駄菓子屋のガチャの景品は箱庭のゲーム世界 作:箱庭ガチャ
五十年もの長い歳月を刻んだその二階立て建物は、地震が来れば倒壊するのではないかと不安に思うほどに老築化が進んでいた。俺は学校の帰り道に立ち寄るたびに、まだ倒壊しない建物に安堵している。
その建物の名前は『駄菓子屋 千代』親子二代で駄菓子屋家業を続けている筋金入りの駄菓子屋だ。
俺はいつものようにガラス戸を引きながら尋ねる。
「お婆ちゃん元気ー?」
するとカウンターの障子の向こうから物音がして、ゆっくりと戸が開き駄菓子屋の主人であるお婆ちゃん、千代さんが出てくる。腰は曲がり、眼鏡がなければ近くの物が見えない程に老いた老女はいつものようにカウンターの座布団に座り。
「まだなんとかお迎えが来ないのぅ……そろそろ来ても良い頃なんじゃが」
小刻みに震えながらこちらを見て言う。なんか本当に今すぐ死にそうで怖い。
今年で85歳になるので仕事なんてせずに引退して隠居生活を楽しめば良いのだが、駄菓子屋を経営する事がライフワークになっているので死ぬまで続ける気でいるらしい。このまま俺が高校を卒業するまで生きているか、それともポックリ逝くか、ギリギリのラインを生きている。
「人間、生きるか死ぬかは全てが運次第。死を恐れず気楽に事を構えて人生を過ごした方が良いですよ」
「十五、六も生きていない若者が言うのぅ……」
「まだ十六なのに、もう友達の三人の死に立ち会っているので、色々と死については吹っ切れた考えを持ってますからねぇ」
事故死、病死、自殺とまるで俺に対する嫌がらせのように、友人と言うべき人間が俺の目の前で死んでいった。今でもトラックに轢かれ、臓器不全で死に、ビルの上から飛び降りた友達の姿がたまにフラッシュバックする。病院では心的外傷ストレスと診断されたが、本当に迷惑な話である。おかげで友達を作るのが怖くなってしまった。
「呵々ッ!そうかそれは難儀じゃのう」
そう言いながら笑う店主。実はこの会話はもう数十回と繰り返してきた。別に店主がボケている訳ではなく、よくある中二的なやり取りを楽しんでいるだけである。店主も俺も映画のようなくさい会話が大好きなのだ。
そんないつものやり取りをやり終えた俺は、駄菓子を適当に見繕いカウンターに持っていく。うまーい棒、五十万チョコ、おっぱいプリン、二十円ガム――合わせて150円ほどの小さい買い物だ。
「十元じゃな」
「はい十元」
中国の為替レートで瞬時に計算して請求する辺りはまだ頭はボケてないのだろう。というか、八十五歳になっても為替とかやるとかあの世に金でも持っていくつもりだろうか?
俺は百五十円を渡し、駄菓子を食べるスペースの机が並ぶ場所に座り、壁際にびっしりと並べられたガチャガチャを眺める。この無駄なスペースを余すことなく金儲けをしようとする精神は見習いたい。
「新作のガチャガチャでなんか面白そうなのある?」
おっぱいプリンを食べながら店主に聞くと、
「その場猫シリーズ。男の娘シリーズ。死に体動物シリーズ辺りが最近の流行じゃと業者に聞いたのぅ……あとこの前、怪しい男がガチャガチャを設置して帰って行ったのじゃが、金は要らんので置かせて欲しいと言うのでそれとかどうじゃ?」
「誰だよその怪しい男」
「さぁのぅ……選ばれた者だけがクリアできる禁断のゲーム。SFで出てくる仮想空間上の冒険物語からアイデアを得て作られた玩具らしいがの。中々に奇矯な男で気に入ったので許可したのじゃが」
危機感ねぇなこのババア……いや、それはそれで面白そうなのだけど。
震える店主の指差す先を見ると、一見すると普通のガチャガチャに見えてはいるが、硬貨を入れる穴の代わりに千円札を入れる為の札入れがある。これはよく街角のサブカル雑貨店で見かける、一定金額に達するまでは絶対に当たりを出さないようになっているガチャのような見た目。表紙には挑戦者求ム!としか書かれず、明らかに売る気がない、それ以前に駄菓子屋で売る物じゃない機械が設置されていた。
「ネタとしては笑えるけど、駄菓子屋に来るガキが買うもんじゃないだろ……」
こういうのはサブカル雑貨店でやればノリで買う奴が居るが駄菓子屋にノリで千円突っ込む奴はいない。そんな金があるならスーパーで菓子を買う。
「売り上げ全部がワシのモノならそれでも別に構わん。ガチャガチャの利益なんてたかが知れているからの」
「原価ゼロなら置いといてデメリットはないと考えると確かにそうだが……というか、中身も分からんものを俺に買えと?」
「誰も買わんから中身がなんなのか分からないので興味があるのじゃが、試しに一本入れてみぃ若者よ」
一本かぁ……まぁ別に金はあるから一回だけやってみるか……。
財布から千円を取り出して札入れに投入する。そして吸い込まれるように消えた千円の代わりに拳大のカプセルが出てきた。ガチャガチャにしては大きい方だ。俺は祈るような気持ちでカプセルを回して開ける。
「俺の金がゴミになりませんように…………おっ!」
「どうじゃった?」
「これは千円の価値はあるかも知れない。というか千円でこれなら安いわ」
カプセルを開けて出てきてのは精巧なスノードームのようなミニチュアだった。暗色のおどろおどろしい城と荒廃した墓地や枯れた木、まるで本物のようなリアリティを持ち、雨が降るように赤い粉が舞っている。
俺は魅入られたように機械仕掛けなのかチラチラと城から見える明かりを眺める。まるで中に小人が住んでいてもおかしくない程のクオリティ。そしてカプセルの中に入っていた一枚の紙がポロリと落ちる。
「……ん?なんだこれ?」
羊皮紙のような紙を拾うと、そこには『クリア条件:魔王の椅子に座れ』と書かれていた。俺は首を傾げながらドームをくるりと回して魔王の椅子らしきものを探すが見つからず、この玩具のフレーバーテキストか何かかと思いポケットに紙を仕舞った。
しばらく見つめて、部屋に飾ろうと思いバックに入れ、
「このガチャガチャは千円の価値はあるぞ。このクオリティのミニチュアならガチャガチャじゃなくて普通に店で売れるレベルの代物だ」
「そうなのかねぇ……そんな代物なら駄菓子屋じゃなくて、もっと相応しい場所に置けば売れるだろうに、あの男の人も勿体ないことするねぇ……」
店主の言う通りである。あの売る気のないガチャガチャの表紙からは想像できない程のクオリティのミニチュアドーム。そしてフィギュア専門店にでも卸せば一稼ぎ出来るのに駄菓子屋で売るのは勿体ない。典型的なセンスはあるが商売の才能のない芸術家肌の人間なのだろう。
「まぁ色んなタイプの人間が居るってこっちゃ。気に入ったから機会があったらまた買いに来るわコレ」
「駄菓子売るよりそのガチャガチャの利益だけで一日の収入超えてしまいそうじゃの」
自嘲気味に笑う店主にその通りだなと笑い。俺はそのまま駄菓子を食べた後に店を出て家に帰る。世の中には大金を稼ぐ技術を持ちながら上手く運用出来ない人間も居るのだなぁ……と奇人を知って世界の広さを思い知る一日だった。
家に帰り、部屋で魔王城のミニチュアドームを眺めながら、振って火の粉を模した紙か何かを嵐のようにドームの中を吹き荒らしていると、次第にドームの中がどんどんと赤く染まっていく光景を眺める。
「なんだこれ?色落ちしてドームの水が染まってんのか?」
ドームの中身が見えなくなる程に真っ赤に染まった後、ドームの中からいくつもの魔法陣が浮かび上がる。
「おー新演出。凝ってんなコレ」
俺は未知の仕掛けにワクワクしながらどうなるか見守っていると、今度は自分の頭上に魔法陣が現れて、思考がフリーズした。
「は?えっ?なにこれプロジェクターでも仕込んであるのか?うぉ!」
とそんなことを思っていると、 魔法陣がそのまま俺を飲み込むように高速で降ってきて思わず目を瞑り、しばらくした後に熱い何かが身体に当たるのを感じて恐る恐る目を開ける。
「なんじゃこりゃ……」
火の粉の舞い散る中、遠くに見える魔王城と枯れ木と少し先に見える古びた墓地の中、入り口と思わしき鉄格子の玄関の中で俺は佇んでいた。
「えー……これっていわゆる異世界転移ってやつなのか?それともジュマンジみたいなゲーム世界転移?」
見た所は俺が手にしたガチャガチャのミニチュアと酷似していて、背後を見れば玄関より先は真っ黒な暗闇だった。試しに闇に触れてみるとゴツゴツとした壁のような感触を感じる。
うん。これは異世界転移と言うよりゲーム世界転移かな?
ポケットからカプセルから出てきた紙を取り出し『クリア条件:魔王の椅子に座れ』と書かれている紙が薄っすらと光っているので、俺の予想通りのゲーム世界転移と言っても良いことを確認した後。
「見るからにヤバい魔王城に単身ツッコミ魔王の椅子に座れって無理ゲーじゃないかな……」
手にはゲーム転移世界とかなら何かしらある特典やらゲームを進める為のアイテム等なく、ポケットにあるスマホと財布だけという罰ゲームのような状況に俺はスマホを取り出し。
「証拠として撮影しておくか……」
魔王城を背景に自撮りをするのだった。
「電波入らないから助けも呼べないな……これ本当に魔王城に突撃するしかないのだろうか……」
あれからしばらく周辺の写真を撮る事に集中して、墓地に向けて足を進めたは良いが半透明のゴーストのような何かが墓地を飛び回ってるのを確認して回れ右してスタート地点に戻ったはいいが、そこから先は何をすればいいか分からずに火の粉の舞う中で俺はただ茫然と魔王城を眺めていた。
「あのゴツゴツとした城なら中からじゃなくて、外からロッククライミングの要領で城の天辺まで行けばワンチャン行けるか?」
とりあえずこのまま立ち往生していても餓死一直線なので、墓地を迂回するように枯れ木の生えた道を進んでいく事にした。視界は良好、火の粉が光源となり周辺を見渡せるために敵が居ないことを確認して慎重に進む。
「このルートは何もないけど、何もないのが怖いんだよなー」
これは明らかにゲームを意識して作られている世界である。一見何もなさそうで安全に見えるルート程に何かがあるんじゃないかとビクビクとしながら進んでいると――
――木と融合したやせ細った人間と目が合った。
「ヴィぃィィィぃぃぃィィぃ!!」
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
木と融合した人間が絶叫とも断末魔とも言えぬ叫び声を出した為、俺は形振り構わずに魔王城に突撃することにした。そして枯れ木の中を駆け抜けて行くと、それに呼応するように同じような叫び声が四方から聞こえ始める。
「シィぃィィィぃぃぃィィぃ!!」
「アガぁァァァァァァァァァァァァァァ!」
「んひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!」
「ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!」
俺はいくつかの木の幹が足のように立ち上がり、ゆっくりとこちらに向かって歩いてくるのを横目に、
「ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!」
何に謝っているのか自分でも理解しないまま爆走を始める。幸いにも木人たちは足が遅く距離を取るのは簡単だったので最短距離で魔王城に向けて移動する。
「しぐぃぅぅぅぅぅぅ――ぶぅッ!」
「――オラ、どけや!木の化け物!」
時折、進路上に木の化け物が居るがこちらに気付いて叫ぶ前に顔面を殴り飛ばして、痛む右手を庇いながらも進み続ける。するとやがて枯れ木の切れ目が見え始めて城の外壁が見えてくる。俺はそのまま外壁にぶつかるように走り、ぶつかる直前で壁を蹴り上げるように垂直にジャンプする。
「飛べよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
いつかのタイムトラベル主人公のような叫びを上げながら、荒い目の外壁に突起に手を掛け足を掛け、そのままロッククライミング要領で登り始める。
「うわ、気持ちわりぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!」
下を見れば木の化け物がうじゃうじゃと俺の真下で蠢き、木の枝を手足のように必死に伸ばして巻きつこうとしている。だが俺は死力を尽くして登っているので枝が絡みつく事はなく、そのまま外壁の屋根に着くと一休みをしようと考えて足を止める。
「ショートカットで来たような気がするけど!これ死ぬ!どこに魔王の椅子があるかも分からないのに、このまま城の中を徘徊したら絶対モンスターか何かに殺されるって!」
そもそも魔王の椅子があるって事は魔王も居るってことだろう!どうやって伝説の剣も血筋もない俺が魔王を退いて椅子に座るんだよぉ!
火の粉が舞う中で思わず絶叫しそうになるが、それをやったら城の中に居るであろうモンスターに見つかるので寸での所で口を閉じる。時間制限があるのか初期より火の粉の舞う量が増えてきた気がするので、近くの木窓から城の中に入ることにした。
足音を立てないようにそろりと城の内部に侵入して周囲を見渡すが、暗い廊下に燭台が点々と明かりを灯すだけで何もないので、石畳の上をトラップが仕掛けられていないことを祈りながら進む。
とりあえず城の一番高い所を目指すか……。
ここはあのガチャの製作者が作った世界だ。そしてゲームである以上は最低限のお約束は守られていると信じて城の中を進む。耳を澄ますが聞こえるのは自分の足音だけ。敵と言うべきモンスターは配置されていないようだ。
近くにある扉からアイテムか武器になりそうなものを探す為に入ると、中は運が良い事に武器庫のようだった。長剣から短剣、槍から戦斧まで何でもある。そして定番のポーションまである。俺はそれを見て喜ぶより先に不安が襲う。
「これって絶対に戦闘イベント前の装備部屋じゃねぇか……」
この先に待ち受けるであろうイベントを予測して、全身に悪寒が走る。こんな都合よく武器とポーションらしきものが揃っている状況、俺がこの世界の製作者なら確実に次は戦闘イベントを入れる。
「そもそも素人に剣とか無理だろ……槍で突くか?そもそもモンスターの姿が分からない……ゴーストタイプなら詰みだろ」
武器庫を漁りながら使えそうなものを探しているが、どの武器も鍛えてない高校生が使うには明らかに筋力が足りない。これでは武器に振り回せすのではなく、振り回されるだけである。かと言って、短剣一本で戦えと言われても困る。一人で鎧を装備するなんて不可能なので膝当てと手甲を不格好に縛り気休め程度の防具を付ける。
「都合よく最強装備でも落ちてないものか……。これとか剣が光ってるし……光ってる?」
武器庫の奥の壁に飾られた長剣は、光源もないのに黒いオーラのようなものを迸らせ、俺を使え!と自己主張するかのように空気を震わせている。
「物は試しで握ってみるか。呪われてる装備とか現実に存在したらマジでどんな効果あるのか気になるし。ゲーム的にここで握って死亡なんて流れはないだろう」
忘れてはいけないこの世界の製作者の存在。ガチャを設置した謎の男。今の所はゲーム的な展開で死にゲーのような理不尽行為をして来ないので呪われた武器を装備しても平気だろうと、壁に掛けられた剣を取り柄を握る。
「…………なんもないな。ただ黒いオーラ垂れ流してるだけの剣だコレ。これはゲーム終盤のキーアイテムなのか?何かをきっかけに覚醒する武器の類か」
鞘から取り出し刀身を剥き出しにするが肉体と精神に変化はない。黒い刀身といい中二病を刺激する素敵なビジュアルをしているが、それだけで試しに机を斬りつけるが途中で刃が止まり切れ味もそこそこといった具合だ。一応持っておこう。
部屋にあるポーションらしき青い試験管に入った液体五本もポーション入れと思わしき、五つの取り出し口の付いたポーチに入れて腰に巻き付けておく。効果については親切なガイド機能もないので、土壇場で回復ポーションであると信じて使うしかないだろう。
「地図ねぇなぁ……」
武器庫を荒らし続けて十分。他に使えそうなアイテムがないか探して回るが、手足の防具と呪われた見た目の剣とポーション以外に俺が使えそうなものはなかった。
「食料くらい用意しとけよクソが」
この世界に来て二時間近くは経つが、飲み物も食料も見つからずにじわじわと体力を削られる恐怖を感じていた。幸いに直前に駄菓子屋で菓子を食べたので空腹はないが、このまま半日と過ごせば身体能力が低下するのは確実である。飢える前にその前にこのゲームをクリアしなければ。
ゆっくりと来た扉を開けて廊下を見るが、相も変わらずに燭台の火が点々と廊下を照らしている以外に何もない。俺はそのままクリア条件の魔王の椅子があると思わしき城の一番高い塔を目指して歩き始める。
そのまま突き当りまで歩き続けると螺旋階段にぶつかり、俺は目的に最短の距離であるであろう上に向けて上り始める。階段の壁は小さくくり抜かれて外が見えるようになっている場所があるので、何気なく窓と思わしき穴から城下を見る。
「城門をくぐるとイベントがあったのか……」
城門前で火の粉舞う中で仁王立ちしている全身甲冑の赤いマントをたなびかせる誰かが居た。しばらく見ていると暇なのか手に持つハルドートをクルクルと回して型らしきものを配下の悪魔らしきモンスター達に見せて称賛されている。これがゲームの舞台裏のキャラクターたちの日常というやつか。
「俺がイベントスキップして城壁登っちゃったから、あいつらはずっと城門前で来るべきプレイヤーを待っていると考えると不憫だなぁ……」
命懸けのゲームであると理解しているが、己の役割を果たそうと火の粉の舞う熱そうな外で永延と待機しているモンスター達の姿は涙を誘う。それはそうとそのまま火の粉に巻かれて焼け死んでくれたら嬉しいのだが。
俺は演武を続けるボスっぽいモンスターを無視して、そのまま螺旋階段を上り始めると広間に出た。俺から見た前方と左右の壁には垂れ幕に見るからに邪悪そうな角の生えた、というか城門で演武していた全身甲冑の姿が描かれていた。
そして地面に描かれた複雑怪奇な魔法陣の中央には鉄の処女――アイアンメイデンと思わしき鉄の棺桶が鎮座している。これはつまり――
「ここが中ボスか何かと戦う部屋って訳かな?」
俺はやけに周囲が明るく照らされた部屋の中ですぐさまに抜刀して剣を構える。型も何も知らないが、映画の殺陣シーンを思い出しながらそれっぽい態度で重心を下に落とす。
「さぁ!来るなら来い!俺は逃げも隠れもしないぞ!」
その場の勢いで思わず叫んでみるが、目の前の鉄の処女は沈黙を保ったまま動かないので、剣を突きだしたままジリジリと近寄る。そして二メートルの距離になっても反応が全くない。
「うわぁ、あんだけ啖呵切ってこれって……恥ずかしい」
ボス戦だと身構えて、大声で啖呵を切って、剣を構えて物言わぬ鉄の処女を威嚇するように近付く。
もしこれを見ているこの世界の創造主が居るなら大笑いだろう。ちくしょう、変な罠っぽいモノ作りやがって……。
俺はそのまま剣で鉄の処女をぶっ叩く。すると、
――ドンッ!ドンッ!ドンッ!ドンッ!ドンッ!ドンッ!ドンッ!ドンッ!
「うぉ!」
鉄の処女の中から何かが外に出ようと叩き続けている。小刻みに痙攣するように震えるが鉄の処女はビクともせずに、やがて諦めたかのように叩く回数が少なくなり沈黙し、今度は少女のすすり泣く声が聞こえる。
「あけてぇ……あけてぇ……くらいよぉ……くらいよぉ……」
「ヤバいフラグがビンビンするんだけど、これ罠なのか?それとも俺より先に来たプレイヤーか誰かが閉じ込められているのか?おーい!お前は誰だ!」
とりあえず鉄の棺桶の中でも聞こえるように大声で声を掛ける。
「ポルニャ。お願いここから出して」
端的に名前と目的だけを告げる謎の少女の声。
開けたらヤバい気がするけど、ここで見捨てるのも後味悪いしなぁ……。これがゲームならお助けキャラか罠でそのままイベント戦突入か。もう少し情報を集めよう。
「君は人間か?」
「違うよ。天使」
中々にファンタジーな存在なようだ。あくまで自己申告なので化け物の可能性もあるが。
「何をしてそこに閉じ込められた?」
「邪悪な魔王に虜囚として拷問されているの。目的はスベラカウスの秘典の在りかを聞きだす為」
「それは何だ?」
「この地に降る浄化の火の粉と結界を止める為に必要な聖典」
スベラカウスの秘典。聞いたことのない物だが、あの火の粉は邪悪な存在に有効な火なのだろうか?というかバックストーリーを説明されていないから状況が全く掴めん。
「開けてもいいけど、俺を襲わない?それとここを出たらどうするの?」
「襲わないよ。ここを出たら私は出来るだけ遠くに逃げる。この地が火の粉で埋め尽くされ、全てが焼き払われるまで」
何事もないかのように恐ろしい事を言う少女である。その地に俺がいる事を忘れているのだろうか?もう面倒になったから開けてやろう。
「そうか頑張ってな」
俺は鉄の処女に何本も刺さっていたつっかえ棒を抜き取り鉄の檻を開けてやる。
最初に見えたのは卵だった。いや、大きな翼が卵のように丸まっていたのだ。そして檻が開いたのを理解すると、ゆっくりと翼を広げて天使の羽を持つ少女が現れた。
白い布に金色のベルトで腰のラインを浮かび上がらせ、金髪の長い髪は何者にも汚されずに光り輝いていた。そしてその瞳は翡翠のように輝き、細長い眉と小さなピンクの唇は自分より二つか三つは下だと思わせる幼さを匂わせ、どこか焦点の合わない瞳を俺に向けた後に、
「出してくれてありがとうございます」
頭を下げてお礼を言われた。そしてそのまま焦点の定まらない瞳とおぼつかない足取りでふらふらと俺の前方の扉に向かおうとするので、
「おい、大丈夫か?なんだか体調が悪そうにみえるが」
心配で声を掛けると、ポルニャは力なく笑いながら、
「ご心配いりません。長らく拷問されていたので、少し身体に異常が出ているだけです」
まったく心配にならない要素ゼロの回答を受けたので俺は屈み。
「ほら、どこまで行くか知らないが運んでやるよ」
「いいんですか?」
「乗り掛かった舟だ、ほら」
俺に促されるままに俺の背に乗り、腹の横から出る足を俺はがっちり掴む。
「ンッ……ちょっとくすぐったいです。こんな状況なのにありがとうございます」
「気にするな。困った時はお互い様だ」
本音は俺一人でこのまま魔王城を探索するのは怖いので、道連れとして誰かと一緒に居たいだけだが、それは言わぬが華だろう。ポルニャの大きな翼に包まれるようになり、安心感を感じながら天使の少女を進みながら扉に向けて進む。
「ところで魔王の椅子ってどこにあるか知ってるか?」
「魔王の椅子?……王の間と言われる場所にあるのを聞いたことがある。それをどうしたいの?」
意外と胸の感触があるなぁ……。あと椅子は王の間にあるのか。
俺はなるべく反動を付けながら、ゆっさゆっさと歩きながら胸の感触と甘い少女の匂いを楽しみながら歩く。
「その椅子に座らなきゃいけないんだ。そうじゃなきゃ帰れない」
「椅子に座ることが帰ることに繋がるの?ごめんなさい、私には理解出来ない」
「それが俺の帰る条件なんだ。俺は異世界から連れてこられて、この世界に閉じ込められてる。信じられないかも知れないけど事実なんだ」
しばらく天使は沈黙したあとに「それなら……」と言い。
「椅子に座らなくても私がここから出してあげる。結界の外を超えればきっとあなたの帰る場所があるはず」
「その世界には天使とか悪魔とかいる?」
その言葉に背後から天使の疑問の気配を感じて口にする。
「居るよ?そもそも天使や悪魔が存在しない世界って何?」
「俺が居た世界には少なくとも天使や悪魔なんて伝承上の存在なんだ。だから、ポルニャの連れてってくれる世界に俺の帰る場所はないんだ」
「え……」
ポルニャの驚愕の声。
それはそうだろう。当たり前と思った世界が根本から覆すような異世界人の存在なんて驚愕に値する。そもそもポルニャの言う世界は本当に存在するのか?この世界は千円のガチャのミニチュアドームの世界だ。
ポルニャは自分に課せられた設定を信じている。ゲームのキャラが自分が居る世界をゲームだと疑わずに生きているだけなのだろうか?
「…………答えもない問題だな」
「どうしたの?」
「いや、この世界がもし絵本の世界だとして、その世界に住む絵本の住人たちは自分たちが絵本の住人であることを知るのが重要なのかどうか。また、それを知って何が変わるかだ」
例え俺が水槽に浮かんだ脳という真実に気付いても、俺は生き方を変えないだろう。でもその考えは個人の思想や信条で大きく変わる。つまるところは個人でどう考えるかが全てなのだ。そんな俺の独り言にポルニャの身体は僅かに震えた。
「私なら全てが変わる……信じたものも何もかもが作りものなら、私はきっと生きる意味を失う。そんな怖い事を言わないで欲しい」
ポルニャにとっては現実が作りものであることには耐えられないらしい。ならば、この話はここで終わりにしよう。
「そうだな。ただの仮定の話さ。話を変えて、王の間までどうやったらいける?」
「外に出られる場所があればすぐにでも連れていけるよ。一番高い塔の場所に行けばいいだけだから」
思った以上に俺はこのゲームで運良く生きている気がしてきた瞬間だった。
…………俺はこの世界の製作者の意思に反して、無茶苦茶な方法でゲームのクリアに向かって最短で突き進んでいる気がする。このまま戦闘イベントもなしに魔王の椅子に座ってゲームをクリアするのだろうか。
そのまま歩みを進めて、扉を足で押して開くと、
「ダンスホールか?無茶苦茶な建築してるなココ」
空間にも異常があるのか、学校の運動場程の広さもある煌びやかなシャンデリアがいくつも吊られている中で、床は磨かれて様々な綺麗な模様が描かれている。しばらくその光景に放心していると、ポルニャの手が首の横から伸びて二階のテラスを指差す。
「あそこから……外に出られる。あなたの目的の魔王の椅子にも座れる」
「枯れ木に殺されかけたこと以外は順調すぎて逆に怖くなってきた……うぉ!」
ポルニャが腕を両脇に回して固めると、そのまま翼を大きく広げて浮遊した。物理的な飛行ではなく、魔法的な飛行なのか、翼を数回羽ばたかせるだけでテラスまで移動して、そのままガラスをぶち破り外に出る。
外は悲惨な状況であった。舞う火の粉がもう目を開けるのも辛い程に降り注ぎ、石造りの城はともかく、城下は完全に火の海に代わり、足元から火に照らされる大火の災禍であった。
「酸欠で死ぬのが先になりそうだな」
「大丈夫。私がそんなことさせない。本当に椅子に座るだけで良いの?今なら私がここから連れ出せるよ?」
「あー」
魅力的な提案である。もう外は灼熱地獄と言っても良い有様で魔王の椅子に座って何も起こらなかったら死亡確定の状況だ。俺は数瞬の間考えて、
「とりあえず椅子に座って何もなかったら俺を脱出させてくれ。それでもいいか?」
「問題ない」
短く背後から返答が帰ると同時に俺を抱えたままのポルニャは若干ふらつきながらも、王の間があると思わしき城の最頂部に向かって突撃した――
――壁に向かって。
「ちょっと待って!壁だからぶつかるから!死ぬ!ちょっとマジでガラスにぶつかって首の骨が折れる鳩のように死ぬって!」
急速に近付く城の壁に半ばパニックになりながら叫ぶ。
「必定、天撃の一<<鉄槌>>」
不可視の見えない力の塊のようなものが壁にぶつかり大穴を開ける。壁に何かがぶつかった際の形を考えると巨大なハンマーのようなものだろうか。
そのまま転がり込むように王の間と思わしき場所に辿り着くと、白亜の宮殿のような並ぶ円柱に空間を操作しているのか体育館程の広さと最奥に十数段の高さの階段の上に設置されている豪奢な椅子が目に入ってきた。あれが魔王の椅子だろうか?
真っ黒な黒曜石から切り出した様な漆黒、ひじ掛けの部分は金で装飾されて魔物の貌がいくつも彫られている。椅子の上部には虹色に光る謎の石。俺はそれを見て、目的の椅子だと確信して駆けだした。
「必定、天撃の五<<嵐光>>」
駆け出す俺とは正反対にポルニャは冷徹な顔で数百の光のガラス片としか言いようもない物が嵐のように吹き荒れて王の間を破壊していく。俺が射線に入らないようにしているのかその吹き荒れる光の暴力が俺の身体を傷付けることはなく、垂れ幕に描かれた紋章、燭台や光源と思わしき魔法のランプ。シャンデリアが派手な音を立てながら崩れ去っていく。
拷問されてキレてらっしゃるのだろう。南無南無。
荒れ狂う天使の攻撃の嵐の中、俺は煌びやかな部屋が無惨にも荒らされる光景に勿体ないと内心で思いながら椅子に辿り着き、ヒップドロップの要領で椅子に向かって飛ぶように座る。
「これでクリア……か?」
自らの勝利を疑問符付きで宣言すると同時に尻が椅子に座った。その瞬間、あらゆるものが静止してモノクロの世界となった。
それはまるでビデオの一時停止のような俺を取り巻くすべての音が消え、唐突に現れた静寂の中で耳鳴りだけが響く。ポルニャも腕を振るう寸前で止まり、王の間の破片も空中で制止している。
「ゲームクリアをしたって事なのか。そしてポルニャにとっては信じたくない現実がこの世界の真実だった訳か」
魔王の椅子に深く腰掛け、俺だけの時間の中で次の展開を待っていた。クリア条件を満たした俺に何が起こるのかを。
――パチパチパチ
「おめでとうございます。あなたが最初のゲームクリアをしたプレイヤーです」
拍手と共に燕尾服を着た老紳士と言うべき男がいつの間にか広間の中央に立って居た。片眼鏡にステッキを持った紳士はどこか怪しい気配を漂わせ、それはまるで物語に出てくる悪魔が人の皮を被り魂を狙っているかのようだった。
「最初のゲームクリアねぇ……聞きたいんだが、あんたはこのゲームの製作者か?」
「いえ違います。私は創造主によって作れられたプレイヤーをガイドする存在です」
「つまりはNPCか?」
その言葉に男は柔和な笑みを浮かべ。
「いいえ。我々にも魂はあります。他者と違うのは私は存在理由を自覚していて与えられた役割を全うしているだけです」
やんわりと否定してきた。ガイドする存在ならば聞くことは山ほどある。
俺は顎に手を当て。
「このゲームで死んだら現実で死ぬのか?」
「いえ、死にはしません。無事に肉体は現実に戻りますが、死と痛みから精神を病む可能性は否定できません」
デスゲームではない。それを聞いてホッとするが、ポルニャのように生け捕りにされて拷問されたら精神が壊れる可能性があると考えると少し肝が冷える。、
「このゲームの目的はなんだ?製作者は何を狙ってこんな世界を作った?」
「私には創造主のお考えは図りかねますが、ひとえに娯楽であると言えるでしょう」
「万物を創造する力を持ちながらわざわざ地球の人間を使って楽しむのか?」
その力があるのならプレイヤーでも作り出して一人遊びに興じれば良い。わざわざ俺達を使う理由が見当も付かない。そんな俺の心を見透かしてか、
「ラプラスの悪魔をご存知ですか?」
「古典物理学のアレか……あぁ、そうか俺達は乱数なのか」
「そうです。創造物では次が見えてしまうので、未知の挙動をするあなた方を創造主は望んでいたのです」
老紳士は手品のように手の平からコインを取り出してトスをする。それを見ながら俺は考えを巡らせ、
箱庭の世界で遊ぶには創造物の次の行動が分かっていて楽しくない。だから俺達のような乱数を入れて未知を楽しむということか。理解したし、それほどの力を持っているが故に退屈を紛らわせる遊びが必要なのだろう。
「てことは創造主は別の次元か世界から来た存在か」
「そうです。全能ではありますが全知ではない。神にも等しいが神ではない。我々よりも高次の存在と捉えて頂ければいいかと」
「はぁ……ちょっと矮小な人間には話の規模がデカすぎるな。それで俺はこのゲームをクリアしたが、あんたが出てきたということはまだ何かあるのだろう?」
老紳士はポケットから三枚のタロットカードのような物を取り出し、俺の目の前に三枚のカードを浮かせる。
「ゲームですので、勝者にはクリア特典が与えられます。今回は三つの褒美、呪われた聖剣、魔王のマント、堕天のポルニャ。武器、防具、使い魔の三つがあなたの物です」
老紳士がそう言うと、三枚のカードが束になったので俺はそれを受け取る。そのカードには、黒いオーラを垂れ流す聖剣、赤いマント、ポルニャが描かれていた。俺は三つのカードを見ながら、
「これで俺にどうしろと?」
「次のゲームの進行が非常に有利になります。現実でも召喚することも出来るので、その天使をあなたの好きなようにお使いください」
さも当たり前のようにトンデモナイ事を言いだす老紳士。二十一世紀にもなって奴隷制度なんて笑えないのでやめて欲しい。そもそも何でポルニャは堕天なのだろうか?俺が見る限りは天使のような見た目で堕天使にはとても見えない。
「これでひとまずの説明は終わりました。他に何かありますか?」
「ポルニャの事を聞きたいが、なんで堕天しているんだ?」
「ゲームの進行に関わる事はお答えかねます」
コインを手の平から消して、これでお開きとでも言いたそうな老紳士。
「むぅ……」
俺の頭の中はまだ整理が付かずに色々と質問をしたかったが、言葉に出すより早く老紳士が手を叩く。
「また次回のゲームで勝利したらお会いしましょう」
「えっ……ちょと待て」
言い終わるより先に世界は暗転して、気が付けば自室の居た。時計を見れば午後七時。三時間以上もあの世界に居たのは現実のようで、手にはスノードームのミニチュアの代わりに三枚のカードが握られていた。俺は三枚のカードを見て。
「面白くなって来た反面、ちょっと怖いな……」
ポルニャの描かれた神々しいカードを見ながら俺は呟くのだった。
「これどう使えば良いんだ?あのジジイは肝心な事を話さずにカードだけ渡しやがって……ガイド役なら使用方法を教えろよ」
三枚のカードを見つめながら、かれこれ三十分近くもカードの使用方法に悩んでいた。カード名を叫んだり、召喚と唱え、念じ、クルクルとカードを回したりと、思いつく限りの召喚作業に励んだが一向に何も起こらない。
俺はとうとう諦めてカードをベットに放り投げる。
「あぁクソ!せっかく面白そうな物が手に入ったのに使えないとか、まさに絵に描いた餅じゃねぇか!それともこうするのか?」
ベットに放り出されたカードを一枚手に取り、絵柄も見ずにそのままメンコのように地面に叩きつけるが何も起きない。
「リリース!……ダメか。カードキャプチャーみたいにはいかないか……」
咄嗟に思いついた某国営放送の気合の入った魔法少女のように叫ぶが不発に終わり、ならばと最近見た美女と野獣を思い出し。
「これが召喚方法だったらマジでヤバいよな……頼むから間違ってくれ……」
ポルニャのカードを一瞬だけ掴んだが、気恥ずかしさに襲われて魔王のマントが描かれたカードを手に持ち、そのままキスをする。すると――
「おいおいおい!美少女だから許されるものだろ……」
――カードが光り出し、光の粒子に変わる。そして粒子はカードに描かれていた物を形作り、薄っすらと光に包まれた赤いマントが目の前に浮かぶ。
「質量保存の法則とか完全無視の魔法の力凄い。鋼鉄の男のナノスーツばりの粒子変換能力だな、おっ?」
現れたマントが滑り込むように俺の背後に回り肩にくっつき羽織る、どうやら鋼鉄の男のアイテムではなく手の平クルクル魔術師のアイテムのようだった。
赤いマントを付けた俺を姿見を使って見てみるが、
「絶望的に似合わない……そもそも学生服に赤マントって何かの怪人かよ。黒マントなら大正時代の学生みたいでアリなんだけどなぁ……」
学生服に赤マント。赤と黒のコントラストは絶望的にダサかった。そもそも体型的にも身長が合わないのか地面に軽く擦ってる。こういうのは全身甲冑や西洋的な服装と高い身長がなければただの痛いコスプレである。
「そもそもマント自体がダサ過ぎる気がす……うぉぉ!!」
マントが俺の批判に対して抗議のつもりなのか首に巻きついて絞めてきた。
このマントは自我あんのかよ!しかも仮にも主人であるはずの俺の首を絞めとか忠誠心が足りないぞクソマント!
巻きつくマントを引き剥がそうと足掻くが、まるで身体と同化しているようにビクともしない。そして万力のようにキリキリと俺の首に掛かる圧力が強くなる。俺はそんなピンチな状況で起死回生の一手を打つ。
「身に着けた赤マントを触ってみると肌触りは最高だな。これは服飾の素材にすればさぞ良い服が作れるだろに勿体なぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!」
ギリギリと音が鳴る。マントの肌触り最高と言った時は緩んだ締め付けが、素材扱いした途端激高したのが首が折れてもおかしくない強さに変わった。
俺は窒息と骨が折れそうな危険から叫ぶ。
「ギブギブッ!分かったからこれ以上、締め付けるな!死ぬから本当に死ぬから!」
その言葉を言うとともに締め付ける力が抜けて、まるで海で溺れかけて必死の思いで陸に上がったあの頃のように酸素の有り難さを身に染みて理解した。
そして尚も俺の肩から離れようとしないマントを見て。
「お前が凄いマントなのは理解した。そもそも自我があるマントなんて地球初だろコレ。それでお前は締め付け以外に何が出来るんだ?魔王の着けるようなマントなんだろ?」
俺の言葉に応えるようにマントは一瞬静止すると、着ているマントの裏地が赤から真っ黒になった。そのままマントの裾が近くに置いてある椅子に巻きつくと、なんとマントの裏側に吸い込まれるように消えてしまう。それを見て俺は、
「四次元ポケットみたいに物を収容出来たりするのか……それで出す時はどうするんだ?」
マントが俺の手に巻きつくのでされるがままに、真っ黒な別次元の入り口と化したマントの裏地に腕を突っ込み、そのまま手に触れる何かを掴み引っ張り出す。
「出す時は自分でやんなきゃいけないのか。引っ越しの時に物を運んだり、重い物を運ぶ時に重宝しそうだな」
マントから出した途端に重量を感じるようになった椅子を見ながら言う。冒険に使う際には食料やキャンプ用品を詰め込むのは良いかも知れない。
「他になんか能力あるのか?……なにこれ」
全身から黒いオーラが出てきた。陽炎のように揺らめく黒いオーラは何かを害したり腐らせたりする訳でもなく、なんか強キャラ感が出てくる程度で身体能力の向上などはない。つまりは虚仮威しである。
魔王が出してるオーラって自前じゃなくてマントの力を使った演出なのか……あの演武してた全身甲冑も見栄張って生きてんのかな……。
宴会芸のネタに使えそうなのでこれも当たりと考えて。
「他に何かあるのか?」
マントが蠢き、円を描くようにマントが自在に動き回る。しばらくその動きを見て考えていると理解した。
「それは俺を守る為に動けるって訳か?」
マントに肩を叩かれた。つまりはそういう事らしい。つまりは持ち主を半自動防御することが可能ということだ。不意打ちを防げるので冒険にはかなり便利そうである。
「意外に凄いな。他に何かあるのか?」
今度はマントを手を振るような動作で動かす。どうやらこれで全能力の解説は終わりであるようだ。
俺はマントを触りながら考える。
アイテムボックス。威嚇用のオーラ演出機能。半自動防御。魔王のマントという大仰な名前の割には堅実な性能だ。どうせなら最強魔法の一つでも使えたら面白そうなのだが。
「お前は撫でられるのが好きなのか?」
マントを触っていると俺を包むように全身を覆うって来るので、なんとなくそうなのかと思い聞く。
すると、全身をくすぐるように俺の身体を撫でるので多分そうなのだろう。繊維の生き物とのコミュニケーションは難があるので直感で感じるしかない。
そして俺はくすぐられながらもベットにある二枚のカードの内の一枚、呪われた聖剣のカードを持ちカードにキスをして具現化する。
もう羞恥心はかなぐり捨てた。あとは事務的にキスの作業をこなすだけと心で唱える。
「お前は何かないのか……?」
現れた呪いの聖剣を手に持つが何も反応しない。ただ黒いオーラを垂れ流して、マントのように何かしらのリアクションや行動がある訳もなく、ただの刀剣として沈黙しているだけである。
俺はマントの方を向いて剣を指差し。
「これどうやって扱えばいい?」
ダメ元で尋ねてみるが、器用にも俺の肩を使って肩をすくめるだけだった。どうやら同じ無機物同士でもコミュニケーションの壁はあるらしい。
「あのー?聖剣さん?何か反応してくれないか?」
呼びかけても態度は変わらない。ただ黒々としたオーラを流しているだけである。俺は早々にコミュニケーションを諦めて、さっそく手に入れた魔王のマントの中に仕舞う事にした。
抵抗もなくそのままマントの中に入る聖剣を見て。
「呪われてるから機能制限でもあるのかねぇ?」
首を傾げてマントに呟く。俺は物と会話する危ない人となった。周囲に人が居ないからいいが、もし人が居たら正気を疑われるだろう。
「それじゃあ最後に堕天のポルニャを召喚……召喚……」
最後のカードを手に取りキスする前に身体が固まる。マントが「どうした?おい?」と言いたそうな雰囲気を醸し出しているので表情を引きつらせながら答える。
「いや、女の子のカードにキスするってちょっと躊躇いが……」
自分に言い訳するようにそんなことを俺が言うと、マントは仕方がねぇなと言った感じで俺の頭をマントで覆い。
「ちょっと待て、何をするって……ッ!あ……」
そのまま頭を押し付けるようにカードにキスをさせる。中々にいらぬ気遣いの出来るマントである。また今度やったら焼却炉で火炙りの刑に処してやろう。
そのまま光の粒子が人型になると、翼で覆われてまるで卵のようなポルニャが現れた。
「…………………………………」
自分の殻に閉じ籠るように天使の翼で作った卵に籠るポルニャはなぜか沈黙をしていた。俺はとりあえず挨拶をすることにする。
「よう、ポルニャ」
「…………………………………」
反応がなく無視されたようだ。地味に男子高校生にダメージがある無反応である。俺とポルニャは少ない時間ではあるが、共に行動した仲であるのにこうも無視されると辛い。
――ポンポン。
マントがドンマイと言いたそうな態度で俺の肩を優しく叩く。無機物に同情される人類初の俺はどう返したらいいか分からずに、そっと肩に乗るマントに手を置く。
俺はそれに励まされるように諦めずに声を掛け続ける。
「どうしたんだ?俺達は一緒にあの世界で過ごした仲じゃないか。せめて何か反応をくれないか?それともポルニャはあの時のポルニャじゃないのか?」
そう可能性の一つとして、共に過ごしたポルニャではなくカードとなった新たなるポルニャである可能性も出てくる。つまりはコピーか記憶を失くしているパターンだ。
「………ぜ………だった」
そんなことを考えていると卵の中から小さな声が聞こえた。上手く聞き取れないので、
「すまない。もう一度言ってくれないか?」
「私の全ては偽物だった。仕えていた神は存在せず、敵対する魔なるモノも居ない。あるのはふざけた創造主が作り上げた偽の世界と偽の私と偽の記憶」
それに対して明確なレスポンス。そしてそれはとても重い内容だった。
俺には異世界ゲーム面白れぇ!程度の認識だったけど、ポルニャからすればそれは世界を作り上げた悪趣味な創造主の戯れに過ぎないのだろ。あの世界の全てはただのゲームだと知り、信じていた世界に絶望し、そして自分自身すらも信じられなくなっている。そんな彼女に俺が出来る事はただ一つだけか……。
俺は翼の卵を形作る羽を触りながら、
「このままで良い、ポルニャ。俺は君と話がしたい」
俺はセラピストでも宗教家でもないが、出来る事をするだけだ。それはポルニャが偽りだった世界の真実に気付いた心の傷を癒す方法。簡単なことではないが、これは決して避けては通れぬ道。ならば、俺の持てるだけの言葉を持って彼女と対話しよう。
いたずらに召喚した責任は俺が果たさなければならない。なぜなら俺は永遠の眠りを望む眠り姫をキスで起こしてしまったのだから。
俺は椅子に腰かけ、これから語るべき事を頭で整理しながら卵に籠るポルニャを見つめていた。
「ポルニャはどうやって世界の秘密を知ったんだ?王の間に居た時は反応からして真実を知らなかったはずだ」
自分の取り巻き世界が偽物だと知り、抑鬱状態になったポルニャはどうやって世界の真実に気付いたのか。その答えは俺は知りたかった。
「世界の時が止まった時でも、私の意識がありました。そしてあなたと創造主の代理人の会話を聞き、闇の中で微睡んでいた私が次に覚醒したら異世界に居る。それだけでもう十分です」
どうやら老紳士との会話を聞かれていたらしい。こういうのは都合よく自分がカードの使い魔であることを理解して、俺の仲間になると思ったがどうやら使い魔のメンタルケアまでしないといけないらしい。
自我があるものならば必ず考える自身の存在意義。その意義を奪われたポルニャのメンタルケアなんて一介の高校生にはハードすぎる。というか、これから手に入れる使い魔カードの全てに対してメンタルケアが必須なのだろうか?ある意味では当然の義務なのだが想像しただけで胃もたれしそうだ。
俺は頭を掻きながら質問する。
「それでポルニャはこれからどうしたいんだ?」
「何もしたくない。意味もない。価値もない。もう私を放っておいて欲しい」
突き放すような言葉が翼の卵の中から聞こえてくる。まぁ、世界が上位存在の戯れで作られたゲームだと知り、そしてその世界でただの駒だと知ったらこういう反応になるだろう。俺なら新しい生き方を模索するが、存在しない神に仕える環境ゆえの強い信仰心が転じて絶望に変わったのなら仕方ない。
「それじゃあカードに戻って、もう永遠の眠りに付きたい訳だな?」
「そう。これ以上、ふざけたゲームの駒として生きたくない」
やべぇなコレ……説得もカウンセリングも無理だわ。実際にポルニャの言う事は間違いではない。神の娯楽の為に作られた世界で、ピエロとしてお前は生きろと真実と役割を告げられたら俺はその言葉を無視して自由に生きてるが面白ければピエロにでもなる。ポルニャも何もしないという方法で抵抗を選んだのだろうけど……けどなぁ……。
「ゲームの駒として生きるのは止めて自由に楽しく生きたらどうだ?」
どうせ役割を放棄するなら自由に自分の人生を生きれば良い。これは俺の考えの押し付けかも知れないが生き方の一つとして検討してもらいたいので提案してみる。
「生きる意味も信仰心も偽りだったと言われた私に言うことはそれ?」
「……………ごめんなさい」
ダメだ。完全に閉じてる。そもそも信仰心を失った天使に対してどう接すれば良いかなんて、熟練の宗教家でも無理だろう。
マントが肩を叩き横に振る、手遅れだ、もう諦めろ、と言っているようだが、ここで折れる訳にはいかない。というか無機物連中はそういう悩みはないのだろうか?
「お前ってゲームのアイテムなんだけど、それを知って平気なのか?」
思わずマントに聞くと、肩を竦めるだけで別にどうでも良い、といった感じだ。流石は道具。使われる事に意義を見出しているからゲームだろうと何だろうと別に良いのだろう。
そんなマントを見て俺は閃いた。どうせ諦めた人生なら俺にくれないだろうか、と。
「ポルニャ。お前は俺の物になれ」
「何を言ってるの?」
人生の意味や意義が見出せないなら与えれば良い。例えそれが俺の歪んだエゴだろうと、生きていれば別の人生の生き方を見つかる時が来る筈だ。このまま腐って死ぬよりはずっと良いと俺は思う。
「どうせそのまま無駄に浪費する人生なら俺の為に使ってくれ。俺はまだ異世界を冒険したいし、面白おかしく生きたい。その為にポルニャの力を使いたいんだ」
「またあのゲームの中に戻りたいの?あれは上位存在の娯楽の為に作られた箱庭。ピエロとしてそこで踊っていてあなたは嬉しいの?」
「俺は楽しいと思うことをやるだけだ。観客の存在なんて知るか。それに俺達、地球人はポルニャと違って生まれた意味とか使命とかそういうものを与えられてないんだ」
「子孫を残すことが生物の意味でしょ?」
俺はその問いに違うと答えた。
「それは遺伝子の命令だ。人間にはそれに逆らう知能があるから反逆出来るんだ。生きて行く中で何かに価値を見出してそれに人生を注ぐことが人間の在り方の一つだと俺は考えている」
「その価値は本当にあると思うの?」
やっぱりここが生まれながら役割や意味を与えられた存在との違いなのだろう。
「本当かどうかなんて問題じゃないんだよ。ただその価値が確かに存在すると信じる事に意味があるんだよ。他人にはどんなに無意味で非生産的な行為だろうと、そこに価値を見出して信じて生きる事が俺にとっての人生なんだ」
俺はついこの間までは死後の世界なんて信じてなかったし、死んだら土に還るだけと考えていた。だからこそ、この自分の人生を何かを信じてそれに全力で生きてみたいと普段から考えていて、そしてあのガチャに価値を見出した。
見たことのない世界。この世界に存在しない生き物。異なる物理法則。それはまさに幼い頃に読んだ冒険小説に心躍らせたように、俺にとってあのガチャの世界は人生を注ぐ価値あるものだと信じることにした。たとえそれが異世界の神に等しい存在が作った娯楽の箱庭だったとしても。
「…………………………私とは根本的に違う」
「そりゃそうだ。生き方なんて一つじゃないからな。違っていても何も問題じゃない。ただお前がそのまま人生を無意味と切り捨てて生きていくのはいいが、どうせなら他に何か別の人生があると思って生きてみないか?」
「あなたの物になって?」
「あぁそうだ。今は無意味に感じる人生も、俺に使われている内に新しい生き方が見つかるかも知れない。その時が来たらお前はもう俺の物じゃなく、その生き方を信じて生きてみればいい」
俺のその言葉を最後に長い沈黙が続いた。マントが時々、俺の頬を突っつきながら「ねぇ、これからどうなるの?どうなるの?」と好奇心旺盛に続きをねだってくる。俺は人差し指を唇に当てて静かにとその度に黙らせ、
「提案を受け入れる」
時間にすると五分近くの沈黙を破り卵から答えが帰ってきた。
「よしそれなら……」
「ただし条件がある。私はあなたの物になるのだから手入れは決して忘れないで、使わずほったらかしにされて錆つく生き方なら私はあなたを殺す」
ポルニャは脅しでもなんでもなく淡々と事実を告げるように俺に予告する。俺はそれを受け入れるのことに何の躊躇いもなかった。それ位の責任がなければ俺の言葉は意味をなさないだろうから。
「分かった。それで良い。それでそろそろ顔を見せてくれないか?このまま卵に籠ったまま話が終わりじゃ締まらない」
「卵?」
「その翼で全身を覆うポルニャが卵に閉じ籠っているように見えるからね」
「そう。なら顔を見せる」
「おぉ……まさに天使」
俺は思わず感嘆の声を上げる。卵から孵ったひな鳥のようにゆっくりとその翼を広げて姿を現すポルニャはまさに純白の穢れない天使そのままだったからだ。決して堕天をしているように見えない澄み切った翡翠の瞳には諦観と少しの希望の光を携え、生まれたままのポルニャの姿は記憶に焼きついて離れない程に綺麗だった。
「あなたはなんだか魔王みたいね。そのマントは魔王の着ていたものだもの。魔王に堕天使。堕天した私に相応しい魔王様」
鉄仮面を崩さぬままそう言ったポルニャは跪く。
「私を道具として使って。そしてあなたのいう新しい別の生き方を見せて」
伏せた顔で表情は見えずこちらを見ていないが、俺は魔王のマントを靡かせながら、
「魔王として俺がお前を使ってやる。俺が使ってやるのだから必ずその生き方というやつを示してやろう。さぁ、我に続け」
その場の雰囲気に流され魔王の演技をして、空気を読んでマントが風もないのに靡かせてくれている。なんと勤勉な道具だろうか。
そして俺は新たなるガチャを回す為に一歩前に踏みでて止まる。
「魔王様。どうしたのですか?」
背後から不審がるポルニャを聞いて俺はゆっくりと首を向け。
「ごめん。ガチャやる為のお店はもう閉店時間だった」
偉大なる一ページは大いなる一歩を踏み出す前に躓く俺の一歩だった。
「とりあえず今日は風呂に入って寝ることにして冒険は明日から一緒に頑張ろう!」
「私はただの道具だから従うだけ」
駄菓子屋が閉店時間なので仕方なく踏み出した足を戻しベットに座る。相変わらずの無表情でつれない返事をするポルニャ。
「そうか。俺は風呂に入るから適当に部屋でくつろいでいてくれ。この世界の常識とかその辺は風呂上がりに説明するから」
俺はそう言ってタンスから寝間着を取り出して風呂に行こうとすると、
「待って。私も風呂に入る」
「えっ?風呂入るの?」
引き留められて俺はポルニャの方を向くと、自身の身体の汚れを確認していた。
そうか、見た目が天使で穢れないから風呂なんて要らないと思っていたが見た目は女の子なので確かに気にするよな。
そんなことを考えていると、ポルニャはこちらを見て僅かに眉間に皺を寄せ。
「道具になる以上はあなたは私の手入れを欠かさずにすると約束したはず。まさかもう忘れてしまったの?」
声音は平坦で感情は読めないが、なんとなく不機嫌な気配を発しているような気がする。そしていつの間にか魔王様からあなたに格下げを食らっているので、彼女の中での俺の評価は下がっているのだろう。なんとかせねば。
「そうだな!風呂の使い方とか教えてやる。この世界の技術に疎いだろうけど、仕組みは簡単だからすぐに覚えられるだろう!」
空気を変えようと元気良く言うとポルニャは不思議そうな顔をして。
「使い方を覚える必要はない」
「えっなんで……?そうじゃなきゃ風呂には入れないぞ?」
俺はその言葉に混乱したが、もしかしたらポルニャの世界の風呂とこの世界の風呂は違うのだと思いその間違いを訂正しようとするのだが、次の言葉で俺は完全にかたまった。
「あなたが私の身体を洗えば良い」
「え」
一瞬の思考停止。俺がポルニャの身体を洗う。意味は分かるが理解出来ない。俺は主でポルニャは使い魔。そんな専属メイドみたいな事を何故俺がしなければならないのだろう?
絞り出すような声で現状理解に努めながら、
「なんでポルニャの身体を俺が洗う必要がある?自分で洗えば良いだろ?それに俺に身体を洗われて恥ずかしくないのか?」
「私は道具であるのだから持ち主であるあなたが私の手入れをすべき。道具に羞恥心はない」
「おぉ……」
これではポルニャは道具というよりニートだ。自分の世話の全てをその持ち主に押し付けてくる超高レベルニート。しかも冗談でなくて本気でそう思っているからタチが悪い。
俺は悩みながらもそれならそれで突き進むしかないと諦め、
「分かった。お前の手入れは俺がする。だが、言っておくが俺に女の扱いのなんたるかなんて知らないから、もし無礼があっても文句言うなよ?」
「問題ない。それが持ち主であるあなたの扱いなら受け入れる」
どこか引っ掛かる言い方のポルニャを連れて、俺は一階の風呂場に向かうのだった。
「人生初の混浴がこんなに色気のないものになるなんてなぁ……」
俺が服を着たままポルニャの風呂の世話をしようとすると「効率よく二人で入れば良い」と提案されたので仕方なく俺も裸で風呂場に入る事になった。これには断じて下心などない。
俺はポルニャをバスチェアに座らせて、台に並べてある容器を指差してシャンプーとリンスと洗顔料の説明をしてやる。相も変わらずの無表情で聞いてるのだか聞いてないのか分からないポルニャを鏡越しに見ながら、
「それでこれがシャワーでここを捻ると水が出て――」
そして一通りの風呂場の説明を終えると、ポルニャが一言。
「最初にお湯で髪を洗って。しゃんぷーというものは要らない。その後は身体。全身はあなたの手で洗って、その後に私を風呂に浸からせて」
お前は要介護認定3だった祖父母かよ、と内心で思いつつも、
「分かった分かった。最初は髪な。と言ってもお前の髪は綺麗すぎて俺の手で汚してしまいそうで怖いんだが……」
金糸の絹のような肌触りと清潔感溢れる髪を見て、これ別に洗う必要ないんじゃねぇかな……と考えつつも、シャワーで水を出して適温になるのを待ってから髪を湯で洗う。
「私の髪は綺麗?」
髪を洗っていると不意に尋ねられたので俺は意識せずに率直に言う。
「そりゃ綺麗だろ。こんな髪質と色と触り心地なんて俺の人生初だ」
「そう。私があなたの人生初なんだ……」
それだけ言って再び沈黙が降り、髪を毛先から根元まで手洗いを終えた頃にタイミングを計っていたかのように、
「次は身体」
「本当にお前の身体を手で洗っていいのか?必要なら新品のスポンジを出すぞ?」
高校生には刺激の強すぎる行為に流石に怖くなって来たので提案するが、
「あなたの手で洗った。その方が良い」
そう言い立ち上がり両腕を上げるポルニャ。どうやら本当に俺に全身を手洗いして欲しいらしい。そして翼が邪魔だ。
俺は恐る恐るまずは右手の指先からシャワーで流しながら洗っていく。
しなやかで白い指を絡めるように指の腹で皮膚の上を擦っていく。すると仮面でも被っているようなポルニャでも相貌を少しだけ崩す。
「少し、くすぐったい」
そう言って笑いを堪えるように身を震わせている。俺はなんだかその姿が面白くなり、ポルニャの全身を手の平全体を使い擦り続けると、とうとう我慢の限界が来たのか召喚されて初めてポルニャは笑った。
「ハハハ……ハ…………ッ!」
年相応の少女のように笑うポルニャを微笑ましく見ていると、それに気付いてすぐさまにいつもの鉄仮面を被り、
「……もう十分。次は湯に浸かりたい」
そう言うので湯船を触って温度を確認した後に、促すようにポルニャを見る。
「湯ならもう沸いてるぞ。入れよ」
俺はそう言うが無言のまま佇むポルニャを見て思わず俺は嫌な予感がした。
「まさか風呂に浸からせる為に俺に抱いて入れろと言うのか……?」
「そう」
ポルニャの言葉を聞き呆れてものが言えなくなった。
いくらなんでも一人で湯船に入れるだろ。というか俺もこの後に身体を洗ったりする訳だが……もし家族が何かのタイミングで帰って来たら俺は終わるな……。まぁいい、さっさと運んで風呂にぶち込んでおこう。
俺はお姫様抱っこの要領でポルニャを抱くが思った以上に翼が邪魔で四苦八苦していると翼が消えた。思わず俺はポルニャを落としそうになるがなんとか踏ん張って湯船にポルニャを入れる。
「翼って自分の意思で消せるならそう言えよ……」
「言い忘れた。次から気を付ける」
俺の苦言にそれだけ言うとブクブクと口まで湯船に浸かり全身で温まっている。俺はそれを見て世話は要らないと判断して今度は自分の身体を洗う。
「……………………………………」
身体を洗っている最中に視線を感じる。怪談話でよくあるアレであるが、その視線の正体は邪悪な悪霊ではなく堕天した天使の視線だ。チリチリと焦げ付くように俺をガン見しているのが背中越しでも分かる。どうやら俺は第六感に目覚めたらしい。
次にシャンプーを使い目を閉じて髪を洗っても視線を感じる。
「……………………………………」
真っ暗な視界の中でポルニャは何も言わずに視線だけを俺に向けている。そう俺は見られている。何が楽しいのか俺はポルニャに見られている。
俺は無言の視線に我慢出来ずに、
「なぁポルニャ?」
「……………なに?」
良かった返事があった。もしこれで髪を洗って振り返ってポルニャが居ないって事態になったら絶叫する自信が俺にはあった。
「視線だけ浴びてめっちゃ怖いんだけど、何か話してくれない?」
「何かってなに?」
「以前の友達とか好きな事とか何でもいいからあるだろ?」
「それは全部が植え付けられた偽物の記憶」
地雷を踏んだことを自覚して俺は再び黙る。そして視線は継続して浴びせられる。俺はこの湿度の高い密室で発狂して声を上げるのを我慢して髪を洗い終える。俺は長く辛い戦いに勝った気持ちでポルニャを見ると、何を考えてるか分からない表情で俺を見ながら、
「一緒に入って」
湯船の中で膝を曲げて俺が入るスペースを作る。湯船は元々は両親が二人で入って楽しむために広く作られているので俺が入っても余裕があるが、思春期真っ盛りのチェリーボーイには難易度が高い指示である。でもまぁ入るのだが。
ポルニャの反対側から入り互いに向かい合う形で湯船に浸かる。俺はそんな状況で必死に自制して股の血流の流れを操作して耐えていると、ポルニャはそんな俺の状態を察して。
「私は道具。だから使わないの?」
悪魔的な魅力ある提案をするが純愛至上主義の俺はそんな甘言に惑わされずに全裸でこちらを見つめるポルニャを睨むように、
「舐めるな。俺はその程度の性欲など簡単に御せるわ!」
「でも辛いなら使えばいい。私は気にしない」
くっ!こいつは本当に天使なのか!このシチュエーションを使い俺を堕落させようとする悪魔なんじゃないのか!耐えろ!耐えるんだ、俺!いくら俺の道具になれと言ったとはいえ、その瞬間にそんな風に利用したら俺はただの鬼畜男ではないか。そんな目的で俺は道具になれなんて言ってない!耐えろ!
煩悩と戦い葛藤し苦しむ俺を不思議そうに緑色の瞳で俺を映し出す。
「なんでそんなに耐えるの?人外は嫌なの?」
「そんなんじゃねぇ!世の中には段階を踏んでこそ価値のあるものがあるんだ!これがチェリーボーイ特有の思考だとしてもこれだけは譲れない。抱けるなら抱きたいが耐えるんだよ!」
風呂場の中で俺の苦悶の声がエコーのように反響しながら、そんな俺の叫びを聞いたポルニャが湯船の熱のせいなのか少しだけ顔を赤くして、
「抱けるなら抱きたいんだ……」
そうポツリと呟いたので俺はとうとう我慢の限界が来て湯船から飛び出て更衣室に駆け込む。
「ぜぇ、ぜぇ……あれは天使のような悪魔だ。危うく俺は性獣になるところだった……」
心臓が破裂寸前まで動き出し、今にも口から心臓が飛びでそうな状況で床に這いつくばっていると、浴室からポルニャの声が聞こえた。
「どこに行ったの?ねぇ……返事して、どこに行ったの……?」
「ここだよ!曇りガラス越しにでも俺が居る事くらい分かるだろ。俺はちょっとここで湯から冷めるまで寝てるわ!」
俺は大の字で床に転がりながら天井を見ていると、湯船の方から泣き声が聞こえてきた。その声の主は一人しか居ないポルニャの泣き声だ。
俺は反射的に浴槽に入り湯船を見ると、膝を抱えたまま熱いはずの浴槽で寒さに凍えるように震えるポルニャを見つけた。俺は状況が理解出来ずに困惑した。
「どうして泣いてるんだ?もしかして俺が拒絶したのがそんなに嫌だったのか?」
どこか自惚れたような俺の予想に反してポルニャは首を振り。
「怖い。怖い怖い怖い。一人が怖い」
ブルブルと震えながらポルニャが心此処に非ずといったように呟くので、俺は湯船からポルニャを引き上げて身体を拭いてやり部屋に連れて帰ることにした。
「事情は分からんが、とりあえずベットに座って話をしよう」
大学で一人暮らしをした姉が残したパンダ柄の寝間着を着たポルニャは小さく頷いて自室に向かう。その時にポルニャは決して俺から手を離そうとはしなかった。
俺は部屋の中で向かい合うように座ったポルニャに何が起きたのか聞きだす事にした。ついさっきまで無表情だった彼女がここまで怯えるのは尋常ではない。
「何に怯えているんだ、ポルニャ?」
ポルニャは俺の渡したペットボトルのジュースを握りながらしばらくの逡巡の後に答える。
「一人が怖かった」
それだけ呟いた後にまた沈黙して辛抱強く続きを待つ。
「私の世界は偽物だった。信じた神も仲の良い仲間も存在せず信仰を失い、文字通りに全てを失った私はただ怖かった。知らない異世界で私の記憶すらも疑い、信じる寄る辺もなくただ大海に漂う木の葉のような心細さで一人ぼっちだった」
ポルニャの予想外の内面の吐露に俺は衝撃を受けた。ただ無表情で何事も気にしないと思っていた彼女の心の中は孤独と恐怖で埋め尽くされていたとは思いもしなかった。だが考えればすぐに分かる事でもあった。彼女が天使と言う存在だからと、常識的に考えれば当たり前に感じるはずの感情すら俺は考慮しなかった。
「あなたの言葉に心が動いても、それでも恐怖は消えなかった。またこの世界は偽物で苦しむ私を見て楽しむ為に作ったのではないかと言う不安は消えなかった。手に入れた物が気が付いたらなくなる恐怖が私の中に巣くっていた」
「だからわざわざ風呂まで一緒に入ろうと言ったのか」
ポルニャは頷き足元を見たまま話を続ける。
「あなたが消えてなくならないようにずっと傍に居たかった。この世界で唯一本物と思える存在を一瞬でも手放したくなかった。でもあなたが浴室から消えた時に、私の中に巣くっていた恐怖が溢れ出てきた。それは孤独で、虚無で、全てが虚飾で――」
俺は虚ろな目で壊れた機械のように淡々と呟く少女が本当に壊れてしまう前に抱きしめた。俺がここに居る。その証拠をぬくもりとして伝わるように精一杯抱きしめた。それが功を奏したのか分からないが、ポルニャの震えは徐々に止まり、それでも今でも壊れてしまいそうなポルニャが不安だったから抱きしめ続ける。
そしてどの位の時間が経ったのか分からない程に抱きしめ続けていると背中を優しく叩かれた。
「もう大丈夫です。落ち着きました」
そういつもの不愛想なポルニャの声を聞き抱きしめるのを止めようとすると腕を離すが。
「すいません。まだ抱きしめて。怖い」
そう言われたのですぐさま抱きしめる。互いの呼吸音と天使の鼓動を聞きながらベットの上で横になり彼女の心の中の闇と嵐が去るまで抱きしめ続けることを心に決めた。
未だ微かに震えるポルニャを全身で感じながら、もしこの先に新たな使い魔を手に入れる事があったのなら、心の中に巣くう彼ら彼女たちの闇を払わなければならないのかとぼんやりと俺は考える。
そのまま気が付いたら眠りに付き、目覚めたら深夜だった。
ポルニャもどうやら寝てしまったらしく、俺の顔のすぐ近くで寝息を立てている。息も掛かる距離で非常に心臓に悪い。そして俺はなぜ目覚めたのかを悟った。
トイレ行きたい……。
召喚してからの間、俺は一度もトイレに行かず風呂に入りそのまま寝てしまった。だからもう俺の膀胱は破裂寸前でこのままでは漏れてしまう。だが、ここで彼女を置いてトイレに駆け込んだとしよう。もし何かの拍子で目覚めたら彼女はまたパニックになる。だから俺は恥を忍び、ポルニャを揺すり起こす事にする。
「ポルニャ寝ている所を悪いが、少し聞いてくれ」
ゆさゆさと何度か肩を揺らすと眠たそうな目でポルニャはこちらを見つめ。
「何?」
「トイレに行きたいんだが、少し俺が居なくなるが平気か?」
「駄目」
ポルニャは眠たそうな目から覚醒して俺の腕をがっしりと掴み離さないように力を込め始める。洒落にならないくらいに痛い。
「分かった。それじゃあ、トイレまで俺に付いて来てくれるか?あと流石に排泄してる所は見られたくないんだが……」
俺にはそっちの趣味はないし天使を穢してるような気がして嫌な気持ちになるからそう頼む。
「そこは見ないから大丈夫。この世界のトイレはどんな形をしているか知らないから、それを確認してから行動を決める」
「よし分かった」
そうと決めればすぐに移動を開始する。パンパンに膨れた膀胱は今にも暴発しそうで危なっかしい上に腕を掴まれて状態である為に必要以上に股間に気を使わなければならない。そんな困難な状況を乗り越えてトイレに辿り着く。
「これがトイレだ。ズボンと下着をおろして便座に座り排泄をする。俺は今からするから決して見ないでくれ」
フリじゃなくてマジだからなと念を押す。
「扉を開けていて。私はその横で待っているから」
そう言って俺の視界から僅かに寝間着が見え隠れするのを確認して。
本当は音も聞かれたくないんだけど……ええい、もういいやさっさとしよう!
俺は下着をおろして排尿を開始した。この緊張からのカタルシスが俺の全身の力みを取りリラックスすると同時に、すぐ近くでポルニャが居ると言う状況に俺は早く済ませなければ強迫観念に憑りつかれた。
そして念願の排泄が終わり手を洗ってポルニャを見ると、何故か大きく口を開けているので疑問に思い首を捻る。
「トイレに行かなくて私が口で受け止め――――でぇぶっ!……なんで殴る」
「女の子がそんなことを言ってはいけない」
非常にアブノーマルな発言をしようとするポルニャの口を俺は頭を殴り止めた。誰かこの堕天使を止めてくれ。これを外に連れて行く時にもし似たような事を口走ったら洒落にならない。
「俺は済んだがポルニャはトイレは大丈夫なのか?」
「堕天使は排泄はしない。老廃物も出ない穢れない存在」
汚れなき純真で神聖な存在であるらしいポルニャを少し羨ましいと思っていると、ふと疑問が浮かぶ。
「……それなら風呂に入る必要もなかったんじゃないか?」
「身体に付いた汚れは洗わなければ落とせない。だから風呂は必要」
「そうなんだ……そういえば着替えも……あ」
俺は大事な事を思い出して硬直した。
「どうしたの?」
「魔王のマントを洗濯機の中にぶち込んだままだったわ」
そう聞かれたのですぐにポルニャを連れて更衣室に行く。そして案の上、閉じられた洗濯機を必死で開けようと、ドンドンドンと何度も叩くマントが居た。
マントはこちらを見つけて、更に激しく蓋を叩き「さっさと開けろゴラァ!」と言いたげに怒りの全身タックルを何度もかましている。
「忘れてた。ごめんごめん。お前も洗う必要あったのんんんんんんんんんんんん!!」
俺はすぐさま蓋を開けて謝罪して開放すると、マントが俺の口と鼻に巻きつき必殺の窒息攻撃を仕掛けてきた。不意を突かれて完全に呼吸が出来ずにのたうち回る羽目になる。
「マント。取る?」
「んんんんんんんんんんんんんんんんッ!!」
視界が暗くなる中で必死に首を縦に動かし懇願する。すると、ポルニャはマントを掴み力任せに引っ張る。
そこで俺は大事な事に気付いた。首に巻き付けられたマントを無理やり一方向に向けて引っ張るとどうなるのか、それの答えは――――
「ブゴォ!」
――――巻きついたマントに引っ張られるように首が捻じれて曲がってはいけない方向に首が曲がる。そしてその方向を向いたまま俺の意識は闇に閉ざされ、意識がなくなる最後の思考は、俺死ぬのかな?だった。
気が付くと朝だった。ブラインドカーテンに照らされて青白く光る部屋の中、昨夜に首が折れたかのような事件を過ごしたにしては俺の首には何の痛みもなく、ポルニャは俺の隣に寝て、クソマントは俺の椅子に被さっている。どうやら無機物も寝るようだ。
俺はスマホで時刻を確認すると午前の六時。母親からのラインで「まだ遊んでるから」と着ているので、どうやら徹夜で遊び通しているらしい。金曜の夜から土曜の朝まで人生をエンジョイする母親にドン引きしながら、俺は朝食を摂る為に一階に降りる前に寝ているポルニャを揺り起こす。
「忘れてた。ポルニャ起きろ。朝飯食うぞ」
「朝。異世界最初の朝。朝飯。ごはん。分かった食べる」
すぐさま覚醒して起き上がる。そして俺達が起きた事を察したマントがすぐさま俺の肩に憑りつき、深夜の騒動がなかったかのような態度で当たり前のように俺の服飾の一部となった。ちょっとライターオイルとマッチで火遊びしたい気分を抑えながら、寝間着にマントとか似合わない状態で俺は朝飯を作ることにする。
朝飯は簡素にパンとイチゴジャムにソーセージと野菜。ジュースはお好みで冷蔵庫から取り出す方式で食事を始める。
ポルニャは初めての異世界の料理に食べ方を俺に聞くので教えてやると食事を始めて黙々と食べた後。
「普通」
一言だけ呟きテレビの方に注目し始める。
俺はそんなポルニャを苦笑しながら見るとクソマントが頼んでもないのにコップに入ったオレンジジュースを掴み「飲め飲め」と俺の口に押し付けてくる。俺は無言でそれを取り飲んだ後に、今日これから始める重要な事をポルニャとクソマントに告げる。
「それじゃあ二人とも聞いてくれ。大事な話がある」
「何?」
テレビから向き直るポルニャとじゃれつく犬のように顔を触りまくるクソマントを相手にしながら、真剣な表情を俺は浮かべ。
「これから異世界の冒険を始める為に駄菓子屋に行く。この次の冒険はどんなものかは知らないが、危険と隣り合わせの非常に困難なミッションを与えられるだろう。俺はそれを大義も使命もなく好奇心だけで挑戦するつもりだ。もし嫌だったらここで降りて構わない――」
俺は少し間を開けて笑い。
「と言いたい所だが地獄は道連れ。俺のエゴの為にお前たちもろとも神気取りの存在が作ったゲームに参加してもらう。文句はないな」
ポルニャは相変わらずの無表情のまま告げる。
「ない。元から私はあなたの道具」
それだけ言って俺を見て、マントは「よっしゃ!行くぜ!」と言った態度で肩を叩いてくる。どうやら地獄の道連れを喜んでくれているようで何よりだ。
俺は食器を片付けながら宣言する。
「それじゃあ、異世界ゲーム二回目の始まりだ!――――あっ……あとお前たちに片付けの仕方を教える」
ポルニャとマントに食器の洗い方を教えながら冒険の二日目が始まるのだった。
「初めての異世界を歩いてみてどうだ?」
朝の七時に家を出発して駄菓子屋に向かう途中、ポルニャとっては初めての地球の風景をどう感じるか感想を聞きたかった。
ポルニャは何を考えているか分からない表情で街並みや走る車を見て。
「ここがあなたの住む世界なんですね」
そう言って沈黙した。俺はあんまりな回答にどう答えればいいか悩む。
「ん?あぁ、そうだが。もしかして感想はそれだけ?」
もう一度尋ねるとポルニャは道路を走る車を指差す。
「すぐ近くに鉄の塊が高速で走っているのにこの世界の人間は危機感を持たないのですか?ほんの少し道をそれればあなたたちは死にますよね?怖くないのですか?」
「あー……言われてみればそうだよなぁ……」
運転手がハンドルを少し左にやるだけで歩行者を撥ね飛ばせる凶器が当たり前のように人々の隣を走っている。それは異世界人からすれば何故平然としていられるのか疑問なのだろう。正直、俺も考えたことがあるが、そこは深く考えても現実は変わらないので思考停止していた問題だ。
「深く考えても仕方ないし。轢かれた運が悪かったって割り切ってるんだよ。または何も考えていないか」
その答えにポルニャは嘆息する。
「そうですか」
これ以上は何も言う事はないとポルニャは沈黙した。
そして肩に着ているマント……ではなく、目立つのでマフラーのように首に巻いているマントは住宅街の鏡の方に布を伸ばしている。つられて見ると、六月であるのに赤いマフラーを巻いた中々に痛いファッションをした俺が映っている。
マントはどうやら自分の姿を確認しているらしい。色々と巻きかたを変えて鏡映りを気にしている。どうでも良いが、これを通行人が見たら中々にホラーな光景だと思う。
「朝早いから誰とも会わずに駄菓子屋行きたいなぁ……」
金髪美少女と蠢くマフラーとそれを着ている中二ファションの俺。一体何がどうやったらそんな組み合わせになるんだとツッコみを入れられる事間違いなしの二人組で道を歩いていると、
「先輩?……やっぱり先輩じゃないですか!おはようございます!」
体操服で朝からランニングをしている女子生徒と出会った。名前は憶えていないが、しょうもないいじめがあった時に、何となく助けて顔を覚えられて以来、出会えばあいさつするようになった女子だ。
「おはよう。朝からランニングとは気合入ってるな」
「それは大会が近いので気合入れないと駄目じゃないですか!」
パッと見が男なんだか女なんだか分からないボーイッシュなコイツは女子に人気がある。竹を割ったような性格も相まって一人で行動している時など休日のランニング位で常に誰かと一緒にいる。そんな彼女と他愛もない話をしていると険のある声音が響く。
「誰?」
ポルニャが俺の腕を掴み尋ねてきた。
誰……と言われても、誰なんだろう?名前忘れちゃったし、やべぇなどう紹介していいか分かんねぇ……とりあえず水を向けて誤魔化すか。
視線で彼女に対して自己紹介してやれと訴えるとそれを理解する。
「やぁ、初めまして。私は
原野海原……そういえばそんな名前だったな。
「いっきって誰?」
心底不思議そうな顔で周囲を見るポルニャを見て海原は驚く。
「隣に居る彼だよ。まさか名前を知らないの?!」
そうツッコむが首を傾げた後に俺を見て一言。
「聞いてない」
海原は信じられないものを見る目を俺に向けてきたので、そういえば俺の名前を教えてなかったな、と根本的な問題を思いだしてポルニャに向けて自己紹介する。
「俺の名は
「私は道具だから、あなたに使われる為の必要以上の知識は要らないと考えている」
「持ち主の名前くらい聞いとけよ……割と重要だろ?」
「ねぇ、道具って何の事……?」
俺達の会話に海原が割り込んできた。目の前の少女を道具扱いする俺に対してまるで鬼畜外道を見るような軽蔑の眼差しを向けてきたので俺は慌てて誤魔化す。
「この子は日本に来たばかりで言葉の使い方を間違っているだけなんだ!だから誤解だからそんな目で俺を見るな!」
「でも……今さっき、持ち主の名前くらい聞いとけって言ってたよね?まさかこの子を奴隷のように扱ってたりしてるの?そうなの、えーと、ポルニャさん?」
誤解を解こうとするがどうやら無理だったらしい。ポルニャは尋ねられその意味を少し考えている。頼むから余計な事を言うなよ。
「私は一騎の道具。一騎の為に使われる為に存在している」
「それってさ、つまり性的な事をされているって事……?」
「されてない。でもそれを一騎が望むなら」
マズい……ッ!
開いた口が塞がらない海原を見て、このまま俺はポルニャの腕を掴み駄菓子屋に向けて走る。もうどう誤解されていようと知った事じゃない。俺は異世界で冒険するのだ。
「じゃあな、海原!俺達は用事があるから先行くぜ!」
「ちょっと一騎!詳しい事情を話しなさい!一体あなたはその美少女に何を吹き込んだの?!そしてそのマフラー何!?」
振り向きながら言うと海原は並走するようにこちらに向けて駆けてきた。
「ちょっと来るな!俺達には俺達の関係があるんだよ!そのままランニング続けてろ!」
シッシッと手を振り追い返そうとするがそれでも追い掛けてくる海原。まったくしつこいにも程があるぞ。
俺はそんな事を思っていると、ポルニャが息も切らさずに走りながらこちらを向いて。
「邪魔なら排除する?」
「洒落にならないから止めろ!」
とても危険な事を言いだすので慌てて止める。確かにしつこい海原であるが、何も見えないハンマーで潰したいとは思っていない。
「なら私たちが消える?」
「そうだな!俺達が海原の視界から消えるから」
全力疾走で入る俺は息も絶え絶えになりながら反射的にそう返事をすると、
「天恵の三。<<不可視のベール>>」
ふわりと透明なベールのようなものがポルニャと俺に被さり、それと同時に悲鳴が背後から上がった。海原が叫んでる。
「何これ?!えっ……二人ともどこに消えたの?!」
どうやら不可視のベールには文字通りの認識阻害効果があるらしく、俺達が目の前で突然消えたので軽くパニックになっているようだ。俺はそんな彼女を無視してそのまま駄菓子屋まで突き進む。
「ぜぇ……はぁ……ぜぇ……やっと着いたか」
あのまま透明な状態で街を駆け抜けたのは良いが、冷静に考えると不可視であるので車に轢かれかけたり、自転車にぶつかりそうになったりと散々だった。現代で透明人間やるにはリスクが多すぎる事を理解した今日。
隣には汗一つかいていないポルニャが駄菓子屋を見上げ。
「ここが異世界のゲームへと繋がる物を売っているお店?」
――ゾッ!
隣から来る見えない殺意に俺は鳥肌が立つのを感じた。
もしかしてポルニャはここにその例の神気取りの上位者が居ると思っているんじゃないだろうな……。まぁ、そりゃ異世界に行くゲームのガチャを売ってる店と聞いたら、最初に考えるのはそこに首謀者がいるだろうからなぁ……。
そう勘違いしてそうなポルニャに俺は噛み付かれないように肩を叩き。
「ここはあくまで売ってるだけだ。謎の男がこの駄菓子屋に来て、異世界ゲームをする為のガチャをここに設置したらしい。多分、その男が神気取りの上位者だろう」
「…………………………そう」
俺の言葉に殺意は霧散していつものポルニャに戻る。と言っても、ただ気配が変わるだけで表情は無表情だからパッと見の違いなんて全くないのだが。
俺はそのまま駄菓子屋の中に入ると、カウンターの向こうで飯を食ってる千代さんが顔を向け。
「店で物買うなら適当にカウンターに金置いていけば後で清算するからのぅ……その外人の嬢ちゃんにも教えてあげるのじゃ」
「今日は駄菓子じゃなくてガチャをやりに来た。例の千円のガチャだけど、俺の他に買った奴は居るか?」
ガイド役の最初にクリアしたプレイヤーと言う言葉が引っ掛かり、千代さんに尋ねると首を振る。
「まさか昨日の今日であんな高価なガチャが売れる訳ないの」
「そうか。それじゃあ良かった。俺達が買い締めに来たからな」
俺は部屋の中にあるタンス預金の二十五枚の千円札を取り出して見せつける。日雇いのバイトで貯めた二万五千円だ。他に三十万近く口座にあるが、朝の引き出しには手数料が掛かるので貯金を卸さなかった。
千代さんは目を丸くして札束を見つめる。
「まさかその札束全てをガチャに使うのかね?正気かい?」
「正気さ。これで二十五個の異世界ゲームへの挑戦権を買えるのなら安い物だ」
俺はうっかり口を滑らせるが、千代さんは二万五千円をガチャに突っ込むという所業が信じられないようでまるで拝むようにこちらに手を合わせている。
「おぉ!あなた様のおかげでこの駄菓子屋の収益がとてつもない事になりそうじゃ。ありがたやありがたや」
そう拝まれた。ちょっとオーバーな気がするし、二十五枚の千円札を札束と表現する千代さんを見ていると、この駄菓子屋の経営状況が気になって仕方ない。
「一騎。早くそのガチャと言うのを見せて」
袖を引かれて俺はすぐさまガチャの置かれている場所に案内する。
「これがそのガチャだ。千円札を入れると中からカプセルが出てくる」
そう言いながら千円を札入れに入れると、ガラガラと音がして拳大の大きな黒いカプセルが出てくる。そして蓋を開けると、緑の草原に小さな森と湖がある平原のスノードームが出てきた。魔王城のように火の粉は舞わず、風に靡く草木は小さな現実であるように感じる、事実その通りなのであるが。
「これが異世界。私の居た世界もこんな置物だったの?」
顔を強張らせ、固い口調でポルニャはミニチュアを受け取るとじっと中を眺めながら俺に聞いてくる。その心中に抱く複雑な思いを想像しながら、
「そうだ。お前のは魔王の城に墓場と周辺の枯れ木のある精巧なミニチュアだったぞ。まさかそこに実際にお前たちが住んでるとは夢にも思わなかった」
「………………………………」
ポルニャは俺の言葉に反応せず、食い入るようにミニチュアの中を覗いてる。まるでその世界に生きる住人たちに思いを馳せるかのように。
そんなポルニャを俺は見ながら、カプセルに入っている紙を取り出して見る。
『クリア条件:四つの種族が争うマニチュア平原を平定せよ。異世界での24日間は現実での1日とする』
「四つの種族が土地を巡って争っている所を俺達が平和をもたらすのか。そして長期戦になるから異世界の時間の流れが速くなっているとなると単純じゃねぇなコレ」
四つの種族の仲直りさせるか、どれかの種族に肩入れするか、四つの種族全員を皆殺しにするか。この三つの選択肢がプレイヤーに与えられている訳か。なるほど、椅子に座るという単純な目標と違って、次は知能と交渉能力を問われるとは面白い。
俺は一人でニヤニヤと次のゲームクリア条件について考えていると、ポルニャは口を挟む。
「次は種族間の争いの平定?そんなこと私達だけで出来るの?」
「難しいから面白いんだぞ。命懸けではないが、それ相応のリスクと報酬。日常で生きていたら決して味わえない非日常が待っているんだ。やるしかない」
そう答えると、どこか呆れたようなポルニャの顔。
「これってどうするの?」
ミニチュアを見ながら聞いてくるので、俺は深く考えずに使い方を教えてしまった。
「振ればいい。振ると魔法陣が現れて異世界に連れて行かれる。だが、今回は長期戦となると事前に食料のじゅ……ちょっと待てぇ!何勝手にふっとるんじゃ!!」
答えると同時にポルニャはミニチュアを振り始めた。それを見て俺は絶叫するがポルニャは平然とした表情のままに。
「ごめんなさい。もう振っちゃった」
そう謝ると同時に魔法陣が上空に出現した。
「あぁ――ちょっとマジで待ってほし」
言い終わるより早く、暗転した視界と一瞬で切り替わる風景。
「――かったんだけどなぁ……」
どこまでも続く蒼穹の空に緩やかな丘で地平線まで見えない平原の中に俺達は佇んでいた。俺は深く息を吐きだす。
「それじゃあ、第二回異世界ゲーム。マニチュア平原の平定するミッションスタートです!」
無理やりやる気出して俺は呟く。そして何故か隣に居るポルニャは強張った表情を浮かべている。
「四つの種族は娯楽の為に争わされてる。理由も全てが上位者に植え付けられた記憶を信じて」
俺とは別の意味でやる気をだして、天使の翼を広げ。
「何もかも上位者の思い通りになんてさせない」
高潔な意思を瞳に携えて、ポルニャはただ真っ直ぐと前を見据えるのだった。