怪文書置き場 作:ジャーム先輩
「───────────────は?」
行けなくなったとだけ告げて、それきり通信は途絶えた。
何かの冗談か? 建物の周囲を探っても“マスターレイス”の姿は見えない。
来ない? 何故? レネゲイドの強化という見過ごすことのできない餌で釣ったのに?
疑問符が《女王》の頭を埋め尽くして、棒立ちの体に光弾が撃ち込まれた。
「ッ…………!」
痛手には程遠い。
だが僅かに付いた傷跡と鬱陶しく跳び回る様が《女王》の心を苛立たせた。
「邪魔だ……ッ」
不可視の姿へ鞭を振り回す。
茨が確かな傷を刻み、だが致命傷には至っていない。あちこちに飛び散る血液がそれを示している。
単純にこの邪魔者が異様に上手く避けているのと、もう一つ。
「(おのれ、あの愚図どもめ……! 相打ちにすら持ち込めなかったのか!!)」
最奥に向かってくるオーヴァード共を阻むため、《女王》が迷宮の操作に意識を割いているからだ。
道を歪め、遠ざけ、あるいは操って侵入者の排除を試みる。
それらの妨害を打ち砕きながら四人の侵入者は真っすぐにこちらへ向かって来ていた。
「(この速度では10分程度で奴らが来る! それまでにこの小娘を排除して『夢の卵』の調整を終えねば……!)」
《女王》のみが知る『夢の卵』の継承方法。
それは、現在の継承者とパスを繋いだ状態で継承者を殺すことだ。
継承者と《女王》とでレネゲイドを繋ぎ、『夢の卵』に《女王》が継承者と同一人物であると認識させる。
そのうえで継承者を殺害すれば、『夢の卵』は継承者が死んだことに気付かず繋がった人物の体へ宿り、《女王》が『夢の卵』の継承者となる。
“遺産継承者”がオーヴァードであれば、そもそもこのパスを結ぶこと自体ができない。
異なるレネゲイドを持つ者同士を同一人物と認識させることは不可能だからだ。
だからこそ、『夢の卵』を継承したにもかかわらず非オーヴァードであるなのの存在は、まさに奇跡に等しいものだった。
だがこの“パス”を繋ぐことには、ひどく高度な調整が必要なのだ。
「(パスの構築にはレネゲイドだけでなく精神的な要因が複雑に絡み合う。あの小娘が素直に折れていればとっくに継承は済んでいたものを……!!)」
精神的な同調など最初から期待してはいない。
そのためにそういった要素を整えられる手筈を用意したというのに、なのが思いの外抵抗を見せたせいでパスが繋がり切る前に乱入を許してしまった。
「(あと10分、あと10分で……)」
間に合うか?
あと10分で、パスを完全に構築することができるか?
いや、それ以前に。
「《夢幻泡影》」
「~~~~~~~~~~ッ!!」
この鬱陶しい邪魔者を殺しきることができるか?
もしもパスの構築どころか殺しきる前に増援が到着した場合はどうなる。
5対1だ。『夢の卵』の強化を受けた自分が負けるとは思わないが、隙を見て『夢の卵』を持ち去られる可能性は十分にある。
もう一度『夢の卵』を得る機会が来るか?
いやそもそもこの企みが露見すれば、身内の怪物が粛清に来る可能性さえあるのではないか?
「迅く去ねぇッッ!!!」
血霞が舞って、けれど止まらない。
刻々と時の砂は落ちていく。
「(夢の卵、夢の卵、夢の卵ッ…………!!!)」
こんなにも近くにあるのに。
世界を支配できる力を手元に置いたのに。
『夢の卵』を継承すれば全てが覆るのだ。
邪魔な羽虫も、のこのことやって来た増援も、解放された『天の火』も問題にならない。
マスターレイスも、悪霊の主も、コードウェルでさえ《女王》の足下に跪く。
「う、うう゛……………………!」
そんな輝かしい未来が手に入るところだったのに。
今《女王》を待ち受けるのは全く正反対の未来で。
「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!」
そんなものを、《女王》は受け入れられなかった。
「───────────────は?」
《女王》の目がなのを見た。
鞭を握る手が霞む。
「え」
その切っ先は、なのを捉えていた。
九十九は『夢の卵』の継承方法を知らない。
《女王》が焦燥に駆られ、繋がりきっていないパスを頼りに『夢の卵』を継承する賭けに出たということなど知る由もない。
九十九が理解したのは、《女王》がなのを殺そうとしていること。
以前のような攻撃を当てるためのブラフではなく、正真正銘の殺意が、蹲る少女を襲おうとしていること。
オーヴァードさえ容易く千切る茨の鞭が、遠く離れたなのへ迫っている。
九十九華宵に選択肢など無かった。
ブヅッ
肉を貫く音が響いた。
ぼたぼたと血が落ちる。けれど、なのが覚悟した痛みは来なかった。
「……よ゛、かった…………。なの゛、ちゃん……無事……?」
「─────え」
彼女の大好きな人が立っていた。
腹を貫く鞭を握り締め、なのに届く寸前でそれは止まっていた。
「九十九、お姉ちゃん─────」
眼の痛みを無視して手を伸ばした。
赫に塗れた女性は僅かに目を見開いて、その手を優しく握り返した。
「ごめん、ね…………なの……ちゃ」
バヅン
緑の鞭がその体を両断した。
「──────────い」
立ち上がりは、しなかった。
「いやああああぁぁぁ!!! お姉ちゃん!! 九十九お姉ちゃんっ゛!!!!!」
「黙れ煩わしいッ!!!」
「あうっ!?」
怒号と共に《女王》がなのを殴りつけた。
眼下に転がる死体を踏みつけ、部屋の隅にある机の方へと速足で進む。
「ダブルクロス共が来る前に少しでもワタシと貴様のパスを強固にする! 無理矢理にでも心を開いてもらうぞッ!」
「う…………ぁ…………」
《女王》は机の物を搔き集めていた。今まで使わなかったリスクのある物も用いるのだろう。
なのにとってそんなことはどうでもよかった。
「お姉、ちゃん……………………」
握り返してくれた手が、少しずつ温度を失っていくのがわかった。
優しい人だった。大好きな人だった。
きっと話すのは得意ではない人で、それでも誠実に向き合ってくれる人だった。
辛い過去を抱えていて、けれどそのうえで大事に思ってくれる人だった。
初めて、なのを抱きしめてくれた人だった。
「九十九、お姉ちゃん」
『あなたがいつか、自分から誰かの手を握られるようになることを祈ってる』。あの遊園地で、九十九はなのにそう言ってくれた。
ふと手を見る。
なのが伸ばした手は、今もなお固く握られていた。
こんな。こんな形で叶えたかったわけではないのに。
虹色の眼から、赤色の混じった涙が落ちた。
「……………………………………………『ありがとう』なの。九十九お姉ちゃん」
──────────レネゲイドが噴き上がった。
「──────────」
背後で起きたあり得ない気配に、《女王》はゆっくりと振り返った。
「な」
死んだはずの娘が立ち上がっていることにではない。
「何、だ」
空いた大穴が塞がっていることにでもない。
「
─────いくつもの要因があった。
九十九華宵が同じく“遺産継承者”であったこと。『夜の小鳥』の適合が進み、複数の人格が九十九の体に馴染んでいたこと。
《女王》の調整によりなののパスが開かれていたこと。生命活動を停止し九十九のレネゲイドが霧散しかけていたこと。
長時間の戦闘によって部屋の中には九十九のレネゲイドも滞留していたこと。二人はお互いを大切に想っていたこと。
なのが九十九へ手を伸ばしたこと。伸ばされた手を、決して離さなかったこと。
それらを敢えて一言で言い表すならば─────
それはきっと、「想いの力」と呼ぶのだろう。
「…………そういえば、お互い名前も言ってなかったね」
呆然と見上げる少女の頭を撫で、それと同じ虹色の眼をした女が向き直った。
その体から放たれるレネゲイドは先程までの比ではなく。
それは《女王》が纏うものとも違う、清廉な色をしていた。
「あなた相手に礼儀が要るとは思わないけど…………名乗ろうか」
エンジェルハィロゥ / バロール。
遺産継承者:『夜の小鳥』、兼、『
「《
─────この子の夢は渡さない」
「《
その夢は─────ワタシの手にこそ相応しい!」