怪文書置き場 作:ジャーム先輩
あさひ・鳩原のペアとは逆に、天本・神凪のペアは
元より互いに調査を不得手としていない。組む相手との連携も問題ないと来れば、手こずる方が難しい任務ではあった。
しかし、ある意味でそれは良いことではなかっただろう。
簡単ということは、何かをする余裕が生まれてしまうということでもあるのだから。
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鳩原さんは大丈夫だろうか。
《冴える黒蛇》と揉めてはいないだろうか。優しい人だから、大変なことを押し付けられたりしていないだろうか。そんな懸念ばかりが私の頭をぐるぐると回っていた。
…………いや、白状しよう。頭に浮かぶのは鳩原さんへの心配だけではない。
─────そうやって今日もあの鳩原とかいう奴に合わせたおままごとをすンのかよ
昨日ぶつけられたその言葉が、ずっと脳裏に残っていた。
腹立たしいことこの上ない。鳩原さんを「弱ェ奴」と言い放ち、更には霧谷さんを侮辱した。
神凪さんに止められなければあのまま銃を撃っていただろうし、彼の言う通り歯止めも効かなかっただろう。そのくらいには頭に血が上っていた。
「………………ん」
ただ、訓練で手を抜いていたというのは、事実ではある。鳩原さんに合わせていたというのも。
決して鳩原さんを軽んじていたわけではない。《冴える黒蛇》が言ったように優越感を感じていたわけでも。
誤解を恐れずに言えば、私は鳩原さんに今のままでいてほしかったのだ。
今のまま鳩原さんの速度で成長していけば。上を見て、身を削って加速する必要などないのだと。
力を手にして変貌する者は、いる。精神的に「力に溺れる」という意味ではない。レネゲイドに、文字通り呑み込まれていくという意味で。
オーヴァードが強くなるということはレネゲイドに近づいていくということだ。急速な成長は時として心を蝕む。そうして身を滅ぼしたオーヴァードを私は知っている。
だから、鳩原さんにそんな成長など必要ないと思った。彼には素質がある。複雑だが、彼が望むならそれをゆっくり伸ばしていけばいいと。
「…………ん。………………さん」
私の思いは間違っていたのだろうか。
「天本さん」
傍から聞こえた声が耳を揺らす。
そこで初めて、神凪さんが心配そうに私を見ていることに気がついた。
「あ……はい、何でしょうか神凪さん」
「いえ…………」
私の様子を見て彼は僅かに口ごもった。
何かを迷うように間を空けて、穏やかな笑みを浮かべる。
「任務は終わりましたし、よかったら何か食べて帰りませんか? ケーキが美味しいお店を知ってるんです」
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彼に連れられてやって来たのはこぢんまりとした喫茶店だった。
一軒家を改築した個人経営の店のようで、木材で統一された内装が温かみを感じさせる。
「このショートケーキが美味しいんです」という彼のおすすめに従い紅茶をセットで頼む。少しして注文したものが持ってこられた。
「あら、本当においしいですね。それにこの紅茶も」
お世辞ではなかった。ここまでのものは久しぶりに味わった気がする。
向かいに座る神凪さんはコーヒーを一口飲んで、私の言葉を嬉しそうにした。
「よかった。実はここ、玉野さんに教えてもらった場所なんです。任務の帰りにご馳走になりました」
「《シルクスパイダー》ですか。一時期名取にいたと仰っていましたが、もしかして……?」
「はい。僕は玉野さんにエージェントとしての色々なことを教えてもらいました」
《シルクスパイダー》玉野椿。
かつてはチルドレンとして様々な事件で活躍し、現在は主にチルドレンの教育に携わっている人物だ。私自身、彼女の名前を聞くことは度々あった。
彼女について語る神凪さんの顔を見ればよくわかる。きっと良い教官だったのだろう。
「ちょうど一年くらい前ですね。レネゲイドに目覚めてUGNに入ることを希望した僕に訓練を付けてくれたのが玉野さんでした」
かつての日々を思い返すように、彼の目が過去を見る。
「その時の僕は、まあ、色々と上手くいかなくて。玉野さんにはたくさん迷惑をかけました。それでも玉野さんは僕の教官を続けてくれたんです」
それの真似事ってわけじゃないんですけど、と。彼がこちらを見つめた。
「天本さんが何か迷っているなら、僕に聞かせてもらえませんか?」
「……………………。優しい人ですね」
関係ないのに出しゃばるなだとか、そんなことを声高に叫ぶ人はいるかもしれないけど。
彼の目を見て、そう拒絶しようとは思わなかった。
「─────鳩原さんがオーヴァードになったのは私のせいなんです」
コトリ。持っていたティーカップを置いた。
「深夜の街で、私はターゲットと交戦していました。ターゲットを追い詰め、互いが決め手を放つ時…………私は、鳩原さんが近くにいることに気付かなかったんです」
手強い相手だったというのは言い訳だ。ワーディングを張っていたのにというのも。
私と相手の放った攻撃が激突し、その余波が鳩原さんを貫いた。事実はそれだけ。
運び込んだ病院で鳩原さんは息を吹き返し、そして同時にレネゲイドに目覚めた。
─────私が、彼を引きずり込んだ。
「彼のシンドロームが分かり、能力の傾向が判明して、正直なところ私は安堵しました。身を守るのに向いている。暴走の危険性も低いと」
鳩原さんの周囲の安全を確保して、現在起きている事件を解決すればそれで終わりだと思っていた。
まさか巻き込まれたばかりの少年が事件に踏み込もうとするとは思っていなかった。
思えば、あれを認めてしまったのが私の二度目の過ちだった。
「鳩原さんには才能がありました。オーヴァード同士の戦闘に耐えうるほどの。初めての任務を終えて、能力を伸ばし、彼はだんだんとUGNへ関わるようになってきました」
「才能があった」と言う私の声に苦いものが混じったのを感じた。
…………いっそ、素質なんて無ければ。
「彼は優しい人です。言葉を交わすたびにわかっていく。人の幸せを真っ当に祈れる、幸せになるべき人で─────本来はこちら側に来るはずの無かった人です」
それを、私が引きずり込んだ。
「彼が正式にUGNに所属することを選んで、それを止められないと悟った時、私は決めました。絶対に彼を堕とさせない。彼が成長するまで私が絶対に守りきる」
言ってしまえば、私がまだ琵琶野支部にいる理由がそれだ。
契約期限が切れてなお、鳩原さんが成長するまでは、支部の戦力が増えるまではと霧谷さんに無理を言って残り続けている。
「急速な成長はジャーム化のリスクを孕みます。そこまでいかずとも、レネゲイドによって性格が変貌した人など枚挙に暇がありません。鳩原さんがそうならないように、無暗に上を見ないようにと、私は彼の出力に合わせるようにしてきました」
そうして鳩原さんは順調に成長を続けていった。
一線級のオーヴァードには及ばずとも、都市支部のエージェントとしては十分以上の実力を既に身に着けている。
そして今、彼は変わらず心優しい少年でいる。
「それが間違っていたとは思いません。後悔も。ただ…………二日前の《冴える黒蛇》に言われた言葉が、頭から離れないんです」
─────過保護ママは随分お優しいンだなァ? その調子でアイツが死ぬまでしっかり守ってやれよ甘ったれが
あれから再び顔を合わせた時に言ってきた言葉。
全てを見透かしたようなあの目が苛立たしい。
何も知らないくせに土足で踏み込んでくるあの態度に怒りを覚えた。
鳩原さんの、何を。
ピシリ
カップの持ち手にヒビが入って、知らず知らず力を込めていたことに気づいた。“砂”を纏わせ丁寧に修復する。
そんな私を、神凪さんは話す前から変わらない穏やかな目で見つめていた。
「……………………そう、ですね」
考えを纏めるようにコーヒーカップを口にした。
「僕は、天本さんが間違っていたとは思いません。鳩原さんが優しい人だってことはこの4日間でも十分わかりました。鳩原さんが今の鳩原さんでいられているのは、間違いなく天本さんのおかげでもあるんだと思います」
でもきっと《そういう話》じゃないんですよねと。困ったように眉を下げた。
「だから、僕が言えるのは一つだけ」
そこで初めて、彼の瞳に窘める色が入った。
「鳩原さんを引きずりこんだっていうのは、それはきっと違います。命の危険に満ちた、明日をも知れないオーヴァードという存在になったことを鳩原さんがどう感じたのか。─────天本さんは、それをちゃんと聞くべきです」
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任務を完遂し、天本と共に支部へ帰り、本日の研修を終えた神凪は訓練室に足を運んでいた。
第一訓練室。二日目と三日目に鳩原とあさひの研修で使用した部屋。
片隅に置かれた機械人形に手を触れて、訓練の様子を思い返す。
天本が全力を出していないことは神凪も気付いていた。
黙っていたのは彼女がそうする事情をなんとなく察したのと、隠してはいてもある程度の実力は窺い知れたからだ。
視線の動き。反射的な反応の速さ。死角からの対応。そして何より、体の内側で行われているレネゲイドの活性化とその制御。
隠そうとしても現れてしまうそうした反応を見れば本来の実力はまあわかる。
遠巻きに見ていたアネモネとは違い至近距離でそれらを感知した神凪は、アネモネよりも正確に天本の実力を把握していた。
把握したからこそ、神凪は不思議そうに呟いた。
「…………聞いてたほど強くないよな」