「暦ちゃん、リツカ、準備ができたからいらっしゃい」
リビングのほうからリツカちゃんのお母さんが呼ぶ声が聞こえた。
「だって、コヨちゃん行こっ!」
立ち上がったリツカちゃんに続いてリビングへ移動すると、その光景に思わず何度も瞬きをしちゃった。
テーブルには純白のクロスが敷かれ、白磁に淡いピンクの花柄があしらわれたティーセットが所狭しと並べられていて、中央にはおっきなティースタンドが置かれている。
あれ?と思って壁際の食器棚に目をやると3つのティーセットはそのまま置かれていた。
……ティーセット、あれだけじゃなかったんだ。
「あー、やっぱりママとっておきのティーセット出したんだ。さ、コヨちゃん座って座って」
リツカちゃんが椅子を引いてくれたからそこに座るけど、なんだか童話の世界に迷い込んだみたいな気分になっちゃう。
「はい、暦ちゃん。まずはストレートで飲んでみてね」
「あ、ありがとうございます」
いつの間にか後ろからリツカちゃんのお母さんが現れて、目の前のカップに紅茶を注いでくれる。
そのままリツカちゃんと自分の分を注いで、ティーポットにティーコゼーをかけて席に着く。
「あの、それじゃあいただきます」
ちょっとおっかなびっくりとっても高そうなティーカップをソーサーごと持ち上げて紅茶に口をつける。
「えっ!?」
するとまるで花が開くように香りが口の中で広がってスルスルと紅茶が喉へと通り抜けていった。
「あっママ、とっておきのダージリン使ったんだ?」
リツカちゃんはなんでもないことのように言うけど、私は今まで飲んだこともないような透き通った味に驚いていた。
前に何回かリツカちゃんに淹れてもらった紅茶で紅茶への苦手意識はなくなってたけど、コレはリツカちゃんには悪いけどレベルが違うと思っちゃう。
「ふふ。だって大切なゲストだし、それにあんなに美味しいコーヒーをいただいたんですもの、これくらいはお返ししないといけないでしょう?」
リツカちゃんのママも紅茶を一口飲んでから私に笑顔を向けてくれる。
「暦ちゃんにも気に入ってもらえたみたいで嬉しいわ。サンドイッチやスコーンもちゃんとできたと思うし、ケーキも私のお気に入りのお店のものだから美味しいと思うから、気にせず食べてね」
リツカちゃんのお母さんに薦められるままにティースタンド下段に並べられているサンドイッチに手を伸ばす。
手に取った一口サイズに切り分けられたサンドイッチは本当に英国の伝統的なキュウリのサンドイッチだった。食べてみると瑞々しいキュウリの食感にちょっとピリッとしたマヨネーズがアクセントになっていて凄く美味しかった。
つい興味に負けちゃって続けてまたサンドイッチを手に取ると、今度はたっぷりのハムと卵がはさまれていて、濃厚なハムの味が際立ってやっぱり凄く美味しかった。
ちょっとびっくりの連続に落ち着こうと紅茶に口をつける。
……そうだった。この紅茶自体からしてびっくりするものだった。落ち着こうと思ったのにやっぱり落ち着けない。
そうして緊張でさらに硬くなりそうなところへリツカちゃんのママが声をかけてきた。
「暦ちゃん、次はスコーンを食べてみて。クロテッドクリームをたっぷりつけて、ブルーベリージャムかオレンジママレードもたっぷり乗せてね」
「は、はい。いただきます」
言われるがままにまだ温かいスコーンを手にとって割ると、それだけでふわりといい香りが漂ってきた。そこにクロテッドクリームを乗せて、さらにブルーベリーのジャムもたっぷりと乗せて口へと運ぶと、凄く濃厚なのに凄くさっぱりしてる上品な味が口の中いっぱいに広がった。
……なんだろう、私ホントに童話の世界に迷い込んじゃったのかな?今だったらタキシードを着て懐中時計を持ったウサギが出てきても受け入れられちゃいそう。
驚いてばかりいた私だけど、紅茶をまた飲むと少しだけ落ち着くことができた。
そうして見てみると目の前のリツカちゃんがサンドイッチを食べながら悪戯っぽい目で私のことを見てた。
「ど、どうしたのリツカちゃん?」
「いや~、ママの本気だからしょうがないけど、びっくりしてるコヨちゃんがちょっと面白くってさー」
リツカちゃんの言葉に恥ずかしくなってごまかすように再び紅茶へと逃げる。
すると紅茶がなくなったことを察知したリツカちゃんが、手馴れた様子でティーコゼーを外したティーポットから紅茶を注いでくれる。
「アタシもまだママほど美味しく紅茶を淹れられないしねー」
そう言ってリツカちゃんは自分のカップにも紅茶を注ぐと再びティーポットを置いてティーコゼーをかけた。
そんな私たちのやり取りをリツカちゃんのお母さんは優しげな笑顔で見てる。
「でもリツカも昔、暦ちゃんに飲んでほしくって必死に練習してたものね。今も練習してるから、今の歳から考えたら十分美味しい紅茶を淹れられているわよ?」
「あっ!?ママそれ秘密ーっ!」
……そっか、リツカちゃんは私のためにそんな練習してくれてたんだ。
なんだかこの優しい空気に少しずつ私の緊張もほぐれていって、さっきまでの非現実感が薄れてちょっとだけどリラックスできるようになった。
「昔リツカちゃんが淹れてくれた紅茶で私は紅茶の苦手意識がなくなったけど、そんな練習までして淹れてくれてたんだね」
そう言ってリツカちゃんに笑顔を向けるとリツカちゃんは恥ずかしそうな顔をしながら視線をリツカちゃんのお母さんの方へ向けた。
「ほらー、コヨちゃんにバレるとこんな風に素直に褒められちゃうから、アタシとしては恥ずかしいから秘密だったのに……」
「いいじゃない。リツカががんばったから、暦ちゃんも美味しいって思ってくれたんだから胸を張りなさい」
「そうだよ、リツカちゃんの淹れてくれる紅茶、凄く美味しいもん」
「コヨちゃん、ソレ今飲んでるママの紅茶と比較して同じコト言える?」
リツカちゃんがジト目でそんなことを聞いてきた。
「え、えーと……それは……」
……最初に思ったことだけど、リツカちゃんには悪いけどレベルが違うと思うな。
「こーら、リツカ。暦ちゃんをいじめないの」
「むー、いつか絶対コヨちゃんにママの紅茶より美味しいって言わせてみせるもん!」
「なら次は茶葉の状態に合わせた淹れ方を覚えましょうね?」
「……はーい」
流石に素直に答えるのはつらい質問だったから、リツカちゃんのお母さんが助け舟を出してくれて助かっちゃった。
「でもコヨちゃんは自分であれだけのコーヒーを淹れられるようになったんだよね?アタシはママに教われるから上達もするけどさー」
「私は昔お爺ちゃんが淹れてくれるコーヒーが大好きだったの。それでお爺ちゃんの道具をそのまま使って、使い方を調べて淹れるようになったの。もちろん最初は何度も失敗しちゃったけどね」
もういなくなっちゃったけど今でもお爺ちゃんの笑顔はいつでも思い出せる。
本も天体観測もコーヒーも全部お爺ちゃんが私に教えてくれたこと……。
「暦ちゃんが天体観測が好きなのも、そのお爺様の影響じゃないかしら?」
「あ、はい。そうです」
リツカちゃんのお母さんの声で思い出に浸りそうになっていた自分を引き戻す。
「やっぱり、コーヒープレスがアウトドアメーカーのものだったのが今の話で納得がいったわ。暦ちゃんはお爺様と天体観測に行ったときなんかにコーヒーをいつも飲んでいたんでしょうね」
ズバリとお爺ちゃんが生きていた頃の様子を言い当てたリツカちゃんのお母さんに少し驚く。
「あら、意外そうな顔をしているけど、アウトドア用のコーヒープレスだと側面がガラスじゃないからコーヒーの抽出具合を見るのに不便なのにどうしてか気になっていたのよ。それにスノーピークのコーヒープレスだと普通のコーヒープレスよりかなり割高なのが不自然だったのよね。あとはキャンプのときに立派な天体望遠鏡を苦もなく使ってたことは聞いているからそう思っただけよ」
すごい洞察力と推理力、まるでアガサ・クリスティのジェーン・マープルみたい!
「ふふっ、暦ちゃんのことだから私のことをミス・マープルみたいに思ったんじゃないかしら?」
「えっ!?その通りですけど、どうしてわかったんですか?」
あまりにもこちらの考えが読まれてるようで驚いて声をあげちゃった。
「実は私、昔ミス・マープルに憧れて読みふけって真似してたのよ。だから今もちょっとしたイタズラのつもりでやってみたの」
「ミス・マープルってアガサ・クリスティの小説の主人公だったよね?ママもそんなのに憧れたことあったんだ」
そう言って笑うリツカちゃんのお母さんに、リツカちゃんがちょっと驚いた顔をして訪ねてた。
「ええ。推理小説が私は好きで、これでも結構なシャーロキアンなのよ?」
「あー確かにママの部屋って、ホームズシリーズを飾ってたよね」
「ええ、だから是非とも「緋色の研究」の初版本を手に入れたいんだけれど、まず見つからないのよねぇ……」
……あれ?「緋色の研究」の初版って確か雲雀堂の高額本の一角にあったような気がする。
「あの、もしかしたらお父さんのお店に置いてあったと思います。ただ、たしかすごく高かったと思いますけど……」
私の言葉を聞いたリツカちゃんのお母さんは、手にしていたカップを落としそうになって私に向かって身を乗り出してきた。
「暦ちゃん本当に!もしあればいくらなのか覚えてる?」
「えっと、今はお父さんがお店にいるはずなので聞いてみましょうか?」
「ええ、是非お願い!ああ、まさかこんなところで巡り合えるなんて!!」
さっきまでの優雅な雰囲気から一転したリツカちゃんのお母さんに驚きながら、ポケットからスマートフォンを取り出してお父さんに電話する。
「もしもし、お父さん?……ううん、まだなんだけどちょっと別の要件でね?雲雀堂の奥のコーナーにホームズの「緋色の研究」の初版ってなかったっけ?…………あった?確か原語版だよね、何刷でいくらになってる?リツカちゃんのお母さんが欲しいって言ってて……うん、そう……えぇっ!?……うん……うん、わかったちょっと待ってね」
電話をつないだままリツカちゃんのお母さんに向き直る。
「えっと、やっぱり原語版の初版2刷がありました。それで30万円だそうです」
「えっ!?そんな値段でいいのっ!!?」
「はい、本当はもうちょっと高いんですけど、リツカちゃんのお母さんならそれで良いってお父さんが」
「是非買わせていただくわ!取り置いてもらえるかしら!?」
「わかりました、お父さんに伝えます」
……店頭価格は150万円って言ってたから30万円ってホントに破格なんだろうな。雲雀堂にはお爺ちゃんが集めた本が一杯あるからイマイチ価値がわからない古書が多いんだよね。
そんなことを考えながら再び電話を耳に当てる。
「あ、お父さん?リツカちゃんのお母さんがそのまま取り置いて欲しいって。……うん、わかった、伝えておくね。ありがとうお父さん」
お父さんとの電話を終えてスマートフォンをポケットにしまう。
「えっと、今日お父さんが私を迎えに来るときに持って来てくれるそうです。代金はいつでもいいそうです」
「そうはいかないわ!今からお金を用意してくるから!リツカ、暦ちゃんのおもてなしはお願いね」
そう言ってすごい勢いでリツカちゃんのお母さんは席を立ってハンドバッグを片手に出て行った。
残された私たちはポカンとその様子を見つめていて、少しの間硬直した後、お互いの顔を見合わせていた。
「なんだかママのテンションがおかしくなっちゃってゴメンね?」
「ううん、とっても欲しかったものが見つかったんだから仕方ないと思うよ?」
「まぁ、アタシ達はこのまままったりしてよっか?」
「う、うん。このままいただいちゃうね?」
そうしてお互い見つめあってると、どちらからでもなく笑い出しちゃって、さっきまでの緊張感も吹き飛んじゃった。
そうしたら後はもうリツカちゃんとおしゃべりしながらのいつものお茶会になった。テーブルの上はいつもよりも格段にゴージャスだけど。
紅茶が切れたら今度はリツカちゃんが新しい紅茶を淹れてくれたんだけど、いつもリツカちゃんが淹れてくれる紅茶よりも美味しくて茶葉の違いにも驚いちゃった。
リツカちゃん曰く今日の紅茶は「とっておきの茶葉」なんだって。
そうして2杯目のティーポットも空になる頃にはテーブルの上のサンドイッチやスコーン、ケーキもほとんど食べちゃって私はお腹いっぱいになっちゃった。
……今日は晩ごはんいらないなぁ。
そんなことを考えているとリツカちゃんのお母さんが帰ってきた。
「ただいま。あら、リツカと暦ちゃんもずいぶん楽しめたみたいね。途中で抜けちゃって悪かったけど、暦ちゃんに楽しんでもらえたのなら良かったわ」
そう言って私たちに笑顔を向けてくれるリツカちゃんのお母さんは、とっても優しい目で私たちを見てくれた。
戻ってきたリツカちゃんのお母さんがまた紅茶を淹れてくれて、今度は私もリラックスして3人で談笑してるうちに18時になっちゃったから、リツカちゃんに言って帰るためにお父さんに電話した。
キッチンに置かせてもらってたコーヒーの道具を片付けたりして30分くらいしたらインターフォンの音がして、お父さんが迎えに来てくれたことを知らせる。
「あの、今日は本当にありがとうございました」
2人にお礼を言って、手提げ鞄を持って帰ろうとしたらリツカちゃんとリツカちゃんのお母さんが外まで出てきた。
そうだった、お父さんが「緋色の研究」を持って来てくれてるんだった。
外には車から降りて紙袋を手にしたお父さんが立っていた。
「小鳥遊さんこんばんは、この度は大変貴重なものを譲っていただき誠に感謝いたします」
そう言ってお父さんに頭を下げるリツカちゃんのお母さん。
「いえいえ、うちの店に置いておいてもなかなか買い手がつかない物でしたから、そろそろ違う古書店に流そうかと思っていたところですのでお買い上げいただけて幸いです。一応そこまで状態は悪くないはずですが、念のためお確かめください」
そう言ってお父さんが紙袋を渡すと、リツカちゃんのお母さんはおそるおそるといった様子で中身を取り出して、外観を確認してから数頁開いて初版であることを確認してため息をついた。
「……小鳥遊さん、このような状態の物を本当にお伺いした金額でよろしいのですか?」
「ええ。先ほども申し上げたとおり、うちの店で扱うには少々荷が重い物でしたし、アイラさんがなかなかのシャーロキアンだということは知也君からも伺っておりますから、大切にしていただけると確信していますので」
笑顔でそう答えるお父さん。
……お父さんってお店でもそうだけど、本当に欲しがってる人には結構値引きして売っちゃうんだよね。だからたまにうちの家計が心配になるんだけど、何も問題はなさそうだしどうなってるんだろう?
「当然こちらは家宝にさせていただきます。こんな場で申し訳ありませんがお支払いもさせていただきます」
リツカちゃんのお母さんが封筒をお父さんに渡すとお父さんは中身を手早く確認した。
「はい。お代金も確かに頂戴しました」
そう言って封筒をジャケットの内ポケットにしまうお父さんにリツカちゃんのお母さんが手にしていた紙袋を差し出した。
「こちらつまらないものですが、せめてものお礼に受け取ってください」
「いえいえ、正当なお代金をいただいているのに申し訳ありませんよ」
紙袋を渡そうとするリツカちゃんのお母さんと遠慮するお父さんのやり取りを見て、私の隣に来てたリツカちゃんが小さな声で口を開く。
「……なんかママも随分日本に慣れたって感じがするなー」
リツカちゃんに無言で頷く。
ホント元英国人か疑問に思うくらい目の前のやり取りは日本人染みてる。
結局根負けしたお父さんが頭を下げながら紙袋を受け取って、私はリツカちゃんにバイバイしてお父さんの車の助手席に乗り込んで窓からまたリツカちゃんに手を振った。
お父さんも挨拶を終えて運転席に乗り込むとリツカちゃんのお母さんに渡された紙袋を私に預けてシートベルトを締めて車を発進させた。
「ふう、アイラさんも本当に日本人という感じになられたな」
さっきのリツカちゃんとほとんど同じことをお父さんが言うからつい笑っちゃった。
「うん?どうした暦?……まぁそれよりアイラさんのアフタヌーン・ティーに呼ばれたから、暦はもう夕食はいらないんじゃないか?」
「うん。凄く美味しいお茶請けをたくさんいただいちゃって、もうお腹いっぱい」
「やっぱりな。お母さんには暦の夕飯はいらないと思うと伝えてあるから安心しなさい」
「ありがとうお父さん。……でも、なんでわかったの?」
「私も招待されたことがあってな。アイラさんの本気だと元々小食な暦だと食べきれないんじゃないかと思っていたくらいだよ」
「そっか、お父さんもリツカちゃんのお家に何度かお邪魔してるもんね」
そんななんでもない会話をお父さんとしながら私は家に帰って、童話の世界みたいなティータイムは終わったことを実感してた。