怪文書置き場 作:ジャーム先輩
ジャームとは何か。
侵食率が一定値を超えたまま戻らず、理性を失いコミュニケート不可能となった存在。それがUGNの定義するジャームという存在である。
その定義で言えば今の《カーネイジ》は間違いなくジャームと言える。
だが一度対峙すればどんなオーヴァードでも理解するだろう。この存在は自分が今まで戦ってきた「ジャーム」たちと絶対的に違っている、と。
この男にはもう、理性どころか意識も無い。
天性の肉体はレネゲイドに増殖し続けることを許し、レネゲイドは世界最高峰の器の中で異常なまでの侵食を行う。
UGNが計測した侵食率の物理的な上限は300%。「これ以上は侵食が行えない」という限界点すら突破したレネゲイドウイルスは宿主の全てを喰らい尽くし、その器を違う生物へと押し上げる。
三ヶ月前に日本支部で起こったUGN史上初の異常事態。
その二例目となる怪物が、今まさに誕生していた。
「……………………」
新月の下に立つ怪物が動きを止め、周囲に在る命を探す。
500m、無い。1km、無い。5km、在る。10km、在る。その先───無数に在る。
世界に蔓延る命を知覚した瞬間、怪物の方針は決まった。
両脚が軋み、飛び立とうとした瞬間。
「「こんなところで終われるか!!!」」
二つのレネゲイドが怪物に向かって放たれた。
それらを弾いた怪物がゆっくりと振り向く。そこに立っていたのは二人のオーヴァード。
奪った命を再び宿し、蹂躙した肉体はその形を取り戻し───その身からは《カーネイジ》が闘っていたときの強力なレネゲイドが吹き荒れていた。
「遅ッせェンだよ神凪! もッと速度出せや寝起きかァ!?」
「同時になるようにしたんですよ! 狙いが荒いな体調悪いんですか!?」
怪物に感慨は既に無い。驚愕も歓喜も湧き上がることは最早ない。
あるのはただ、そこに在る命への衝動だけ。
まずは銃を握るトライブリード。
よく回るその口ごと怪物の裏拳が抉り取る……寸前、拳の速度が緩み、獲物がギリギリで身を躱した。
直後に銃声が鳴り響き、同時に隆起した地面が槍となって襲い来る。
二人のオーヴァードが無理やりに攻撃を仕掛けてくる。
「……………………」
それらを打ち落とし拳を差し込みながら、怪物は二つの獲物をじっと見つめる。
不可思議なことではあるが、力を使い果たし死んでいた存在がその力を取り戻している。体中に刻まれていた傷が癒え、先ほど闘っていたときのパフォーマンスを再び発揮しているのだ。
その不可思議を怪物が不思議に思うことはない。そんな機能は侵食された。
そしてそもそも回復しようと状況は変わらない。
彼我にある絶対的な差は、意志だけでは埋まらない。
《カーネイジ》の技術はそのまま、怪物の力は更に増大している。
狙いは依然トライブリード。
その知覚能力とオルクスの援護を相手に一手が避けられ、二手が凌がれ、そして三手が獲物を捕まえる。
横合いでオルクスが攻撃を放つのを感じた。だが間に合わない。その攻撃が狙いを逸らすよりも早く怪物の手が命を掴む。
自身を捉えようとする手を前にして……トライブリードは避けようとしなかった。ただ真っすぐに、怪物の胸に銃を向けた。
相打ち狙いの動きはけれど遅い。この怪物にそんな狙いは通用しない。
死を宿す五指がその上体を分かとうとして─────
「あ、あああああ!!!」
─────その腕が逸れた。
突き刺さった大地の牙が攻撃の軌道を僅かにずらしていた。
逸らされた腕は獲物の薄皮を裂くに止まり、次の瞬間、構えていた銃口が火を噴いた。
「……………………」
弾丸は怪物の表皮を薄く削り、怪物はその衝撃を利用して後ろに跳んだ。
後退した怪物へ再びオーヴァードたちの攻撃が降りかかる。それを全て捌きつつ怪物は今の違和感を確認していた。
トライブリードの命を絶つ間際、オルクスがそれを逸らそうと攻撃を放ったのは感じていた。そしてそれは間に合わないはずのものだった。だが、オルクスの攻撃は確かに怪物の腕を弾いた。
一瞬の感覚を誤った、と怪物は判断した。
今雨のように浴びせられる攻撃を見ても両者の攻撃は怪物の知識通り……つまり先程までの戦闘で見せていたものと同じだ。
別物になった体に馴染みきっておらず、咄嗟の知覚に狂いが生じた。そう結論を下し、怪物は再び牙を剥く。
その瞬間だった。
強力な因子が流れ込むと同時、怪物の足がほんの一瞬奪われた。
それ自体はこの戦闘中でさえ何度か受けたものだ。
オルクスによる支配。行動の停止。回避が間に合わないときや攻撃が届かないとき、この支配が一瞬を繋ぎ止めていた。
だが何故、今。
トライブリードが撃つ直前に合わせたのではなく、攻撃を終えた後に足が止まった。攻撃の切れ目の何の意味も無いタイミングで。
決まっている───ミスをしたのだ、単純に。
死の淵から起き上がり消耗に消耗を重ねた当然の結果として、あのオルクスから綻びが生じた。
怪物の中のオルクスへの意識が一段下がる。やはりまずはあのトライブリードだと、足を取り戻した後の行動を決め─────
「オ、オオオオオ!!!」
停止した体へ七発の弾丸が放たれた。
「……………………」
「ない」と判断していたタイミングからの攻撃。
両腕で五発を打ち落とし、捌ききれなかった二発が体に小さな傷を付ける。
そして今度こそ、怪物は理解が遅れた。
今回の判断こそ間違いはなかった。
トライブリードは攻撃できるタイミングではなく、オルクスの支配は機会を逃したミスだった。
だが想定外の加速を果たし行われた攻撃がそのミスを─────違う。
先程の攻防もそうだ。
回避を捨て、相打ち狙いで銃を構えたトライブリードの行動は誤りだった。
だが
感覚の狂い、疲労によるミスと処理していた現象が、その実意図的に引き起こされたものならば。
いや─────だがそれはおかしい。
あれらが意図的に用意された戦術だとして、ならばこの獲物たちは今まで力を抑えていたということになる。
この場面でたった二回意表を突くためだけに見せなかったというのは、流石に理屈が合わない。
では何故だと怪物に巣食うレネゲイドが分析する。
再び起こる不可解な現象。
縦横無尽に跳ね回っていたトライブリードが引き金を引いた。
オルクスの攻撃とも支配とも外れた単体での射撃では怪物に当たりさえしない。
その瞬間、オルクスの攻撃が加速する。
「……………………」
オルクスが指を向け、怪物の背後で棘の壁が出現する。
トライブリードと合わせたものではない。後ろに逃げ場がなくとも前に跳べばいい。
その瞬間、前方にトライブリードが現れる。
「……………………」
そのいずれも怪物の知識が「間に合わない」と判断したタイミングだった。
だが現にこの獲物たちは間に合っている。
相手を考慮しない連携を無理やりに成り立たせている。
見る者が見れば呆れるだろう。あるいはいっそ笑うだろうか。
「こいつなら合わせる」と無茶な一手を置き、「この人なら届く」と無謀な一手を打ち、そして互いが互いの想像へ血を吐きながら追い上がる。
こんなのもう、信頼どころか脅し合いじゃないと。
「あ、ああああああああ!!!」
こんなのじゃ足りない。
因子を深めろ。レネゲイドを束ねろ。世界の全てを支配しろ。
─────もっと前へ!!!
「オ、オオオオオオオオ!!!」
この程度じゃ足りねェ。
知覚を拡げろ。光と砂を理解しろ。目ェ醒まして冴えさせろ。
─────もっと先へ!!!
意志だけで差は埋まらない。
だがオーヴァードの意志は時として、何よりも『有り得ない』可能性を拓く。
それは例えば、決められた果てを越えるような。
こいつのことは嫌というほど知っている。この人なら自分の感じる限界なんて越えていく。
自分がその後ろにいることなど認めない。
追いつけないなんてことは許せない。
─────コイツ / この人にだけは負けられない!!!
「(ああもうきっついこっちも見ずに無茶な要求ばっかりして! 僕じゃなかったら合わせられませんよ!? 合わせますけど!!)」
一歩先を前提とした動きへ意地で動きを合わせる。合わせていく。
体が重い。うるさい。知らない。
無理やりに前へ進み、その全身を縛る鎖を一本、また一本と千切っていく。
「(テメェ連携ッて言葉知らねェのかバカンナギ! 俺じゃなかッたら届かねェぞ!? 届かせるがよ!!)」
一歩先に置かれた行動へ意地で行動を届かせる。届かせていく。
体が重い。うるせェ。知らねェ。
無理やりに先へ進み、その全身を縛る鎖を一本、また一本と千切っていく。
怪物は理解した。
この獲物たちは─────今この瞬間に進化しているのだと。
だが。
「ぐっ」
「ガッ」
凶手が振るわれ血飛沫が舞う。
依然として差は存在する。
彼らが進化を遂げようと、目の前にいる怪物の強大さは変わらない。
現在曲がりなりにも攻防が成立しているのは、突如発生した緩急を怪物がまだ把握しきっていないからだ。
その身に巣食うレネゲイドが進化の幅を把握した瞬間、再び蹂躙が始まる。
立ち上がり進化を始めようと、二人のオーヴァードに勝ち筋は─────
「「(─────ある!!)」」
そう知っている。
日本支部の最上層、《狩猟者》との決戦で。
怪物に成った存在は全てのスペックが跳ね上がる。
攻撃の威力、速度。耐久性にレネゲイドの質。身体と知覚とレネゲイド。
二人がかりでも圧されていた相手のスペックが、更にだ。
だが、だからこそ一つの弱点が生じる。
「危機」の敷居が高くなるのだ。
性能が上がったからこそ、「危機」と感じるラインが上がる。
それまでであれば踏み止まったところを踏み込んでくる。
弱点と言うのも躊躇う机上の空論だが、「気付いた時には詰んでいる」状態を作れるのなら、それは大きな弱点となる。
そして。
「「(─────今ならできる!!)」」
そうわかる。
根拠も理屈も無く、ただ確信だけが二人の間で通じ合う。
「■■■■■■■■■」
怪物が地面を砕いた。
震脚が地を揺らし、レネゲイドが空気を震わせ、悍ましい殺意が周囲へ伝染する。
その瞬間、怪物は一つの声を聞いた。
「《第一領域》」
ブラフだ、と。思考が声になるならそう言っただろう。
オルクスのピュアブリードが持つ特権は既に使い切った。レネゲイドがそれを為すことはない。
その瞬間に、因子が怪物を呑み込んだ。
《皇帝》の有する《第一領域》。それは先程の《カーネイジ》戦においてその全身を支配することはできなかった。ありとあらゆる支配を駆使して、止めきれたのはその半身だった。
だから?
「できますよ。あなたができると思うなら」
ほんの微かな時間。涸れきったレネゲイドを無理やり束ねたごく一瞬の《第一領域》。
皇帝の世界が─────怪物の全身を止めた。
「─────」
怪物は感じ取る。この支配が続くのはコンマ1秒あるかないかだと。
これはレネゲイドを理解している者であるほど有り得ないと判断する現象だ。突然発生した不可解に合わせられるはずはない。支配が切れた瞬間、怪物は蹂躙を開始する。
その目の前で、七本の銃が宙を舞った。
わかっていたから。
こいつはその無理を通してくると。
宙を舞う銃に光と砂が纏いつく。
冴え醒めた眼が直感を奔らせ、その銃が形を変えていく。
もっと強く、もっと速く、もっと優れた形状へ。
怪物の体は異常な硬さになっている。何発か撃ち込んだ銃弾はその全てが小さな傷を作るに止まった。この怪物を一撃で仕留めるのは不可能だ。
それが?
「出来るッての。お前もそう思うだろ」
レネゲイドが渦を巻く。
光と砂が神懸かり的な比率で織り混ざる。
何度も共に戦ってきた。何度もこれが終わらせてきた。
だから─────幕を下ろすのはこの一撃だ。
「《カゲロウデイズ》」
四度、轟音が鳴り響き。
極光が後ろの《ハーモナイザー》ごと─────怪物の体を穿ち抜いた。
▼▼▼
極光と共に周囲が静寂を取り戻す。
と同時、アネモネは暴れまわる心臓を抑え倒れ込むことを必死で拒否していた。
まだ、まだ倒れることは許されない。
この数分で自分たちは考えられない程のレネゲイドを使った。
震える膝で踏みしめ、血に塗れた目で顔を上げて─────
─────全く同じ形相でこちらを見る男と目が合った。
「………………………………ハー………………………………」
ようやく、息を吐くことができた。
苦笑いした隣の馬鹿が後ろに倒れ込んだので、こっちも同じように倒れ込んだ。
もう指一本動かす力さえ残っていなかった。
「……………………あ゛ー……………………もう指一本動かせないです……………………」
「……………………鍛え方が足りねーンだよ。ケビンズブートキャンプ申し込んどいてやる」
「…………アネモネさんの名前も書いといてください…………」
ふざけた言葉に言い返す力も残っていなかった。
視界が白く明滅している。一度倒れ込んだ今、本当に指一本すら動かせない。
ぼんやり浮かんだのは、よく生きてるなという感想だった。
「…………よく生きてますね、僕たち」
エスパーかテメェは。気持ち悪ィ。
地面に倒れ込んだまま空を見る。
建物などとっくに崩壊し尽くしていて、暁の空が一面に広がっていた。
体は鉛を巻かれたように重い。だが、どこか不思議な軽さがあった。
今まで自身を縛り付けていた、あの鎖を破ったから。
「…………ねえ、アネモネさん」
「…………ンだよ」
首も動かせないから隣の間抜けがどんな顔をしているかはわからない。
ただ、その声音からはどこか同じものを感じた。
「僕は…………まだ、前に行けそうです」
「………………………………ハッ」
何を言ってるんだろうか、この馬鹿は。
アネモネはろくに動かない腕をずりずり引きずって横に出した。本当にしんどいが拳を握ってやった。
「ッたり前だバカ。まだまだ先に行くぞ」
「………………………………はは」
神凪はのろのろ腕を動かして、握った拳をぶつけてきた。
地平線が白んでいる。また新しい一日がやってくる。
駆け寄ってくる治療部隊の気配を感じながら、彼らは同時に瞼を閉じた。
ダブルクロス The 3rd Edition『アンチェイン』
───fin.
an chain ───── 一つの繋がり