東京競レース場を初めて出走者として訪れた時の気持ちは、今でも鮮明に思い出すことが出来る。
夢。決して叶わないと思っていた夢。
理想。決して届かないと思っていた理想。
それを手に取って。それを叶えて。あの場所に――この場所に立った時、浮足立ちながらも、本当にここに来たのだなと、冷静に、その事実に感謝しようと努めていたっけ。
そこを包んでいた熱気や歓声は、一様に前向きな興奮に包まれていた。何かを貶めようとか、批判しようとかいう人はいなかった。誰もが直向きに、誰もを真っ直ぐに、その行く末を満杯の情熱で応援してくれていた。
――だが今やどうだろう。
今の状況はどうなのだろう。
耳を澄ませてみると、そこを満たす感情は、雑多に溢れていた。
歓喜、応援、興奮。
罵声、雑言、中傷――
……いやはや。
「ずいぶんな騒ぎですねぇ」
ターフ上で――
独り言のように言うけれど、答える声は無い。
すぐ傍にいるはずの彼女――トウカイテイオーさんは。
そんな溢れんばかりの声の数々を受け止めても、何も感じていないように見えた。
うすら寒さに似た寂しさを感じながら、ここに至るまでのことを想起する。
私たちが――『私』が。学園に対し『宣戦布告』をしてから、一ヶ月が経過していた。
世間はその話で持ち切りになっていて、一歩踏み出せば注目の――というか軽蔑の的になっていたことだろう。
だろう、というのは、私がこの一か月間、まともに学園の外に出ていないからで、実際の街の様子を確認出来ていないからである。
何せ、これが私たちの策略であることを知るのは、私と、理事長さんと、たづなさんだけ。
私が不用意に『外』に出れば、事態を真に受けた世間様が、私に何をしでかすかわかったもんじゃない。
そういうわけで、逃げ出さないよう身柄を確保する――という名目の下、長らく学園の中で過ごしていたわけだ。
それでも、何も知らない生徒たちの、薄暗い感情には晒されるわけで……
幸い、いじめにあったり、ってことは無かったけれど。
行き会う生徒たちに、いちいち陰険な目で見られるのは結構クるものがあった。
……特に。
「――アリオンさん!」
ある日、チヨちゃんが言い放った。
「……信じてたのに……」
あの一言。
「……見損ないました……」
冷え切ったナイフみたいな、あの言葉は……
正直、割と応えた。
ただ、そんな苦しみもまた、自分が覚悟を決めた証だった。
決死の想いで、飲み下し。トレーニングに励む。
――あ、ちなみにトレーニングは、学園の施設を使うこととなった。
さすがに都合がいいのでは? と思ったけれど、そ不用意に外部施設を使ったなら、れこそどうなるかわからないからである。
どこか気まずそうなトレーナーさんの顔に、思わず吹き出しちゃったっけなぁ。
そしてその後、しっかりと怒られた。
ともあれ――
そうして調整を終え、こうして今日を迎え、この場所に立っている。
やれるだけのことを、打てるだけの手を、やり、打ち、ここに臨んでいる。
……私たちの『試合』は済んだ。
あとは――やるだけ。
「――双方、準備はいいね?」
声が響く。
それは、もうすっかり聞き慣れた声だったけれど、それまでにない神妙さを孕んでいた。
ネイチャさんは――
真剣な表情で、私たちの顔を一瞥する。
そして口元に近付けるのは、一本のマイク。
『……それではこれより、決闘レースを始めます』
競レース場全体に、彼女の声が響き渡る。
それまでレース場に満ち満ちていた声が、徐々に小さくなっていく。
『挑戦者は中等部二年、サファイアアリオン。対戦者は中等部三年、トウカイテイオー。立会人は私、中等部三年、ナイスネイチャが務めます。レース場はここ、東京競レース場。2,400m。先に走り切った方が勝者となります』
一通りの説明を終え――
彼女の目が、再びこちらに向けられる。
「……異存はないね?」
私は頷いたけれど。
テイオーさんは、反応しなかった。
ただ、無言は肯定、と捉えたのだろう。ネイチャさんは、それ以上追求しない。
『――双方とも、了解が取れましたので、レースの方に移ります。出走者はゲートへ』
「……、」
そして――
あっさりと、その前座は終了する。
あんまり実感がないけれど。
運命の時が、間近へと迫ってくる。
改めて、テイオーさんの方を見た。
白色の映える、可憐で華麗な勝負服。
G1レースでしか見ることの叶わない、彼女の本気の姿。
対する私は、ただの学園指定のジャージ。
特別汚れている、ってわけではないはずなのに、なぜだかそれが、とてもみすぼらしいもののような気分になってしまう。
せめて私も、自分の勝負服を仕立ててもらっていれば、このどーしようもない画も少しはマシになったろうに。
集まってくれた観客のみんなに、申し訳なさすらある。
ただまぁ。
ないものねだりだ。
「テイオーさん」
そういえば、こうしてまともに話すのは初めてだ。
依然として、死んだ魚みたいな顔している彼女に――声を掛ける。
「……いい勝負にしようね」
決闘を吹っ掛けた側が何言ってんだか。
喧嘩を売った側が何言ってんだか。
聞く人が聞けば激怒しそうだけれど――それでも私は、彼女に手を差し伸べる。
それが、最低限果たすべき礼儀だと思ったからだ。
光の見られない彼女の目は。
私の手に向けられて。
「……」
一時は。
それを取ろうとしたように見えた。
「……ごめん」
けれど。
結局彼女は、それを取らずに。
「……その手を取ることは……出来ないよ」
寂しげに言うと。
私の脇を通り抜け、ゲートの方へと歩いていった。
振り返り、彼女の背を見つめる。
そこに来て、彼女の背格好が、思ってた以上に小さいことに気が付いた。
天才、帝王――そんな肩書きを背負うには、あまりに華奢なように見えた。
「……」
私はそれを、しばし呆然と見つめて。
「……わかりました」
届かないであろうことをわかっていながらも、応えて、歩き出す。
再びレース場を満たし始めた、混沌の声を掻き分けて進む。
――数奇な運命である。
夢を諦め、普通の人生を歩んでいた私が。
些細なきっかけで中央校へ編入学し。
勝利を掴み取ったかと思えば。
トレーナーに捨てられる。
吹っ切れた想いは、自己犠牲と引き換えに。
誰かの意志を取り戻すことを選んだ。
始まりの地を踏んだ私は。
今や、学園の生徒ではなく、不逞な反逆者だ。
……お父さんには呆れられた。
お陰で職場でも有名人だぞ、と。
学園側から話がいっているらしく。
生活が危なくなっているわけでもないらしいけれど。
お前は本当に自分勝手だと。
暴走する機関車みたいだと。
走りすぎて、どこか知らない場所まで行かないように。
必死に繋ぎとめていたというのに。
でもここまで来たなら、もう後戻りも癪だろう。
思う存分、思い切りやってきなさい。
お前の思うままに。お前の望むままに。
気が済むまで、走ってきなさい――……
……そう、呆れ切っていたけれど。
そこには、滲む程度の優しさなんかも、感じられた。
だから、もう迷わない。
だから、もう躊躇わない。
だから、もう、惑わない。
この怒気を。これらの怒号を。
一心に受け止め、噛み締める。
自分がここにいる証とする。
ここで立っている証明とする。
ここに生きている、
証拠とする――
「……おし」
刻み込んで。
ゲートに入った。
不自然なほどに音は遠のき。
世界が、私たち二人だけのものになる。
ちらと隣を見た。
テイオーさんは、相変わらず、虚ろな目で前を見ている。
そこに、恐ろしさを、あるいは凄さを、あるいは疑念を、あるいは――
一抹の不安を。
覚えながらも。
「……」
改めて、前を向いた。
刹那だった。
「――!」
ゲートが開く。
前へと駆け出したのは、二人、ほぼ同時だった。
例の会見の後、初めてのトレーニングにて。
正直な話、とトレーナーさんは話を切り出していた。
「今のテイオーは、全盛期の七割くらいってところだ。クラシック戦線を走ってた頃の覇気なんぞ、見る影もない」
現役バリバリの他のウマ娘と走ろうものなら。
おそらく勝負にならない。簡単に勝ててしまうだろう。
「それでも、腐っても天才と呼ばれるウマ娘だ」
今のお前じゃ。
まず間違いなく勝てない。
「……はっきりと言うんですね」
「包み隠したって意味がないだろ。それに恥ずかしがることでもねー。いくらお前に才能があったところで、時間に裏打ちされた
偉大な先人たちのような才覚や、血筋を持っていれば話は違っていただろうか。
構図は、まるで王に楯突く奴隷だ。そう思うと、ちょっと笑える。
「だが前にも言ったが――それは、お前がテイオーに絶対勝てないことの理由にはならない」
なぜなら――ただ闇雲に走ることだけが。
自分たちの取り柄じゃないからだ。
「だから今回のレース……あたしたちは、
言いながら、トレーナーさんは自分の太ももの辺りを叩く。それが示すのは、脚。
私たちは、レースに出走しながら――脚で戦うのではない。
「……
指先が、側頭部を叩いていた。
私たちは。
今回――『頭』で戦う。
「……何にせよ、まずは基礎トレーニングだ。期日までに、伸ばせるだけ能力を伸ばす」
同時進行で技術も叩き込むぞ。
容赦の一切見られない姿勢に身震いしたのは、彼女の『本気』を受け止めたからだろうか。
私は、強く頷いていた。
『レースが始まれば、テイオーが先行するだろう。そればっかりは仕方ない。それこそ地力の差だ――着いていくことを考えろ。無理に追い越そうとするなよ』
トレーナーさんの事前分析の通り、レースの序盤、テイオーさんが先行する。
最初の直線は350m、短くはないが、決して長くはない距離。
ここで距離を取られたらほとんど終わりだ。覚悟を決めて着いていく。
ただ、力を抜いているのか、単に嘗められているのか。
思っていたほど、絶望的な速さではなかった。
体感2バ身ほど後ろを追走していく。
『お前の基本の走りはストライド。長距離向けの走り方だ――2,400mでも、問題なく走り切れるはずだ。だがテイオーに勝つってんなら話は変わってくる』
そこで、基礎のお勉強だ。
『バカウマ。レースで最も順位を捲りやすいタイミングはどこだ?』
誰もが速度を落としてしまう場面はどこだ?
速さのために、速さを求めないことを求められるのはいつだ?
『……』
少し考えて。
私は、それに答えた。
『……コーナーですか?』
にやり、と彼女は笑う。
『レースが最も動く箇所。勝負を掛けられる唯一の場所。経験と地力で劣るあたしたちが、技術をぶつけられるのはここしかない。かといって、単純に勝負を仕掛けたところで、簡単に前に出させてくれるほど、
だから、打てる手を全て打つ。
『つまり――『減速を最小限にする』』
――いいか。
「……」
――ストライド走法は、歩幅を広く取る分、小回りが利かない。誰もがコーナリングの際、減速を強いられてしまう。それが埋められない差となり、レースの結果を決めてしまう。……ならばどうすればいいか?
――簡単な話だ。
――コーナーに入ったら。
――
――
――
「――ッ」
コーナーが迫る。
依然として、テイオーさんとの距離は縮まっていない。
でもそれは、絶望する理由にはならない。
覚悟を決めて。
本当に勝利したいのなら――
行くしかない――!!
「ッ――!!」
だから、行く。
調子を合わせ、歩幅を調節し。
足の回転を、速くする――
『――歩幅が小さければ小回りが利く。コース取りも、多少は無理が利くようになる』
しかし、ピッチ走法は、脚の回転が多くなる分、体力の消耗も激しくなる。
全体として、私自身の持つ体力がモノを言うことになる、というわけだ。
それに加えて。
『もちろん、それで勝てる保証なんてない。追い縋れるだけで、追い越すまではいけないかもしれない。だがレースは気迫勝負ってところもある。お前がアイツに負けないくらいの『覚悟』を見せれば――』
向こうも。
動揺くらいはしてくれるかもしれない――
「――っはぁ、」
テイオーさんの背中が、さっきより近くなったのは錯覚じゃないだろう。
彼女とラチとの間に、人ひとり分は入れるくらいの隙間がある。
そこにまで入れるとは思えないが――
それでも、そこを目指し、脚の回転を速め、身体を傾ける。
一歩でも早く。
半歩でも先へ。
出来る限り。
最短距離を、突っ切れ――!
「――!」
テイオーさんが、肩越しに振り返る。
彼女の目は、大きく見開かれていた。
そこに一体何を見ていたのだろう。
何にしても――
その姿に食らいつく。
『――恐れないことだ。死ぬ準備は出来てるんだろ?』
ならば、目一杯楯突いてこい。
『奴隷の底力を』
『世間様に、見せつけてやろうじゃねーか』――
「――っはあぁぁぁぁッ!!」
声を張り上げ、前へ、前へと進む。
1コーナーを抜け、2コーナーへ。
もはや音は聞こえない。声を置き去りにしながら。
悠然と走る姿を追い立てる! ……
……
「……っ?」
……あれ。
でも。
なんだろう、この感じ。
レースは序盤を過ぎた。
そろそろ中盤戦。力を発揮するべきタイミング。
私もトレーナーさんも、あるいは観客のみんなも、ここまで追い縋ったのが、私のこのレースでの最盛期、と思うところだろう。
あそこまで行ったのになぁ。
まぁ一年にしちゃあ上出来だろう。
皆が後々、口々にそんな風に噂する。
そんな、ありがちな後日談までもが脳裏をよぎるほど。
――なのに。
それなのに。
「……」
なんだこれ。
何だこの感じ。
テイオーさんから。
目の前を走る、彼女から――
……『覇気』が。
未だに、感じられない……?
何を狙っているのか。
何を考えているのか。
誰にも、何も汲み取ることは出来ない。
何にしても、レースは2コーナー。
差は1バ身を数えるか、数えないかというほどにまで縮まるが。
結局、順位は変わらないまま――
次の直線へと、入った。
――その。
瞬間だった。
「――……」
――テイオーさんの姿が。
高速で、横に流れる。
「――!?」
突然の、予想外の出来事に、思わず、振り返る。
動揺で、それまで強固に築き上げたはずの、私の緊張が解けてしまったからだろうか。
周囲の音が、一気に復帰した――
会場は。
困惑のざわめきに、包まれていた。
「……え……」
何が起きたのか。
レースがどうなったのか。
そんなの、改めて聞くまでもない。
――私が。
テイオーさんを、追い越していたのだ。
嘗められた?
何かの作戦?
気が抜けた?
色々な可能性が頭を埋める中でも、テイオーさんは、元の速度を取り戻さない。
私の背後に遠くなるまま、追おう、という気すらも感じられない。
走りながらも、死体になってしまったみたいに。
闘志が――全く、伝わってこない……
「……」
……私は。
緩やかに減速し、立ち止まっていた。
荒れた息を整えながら。
あろうことか、コースを徒歩で逆走する。
テイオーさんもまた。
そこに、立ち止まっていた。
「……何してんですか」
俯く彼女に、私は問いかける。
純白の、威厳溢れる服は……今や私の目には、泥だらけのみすぼらしいものに見える。
「なんで、走らないんですか」
心の奥底から、何かがこみあげてくる。
「決闘を受けたじゃないですか。学園を背負って走り始めたじゃないですか」
それに押されるように、声が、荒くなっていく。
「手加減のつもりですか? こうすればエンタメになるかもって? ――冗談じゃないですよ!!」
……我慢できなくて。
声は、やがて怒鳴り声に変わっていた。
「ふざけるのも大概にしてください!! 確かにあなたが本気出さなくても、私に勝てるかもしれないですけどね! ここまで分かりやすいハンデ食らったら、こっちの熱だって冷めちまいますよ!!」
私だって、私なりに走った。
奴隷なりに、知恵を絞って戦った。
それが、この作戦に必要なことであり。
曲がりなりにも、勝負の舞台に上がった者の――礼儀だと思ったからだ。
なのに。
なのに。
なのに、それなのに――
「――どうしちゃったんですか!?」
あなたは一体――
どうしてしまったんだ。
「あなたは『会長』じゃないですか! 『帝王』じゃないですか!! 『天才』と呼ばれた名ウマ娘じゃないですか!! 真面目にやってくださいよ!! 本気で、真剣に、私とやり合ってくださいよ!!」
そして、その全力で。
私という敵を、叩き潰してくださいよ。
「それがあなたの役目じゃないんですか。それをみんなも期待してるんじゃないんですか!? なんで、なんで途中で投げ出そうなんて思えるんですか!」
請け負った使命なら。
ちゃんと果たしてくれよ。
「……答えてくださいよ。トウカイテイオー会長!!」
「……もう」
黙り込んでいた。
視線を下げたまま。
無言を貫いていた彼女は。
「もう……いいんだよ」
消え入りそうな声で、言っていた。
「は……?」
「キミ、ジュニア級なんだって? はは……ジュニア級であの迫力かよ。すごいね。間違いない……キミには、才能がある」
「……何言ってんですか」
「キミはきらきらしてる。この状況でも、前に走ろうって思えてる。運命を覆そう、って決意が見える。未来を変えてやろう、って意志が伝わってくる。……何より、
何より、レースを楽しもう、という想いを持ってる」
――羨ましいよ。
「……駄目なんだ。ボクはもう、駄目なんだ。走るのが、怖い。走ろう、って、思えない。走ったって、もう、その先に、望んだ目標も未来も無くて、それでどうすんだって虚しくなっちゃうんだ」
――思い出す。テイオーさんの生い立ちを。
思い出す。かつて彼女が、何を目指していたのかを。
「ボクは失敗した。やり遂げられなかった。悲願を果たせなかった。期待に応えられなかった。羨ましい。キミが羨ましいよ。ボクは。ボクはね。ボクは、もう……」
何のために走ればいいのか。
わかんないんだよ。
「……笑えるよね。そんなガッタガタなのに、生徒会長だなんて言うんだから。相応しくない。見合って無い。ボクなんかより……キミのが適任だ」
「……テイオーさん」
「理事長には、ボクから話を通す」
彼女は、顔を上げる。
その瞳には、相変わらず、光が灯っていない。
ぽっかり空いた、穴みたいな空虚に、私の姿が映り込んでいる。
「もう行って。行っちゃってよ。果てるのは……ボクでいい。もう十分だ。何もかも、やり尽くした。もう、もう……」
もう。
疲れた。
「……」
……
何を言えばいいか、わからない。
なんて声を掛ければいいか、わからない。
自分の中の言葉をぶつけたとしても、何も変えられない未来しか想像出来なかった。
……トゥインクルシリーズ。
言わずと知れた一大レースエンターテインメント。
あらゆるウマ娘の憧れであり、目標。
可憐な少女たちが青々としたターフを疾走する姿を見て、絢爛豪華な花道を想像する者は多いけれど。
その、
実態は。
……
「……」
……わかった。
いいだろう。
そこまで言うなら、行ってやる。
先へ行ってやる。
前へ進んでやる。
あなたを置いてきぼりにして。
あなたを踏み台にして。
あなたを、私の、糧にして。
自分の未来へと。
走ってやる。
「…………」
だから、背を向ける。
だから、脚に力を籠める。
もはや屍と化した、かつての『天才』を置いて。
私は、再び走り「ちょっと、
待てやぁぁぁぁぁぁぁッ!!!!!」
……けれど。
叶わなかった。マイクをも必要としない、強烈な怒号が。
会場中に、響き渡っていたからだ。
「――!?」
弾かれて、そっちへ目を向ける。
さしものテイオーさんも、それに反応していた。
二つの視線の交差する先――
一つの人影が、私たちの元へと、猛然と駆け寄ってくる――
「――っ、っはぁ、はぁ……!!」
……ネイチャさんは。
辿り着くなり、膝に手を突いて、息を整えていた。
「……ネ」
テイオーさんは。
呆気にとられたように、そう口にする。
何をしに来たのか。
どうしてここに来たのか。
そんなことを訊きたげな声に――
ネイチャさんは。
ぎろり、と、睨みつけることで応えていた。
……次の瞬間。
「――っ!!」
ネイチャさんは。
テイオーさんの胸ぐらを掴み、乱暴に引き寄せていた。
そして。
「――っあぁぁぁぁッ!! なんッッだよさっきからその腑抜けた走りはぁッ!!」
……普段の。
飄々と軽快な振る舞いの目立つ彼女とは、似ても似つかない姿に。
私は、ただ、呆然とするしかない。
そしてそれは――
おそらく、テイオーさんも、同じ。
「わかってんでしょ!! あんたは勝負を受けた!! 喧嘩を買った!! 学園の誰もがあんたが勝つって期待して、今日ここまできて協力してくれた!! あんたの復活を待ち望んだ!! 学園を壊そうってクソを石器時代の彼方までぶっ飛ばしてくれるって信じた!! これでいつものテイオーが戻ってきてくれるって誰もが考えてたんだよ!!」
それなのに。
それなのに、なんだあの走りは。
「あんたが何を考えてるかなんてわかんない。何を感じてるかもわかんない。でも受けて立ったからには全力でやるのが筋なんじゃないの!? 勝負が始まったら私情なんて意味ないんだよ!! 全部かなぐり捨ててぶつけるのが勝負ってもんでしょうが!! それなのにあんたが、その、あんたがっ……!!」
ぎり、とネイチャさんは歯軋りする。そのまま投げ飛ばしすらしてしまいそうな様子に、私も恐々と様子を見守っていたけれど、その心配はどうやら杞憂に終わってくれたみたいだ。
「……もう、いい」
彼女は、吐き捨てるように言うと。
テイオーさんから、手を離していた。
「あんたに期待したアタシがバカだった」
侮蔑的な声を。
容赦なく、彼女に投げつけて。
「……学園は、
アタシが守る」
彼女の脇を通ると。
私に向かって、歩み寄って来た
「……」
その行動が、何を意味するのかはわかった。
だからだろうか――思わず、笑ってしまう。
「……いいんですか? ネイチャさん」
口から出た声は、びっくりするくらい悪人面をしていた。
私って、こんな声出せたんだな。
「私、曲がりなりにも『天才』を追い抜いたんですよ。……
「……テメーもさっきから……調子こいてんじゃねーぞ」
「――……」
……そして、彼女の口から放たれた言葉で。
びりびりと、身体が痺れたのを感じる――
……あぁ。
そうだ、これだよこれ。
この感じだよ。
私が、感じたかったのは――!!
「そっちの合図でいいよ」
やがて、私と並んだネイチャさんは、横目で私を睨みつけながら言う。
「その方が、いいハンデでしょ」
「……上等です」
いいね。
確かに、その方が燃える。
ナイスネイチャ。愛しき名脇役。
その実力は、たぶん、テイオーさんには及ばないだろうが――
油断出来る相手でもない、というのも確かだ。
相手にとって。
不足はない――!
「じゃ、行きますよ。よーい……」
そういうわけで、お言葉に甘える。
「――どんっ!!」
合図と共に――
私たちは、前に向かって、走り出した。
トウカイテイオーは、走り出した二人を見ていた。
目を見開いて、その背中を見つめていた。
何にしても、自分が選んだ道。
どんな理由であれ、自分が望んだ選択。
それを見せつけられたところで、何も気にすることなんてないはずなのに。
「……」
彼女は、その場に縛り付けられたように。
そこから、一歩も動けなかった。
背を向けて、立ち去ることも。
気を取り直して、追いかけることも出来なかった。
何も出来ずに。
ただただ、立ち尽くすしか出来なかった。
――あぁ。
行ってしまう。
遠ざかってしまう。走っていってしまう。
素質を見出した新入生が。
苦楽を共にした親友が。
自分を置いて。
行ってしまう――
視界がぶれる。
息が詰まる。
どっちつかずの気持ちのままで。
彼女は、やがて、自問自答していた。
自分は。
どうして、自分は――
……どうして、ボクは。
走ろうと、思ったんだっけ。