16年度の卒業生(新版)   作:Ray May

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あれっ? と思ったら投稿日時間違えてた。




開かれる夢の扉

 

「……」

 

 プラスチックボトルを振る私の隣。

 私は、チヨちゃんが、どこか虚ろな目でスポーツドリンクの粉末を投入し、水を注いだのを目撃していた。

 

「…………」

 

 ……そう。

 

 粉末を入れて、

 水を投入していた。

 

「……チヨちゃん」

「――へ。あ、はい!」

「順番間違えてるよ」

「……」

 

 彼女は自分の手元に目をやる。

 もう薄い白に濁ってしまったそれを見て、数瞬だけ硬直する。

 

「――あぁぁぁっ!!」

 

 で。

 世界の終わりを目の当たりにした、みたいな声を上げるのだ。

 

「ま、またやっちゃいましたぁ……」

「あはは……ま、まぁ、全力で振れば『溶けて』くれるよ、きっと」

「そうですね……そう願いましょう……」

 

 がっくしと肩を落とすチヨちゃん。それを目線で撫でながらも、周囲にも目を配る。

 すると同時、こちらに近付いてくる二つの影に気が付いた。

 

「お疲れ、二人とも」

 

 そのうちの片方――黒みがかった鹿毛の生徒が、私たちに呼びかける。チヨちゃんがそれに、ぱあっと明るい笑顔で答えた。

 

「ドーベルさん! お疲れ様です!」

「ん。交代だよ。運搬よろしく」

「はい! お願いします!」

「外どう? 暑い?」

「暑いってものじゃないですわ~」

 

 私が問いかけるのは、その隣に立つ彼女。

 動きに合わせ、ウェーブがかった鹿毛の長髪が、ふわふわと揺れ動く。

 

「既に一人ぶっ倒れてますので~。お二人とも、ご無理をなさらぬよう~」

「わかりました! 行きましょうリオンさん!」

「おっけい……」

 

 チヨちゃんは自信満々にガッツポーズをする。続きたいのはやまやまだったけれど、ちょっと私には出来なさそう。

 ……今の陽気で、どうしてそこまで気合いが入れられるのか、ほとほと疑問だった。

 

 

 

 

 

 ――七月上旬。

 

 トレセン学園一大行事の一つ――夏合宿。

 私たちはその会場――山奥の研修施設にいる。

 

 夏合宿は、基本的にクラシック級以上のウマ娘がトレーニングに励む。

 大抵が本格化を迎えていないジュニア級は、無理にトレーニングに臨んでも、思うような成果を得られないことが多いからだ。

 最悪の場合、故障に至ってしまうこともある。

 

 ならば私たちはお留守番なのか――というと、そうではない。

 特別な事情がない限り、私たちも参加し――

 先輩たちのトレーニングの、バックアップをすることになっている。

 今は、その真っ最中というわけ。

 

「……」

 

 チヨちゃんと共に、合宿所の廊下を通り抜ける。

 部屋ごと、割り当てられた班が、あれこよこれよと動き回っている。

 誰もがこの合宿に駆り立てられた――いわば同志。

 この一大イベントを縁の下で支える、大黒柱の仲間たち。

 

「……みんな無事に帰れるといいね」

「もー、リオンさんたら。死地で戦ってるわけじゃないんですから」

 

 可笑しそうに笑うチヨちゃんだけど、正直私にはそれと同然のように思える。リラックスした労働環境、とするには、あまりにどこもかしこもが逼迫しているからだ……

 

「――やばい! こっちの洗濯機壊れたっぽい! 他のとこ空いてないかな!?」

「確かC班のとこ余裕あるとか言ってたと思う! 聞いてくるね!!」

 

 ……バックアップは、主に三つの班に分かれて行われる。

 まず、使用済みのアメニティ、プラスチックボトルの洗濯、洗浄を行う、『洗浄班』

 

「あ……あれ? 今って何本目だっけ? 十本目?」

「十五本目だぞ。しっかりしろ」

「あぁ……もう数も数えられなくなってきたぁ……」

 

 次に、洗浄されたアメニティの整理と、飲み物の補充をする、『補充班』

 

 そして、そうして用意された物品を、トレーニングの舞台各地まで運ぶ『運搬班』だ。

 

 ……ちなみにこれらは、飽くまで基本の三班。

 

「ねぇ! スポドリの粉末なくなりそう! 買って来れそう!?」

「おっけー! 行ってくるね! いくつ必要!?」

 

 用品が足りなくなれば、『買い出し』に行くし。

 

「――ごめんあなたたち! ちょっと手伝ってもらっていい!?」

「はいただいまー!!」

 

 急患が出れば、先生のサポートに回ることもある。

 

 何人もの生徒たちが、ひっきりなしに施設の内外を右往左往し続ける――

 そう。気の休まる瞬間などほとんどない。

 

 戦場。

 こっちもこっちで、戦場なのだ……

 

「……無事に帰れるといいね」

「なんで二回言うんです?」

「いやぁ、改めて実感したというか」

 

 ともあれそんな感じで、施設の玄関口に辿り着くと。

 

「――っだぁー、疲れたぁー!!」

 

 ちょうど運搬を終えたらしい生徒二人が、戻ってきたところらしかった。

 

「先生、ちょっと休んでもいいですかぁ……?」

「いいわよ。しっかり休みなさい」

 

 傍らに立つ監督者――引率の先生が呼びかける中。

 

「お疲れ様ですー!」

 

 チヨちゃんが元気よく声を掛けた。

 が、次いで玄関口の傍に目を向けて、ぎょっとする。

 

「――うわ、すごい溜まっちゃってますね!」

 

 そこには、物品を満載した籠が、ジェンガかってくらい高く積まれてしまっている。

 補充の済んだ物品は、玄関口に置いておくことになっている。それを運搬班が次々運んでいくという寸法なんだけど。

 ……どう見ても、搬入に搬出が追いついていなかった。

 

「えぇ、さっき一人熱中症で倒れちゃってね。丸々ひと班抜けちゃったのよ」

 

 その分、溜まっちゃったのよね――

 先生は、困ったように片手を頬に当てる。けれど、その目はいたわりに満ちていた。

 

「身体が大切なのは、あなたたちも同じだからね。無理はしないように」

「はい! わかりました!」

「りょーかいです……」

 

 心配してくれるのはありがたい話だけれど、それは職務を放棄する理由にはならない。

 そういうわけで、気合いを入れ直し、ボトルを満載したかごを背負う。

 チヨちゃんと頷き合い、玄関の扉を開けた。

 

「……、」

 

 ――ここが山奥の合宿所なのは幸いだった。

 

 真夏特有の、差すような日差しは健在だけれど、断続的に肌を撫でる微風は、その威力をいくらか和らげてくれている。

 辺りを包む木々のざわめきは、私たちをそっと応援してくれているみたいだ。

 満ち満ちた蝉の合唱は、宛ら兵隊を送り出す軍歌。

 

「大丈夫ですかリオンさん! 行きますよ!」

「おっけいおっけい」

 

 そんな中を、チヨちゃんの掛け声をきっかけに、駆け足で走り出す。

 籠からドリンクを落とさないよう、何より自分がずっこけないよう、バランスを取りながら、慎重に。されど素早く……

 

「――トレセーン、ファイッ!」

「……!?」

 

 必死に気を配りながら走っていると。

 チヨちゃんが、突然に声を上げた。

 

「……へ?」

「――ちょっと! ちゃんと掛け合ってくださいよ!」

「へぁ!? ご、ごめん……!?」

「もっかい行きますよっ、トレセーン、ファイッ!」

「お、おー……?」

「ファイッ!」

「おーっ!」

「ファイッ!!」

「おーっ!!」

「あはははっ」

 

 楽しそうに笑うチヨちゃん。どうやら彼女にとっては、こんな苦行すらもトレーニングの一環らしい。

 ……いや、他人事みたいに考えてるところじゃないか。

 そうだ、こういう細かなところで差が出来るんだ。ボーっと歯車みたいに作業してる場合じゃない。

 使えるところは、使わないと!

 

「と、トレセーン!」

 

 なので、今度声を上げるのは私。

 

「おぉっ」

 

 チヨちゃんの声は驚きに満ちていて。

 

「ファイッ!」

 

 羞恥心をかなぐり捨てて、続けると。

 

「おーっ!」

 

 彼女もまた、続いてくれた。

 

「ファイッ!」

「おーっ!」

「ファーイッ!」

「おーっ!!」

「おぉ、嬢ちゃんたち、頑張れよー!」

「ありがとうございまーす!」

 

 ……そんな感じで、地元の人からの声援も受けつつ、走り抜けた先。

 

「――お」

 

 広大な砂浜と海原が、目の前に広がる。

 トレーニングに勤しむウマ娘の姿も、また点々と。

 目的地へと、到着したようだ。

 これを時間を忘れて堪能出来たら……一体どれほどいいことか。

 

「いやー、何回見ても感動するねぇ」

「しみじみしてる場合じゃないですよ、行きましょうっ」

「はいはい」

 

 そう、しみじみ眺める暇もない。私たちは仕事中なのだ!

というわけで、足はそのまま、海の家へ。

 まだ客足も疎らな中――

 

「あ」

 

 すぐ近くのテーブル席に、見知った姿があった。

 

「――ネイチャさん。お疲れ様です」

「んぉ、お疲れ、二人とも」

「お疲れ様です! ――ゴルシさーん! 飲み物お届けに上がりましたー!」

「おぉ、あんがとなー!!」

 

 チヨちゃんが声を張り上げると、厨房の奥から威勢のいい声が返ってくる。同時に届くのは、心地よいまでの何かを焼く音。

 長い芦毛が忙しなく揺れていることは、想像に難くなかった。

 

「ははは。ゴルシも気合い入ってんねぇ」

「ネイチャさんは休憩ですか?」

「そんなとこ。絶賛クールダウン中ですよん」

 

 ひらひらと手を振るネイチャさんだけど、そう言うってことは、さっきまでトレーニングに励んでいたということだろう。

その割に、あまり疲弊しているようには見えない。炎天下の浜辺だっていうのに……すごいな。

 

「……すごいですね。こんなに余裕で話せて」

「いやいや。こー見えてアタシも二回目ですよ? あんま嘗めんなっつー話ですよ」

 

 あぁ、いや。そっか。飄々とした言動の目立つ彼女だから、失念しがちだけれど。

 彼女も立派なシニア級。一通りの基本も身に着け、一線で戦える力を身に着けたベテランだ。

 そりゃ、そう簡単に倒れることもないか。

 

「そっちはどう? 今年も絶賛戦場中?」

「やー、もう。目が回る忙しさで。ぐるぐるですよぐるぐる」

「まるで分身ですよね! あれ? あの人さっき別のとこいなかったっけ? っていうのがもう何回もありました!」

「そっか。ま、夏合宿の風物詩さね」

 

 物騒な風物詩だった。

 

「あ、そだ」

 

 と、そこで何かに気付いた様子のネイチャさん。三人分のお水持ってきてくれる? 突然、そんなことを私たちに頼んできた。

 応じたチヨちゃんは、器用に三つ分のお水をテーブルに持ってくる。

 ネイチャさんは、そのうちのひとつを手に取り、掲げた。

 

「というわけで」

 

 で、続ける言葉は。

 

「サファイアアリオンちゃん、オープン昇格おめでとーっ!」

「――あっ、おめでとうございますっ!」

 

 チヨちゃんも、慌ててそれに同調する。最後にグラスを掲げたのは私。

 グラス同士がかち合い、かしゃん、と軽めの音が響いた。

 

「……ど」

 

 ……果たして私は。

 

「どうもです……」

「んん? なんかあんま嬉しくなさそうだね」

「嬉しいというか……」

 

 出来事が突然すぎて、理解が追いつかないのと。

 そんなに祝うほどのことか、というのと。

 しどろもどろで言う私に、ネイチャさんは呆れたように息を吐いていた。

 

「なーに言ってんのさ。新バ戦でコケてそのまま引退、なんて子も多いんだからね? あんま甘く見んなよー?」

「そうですよ! そもそもタイムだけなら私に勝ってたじゃないですか! もっと自信持ってください!」

 

 ……まぁ確かに。

 平静を保っている私ではあるけど。すごい勝負ではあったからな。

 新バ戦にしろ。

『未勝利戦』にしろ……

 

 

 

 ……そうです。

 何を隠そう私、未勝利戦に無事勝利出来たのです。

 

 

 

 その時期というのが、新バ戦の一週間後。

 夏合宿の直前のタイミング。

 ……更に言うなら、一昨日。

 

 周りから言わせてみれば――

 昇格ほやほやの新人。

 

「っていうか自信持ってくれないと、私がいたたまれません……! あの結果にはまだ納得いってないんですからね……!!」

「わ、わかったわかった。わかったから」

「おーおー、なんか面白そうな話してんじゃねーか」

 

 どんっ。

 テーブルに、大皿に乗せられた焼きそばが舞い降りていた。伸びてきた腕を追ってみると、そこには長い芦毛。

 

「お前ら、まだちょっとは時間あんだろ? ソースとか色々改良してみたんだ。毒見してくれよ」

「いいんですか!? いただきます!」

「毒見て」

 

 苦笑いするネイチャさん。まぁ、まさか本当に毒を盛ってるわけがないだろう。そういうことなら、ありがたくいただくことにする。

 

「そっかぁ。お前らジュニア級かぁ。懐かしいなぁ……アタシがデビューした時は、米国式トライアスロンと投げ縄漁で競い合ったもんだぜ……」

「……はい?」

「またアンタは一目でわかる嘘ついて」

「あぁん!? オメーだって当時カジキマグロ釣ってみんなに自慢して回ってたろ! アタシはアライグマで対抗したけどな!」

「そもそもアタシとデビュー時期被ってないし……」*1

「……楽しそうですね!」

「そうだねー」

 

 チヨちゃんと私、どうしていいかわからず、当たり障りない返事をする。なんだかんだとと話してるうち、時間が経ちすぎたことに気付いたのは、ネイチャさんのトレーナーさんが彼女を呼びに来た時だった。

 

「……やばい。休み過ぎた」

「――! そうでした!! 私たち仕事中でしたっ!!」

「あはは。まぁー、大丈夫だよ。ちょっと絞られるくらいだから」

「それが嫌なんですけどね!?」

 

 軽快に笑うネイチャさん、ゴルシさんに見送られながら、空の容器を背に、急いで施設へ戻る。

 ――お話は後でね。怖気すら感じるほどの笑顔で、監督の先生に言われてしまった。

 

 ……ところで、合宿の舞台は、何も浜辺だけではない。

 

「おし、じゃあもう1セット行くぞ」

「わ、わかったわ……!」

 

 生徒によっては、林道や山道。

 

「えっとそれで……ここがこうなってこうで……?」

「違うよ。ここはこの公式使って……」

 

 室内で、座学に勤しむ子もいれば。

 

「……スカイさーん。これここ置いときますねー」

「ん~、ありがとね~」

 

 気の赴くままに過ごす人いる……

 まぁ最後に関しては自主トレーニング(サボり)だけど……

 

「――、――」

「――、……!!」

 

 いくつもの場所、何人もの生徒のため。

 気の続く限り走り回り続ける。

 

 さなかで――

 

「……」

 

 無論――時の生徒会長の姿も見かけた。

 大半の生徒と同様の対応をしてくれたけれど。

 やはりその姿からは――往年の覇気は、失われているように見えた。

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 さて、夏合宿の期間は一ヶ月。

 その期間中の食事も、基本的に施設から提供される。

 ただそれだけの期間となると、さすがにずっと同じ職員が担当、というわけにもいかず。

 一週間に一回、日曜日に、職員さんの入れ替えが行われる。

 

 必然、そのための引継ぎ業務やら何やらで、職員たちは多忙を極めることとなる。

 生徒の食事の準備が出来ない、というわけじゃないらしいけれど。

 どうせなら羽根休みにしようぜ! ってことで献立のみが製作され。

 

 その日の夕食に限り。

 ジュニア級の生徒が、食事を作ることになっている。

 

 一見無茶ぶりのように見えるけれど、提供されるレシピは事細かに指示してくれているので、実際は特に難しいこともない(たまに『爆弾』が投下されるらしいけど)。

 だから私も、そこまで緊張はして無かったんだけど……

 

 どうやら今年、今日に限って言えば、事情が違うらしかった。

 

「――おーし、お前らよく聞けー」

 

 食堂――

 集められた、選りすぐり(?)の30人の生徒たちを前に、彼女は――ゴールドシップさんは言う。

 

「知っての通り、合宿期間中は、定期的にお前らジュニア級の生徒が食事を作ることになってる。今日の献立はカレーなんだが……折角の機会なんだ。真っ当に作るだけじゃあ面白くないだろ?」

 

 そこでアタシが発案した――と。

 

「今日は6人ひと班、計5班に分かれて、班対抗でカレー作りをしてもらう!」

 

 漫画の世界の司令官みたいに、バッと手を掲げるゴルシさん。彼女の気合いは十分みたいだけれど、私たちからしたら、突然も突然なお話で。

 

『……』

 

 お互い、顔を見合わせ、困惑するしかなかった。

 

「ちなみに投票で一位を取った班には、」

 

 しかし――そんな私たちに、ゴルシさんは不敵に笑い、言うのだ。

 

「一人一枚ずつ、¥5,000相当の商品券を進呈する!」

『――!!』

 

 ――¥5,000。

 大人にとってはほんのはした金だろうけれど、私たち学生にとっては大金だ。

 

 天啓のように告げられた言葉で、点火された着火剤みたいに、誰ものやる気が湧き上がってきたのを感じる――

 

 ちなみに私は――

 ……微妙だった!

 

「どうしたんですかリオンさん! 気合い足りてないですよっ!」

「い、いやいや! そんなことないデスヨッ?」

 

 何故だか妙に落ち着いて、地に足着いた気分。

 それでも、気合十分に呼びかけてくるチヨちゃんに、上っ面だけでもそれっぽく応じる。声が裏返っちゃったけど。

 

「でもどういう感じでいこっか」

 

 ともあれ、早速作戦会議。メンバーの一人が訊ねるけれど、そこまで深く考えることがあるのだろうか、と思う。

 

「……どういう感じって言っても、凝れる部分ってそんなにあるかな」

 

 思ったままのことを口にしてみると、誰もが難しそうな顔をする。カレー。シンプルな料理であるがゆえに、凝ろうとすると難しい。

 本格的なもの、ってなるとスパイスから考えなくちゃならなそうだけど、さすがにそこまで考える余裕も材料もないだろう。

 

「普通なやつでいいと思うけど……」

「まぁ変に拘って自爆したら世話ないしね」

「シンプルイズベストとも言いますからね!」

「隠し味を少し変化球にするくらいかぁ」

 

 あとはちゃんとまごころ込めるとか。景品に目を輝かせるところ悪いけれど、私たちの発想じゃ、それくらいが限度だろう。

 

 そんな感じで、じゃあそれで、と話がまとまりかけたけれど。

 

「――本当にそれでいいのですか~?」

 

 ふわふわと、浮遊感ある声がそれを止めていた。

 ……メジロブライトさんだ。

 

「どういうことですか?」

「だって~、わざわざこれ~、わたくしたちに~、チームを組ませてるではないですか~」

 

 チヨちゃんが問いかけると、ブライトさんは続ける。

 それも献立は、一見レースと無関係そうなカレーをチョイスしている、と。

 

「でしたら~、そのチームの団結力、だけでなく~、いかにレースの要素を盛り込むか、というところも、評価してると思うのですよ~」

「……言ってることはわからないでもないけど」

 

 すると応じるのは、メジロドーベルさんだ。

 

「だったらどうするの? カレーにレースって、盛り込みようがなくない?」

「ふふっ、大丈夫ですわ~、ちゃーんと、心当たりがありますわ~」

 

 ブライトさんは――

 その瞳を、突然妖艶に光らせた。

 

「――『黄色いカレー』……」

『――!?』

 

 そして、口にした答えに――

 一同の間に、衝撃が走る。

 

「そう、浦和競レース場名物……ほどよい甘さと辛さの調和した、昔ながらのカレー……我が班の団結力を示しながらも~、トレセンという要素をもしっかりと汲む鉄壁の布陣ですわ~」*2

「おぉ……おぉ! なんかそう言われるとそんな感じがして来たかも!」

 

 ものすっごいこじつけみたいに感じたのだけれど、それは私が一人熱を欠いている証拠か。

 

「よしっ、頑張ろうみんなっ! 商品券は私たちのものだよっ!」

『おーっ!!』

 

 ともかく、とメンバーがそう呼びかけると、班総員で腕を上げる。やる気を高めた私たちは、わざわざ携帯電話まで動員し、レシピを確認し、ひとつひとつ丁寧に、心を込めて、カレー作りに勤しむ。

 

 少なくともメンバー全員が納得出来る味に仕上げられ、全員の間に、確信に似た勝利の予感が漂っていた……!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――で、あっさり負けた。

 

「……夢が覚めるのも一瞬だったね……」

「残念ですわ~」

 

 ドーベルさんはじめ、メンバーほとんどが肩を落とすけれど、ブライトさんはほわほわほわーんとあんまり残念そうには見えない。もしかしてこの人、例の黄色いカレーを個人的に食べたかっただけじゃなかろうな。

 

「で、でもほら! 皆さん見てください!」

 

 意気消沈するメンバーに、呼び掛けるのはチヨちゃん。

 

「カレーもほとんど掃けましたから! これはもう優勝みたいなものじゃないですか?」

「まぁ、お残しがなかっただけまだ良かったか」

 

 そう思う。これでほとんど食べられなかったら、目も当てられなかった。

 

「……でもどうする? この中途半端に残ったやつ」

「放っておけば誰かが食べてくれそうだけど」

「変に放置して痛んでも嫌だよね」

「……皆さん、お腹の調子はどうですか?」

 

 チヨちゃんの問いかけに、みんなまぁまぁ、という顔をする。食べれるけど、カレーおかわりは――という感じ。それに彼女は、両手を合わせていた。

 

「では、ちょっと『アレンジ』しましょうか!」

 

 で、彼女はてきぱきと作業する。人数分のゆでうどんを用意し、めんつゆやらお水やらを投入し、さっと煮込めば……

 

「――はいっ、カレーうどんです!」

『お~』

 

 ホントにさっと作ってしまったチヨちゃんに、感嘆の声が上がる。カレーうどん。家でもカレーが残った時、こんな風にアレンジして食べきっていたけれど。まさか目の前で実演される日が来るとは。

 

「すごいねチヨノオーさん。こんなに料理出来たんだ」

「でも難しくないですよ! めんつゆとお水ぶち込んで煮るだけですから!」

「ぶちこむて」

「ほわ~、優しいお味で和みますわ~」

「たまにはこういうのもいいね」

 

 ……そんな感じで。

 和気藹々と、夕食の時間は過ぎる。

 使われた食器の洗浄も済み、一夜限りの班も解散する。

 本当に短い時間だったけど。なんだか少し名残惜しかった。

 

「リオンさんはもう寝ますか?」

 

 一息ついた時、チヨちゃんが問いかけてくる。

 明日以降も戦場に身を投じるのだ、早めに休もうか――とは考えていたけれど。

 

「……何かするの?」

 

 先んじて訊ね返すと、彼女はどこか恥ずかしそうに言った。

 

「……少し、歩きません?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 静謐な自然の合奏の中を、私たちは並んで歩く。

 そこまで遠くに行くわけではない。歩くのは、施設周囲の林道だ。

 チヨちゃんの持つ懐中電灯が、立ち込める闇を取り払っていく。

 

「なんだか緊張しますね……! こういう感じ……!!」

 

 霊的な意味でなのか、人的な意味でなのか。どちらにせよ浮足立っている彼女に、私は改めて訊く。

 

 何かあったの? と。

 

「いえいえそんな。たいそうなことじゃないですよ」

 

 チヨちゃんは、困ったような顔をして答えていた。

 

「こういう機会でないと……その、真剣に話せること、ないかなーって思って」

「真剣に……?」

 

 はい。

 

「リオンさんは……」

 

 

 夢とか、

 あるんですか?

 

 

「……」

 

 ちくり、と胸が痛む。

 脳裏を、砂嵐のように、過去の残像が過ぎる。

 桜の大木。

 無邪気な自分。

 優しげな、『先生』の笑顔――

 

「……えと」

「私は、日本ダービーの制覇が夢なんです!」

 

 私が口籠るのを傍目に、チヨちゃんは語り始めていた。

 

 

 

 

 

 かつて――

『怪物』、と呼ばれたウマ娘がいた。

 その常識外れのスピードで、他を圧倒し――

 数多くの栄誉を手にすると、誰もが期待した名ウマ娘。

 しかし当時の競レース法に阻まれ、それらに挑戦することすらも許されず。

 結局、故障によって引退を余儀なくされた、『幻の三冠バ』。

 

「……私、マルゼンスキーさんと会ったことがあるんです」

 

 照れることも、恥ずかしがることもなく語る彼女の瞳は、薄闇の中に何を見ているのだろうか。

 

「出会ったこと自体は偶然だったんですけど……不思議なご縁みたいなものを感じました。*3向こうもそれは同じだったのかもしれません。いろんなことを話してくれました。本当に色々……」

 

 走ること自体が好きで、レースに特別なこだわりを持っていなかったこと。

 それでも、いいトレーナーと出会い、勝負の世界に飛び込んだこと。

 他の出走者と比べて、歴然とした差をいつも感じていたこと。

 ルールに拒まれたこと。ライバルに憧れたこと。

 ……不完全燃焼で、一線から引いたこと。

 

「マルゼンスキーさんは、とても優しくて、気さくなお方でした。だからこそ、その時に見たお顔が、忘れられないんです」

 

 今にも崩れそうな顔が。

 手を伸ばせば、どこかへ行ってしまいそうな姿が。

 

「――だから私、決めたんです。あの人の代わりに、日本ダービーで勝ってみせる、って!」

 

 グッと拳を握り締めるチヨちゃん。

 その目が、見果てぬ何かを捉えたことを感じる。

 

「マルゼンスキーさんのような、凄い人を弾いたルールに、バカヤローって言ってやる、って!!」

 

 ……マルゼンスキー。

 悲運のウマ娘、という話が出ると、まず誰もが思い浮かべるウマ娘。

 彼女が活躍していた時期は、日本競レースの過渡期だった。

 

 命運には同情をして止まないけれど。

 一説には、その悲劇があったからこそ、競レース法改正の機運が高まった――とかなんとかという話もあったりで。

 決してその存在、戦績が無意味ではなかった、とは思うが。

 

 チヨちゃんは、その無念を汲み取り、共感して。

 雪辱を果たそう、というのか。

 

「……まぁ、肝心のその先は、まだ決めてないんですけどね」

 

 日本ダービーはクラシック級。

 競レースにおける栄誉のひとつ、クラシック三冠のうちのひとつ。

 当然、そこを制覇したところで、それで終わり、とはならない。

 

 その先もちゃんと見据えないと、というのはあるけれど。

 私に――そんな風に言う権利などない。

 

「……」

 

 なぜなら私は。

 なぜなら、私は……

 

「リオンさんはどうですか?」

「え」

「え、じゃなくて! もう、私にだけ言わせて自分は言わない、なんて駄目ですよ?」

 

 その透き通った瞳が、こちらに向けられる。この世の穢れとも、あらゆる悪意とも無縁そうなその目に見つめられて、胸をきゅっと締め付けられた気分になる。

 

「……」

「……?」

 

 黙り込む私に、不思議そうに小首を傾げるチヨちゃん。それらしい嘘を口にしようとしても、浮かんだ先から崩れていってしまう。

彼女の前では、どんな体のいい嘘も、軽薄な虚言になってしまうように思われた。

 

「…………」

「……リオンさん?」

「……ごめん」

 

 いよいよ不安そうな色を声に灯し始めた彼女に――

 私は、謝罪を述べていた。

 

「その……こういうこと言うと、チヨちゃん、怒っちゃうかもしれないけど……」

「……はい」

「……私」

 

 

 夢とか。

 そういうの、無いんだ。

 

 

「――い、いやいや! べ、別に、何となくここに来たわけじゃないよ!? だけどその……」

 

 私にとって、この学園に入ること自体が、夢みたいなものだった。

 ついこの間までの私にとって、手の届かない存在そのものだった。

 諦念に沈んだ叶わぬ理想であり。

 望むことも望めぬ遠い幻想だった。

 

 けれど、何の偶然か。

 どういう因果か。

 血の滲むような努力と、頼れる人々の協力によって――

 私は今、ここに立っている。

 

 理想の上に立っている。

 幻想の中に生きている。

 その事実を思うだけで。その現実を認めるだけで。もう。私には、もう――

 

 過ぎるくらいに幸福で。

 楽しいのだ。

 

「……ごめん。志が、その、低くて」

 

 あなたのように、きらきらと輝く夢があればよかったのに。

 あなたのように、真っ直ぐに、過去と向き合えればよかったのに。

 

「期待外れの答えで……ごめん……」

 

 あなたのように。

 高みを見つめられる勇気が、あればよかったのに……

 

「……」

「……」

 

 一陣の風が吹き。

 気まずい沈黙を連れてくる。

 判決を待つ被告みたいに。

 ひどく居心地が悪い。

 

「……、」

 

 だから私は。、そこに立ち止まって。

 踵を返し、立ち去ろうとした。

 

「……リオンさん」

 

 でも。

 同じように立ち止まった、チヨちゃんは。

それを引き留めるように、言っていた。

 

「……でしたら、」

 

 こちらに背を向けたまま。

 こちらから、一歩だけ、進んだ位置から。

 

「うん……」

 

 彼女は、言った。

 

 

 

「――私と、勝負してくださいよ」

 

 

 

「……え?」

 

 突然。

 突然の提案に、思わず困惑する。

 

「もちろん、今じゃないですよ? これから……どこか、大きな舞台で」

「ちょ……え?」

 

 彼女は。

 ゆっくりと、こちらに振り返る。

 

「――……」

 

 その瞳には。

 先ほどとはまるで違う、妖しい光が、灯っていた。

 

「……えぇ。たとえば、G1(最高峰)のレースとか」

「な……何言って」

「忘れちゃったんですか? 新バ戦。ただのデビュー戦で、あんな盛り上がりだったんですよ? 想像してみて下さいよ……」

 

 競レースの頂点で、走る自分を。

 そこで、共に競い合う姿を。

 お互い譲らずに。

 ゴールへと邁進する光景を。

 

「……それって」

 

 すっごく、

 楽しそうじゃないですか?

 

「……」

 

 彼女が何を言っているのか、すぐには理解出来なかった。

 何を言いたいのかも、汲み取るに難かった。

 それでも、彼女に言われるまま、脳裏に、それを思い描いていた。

 

 広大なターフを。

 盛大な歓声を。

 偉大な同志たちを。

 

 満ちる静寂。

 響く轟音。

 風を切る感触――

 

『さぁ、今――』

 

『スタートが切られました――!!』

 

 ……そんなの。

 

 そんなの――……

 

「……、」

 

 

 

 

 

 タノシイニ、

 キマッテルジャン。

 

 

 

 

 

「……そうですよ」

 

 どこか艶やかに言った彼女は。

 とうとう私と正対していた。

 

()()が、答えです」

 

 そして――

 その手を、こちらに、差し出す。

 

()りましょう。リオンさん」

 

 いつか、きっと。

 

「今とは比べ物にならない……大舞台で」

 

 そこで、

 待っています。

 

 ……と。

 彼女は、はっきりと、言っていた。

 

「……」

 

 ……今の私は、どんな顔をしているのだろう。

 分からないけれど、それでもいい、と思えたのは、辺りが真っ暗闇だったからか。

 

 塗り潰された黒の中。

 妙に映えて見えた、その小さな手を――

 

 

 私は。

 しっかりと、握っていた。

 

 

「……望むとこだよ」

「……、」

 

 私の返事に、チヨちゃんは再三微笑む。

 そして、パッと、あっさり手を離していた。

 

「――さ! そろそろ戻りましょう! あんまり遅くなっちゃうと怒られちゃいます」

「だね」

 

 言うなり、パタパタと駆け出す彼女。

 それまで、年相応のものとしか映らなかった背中は、もうすっかり、不相応なほど大きく見えていた。

 私も、それを追って走り出す。……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 忙しさと、

 苦しさ。

 騒がしさと、

 楽しさ。

 

 苦楽様々な感情が入り乱れる中――

 

 

 夏合宿の一ヶ月間は。

 放たれた矢のように、あっという間に、過ぎ去っていった。……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――っく」

 

 トレセン学園を訪れた『彼女』は、込み上げてきたあくびをかみ殺していた。

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 八月も下旬。

 夏合宿が終わり、生徒たちの元に、日常が戻り始める頃。

 

 真夏にも関わらず、分厚い服を着こんだサファイアアリオンの担当の向かう先は、理事長室。

 自主的に挨拶に行って以来、実に四ヶ月ぶりにとなるその場所へ、何も残暑見舞いに訪問しようというわけではない。

 

 理事長の方から、直々に呼び出しがあったのである。

 

 呼び出し自体は、何も珍しいことではない。

 業務連絡から注意、称賛に世間話、曲がりなりにも学園トップクラスの権力者がそんなんでいいのか、と彼女は思わなくもないが、現状抱いている感情は、そんな呆れを抑え込んで余りある。

 

 面倒臭い。

 

 注意されるようなことも、称賛されるようなことも心当たりが無いだけに、シンプルなそれだった。

 しかしかといって、やはりそこは最高権力者。こうしてトレーナーとして勤務している以上、無下にできるはずもない。

 

「……」

 

 だから、目の前の尊大なまでの木製扉を、正確に三回ノックする。

 うむ、入れ! ――溌溂とした声に応じて、ドアノブを回す。

 

「っしゃーす」

 

 権力者に対するそれとは到底思えない、砕け切った挨拶と共に、担当は入室する。

 

「なんすか理事長、」

 

 面倒臭さを不満に変換し。

 

「あたしこれでも忙しい――」

 

 微妙に事実と異なる言葉を。

 理事長に向け、ぶつけようとした。

 

「……」

 

 ――叶わなかった。

 なぜなら、入室した途端、空気が変わったことを感じたからだ。

 

 無論、それは理事長室内で、適度に空調がかかっているからではない。

 ぴり、と。

 纏わりついた空気が、感覚として、自分という存在そのものを刺すかのように。

 

「ご足労願ってすまんな!」

 

 席から立ち上がった彼女は――秋川やよいは、いつもの扇子を開いて語る。ただそこに、大仰な筆文字は書かれていなかった。

 傍らには――超然的な笑みをたたえた、駿川たづなが控えている。

 

「とりあえず座りたまえ! そんな服装では暑かったろうしな!」

「……寒がりなんですよあたしは。いや、体勢はこのままでいいっす」

 

 本能故か。

 明確な心当たりからか。

 とにかく、嫌な予感を覚えた彼女は、秋川の進言をやんわりと拒む。

 

「何の用件で「とりあえず、」

 

「座りたまえ?」

 

「……」

 

 だが、秋川やよいは、それを許さなかった。

 顔には、無邪気なまでの笑顔が浮かべられているが――そこに色のようなものは感じられない。

 機械のような。

 仮面を被っているかのような。感情の感じられない、笑顔。

 

「……、」

 

 抵抗が無意味だ、と直感した担当は、

 観念して、目の前の来客用のテーブルへと足を向ける。

 

「……理事長様が直々に呼び出すんだ」

 

 高級なソファに腰を下ろしながら、皮肉めいた声色で言った。

 

「さぞ、面白いお話なんでしょうね?」

「あぁ。……とても、面白い話だぞ?」

 

 秋川も、それに対抗するように返していた。

 

*1
ゴールドシップの活躍年代はネイチャよりもずっと後なので、彼女が既にデビューしているのはおかしな話ですが、まぁそれ言い出すとチヨノオー周りも同じことが言えるのでそこはウマ娘時空ということで。ゴルシは時空を超える。

*2
ちなみに実在します。

*3
本家でもクローズアップされていますが、サクラチヨノオーはマルゼンスキー直系の産駒の一頭です。




セイウンスカイ
メジロドーベル
メジロブライト
新版からご登場の皆さん。本章ではいずれも顔出しとしてのご出演。詳細は登場章に入ったら改めて。
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