカイは目を丸くする。引退――その二文字は、正直少しは過ぎっていたのだが。

 彼女の、揺るぎなく、迷いのない瞳を見ると、眠りかけていた闘争心が、擽られたように目覚めるのを感じた。

 

「……、」

 

 だから、彼女は答えた。

 

「――当然!」

 

 次は、私が勝つからね。

 そう伝えるように、言葉は、瑞々しい生気に満ち溢れていた。

 

「――フェア姉ー!!」

 

 そんなフェアへの声は、観客席から。

 目を向けると、そこには、見慣れたあの四人の姿。

 四人が四人、いかにも嬉しそうに、こちらに手を振っている。

 

「おー、ご家族のみんなも元気そうだ」

「家族じゃねぇっての」

 

 軽口を叩くスカイに返しながら、フェアは思う――別にあたし、勝ってねぇんだけどなぁ。

 ちょっと複雑な気持ちになりながらも、彼女らへと手を振り返す。……それと同時。

 

「――……」

 

 その上側――

 観客席の最後方に、フェアはそれを認める。

 黒と白の、ツートンカラーの長髪。

 

 トウチュウエイが。

 無表情で、彼女を見下ろしていた。

 

 フェアは、それに視線を送り返す。

 しばしお互いに、そうして見つめ合い続けていたが――

 やがてフェアは、不敵に笑うと。

 

「……、」

 

 自身の拳を、胸に当て。

 

 彼女に向けて――その拳を、差し出していた。

 

 次は。

 お前の番だぞ、と言わんばかりに。

 

「……」

 

 それを見たトウチュウエイは、目を見開く。

 その反応を見届けないまま、フェアはスカイと共に、どこかへと歩き出す。

 じんわりと胸の中に、忘れていた熱が灯るのを感じながら。

 彼女は、その場から立ち去る。

 

 歩きながら。

 携帯電話を取りだし。

 かけるのは、懐かしい番号。

 

「――あ……母さん……? 久しぶり――っ、うん。ごめん……」

 

 普段の彼女からは想像もつかない、弱々しい声。

 心底に申し訳なさそうに言った彼女は、先のフェアの様子を思い描きながら。

 

「いや……実は……その」

 

 しどろもどろに、言っていた。

 

「……お願いが、あるんだ」

 

 その一方――

 

「――ブライトーっ!!」

 

 メジロドーベルは、メジロブライトに勢いよく抱き着いていた。

 

 

7着 メジロドーベル

 

 

「やったやった!! アタシ、アタシやったわっ!!」

「もう、ドーベル……そんなにはしゃがないでくださいませ。わたくしも疲れているのですわ~……」

 

 ぴょんぴょんと飛び跳ねる彼女を受け止めつつ、呆れつつ。それでもブライトは突き放そうとしない。彼女の、少女らしい喜びを受け止め、自身もまた、嬉しい気持ちになっていた。

 

 

8着 メジロブライト

 

 

「優勝は出来なかったけど、出来なかったけど! 勝った、勝てた、やれた!! すごい!! 今なら空も飛べるかも!! わっほほーっ!!」

「キャラがおかしくなってますわ……気を確かに持ってくださいませ」

 

 タガが外れているとはいえ、ここまではしゃぐ子だっただろうか。母親のように思うブライトの視界に、

 一つの影。

 

「……」

 

 スレイエメラルドの表情は、悔しそうにも、なんとも思ってなさそうでもあった。

 

 

9着 スレイエメラルド

 

 

「……あ」

 

 声を漏らしたドーベルは、ブライトから身体を離し、彼女と相対する。

 何を言うべきか、何から話すべきか。スレイは決めあぐねるように唇を結んでいた。

 それがおかしく映ったのか、先に表情を崩したのはドーベルだった。

 

「……追うべき相手がいないと、勝負は張り合いがないものなのよ」

 

 スレイが彼女に、初めてライバルという感情を抱いたように。

 ドーベルもまた、彼女のことを強く意識していた。

 

「アタシはレース中……何かこう……自分の中の、越えるべき壁を超えたような感じがした。あんたがいなかったら……絶対に勝つ、って思ってなかったら……もしかしたら、越えられてなかったかもしれない」

 

 あの未来を。

 名も知らぬ何者かに決められた、運命を。なぞっていたのかもしれない。

 

「……終わる気は無いんでしょ?」

 

 スレイは、固まっていた口端を緩ませた。答えは、それだけで十分だった。

 

「またアタシから……奪いとってみせなさい」

「……えぇ」

 

 果たして、紡がれたスレイの言葉は――これまでのどんなものよりも、晴れやかだった。

 

「上等です」

「――も~っ」

 

 で、そんな二人に、ぷくっと頬を膨らませるのはブライトだ。

 

「わたくしも忘れないでくださいませ! そんな楽しそうなこと、わたくし抜きではさせませんわ!」

「ふふっ、大丈夫。ちゃんと忘れてないよ」

 

 そんな彼女の頭を、ドーベルは撫でる。一転してドーベルの方が、母親然としていた。

 

「――はぁー、はぁー……」

 

 そこから、更に離れた芝生の上にて。

 ツインターボは、大の字で寝転がっていた。

 

 

15着 ツインターボ

 

 

「――はは、はははははっ」

 

 結局ドンケツか、とターボは笑う。悔しいには悔しい。歯痒いには歯痒い。だが彼女の中を満たしている感情は、決してそればかりではなかった。

 全速と全力を尽くした、これまでで最も自分らしい走り。

 

 負けてしまったけれど。

 勝てなかったけれど――

 

「――楽しかった……!!」

 

 ギザっ歯を開け、満面の笑顔を浮かべる彼女の顔に、影が落ちる。

 青空を背に覗き込んでいるのは、あどけない表情と芦毛。

 レースの終盤。苦しそうな走りを見て、考えなしに導いた編入生。

 

「……たーぼ、」

 

 ダイヤアールヴァクは、彼女の名を呼んだ。

 

 

16着 ダイヤアールヴァク

 

 

「ありがとう。あなたがおうえんしてくれたから、わたしも、さいごまで、はしりきれた……」

「……ははっ、トーゼンだ!」

 

 ターボは、上半身を起こす。アールヴァクも、彼女の前にぺたりと座り込んだ。

 

「こんなにすっごいレースなんだ! みんなで楽しまないと損だろ!」

「うん……うん。くるしかったけど……いいれーすだった」

「それで、どうなんだ?」

 

 ターボの淀みない瞳が、アールヴァクの姿を映す。その問いかけの意味するところを、彼女は瞬時に理解していた。

 

「……ん」

 

 彼女は言う。

 

「だいじょうぶ。きっと、だいじょうぶ」

 

 きっと。

 きっと。

 自分の想いは――届いたはずだ、と。

 

「……」

 

 目は、観客席の方へと向けられる。

 

「……スズカ」

 

 それを見守っていた西崎は、スズカに呼びかける。

 レース終了から、小刻みに肩を震わせていたスズカは、その声に反応し、顔を上げ、ターフを真っ直ぐに見つめた。

 

「……トレーナー」

 

 彼のことを呼ぶ。

 

「ずいぶん長く……待たせちゃったわね」

 

 振り返った彼女の顔は――

 翳りの消えた、明るいものへと戻っていた。

 

「――走りましょう。もう一度……」

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 レースとは夢だ。

 誰もが、そんなことを言う。

 果たすべき夢、誰もが目指す夢――そういう意味でもあるんだけれど。

 準備期間の長さに対して、本番が一瞬――という意味でも、夢、であった。

 

 私たちのもたらした夢は、披露した意志は、どこへ、誰に、どんな風に伝わって。

 どんな風に、影響するのだろう。

 ……わからないけれど。

 

 喜びと。

 盛り上がりと。

 驚きと。

 笑いに満ちた、その年の、有マ記念大会は……

 

 

 

 そうして。

 盛況のうちに。

 幕を閉じた。……

 

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