怪文書置き場 作:ジャーム先輩
「あっちもそろそろ終わる頃かいな」
世間話をするように呑気な声が零れる。
その声とは裏腹の、噎せ返るような血臭が広大な空間を満たしていた。
「一応言うけど《皇帝》が援護に来るとか期待せん方がええでー。あっちもあっちで相性最悪なのが担当しとるからな」
「……ほォ……」
血臭の源。
繰り返し受けた致命傷の数を示すように夥しい血を流すアネモネの姿がそこにあった。
「そりゃ気になるな。アイツは一体どンな風にボコられてるッてンだ?」
「“マスターレイス
「ハッ。確かに好き放題殴られてンのが目に浮かぶなァ」
「そんな可愛いもんちゃうやろけどな。……ちゅうか人の心配しとる場合かいな、アンタ?」
戦況は全く変わっていない。
傷一つ無い六条と、血に塗れたアネモネ。
絶対的な相性差に支えられた一方的な戦闘が続いていた。
「もうリザレクト使えんやろ。アンタらお得意の「大切な想い」なんかもそう何度は使えん。詰みやで。…………わかっとるやろに、何でわざわざ立ち上がるんかな」
死に体であるのに、それでも銃を手放す気配は無かった。
これまでアネモネが放ってきた攻撃は尽く従者に防がれている。致命的に相性が悪いとわかっているだろうに戦い続けることが……いや、そもそも戦おうとしたこと自体が六条にとって理解に苦しむ行為だった。
「《ハーモナイザー》が……チルドレンがそんなに大事かいな? よーわからんわ」
「ジャームにわかッてもらおうなんざ思ッてねェよ」
「ん? もしかして気付いてへんの?」
「アァ?」
「《ハーモナイザー》は何もそっちに被害だけもたらすわけちゃうやろ」
話の最中に飛んで来る銃弾は従者が防ぎ、赤色が世界を満たしていくのをゆっくりと待つ。
六条の話し癖はその能力故でもあったのかもしれない。
「チルドレン養成施設を狙うってわかるんやから、張り込む場所絞ればええねん。守る場所を半分に絞れば単純計算で戦力は2倍や。施設の半分を失って、そん代わりに襲撃に回した戦力の半分を失わせられる……損得で言えば悪ないやろ。むしろ戦力にならん奴らと引き換えに敵の戦力を削げるんやから効率はええわ」
「将来の戦力を失う意味も考えられねェ馬鹿か」
「施設にいる連中の何割が『戦力』になんねんっちゅう話や。ええとこ7割おるかおらんかの戦闘員志望の、その更に何割が実際に役に立つねん。その程度の数を失うのと引き換えなんやから、下手すりゃUGNの方が得するんちゃう?」
「………………………………」
刺すような殺気が六条に向けられる。
それでも“マスターレイス”がその程度で呑まれることはない。
「そもそも効率の話で言えばなあ、あんたらの組織の理念自体が論外やわ。『人間とオーヴァードの共存』? アホか、何でわざわざそんなことせなあかんねん。レネゲイドの秘匿だのなんだのやめて、とっとと人類全員オーヴァードにすればええやろ。一般人を遠ざけるためにどんだけリソース割いてんのや」
「………………………………」
「あーわかっとるよ。『覚醒すれば5割はジャームになる』とか『誰かの大切な人を失わせるわけにはいかない』とか言うんやろ? …………気にせなあかんか、それ? 必要な犠牲やん。そんなん考えるから効率───」
鳴り響いた銃声が長口上を止めた。
主を庇った従者と、その付近にいたもう一体が形を失う。
「ご高説ァもういいか?」
血塗れの体がゆらりと立ち上がった。
満身創痍の身だ。体を刻まれ、重傷を負って、けれど纏う空気が違っている。
「(攻撃の範囲を広げてきたか。まー問題にはならん。けど…………雰囲気が変わりよった)」
「悪ィな。あのバカならテメェの話に付き合ッてくれただろォが、あいにく俺はジャームとお話しするほど優しくねンだわ」
状況は変わっていない。依然として六条は圧倒的に優位な立場にいる。
それでも…………まるでそれが、思い違いだと錯覚してしまいそうな。
「(呑まれんな。戦法は変えん、これまで通り確実に《暗転》で……)」
「まァ待てよ、テメェの一人語りは十分聞いてやッただろ。ちッたァ俺にも喋らせろ」
「……なんや、そっちもお喋りかい」
好都合だ。時間は六条に味方する。
この間も赤色の濃度は増していき、ともすればあちらの戦闘を終えた後輩が援護に来る可能性も大きくなる。
…………そんなことはわかっているはずだが、血塗れの男は朗々と声を張り上げた。
「さて。長々と語ってくれたが、テメェはやたらと『効率』ッてモンがお好きなようだな。『無駄』が嫌いッて言い換えてもいいが…………少なくともそンなテメェが出向いてきたのは、俺たちに勝てると判断したからだ」
「……せやな。実際そうなっとるし。アンタも《皇帝》も、俺たちとは相性最悪や」
「ハッ。確かになァ。避けられねェ攻撃をしてくる従者使い、硬くて速くて力が強ェ白兵型、なるほど確かに相性が悪ィ。そこは間違ッちゃいねェよ」
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衝撃が炸裂し……けれどそこに標的の姿は無かった。
気配が後ろに現れる。まだ動くことを面倒に思いながら、藤咲は拳を振りかぶった。
力でも速さでも上回っている今、この限定された戦場で目の前の男が勝つ術は無い。全力を解放した“マスターレイス11”の動きは、もはや目で捉えることさえ叶わないものなのだから。
苦し紛れに逃げた獲物を今度こそ仕留めるべく、怪物が距離を潰す。
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「何が言いたいんや。遺言やったら短めに頼むわ」
聞いてはならない。いや、言わせてはならない。
そんな警鐘じみた直感を、黒色の蛇は嘲笑う。
「安心しろよ、テメェに言いてェのは一つだけだ。“マスターレイス”サマは相性をずいぶん大事にしてるみてェだが、テメェは今まで俺たちが─────」
▼▼▼
─────あれ…………
間合いに踏み込む寸前に、藤咲の目がそれを捉えた。
─────この人、
▼▼▼
「─────相性の良い奴とだけ戦って来たとでも思ッてンのか?」
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「《
衝撃が怪物の動きを堰き止めた。
「───っ、ふ……!?」
完璧な角度とタイミング。そして何より、藤咲の突撃に力負けしない威力。
差し込まれたカウンターが、突き出した腕ごと少女の体を弾き飛ばす。
「べ…………」
ダメージは無い。迎撃の威力は藤咲の守りを貫ける程のものではなかった。
体勢を立て直した藤咲の頭には僅かな困惑があった。それを振り払うべく、弾き飛ばされた怒りを込めてもう一度踏み出す。
全力を出した“マスターレイス11”の速度は初速の時点で音速を越える。
実際のところ、経験と才覚を積んだごく一部のオーヴァードであれば音速に対応することは不可能ではない。だがそれはあくまでも、遠距離からに対する話。
10mの距離から音の速さを捉えられる者などいはしない。
それなのに。
「~~~っ!」
もう一度被せられたカウンター。
彼の眼は、確かに藤咲の動きを捉えていた。
《第二領域・万魔》。それが齎すのはあらゆる能力の全強化。
通常、オルクスの支配能力は外に向く。
それは地形への干渉であったり、構造物への操作であったり、あるいは他者への支配だ。
自己の外を支配することで戦う。それが通常のオルクスの戦法である。
そして神凪が行っているのはその真逆。彼は今、その支配能力を自身に向けている。
因子による自己強化ではない。文字通り、自分自身を支配しているのだ。
己を領域の一つと認識し、それを支配することであらゆる能力を跳ね上げる。
専門外の力であっても一線級と遜色なく。一流であったものは超一流に。至近距離で、白兵戦の怪物に対応できるほど。
自己をさえ支配の対象とみなす傲慢。
それこそが、神凪優希がオルクスの《
「……ただ合わせるだけじゃ貫けないか」
攻撃を受け止めて後退した藤咲を冷たい瞳が観察している。
細まった眼が憐れむような色を宿した。
「ごめんね。僕は君に、酷いことをする」
▼▼▼
「やかましいわ、格好つけたところで何が変わんねん───!」
アネモネの言葉を切って捨て、空間に満ちた赤色を凝縮する。
《
不可避の渦が何度目かの死を齎した。
六条のものではない血液が飛沫を上げ─────その渦を割って《黒蛇》が飛び出す。
「(相も変わらず接近かい! いい加減無駄やって……)ッ!?」
放たれた銃弾へ従者が盾となり、その後ろに隠された銃弾が庇ったもう一体を血液に還した。
「(隠し弾!? 器用なことするわホンマ……)」
「よォ」
「───あ?」
三丁の銃を携え、口元を歪める蛇がいた。
奇手に気を取られたのは一瞬。その一手で100mの距離を潰したと言うのか?
どうして射撃手があの後輩並の脚を持っているのだ、と嘆く隙は無かった。
「(明らかにさっきまでより速いやろ! 抑えとったんか!?)《
減った分の数が増え、六条の周囲を5体の従者が固める。
発射された銃弾が分裂し、銃器が砂に還ると同時に2体の従者が霧散した。
「(モルフェウスの銃まで使わせとうなかったけど、この間合いやと移動の隙が無いか……!)」
使用する武器をエンジェルハィロゥの物だけに絞るために距離を空けていたが、ついに至近距離まで接近されてしまった。
だが問題はない。武器が増え攻撃の威力が上がろうと、従者の盾には関係ない。アネモネの攻撃を封じられるからこそ六条は勝負を判断したのだ。
対するアネモネは武器を壊しながらの面制圧に切り替えていた。
六条を含む全員をターゲットにすることで減らす従者の数を増やしている。
だがそれでも、一度に減らせるのは2体か3体。従者を生み出す方が早い。
「(考えなしに特攻してくるタイプやない。何か企んどるはずやけど…………)」
目前の蛇の動きは変わらない。
銃を作っては撃つ。撃つ。撃つ。特別なことは何もなく、ただ異常な速さで射撃を繰り返すだけ。
その動きが言っているのは一つ。
「(…………は? いや嘘やろ?)」
盾となる従者を消し、増えた従者を消し、生まれた従者を消し、その間もずっと向けられている眼は。
「(こいつまさか─────増えるより早く殺す気かいな!?)」
アネモネが一手で破壊できる従者の数は2,3体。
対して六条は一手で5体の従者を生み出せる。
こんな条件で、従者を増やすペースを上回ろうとしているだと?
「(アホか、できるわけないやろ! どっちがジャームや思てんねん! やけど…………)……ッ、《暗──
「いいのかァ、そっちにリソース回してよ?」
「ッ…………!」
迷った瞬間に銃弾が迫る。
傍の従者が庇ったが、それでも攻撃に割く意識を持っていかれた。
「(焦んな落ち着け、従者を作る方が早いんや。《
「……ハッ」
血塗れの一人と無傷の集団。
従者の主の顔を見て、黒色の蛇が薄く嗤った。
▼▼▼
静まり返った空間で、少年がそっと手を組んだ。
「《第三領域》」
酷いことをする、と。そう言われた理由を藤咲依令奈は理解した。
この20m四方の空間は藤咲がその能力で作り出したものだ。
己が戦いやすいように生み出した物が─────他者の支配に上書きされる感覚。
《第二領域》で強化されるのは文字通りに全ての力。
跳ね上げられた因子の支配は、あっさりとその空間を呑み込んだ。
「《
直下。直上。斜め前。斜め後ろ。前方。後方。側方下。側方上。面。間隙。直線。曲線。裏。表。中。外。固体。液体。空中。
別物となったレネゲイドが四方八方から牙を剥く。
それはまさしく世界の意思と言わんばかりで、
「(─────私には、効かない…………!!)」
その標的は歯を噛み締めた。
惑わされてはならない。結局のところ相手はオルクスなのだ。
確かにこの攻撃には戦い始めの時とはまるで違う威力が込められているが、藤咲が埒外の身体能力を持っていることは変わらない。
キュマイラ・バロール・ハヌマーンという三つのシンドロームに裏打ちされた防御力へ、オルクスが致命傷を与えられるはずがない。
“マスターレイス11”はその全力で身を固め。
世界が少女を呑み込んだ。
「う、ああぁぁぁぁぁぁああああ─────!!!」
種類の分からない無数の衝撃が細身の体を打ち据える。
終わりの見えない痛みが体を包み込む中、それに堪えるには悲鳴にも似た絶叫を上げるしかなかった。
拳を握り、歯を食い縛って…………そしてようやく、無限にも思える攻撃が去る。
「……………………終わっ」
─────とん
額に指が当てられた。
「あ」
▼▼▼
従者が消えていく。
5対2という成り立ちさえしないレート。結果など始まる前から決まっているというのに……呑まれているのは5の側だった。
消える。消える。生み出す。消える。消える。生み出す。消える。消える。消える。生み出す。
「(嘘やろホンマ、なんでそっからまた上がんねん───!!)」
近くにいるはずなのに捉えられない。敵はたった一人なのに、まるで複数人の部隊を相手にしているような感覚。
アネモネの速度は更に上がっていた。一度の数では圧倒的に勝っているにもかかわらず、従者の創造に全力を費やすことを強いられ始めている。
傾いていたはずの天秤が揺れていく。軽いに決まっている2の皿が、無理矢理な手段で吊り合いを取っていく。
そしてついに─────天秤が振れた。
「ッ《群衆》!!」
上回られたと理解して、六条は即座にレネゲイドを集めた。
残った2体を盾に回して、攻撃後の僅かな隙に全速で従者を生成する。
─────カチリ
「あ?」
2体の従者が撃ち抜かれ、銃口が六条を向いていた。
何故? そんな、
「いや、それ、バロール……」
奇策はあった。
それを考慮できなくなった時点で、六条水無月は負けていた。
▼▼▼
触れた指から因子が流れ込む。
「《第四領域》」
それはシンドロームの終点。
オルクスが秘める深奥。
《皇帝》の代名詞。
▼▼▼
三つの銃口が瞬く。
「防げよ、相性良いンだろ」
それはあらゆる敵を葬った極光。
トライブリードが達した極点。
《冴える黒蛇》の代名詞。
▼▼▼
「《
「《カゲロウデイズ》」
全くの同時に、二つの勝負が決着した。