怪文書置き場 作:ジャーム先輩
研修六日目。
本来は戦闘任務に同行するはずだった今日、あさひは一人、名取支部の訓練室にいた。
昨日の調査任務中に再開発地区と名取市街の二箇所で強力なオーヴァードが現れたことを受け、名取支部は警戒態勢に入った。
神凪とアネモネを含む名取支部のエージェント達は皆調査・巡回に出払い、あさひと天本には支部内での待機が命じられている。そして現在、あさひは訓練室で機械人形と向き合っていた。
慌ただしい上階とは異なり、使用するオーヴァードが全員出払った訓練室には静けさが満ちている。その中で、定期的に鳴る衝撃音だけが人のいる証となっていた。
「はあっ、はあっ」
衝撃音の正体は、機械人形の攻撃をあさひが防ぐ音。
少年は表情を歪め、息を乱しながら、襲い来る攻撃をひたすらに止めていた。
右からの殴打。打ち消す重力場を展開する。
─────お前、強くなりたいって思ったこと無ェだろ。
「…………っ」
受け損ね体勢が崩れる。畳みかけられた蹴りを止める。
─────お前は、お前の大切なモンを失うぜ。
「あ、ぐっ」
勢いを殺しきれない。咄嗟に構えた腕が跳ね上げられる。
目の前の機械人形が拳を構えた。似ても似つかないその姿が、あさひには昨日のオーヴァードと重なって見えた。
─────自分の後ろで、大切な人達が焼け死んでいる。
「ごぼっ!?」
咄嗟に張った障壁は紙のように破れ、金属の拳があさひの腹に突き刺さった。
重たい打撃は手加減なくあさひを殴り飛ばし、その体がごろごろと床を転がる。
プログラムされた戦闘パターンが無慈悲に追撃を選択し、呻くあさひに拳が振り上げられ。
「何してるんですか鳩原さん!?」
割り込んできた乱入者によって受け止められた。
▼▼▼
「ああもう痣だらけじゃないですか。人形のセーフティも外してたし、もしかして朝からずっとあんな風にやってたんですか?」
訓練室の片隅であさひは神凪に包帯を巻かれていた。
その体のいたるところに大小様々な痣が浮いている。自然治癒したものも考えればもっと多いだろう。
「とりあえず処置はしましたし一時間もすれば治ると思います。それまでは休憩を……」
「ありがとうございました。じゃあ行ってきます」
「ちょっ」
機械人形の方に歩き出したあさひの手を神凪が掴む。
「聞いてましたか!? 明らかにやり過ぎです、せめてもう少し休んでから」
「ごめんなさい。でも、ボクはもっと強くならなきゃいけないんです」
「……………はあ。─────止まれ」
瞬間、あさひの全身から力が抜けた。
倒れ込むあさひの身体を神凪が受け止め、そのまま地面に横たえる。
「そんな状態で訓練なんかしても痣が増えるだけだって言ってるんです」
「でもボクは……っ!」
「さっきの戦闘での出力、初日の半分にも届いてませんでしたよ。自覚はあるでしょう? 鳩原さんが今するべきは訓練じゃなくて冷静になることです」
そう言ってあさひの頭に冷たいタオルが乗せられた。
ひんやりとした冷気が何かを押し留めてくれるような気がした。今の自分があまりにも情けなくて、あさひはタオルを押し当てて顔を隠した。
「…………ボクは、さっきまでの訓練、本気でやってました」
ぽつりと声が漏れた。
「はい」
「それなのに、全然、今までみたいに、力が使えなくて」
「はい」
「続けていくほど、弱くなって……!」
頭がぐちゃぐちゃのまま声が勝手に出ていく。
タオルの下でどんな顔をしているのかあさひは自分でもわからなかったし、神凪が見ようとしないでくれるのがありがたかった。
「ボクの後ろに、守れなかった人が見えるんです」
「…………」
「お父さん、お母さん。玲泉さんに十六夜さん。支部の職員さん。学校の友達。近所のおばさんに、楽器屋のおじさん。…………みんな、みんな、ボクの後ろで燃えてるんです」
「…………」
「こんなの思い込みだって、必死に攻撃を止めようとしても全然上手くいかなくて、もう、どうやってこの力を使ってたのかもわからなくなって……!」
目尻から熱が溢れて、それを耐えるのに涙声になった。タオルを強く顔に押し付ける。
昨日、謎のオーヴァードの襲撃を受けてから。障壁が侵食されていく感触があさひの手から離れなかった。
もちろん今までもあさひの障壁が破られることはあった。琵琶野市で現れるジャームの攻撃全てを防げたわけではない。
けれど昨日のあの炎は、明確に何かが違った。
どれほど重力を強めても押し止まない侵食が「その気になっても止められない」ということをあの時あさひは理解してしまった。
今日この訓練室にやってきて、攻撃を防ごうとするたびにあさひは自分の後ろに大切な人達の死体が浮かぶようになった。どうやってもそれは振り払えず、気づけばまともに能力も操作できなくなっていた。
「守りたいのに……その力が無い……。ボクは、どうすれば…………」
こんな弱音を吐いちゃいけない。そうわかっているのに押しつぶした声が漏れ出た。
「鳩原さんの気持ちはわかります」
「…………わかりませんよ」
「わかりますよ。少し前の僕がそうでしたから」
……え?
タオルの隙間から伺うと、神凪がこちらを見つめていた。
「ちょうど一年くらい前ですね。僕は事件に巻き込まれて偶然レネゲイドに覚醒しました。正直に言うと嬉しかったです。『助けて』って言う人を助けられる力だって。─────けど僕は、しばらくの間まったく能力が使えませんでした」
神凪が指を鳴らす。それに応じて地面が盛り上がり、数十センチの槍が形成された。
「これくらいの操作に十秒以上かかって、威力も、まあお粗末なものでした。当然エージェントになれるわけもなくて、けどそれが我慢できなくて、何もわからないまま闇雲に訓練を繰り返してました。だから、能力が使えない苦しさはわかります」
当時を思い返すように神凪が遠くを見る。その言葉には確かな実感が宿っていた。
それを見てあさひはたまらず聞いた。そこに答えがあるのではないかと感じた。
「……どうやって、力が使えるようになったんですか?」
「ん……。まあ、ちょっとしたきっかけがあったんですけど……そうだなあ、『できる』って思ったんです」
「できる?」あさひが繰り返した。
「はい」神凪が頷いた。
「
「…………」
あさひは自分の心に問いかける。
神凪が言った『できる』という感覚。今のあさひにはそれがわからなかった。
「昨日のオーヴァードの攻撃を防げなかったから……だけじゃないですよね。アネモネさんに何か言われました?」
「…………お前は、いつか大切なものを失うぞって」
「あ゛ー………………………………」
頭を下げようとした神凪をあさひが手で制す。謝られることではなかったから。
「お前は大切なものを失ったことが無いから強くなろうって気持ちが無いんだ。何かを絶対に守りたいっていう気持ちが無い。UGNに向いてないって」
「……………………」
「……守りたいっていう気持ちはあるんです」
言えなかったくすぶる思いを吐き出す。
「お父さん、お母さん。玲泉さんに十六夜さん。支部の職員さん。学校の友達。近所のおばさんに、楽器屋のおじさん。そういう周りの人たちを守りたくてボクはUGNに入りました。だから、本当は『そんなことない』って言いたかったんです。守りたいと思ってますって。けどアネモネさんの言葉はすごく力強くて、ボクが言おうとした言葉はすごく薄っぺらいものに思えました」
「……………………」
「ボクの思いは、本当は嘘っぱちだったのかなって」
「…………それは違いますよ」
零れた呟きは神凪によって否定された。
「鳩原さんがアネモネさんの言葉に感じたのは、正しさじゃなくて重さでしょう?」
「えっ?」
「僕は、言葉の重さっていうのはその人が重ねてきた決断の数によるんだと思ってます。苦しい時や辛い時でも『自分はこうする』って決めてきた人の言葉は重い。だから鳩原さんがアネモネさんの言葉をそう感じるのは当然です。けどそれは、鳩原さんの思いが間違ってるってことじゃないんです」
神凪が言葉を続ける。
「オーヴァードを強くするのは、その人が持つ思いです。それはきっとどんなものでもいい。最初は軽く聞こえるかもしれないけど、貫き続ければそれは力を持ってくる。揺らがなければいつか大きな重みを持つ。─────鳩原さん。
優しい瞳があさひを見つめていた。
「…………ボクは」
考える。
なぜ自分はUGNに入ったのか? ……違う。この問いが聞いているのは、自分はこの力で何をしたいのかだ。
この力に目覚めたときのことを思い出す。
病院で目を覚ましてから事情を聞いて、真っ先に感じたのは困惑。自分が自分でなくなってしまうかもしれないという恐怖。
その上で事件に足を踏み入れたのは、そう、友達を助けたかったから。善意。渦中にいたその人を助けられたという安堵。喜び。
次に思い出すのは、クラスメイトを助けられなかったこと。
目の前にクラスメイトだったジャームが現れた時の絶望。疑念。そして怒り。
首謀者を倒した時のやるせなさ。クラスメイトの遺体の前で感じた悲哀。諦念。そして、「周りの人がこうなるかもしれない」という恐怖。
あさひがUGNに正式に所属するのを決めたのがこの時だ。
そしてその時にあさひは初めて明確な思いを宿した。
それこそが彼の軸。確かにその胸に宿した意思。
「─────ボクは、ボクの周りの人を守りたい」
この力は、きっとそのためにあるのだから。
あさひの言葉を聞いて神凪が微笑んだ。
「じゃあ、あとはそれを貫いていくだけですね」
「はい!」
そう答えてあさひは立ち上がる。タオルはすっかりその冷たさを失っていた。
「なんとなく、アネモネさんが言いたかったことがわかった気がします」
「へえ。それは?」
「ボクは、ボクの気持ちをちゃんと自覚してませんでした。アネモネさんはきっとそれがわかってて、『大切なものを失う前にしっかり思いを定めろ』って言ってくれてたんです。やっぱり優しい人ですね!」
「……………………そうですね」
やるぞ! と張り切るあさひの目に神凪の微妙な表情は映っていなかった。
張り切る彼に水を差すこともないだろうと神凪は沈黙を選択した。
それにしても、と。入口の向こうで歩き去っていく人影を視ながら神凪が小さく呟いた。
「大事にされてるなあ、鳩原さん」
▼▼▼
「─────ボクは、ボクの周りの人を助けたい」
入口の影から天本玲泉が見守る先で、目覚めて間もないオーヴァードが宣言した。
目覚めて間もないと思っていたオーヴァードが、そう宣言した。
気づけば天本はその場を離れて、あさひ達のいた部屋から最も遠い訓練室へ入っていた。
片隅に置かれている数十体の機械人形全てを起動し、襲い来るそれらを撃ち抜いていく。
視界が敵で埋め尽くされる中で、天本の体に纏わりつく感覚があった。
「(─────私は、こんなに弱かったでしょうか)」
銃の取り回しが遅い。
弾丸の発射にズレがある。
思い描いた動きに身体が半瞬遅れる。
数十分が経ち、沈黙した残骸の山で天本は肩で息をし汗を拭っていた。
「ンッとに、見ててイラつくなテメエは」
声がかけられた。
視線をやると、壁に背を預けるアネモネがいた。
ドアが開いた音はしなかった。あるいは初めからそこにいたのかもしれない。それにも気づかないほど余裕が無かった。
「……………………」
溜息を吐くのをこらえて横を通り部屋を出ようとする。
扉に手をかけて、動かないことに気づいた。鍵が固定されている。
「…………何かご用ですか」
うんざりとした声音を隠さずに問いかけた。
「あンまりにも見苦しかッたンでな」
同じようにうんざりとした声が返ってきた。
「テメエが勘違いしてることは山ほどあるが、そン中でもデケェ勘違いしてるみてェだから言ってやる」
刺すような視線が天本を貫いた。
「
「は?」
それだけ告げるとアネモネは天本の体をどかし訓練室から出ていった。
一人残された部屋で、天本は己を見つめていた。
▼▼▼
そして翌朝。
琵琶野支部から来た二人に、一つの指令が下された。