怪文書置き場 作:ジャーム先輩
研修五日目。
天本とアネモネの間には、予想に違わず険悪な空気が漂っていた。
「この地域の調査は終わりましたね。次に行きましょう」
「…………」
地図を片手に告げた天本の言葉にアネモネからの返答は無い。彼は無言で次の地区へと足を向けた。
今朝、調査任務を始めた時からずっとこの様子だ。名目上は琵琶野支部から来た天本への研修であるのに、アネモネは調査を主導どころか手伝いさえしない。実働調査は全て天本がこなしている。
今更気を遣おうとも思わず、相手をするのも馬鹿らしくなって天本は業務的な言葉をいくつか投げるだけに留めていた。
「(鳩原さんは大丈夫でしょうか)」
今日あさひが組んでいるのは神凪なので、任務上の観点からは心配していない。だから、天本が案じているのはそれとは別のことだ。
昨日、任務を終えて名取支部に戻ってから、天本は少し話をしようとあさひを待っていた。
しかし、天本にだいぶ遅れて戻ってきたあさひは酷く悩んだ顔をしていて、一言二言交わすと部屋へ戻って行ってしまった。
任務中に不測の事態が起こったとは聞いていない。となるとほぼ確実に前を歩く男が原因だろう。
しかし鳩原に何を言ったのか問い質すことにも釘を刺すことにも、もはや意味を見出せない。この男がそれを聞き届けることは無いだろう。だから天本は残り三日で可能な限りアネモネが鳩原に接触しないように振る舞い、琵琶野支部に帰ってから鳩原に話を聞こうと考えていた。
いずれにせよ研修は今日を含めてあと三日だ。それが過ぎればこの男と顔を合わせることは無いのだからと、天本は意識してささくれ立った心を閉ざす。
「(さて。次が最後のエリアですね)」
名取市周辺を記した地図を見ながら心の中で呟いた。
今日命じられた任務は、名取の街中でオーヴァードの気配が無いかの見回りだ。
見回り自体は日常的に行われていることではあるが、今回は少し事情が違う。
どうやら昨夜、街中の見回りをしていたエージェントが微かにレネゲイドの気配を感じたらしい。すぐに周辺を捜索したがオーヴァードは見つからなかった。
そのエージェントの勘違いかごく小さなEXレネゲイドという可能性もあるが、のちのち大事になるかもしれない芽を潰すために早い段階での調査任務が命じられた。
場所が街中であるため、歩き回って残滓を探す他に、近くを歩く市民に話を聞くなどといった総合的なやり方が必要になる。そういった意味では研修に適した任務と言えた(天本は既にこの手の任務に習熟しているし、アネモネにいたっては一切手を出さなかったが)。
今のところ有力な手掛かりは見つかっていない。
残す地域はあと一つだが、これは外れかと天本が判断していたところで─────ジッ、とレネゲイドが周囲を包み込んだ。
「─────!!」
ワーディングだ。それもかなり近い場所から展開されている。
前にいるアネモネを見る。さすがにこれに不干渉を決め込むことはできなかったようで、天本を見て先に行くよう促してきた。こくりと頷きレネゲイドの強い方へ歩き出す。
ワーディングの発生源と思しき場所は、大通りを少し外れた裏路地だった。
ワーディングを張っている人物は未だそこを動いていない。誘っているのか、あるいは何か動けない事情でもあるのか。いずれにせよ逃す手は無いと天本とアネモネはその裏路地に踏み込んだ。
「…………………………………………」
そこにいたのは、フードを被った一人のオーヴァードだった。
御丁寧に仮面までつけているようでその人相は窺い知れない。背格好からして恐らくは女性。
そのオーヴァードは現れた二人に気づいても、体を向けるだけで何か行動を起こそうとはしてこない。不気味に二人を見るだけだ。
「私達はUGNの者です。あなたの所属をお聞かせ願えますか?」
ひとまず天本がそう問いかけた。
一秒、二秒、三秒。数秒待つも相手からの返答は無い。
「困りましたね。それでは、
フードの女の後ろ。路地を曲がった先で、気配を消したもう一人のオーヴァードがいる。
天本が一歩踏み出して、そこで初めてフードの女がアクションを起こした。
「……………………」
スッ、と右手を上げ二人へ向ける。
フードの女の体内で活性化されたレネゲイドが巡るのを感じた。
天本は一瞬だけアネモネを見た。何かをする様子はなく、じっとフードの女を見つめている。
それを交戦の許可と取り、天本は自らの能力を解放した。
天本の右手に砂が生まれ、それは一瞬で長銃の形を成す。
何かする前に無力化する。天本が引き金を引いた。
途端、銃の形を成していたレネゲイドが膨れ上がる。
流れこむ因子に耐えられず自壊した銃身を意に介さず……いや、その自壊さえ推進力に変えて、レネゲイドの弾丸が発射された。
「……………………」
対峙するフードの女は動かず、代わりに突き出された右手を中心にして重力の力場が形成された。
バロールの能力。天本の攻撃を止めようという算段だろう。しかしその選択は、天本玲泉というオーヴァードを前にして取るべきものではなかった。
彼女のシンドロームはモルフェウスとオルクス。そのどちらも攻撃力に長けたシンドロームとは言い難いが……入り混じれば、レネゲイドは容易く例外を生み出す。
モルフェウスの十八番である武器生成。オルクスにのみ許された自壊を前提とする過剰強化。
その二つを織り交ぜた《
だから、仕方のないことだった。
「─────え」
展開された力場に放った弾丸が止められ、それにほんの一瞬動揺してしまったことは。
一瞬。けれど確かに、天本の思考に空白が挟まる。新たな乱入者が現れたのはまさにその瞬間だった。
フードの女の後方から飛び出した二人目のオーヴァードが銃口を天本に向ける。
中型の拳銃から放たれたのは圧縮された光線だった。膨大な熱を纏った致死の一撃が硬直した天本に迫り来る。
「(しまった……っ!)」
一瞬後の激痛を覚悟した天本の眼前で、バヂィッ!と音を立てて光線が相殺された。
「(《冴える黒蛇》!)」
バックステップで距離を取る天本へ追撃のレーザーが放たれるものの、それらは同様に撃墜される。
初手で交錯した様相は整い、細い路地の入口に立つ天本とアネモネ、その先に立つフードを被った二人のオーヴァードが睨み合う状況となっていた。
「…………チッ」
先程のお返しと言わんばかりに、銃を持つ方のオーヴァードへアネモネがレーザーを撃った。しかし二人目のオーヴァードはアネモネがやったのと同じように襲い掛かるレーザーへ攻撃をぶつけて相殺した。それを見てアネモネが舌打ちを零す。
「「………………………………」」
硬直した状況で動いたのはフードのオーヴァード達だった。彼女らは入り口に立つ二人に背を向け、路地の奥へと走っていく。
「待ちなさい!」
追いかけようとした天本の視界が強烈な光で包まれた。
光が晴れた後には謎のオーヴァード達の姿は残されていなかった。いつのまにかワーディングも解かれ、彼女らが発していたレネゲイド反応も途絶えている。
唇を噛み締める天本に声がかけられた。
「おい、支部に戻ンぞ」
「追わないのですか?」
「このまま追ったとこで勝てンのかよ? 俺の攻撃もテメェの攻撃も止められてただろうが。増援でもいたらどうする」
「……了解しました」
「チッ」
天本にも聞こえる声でアネモネが呟いた。
「─────面倒くせェことになりそうだ」