公式のレースに出たことはまだ二度しかないけれど。
その時のことは、鮮明に思い出すことが出来る。
出走前、大一番の直前。
立ったり座ったり、歩き回ったり、緊張とわくわくと恐怖で居ても立っても居られない私を見かねて、トレーナーさんがこう言うのである。
「……そんなに落ち着かねーなら先に走ってこいよ」
「あ、そうですね! じゃあウォーミングアップがてら行ってきますか……!!」
「冗談だヴォケ。出走停止喰らいてーのか」
片手を額に当てて、彼女は嘆息する。
それを見て、私は一瞬『え?』と思い、もう一瞬で、自分の行動の可笑しさに笑うのである。
「ごめんなさい……なんかもう、どうすればいいかわかんなくてですね……」
「毅然としてりゃいいんだよ。あとはもうやるだけなんだから」
「見てる側は気楽でいいですね……」
「実際の試合ってのは、それまでやって来たことの答え合わせでしかない。あたしは、本番までに何をするかが試合だと思ってる。……お前らにはわからん感覚だろうがな」
言って、ココアシガレットを指で弄ぶ彼女。お前ら、と言うけれども。実際にはほとんどのトレーナーが共感出来ない感覚なんじゃないかと思った。
その矢先。係員さんが、ノックと共に姿を現し、私たちにその時を伝える。
どきん、と胸が高鳴り、椅子を押し倒しつつ立ち上がった。
「……遊園地行く前の子供かオメーは」
「表現独特過ぎません?」
「まぁ前も言ったけどな、『未勝利戦』も今日で終わりじゃない。どーせ拾った命だ。負け越したって、また元の生活に戻るだけ」
私のツッコミを華麗にスルーし、彼女は言った。
「……気負わずにやって来い。それくらいがちょうどいい」
「……りょーかいです」
そして、差し出された拳に。
私の拳を、打ち付けるのだ。……
「――アリオンさん」
名前を呼ばれ、弾かれたように扉の方へ目を向ける。
隙間から顔を出したたづなさんが、心配そうな目でこちらを見ていた。
「……大丈夫ですか?」
「なんとか」
精一杯の笑顔で応じると、彼女はそれを十分な答えと判じてくれたのだろうか。慈悲の滲む、柔らかな笑みを口に含む。
「そろそろお時間です。行きましょう」
「……はい」
……今や、拳を打ち付ける相手はいない。
私はそっと立ち上がり、部屋から出る。
部屋のすぐ隣――
壁に背を預けたかたちの、小柄な人影が映った。
「……どうもです」
「うむ」
理事長さんに、いつもの朗らかな空気は無い。
壁から背を離し、閉じたままの扇子を掌に打ち付けながら、私と目を合わせる。
……見た目不相応な、覚悟を決めた者の瞳。
「今更
「……当然です」
応じると、彼女は背を向けて歩き出す。
私も、それに着いて歩く。
喧騒。
喧騒だ。
控えめな喧騒が、徐々に近づいてくる。
豪奢な扉を抜け。
広がる空間は――
上等な、宴会場。
「……」
尤も、そこは今、宴会のための会場として扱われてはいない。
集まった幾人もの人、無数のカメラに向けて、
意見を、意志を、表明するための場として扱われている。
――『会見場』として。
扱われている――……
『――あー、』
真正面。
演台に上った理事長が、そこに設置された台、の上に用意されたマイク、を手に取り、軽くテストをする。
改めて、会場の人々――
報道陣を一瞥すると。
短く、息を吸った。
『本日はお集まりいただき、誠に感謝する』
それでは。
『これより、『トレセン学園中央校、緊急の記者会見』を実施する』
「……悪巧み?」
私の提案に、理事長さんは、いかにも言っている意味が分からない、とばかりに返事をしていた。
まぁ、当たり前の反応だった。いち生徒が、突然こんなことを言うのだ。動揺するに決まっている。
「そう、悪巧みです」
そんな彼女に、私は続ける。
「テイオーさんを……ついでにトレーナーさんをもまとめて救える、
「……」
理事長さんは、訝しげな眼を隠そうともしない。
ちらとその目をたづなさんに向けるが、彼女も彼女で、困惑の瞳で返すばかりだった。
やがて視線を切った理事長さんは――
扇子を開き、口元を覆う。
「……一応、聞いておいてやる」
「簡単なことですよ」
何。
別に、難しいことをしようってんじゃない。
「今のテイオーさんは、走る意味を見失っています。ならば、走る意味を与えてあげればいいんです! ……」
――トレーナーさんの企んでいた学園転覆の計画。あれは使えます。
理事長さんの、前座とも余興ともとれる事前説明を聞きながら、頭の中に、口にすべき文言を整理する。
――まず私が……この学園に不満や疑念を持っていることにする。学園が不要であることを証明するために、外部施設を利用していたことを告げる。
一連の話が終わり――
マイクが、私の手に渡ってくる。
――先の新バ戦、未勝利戦を例に挙げて、外部施設の利用でも十分に成果は出せることを主張する。こんなでかいだけの施設なんて、お金の無駄だと主張する……
手に汗握りながら――
整理した言葉を、落ち着きながら、それでも熱をもって、放つ。
そしてそれを以て――
学園に対し、存続を掛けた決闘を申し込むのです。
「理事長さん側が、学園の威信を任せるに足る存在として、テイオーさんを指名するのはおかしなことじゃありません。これでテイオーさんは、再び走る意味を見出すことが出来るわけです」
「……ならば君は、テイオーに勝てる算段があるということか?」
「愚問ですね」
そんなもの、言うまでもない。
「――勝てっこないでしょう」
けれど。
それは、計算外ではない。
「……でも、それでいいんです」
そう。
それで、いいのだ。
「学園転覆を狙う
完全に復活、とまではいかなくとも――
再起のきっかけくらいには、なってくれるはずです!
「……」
理事長さんは、しばし黙り込む。
眼光は未だに鋭いままだ。
「……確かにそれで、テイオーは救われるかもしれないが」
彼女は言う。
依然として試すように、威圧的に言う。
「君の担当はどうなる? その案では、救われるようには思えんが」
「……大丈夫ですよ。なんとかなります」
それに、逃げ出したくなる気持ちを必死に抑え込みながら。
答え続ける。
ほとぼりが冷めるまで、控室で待つようにとのことだった。
会見が終わって、たづなさんが呼びに来てくれるのを待つ。
その間――携帯電話を取り出しては、新たな連絡が来ていないかどうかを、しきりに確認し続ける。
体感、数秒おきぐらいに……
――これだけ目ざとく情報収集していた人が、会見を見ていないわけがない。その上、自分の発案を、それも元・教え子にパクられたって言うんですよ?
反応しないわけがない。
何もしないわけがない。
絶対にあの会見を見ているはずだし。
見ているなら、絶対に、何かしらのアクションを起こす。
私に。
連絡を取ってくる。
……あの人なら。
きっと、そうする。
「……」
だから、待つ。
ひたすらに、待つ。
ただ、ただ、愚直なまでに素直に、待ち続ける。
「……要はあの人は、自分の気持ちの行き場を失くしているんです」
憎悪という感情を。
怨嗟という怒りを。
彼女は、どこにぶつければいいのか、わからなくなっている。
それが心の中で、こじれにこじれた結果としての、あの行動なのだ。
だから――それを、何らかの形で昇華してあげればいい。
「決闘という形を目の前に示せば、あの人の感情にも、何らかの変化があるはずです」
自分の抱く思いの行く末を。
自分の抱える想いの結末を。
分かりやすい形で、示してあげるのだ。
「それがどんな風になるのかは、想像することも出来ませんけれど。ただ、悪い結果にはならないはずです。少なくとも、学園を陥れよう、なんてことは、考えないようになるはず……!」
「……もしも、そうならなかったら?」
「そうならなかったら、もう知りません!」
そうならなかったなら、もう知らない。
それ以上歩み寄る筋合いなんて、こっちにはない。
「これだけ分かりやすく道を示してあげているんです。それでも変わらない人のことなんて、もう知りません! そんな人のことを徹頭徹尾面倒見てあげられるほど、こっちも暇じゃないですし!」
何にしても、舞台が整えば、テイオーさんにだけは確実に変化を促せる。
トレーナーさんをそれに巻き込めるかどうかは、彼女次第だ。
連絡してくるのなら、変われる。
そうでないのなら、変われない。
それだけの話――『本質』にとっては、問題にならない。
「――ですから、どうですか理事長!」
ともあれ――
この計画は、彼女の協力が、必要不可欠だ。
「私の計画に、協力してくれませんか!」
だから、申し出る。
だから、お願いする。
「私と一緒に――戦ってくれませんか!!」
だから――
呼びかける。
「……」
多分その時の私は、きらきらと子供みたいな顔をしていたことだろう。
理事長さんは、扇子で口元を隠したまま私を見つめて――
扇子を閉じると。
その場に立ち上がっていた。
「……なるほど。面白い案だ」
執務机の方にゆっくりと歩き出す背中は、ぽつりぽつりと語る。
「確かに君のその案なら……彼女らを救うことは出来ずとも、何かしら変化をもたらすことは出来るかもしれんな」
「……! なら――!!」
「――だが却下だ」
やがて立ち止まった彼女は。
視線を寄こさないまま、そう言っていた。
「悪いな。そういう
何よりそうすれば。
君自身が犠牲になるではないか。
「……私は生徒たちが大事だし、愛してもいる。それは君に関しても同じだ」
彼女は、なおも振り向かない。
「他の生徒のために、別の誰かが不幸を被るようなことは、申し訳ないが承服出来ない」
そんな綺麗な信念を。
どこかで聞いたような気がする。
「……何よりこういう件は、我々『大人』の仕事だ。『子供』はそれより、今目の前にあることに集中せよ」
ウマ娘の最初の三年間に、無駄な時間などない。
しっかりと励むことだ――
「……わかったか? わかったなら、もう大丈夫だ」
一頻り言ってもなお、その視線はこちらに向けられない。
「呼びたててすまなかったな。ひとまず今日は帰ってゆっくりするといい」
母のように優しく、柔らかく語り続ける理事長さん。
「後のことは決まり次第「理事長」……?」
そんな――彼女の声を。
私は、不躾と分かっていながらも遮る。
彼女が、それに反応する間も与えずに――
言った。
「――そうやって、手段を選んでるから、
救えるものも、救えないんじゃないですか」
……それに。
彼女は、ゆっくりと。
ゆっくりと、顔だけを、こちらに振り向かせる。
「……、なんだって?」
ぞくり、とした。
びりびり、とした。
その声色は、一見、変わっていないように聞こえたけれど。
そこに灯った感情は、明らかに変わっていた。
――怒りを。
静かな憤りを、そこに宿らせていた。
「……、」
でも私は――
もはや、怖気付かない。
「……綺麗な手を使って。汚い手を使わずに。それは美徳だと思います」
でも、そんな綺麗な手だけで何もかもを救えるほど、この世は甘くなんかない。
「誰かが幸福になるためには、別の誰かが不幸にならなくちゃいけない。この世界は、そういう
これまでの諦観が教えてくれた哲学。
これまでの諦念が語ってくれた気付き。
綺麗事だけじゃ。理想論だけじゃ。
変えられるものは、驚くほど少ない。
「今の案を拒んだなら、次に案が浮かぶのはいつですか? 次に救ってくれるのは誰ですか? 仮に立ち直れたとして――間に合うんでしょうか? 『リミット』が近いのに?」
ジャパンカップ。
日本の、それこそ威信をかけた一大勝負は、もうすぐそこまで迫っている。
「歴史に泥を塗るのと、一人の生徒を踏み台にするのと、どちらがいいのか、わからないあなたじゃないでしょう」
私の手は――ほぼ無意識に、目の前のテーブルを叩き。
その勢いに乗って、再び立ち上がった。
「……半端な覚悟なんて捨てちまいましょうよ」
どうせそんなもの、『クソ』の役にも立たない。
「一歩踏み出す覚悟なら、私はもう出来てますよ。あとはあなたが――『引き金を引くだけです』」
どうしますか。
秋川やよい理事長――
「――『伸りますか。反りますか』」
「…………」
理事長さんは。
そこで振り返り、私と正対する。
視界の端――たづなさんは、何かを言いたげだったけれど。
もはや、私たちの間に、どんな言葉も意味はないと悟ったのだろう。
黙ったままで、私たちの成り行きを見守ってくれている。
理事長さんが。
一歩を踏み出す。
そのままもう一歩。
三、四――五歩を数えて。
彼女は、私の目の前に辿り着いた。
「……」
「……」
……妖艶な眼光が。
私の瞳を、貫く。
「……いい目をしているな」
ぼそり、と呟かれた声は。
この世のものとは思えない色を灯していた。
「今までいろいろな生徒と会ってきたが……君みたいな子もそういない」
「……恐れ入ります」
「いいだろう」
一歩を引く。
扇子が開かれる。
「その
――そうして。
私たちの、壮大な悪巧みが、開始と相成ったのである。
――だが、いくつかわからないことがある。
ようやく熱気が収まり、会見場となったホテルから退室し始める。
――なぜそこまでする?
たづなさんに導かれるまま、万全を期して、裏口から。
――テイオーはまぁ、同じ学園の生徒だから、ということでまだ納得出来る。……だが『彼女』は?
――彼女は……君をいいように利用した挙句、道具のように捨てたのだぞ?
用意されたワゴン車に乗り込み。たづなさんの運転で、ホテルから走り出す。
――なぜ彼女に……そこまで肩入れする。
――……
……私は。
少し前までは、どこにでもいる、名も無き少女だった。
――私がここにいるのは……そもそもが奇跡なんです。私はずっと……ずっと自分の限界を決めつけて、自分には資格がないと言い聞かせて、この学園という夢に飛び込むことを拒んでいました。
そんな燻っているばかりの私を見つけて。
手を差し伸べてくれたのは、あの人だったのだ。
――実際、偶然だったかもしれません。誰でも良かったかもしれません。それでも私を見出して、導いてくれたのは、あの人だったんです。
それがどんな劣情に基づくものでも。
それがどんな企みのためのものであったとしても。
――……だからこれは、恩返しなんです。
これは。
恩返しなのだ。
――私がこうして、自由になれたんですから。
――あの人も、ちゃんと自由になってくれないと。
そうでないと。
不公平ですから。……
寮の近くへと、送迎された時だった。
「――!」
それまで沈黙を保っていた携帯電話が、けたたましく鳴動する。
慌てて取り出し、画面を確認してみると、そこには、見覚えのある連絡先。
再三、口元が吊り上がるのを感じながら――
「――はーい、もしもーし」
私は、その『電話』に応えた。
「アリオンさんですよー」
『――ですよーじゃねーよバカウマ』
「……、」
電話口から聞こえた、その声は。
数年ぶりに聞いたように思えた。
「……どうもです。クソトレーナーさん」
『何のつもりだ?』
トレーナーさんの声は、平たく言えば、まぁ、苛立ち一色に染まり切っていた。
そんな声を発したくなる気持ちはわかるけれど――いやいや。
「いやいや」
それ。
こっちの台詞ですから。
「私を一方的に捨てた人に、とやかく言われる筋合い無いですね」
『よく厚顔で言えるな。人の野望を横取りしておいて』
「厚顔なのはどっちです? 粗だらけの作戦で、まんまと看破されちゃったくせに」
『当事者でないからこその言い分だな。オメーが同じことをやって、同じ結末にならないとは思えない』
「あれ? 敗北宣言ですか? 前のめりに電話かけてきた割に薄っぺらいんですね。そんなだから負けちゃったんじゃないんですか?」
『……よく口の回るヤローだ』
心の中でこっそりガッツポーズをする。どうやら彼女も、ここ最近のことで多少なりともダメージを負っているらしい。
論破、完了!
『何を企んでる?』
そんな私に、彼女は問うてくる。
『まさかお前も、本気で学園を憎んでいて、テイオーをぶっ倒してーと思ってるわけじゃねーだろ』
「いやいや? そう思ってますよ? 前々から気に入らなかったんですよねー、この学園。あのテイオーさんにも苛立ってるし。やる気ないならさっさとその席からどけよバーカ、的な?」
『オメーが嘘を吐けないやつだとはわかった』
ありゃ。電話口だというのに、あっさりと『看破』されてしまった。まぁ、仕方がないか。
『……テイオーの復帰に利用しようってのか?』
そして、そのままの勢いで――
彼女は、その先の真なる目標までもを言い当てる。
『あいつに『発破』をかけて、無理矢理に立ち直らせようと?』
「……だって言ったら、どうします?」
『……どうもしねーよ。オメーが心底にバカだなって話になるだけだ』
会見はしっかり見たぞ。
『『私が勝ったら、学園を閉鎖してもらう。負けたら私のことは好きにしてください』――だったか。わかってるのか? オメーは負けたら、学園から追放されるだけでなく、転覆を狙った巨悪の称号をも背負っていくことになる』
それは想像を絶する重荷であり。
想定を凌駕する足枷である。
『この先、普通の生活を送ることも出来なくなるかもしれない。親元にも、迷惑がかかるかもしれない。……もうかかってるだろうが。自分の人生を、一人のために滅茶苦茶にしていいのか?』
彼女は。
試すように繰り返した。
『オメーは……その覚悟が出来てるのか?』
「出来てますよ。出来てなきゃ、こんなこと言いません」
私は。
それに、淀みなく答える。
間もなく、穴のような会話の空白が生まれていた。
「……だからって、私も手放しで負ける気は無いですよ」
それを埋めるように、私は続ける。
「勝ったらまずい、ってのはわかりますけどね。ただの出来レースほど冷めるもんはありません」
やるからには、全力でやる。
やるからには、全霊をぶつける。
「それでテイオーさんに悟らせちゃ、元も子もないですしね」
『……オメーがあいつに勝てることは、まず万に一つもない』
億に一つも。
兆に一つも。
『だが100%じゃない』
それでも。
『奇跡』は起きる。『奇跡』が、起きてしまうかもしれない。
『何かの不具合で。何かの不出来で。オメーが勝つ可能性はある。それが那由他の彼方すらも生ぬるいほどの天文学的可能性だとしても。……それは掴んでしまうことはないだなんて、誰にも言い切れない』
なぜなら、『絶対』はないのだから。
『それをオメーが掴み取ったとしても。自分以外の誰かの人生を滅茶苦茶にしても。本当に――それでいいのか?』
「んー……まぁ」
無意識に後頭部を掻く。
確かに、彼女の言う通りではあって。
現状、『危惧』すべき可能性はあるけれど……
そんな『もしも』を考えたところで。
頭の中が痛くなるばかりで、これといった結論は導き出せなかった。
「……まぁ、その時はその時ですね」
実際問題――
そんな低い『絶対』よりも。
まず確実に有り得る『絶対』の方を、私は考えたかった。
「『ごめん、やっぱ無しで』――みたいなことでも、言えばいいんじゃないですか?」
どのみち。
進み始めた状況に、『待った』なんて意味がない。
もう――後戻りは、利かない。
「だから、」
だから。
「どうしますか? トレーナーさん」
あなたは。
一体、どうするんだ?
「野望を横取りされたまま、指咥えて見てますか?」
私が直向きに走るのを、遠巻きから観てますか?
「目の前の乱痴気騒ぎを、何もしないまま見守りますか?」
手を伸ばせば届く夢を、外野から眺めてますか?
「ご覧の通り、私は何も恐れてなんかないですよ?」
成功しようが。
失敗しようが。
どちらに転ぼうが構わない。
「だって、」
あの、『帝王』とやれるんだぞ。
あの、『天才』と
「……費やした
そうだよ。
その通りだよ。
もはや――そうでしかないだろう? 私。
そうさ――
こんな、タノシイことヲ。
ドウシテ、恐レナイトイケナイノカ?
「泥船は、まだ一人分空いてますよ、トレーナーさん」
幸運にも。
では、どうするんですか?
「私は、とうに覚悟は出来ています。……あなたはどうですか?」
復讐を果たしたいなら。
憎悪から開放されたいなら。
怨嗟を昇華したいなら。
怨恨を消し去りたいのなら――
「私と共に死ぬ準備――出来てますか?」
『……』
トレーナーさんは、何も言わない。
微風が吹き。
攫われた葉が、宙に渦を巻く。
私はその様を、微笑みながら見届ける。
『……新バ戦の時』
彼女は。
やや唐突に話し出していた。
『あたしは、お前をイカれてると思った』
普通、あんなコース取りはしない。
『確かにあのコースは、最短距離ではあったけどな。初めての公式レースで、無理に身体を差し込もう、なんてことは普通しない』
そのレースの後、私は普通の振る舞いをした。
未勝利戦でも、
自分の感覚は勘違いだったか――と。
安心すると同時に、落胆もしていた。
『……何のことはねぇ』
だが、と。
その時、電話の向こうのトレーナーさんが。
笑ったのが、わかった。
『やっぱお前――イカれてるよ』
「……」
私は、それに反論しない。
自虐的に、私もまた、口元を緩める。
……それが届いたのかどうかは、わからない。
『……いいぜ』
ただ彼女は。
果たして、そう言っていた。
『乗ってやるよ、その
――反逆、
――開始だ。
そしてその声は。
何もかもを振り払ったみたいに。一転して、軽やかだった。