新しいコーヒーを淹れるためキッチンへ向かう途中、リビングに居た両親にリツカちゃんが来ていることを伝える。
両親はそれを聞くと私に優しい笑顔を向けてくれた。
きっと、本ばかり読んで友達付き合いなんてほとんどなかった私に「友達」とちゃんと言える存在ができたのが嬉しいんだと思う。
それでも、あまり人と話すことが得意でない私には、リツカちゃんのように気軽に遊べる友達は他にいないけど……。
キッチンに着いた私は冷凍庫から真空パックに入ったコーヒー豆を取り出す。
この豆は隣の駅から少し歩いたところにあるお気に入りの専門店で買ったもの。
最初のうちは何件もコーヒー豆を売っている所を訪ねたけど、正直なところガッカリしてばかりだった。
たまたま別の用事で出かけた時に、偶然に見つけたそのお店に入ったらしっかりと豆の管理をしていることがすぐにわかった。
当然、自家焙煎のお店で焙煎機が店の奥にあるのがしっかりと見えた。
それに聞いてみたら焙煎具合も選ばせてくれるって言うから、色々な豆と焙煎具合を試すために何度もお邪魔することになって、今じゃ店長さんに名前も覚えられちゃった。
今取り出したのは私のお気に入り、ケニアAAのシティロースト。
フルシティローストも買ってあるけど、あっちはミルクを入れて飲むのに使ってる。
お薬缶をコンロにかけて、使い慣れたカリタのコーヒーミルを棚から取り出し、2粒ほど豆を入れて試し挽きをする。
リツカちゃんが来る前にも調整したから大丈夫だとは思うけど、チェックは大切。
問題がないことを確認したら、40gの豆を計量スプーンで取り出し、2回に分けてコーヒーミルの取っ手をガリガリ回す。
若干荒挽きに挽いた豆を一度篩いにかけて余分な微粉を落としておく。
使って水に浸けていたフレンチプレスをシンクから取り出し、水気を切って準備する。
ちょうどお湯が沸いたから火を止め、篩から豆をフレンチプレスに移し、一気にお湯を500mlのラインの少し上まで注ぐ。
コーヒー豆がフレンチプレスの中でしっかりと膨張してるのを確認したら、プレスヘッドをセットして壁の時計を見る。
フレンチプレスでの抽出はペーパードリップなんかとはまた違った特徴があって、この蒸らす時間がコーヒーの味を大きく変えてしまう。
リツカちゃんが楽しみにしてくれているからには、折角なら自分に出来る精一杯美味しいコーヒーを淹れたいと思って、自然と普段よりもちょっと真剣になっちゃう。
時計を見て目安の時間になったのを確認して、プレスヘッドの隙間から香りをチェック。
「……うん、良い感じかな」
失敗しなかったことに安堵して、つい独り言が出ちゃった。
そして慎重にプレスヘッドを押し込んでいく。
ここで慌てたりして失敗しちゃうと、雑味がすごく出ちゃう。
ゆっくりと一定の速度でプレスヘッドを下まで押し込む。
食器棚からリツカちゃん専用のマグカップを取り出して、私のマグカップと並べてコーヒーを注いでいく。
「お母さーん、プレスの処理頼んでいいー?」
「ええ、早くリツカちゃんと話したいんでしょ?そのまま置いておいて良いわよー」
リビングに声をかけるとそんな返事が返ってきた。
お母さんにも私の心はバレバレみたい。
両手にマグカップを持って階段を上がっていると、私が来るのがわかっていたみたいにリツカちゃんが扉を開けてくれた。
「やっぱりコヨちゃんの足音だった」
笑顔で言うリツカちゃん。どうやら「わかっていたみたい」じゃなくて「わかっていた」みたいだ。
「お待たせリツカちゃん、たぶん美味しく淹れられたと思うよ」
つられて笑顔になって私も答える。
「わ~い!コヨちゃんのコーヒーだー!」
私の差し出したマグカップを笑顔で手に取ったリツカちゃんが喜ぶ。
跳ねるような足取りで椅子に戻るリツカちゃんを見ているだけで私まで嬉しくなって来ちゃう。
私も自分の椅子に戻り、コーヒーに口をつける。
うん、上出来。これならリツカちゃんに出しても恥ずかしくない。
そんなことを考えながら対面の椅子に座るリツカちゃんを見る。
「これこれ!やっぱコーヒーはコヨちゃんのしか飲めないよー!」
リツカちゃんもコーヒーに口をつけ、そんなすごく嬉しいことを口にしてくれる。
「コーヒーショップのコーヒーってなんだか「コーヒー味」って感じなんだよね。喫茶店でもコヨちゃんのコーヒーほど美味しいと思ったこと無かったし」
「う~ん。それは仕方無いんじゃないかな、今日リツカちゃんが飲んできたのみたいなのだと、コーヒーが前面に出すぎないように調整されたコーヒーを使ってたりするし、喫茶店でもこだわってる所じゃないと豆から挽くんじゃなくて挽いたコーヒー粉で仕入れてるから……」
だから私も外で飲むときは、カフェオレを頼むことが多い。それでもハズレのお店はあるけれど、ブレンドコーヒーほどハズレを引く確率は低い。
そもそもカフェオレでハズレと思ったお店だと、そのベースのブレンドが当たりなんてある訳がない。
正直なところ、私は変な喫茶店よりは最近の缶コーヒーの方が美味しいと思ってる。
「え~、じゃあ外で飲むときは何に注意したらいいの?アタシ豆とかの種類も全然知らないしさー」
リツカちゃんの質問に少し考える。
実はコレ、地味に難しい問題でもあるんだ。
「えっと……一番簡単なのは一杯一杯ちゃんとドリップしてくれるお店だと大ハズレはないと思うよ。でも、ペーパードリップだと平坦な味になりやすいから当たりも少ないけど……」
とりあえず無難なところを選んで答える。
「ふ~ん……ねぇ「ペーパードリップだと」ってコヨちゃん言ったけど、コーヒー淹れるのに他にも方法あるの?」
「……うん、他にも何種類かあるけど一番多いのはペーパードリップだよ、コーヒーメーカーもほとんどの機種はペーパー式になってるし」
リツカちゃんの質問に「好きなことを話し出すと止まらなくなる」という私の悪い癖が出そうになるのを必死に堪えて回答する。
「へー、そうなんだ!コヨちゃんもペーパードリップしてるの?」
ダメだ、どんどん私の中の「語りたい」という気持ちが強くなっちゃう。
「う、ううん、違うよ」
我慢我慢、折角リツカちゃんが遊びに来てくれてるのに、リツカちゃんからすればつまらないだろう、そんな話をする訳にはいかない。
「じゃあこの「コヨちゃんコーヒー」ってどうやって淹れてるの?アタシがブラックで砂糖も入れずに飲めるのって「コヨちゃんコーヒー」くらいだから教えてよー!」
あ、ダメだ、もう我慢出来そうになくなってきちゃってる。
「……リツカちゃん、話すと長くなっちゃうよ?それでも良い?もし、途中で飽きたらちゃんと言ってね?」
「わかったー!じゃあコヨちゃん先生、お願いしまーす!」
わー、GOサイン出ちゃった。
良いよね?飽きたら言ってって言ったし大丈夫だよね!?
頭の中でブレーキが外れちゃったなって、違う私が見てる気がするけど、こうなったらもう勝手に口から言葉が出ちゃう。
「えっとね、まず抽出方法なんだけど、大きく分けて6種類あるの。さっき言ったペーパードリップ、それからネルドリップ、金属フィルター式、サイフォン式、あとはパーコレータにフレンチプレス。フレンチプレスはコーヒープレスとも言って、私が淹れてるのはこの方法なの。あ、エスプレッソはそもそも全く違う手順だからこの話とは別ね」
「へー!6種類もあるんだ!紅茶より多いな~。でも、コヨちゃんはなんでそのフレンチプレスって方法で淹れてるの?」
ああ、もう本当に止まらなくなっちゃう。
でも暴走しないように、リツカちゃんの質問に答えるように努力しなきゃ。ガンバレ、私!
「フレンチプレスって言うのはね、前にリツカちゃんに教えて貰った紅茶のティープレスとほぼ同じ方法って考えてくれたらいいよ。この方法だといろんな成分が吸着されることなく抽出できるから」
「成分が吸着されるってどういうこと?」
「うん、例えばペーパードリップだと、油分なんかを吸着しやすくて香りが薄くなっちゃったりするの」
「ふ~ん、アロマオイルが拭き取られちゃうみたいな感じかな?」
「イメージはそんな感じかな?それで、フレンチプレスだと金属しかコーヒーに触れないから、上手にできるとコーヒー豆本来の味や香りを出し切れるの。でも、どうしても豆の微粉が残っちゃうから舌触りが悪くなったりもしやすいんだけど……」
真面目な顔で私の話を聞いていたリツカちゃんが、手元のマグカップに視線を落とすとコーヒーを一口飲んだ。
引かれちゃってるかな……。
「でも、コヨちゃんのコーヒー、そんなの全然気にならないけどどうして?」
マグカップから再び私に視線を戻したリツカちゃんが不思議そうな顔をする。
「それはね、挽いた豆を一度篩いにかけて余計な微粉を落としてるのと、抽出時間を少しだけ短めにして、なるべくゆっくりプレスを押し下げて、中で微粉が舞わないように注意して、押し込み終えた後で、どうしても残っちゃった微粉が沈殿する時間を置いてるの。だから淹れてくるのに時間がかかっちゃうの、ごめんね。ペーパーとかだともっと早く淹れてこれるんだけど……」
これは事実、私のワガママでフレンチプレスを使っているから、コーヒーメーカーなんかを使えばもっと早くコーヒーを淹れられる。
「ううん、そんなの気にしない!だって、そうしたらこの「コヨちゃんコーヒー」とは違う味になっちゃうってことでしょ?」
「今はコーヒーメーカーとかも、金属フィルター式で美味しく淹れられる物があるみたいだから、同じ豆を使えばそんなに大きくは違わない味が出せるんだと思うよ……」
そう言ってから考えてみると、リツカちゃんに申し訳なくなってきちゃう。
「だめー!」
突然リツカちゃんが大きな声を上げたからビクッと体が跳ねちゃう。
「だってそうしたら、アタシがその味の違いに気付けるかわかんないけど「コヨちゃんコーヒー」じゃなくなっちゃうってことでしょ?アタシはコヨちゃんが淹れてくれたコーヒーで初めて「本当のコーヒー」を教えて貰ったんだから、コヨちゃんが自分で選んで淹れてくれる「コヨちゃんコーヒー」じゃなきゃヤダ!」
「リツカちゃん……」
リツカちゃんの言葉に涙が出そうになるのをぐっと堪える。
「時間がかかるってコヨちゃん言ったけど、紅茶だってちゃんとした手順で淹れようとしたら、食器の温度管理とか茶葉に注ぐお湯を沸騰させたまま空気含をませて、茶葉が開くの待ったりしてもっと時間かかるんだよ?それにさ、アタシ達が冬によく作ってるココアだって、ちょっとずつ牛乳を足して練りながら味を調えて作るから同じように時間かかってるよ?」
紅茶のことは難しくってわからなかったけど、リツカちゃんに指摘されてみれば確かに一緒に作るココアはもっと時間がかかってる。
リツカちゃんとおしゃべりしながら作ってるから気にならなかったけど、フレンチプレスでコーヒーを淹れる以上の時間をたっぷりかけて作ってる。
……でもその時はリツカちゃんと一緒で、部屋にリツカちゃんを待たせてるわけじゃない。
「またコヨちゃんが遊びに来てくれたら、アタシも本気で紅茶淹れてあげるから!……でも、その時は今日のコヨちゃんよりもっと長い時間待たせちゃうからね」
ちょっと意地悪っぽく言ってるけど、すごく私に気を遣ってくれてるのがわかって、また涙が出そうになっちゃう。
「でもさー、コヨちゃん淹れ方だけじゃなくて豆もちゃんと選んでるでしょ?じゃないとアタシが砂糖もミルクもなしでコーヒー飲めるようになるなんて思えないもん」
「え?あ、えっと……うん、隣の駅にあるお店で色々試させてもらって、ケニアAAって豆をシティローストにしてもらってるの」
「通販とかじゃなくて、わざわざそんなトコまで買いに行ってるの!?」
「う、うん。その時の生の豆の状態をちゃんと見てから選んで焙煎してもらうから……」
「ふえ~、そんなことまで気にして買ってるんだぁ」
リツカちゃんが凄く驚いてる。
でも、紅茶には凄く拘るリツカちゃんは、茶葉をどうやって買ってるんだろう?
「えー……。と、言うことは、コヨちゃん先生は「自分で納得のいく豆を買って来て」「自分が納得出来る淹れ方で」淹れることで「コヨちゃんコーヒー」が完成してるってことかぁ……拘りだねぇ」
「なんだかそう言われると恥ずかしいけど、そう……だね」
確かにリツカちゃんの言う通り、このコーヒーに関しては私のワガママであって、私の拘りでもある。
……あぁ、だからリツカちゃんに褒められると凄く嬉しくなるんだ。
私のワガママ……拘りを認めてくれてるみたいで。それが、私自身を褒められてるみたいで。
「コヨちゃんさー、バリスタ目指しちゃえば?」
「へっ!?…………えーっ!?無理無理、無理だよそんなの」
リツカちゃんの突飛な発言に一瞬理解が追いつかなかった。
「あはは、コヨちゃん慌てすぎー。アタシ達なんてまだ学生なんだからさー、未来はいくらでもあるし、そのひとつにバリスタのコヨちゃんがあっても悪くないとリツカさんは思うわけですよ」
「そ、そうかもしれないけど……」
……でもバリスタかぁ、ちょっと憧れちゃうかも。
「あっ!?でもコヨちゃんがバリスタになっちゃったら絶対人気出そうだし、アタシが「コヨちゃんコーヒー」飲めなくなっちゃうからやっぱりダメーッ!」
「あははっ、リツカちゃん気が早すぎるよ。それにさっきリツカちゃんが言ったみたいに私達の未来は無数にあって、そのどの未来になるかなんてまだわからないよ」
そう言ってリツカちゃんと笑い合う。
そう、私達の未来は無数にある。
あの時、リツカちゃんと友達になったあの夜に見上げた満天の星空に煌めいていた星々みたいに。
まったくの蛇足ですが、今回の暦さんには作者の趣味を代弁していただきました。
ですので非常に面倒くさい文章になってしまったことをお詫びいたします。
ちなみに作中で暦さんが使ったコーヒーミル(カリタ製)およびフレンチプレス(スノーピーク製)は以下のような物品です。
【挿絵表示】
文中で暦さんが「フレンチプレスは金属しかコーヒーに接しない」旨の発言をしていますが、これはリツカさんにわかりやすく説明するためであり、上記のスノーピーク製プレスは微粉を低減させるためのシリコーンフィルムが入っています(それでも微粉の完全除去はやはりできず暦さんと同じ淹れ方を作者はしていますが)。
作者は暦さんが挙げた6種類の方法全て持っていますが、プレスかパーコレータで淹れるのが好みです。
個人的にはプレス抽出のコーヒーは本当にイチオシですので、もし興味を持たれた方がいらっしゃれば、是非一度チャレンジしてみてください。
フレンチプレスは紅茶用の物でも代用可能ですので、道具もそこまでお金をかけなくても調達可能です(近くのダイソーでティー&コーヒープレスとして売っているのを見かけました。小型でしたが多用しないのであれば十分だと思います)。
プレス抽出する場合、豆は中挽き~荒挽き、抽出時間はだいたい1分以上でお好みの組み合わせを見つけてください(作者はケニアAAを中荒挽きにして3分抽出して暦さんの作法どおりゆっくりプレスして更に30~60秒落ち着かせています)。
※紅茶用のティープレスはコーヒー用に比べ、ガラスが薄い物が多いので紅茶用で代用する際は
お気をつけください。
作者は過去に紅茶用で代用して、2つガラスを割ってしまいました。