東京の新宿駅、大阪の梅田駅、この2つを聞いて、何を思い浮かべるだろうか?
とある界隈では、迷宮やダンジョンなどと呼ばれているらしい。複雑に入り組んだ駅舎の通路は、通る人の方向感覚を失わせるのにうってつけだ。
通路もそうだが、シンプルなほうが使い勝手は良い。
しかし、世の中にはシンプルながらも迷宮のような通路が存在する━━。
「━━さて、バスの時間は何時だったかな……」
岸辺露伴は杜王町へ向かうバスの時刻を調べる。
今いるのは、M県S市で一番大きい駅だ。前日に東京の集英社で打ち合わせがあり、今しがたM県に帰ってきたところである。
露伴は、手元のスマホでバスの時刻表を眺める。
「あと20分か。泉君に頼まれてた色紙を仕上げるくらいの時間はあるな」
そういって顔を上げた。
殺風景な白いタイル張りの壁。案内板。ただのシンプルな通路。
「……なんだ? 何かがおかしい」
露伴の本能が語りかける。
「ここは市内で最も大きな駅だ……。それなりに人通りはある……。なのに、今は誰もいない……」
あたりを見渡してみるも、人っ子一人もいない。あるのは一本道、ポスター、出口の案内板、監視カメラ。
「この駅に、こんな通路あったか?」
普段からロクに外出しない露伴だが、この駅の構造は知っている。
知っているのだが、見たことない通路に変貌しているのだ。
「……案内板に従えば、出口にたどり着くだろう」
そんな淡い期待を持って、露伴は通路を進む。
曲がり角を右に曲がると、長い通路になる。
左にはポスターが6枚。右には扉が3つ。
「……僕が疲れているのか? 後でトニオ君のところに行こう」
そういって通路を歩き出した直後。
向こうの角から、一人の男性が現れた。
(一般人か……?)
春先の暖かくなってきた今の季節に沿っているカジュアルな服装。
男性は露伴のことを気にすることもなく、そのまま真っすぐ歩いている。
露伴は一瞬、『ヘブンズ・ドアー』を使おうと考えたが、すぐに止める。
(一般人を巻き込むのは忍びない。僕だって常識くらいは持ち合わせている)
男性は露伴の横を通り過ぎ、後ろの曲がり角を曲がっていった。
「ただの通路だな……」
露伴は先を急ぐように、角を曲がる。
またすぐに曲がり角を曲がると、見たことのある案内板が現れるだろう。
「0番出口……。この駅にそんな出口あったか……?」
露伴は黄色い案内板をマジマジと見る。
すると、その横にあった看板に気がつく。
「『ご案内』……?」
ご案内の看板には、4つの文章が書かれていた。
『異変を見逃さないこと』
『異変を見つけたら、すぐに引き返すこと』
『異変が見つからなかったら、引き返さないこと』
『8番出口から外に出ること』
「異変、だと?」
露伴は思わず鼻で笑った。
「漫画家を生業としているこの僕が、僅かな違和感に気付かないとでも思っているのか?」
露伴は堂々と通路を歩く。
「誰の仕業か知らないが、この岸辺露伴を舐めるなよ」
露伴は通路を進む。
先ほど通った通路と全く同じ通路が現れるだろう。
「ふゥん、同じ通路が出てくるのか……」
通路に足を踏み入れると、向こうから男性がやってくる。
その姿を見て、露伴は少々驚いた。
「あの男……、さっきもいなかったか?」
先ほどと同じように、露伴のことを無視して歩く男性。再び露伴の横をすれ違った。
「何か怪しいな……」
その時、露伴にある考えが浮かぶ。
「後を追いかけてみるか」
さっきまでいた曲がり角を曲がる男性。露伴はそれを追いかける。
曲がり角の先では、男性がスマホを覗いているのが見て取れるだろう。
露伴は後ろから、大胆にスマホの画面を覗く。その画面は真っ白で、何も表示されてなかった。
(なんだこいつ……。しかし、興味深い)
露伴は手を上げ、男性の後頭部に触れる。
「『ヘブンズ・ドアー』」
すると、男性の顔が本のページのようにパラパラとめくられ、男性はその場に倒れこむ。
「どれ、拝見させてもらうよ」
そういって露伴はページをめくる。
だが。
「!? なんだこれは……!?」
そのページには規則正しく「0」の文字が並んでいた。
どのページをめくっても、同じ文字が並んでいたのである。
「僕の『ヘブンズ・ドアー』は、その人が体験した『人生の経験』が書き込まれている……。それなのに、こいつにはそれが
しかし、今目の前にはっきりと存在している。
そして露伴は一つの結論を導く。
「まさか、スタンド攻撃を受けている!?」
先ほどまでいた通路が、急に禍々しく見えるだろう。
「
そういって露伴は、男性を置いて来た道を引き返す。
2つほど角を曲がると、黄色い案内板が見えるだろう。そこには大きく「1」と書かれていた。
「1番出口に変わっている……」
それ以外に案内板には変わった様子はない。
「まァいい。とにかく、8番出口から出れば何も問題はない」
露伴は通路に踏み込む。
すると、また前から同じ男性がやってくる。
露伴は通りざまに男性の額に触れた。
「『ヘブンズ・ドアー』。僕だって悪いと思ってるさ。でも、貴重な体験をみすみす逃したくはないからね」
露伴は本になった男性のページをめくる。今度は「1」の文字で埋めつくされていた。
「どうやら番号と連動しているようだね。これ以上の情報はないか」
露伴は男性から離れると、ポスターに視線を移す。
「このポスターにも異変が起きるのか……?」
露伴は少し考えると、ポスターが飾られている枠を外そうとする。
「ここにサインでも入れておこう。次の時には残ってないかもしれないがね」
枠を外すと、わずか1秒でサインを書き加える。
「さて。パッと見たところ、異変はなさそうだ。進むぞ」
そういって露伴は通路を進む。
次の案内板には「2」が書かれていた。
「なるほど。どんどん数字が大きくなっている。このまま8番出口まで進めばいいのか」
露伴は通路に足を踏み入れる。
再び向こうから男性が歩いてくる。右の扉に異常はない。
「ポスターのサインを確認してみよう……」
そのままポスターに視線を移したときだった。
アルバイト募集のポスターに書かれている若い男性の顔が、子供がクレヨンで書いたような少し不気味な絵になっている。
「……ほう。これが異変なのか」
露伴は『ご案内』を思い出す。
「『異変を見つけたら、すぐに引き返すこと』……。おそらく、引き返すのが正解だろう」
しかし、露伴にはある興味があった。
「もし、
露伴はそのまま、通路を進む。
いつもの案内板が見える。その案内板には「0」が書かれていた。
「異変を見逃すと、振り出しに戻される。なるほど、単純明快なゲームだ」
露伴は臆することなく先に進む。
「僕には少し簡単すぎるゲームだ。さっさとこんな場所から去ろう」
通路に足を踏み入れると、向こうから男性が歩いてくる。
しかし、何か様子がおかしい。
「なんだ? あの男、妙に
天井に届きそうなほどの背丈になっている男性。
明らかに異変だ。
「ひ、引き返す!」
露伴は走って、来た道を戻る。
すると、今まで通りに案内板が出てきて「1」を表示している。
「よし。次に行こう」
こうして分電盤室のドアが叩かれる異変、赤い水が押し寄せる異変、ドアから誰かが覗いている異変を見つけ、4番出口までやってきた。
「さて、次は何があるかな?」
通路を進みながら、露伴は辺りを見渡す。
「うん、今回は異変はなさそうだな」
そういって進む。
進んだ先の案内板は「0」を示していた。
「なんだと……? この僕が異変を
露伴は壁を拳で叩く。
「そんなことはないッ! この岸辺露伴が些細な変化を見逃すはずがッ!」
露伴は通路に入る。
そして右手で目を覆いかぶせ、その場にへたりこむ。
「まるで手のひらで踊らされているようだ……。異変があるかないか……、それを8回も続けるのか……?」
「そうだ」
突然の声に、露伴は声の主を見る。
目の前には、いつもの男性がいた。
「そして君は、この単純明快なゲームに敗北するのだ」
「貴様ッ……! 『ヘブンズ・ドアー』ッ!」
露伴はスタンドを繰り出し、男性に攻撃する。
高速で連続パンチをするも、男性に攻撃が効いている様子はない。
「無駄だ。ここでは一切の攻撃は通用しない。通用するのは、進むか、引き返すか。どちらかの選択のみだ」
「き、貴様はなんなんだ?」
「私はこのゲームを盛り上げるためのおじさんだ」
そういって男性は、露伴に手を伸ばす。その瞬間、「0」とかかれた案内板の前に移動していた。
(いッ、今のはスタンド攻撃……!?)
「確かにスタンドだ。しかし、これは決して攻撃ではない」
男性は露伴に問いかけるように言う。
「『異変を見逃さないこと』『異変を見つけたら、すぐに引き返すこと』『異変が見つからなかったら、引き返さないこと』『8番出口から外に出ること』……。これは
そういって男性は、顔を露伴に近づける。
「君がこの空間に来た瞬間ッ! 異変を見つけて引き返すかッ! 異変はなかったと進むかッ! その二つしか道はないのだッ!」
露伴は思わず床に手をつく。
「さぁッ! どうするッ!?」
男性は露伴に問いかける。
その時、露伴の肩が震える。そして露伴は高笑いをした。
「アーッハッハッハッ!」
「何を笑っている?」
「いやァ、僕はときどき陰湿な人間だと言われる時があってね。貴様は僕と同じ考えをしている」
露伴は男性を指さす。
「スタンドの本体は、この通路に隠れて静かに観察している。ボクシングを観客席で観戦するようにね。そしてそいつは、一度僕を見ている」
露伴は男性のことを振り切り、通路の中ほどまで走る。
「そうッ! 本体はこの『従業員専用』の扉の向こうにいるッ! 『ヘブンズ・ドアー』!」
露伴のスタンドが扉を強制的に開ける。ほんのわずかしか開かなかったが、そこには不気味そうに人が立っていた。
そして「ヘブンズ・ドアー」が、その人に触れる。
「少し書き換えさせてもらうよ」
ページがパラパラとめくられ、露伴はそこに命令を書き込む。
『異変は起こらない』
そのまま露伴は、通路を全力で駆け抜ける。
「異変が起こらないようにすれば、ここは只の通路だ」
黄色い案内板の番号が、順番に大きくなっていく。
そして8番出口と書かれた案内板と、上に続く階段が現れた。
「ゲームの時間は終わりだ」
露伴は階段を駆け上がる。視界が真っ白になり、露伴は一瞬意識を手放した。
次に気が付くと、露伴は見覚えのある場所に立っていた。どうやら駅の外に出たようだ。
「ふぅ……。まるで迷宮のようだったな。でも、貴重な経験が出来た」
露伴はふと、スマホの時刻を見る。すでにバスは出発している時間だった。
「……タクシーを使うか」
迷宮は時として、人の心を惑わせる。露伴の強い精神力は、それに打ち勝ったのだ。