あれっ? と思ったら投稿日時間違えてた。
「……」
プラスチックボトルを振る私の隣。
私は、チヨちゃんが、どこか虚ろな目でスポーツドリンクの粉末を投入し、水を注いだのを目撃していた。
「…………」
……そう。
粉末を入れて、
水を投入していた。
「……チヨちゃん」
「――へ。あ、はい!」
「順番間違えてるよ」
「……」
彼女は自分の手元に目をやる。
もう薄い白に濁ってしまったそれを見て、数瞬だけ硬直する。
「――あぁぁぁっ!!」
で。
世界の終わりを目の当たりにした、みたいな声を上げるのだ。
「ま、またやっちゃいましたぁ……」
「あはは……ま、まぁ、全力で振れば『溶けて』くれるよ、きっと」
「そうですね……そう願いましょう……」
がっくしと肩を落とすチヨちゃん。それを目線で撫でながらも、周囲にも目を配る。
すると同時、こちらに近付いてくる二つの影に気が付いた。
「お疲れ、二人とも」
そのうちの片方――黒みがかった鹿毛の生徒が、私たちに呼びかける。チヨちゃんがそれに、ぱあっと明るい笑顔で答えた。
「ドーベルさん! お疲れ様です!」
「ん。交代だよ。運搬よろしく」
「はい! お願いします!」
「外どう? 暑い?」
「暑いってものじゃないですわ~」
私が問いかけるのは、その隣に立つ彼女。
動きに合わせ、ウェーブがかった鹿毛の長髪が、ふわふわと揺れ動く。
「既に一人ぶっ倒れてますので~。お二人とも、ご無理をなさらぬよう~」
「わかりました! 行きましょうリオンさん!」
「おっけい……」
チヨちゃんは自信満々にガッツポーズをする。続きたいのはやまやまだったけれど、ちょっと私には出来なさそう。
……今の陽気で、どうしてそこまで気合いが入れられるのか、ほとほと疑問だった。
――七月上旬。
トレセン学園一大行事の一つ――夏合宿。
私たちはその会場――山奥の研修施設にいる。
夏合宿は、基本的にクラシック級以上のウマ娘がトレーニングに励む。
大抵が本格化を迎えていないジュニア級は、無理にトレーニングに臨んでも、思うような成果を得られないことが多いからだ。
最悪の場合、故障に至ってしまうこともある。
ならば私たちはお留守番なのか――というと、そうではない。
特別な事情がない限り、私たちも参加し――
先輩たちのトレーニングの、バックアップをすることになっている。
今は、その真っ最中というわけ。
「……」
チヨちゃんと共に、合宿所の廊下を通り抜ける。
部屋ごと、割り当てられた班が、あれこよこれよと動き回っている。
誰もがこの合宿に駆り立てられた――いわば同志。
この一大イベントを縁の下で支える、大黒柱の仲間たち。
「……みんな無事に帰れるといいね」
「もー、リオンさんたら。死地で戦ってるわけじゃないんですから」
可笑しそうに笑うチヨちゃんだけど、正直私にはそれと同然のように思える。リラックスした労働環境、とするには、あまりにどこもかしこもが逼迫しているからだ……
「――やばい! こっちの洗濯機壊れたっぽい! 他のとこ空いてないかな!?」
「確かC班のとこ余裕あるとか言ってたと思う! 聞いてくるね!!」
……バックアップは、主に三つの班に分かれて行われる。
まず、使用済みのアメニティ、プラスチックボトルの洗濯、洗浄を行う、『洗浄班』。
「あ……あれ? 今って何本目だっけ? 十本目?」
「十五本目だぞ。しっかりしろ」
「あぁ……もう数も数えられなくなってきたぁ……」
次に、洗浄されたアメニティの整理と、飲み物の補充をする、『補充班』。
そして、そうして用意された物品を、トレーニングの舞台各地まで運ぶ『運搬班』だ。
……ちなみにこれらは、飽くまで基本の三班。
「ねぇ! スポドリの粉末なくなりそう! 買って来れそう!?」
「おっけー! 行ってくるね! いくつ必要!?」
用品が足りなくなれば、『買い出し』に行くし。
「――ごめんあなたたち! ちょっと手伝ってもらっていい!?」
「はいただいまー!!」
急患が出れば、先生のサポートに回ることもある。
何人もの生徒たちが、ひっきりなしに施設の内外を右往左往し続ける――
そう。気の休まる瞬間などほとんどない。
戦場。
こっちもこっちで、戦場なのだ……
「……無事に帰れるといいね」
「なんで二回言うんです?」
「いやぁ、改めて実感したというか」
ともあれそんな感じで、施設の玄関口に辿り着くと。
「――っだぁー、疲れたぁー!!」
ちょうど運搬を終えたらしい生徒二人が、戻ってきたところらしかった。
「先生、ちょっと休んでもいいですかぁ……?」
「いいわよ。しっかり休みなさい」
傍らに立つ監督者――引率の先生が呼びかける中。
「お疲れ様ですー!」
チヨちゃんが元気よく声を掛けた。
が、次いで玄関口の傍に目を向けて、ぎょっとする。
「――うわ、すごい溜まっちゃってますね!」
そこには、物品を満載した籠が、ジェンガかってくらい高く積まれてしまっている。
補充の済んだ物品は、玄関口に置いておくことになっている。それを運搬班が次々運んでいくという寸法なんだけど。
……どう見ても、搬入に搬出が追いついていなかった。
「えぇ、さっき一人熱中症で倒れちゃってね。丸々ひと班抜けちゃったのよ」
その分、溜まっちゃったのよね――
先生は、困ったように片手を頬に当てる。けれど、その目はいたわりに満ちていた。
「身体が大切なのは、あなたたちも同じだからね。無理はしないように」
「はい! わかりました!」
「りょーかいです……」
心配してくれるのはありがたい話だけれど、それは職務を放棄する理由にはならない。
そういうわけで、気合いを入れ直し、ボトルを満載したかごを背負う。
チヨちゃんと頷き合い、玄関の扉を開けた。
「……、」
――ここが山奥の合宿所なのは幸いだった。
真夏特有の、差すような日差しは健在だけれど、断続的に肌を撫でる微風は、その威力をいくらか和らげてくれている。
辺りを包む木々のざわめきは、私たちをそっと応援してくれているみたいだ。
満ち満ちた蝉の合唱は、宛ら兵隊を送り出す軍歌。
「大丈夫ですかリオンさん! 行きますよ!」
「おっけいおっけい」
そんな中を、チヨちゃんの掛け声をきっかけに、駆け足で走り出す。
籠からドリンクを落とさないよう、何より自分がずっこけないよう、バランスを取りながら、慎重に。されど素早く……
「――トレセーン、ファイッ!」
「……!?」
必死に気を配りながら走っていると。
チヨちゃんが、突然に声を上げた。
「……へ?」
「――ちょっと! ちゃんと掛け合ってくださいよ!」
「へぁ!? ご、ごめん……!?」
「もっかい行きますよっ、トレセーン、ファイッ!」
「お、おー……?」
「ファイッ!」
「おーっ!」
「ファイッ!!」
「おーっ!!」
「あはははっ」
楽しそうに笑うチヨちゃん。どうやら彼女にとっては、こんな苦行すらもトレーニングの一環らしい。
……いや、他人事みたいに考えてるところじゃないか。
そうだ、こういう細かなところで差が出来るんだ。ボーっと歯車みたいに作業してる場合じゃない。
使えるところは、使わないと!
「と、トレセーン!」
なので、今度声を上げるのは私。
「おぉっ」
チヨちゃんの声は驚きに満ちていて。
「ファイッ!」
羞恥心をかなぐり捨てて、続けると。
「おーっ!」
彼女もまた、続いてくれた。
「ファイッ!」
「おーっ!」
「ファーイッ!」
「おーっ!!」
「おぉ、嬢ちゃんたち、頑張れよー!」
「ありがとうございまーす!」
……そんな感じで、地元の人からの声援も受けつつ、走り抜けた先。
「――お」
広大な砂浜と海原が、目の前に広がる。
トレーニングに勤しむウマ娘の姿も、また点々と。
目的地へと、到着したようだ。
これを時間を忘れて堪能出来たら……一体どれほどいいことか。
「いやー、何回見ても感動するねぇ」
「しみじみしてる場合じゃないですよ、行きましょうっ」
「はいはい」
そう、しみじみ眺める暇もない。私たちは仕事中なのだ!
というわけで、足はそのまま、海の家へ。
まだ客足も疎らな中――
「あ」
すぐ近くのテーブル席に、見知った姿があった。
「――ネイチャさん。お疲れ様です」
「んぉ、お疲れ、二人とも」
「お疲れ様です! ――ゴルシさーん! 飲み物お届けに上がりましたー!」
「おぉ、あんがとなー!!」
チヨちゃんが声を張り上げると、厨房の奥から威勢のいい声が返ってくる。同時に届くのは、心地よいまでの何かを焼く音。
長い芦毛が忙しなく揺れていることは、想像に難くなかった。
「ははは。ゴルシも気合い入ってんねぇ」
「ネイチャさんは休憩ですか?」
「そんなとこ。絶賛クールダウン中ですよん」
ひらひらと手を振るネイチャさんだけど、そう言うってことは、さっきまでトレーニングに励んでいたということだろう。
その割に、あまり疲弊しているようには見えない。炎天下の浜辺だっていうのに……すごいな。
「……すごいですね。こんなに余裕で話せて」
「いやいや。こー見えてアタシも二回目ですよ? あんま嘗めんなっつー話ですよ」
あぁ、いや。そっか。飄々とした言動の目立つ彼女だから、失念しがちだけれど。
彼女も立派なシニア級。一通りの基本も身に着け、一線で戦える力を身に着けたベテランだ。
そりゃ、そう簡単に倒れることもないか。
「そっちはどう? 今年も絶賛戦場中?」
「やー、もう。目が回る忙しさで。ぐるぐるですよぐるぐる」
「まるで分身ですよね! あれ? あの人さっき別のとこいなかったっけ? っていうのがもう何回もありました!」
「そっか。ま、夏合宿の風物詩さね」
物騒な風物詩だった。
「あ、そだ」
と、そこで何かに気付いた様子のネイチャさん。三人分のお水持ってきてくれる? 突然、そんなことを私たちに頼んできた。
応じたチヨちゃんは、器用に三つ分のお水をテーブルに持ってくる。
ネイチャさんは、そのうちのひとつを手に取り、掲げた。
「というわけで」
で、続ける言葉は。
「サファイアアリオンちゃん、オープン昇格おめでとーっ!」
「――あっ、おめでとうございますっ!」
チヨちゃんも、慌ててそれに同調する。最後にグラスを掲げたのは私。
グラス同士がかち合い、かしゃん、と軽めの音が響いた。
「……ど」
……果たして私は。
「どうもです……」
「んん? なんかあんま嬉しくなさそうだね」
「嬉しいというか……」
出来事が突然すぎて、理解が追いつかないのと。
そんなに祝うほどのことか、というのと。
しどろもどろで言う私に、ネイチャさんは呆れたように息を吐いていた。
「なーに言ってんのさ。新バ戦でコケてそのまま引退、なんて子も多いんだからね? あんま甘く見んなよー?」
「そうですよ! そもそもタイムだけなら私に勝ってたじゃないですか! もっと自信持ってください!」
……まぁ確かに。
平静を保っている私ではあるけど。すごい勝負ではあったからな。
新バ戦にしろ。
『未勝利戦』にしろ……
……そうです。
何を隠そう私、未勝利戦に無事勝利出来たのです。
その時期というのが、新バ戦の一週間後。
夏合宿の直前のタイミング。
……更に言うなら、一昨日。
周りから言わせてみれば――
昇格ほやほやの新人。
「っていうか自信持ってくれないと、私がいたたまれません……! あの結果にはまだ納得いってないんですからね……!!」
「わ、わかったわかった。わかったから」
「おーおー、なんか面白そうな話してんじゃねーか」
どんっ。
テーブルに、大皿に乗せられた焼きそばが舞い降りていた。伸びてきた腕を追ってみると、そこには長い芦毛。
「お前ら、まだちょっとは時間あんだろ? ソースとか色々改良してみたんだ。毒見してくれよ」
「いいんですか!? いただきます!」
「毒見て」
苦笑いするネイチャさん。まぁ、まさか本当に毒を盛ってるわけがないだろう。そういうことなら、ありがたくいただくことにする。
「そっかぁ。お前らジュニア級かぁ。懐かしいなぁ……アタシがデビューした時は、米国式トライアスロンと投げ縄漁で競い合ったもんだぜ……」
「……はい?」
「またアンタは一目でわかる嘘ついて」
「あぁん!? オメーだって当時カジキマグロ釣ってみんなに自慢して回ってたろ! アタシはアライグマで対抗したけどな!」
「そもそもアタシとデビュー時期被ってないし……」*1
「……楽しそうですね!」
「そうだねー」
チヨちゃんと私、どうしていいかわからず、当たり障りない返事をする。なんだかんだとと話してるうち、時間が経ちすぎたことに気付いたのは、ネイチャさんのトレーナーさんが彼女を呼びに来た時だった。
「……やばい。休み過ぎた」
「――! そうでした!! 私たち仕事中でしたっ!!」
「あはは。まぁー、大丈夫だよ。ちょっと絞られるくらいだから」
「それが嫌なんですけどね!?」
軽快に笑うネイチャさん、ゴルシさんに見送られながら、空の容器を背に、急いで施設へ戻る。
――お話は後でね。怖気すら感じるほどの笑顔で、監督の先生に言われてしまった。
……ところで、合宿の舞台は、何も浜辺だけではない。
「おし、じゃあもう1セット行くぞ」
「わ、わかったわ……!」
生徒によっては、林道や山道。
「えっとそれで……ここがこうなってこうで……?」
「違うよ。ここはこの公式使って……」
室内で、座学に勤しむ子もいれば。
「……スカイさーん。これここ置いときますねー」
「ん~、ありがとね~」
気の赴くままに過ごす人いる……
まぁ最後に関しては
「――、――」
「――、……!!」
いくつもの場所、何人もの生徒のため。
気の続く限り走り回り続ける。
さなかで――
「……」
無論――時の生徒会長の姿も見かけた。
大半の生徒と同様の対応をしてくれたけれど。
やはりその姿からは――往年の覇気は、失われているように見えた。
さて、夏合宿の期間は一ヶ月。
その期間中の食事も、基本的に施設から提供される。
ただそれだけの期間となると、さすがにずっと同じ職員が担当、というわけにもいかず。
一週間に一回、日曜日に、職員さんの入れ替えが行われる。
必然、そのための引継ぎ業務やら何やらで、職員たちは多忙を極めることとなる。
生徒の食事の準備が出来ない、というわけじゃないらしいけれど。
どうせなら羽根休みにしようぜ! ってことで献立のみが製作され。
その日の夕食に限り。
ジュニア級の生徒が、食事を作ることになっている。
一見無茶ぶりのように見えるけれど、提供されるレシピは事細かに指示してくれているので、実際は特に難しいこともない(たまに『爆弾』が投下されるらしいけど)。
だから私も、そこまで緊張はして無かったんだけど……
どうやら今年、今日に限って言えば、事情が違うらしかった。
「――おーし、お前らよく聞けー」
食堂――
集められた、選りすぐり(?)の30人の生徒たちを前に、彼女は――ゴールドシップさんは言う。
「知っての通り、合宿期間中は、定期的にお前らジュニア級の生徒が食事を作ることになってる。今日の献立はカレーなんだが……折角の機会なんだ。真っ当に作るだけじゃあ面白くないだろ?」
そこでアタシが発案した――と。
「今日は6人ひと班、計5班に分かれて、班対抗でカレー作りをしてもらう!」
漫画の世界の司令官みたいに、バッと手を掲げるゴルシさん。彼女の気合いは十分みたいだけれど、私たちからしたら、突然も突然なお話で。
『……』
お互い、顔を見合わせ、困惑するしかなかった。
「ちなみに投票で一位を取った班には、」
しかし――そんな私たちに、ゴルシさんは不敵に笑い、言うのだ。
「一人一枚ずつ、¥5,000相当の商品券を進呈する!」
『――!!』
――¥5,000。
大人にとってはほんのはした金だろうけれど、私たち学生にとっては大金だ。
天啓のように告げられた言葉で、点火された着火剤みたいに、誰ものやる気が湧き上がってきたのを感じる――
ちなみに私は――
……微妙だった!
「どうしたんですかリオンさん! 気合い足りてないですよっ!」
「い、いやいや! そんなことないデスヨッ?」
何故だか妙に落ち着いて、地に足着いた気分。
それでも、気合十分に呼びかけてくるチヨちゃんに、上っ面だけでもそれっぽく応じる。声が裏返っちゃったけど。
「でもどういう感じでいこっか」
ともあれ、早速作戦会議。メンバーの一人が訊ねるけれど、そこまで深く考えることがあるのだろうか、と思う。
「……どういう感じって言っても、凝れる部分ってそんなにあるかな」
思ったままのことを口にしてみると、誰もが難しそうな顔をする。カレー。シンプルな料理であるがゆえに、凝ろうとすると難しい。
本格的なもの、ってなるとスパイスから考えなくちゃならなそうだけど、さすがにそこまで考える余裕も材料もないだろう。
「普通なやつでいいと思うけど……」
「まぁ変に拘って自爆したら世話ないしね」
「シンプルイズベストとも言いますからね!」
「隠し味を少し変化球にするくらいかぁ」
あとはちゃんとまごころ込めるとか。景品に目を輝かせるところ悪いけれど、私たちの発想じゃ、それくらいが限度だろう。
そんな感じで、じゃあそれで、と話がまとまりかけたけれど。
「――本当にそれでいいのですか~?」
ふわふわと、浮遊感ある声がそれを止めていた。
……メジロブライトさんだ。
「どういうことですか?」
「だって~、わざわざこれ~、わたくしたちに~、チームを組ませてるではないですか~」
チヨちゃんが問いかけると、ブライトさんは続ける。
それも献立は、一見レースと無関係そうなカレーをチョイスしている、と。
「でしたら~、そのチームの団結力、だけでなく~、いかにレースの要素を盛り込むか、というところも、評価してると思うのですよ~」
「……言ってることはわからないでもないけど」
すると応じるのは、メジロドーベルさんだ。
「だったらどうするの? カレーにレースって、盛り込みようがなくない?」
「ふふっ、大丈夫ですわ~、ちゃーんと、心当たりがありますわ~」
ブライトさんは――
その瞳を、突然妖艶に光らせた。
「――『黄色いカレー』……」
『――!?』
そして、口にした答えに――
一同の間に、衝撃が走る。
「そう、浦和競レース場名物……ほどよい甘さと辛さの調和した、昔ながらのカレー……我が班の団結力を示しながらも~、トレセンという要素をもしっかりと汲む鉄壁の布陣ですわ~」*2
「おぉ……おぉ! なんかそう言われるとそんな感じがして来たかも!」
ものすっごいこじつけみたいに感じたのだけれど、それは私が一人熱を欠いている証拠か。
「よしっ、頑張ろうみんなっ! 商品券は私たちのものだよっ!」
『おーっ!!』
ともかく、とメンバーがそう呼びかけると、班総員で腕を上げる。やる気を高めた私たちは、わざわざ携帯電話まで動員し、レシピを確認し、ひとつひとつ丁寧に、心を込めて、カレー作りに勤しむ。
少なくともメンバー全員が納得出来る味に仕上げられ、全員の間に、確信に似た勝利の予感が漂っていた……!!
――で、あっさり負けた。
「……夢が覚めるのも一瞬だったね……」
「残念ですわ~」
ドーベルさんはじめ、メンバーほとんどが肩を落とすけれど、ブライトさんはほわほわほわーんとあんまり残念そうには見えない。もしかしてこの人、例の黄色いカレーを個人的に食べたかっただけじゃなかろうな。
「で、でもほら! 皆さん見てください!」
意気消沈するメンバーに、呼び掛けるのはチヨちゃん。
「カレーもほとんど掃けましたから! これはもう優勝みたいなものじゃないですか?」
「まぁ、お残しがなかっただけまだ良かったか」
そう思う。これでほとんど食べられなかったら、目も当てられなかった。
「……でもどうする? この中途半端に残ったやつ」
「放っておけば誰かが食べてくれそうだけど」
「変に放置して痛んでも嫌だよね」
「……皆さん、お腹の調子はどうですか?」
チヨちゃんの問いかけに、みんなまぁまぁ、という顔をする。食べれるけど、カレーおかわりは――という感じ。それに彼女は、両手を合わせていた。
「では、ちょっと『アレンジ』しましょうか!」
で、彼女はてきぱきと作業する。人数分のゆでうどんを用意し、めんつゆやらお水やらを投入し、さっと煮込めば……
「――はいっ、カレーうどんです!」
『お~』
ホントにさっと作ってしまったチヨちゃんに、感嘆の声が上がる。カレーうどん。家でもカレーが残った時、こんな風にアレンジして食べきっていたけれど。まさか目の前で実演される日が来るとは。
「すごいねチヨノオーさん。こんなに料理出来たんだ」
「でも難しくないですよ! めんつゆとお水ぶち込んで煮るだけですから!」
「ぶちこむて」
「ほわ~、優しいお味で和みますわ~」
「たまにはこういうのもいいね」
……そんな感じで。
和気藹々と、夕食の時間は過ぎる。
使われた食器の洗浄も済み、一夜限りの班も解散する。
本当に短い時間だったけど。なんだか少し名残惜しかった。
「リオンさんはもう寝ますか?」
一息ついた時、チヨちゃんが問いかけてくる。
明日以降も戦場に身を投じるのだ、早めに休もうか――とは考えていたけれど。
「……何かするの?」
先んじて訊ね返すと、彼女はどこか恥ずかしそうに言った。
「……少し、歩きません?」
静謐な自然の合奏の中を、私たちは並んで歩く。
そこまで遠くに行くわけではない。歩くのは、施設周囲の林道だ。
チヨちゃんの持つ懐中電灯が、立ち込める闇を取り払っていく。
「なんだか緊張しますね……! こういう感じ……!!」
霊的な意味でなのか、人的な意味でなのか。どちらにせよ浮足立っている彼女に、私は改めて訊く。
何かあったの? と。
「いえいえそんな。たいそうなことじゃないですよ」
チヨちゃんは、困ったような顔をして答えていた。
「こういう機会でないと……その、真剣に話せること、ないかなーって思って」
「真剣に……?」
はい。
「リオンさんは……」
夢とか、
あるんですか?
「……」
ちくり、と胸が痛む。
脳裏を、砂嵐のように、過去の残像が過ぎる。
桜の大木。
無邪気な自分。
優しげな、『先生』の笑顔――
「……えと」
「私は、日本ダービーの制覇が夢なんです!」
私が口籠るのを傍目に、チヨちゃんは語り始めていた。
かつて――
『怪物』、と呼ばれたウマ娘がいた。
その常識外れのスピードで、他を圧倒し――
数多くの栄誉を手にすると、誰もが期待した名ウマ娘。
しかし当時の競レース法に阻まれ、それらに挑戦することすらも許されず。
結局、故障によって引退を余儀なくされた、『幻の三冠バ』。
「……私、マルゼンスキーさんと会ったことがあるんです」
照れることも、恥ずかしがることもなく語る彼女の瞳は、薄闇の中に何を見ているのだろうか。
「出会ったこと自体は偶然だったんですけど……不思議なご縁みたいなものを感じました。*3向こうもそれは同じだったのかもしれません。いろんなことを話してくれました。本当に色々……」
走ること自体が好きで、レースに特別なこだわりを持っていなかったこと。
それでも、いいトレーナーと出会い、勝負の世界に飛び込んだこと。
他の出走者と比べて、歴然とした差をいつも感じていたこと。
ルールに拒まれたこと。ライバルに憧れたこと。
……不完全燃焼で、一線から引いたこと。
「マルゼンスキーさんは、とても優しくて、気さくなお方でした。だからこそ、その時に見たお顔が、忘れられないんです」
今にも崩れそうな顔が。
手を伸ばせば、どこかへ行ってしまいそうな姿が。
「――だから私、決めたんです。あの人の代わりに、日本ダービーで勝ってみせる、って!」
グッと拳を握り締めるチヨちゃん。
その目が、見果てぬ何かを捉えたことを感じる。
「マルゼンスキーさんのような、凄い人を弾いたルールに、バカヤローって言ってやる、って!!」
……マルゼンスキー。
悲運のウマ娘、という話が出ると、まず誰もが思い浮かべるウマ娘。
彼女が活躍していた時期は、日本競レースの過渡期だった。
命運には同情をして止まないけれど。
一説には、その悲劇があったからこそ、競レース法改正の機運が高まった――とかなんとかという話もあったりで。
決してその存在、戦績が無意味ではなかった、とは思うが。
チヨちゃんは、その無念を汲み取り、共感して。
雪辱を果たそう、というのか。
「……まぁ、肝心のその先は、まだ決めてないんですけどね」
日本ダービーはクラシック級。
競レースにおける栄誉のひとつ、クラシック三冠のうちのひとつ。
当然、そこを制覇したところで、それで終わり、とはならない。
その先もちゃんと見据えないと、というのはあるけれど。
私に――そんな風に言う権利などない。
「……」
なぜなら私は。
なぜなら、私は……
「リオンさんはどうですか?」
「え」
「え、じゃなくて! もう、私にだけ言わせて自分は言わない、なんて駄目ですよ?」
その透き通った瞳が、こちらに向けられる。この世の穢れとも、あらゆる悪意とも無縁そうなその目に見つめられて、胸をきゅっと締め付けられた気分になる。
「……」
「……?」
黙り込む私に、不思議そうに小首を傾げるチヨちゃん。それらしい嘘を口にしようとしても、浮かんだ先から崩れていってしまう。
彼女の前では、どんな体のいい嘘も、軽薄な虚言になってしまうように思われた。
「…………」
「……リオンさん?」
「……ごめん」
いよいよ不安そうな色を声に灯し始めた彼女に――
私は、謝罪を述べていた。
「その……こういうこと言うと、チヨちゃん、怒っちゃうかもしれないけど……」
「……はい」
「……私」
夢とか。
そういうの、無いんだ。
「――い、いやいや! べ、別に、何となくここに来たわけじゃないよ!? だけどその……」
私にとって、この学園に入ること自体が、夢みたいなものだった。
ついこの間までの私にとって、手の届かない存在そのものだった。
諦念に沈んだ叶わぬ理想であり。
望むことも望めぬ遠い幻想だった。
けれど、何の偶然か。
どういう因果か。
血の滲むような努力と、頼れる人々の協力によって――
私は今、ここに立っている。
理想の上に立っている。
幻想の中に生きている。
その事実を思うだけで。その現実を認めるだけで。もう。私には、もう――
過ぎるくらいに幸福で。
楽しいのだ。
「……ごめん。志が、その、低くて」
あなたのように、きらきらと輝く夢があればよかったのに。
あなたのように、真っ直ぐに、過去と向き合えればよかったのに。
「期待外れの答えで……ごめん……」
あなたのように。
高みを見つめられる勇気が、あればよかったのに……
「……」
「……」
一陣の風が吹き。
気まずい沈黙を連れてくる。
判決を待つ被告みたいに。
ひどく居心地が悪い。
「……、」
だから私は。、そこに立ち止まって。
踵を返し、立ち去ろうとした。
「……リオンさん」
でも。
同じように立ち止まった、チヨちゃんは。
それを引き留めるように、言っていた。
「……でしたら、」
こちらに背を向けたまま。
こちらから、一歩だけ、進んだ位置から。
「うん……」
彼女は、言った。
「――私と、勝負してくださいよ」
「……え?」
突然。
突然の提案に、思わず困惑する。
「もちろん、今じゃないですよ? これから……どこか、大きな舞台で」
「ちょ……え?」
彼女は。
ゆっくりと、こちらに振り返る。
「――……」
その瞳には。
先ほどとはまるで違う、妖しい光が、灯っていた。
「……えぇ。たとえば、
「な……何言って」
「忘れちゃったんですか? 新バ戦。ただのデビュー戦で、あんな盛り上がりだったんですよ? 想像してみて下さいよ……」
競レースの頂点で、走る自分を。
そこで、共に競い合う姿を。
お互い譲らずに。
ゴールへと邁進する光景を。
「……それって」
すっごく、
楽しそうじゃないですか?
「……」
彼女が何を言っているのか、すぐには理解出来なかった。
何を言いたいのかも、汲み取るに難かった。
それでも、彼女に言われるまま、脳裏に、それを思い描いていた。
広大なターフを。
盛大な歓声を。
偉大な同志たちを。
満ちる静寂。
響く轟音。
風を切る感触――
『さぁ、今――』
『スタートが切られました――!!』
……そんなの。
そんなの――……
「……、」
タノシイニ、
キマッテルジャン。
「……そうですよ」
どこか艶やかに言った彼女は。
とうとう私と正対していた。
「
そして――
その手を、こちらに、差し出す。
「
いつか、きっと。
「今とは比べ物にならない……大舞台で」
そこで、
待っています。
……と。
彼女は、はっきりと、言っていた。
「……」
……今の私は、どんな顔をしているのだろう。
分からないけれど、それでもいい、と思えたのは、辺りが真っ暗闇だったからか。
塗り潰された黒の中。
妙に映えて見えた、その小さな手を――
私は。
しっかりと、握っていた。
「……望むとこだよ」
「……、」
私の返事に、チヨちゃんは再三微笑む。
そして、パッと、あっさり手を離していた。
「――さ! そろそろ戻りましょう! あんまり遅くなっちゃうと怒られちゃいます」
「だね」
言うなり、パタパタと駆け出す彼女。
それまで、年相応のものとしか映らなかった背中は、もうすっかり、不相応なほど大きく見えていた。
私も、それを追って走り出す。……
忙しさと、
苦しさ。
騒がしさと、
楽しさ。
苦楽様々な感情が入り乱れる中――
夏合宿の一ヶ月間は。
放たれた矢のように、あっという間に、過ぎ去っていった。……
「――っく」
トレセン学園を訪れた『彼女』は、込み上げてきたあくびをかみ殺していた。
八月も下旬。
夏合宿が終わり、生徒たちの元に、日常が戻り始める頃。
真夏にも関わらず、分厚い服を着こんだサファイアアリオンの担当の向かう先は、理事長室。
自主的に挨拶に行って以来、実に四ヶ月ぶりにとなるその場所へ、何も残暑見舞いに訪問しようというわけではない。
理事長の方から、直々に呼び出しがあったのである。
呼び出し自体は、何も珍しいことではない。
業務連絡から注意、称賛に世間話、曲がりなりにも学園トップクラスの権力者がそんなんでいいのか、と彼女は思わなくもないが、現状抱いている感情は、そんな呆れを抑え込んで余りある。
面倒臭い。
注意されるようなことも、称賛されるようなことも心当たりが無いだけに、シンプルなそれだった。
しかしかといって、やはりそこは最高権力者。こうしてトレーナーとして勤務している以上、無下にできるはずもない。
「……」
だから、目の前の尊大なまでの木製扉を、正確に三回ノックする。
うむ、入れ! ――溌溂とした声に応じて、ドアノブを回す。
「っしゃーす」
権力者に対するそれとは到底思えない、砕け切った挨拶と共に、担当は入室する。
「なんすか理事長、」
面倒臭さを不満に変換し。
「あたしこれでも忙しい――」
微妙に事実と異なる言葉を。
理事長に向け、ぶつけようとした。
「……」
――叶わなかった。
なぜなら、入室した途端、空気が変わったことを感じたからだ。
無論、それは理事長室内で、適度に空調がかかっているからではない。
ぴり、と。
纏わりついた空気が、感覚として、自分という存在そのものを刺すかのように。
「ご足労願ってすまんな!」
席から立ち上がった彼女は――秋川やよいは、いつもの扇子を開いて語る。ただそこに、大仰な筆文字は書かれていなかった。
傍らには――超然的な笑みをたたえた、駿川たづなが控えている。
「とりあえず座りたまえ! そんな服装では暑かったろうしな!」
「……寒がりなんですよあたしは。いや、体勢はこのままでいいっす」
本能故か。
明確な心当たりからか。
とにかく、嫌な予感を覚えた彼女は、秋川の進言をやんわりと拒む。
「何の用件で「とりあえず、」
「座りたまえ?」
「……」
だが、秋川やよいは、それを許さなかった。
顔には、無邪気なまでの笑顔が浮かべられているが――そこに色のようなものは感じられない。
機械のような。
仮面を被っているかのような。感情の感じられない、笑顔。
「……、」
抵抗が無意味だ、と直感した担当は、
観念して、目の前の来客用のテーブルへと足を向ける。
「……理事長様が直々に呼び出すんだ」
高級なソファに腰を下ろしながら、皮肉めいた声色で言った。
「さぞ、面白いお話なんでしょうね?」
「あぁ。……とても、面白い話だぞ?」
秋川も、それに対抗するように返していた。
セイウンスカイ
メジロドーベル
メジロブライト
新版からご登場の皆さん。本章ではいずれも顔出しとしてのご出演。詳細は登場章に入ったら改めて。