「それで、マスコミの様子はどうなんです?」
『そこ』に辿り着いたトレーナーさんが、私の隣に座った時。私は早速とばかりに話の口火を切っていた。
冬のほんのりと肌寒い空気で、辺りは爽やかに澄み渡っている。穏やかな昼下がり。ちらほらと見える人々は、それぞれに思い思いの時間を過ごしているが、たまにこちらを好奇の目で見てくるのがちょっとだけ気まずかった。
でもまぁ、今日もいい天気だ。
「あー」
トレーナーさんは、ココアシガレットを懐から取り出して咥えると、思い出したくないものを思い出すみたいに唸った。
「ようやく落ち着いたとこだよ。菊花賞の時もそうだったけど、あいつらって本当に追い払っても追い払ってもどこからか湧いてくるんだな。虫か」
「虫て」
「殺虫剤が利かない分、虫より質が悪いかもしれん」
散々な言い草だった。でも私も、凄いことになってんだろうなって気はしてたから。お陰様で、こうして腰を据えて話す機会も、ようやく今日になって取れたって感じだ。
ただ、そういう騒々しいあれこれを目の当たりにすると、自分たちが偉業を達成したことを自覚出来る。鬱陶しいと思うのはしょうがないけど。私たちにとっての、何よりの勲章で、証拠でもあった。
……本当に。
本当に、やったんだなって。今でも、感じる。
「……で?」
「え?」
「いや、え? じゃねーよ」
ともかくと――
言わんばかりに、トレーナーさんは言うけれど。
私は質問の意図が汲み取れなくて、思わず頓狂に返してしまった。
「なんで呼んだんだよ、こんなとこに」
彼女は呆れながら、私に改めて訊ねていた。
「話なら、別のとこでもよかったろ」
そう。
どうしてわざわざ――『公園』なんぞに、呼び出したのか。
「あー……」
私は、唸りながら空を仰ぐ。
これまでのあれこれ。今までの全てを。広大な青いキャンパスに描きながら。
「……まぁ、強いて言えば、ここが私たちの始まりの場所だから、ですかね」
言い切って、立ち上がる。
男勝りに座るトレーナーさんの前に立って。姿勢を正した。
「――ありがとうございます」
そして――
深く、一礼した。
「……色んな人を、巻き込んじゃいました。色んな人に、迷惑をかけました。でも、でもそういう色々も、出来事も、始まりが無かったら……有り得なかったものなんです」
夢を見ようと思わなければ。
それを叶えようと思わなければ。
全部、全部、起き得なかったものだった。
……そして、その始まりを担ったのは。
「全部……あなたが、いてくれたから」
衝突はしたけど。
喧嘩もしたけど。
小バカにしたし。
怒られもしたけど。
彼女は、私にとっての。
掛け替えのない、最高の、相棒だった。
「あなたが、私を、見出してくれたから」
――あなたが。
私に、手を差し伸べてくれたから……
「……だから」
だから。
ありがとう、と。
これは、そのための……お礼、だった。
「……」
彼女は、まさかそんなことを言われるとは思っていなかったのだろう。
しばらく、目を丸くしていたけれど。
やがて息を吐くと共に、元の表情に戻る。
「……なんか、全部終わった気になってるけど」
で……地に足付いた声色で、言うのだ。
「一応お前、まだキャリア続いてんだからな」
「あはは……はい、わかってますよ」
わかってます。
わかってますとも。
私だって、これで最後にするつもりはないし、これからも、まだまだ行けるとこまで行きたい、って思ってる。
……でも。
でも、それでも……
「……でもなんか」
なんかもう。
無理なんじゃないかな、とか思ってしまうのだ。
「……うん?」
「あ、いえいえ。意志はちゃんとありますよ? 私も……まだまだ挑戦したい目標とかありますし。ジャパンカップとか……」
獲るべき栄光はまだある。
目指せる目標も、まだまだある。
意志はくすんでいなくて、目指すだけならいくらでも目指せるのだ。
……そう。
目指す『だけ』なら。
「……身体がもう、着いてかないんじゃないかなって」
確信はないけれど。
確証もないけれど。
なんとなく……そんな気がするのだ。
「もうこれ以上は……凄い走りは、出来ないんじゃないかなって、なんとなく、思うんですよね……」
「……」
トレーナーさんは、それに反論も否定もしない。
ただ、咥えたココアシガレットを上下させると、落ち着いた声で言った。
「――
「……」
涼風に、優雅に木々が揺れる。さわさわと、心地よい音が耳を撫でる。寂しげなように聞こえるその音が、私にはどこか、福音のようにも感じられた。
「……、」
トレーナーさんは、気まずさを紛らわすみたいに、首の周りを掻いていた。
「……まぁ、永遠に生き続けられる生き物なんていない。いつかはみんな死ぬし、レースだって、いつかは引退しなくちゃいけない。……その前に有マを獲れてよかった、って思うべきかもな」
「なんか……ごめんなさい。弱気なこと言っちゃって」
「いや? 冷静な判断だと思うけど」
意外だった。本当だよ、と同意されるとばかり。
「今までのお前だったら、そんなこと構わずとりあえず走りましょう! って感じだったろ。思ってた以上に真剣に、真面目な分析してたから。ぶっちゃけ滅茶苦茶びっくりしてる」
「そんなにですか……」
「お前、ちゃんとサファイアアリオンだよな? 実は精巧な着ぐるみ被った別人とかじゃないよな」
「……怒りますよ」
「ジョーダンだよ」
肩を竦めるトレーナーさん。全くもう。確かに私、だいぶ考えがこう、変わったというか、落ち着きに至ったような気はするけどさ。そこまで言わなくてもいいんじゃないかなぁ……
「……」
「……?」
そこで、突然に無言になるトレーナーさん。どうしたんですか、と問うてみると、彼女は、いや、と、優しい微笑みを浮かべていた。
「……思い出してたんだ。昔のこと。まだ、父さんも生きていたころのこと。あたしも無邪気に色々考えてたよ。結局その全部は叶わなかったけど……」
きらきらと輝いていたものだ。
いつでも楽しげに、煌めいていたものだ。
「あたしがお前に肩入れしたのは、そういう理由だったのかもしれないな。真っ直ぐで、我武者羅な夢を持ってんのに、諦めるのがもったいない……みたいな。あー、今となっちゃ、よくわかんないけどさ」
「……なんでもいいんじゃないですか。理由なんて」
そう思う。私は彼女に答えた。
「最終的に、こうして行けるとこまで行けましたしね」
「お前を見てると、何でもできそうな気がしてくるよ」
「さすがにそれは買い被り過ぎじゃあないですかね……」
「あたし、トレーナー辞めようかな」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……え?」
「ん?」
「いや、ん? じゃなくて」
……ボーゼンとしてしまった。
改めて問い直すも、彼女はきょとんとしている。その表情をしたいのはこっちなんだけども。
「え……え? どういうことですか? 辞めるって……」
「あぁいや。心配すんなよ。今すぐじゃねー。これでもチームを請け負ってるんだからな。その責任はちゃんと果たすよ」
ただ――ちゃんと果たせたなら。
もう、それでいいかなって。
「……知ってるだろ。あたしにとってのトレーナー業ってのは……元々、復讐がモチベーションだった」
でも、それは晴らされた。
無謀な挑戦によって、塵芥となって消え去った。
「残ったお前の夢を叶えることで、あたしは過去への贖罪にしようとした。それはいつしかあたしの夢にもなって……そして今日、お前はそれを叶えた」
これからも、夢は続くのだろう。
きっと、道は続いていくのだろう。
だがその道は――お前を導くためのものだ。
「他の誰かのためのものじゃない」
だから……
だから。
「もう、そこで辞めてもいいかなーってさ」
「……でも、だったら、どうすんです?」
私を見捨てる、とかじゃないことがわかったからだろうか。
ちょっと自分勝手な安心感と共に、問いかけ直す。
「トレーナーさんが無能とは思いませんけど、他にやりたいこととか、あるんですか?」
「……言ったろ。あたしにも、夢はあるんだよ。一応」
「なんですかそれ?」
「……」
……何故か言い淀むトレーナーさん。目をそらして、いかにも答えにくそうだ。
そんなヤバいことを夢見てるんだろうか。
「……うわぁ」
「おい待て。勝手に引くな。まだ何も言ってねーだろが」
「えー? だってここで言い淀むとか。絶対ヤバいことじゃないですか……酒池肉林か人身売買か」
「オメーの中のあたしの倫理設定どうなってんだよマジで」
頭を抱えるトレーナーさん。ふん。さっきの仕返しですよーだ。
「……いやな。まぁ、なんつーか。一応真っ当ではあるんだけど、そのー……」
「なんですか?」
「……笑うなよ」
「はい……?」
「ぜってー笑うなよ」
「……」
……ここまで来て、やっぱり言わないも後味が悪い。私は、自信は無いけど、彼女の念押しに頷いた。
それでも彼女は、踏ん切りがつかないのか。二秒も、三秒も、沈黙を守っていたけれど。
「――、」
「……?」
やがて。
「……だよ」
「はい……?」
それを。
口にした。
「――、だから……」
「――パティシエに、
なりてーんだよ……」
「……」
「……」
「……」
「……」
遠くに、公園内で遊ぶ人々の声が聞こえる。喧しく、自動車の通り過ぎる音。鳥が数羽、近くの地面を跳ねまわると、やがては空へと飛び立っていった。
「……ま、」
永遠にも見紛う時間、黙りこくった私。
「マジですか……?」
笑いはしなかったけど。
驚愕は隠せずに、思わずそう言ってしまっていた。
「――あぁもう! やっぱ言わなきゃよかった!!」
「あ、いやいや! 別に笑って無いですよ! いやでもなんか、なんか予想外過ぎて……!!」
「悪かったな、悪かったなこんなのがパティシエなんかで!! 仕方ねーだろ!! 憧れたもんは憧れたんだから!」
怒り心頭なトレーナーさん。ぶっちゃけ私は、笑うって発送まで辿り着けてない。それくらい彼女の言ったことは、変化球過ぎたのだ……
「で……でもなんでですか?」
彼女が落ち着いたところで、問い直してみる。そう。なんで、それを目指そうと思ったのだろう。
別にダメってわけじゃないけど。他にもまだ、なんかこう……選択肢はある気がするんだけど……
「……だって考えてもみろよ」
すると彼女は、答えるのである。
「この国、にんじんをアイスに突き刺してパフェとかほざくんだぞ。そりゃ反抗したくもなるだろ」
「え、えぇ……いや、まぁ、理屈はわからないでもないですけど……」
それでパティシエ目指そうって、つまりこの国のスイーツ意識を根幹から変えようってお話なのだろうか。なんかそれはそれで、ものすっごく壮大な野望ではあるような……
……って、あれ? なんかその、にんじんをアイスにって件、どこかで聞いたような……
「とにかくさ、」
すっかり落ち着きを取り戻したトレーナーさん、二本目のココアシガレットを咥える。
「そうしてとっくに諦めたモノでさえ、お前を見てたら、信じてみようかなって思ったんだ。わかるだろ。他人にそう思わせるのは、誰にも出来ることじゃない……」
それでなくとも。
お前の夢は、最初は途方もないものだったのだ。
「……お前は夢を叶えた」
それを実現した。
「運命を変えた」
関わった、色んな子たちの、世界を変えた。
「お前を目撃した、多くの人たちの、希望になった……」
――『諦めた夢』を。
また、再起させた。
「……アリオン」
彼女は、私を見つめた。
その瞳は、今までに見たことがないくらい、柔らかくて。
暖かかった。
「……お前は、
あたしの誇りだ」
「……」
……
……私は。
それを聞いて、私は……!!
「――う、」
落ち着いていた心が、ものすっごく、昂るのを感じた!
「うおぉぉぉぉっ!! トレーナーさんが、まさかトレーナーさんがそんなこと言うなんて!!」
「だから、お前の中のあたしってどんな薄情者なんだよ」
「俄然やる気出てきました!! 天皇賞でもジャパンカップでも、なんでもやっちまいましょう! 出来るとこまで!!」
「……おい待て。いくらなんでも今すぐには――」
あぁ、もうダメだ。
止まらない。
やる気が出て、止まらない――!!
「そんじゃ!! ウォーミングアップがてらちょっと走ってきます!! 後でフィードバックください!!」
「おい、だから少しは休みを――」
「うおおおぉぉぉッ!!」
トレーナーさんの言葉を尻目に。
私は、前へとかけ出す。
身体は嘘みたいに軽く。
活力と気力に、満ち溢れていた。
「……」
声を振り切り、猪突猛進とばかりに走っていくアリオンの後ろ姿を見送り、担当は、特大のため息と共に、浮かし掛けた腰を落ち着けていた。
変わった、と思っていた自分だったが、その本質はほとんど変わっていなかったということだろう。
お転婆の跳ねっかえり。こりゃしばらく退屈しなさそうだな、と、ベンチの背凭れに背を預け、空を見上げる。
穏やかな昼下がり。
平和な日常。
何でもない安穏とした時間が、今、染み渡るように心地いい。
「……なぁ、父さん」
そして彼女は――そんな、どこまでも広がる青空に。
一人。
言葉を発していた。
「……いいところだよ、
ここは」
次回更新分で最終回+αとなります。
どうか最後まで、よろしくお願いします。