怪文書置き場   作:ジャーム先輩

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⑤『《黒蛇》・《皇帝》Vs《カーネイジ》』

 

「いつまで僕らに触れてるんだ……!」

 

魔人の歓喜を黙って聞いていたわけではない。

静止を強制される中で凝縮していたレネゲイドがその腕を侵食し、それが終わるよりも早く二人の体が宙を舞う。

 

「がッ!」

「ぐっ!」

 

玩具のように振るわれた体同士がぶつかり、強い痛みが走った。

かろうじて神凪が衝撃を逃したことに安堵する暇もなく、顔を上げた時には既に、アネモネの眼前へ拳を象った“死”が迫っていた。

 

「《第一領域》!!」

 

叫び声と同時、濃密な因子が領域を生む。

全力で身体を逸らしたアネモネの皮一枚横を、剛拳が唸りを上げて飛び抜けた。

 

「(クソが、神凪が止めてこれかよ!)」

 

《第一領域・無間(むけん)》。

それは純性(ピュア)のオルクスにのみ可能な、他者の動きを制限する領域。

因子を広げ、他者を支配し、その行動を禁止する。大抵のジャームならばこの領域に呑まれた時点で指先一つ動かせなくなる程の異能。

 

そう、『大抵のジャーム』なら。

 

「(だからってここまで効かないと嫌になる! この感覚はしばらく思い出したくなかったんだけどなあ……!)」

 

レネゲイドが異様に廻る感覚と、支配してなお止められない感触。

思い出すのはかつて繰り広げた《狩猟者》との死闘だ。

 

あの戦いにおいて、二人のレネゲイドは不思議なほど滑らかに廻っていた。おそらく上昇する侵食率は普段の半分程度になっていたはずだ。

 

治療後に語られた霧谷の言葉によれば、「その場にいる全員が一定以上の強いレネゲイドを持ち」「その場に満ちるレネゲイドが一定の水準を超えた」時に発生する現象らしい。

極めて珍しい現象らしく、実際にアネモネも神凪もその時が唯一の経験だった。

 

そして今二人が感じているのは、間違いなく過去のそれと同一の感覚だ。

 

「(それでも、あの時の《狩猟者》ほどの圧は感じなかった。それなら霧谷さんがいないこの状況でも勝ち筋はあると思ったけど─────違う)」

 

闇によって塞がれたこの空間は10メートル程度の広さしかない。

《カーネイジ》から放たれるレネゲイドの圧は、かつての枷を全て取り払った《狩猟者》には及ばない。だが、この一瞬で二人が感じ取った事実として。

 

「(白兵戦に限れば─────コイツは、あの時の《狩猟者》と同じだ)」

 

神凪が一度きりしか使えない《第一領域》をあのタイミングで切った理由は一つ。

 

ごく単純に、そうしなければ死んでいたからだ。

 

「(神凪の支配は効いてる。アイツの動きは間違いなく鈍ッてた。だからギリギリで避けられた)」

 

《第一領域》の持続時間は12秒。

再使用は不可。

 

「(─────ここで決める)」

 

アネモネの眼が深紅に染まる。

 

「合わせろよ」

「合わせます」

 

言葉は一瞬。神凪がアネモネの前に立つ。

 

初撃を躱され神凪の攻撃をいなした後、老人は一定の間合いを保っていた。神凪の支配が切れるのを待つつもりだったのだろう。

その狙いは、湧き上がった大地によって否定される。

 

「《第三領域》」

「ほう!」

 

それは局所的な天変地異。まさしく世界の全てがたった一人の相手に牙を剥く。

 

《皇帝》の攻撃は威力こそ劣れど、その精度は《冴える黒蛇》に引けを取らない。更に言えば掠っただけでも彼の因子は敵を蝕む。

 

埋め尽くされる世界の中、的と定められた老人が牙を剥き出し拳を構えた。

 

「シッ───」

 

拳の一振りが第一波を薙ぐ。

蠢く大地を踏み込みで黙らせ、正面の死線のみをいなし、塞がれた世界から魔人が飛び出した。

 

「避けろよ、小僧」

「───舐めるな」

 

こちらを睨みつける眼めがけて振り下ろした拳が寸前で軌道を曲げた。

「む」息を呑む間もなく反撃の棘が老体を弾く。浮いた身体を圧し潰すべく鉄の塊が交差する。

ひしゃげた鉄を捨て置いて魔人が大笑した。

 

「良いぞ、なかなかどうして面白い手妻だ! 使い手次第でこうも変わるか!」

「あなたに褒められなくても知ってますよ」

 

再び、暴風が吹き荒れる。

半秒ごとに漂う血が濃くなっていくのを感じながら、アネモネは深く息を吐いた。

 

「………………………………」

 

砂から成る双銃と、光から織る長銃。二つと一つをもう一つずつ編み出していく。

レネゲイドを鋭く伸ばして、丹念に。刹那でさえも無駄にしないように。

目が、醒めていく。

 

「はは! よく粘るものだ!」

 

老人はその様子に気付いていないわけでも、座視しているわけでもなかった。

これ見よがしな整心を手折ろうとする老人に立ち塞がる者がいるのだ。

 

身を裂き、骨を砕きながら。その場を動くことを自身に禁じて。皇帝が怪物を一対一で食い止めていた。

空気の固定。足場の軟化。血霧の支配に動きの加速。よくもこれだけ手札があるものだと老人は感心すらしたが───限界が訪れる。

 

「……っ」

 

ほんの刹那、神凪の眼が揺らいだ。

それはただ純粋な…………夥しい失血によるもの。

 

《万魔》を使えていればそうはならなかっただろう。傷を避け、凌ぎ続けることはできたはずだ。だが《無間》と《万魔》は同時に使えない。わかったうえで足止め役を引き受けた。

絶対的に足りない能力を無理やりに誤魔化し続けた末の、決まっていた結末。

 

その致命的な隙を、《カーネイジ》が見逃すはずもなく。

 

「が、ふっ」

 

魔手が神凪の身体を貫いた。

 

「お前が動き回れていれば、今少し長引いたやもしれぬな」

 

眼下の敵を一瞥し、止めを刺そうと拳を握って、そこで老人は気付いた。

 

─────あの小僧はどこに行った?

 

「はは…………。やっと、僕だけを見てくれた」

 

撃鉄の音が背後に響く。

六つの銃が光を湛え、その牙を震わせていた。

 

危険だと、老人の本能が警鐘を鳴らす。

この攻撃は───己の命に届き得る。

 

振り向き、避けようとして。

 

「動くな」

 

()()()()()()()()()()()()()腕を掴んで、《皇帝》が宣告した。

瞬間、怪物はその足が自分の物でなくなったことを理解した。

 

《無間》に加えたもう一つの、神凪優希の全力の支配。それでも動きは止めきれないだろうと判断した彼は、その足に因子を集中させた。

 

「(動かん。これは───)」

 

対応の余地など与えるものかと。

因子の展開と全く同時に彼は放った。

 

「《カゲロウデイズ》」

 

轟音。

折り重なった銃弾が光を纏って飛び掛かった。

 

 

 

圧縮された時間の中で、《カーネイジ》は思考を巡らせる。

 

全身を包む不自由さは変わらず。足はどうにも動かない。右腕は抑えられ、自由に動くのは左腕だけ。

そしてこちらへ襲い掛かる一撃は、全力で防いだとしても重傷を負うもの。

 

右腕を掴む小僧を盾にするかと考えて、否定する。

仮に極光の前にその体を投げ出したとしても、この二人はどんな状態からでも()()()()()。彼らの空気はそういうものだった。

 

避けられはせず、防げば重傷。

迫り来る二択を前にして、魔人は嗤った。

 

「いつ以来だ? この感覚は」

 

 

 

《第一領域》の効果中にアネモネの全力を叩き込む。

この単純かつ困難な難題に対して、二人のアプローチは功を奏したと言っていい。

 

神凪が《カーネイジ》を誘い、意識を切った刹那を見計らってアネモネが姿を消し、支配と射撃を完璧に合わせた。

いくつも続いた細い綱を渡り切り、その末に、彼らはこれ以上ない結果を手繰り寄せたのだ。

 

「(どうせ蘇生手段は持ッてンだろうがそれでいい、切らせることに意味がある)」

「(きっと同じ作戦はもう通じない。ここで一度仕留める……!)」

 

命中後の詰めに向け、二人のオーヴァードが思考とレネゲイドを巡らせる。

 

その時、彼らの視界で動くものがあった。

 

「(なんだ…………?)」

 

風雨に晒された巨木のような剛腕。

唯一動く左腕を老人が振り上げていた。

 

「(何を…………)」

 

攻撃は既に放たれている。

銃弾に纏う光が文字通りの光速で喰らい付く。

その、瞬間。

 

 

「─────ッ!!!」

 

 

裂帛の咆哮と光の叫びが響き渡った。

 

「(何が起こった!? いや何だろうと直撃だ、畳みかけろ……!)」

 

白濁した視界を振り払った神凪の視界に映っていたのは、大穴を開けた老体ではなく。

 

「成程。滝を切った時の感覚だ」

「───────────────は?」

 

焼け爛れた手に“何か”を掴み取っている魔人の姿だった。

 

「(…………銃弾…………? 切ったって、まさか、…………()()…………?)」

 

今まで何度も共に戦ってきた。今まで何度もその一撃が終わらせてきた。

隣で何度も見てきたからこそ─────『アネモネの攻撃が防がれた』事実は、彼の思考に空白を生んだ。

 

「神凪!!」

「───っ」

(のろ)い」

 

ほんの微かな踏み込みの直後、爆発が神凪の体を駆け巡った。

 

「──────────」

 

全身の臓器を捻じ切られた体は即時に生命活動を停止。

 

そして、12秒。

魔人が自由を取り戻す。

 

「死合の最中(さなか)に仲間を想うな」

 

止めを刺そうとした背中に銃弾が届く、よりも速く、《カーネイジ》がアネモネの前に立っていた。

その判断を咎めるように色濃い殺気がアネモネに向かう。

 

全力を解放し、領域からも解き放たれ、振るわれる拳の速度は未知の領域。《冴える黒蛇》をしても目で追える速さではない。

 

「ほう?」

 

そのうえで、魔人の拳は空を切った。

不自然なほど的確に。まるで来る場所がわかっていたように。

 

「舐めすぎなンだよ、ボケジジイ」

 

目の前で、観察に集中できる数秒があった。

繰り広げられた無数の攻防は、ノイマンにとって黄金にも等しい情報の塊だった。

 

「(6cm頭を下げてストレートを誘導、そッからフックに繋げてくる! 踏み込み、ッは避けれねェから横に、膝を潰してくる前に引け!)」

 

敵のクセを把握し、微かな動きで誘導をかけ、導いた動きを全力で避ける。

白兵戦の怪物を前にして拳の間合いで立ち続けるという異常事態。その芸当ができるのは世界に10人といないだろう。

それでも。

 

「……ッ」

 

三手を避け、四手を凌ぎ、五手から逃れ、そこでついに捕まる。

魔人の震脚が地を割り、アネモネの身体が宙に浮く。

 

「往くぞ」

 

宣告。

 

「遅ッせェよ」

 

軽口。

何に? もちろん、浮いた身体を掬い上げた仲間に。

 

アネモネの身体を伸びた鋼糸が引っ張って、それを為した男が老人の後ろで立っていた。

 

「……まだ立てたか」

「大切な人も、守らなきゃいけないものもあるので。こんなところで死ねないんですよ」

「はは! 良いぞ、殺し甲斐がある」

 

ままあることだ。オーヴァードが大切な存在への想いによって息を吹き返すのは。

褒めるべきは蘇生の時間を稼ぎきった銃使いだろう。

未だ拳を振るう相手がいるのは喜ばしい。さて、ならば。

 

「あと幾度殺せばお前たちは死ぬ?」

「「………………………………」」

 

アネモネと神凪に挟まれる位置で、魔人が更なる気迫を放つ。

怪物を見据えながら二人は考えていた。

 

兎にも角にも、《第一領域》の中で《カーネイジ》を仕留められなかったのが痛すぎる。

巫山戯るなと吐き捨てたいが、あの老人は片腕だけでもアネモネの一撃を捌けるらしい。多少の手傷は負っていたようだがそれではまるで吊り合わない。

 

《第一領域》は既に使えず、先程と同程度まで動きを止めることはもう不可能。

アネモネの攻撃は依然として大きな切り札だが、それを当てるにはよほど大きな隙を突かなくてはならない。

 

その隙を作れるか?

増援は望めず、切り札を切り、追い詰められたこの状況で。

一体、どうすれば…………

 

「どうもこうもないか」

 

そう呟いて、神凪が指を組んだ。

 

「ッ、おい」

「大丈夫、ギリギリですけどまだいけます。それに……奥の手は見せなきゃ意味がないでしょ」

「ほう、まだ手札があったか」

 

《カーネイジ》は拳を構えたまま、しかし止める気配は見せずにその足を止めた。

老人が獰猛に牙を剥く。

 

「いいんですか? そんなに悠長にして」

「構わん、見せてみろ。お前には何が残っている」

「それじゃあ遠慮なく。…………ああでもすみません、楽しませる気は無いんです」

 

自身の口角が薄く上がるのを彼は感じた。

レネゲイドが自我を蝕み、乗っ取ろうとするのを捻じ伏せる。

自分を人に留めてくれる大切な存在を思い起こして、彼は今日二度目となる銘を紡いだ。

 

「─────《第四領域》」

 

瞬間、老人の体躯が跳ねた。

それは他の何物でもない、織戸静馬自身の本能によるもの。

数年ぶりに湧き上がる枯れた好奇心を掻き消す程の─────それを切らせるなという警告。

その即断はしかし、致命的に遅かった。

 

それは攻撃ではなく、防御でもなく。妨害でも、ましてや支援でもない。

それはある意味で、最もオルクスの本質を顕したもの。

 

 

「《降神》」

 

()()()()()

 

魔人の腕が軌道を変え、彼の拳は滑らかに、自身の体を刺し穿った。

 

 

 

「っ…………!」

 

そうさせた張本人である神凪は息を荒げ、その表情を歪めていた。

 

対象の支配という奥の手は、当然それだけの代償を必要とする。この場ではレネゲイドの侵食が軽減されると言っても、今日二度目となる《第四領域》の使用は神凪に相当な負担をもたらす諸刃の剣に他ならない。

それでも、この状況において《降神》は使わざるを得ない伏せ札であり、同時に最も強力な切り札でもあった。

 

《降神》の特異性は、それが物理的な攻撃ではないことにある。

回避や防御が入り込む余地のない支配権の簒奪、それはつまり()()()()()()()()()()()()()()()()()技ということだ。

敵を襲うのはその敵自身の全力の攻撃。当然支配された身体でそれを避けることなど叶わない。

 

どんな相手にも通用し、敵が強力なほど強くなる。

《皇帝》の奥の手は間違いなくこの勝負を左右するものだった。

 

骨の上から心臓を押さえ、跳ね上がる衝動を必死に抑え込む。

《降神》は成功し、魔人の身体を支配した。鋼のような体を操り、その全力を叩き込ませた。炸裂した衝撃がそれを物語っていた。

衝撃の余波で広がった土埃を晴らし、そうして見えたのは。

 

 

「…………ほんっと、いい加減にしろよ…………!」

 

 

左半身を大きく抉り、それでもなお立っている《カーネイジ》の姿だった。

 

「(心臓を狙わせたのに傷の位置が逸れてる。当たる瞬間に動く部分の体捌きだけで致命傷をずらしたって言うのか? どんな技術だ……!)」

 

何度目かのあり得ない結果に歯噛みする神凪へ、重々しい声が響いた。

 

「……『それ』は、いかんな」

 

直後、迫り来る悪寒に神凪の全身が総毛立った。

 

魔人の双眸が真っすぐに神凪を見つめている。

余裕も愉悦も鳴りを潜め、その目は初めて見せる純粋な殺気で満たされていた。

 

「─────っ」

 

構える神凪の前で歪になった肉体が軋み、跳躍のために足が沈む。

 

「─────上出来だ」

その寸前に割り込む声があった。

 

振り返った魔人の目に映ったのは宙を舞う七本の銃。

それらを手にして嗤う、赤色に染まった眼。

 

 

「《カゲロウデイズ》」

 

 

二度、轟音。

七本の光が一条に連なり、対応を許さぬ至近距離から死に体の獲物へ喰らい付く。

 

厳に言うが、《冴える黒蛇》の最大火力はジャームを含めても世界最高峰のものであり、純粋な破壊力では《カーネイジ》をさえ凌駕するものである。

先ほど凌がれたのは威力不足ではなく相手の異常な技量によるもの。体の一部を失い、なおかつ攻撃に移る寸前の硬直を狙い澄ました一撃を防げる道理などない。

 

《無間》と《降神》、《カゲロウデイズ》。彼らが有する三枚の切り札。

極光はついに魔人を捉え─────その身体を喰い破った。

 

 

 

▼▼▼

 

 

 

放たれた光は土煙さえも切り払い、喰い破った獲物を鮮明に映していた。

 

左半身を抉られ、心臓付近に大きな穴を開けた姿。

間違いなく即死の傷を受けた《カーネイジ》───その瞳がアネモネを見た。

 

「が、ッ」

 

鎖骨の砕ける音と同時に衝撃がその全身を叩き潰す。

痛みを感じる間もなくアネモネの意識が消失した。

 

「ふぅぅぅ…………っ」

「《第三領域》!!」

「む、う……っ゛!」

 

身体を欠いた老人が飛び退り、鉄棘と錐がそれを追う。

 

死なないことは想定していた。

現実になってほしくなかった事態の一つ。それでも、《カーネイジ》が四肢を振るえない今こそが最大の好機だ。

 

「(アネモネさんを待つ暇はない! ここで削り切る───!!)」

 

神凪が因子の全てを攻勢に回す。

地面が、空気が、世界を構成するあらゆるものが《カーネイジ》に降りかかる。

 

「あ、ぁぁあああああ!!!」

「お、おおおおおおお!!!」

 

全方位から空白を生まず放たれ続ける波状攻撃。

魔人は己を包む災禍を右腕一本で打ち落とす。だが皇帝はそれを許さず、領域が確実に《カーネイジ》の身体を削っていく。

 

「(もう少しだ止まるなまだ倒れるな!! ここで仕留めなきゃ後が無い!!)」

 

“マスターレイス”との激闘に《カーネイジ》との死闘。神凪もアネモネも既に限界を迎えている。

一瞬のズレが死に繋がる戦闘の最中、手札を駆使してようやく手にした勝ち筋。

 

血を吐き放った攻撃の一つが─────ついに《カーネイジ》の残った腕を斬り飛ばした。

 

「(あと、一撃)」

 

遮るものの無い胴体へ引き絞られた槍が飛び。

 

─────神凪優希の目の前で、槍は半分に断ち切られた。

 

 

「ああ…………まっこと、腸が煮えくり返る」

 

 

槍の穂先が宙を舞う。

神凪の視界に映ったのは、その下で()()を交差する老人の姿だった。

 

「(…………身体、復元…………?)」

 

欠いた右腕も。抉れた左半身も。心臓に開いた大穴さえもが精強な筋骨で埋められている。

それはもう、悪夢以外の何物でもなかった。

 

「コードウェルに埋められた予備心臓だ。発動に時間はかかるが肉体の復元まで手が届くらしい。…………わかるか? 死ぬる時に死ねなかった以上、ワシは最早武術家ではなくなったのだ」

 

老人が足元の瓦礫を拾った。

剛腕に血管が奔り、砕けた瓦礫を赤色が包み。

 

 

「お前たちの命では、もう足りぬぞ」

 

 

双眸に宿った憤怒が神凪を貫いた。

 

「っ─────」

 

神凪優希は理解した。

これこそが《カーネイジ》の本性。命を刈り続けていく嵐。この男が外に出た瞬間、数えきれない程の人が殺されると。

この魔人は─────ここで止めなければならない。

 

「《第四───」

「二度はさせん」

 

衝撃と熱。見れば、魔人の右腕がその手首まで神凪の腹部に埋まっていた。

 

「っ゛、《第ざ、ぁ゛っ!?」

 

埋まった腕を無理やり振りほどき領域を展開しようとした瞬間、その口から大量の血液が溢れ出た。

体内で激痛が走る。今受けた傷ではなく、体の内で異物が蠢いている感覚。

 

「(何だこれ、組もうとしたエフェクトが……)」

「お前に打ち込んだのはワシの血で覆った石片だ。レネゲイドに反応してその周囲を喰い尽くす。お前はもうろくに技を使えん」

「……………………!」

 

口元を抑え神凪が腕を振る。だが領域は反応せず、掌の隙間から多量の血が零れ落ちた。

 

「(マズいマズイマズイ! 急げ解除しろ、せめて《万魔》だけでも発動を───)ご、ぼ……っ!」

「無駄だ。臓の深くに捻じ込んだ、半刻は解けん。その間に片付けるとしよう」

 

足音が近付いて来る。

レネゲイドを束ねようとするほど体内の血がそれを阻害する。

エフェクトが、領域が展開できない。

 

心臓の音と処刑人の足音が織り交ざり、瞬間、それを掻き消す銃声が響いた。

 

「……まァ待てよジジイ。折角鬱陶しい横やりが消えたンだ。そこで蹲ッてる置物より良い相手がいるだろ」

 

《カーネイジ》の背後で、黒色のスーツを赤黒く染めたアネモネが銃を向けていた。

弾丸を掴み取った魔人がゆっくりと視線をやる。

 

「何が言いたい?」

「わかンねェのか? そいつより俺の方が強ェのは理解してンだろ? 小細工抜きで真っ向勝負してやるつッてンだよ、《カーネイジ》」

「(…………!)」

 

無茶だ、と思った。

アネモネの砕けた体は元に戻っているように見えるが、神凪の眼にはその修復が外側だけの最低限だとわかる。おそらく砕かれた骨の何割かまでは修復が追い付いていない。

戦闘不能から起き上がるのも遅かった。当然だ、アネモネだって既に限界を迎えているのだから。

 

「お前たちの力に大差は無い。それにお前の挑戦には何の利も無い。まずはあやつから……」

「オイオイ何だよわかッてンじゃねェか。そうだ、これは俺からの「挑戦」なンだぜ」

「?」

 

満身創痍の男が言葉を続ける。

魔人は一瞬考えた。

その男の声に宿る色は、ずいぶんと向けられなかったものだったから。

 

「何が」

「───だァかァらァ! テメェなンざ俺一人で勝てる、つッてンだよボケジジイ!!」

 

響き渡る声に籠るものは。こちらを見る顔に映るそれは。

 

「なァおい爺さん! 格下二人も殺せずに! ダラダラ舐めプしてたら殺されかけて! 外付けの道具で「まだ死にませーん」なンて無様晒してるお爺ちゃんよォ!! このうえ更に神凪がいたら怖いですッて! 叩き付けられた一対一の挑戦からも逃げ出したら! テメェに一体何が残るッてンだ!?」

 

双眸を細め、口角を歪め、アネモネが叩きつけたのは。

 

 

「さァ!! かかッて来いよ《カーネイジ》!!!」

 

 

疑いようもない剝き出しの─────嘲りだった。

 

「…………………………………………は」

 

魔人は嗤った。

 

「…………安い手だ。だがいいだろう。そこまで言われて移り気するほど枯れてはいない」

 

拳を握り、腰を落とす。

朗々と謳ってくれた言葉を無視してあのオルクスを仕留めるだけでこの男の狙いは瓦解する。

そしてそれを理解したうえで、理性に従う者に《カーネイジ》などと銘は付かない。

 

 

「吐いた唾を呑むなよ」

 

 

獰猛な笑みを踏み切りに、魔人が蛇へ襲い掛かった。

 

「アネモネさんっ!!」

 

咄嗟に出た叫びに声は返ってこない。

躱した拳に肉を削られ、一瞬だけ向いた瞳がこう告げていた。

 

 

─────これしか無ェだろうが……!

 

 

「──────────っ」

 

それで全てを理解する。

言葉も思いも全て呑み込み、神凪優希は一切の支援を放棄した。

 

 

反面、戦場は静寂の真逆を征く。

 

最も多く響くのは肉が千切れる音だった。

踏み込みが地面を割る音。振るわれる四肢が風を切る音。飛び散った血が滴る音。大小様々な音が鳴り続け、戦場のオーケストラを奏でている。

 

そう、()()()()()いるのだ。

 

「(よく凌ぐものだ)」

 

躱しきれてはいない。《カーネイジ》がその身体を振るうたび、アネモネの身体は削られていく。

しかし同時に致命打となる傷は受けていない。肉を裂かれ、骨にヒビを入れられながらもアネモネは魔人の前に立ち続けている。

 

「(勘どころが良いな。ワシの呼吸をある程度掴んでいる。後ろの小僧との攻防だけでここまで対応してくるか)」

 

あのオルクスが一人で稼いだ10秒。それはこの男にとって余程大きなものだったのだろう。

 

「(……眼か、眼が良いのだな。血管や神経の動きまでも知覚して予測を立てている。此奴の勘を支えているのは眼だ)」

 

先程は五手で捕まえられた相手がいまだ逃げている。

手傷を負う代わりに致命打を避けるようにしているのもあるが、それに加えて確かに前よりも動きの予測が早くなっていた。

レネゲイドの侵食が進み、その知覚能力を更に強化しているのだろう。

 

「(眼から潰すか)」

 

頬を削った拳が鉤爪のように形を変える。

それは死角からアネモネの眼を抉ろうと迫り─────

 

「オ、オオォッ!!」

「!」

 

鉤爪は全力で傾けられたこめかみを裂くに止まり、同時に右手の銃から銃弾が放たれた。

 

「チッ。流石に食らッちゃくれねェか」

「…………」

「あ? なに驚いてンだよ」

 

老人が掴み取った銃弾を無意識に眺める。

その様子を見てアネモネは眉を歪めた。

 

「まさかテメェ、俺の狙いが時間稼ぎだとでも思ッてたのか? 神凪の野郎が復帰するまで逃げ続けることだッて? ンなわけねーだろ」

 

わかりきった事実を確認するように、アネモネはゆっくりと言葉を紡いだ。

 

「俺はテメェを殺す気だ」

 

アネモネが敵の懐に潜り込む。

逸らされた銃口が弾丸を放ち、それに構わず別の銃器を響かせる。

戦場の音楽に新しい音が重なっていく。

 

「オオオオオッ!!」

「……………………」

 

依然として最も多いのは肉が千切れる音のまま。

増えた音も一種類だけ。光が体を灼く音も銃弾が肉を貫く音も、一度たりとて生まれていない。

だが、それでも。

 

『─────舐めるな』

『俺はテメェを殺す気だ』

 

今まで闘ってきた者の中に、天才と呼べる者は何人もいた。

五つの魔眼を顕現し、無数の剣を操るバロール。

神話の獣を身に宿し、山をも穿ったキュマイラ。

十二の色を写し取り、虹さえ描いたウロボロス。

『頂点』、『最強』、『希望』…………そんな肩書を持つオーヴァードを、何人も殺してきた。

この二人も、その内の一つだと思っていた。

だがどうだ? この二人が見せる執念は。

 

皇帝(エンペラー)》は戦いの始まりを抑え抜いた。初めて見せる技の数々を凌ぎきり、後ろの仲間を信じて値千金の情報を繋いだ。崩れかけの体を引きずり、最後の詰めを通そうとした。

()える黒蛇(くろへび)》は繋がれたものを結びきった。生まれた隙を一つたりとも無駄にせず、己が持ちうる全てを放った。そして今、倒れる間際の体で逃げようともせず戦っている。

 

『脅威を理解し、差を把握して、それでも力を振り絞り立ち向かってくる二人のオーヴァード』。

今目に映る光景が、脳裏の過去と重なっていく。

《カーネイジ》が殺せなかった、たった二人のオーヴァードと。

 

 

 

『残念だったな。ワシを殺しきるにはあと一歩、足りなかったようだ』

 

血溜まりの中に立つ自分と、膝を突く二人のオーヴァード。

全身に重傷を負った体は鉛のように重かったが、それでも最後に立っていたのは自分だった。

 

『とはいえ実に良い死合だった。約定通り、今より六年姿を消そう。再びお前たちと相見える時が楽しみだ』

 

倒れる二人を殺さずに終わることだけは不本意だったが、此奴らとの死合を相打ちで結ぶのはあまりにも物足りない。そう思ったことを覚えている。

殺すのはいい。死ぬのもいい。力を尽くし、その果てにどちらかが死ぬからこそ死合なのだから。

だが相打ちは駄目だ。この極上の死合を引き分けなどという中途半端な形で結ぶことは許せなかった。

 

だから自分は拳を解いて……たしかそう、「その時はしっかり止めに来い」と、そう言ったのだ。そして歯を噛み砕かんばかりにこちらを睨みつける二人の返答は、けれど拍子抜けのものだった。

 

『あなたの撒き散らす虐殺は決して認めません。日常の守り手として、何度だろうと阻止しましょう』

『だがな《カーネイジ》。貴様を止めるのがオレ達だとは限らんぞ』

『…………なに?』

 

『貴様は失うことを恐れてオレ達を殺さないのだろう。貴様の敵手がいなくなると。…………的外れにも程がある。オレ達がここで死のうと、そこで終わりではないのだ』

『UGNに限った話ではありません。この世界には必ず、あなたの虐殺を止めようとする人たちが現れる。私たちが死のうとその人たちが敗れようと、必ず後に続く者が現れる。あなたの手から───大切なものを守るために』

 

 

 

「……………………伊庭。霧谷」

 

それは、かつて戦った二人の名。

魔人の前に立ちはだかり、一歩も退かずに死力を尽くし、見事に後ろを守りきってみせた、最も強かったオーヴァード。

 

「(此奴らだというのか?)」

 

眠りから目覚め伊庭宗一の死を聞いて、織戸静馬は落胆した。

伊庭を殺した者たちの名を聞き、このセルで偶然見えた少年たちがそうだと知っても、期待まではしていなかった。

己の敵手を奪ったのだから相応の埋め合わせはしてもらう、と。ただそれだけのことだった。

 

「………………………………」

 

だが、《カーネイジ》を止める者が。

奴らが言った自らの後に続く人間が、この者たちだと言うのなら。

 

「いいだろう」

地を砕く音が建物を震わせた。

 

「ッ…………」

 

アネモネは咄嗟に距離を取り、直後の襲撃に向けて備える。だが警戒していた攻撃は来なかった。

視線の先。震脚を撃った魔人は構えを取って、そのままぴたりと静止していた。

 

「(何だ? まさか打撃以外の攻撃があンのか? クソが。集中しろ、どッから来てもいいように…………、?)」

 

知覚範囲を広げようとして、目が合った。

それは油断も愉悦も取り除かれた、気迫のみが宿った眼だった。

 

 

「《カーネイジ》、織戸静馬だ」

 

 

その名乗りが意味することはただ一つ。

アネモネは目を見開き、息を吐いて、黒の瞳を深く細めた。

 

 

「《冴える黒蛇》、アネモネ」

 

 

二者の間でレネゲイドが渦を巻く。

それはまさしく、闇に閉ざされたこの世界に終わりを齎す声だった。

 

 

「─────いざ」

 

 

踏み込んだのはアネモネだった。

両手に拳銃を握り、一瞬すら必要とせず3mの距離を潰す。

肉薄した標的へ向け左手に握る引き金を絞った。

 

織戸静馬が前で構えた左手が銃を撃つ手を折り砕いた。

折られた衝撃で逸れた弾丸が魔人の首に傷を付ける。

それを避ける一瞬を捨て、後ろに構えた右拳が胴体へ放たれた。

 

仕込んでいた跳弾がその右拳を遅らせた。

計算済みの位置へ折られながら撃った弾丸が魔人の頭へ飛来する。

それを右拳で弾いたがら空きの胴体へ本命の銃を撃ち放った。

 

刃と化した足刀が拳銃を半ばから切断した。

左足で回し蹴れば必然アネモネに背が向く。

それは隙ではなく、純然たる必殺の予備動作だった。

 

横に逃げ場のない鉄山靠をアネモネは下へ躱した。

初めて見る技に驚愕は無く、技の体勢に死角があることを理解する。

右手の銃に砂を纏わせ、魔人の死角から決着の一撃を構えた。

 

織戸静馬の眼が銃を構えるアネモネを捉えた。

技を見抜き、死角へ潜った敵手を心中で称賛する。

標的を定め、拳を握り、織戸静馬は決着の一撃を構えた。

 

極光と風斬音が交錯し。

 

 

「──────────」

 

 

光は消え、《カーネイジ》の拳がアネモネの胴体を貫いた。

 

血を零し、上体がゆっくりと倒れ。

 

─────その後方で《皇帝》が立っていた。

 

 

「《第四領域》」

 

 

言い終えた時、魔人は既に距離を潰していた。

両手を自らの血で赤く染め、腹部に穴を開けたままの神凪へ拳を構える。

 

一度喰らって、あの《降神(おりがみ)》という術に抵抗の余地がないことは理解した。

レネゲイドの扱いや意志の強さで抗えるようなものではない。喰らえば再びこの拳は己が身を穿ち抜くだろう。

だが、やりようがないわけでもなかった。

 

支配されることは止められない。ただ、他者からは認識することのできないほんの僅かな部分を調節することはできる。

自傷を止められずとも、それに()()()()ことはできる。織戸静馬にはその確信があった。

 

打ち込んだ血を身の内から無理やり取り除こうとすぐに回復するものではない。この敵手のレネゲイドは未だ乱れきっているはずだ。

そして此奴もまた、それを踏み越える類の者である。《カーネイジ》はそう断じ、来たるべき時に向けて専心した。

 

 

だがそれでも。《カーネイジ》はどうしようもなく見誤っていたのだ。

『対象の支配』というあまりにも不条理な手札。

自らの身に喰らい印象付けられていたからこそ、彼は目を逸らされていた。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ということを。

 

 

「《降神》」

 

自らの身が動かないことを訝しむ間もなく、後方でガチリと牙が鳴り。

 

 

「─────《カゲロウデイズ》」

 

 

三度、轟音が鳴り響いた。

 

 

 

▼▼▼

 

 

 

「ごぼっ、ぁ、ぐ…………」

 

組んだ指を吐血が塗り潰し、体の内外からの激痛が神凪に襲い掛かっていた。

 

アネモネの狙いを悟った神凪は、稼いでくれている時間を使って体内に埋め込まれた石片を取り出していた。

気の遠くなるような激痛に加え、取り除いた後も影響が完全には消え去らなかった。その状態で無理やり《降神》を発動した結果、痛みとレネゲイドが神凪の身体を侵している。

 

「はあっ、づ…………」

 

それでも、倒れる前に確認しなければならないことがあった。

 

まず、目の前で倒れ伏した《カーネイジ》を見る。

極光が穿った心臓周辺には大穴が開き、動く気配も微かな鼓動も無い。死んでいることは間違いなかった。

 

それを確認すると彼はよろよろと歩き出して。

 

「…………生きてますか?」

「…………殺す気か、テメェは…………」

 

とりあえず生きてはいるようだと一息吐いた。

 

蘇生が終わるどころか始まる前に《降神》で動かした結果、アネモネにも神凪に負けず劣らずの負担がかかっていたらしい。

文句を聞き流して手を差し出し、貫かれた腹部を再生し始めているアネモネを起き上がらせた。

 

「っと……」

「手ェ貸した側が倒れかけてンじゃねーよ」

「あはは…………いやすみませんちょっと本気で気絶しそうで……」

「安心しろ、お前が倒れたら引きずッてやる」

「それ本当に引きずるやつじゃないですか……」

 

辺りを壁のように囲んでいた《カーネイジ》のレネゲイドは消えていた。

互いに肩を貸しながら二人はふらふらと歩いていく。

取り払われた壁の向こうに鎮座する当初の目標、《ハーモナイザー》のもとへ。

 

「ハー…………マジで、あのガラクタブッ壊すだけの任務が随分と大事になッたモンだ」

「ですね……。流石に、もう一回同じことやれって言われたら自信はないです」

「それ言ッた奴をブッ殺した方が早ェだろ、絶対」

 

ふらつく頭で気の抜けた会話をしながら、《ハーモナイザー》へ歩いていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

油断

 

では、なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

神凪もアネモネも、それぞれの能力を使用してまで彼の死亡を確認していた。心臓に大穴を開け、倒れ伏した体は確実に生命活動を停止していた。一撃放つだけで気絶しかねない今、その死体にそれ以上の行為は必要ないと判断した。

なぜならばそれはひどく…………あまりにも『有り得ない』仮定だったから。

 

世界中に災禍を巻き起こし、

UGNのレッドリストに名を連ね、

あの《狩猟者》に並ぶと思わせた老人が、

─────()()()()()()()()などと。

 

そんな、馬鹿げた話は。

 

 

先天的上限説。

生命活動を停止したオーヴァードはごく稀にジャームとなり、その際、先天的な上限にまで侵食率が引き上がる。

跳ね上がったレネゲイドは、宿()()()()()()()を再開させる。

 

 

「「──────────」」

 

 

振り返った先にあったのは正しく『有り得ない』光景で。

 

 

─────闘いにはもう、ならなかった。

 

 

 

▼▼▼

 

「……《冴える黒蛇》、《皇帝》のバイタル反応、ロスト…………《カーネイジ》と思われるレネゲイド反応、増大し続けています……」

 

震えを隠しきれない声でオペレーターが報告する。

 

UGN日本支部。

厳重な秘匿を施した一部屋が《ハーモナイザー》破壊作戦の作戦指揮室だった。

現場の状況を観測するオペレーターが二人、周辺空間の調整を行うバロールが二人、そしてこの部屋にいるあと二人。

その内の一人……UGN日本支部長、霧谷雄吾の指示を部屋の中の全員が固唾を呑んで待っていた。

 

「………………………………」

 

沈黙は2秒も無かっただろう。

だが誰の声も上がらない時間はその何十倍にも感じてしまうほどで。

がち、という何かを噛み砕くような音が静寂を破った。

 

「……周辺空間を封鎖します。日本支部にいる全てのバロールを呼び出してください。100m刻みで半径10kmまでの空間を隔離。《カーネイジ》の足止めを最優先とします」

「っ待ってください支部長! 民間人の避難ができているのは1km圏内までです! それ以上は」

「理解しています。ですが今は1秒が惜しい。私の名前で呼び出してください」

 

叫んだオペレーターは支部長の目を見て、緊急用の呼び出し操作を行った。

 

「《門番(ゲートキーパー)》、《時計屋(タイムメイカー)》。お二人は集まったバロールの指揮をお願いします。これは私の命令であることを全員に通達してください」

 

二人のバロールが頷き、部屋の外へ出ていく。

 

「そして《ネーム・オブ・ローズ》。今すぐにレドリック評議員へホットラインを送ってください」

「……内容は何と?」

「『危険性を増した《カーネイジ》を捕捉中。《stand with you》を含むマスターキラー3名の派遣を大至急要請する。発生しうる被害の責任は全て日本支部長霧谷雄吾にある』と」

「了解しました」

 

秘匿していた後ろ盾の名前を出された副支部長が緊急事態だと呑み込んで通信端末を取り出した。

 

最優先の指示を終え、次とその次と更に次の網を作るために《リヴァイアサン》は持てる全てのコネクションを繋げていく。

 

「(観測されているレネゲイドの反応はUGNに保管されている交戦記録を上回っている。最も妥当性のある推測は今までジャームではなかった《カーネイジ》がその箍を外したということ。だとするならばここで取り逃がすことだけはしてはならない)」

 

《カーネイジ》とは世界のいたるところで虐殺を撒き散らしてきた男の名であり、UGNはその虐殺を止めるために何度も多大な犠牲を払ってきた。

それが()()()()()()()()()()状態だったというのならその脅威は更に膨れ上がることになる。レッドリストの最上部に名を連ねていた男の脅威が、だ。

 

「……………………」

 

各所への連絡と交渉を進める唇の端から血が溢れた。

 

《カーネイジ》を足止めするということは、当該位置から10km圏内に居住している民間人およそ1万3000人をも隔離するということになる。虐殺を撒き散らす魔人がいる場所に。

多くの悲劇が起こるだろう。親が子を奪われ、子が親を失い、兄が、姉が、弟が妹が祖父が祖母が友人が命を落としていく。

 

それでも、《カーネイジ》をここで取り逃がすことだけは許されない。もはや今のアレは世界を滅ぼす厄災だ。

レネゲイドの秘匿を破るどころではない。ここで逃せば間違いなく、あの魔人は数億の命を喰い潰す。

 

「(…………申し訳ありません。アネモネさん、神凪さん)」

 

自らの判断で死地へ送った二人の少年を想う。

彼らの前には多くの未来が開けていた。日常を護り、その日常を享受するべき存在だった。

任務の緊急性を踏まえ、危険性を検討し尽くして、「あの二人ならば問題ない」と判断した。その判断が彼らを殺した。

 

しかし今だけは己を苛めている時間はない。全てを呑み下し、集まったバロール達へ命令を下そうとしたその時だった。

 

「し、支部長!」

 

モニターを見ていたオペレーターが声を上げた。

何か信じられないものを見たかのように。

 

「どうしました、《カーネイジ》に更なる変化が?」

「い、いえ、違います。このレネゲイドは─────」

 

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