怪文書置き場   作:ジャーム先輩

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劇場版ダブルクロス⑦

ディメンジョンゲートの反応を気取られないよう、座標は少し離れた位置に設定した。

転移したのち全力で走る。

そうして入り込んだ建物の先には、外観と全く異なる空間が広がっていた。

 

「広いね、それに入り組んでいる。まるで迷路だ」

「『領域を広げてみたけど探り切れないな。これ、2kmや3kmじゃきかないぜ』」

「壁を壊して進みますか?」

「んー……」

 

凛が手近な壁に刀を振るう。

堅い音が響き、壁には傷が刻まれた。

 

「壊せなくはないけど、エフェクト混ぜなきゃ無理かな。広さがわからないから壊し続けるってなると侵食率が怖い」

「そもそも私達はなのちゃんがどこにいるかわからないから。道なりに進むしかないと思う」

「了解です。それじゃあ急ぎましょう!」

 

こくりと頷き、オーヴァード達は先へと続く道を走り出した。

幅は五人が並んで走れる程度。そう狭いわけではないが硬質な壁が圧迫感を与えてくる。

 

「…………敵、来ませんね」

 

曲がり角の多い通路を突き進む中、こばとが怪訝そうに呟いた

 

「セルに侵入するわけですから、たくさんの敵が襲ってくると思ってたんですけど」

「そうだね。こちらも警戒していたが、どうやら隠れているわけでもなさそうだ。私たちが来たことには気づいているはずだが……」

「…………あの《女王》の言っていたことが本当なら、自然だと思う」

「どういうことだい?」

 

道は長く、敵影はない。

走るスピードを緩めぬまま九十九は己の思考を口にした。

 

「『夢の卵』を継承し、支配者になる。これが《女王》の語っていた目的だけど…………本当にその気なら、『夢の卵』の存在はできるだけ隠しておく必要があるから」

「……なるほど、確かに。『夢の卵』という弩級の“遺産”、ましてやそれを継承する手段があると広まれば、間違いなく彼女よりも上の存在がそれを手にしようとするだろうね」

「実際、なのちゃんに『夢の卵』が発現したのは半年前だけど、FHの動向や戦力の急激な変化は確認されていない。《女王》が『夢の卵』の存在を隠し通していたのは間違いないと思う」

「つまり、このセルの構成員は元々少ないっていうことですか?」

「あるいは処分されたか。なのちゃんの話では研究員もいたらしいけど、準備は整ったっていう発言からしてそれすら始末していてもおかしくない」

「『そんなおっかない女王様に付き従うのがあの四人ってわけね』」

 

話の間も彼女たちは走り続けている。

常人とは比べ物にならない速度だと言うのに変わり映えのしない通路が続いていた。

 

「……『天の火』の発射まであと何分だ?」

「119分。……急ごう」

「『いいや。どうやらそう簡単にはいかないみたいだぜ』」

 

球磨川の視線、通路の先には扉があった。

オルクスでもあるその男が扉の先に何かを()()いる。

 

五人はそれぞれの武装を確かめ、その扉を開けた。

 

 

「……………………来た、か」

 

 

扉の先には開けた空間が広がっていた。

身を隠せるような障害物も軽い小物も無いただ広いだけの空間。

その奥には五人が入ってきたものと同じ扉があり、その前に一人の城塞が立っていた。

 

全身甲冑に身を包み、分厚い大楯を構えた大男─────《城兵(ルーク)》と呼ばれたジャーム。

 

「一人だけ? 足止めのつもりかな」

「とはいえあの装甲に楯…………倒すのは厄介そうだ」

 

立ち塞がる《城兵》を観察する。

つい数時間前と同じく全身防備のその姿にはおよそ隙と呼べるものが無かった。

 

「…………お前達を、通すわけには」

 

低いバリトン。

それを遮り、殺意に塗れた金属音が轟いた。

 

楯に突き刺さるのは大振りの螺子。

武器には不適なそれらを十指に、学生服が翻る。

 

「また、お前か」

「『あれ? どこかで会ったっけ?』」

 

バロール / オルクス。《始まりの過負荷(マイナス)》球磨川禊。

 

「援護するぞ!」

「「「了解!」」」

 

飛び出した球磨川を援護するべく腰を沈める。

その行く先を阻むように、彼女たちの足元に螺子が突き刺さった。

 

「ッ、? 《過負荷》、何を……」

「『こっちじゃないだろ』」

 

《城兵》と対峙したまま短く告げる。

その指は奥へと続く扉を指していた。

 

「君、まさか残る気か? 全員で戦った方が……」

「『まさかはこっちの台詞だぜ。君たちまさか、時間内になのちゃんを取り返せばいいだなんて思ってねーよな? それはあくまで『天の火』のリミットであって『夢の卵』を取り出される時間じゃないんだぜ』」

 

視線は敵から逸らさぬまま、背後の四人に語り掛ける。

 

「『『夢の卵』を取られたなのちゃんがどうなるかは知らないけど状況がもっと悪くなるのは間違いない。僕たちは制限時間にかかわらず、一刻も早くなのちゃんのもとに辿り着かなきゃいけないんだ。まあ要するに……』」

 

「『僕に任せて先に行きな』」

 

鋭い目付きは背後に隠し、彼お馴染みの飄々とした声でそう言った。

 

僅かに息を呑む音がした後、四人分の足音が球磨川の後ろを駆けていく。

それを阻もうとした《城兵》は構えられた螺子によって止められた。

 

足音が遠のき消えていく。

ややあって兜が傾き、低い声が発せられた。

 

「なぜ、お前が残った。相性がいいとは、思えんが。意趣返しの、つもりか?」

「『意趣返し? まさか! 僕がそんな器の大きいやつに見えるかい?」」

 

自ら死地に残ったとは思えないケロリとした顔。

別人のような豹変に兜の奥で眉を顰めて《城兵》が尋ねた。

 

「…………では、なぜ?」

「『一回言ってみたかったんだよ、さっきの台詞。2回目以降が「ここは任せて先に行け」とか言ってもなんか微妙でしょ? ここで待ってたのが誰だろうと僕が残ってたさ』」

 

どこまでも軽い言葉。

問答の価値は無いと大楯を構えて。

 

「『ただまあ、それはそれとして─────』」

 

 

「『─────やり返さなくちゃ気が済まねーだろ』」

「…………思った通りの、理由だったな」

 

 

▼▼▼

 

 

「センパイ、あと何分!?」

「114分」

「ああもうなんでこんなに長いんだよこの廊下!」

 

広間を抜けた先に続いていたのは、今まで通って来たものと変わりのない通路だった。球磨川がここにいれば「『手抜き工事にも程があるぜ』」と笑っていたことだろう。

そんな廊下を全速力で走ること5分、進んだ距離は数km以上。この空間が異常に拡張されていることは間違いなかった。

 

そうして進む中、エンジェルハィロゥ故の視力を持つ九十九が真っ先に気付く。

 

「もうすぐ突き当りになる。構えて」

 

廊下の先にはまたしても扉。

各々は武装を確認し、勢いのまま扉を開けた。

 

 

「お待ちしておりました」

 

 

そこにあったのは先程と同様、広大で何も無い部屋。

次へと続く扉の前には同じく一人が立ちはだかっている。

 

十字の長槍を傍に持ち、恭しく長身痩躯を折り曲げた男─────《騎士(ナイト)》と呼ばれたジャーム。

 

「ごきげんよう、ダブルクロスの皆様。遠路はるばるお越しいただいたところ申し訳ありませんが、我が《女王》の命により……」

 

刀が言葉を遮った。

一陣の風を残し十字の槍と鍔競り合うのはこの場における神速の担い手(スピードスター)

 

「だから話がなげーって」

「相も変わらず好戦的だ」

 

ハヌマーン / エグザイル。《銀風(ぎんかぜ)》白銀凛。

 

「素晴らしい心意気だ、余程あの少女を救いたいと見えます。ご覧の通り先へ続く扉は我が後ろにございます。ですが…………我が身がここに立つ限り、貴方達を先へは通しませんよ」

「ふうん?」

 

競り合う体を弾き飛ばさんと槍に力が籠る。その瞬間に刀から力が抜けた。

《騎士》のバランスは崩れない。だが視界から剣士が消える。

己を見失った相手の体へ、限界まで身を沈めた凛が返した峰を振り抜いた。

 

「っ!」

「行ってセンパイ達。なののこと、お願い」

 

槍を挟んだが《騎士》の体は側方へ吹き飛ばされた。

扉を守るように凛が立ち、その後ろを三人が駆け抜けていく。

 

「行かせるとでも!」

「行かせない、つってんだよ」

 

立ちはだかる凛へ十字の穂先が降りかかる。

斬撃を超える刺突の雨を前にして、けれど後ろへは通せない。

裂創が連なり、血霞が舞って、そしてついに背後の足音が届く距離を超えていった。

 

「………………………………」

「いいの? 落ち着いちゃって」

「無念で張り裂けんばかりですとも。ですが足止めが叶わぬのなら確実な始末を。彼女達は貴方を下してから追いかけましょう」

「こっちの台詞だばーか」

 

《騎士》が槍を構え直す。

応じて凛も刀を向けた。

 

「……日本刀、ですか。軽く、しなやかで、取り回しも良い。優れた武器と言えるでしょう。ですが…………最高の武器ではない」

「あ?」

「『剣術三倍段』をご存知ですか?」

 

十字の槍がかざされる。

 

「素手で刀を持った相手に勝つには三倍の力量が必要。槍を持った相手に勝つには九倍の力量が必要。刀を使う貴方が槍を使う当方に勝つには当方の三倍の力量が要るわけですが…………貴方にはその自信がおありで?」

「勿論ご存知だけど。それを使ってあーだのこーだの言う奴にはこう返せって言われてるんだよね」

 

チキリと刀が音を鳴らした。

 

 

「─────たった三倍でいいの?」

「はは。口の減らない子だ─────!」

 

 

▼▼▼

 

 

「残り、108分、です!」

「既に半分は通過したと思いたいが……先が見えないというのは思いの外キツいイものだね」

 

突入した時点から19分が経過し、五人の内二人が離脱した。

状況は良いとは言えない。だが球磨川が言った通り、一刻も早くなのの下に辿り着かなければならなかった。

 

「それにしても……ここまでで出てきたのがあの《城兵》と《騎士》のみということは、やはりこのセルにあのとき襲撃してきた五人以外の敵はいないと見てよさそうだね」

「だとしたら残っているのは《女王》と……」

「私と豊国さんが戦った、《僧兵(ビショップ)》と《兵士(ポーン)》ですね」

 

袈裟を纏った老人と分裂する少年。

九十九は初動でなのを連れて離脱したため、その二人についてはよく観察できていなかった。

 

「どういう能力だったの?」

「《僧兵》は暗器使いだね。そしておそらくはブラックドッグだ。袈裟に忍ばせた武器を電磁力で操っている……あの殺傷能力と避けづらさはかなり危険だった。暗器の速度を見るに、もしかしたらハヌマーンも宿しているかもしれない」

「《兵士》は、その、九十九さんも見た通り、分裂する能力みたいでした。どういうシンドロームでそうなっているのかはわからないんですけど、私たちが戦っていたときには10人以上になっていたと思います」

「ある程度やりあったところで退いていったが…………あのまま戦闘が続いていたら、生き残れた自信は無いな」

「……………………」

 

変わり映えしない通路を疾走しながら話を聞く。どうやら彼女たちが対峙した二者はかなりの強者だったらしい。

実際、九十九が交戦した《女王》も相当な使い手だった。九十九の体を粉砕した鞭に込められた尋常でないレネゲイドを思い返す。

…………やはり、彼女たちは…………。

 

「九十九さん?」

「おーい、聞いているかい?」

「っ、ごめんなさい、何?」

「だからさ、担当する相手を決めないかって話だ」

 

両隣の声が九十九を思考の淵から引き戻した。

見れば豊国が五本の指を立てている。

 

「《城兵》と《騎士》は球磨川くんと凛くんが対処した。本当はそれも含めて事前に相談しておきたかったが、敵が一人ずつ待ち構えているとは予想できなかったから仕方ない。で、残るは《僧兵》《兵士》《女王》だが、彼らの能力はある程度割れているだろう? だから接敵する前に相性の良い相手を選ぼうっていうわけさ」

 

五本の内二本を折り曲げた。残るは三本、自分たちと同じ数。

 

豊国の提案はある意味当然のものだった。勝率を上げるためには相性の良い敵とぶつかるべきだ。

九十九が頷くのを見て豊国は話を続ける。

 

「もちろんこれは残りの敵が一人ずつ出てくる場合の話だが、そうなる可能性は高いと思う。当然100%有利な組み合わせは無いが戦いやすい相手はいるはずだ。その意味で言えば私はあの」

 

()()()()()

 

吹き飛ぶ瓦礫と破壊音に紛れた、微かな、風切り音。

数多の殺意が飛来して─────

 

「動くな!!」

 

例外なしに地に伏した。

隙間を知らぬ殺意の具現を撃ち堕としたのは重力の申し子たる複製体。

 

「待ちきれなかったかい? 御老人」

「ひひ。手頃な肉がやって来るとあってはの」

 

バロール。《C.C.C》豊国氷華。

 

豊国が開いた空洞を睨みつける。

しわがれた声と共に人影が進み出た。

 

手元を袈裟で覆い隠し、皴まみれの顔を歪める老人─────《僧兵》と呼ばれたジャーム。

 

「まさかそちらから襲い掛かって来るとはね。てっきりあなた達は待ち構えているものだと思っていたが」

「老人に待てとは酷な物言いよ。刻みとうて刻みとうてたまらんというのに」

「年甲斐が無いとはこのことだな。…………ほら君たち、何してるんだい? 早く先に進みなさい」

 

吊り下げていた銃を握り、豊国は二人に背を向けた。

 

「安心したまえよ。元々私は、この老人とやりあうつもりだったんだから」

「「……………………!」」

 

この局面において逡巡は無かった。

九十九とこばとは豊国を置き、一気にその場を駆け抜ける。

 

それに歯止めをかける音が一つ。

 

「獲物を逃がす程満ち足りてはおらんぞ」

 

風切り音。《僧兵》が隠された手を振るう。

これまでの二者とは異なり《僧兵》の射程は至近でない。

極小の暗器が空気を切り裂いて走り去る背中を的にする。

 

「《トリックルーム》」

 

そして今までと異なるのはなにも《僧兵》だけではない。

展開された異常重力が飛び行く暗器を縫い留めた。

 

「丁寧に説明したつもりだが分からなかったかな。()()()()()()()()()と、そう言っているんだよ」

「……なるほどのう。夕刻ではわざと隠しておったか」

「引き留められれば十分だったからね。とはいえ今はそうもいかない。滅多に見せないとっておきだ、どうかせいぜい喜んでくれ」

 

豊国氷華。またの通称を秘密兵器(トイボックス)

 

 

「若者が相手をしてあげるんだ。足るを知りなよおじいちゃん」

「唆るのう。しからば頼むぞ満たしておくれよお嬢ちゃん!!」

 

 

▼▼▼

 

 

「…………残り、103分」

 

無人の通路を疾走しながら九十九が端末を見る。

刻々とタイムリミットが近づく中で、けれど九十九とこばとは焦りが薄れていくのを感じていた。

 

それは二人が察知したからだ。

片や重力による偏差把握、片や空間に宿る熱感知、自らの能力による勘という形で……終着点が近づいていることを。

 

「九十九さん。次は私が残ります」

 

隣を走るこばとが前を向いたままそう告げた。

幼い横顔にはそれに見合わぬ決意が宿されていた。

 

「……大丈夫なの? 次に出てくるのが《兵士》だとして、彼は、男……だったけど……」

 

無粋とわかっていてもそう問わずにはいられなかった。

 

九十九はこばとの過去を知らない。だが彼女が男性に対して苦手意識を……恐怖を抱いているのは薄々理解していたから。

 

「大丈夫です」

 

だから九十九は、その声音に揺らぎが無かったことに少なからず驚いた。

 

「もし相手が《兵士》じゃなくても。待っているのがどんな相手でも私が残ります。相性とか勝率とかそういうのじゃなくて、私は…………誰か一人が行くのなら、それは九十九さんじゃなきゃいけないと思うんです」

「……………………。わかった」

 

それきり会話は無かった。

 

勝利条件を考え、《城兵》を引き留めた球磨川。

作戦方針を繋ぎ、《騎士》を引き留めた凛。

救出成功を求め、《僧兵》を引き留めた豊国。

そして胸に抱く何かのため《兵士》を引き留めるこばと。

 

想いを託し、それを仕舞い、そうして二人は現れた扉へ手をかけた。

 

 

「やあ! いらっしゃい」

 

 

待ち受けていたのは一人の少年。

小さな体躯に幼い容姿、それに適わぬ邪悪を帯びる─────《兵士》と呼ばれたジャーム。

 

「通路はあっちだよ。女王様の部屋までもう少しだから頑張って!」

 

《兵士》は朗らかな笑みを浮かべ、横手の扉を指さした。

ニコニコと笑うその様子からは足止めの気概を感じられない。

 

「……止めないの?」

「うん。きみたち二人を止めるのは簡単なんだけど、それじゃつまんないでしょ? だから一人を残せばもう一人は通してあげる! もちろん─────」

 

「「残った方は、きっと酷い目を見ると思うけど」」

 

声が重なり、《兵士》の背に重なるようにして全く同じ姿の少年が現れた。

それは三人に、さらに四人に。

姿形の等しい子供が揃って歪に笑っていた。

 

そんなおぞましさに満ちた空間へ凛としたソプラノが響き渡る。

 

「行ってください、九十九さん。なのちゃんのこと……絶対に助けてあげてください」

 

もしもこの場に四葩こばとをよく知る者がいれば、きっと息を呑んだことだろう。

その双眼に宿っていたのは、確かな。

 

「任せて」

 

応えて、九十九はその場を後にした。

扉を超えた足音は徐々に小さくなっていき、その間《兵士》は宣言通りに何もしなかった。

 

足音が消えたことに頷き、《兵士》達がこばとに向き直る。

一人残された獲物を嗤おうとして、そうして彼らは一様にきょとんとした顔を浮かべた。

 

「あれ……夕方みたいに怖がらないの? きみ男が怖いんでしょ?」

「怖いよ。でも、今はそんなことどうでもいい」

 

おかしいな、と《兵士》は思った。

この閉鎖空間に男と一対一で残されれば、このおもちゃはきっと面白い顔をしてくれると思ったのだが。

 

平気なフリをしているのだろうか? それならばおどかしてやろうと《兵士》の一人が近づき、その体が溶け落ちた。

 

「本当は、私もなのちゃんの気持ちがわかるの。暗くて痛くて怖い場所にいて、そこから暖かいところへ引き上げられたなのちゃんを…………あなたたちはもう一度引きずり込んだ」

 

動かぬままに少女の姿が揺らめいた。

小さな体が大きく見えたのは融点を超える程に熱された空気の証。

 

「─────初めてだよ」

 

サラマンダー。《オルテンシア》四葩こばと。

 

 

「恐怖なんてどうでもいいくらい、今の私は怒ってる……!」

「いいねえとっても面白い。だったら君も引きずり込もう!」

 

 

▼▼▼

 

 

九十九華宵は疾走する。

『夢の卵』を渡さぬため。『天の火』を止めるため。託された想いに応えるため。─────届かなかった手を、今度こそ届かせるため。

 

長い階段を駆け上り、そして、最後の扉を開け放った。

 

 

真っ先に感じたのはそこに染みついた鉄錆の臭いだった。

無機質な冷たい部屋。デスクに散りばめられた資料。用途の分からない機材。

 

 

部屋の奥で背を向ける《女王》と、壁に繋がれ腹部を血で染めた少女。

 

 

「─────なのちゃん!!」

「…………お……姉ちゃ、ん……?」

 

虹色の瞳が九十九を視た。

大きな眼にはぼたぼたと雫が溢れていた。

 

「……チッ……奴らは何をしている。まだ調整中だというのに」

 

刺に満ちた声。

その主はなのの体から茨を抜き、忌々し気に振り返った。

 

「その子に何をしてる……!」

「喚くな、ただの調教だ。…………ああだが、貴様が近寄るのなら『手が滑って』しまうかもしれんな」

「っ」

 

《女王》が赤く染まった茨をこれ見よがしに舐め取った。

入口で止まったまま努めて息を吐き、九十九は頭を切り替える。

まずやるべきは《女王》をなのから離すこと。

 

「あれだけ言っていたのに、まだ『夢の卵』を継承できていないんだね」

「時間の問題だ。貴様の案ずることではない」

「そう。でも、あなたの望みは叶わない。もうすぐここに……」

「『天の火』が撃ち込まれるのだろう?」

 

言葉が被せられる。

 

「UGNが保有する最大規模の兵器だぞ。その動きも察知できんような間抜けだとでも?」

「だったらわかるはず。あと100分で周囲15kmは焼き払われる。あなたが生き残る道は一つだけ…………なのを私たちに返すこと」

「交渉のつもりか? 話にならんな」

 

茨を手にしたまま《女王》はつまらなさそうに鼻を鳴らした。

 

「衛星軌道上のレーザー兵器。最大出力300000kwの広域破壊砲。なるほど確かに放たれればひとたまりもないだろう。だが忘れたか? ワタシが今何を手にしようとしているか」

「……………………」

「『夢の卵』の継承者となれば、増大するレネゲイドの幅は力に与る有象無象の比ではない。この地に向けて『天の火』が撃たれようとワタシが生き残ることなど造作もない!」

「……まだ引き継げてもいないのに随分自信満々だね。皮算用が過ぎると思うけど」

「当然、上昇する力の試算は済ませている。そもそも貴様らが来る前に『夢の卵』の継承は済んでいるはずだったのだ…………この娘が理論も理解していないくせに抵抗したせいで遅くなっているがな。それでもあと1時間はかかるまい」

 

「むしろ要求を呑むべきは貴様の方だぞ」と尖った目が九十九に向けられる。

 

「今ならばまだ『天の火』の範囲内から逃れることはできよう。無為に命を散らすこともあるまい」

「何が言いたいの」

「わからんか? ()()()()()()と言っているのだ」

「……………………」

 

息を吐く。

身に宿るレネゲイドを確かめる。既に準備は整っていた。

 

「もし、その要求を受け入れて。あなたが『夢の卵』を継承したとして、なのちゃんはどうなるの」

「またそれか。この娘がそれほど大事か? 奥底に結びついたものを失って生きているはずがないだろう」

 

呆れた声で《女王》はそう宣った。

 

「貴様らがこれに執心しているのはわかった。亡骸が欲しいならば後でくれてやる。さっさと」

 

頬の横でレネゲイドが膨れ上がった。

 

飛び退ったその身に光の束が一筋の傷を残した。

 

「もういいよ。初めからあなたと話をしようとは思ってない」

 

入口に立っていた姿が揺らいで消える。

不可視の特権で不意を撃ってきた女は、《女王》を遮るようにして囚われの少女の前に立っていた。

 

「……ごめんね、遅くなって。今度こそあなたを守るから」

「ぉ、お姉ちゃ」

 

壁と繋ぐ手錠を撃ち抜いて小さな頭をそっと撫でる。

腹部の裂傷以外にも細かい傷が増えていた。きっとこの子は恐怖を堪えて抵抗してくれていたのだろう。

長く話す余裕は無かったからもう一度だけ撫でて、不安気な眼にできる限りの笑顔を返す。

 

振り向いた時には、その眼は既に敵対者に向けるものに移っていた。

 

「…………どこまでも余計な手間を増やしてくれる」

「それはごめんなさい。でももうそんな心配はしなくていい」

 

漆黒の銃が牙を鳴らす。

 

 

「あなたの野望はここで終わるから」

「笑わせる。終わるのはその無為な抵抗だ!」

 

 

▼▼▼

 

 

咆哮と同時、茨の鞭が九十九に襲い掛かった。

姿勢を下げつつ横へ飛ぶ。頭上を薙ぐ爆風と血臭。

振るわれた鞭はガリガリと壁を削り、しかしなのの周辺を傷つけることはなかった。

 

「(……やっぱり。()()()()()()()()()()()()()()()()んだ)」

 

『夢の卵』の継承がどのような方法で行われるのかはわからない。

だが刺創は血管を傷つけず、なのの周囲への攻撃は意図的に避けられている。そして何より、殺して済むならこいつはとっくに殺していた。

 

庇う必要が無いのであれば、当然戦い方は変化する。

 

「もう一度その血を啜ってくれよう!」

 

なのから離れたところで九十九が不意に動きを止めた。

腹部を抑える獲物を緑の鞭が捕捉する。

そうして肉を裂こうとした瞬間、九十九の姿が消え去った。

 

「ッ」

 

飛来した光が《女王》の身を掠めた。

僅かにズレた位置で姿を現す銃を構えたオーヴァード。

 

その位置へ鞭を振るえば再び消え、反撃の光が飛んで来る。

光を操るエンジェルハィロゥ。戦闘の中でも自在に纏う不可視の衣。

 

「……くだらぬな」

 

三度鞭刃が振るわれる。

それに合わせて行われる『夜の小鳥』による透明化。

狙いを見失った鞭が動きを止め……転換した棘刃が九十九の腕を削り取った。

 

「所詮はただの不可視であろう。ワタシの領域の中で隠れられるとでも思ったのか? そら─────!」

 

九十九の推測通り、《女王》はブラム=ストーカーとオルクスのクロスブリードである。

そしてオルクスたる彼女にとってこの一室は己の領域。

 

つまるところ九十九が見せた能力は単純な透明化に過ぎない。

姿を消した地点から動ける範囲はたかが知れている。絞り込んだ範囲の領域知覚で浮かび上がるのは隠れたつもりの滑稽な獲物だ。

ほんの一手を加えるだけで、その能力は無意味な手品に成り下がる。

 

捉えきった的へ向けて嗜虐に満ちた鞭が襲い掛かり。

 

「《夢幻泡影(ライフ・ライク・ファントム)》」

「─────ッ!?」

 

()()()()放たれた光が《女王》の肩を撃ち抜いた。

 

「(馬鹿な、動いた気配は……)」

 

驚く頭とは裏腹に背後のオーヴァードへ鞭を振るう。

姿が消える、周囲に領域知覚を走らせる。

 

再び放たれる、見当違いの位置からの光。

 

「そうか、貴様─────バロールか!」

 

返事は無く、代わりにまたしても異なる位置から攻撃が撃ち込まれる。

それらを鞭で防ぎながら《女王》は顔を歪めた。

 

最初のように限定的な範囲の領域知覚であれば十分に対処が間に合う。

だが相手はバロールで……おそらくは不可視のままにこの空間を飛び回っている。この部屋という範囲全体に領域知覚を行ったところでとても攻撃までは追いつかない。

 

不可視かつ捕捉できない射撃手。

苦々しい舌打ちの音が響いた。

 

「煩わしい」

「っ」

 

《女王》へ光が放たれ、それと同時に現れた姿へ鞭刃が伸びた。

九十九は寸前でそれを避け、《女王》は攻撃を受け止めた左腕を見やる。

 

「侮っていたことを認めよう。貴様はそれなりに面倒な手合いだ。面倒なだけ、だが」

「もう勝ったつもりなの? 衝動が油断だったりするのかな」

「囀るな。それとも言わねば認められんか? 貴様の不可視は攻撃の直後に途切れる。回避を捨てて反撃に転じれば捉えることは難しくない」

「……………………」

「故にこれより始まるのは貴様が避けきれなくなるまでの消耗戦だ。つまらぬ幕切れが待つばかりの、な」

 

唇を歪めて《女王》が鞭を握る。

九十九は沈黙して…………小さく笑った。

 

「……なんだ? 気がふれたか」

「ううん。ただ……よかった、って思って」

 

側方からのレネゲイド。

腕で弾く《女王》と、反撃を躱す九十九。

 

「私もわかってきたよ。あなたはもう、『夢の卵』の恩恵を受けている」

「……何のことだ?」

「あなたの振るうレネゲイドには『夢の卵』のものが混じっていた。あなたは……ううん、あなた達は既に『夢の卵』による強化を済ませているんでしょ?」

 

攻撃が止む。

《女王》は静かに敵対者を睨みつける。

 

「ここに来る中で懸念していたのは、なのちゃんの無事と、あなたたちがまだ『夢の卵』を使っていない可能性だった。襲撃の時に見た力にまだ上があるとすれば、戦力差は絶望的だったから」

「……………………」

「だから、安心した」

 

チルドレンが壮絶に笑う。

その眼に秘められたのは覚悟と決意。

 

「あなた達がこの程度で」

 

再び巻き起こる攻撃と反撃。

迫る茨を紙一重で躱し、あるいは薄く抉り取られ、それでもそのチルドレンは止まろうとしなかった。

 

言うまでもなく、これは九十九華宵が極めて不利な攻防である。

九十九の射撃は命中するが大きな痛手にはなっていない。対して《女王》の鞭が一度当たれば九十九は戦闘不能に陥るだろう。その後に待っている結末は一つだけ。

 

そんな気の狂うような戦いへ、このオーヴァードは身を投じたのだ。

 

「ああ」

 

その身を駆り立てるのは、きっと壁際で伏す少女への想いなのだろう。

何がそこまで大事なのかはわからないが、それでもその想いが本物と呼ばれるものであることは《女王》にもわかった。

真実その想いによって、この死地へとやって来たのだ。

 

「本当に」

 

そんな─────くだらない理由で。

 

 

「哀れなほどに価値の無い」

 

 

不可視の九十九を鞭が薙ぎ払った。

 

「が…………っ!?」

「賢くも賢しくもない、小賢しいというのが相応しい。本当に滑稽な娘だ」

 

不可視の衣は解いていない。九十九が銃を撃つ前に鞭が襲い掛かって来た。

必死に抉れた体を修復しながら向けた視線の先。

 

《女王》の体を黒色の光が奔っていた。

 

「う、あ゛ぃっ゛、あ゛ぁぁぁ゛ぁああ゛…………っ゛!!!」

「なのちゃん!?」

「私たちが『夢の卵』を使ったと考えていたなら─────『夢の卵』の強化にも手を出しているとは思わなかったのか?」

 

壁際から悲鳴が聞こえた。

九十九がそちらを振り返れば、落ち着いていたはずのなのが頭を押さえてうずくまっている。

その虹色の瞳は尋常でないレネゲイドを纏い、破れた毛細血管が血を流していた。

 

「ああ付け加えよう、この強化はワタシの下僕共にも施している。救援が来るとは思わぬ方が良いぞ」

 

ニタニタと、醜悪なほどの嗜虐で満ちた笑いがあった。

 

「貴様を殺せばこの娘の抵抗も解けるだろう。…………おっとそうだ、一つ聞いておかねばな」

 

目で見える量のレネゲイドを纏って、《女王》の口が邪悪に歪む。

 

 

「貴様の言う『絶望的な戦力差』だが…………気分はどうだ?」

 

 

 

「………………………………上等」

 

 

 

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