怪文書置き場 作:ジャーム先輩
─────お姉ちゃん!!!
見開いた目。幼い絶叫。
望んでいたものと真逆の表情をさせてしまっている自分が許せなかった。
体から温度が抜けていく中、九十九はその手を─────
「なの、ちゃ──────────」
白い明かりと、管を繋がれた自分の腕が視界に入った。
状況が理解できずに困惑する。ここは一体どこだろう。
とりあえず体を起こそうとした瞬間、腹部に走った激痛で呻き声が出た。
「! 九十九さん、目が覚めましたか」
ベッド横のカーテンが開き、白衣を着た女性が声をかけてきた。
名取支部の医務室、そこに備え付けられた患者用のベッド。自分はなぜここにとぼんやりした頭で思い返して……。
「─────なのちゃんは!?」
「起き上がらないでください! まだ十分な治療が……」
「教えてください! なのちゃんは!?」
「…………彼女は、FHによって身柄を連れ去られました。現在は支部長たちが対応策を」
「っ!!」
「待ってください、九十九さん!」
静止の声を振り切り走り出す。
痛みを訴える体を無視し、全速力で廊下を駆け抜けた。
目的の部屋までは十数秒とかからず、辿り着いた九十九はその勢いのまま重厚な扉を開け放った。
「支部長!!」
「……入りなさい」
そこには部屋の主と助手だけでなく、共になのの護衛を務めていた四人の姿もあった。
息を乱した九十九の様子を認め、メビウスは僅かに眉を顰めて招き入れた。
「つ、九十九さん」
「大丈夫なの? 重症だって聞いたけど」
「問題ない、それよりも」
心配そうに九十九を見つめる四人に大きな負傷は無かった。
気遣いは短く返し、机の奥で座す支部長に目を向ける。
「護衛を全うできず申し訳ありません。それで、今の状況は」
「ちょうど今からその話をするところよ。座りなさい」
いつも浮かべている微笑が抜けた鋭い目つき。
それを見れば、状況が芳しくないことは明らかだった。
「今から57分前、『夢の卵』継承者の身柄がFHセルに移ったことが確認されたわ。即時UGN中枢評議会で議決が取られ、41分前に『天の火』の使用が決定された。3時間の熱量装填を終えた後─────『夢の卵』の半径15kmを焼き払うそうよ」
「……………………………………………………は?」
簡潔な説明だった。
だからこそあっさりと語られた情報が信じられなかった。
「いや…………待ってください、『天の火』って…………衛星……サテライトレーザーじゃ……」
「ええ、UGNが保有する中で最も大規模な兵器ね。照準は『夢の卵』に付けたマーキングへ向けられるわ」
「それじゃあ、なのちゃんは…………いや、そもそも15km……? そんなの、民間人だって……」
「それだけ阻止しなければならないということよ。『夢の卵』がFHの手に渡る事態は」
九十九華宵は淡白な人間だというのが自他を含めた認識だった。
非情な選択などその過酷な生い立ちの中で何度も経験してきた。民間人を守ることだって、義務であって理想ではない。
だが今、彼女は絶句していた。
「…………………………………………」
共に話を聞いていた四人の方へ視線を向ける。
背景の理解は各々で差があるだろう。だがその場の皆が一様に固まっていた。あの球磨川でさえ薄い笑みを消していた。
「熱量の充填が完了するまでの3時間、該当地域の避難が進められているわ」
「……それ、避難が終わるまで待っててくれるの?」
凛の問いは黙殺された。答えるまでもないということだろう。
「『マーキングかあ、いったいいつ仕込んでたんだろう。保険をしっかりかけておくなんてUGNは賢いね』」
「UGNも馬鹿ではないということだろうね。それにしても『天の火』による広域破壊か……どうしても『夢の卵』を渡したくはないらしい。まああの“遺産”の特性を考えれば当然だろうが」
球磨川と豊国が呟く。
どこか皮肉気なその声は、しかし確かな妥当性を認めてはいた。
「そ、それって、なのちゃんは」
「『え、こばとちゃんは助かると思うの?』」
「だからそれが目的なんだろ。『夢の卵』を渡すくらいなら粉々に破壊する。大量の民間人を巻き添えにしてでもね」
「………………………………」
「待ってください」とか「他に手が」とか、そんな言葉が喉から出るのを九十九は必死に抑えていた。
わかるからだ。この暴挙が、必要な対応であるということが。
『夢の卵』がFHに渡った瞬間、UGNとFHのパワーバランスは一気に崩壊する。
保たれてきた秩序も非オーヴァードとの共存も一夜にして崩れ去り、世界を混沌が渦巻くだろう。抵抗するUGNがジャームを使い、泥沼の戦争が繰り広げられる未来も十分にあり得る。
それを防ぐためなら哀れな少女の命など安いもので。
なぜそれが必要になったのかと言えば、自分たちが─────九十九華宵が守りきれなかったからだ。
「待ってよ」
だからそう言えたのは、裏の世界に詳しくない彼だった。
「あるじゃん。そんなデカイ兵器使わないで、なのも町の人も殺させないで済む方法がさ」
「……ラットさん」
「マーキングで場所はわかってるんでしょ? だったら簡単じゃん。
珍しく焦った声で提案された方法。
それを聞いて九十九は目を見開いた。
そうだ、確かにそうすればいい。なのを攫ったセルへ乗り込み取り返しさえすれば事態は解決する。民間人を巻き添えにすることはなく、なのが生きられる!
そうして向けられた視線に、メビウスは首を振った。
「それはできないの」
「なんで!」
「中枢評議会でもその提案はされ、「不安定要素が多すぎる」として否決された。『天の火』による確実な事態解決のために、周囲のUGN支部に対して該当地区への進入禁止が命じられたわ。そして全く同じ命令が名取支部にも下されている」
「は………………」
「日本支部すら飛び越えて、UGN本部から直接下された命令よ。逆らうことは許されないわ」
「………………………………」
口を開いたまま閉口する。
「じゃあ……………………じゃあ、本当に…………なのが殺されるのを黙って待ってるしかないの…………?」
今度こそ支部長室に長い沈黙が満ちた。
白銀凛は問いかけたまま固まった。
四葩こばとは泣きそうな顔で口を結んだ。
豊国氷華は何も言わずに腕を組んで目を伏せた。
球磨川禊はつまらなさそうに明後日の方を見つめていた。
メビウスは答えるために息を吸って。
「……何かしら、小鳥のラットさん」
九十九華宵は立ち上がった。
無言のまま歩み寄り、机の前で立ち止まる。
そしてそのまま彼女は深々と頭を下げた。
「お願いします。なのちゃんを助けに行かせてください」
「話を聞いていた? 今この支部にはそれを禁止する命令が出されているの」
「わかっています」
「……地方支部でも日本支部でもなくUGNを統括する本部からの命令よ。それに逆らうことの意味は理解していると思うけど」
「わかっています。わかっているんです。でも!」
滅多に聞くことのない声が室内に響いた。
「あの子はようやく救われるはずだったんです! 望んでもない“遺産”を植え付けられて、誰かに触ることすら怖くなって! それでもやっと救われると……救われてほしいと思っていたんです!」
救われるはずだった。
救われてほしいと、そう思えるようになった。
「人好きなのに人を避けていたあの子はここに来て人を受け入れられるようになった! 反射的に遠ざかることも強張ることも日が経つごとになくなっていった! “遺産”の影は少しずつ薄れて、あの子は今日、自分から手を取れるようになりたいと…………いつか私たちの手を握ってお礼を言いたいと、そう言えるようになったんです!」
正当性など欠片も無い。正しいのはあちらで間違っているのはこちら。
困らせるだけの感情論だと自分が一番わかっている。
それでも。…………それでも。
「─────私は、あの子に手を伸ばしたんです…………!」
深く、頭を下げ続けた。
そうすることしかできなかった。
メビウスは無言。痛いほどの静寂が部屋を満たす。
秒針が動く小さな音が響く中─────ぽん、と九十九の背が叩かれた。
「『安心しなよ九十九ちゃん。
カツリと足を揃える音。
続く声は先程よりも低いところから聞こえた。
「僕からもお願いします。なのちゃんを助けに行かせてください」
「わっ、私もです!」
足音が続く。
「あの子を大切に思ってるのは九十九さんだけじゃありません! 私をお姉ちゃんって呼んでくれて、まるで妹みたいで…………。妹を見殺しにするのは、嫌です! だからっ、お願いします!!」
ふわふわの金髪が床に垂れた。
「俺からも。この頭に大した価値が無いってのはわかってるけど、それでも、お願いします」
低い位置で銀髪が止まった。
「ポジティブに考えれば白銀くんの言った通り全てが上手くいく行動ですよ。『夢の卵』を確保でき、民間人を巻き添えにせず済む。ついでに可哀相な女の子も助けられる。……というわけで、私からもお願いします」
飄々とした真剣な声が下がった。
「………………………………」
四つの頭が隣に並んでいる。
視界が滲むのを九十九は堪えた。
まだ決まったわけではない。
なのに付けられたマーキングを知らない以上、場所を聞かなければ独断で救出に向かうこともできはしない。
結局のところメビウスの同意が無い限りはどうしようもないのだ。
「………………………………」
心臓の音がうるさい。緊張で手足が痺れる。
どうか伝わってくれと、何にかもわからず祈り続けて。
「………………………………クライン」
びくりと肩が跳ねた。
「
「…………え?」
「はい。支部には戻っていないようですね」
「そう。困ったわね、
「…………!」
顔を上げる。
名取の支部長はわざとらしい声でそんなことを言い、明後日の方を向いていた。
隣の四人と顔を合わせ頷き合う。
「ありがとうございます!」と言いかけた口を閉じ、もう一度深々と頭を下げ五人は支部長室を飛び出した。
▼▼▼
「状況を整理する」
支部の廊下を歩きながら九十九は四人に語り掛けた。
「今から127分後、なのの半径15kmに『天の火』が発射される。私たちの目的はそれまでになのを救出し、『天の火』の発射を止めさせること。目的地までは私がディメンジョンゲートを開く」
私室の端末を操作し、メビウスから聞いた町の地図と座標を表示する。
舞戸市というそれなりに栄えた町。その市街地の片隅に製薬施設が存在していた。
「敵組織に突っ込むことになる。危険性は言うまでもない。覚悟は」
「「「「『問題なし!』」」」」
「うん」
時間は無く、入念な準備をする余裕も無い。
敵の組織に潜入どころか侵入し127分以内に身柄を取り返すという、平時なら笑い飛ばすような蛮行。
しかしそれでも、五人のオーヴァードには恐れも怯えも浮かばない。
「それじゃあ─────行くよ!」
そうして、死地への扉が開かれた。