桜井剛、26さい。慣れ親しんだ警視庁から地元大阪府警に転勤が決まった。と、言うか。元々1年前。未確認が現れる前。 母親の持病の容態が悪くなり、帰って面倒を見る事になっていたのだが...。
事の大騒動が起きてしまい、あえなく母の面倒は父親と弟に任し、未確認生命体対策本部に配置された。
今さら転勤しても当の母親はすっかり調子が良くなり、帰って邪魔にされてしまうのが目に見えている...。
仕方無しに貸家を探す羽目になってしまった。
「よう。捗ってなさそうだが、それで2日後には大阪に行けるのか?」
からかうように杉田警部部長が話し掛けてくる。転勤が決まってからというもの警部部長は私がデスクを片そうとする時に限ってこうやって無駄話をしにやってくる。
「杉田さん...。私、遊んでる訳じゃないんですが...。お仕事たくさんあるんでしょう?
部長になって、色々上と折り合いつけたり大変でしょう?」
「ま、昇格は良い事だがな。オレは前の方が融通が利いて良かったな。」
「ふぅん...。」
呆れた風に肩を上げる。上に立つ者の嘆きは自分にはよく分からないけれど、大変らしい。
話を聞きながら、デスクを片していく。後は引き継ぎをする書類位しか残っていない机を見て、普段の荒れ果てた机を懐かしく思った。
明日には此処に私は居ない。
当たり前の事なのだが、急に異動する事に寂しさを感じ、小さな溜め息が漏れた。
「なんだ? 今更後悔しても仕方ないぞ?」
「え? ...えぇ、そうじゃなくて、何となく寂しくなりまして...。
随分お世話になったから...。」
「5年か。長かったな。」
入務して、刑事のいろはを教えたのは杉田警部部長だ。 特定の相棒を持ったことがこれまでなかった杉田警部には長い付き合いになるなんて思ってもみなかっただろう。
「こうして考えてみると、お前も大分成長したし、大人になったな。」
「杉田さんに誉められると何か変な気分です。何時も怒られてたから。」
「おいおい、人聞きが悪いな。何時もそんなに怒鳴り散らしてないだろ?」
ぶつぶつ文句を言っているが、私には怒られた記憶しかない...。事実を伝えたまでなのだが...。
杉田さんが荷物の整理を手伝ってくれたから、随分と片づき、後はごみを捨てれば完璧だ。
「今日はそう事後処理も無いし、ごみ出してさっさと帰るぞ」
「え? 杉田さんも帰っちゃまずくないですか?」
「良いんだよ!たまには!」
「はぁ。」
警視庁敷地の裏手にごみ収集箱が置かれている。両手に吊り下げたごみ袋を箱の中へと納め、正面口まで向かう。 杉田警部部長は携帯電話と睨み合いをしている。
横に行っても、気付いてないようなので何をしているのか除き込むと、メール文を打っているようだった。
「奥様からですか?」
「いや、新人の加藤。コイツ俺がメール嫌いなのを知っててこんな手の込んだ嫌がらせを...!」
加藤と言われても直ぐに顔が浮かばなかった。あぁそうだ。 壁際のデスクに新しい顔が配属されていたっけ。
そいつが配属されてきたのが自分が異動する時期と被っていたために、名前も顔もぼんやりとしか浮かんでこなかった。 確か坊主刈りにした体格の良いやつだった。
「杉田さんメール打てるんですか?」
「お前らのように打てないからこうして四苦八苦しとるんじゃないか!」
携帯電話を顔の前で睨み付けながら一文字一文字打ってゆく様子は威厳がなく、何時もの杉田警部部長の姿からは想像出来ない。
「電話すれば良いじゃないですか。別にメールにメールで返事しなくても良いんですから。」
「そうなんだがなぁ...。せせら笑いを浮かべてると思うと、腹が立つからな。」
そう言い、携帯電話を閉じる。どうやら無事、送信されたようだ。
暫く無言で並んで歩いて行くと、最寄りの地下鉄出入口が見えて来た。
「じゃあ、杉田さん私はここで...「おい、何処に行くんだ?」
地下鉄の改札まで向かおうと、地下に入っていく階段に一歩足をかけたところに後から間延びした声がかかる。
どういうことだと振り返ると手招きして自分を呼ぶ杉田警部長の姿が見える。体の向きを変えまた杉田の元へと戻る。
「メシ。一緒にどうだ?一杯やりながらさ。」
「え?杉田さんご家族と一緒に食べないんですか?」
「あぁ。あまり早く主が帰るとうちのが機嫌悪くなってしょうがないからな。夕飯はいつも外だ。」
「そ、それは杉田さんが帰るとか連絡を入れてあげれば解消されるんじゃ...」
「独り身には分からないんだなぁ。これが。そう単純な話なら良いけどな。」
家族問題は複雑なのだと理解してそれ以上は自分が首を突っ込むことではないと話を反らした。
だが、夫婦間はそれでも良いだろうが、子供はどうなんだろう...。と余計なことを考えてしまう。
自分も結婚して子供が出来れば分かるのだろうか?
しばらく歩いていくと、「おでん」と暖簾に書かれた屋台が。中の店の主人が新聞を広げて鍋の中を度々気にしながら新聞を覗き込み、中々繁盛している風には見えないが、隣を歩く杉田さんからは自分の思いとは裏腹な言葉が聞こえてくる。
「おい、儲かってるかい?おっちゃん。」
杉田さんが先に暖簾を潜る。どうやら、夕飯はここでありつけるようだ。
後に続いて暖簾を潜ると、もわーっと鍋から立ち込めた湯気が出迎え鼻孔を出汁の匂いがすり抜ける。それまで大人しかった腹の虫がいきなり騒々しくなる。
「儲かってたら、賭事で生計なんか立てちゃいねぇやぁな。…らっしゃい。 旦那。今日はお連れさんも一緒で?」
新聞を畳みながら店主が振り向き様に声をかけている。どうも杉田さんはここの常連客の様だ。
店主がなれた手つきでジョッキにビールを注ぎ始める。注文なんてしていないのに、二つのジョッキがカウンターにドンと音を立てて並んだ。
「まぁ、お前さんの送別会と言うことで。乾杯...!」
「...はぁ。すいません。」
カチンとグラス同士が当たり、同時に冷たい液体を胃に流し込んで行く。
店主がその間にお通しと一緒に良く味が染みたおでんを盛り付けカウンターにそれぞれ出すといそいそと鉄板の下の炭に火を入れ始めた。
店主が入れている、黒々とした艶のある炭は、店主の自慢の備長炭である事は、常連客でしか分からない。
「旦那。今日はどうします?麺は切らしちまってて、出せねェですけど。」
「そうか。おっちゃんの塩焼きそば美味いのに…。残念だ!」
「鉄板焼か焼き飯位しか出せませんで。」
「どうする桜井?」
と。話を振られても、困る。
「じゃあ。鉄板焼で。」
「あいよー!」
注文を受けて店主が手際よく調理を始める様子をただ何となく見つめていると不意に横から声をかけられた。
「いよいよ、後一日だな。こうして顔会わせられるのも。本当に時間ってのは長いようで短いな。」
「...。そうですね。杉田さんからは色々教わりました。刑事になって此処までこれたのも杉田さんがいたからだと思います。」
現場100歩の言葉通りの捜査の仕方に最初は反発もあった。
でも、時間を置いて見る現場は違う一面を物語ってくれることを知った。
この人を信じよう。そう思ったのはその時だった気がする。
「あっちに行っても、気ぃ抜くなよ!それとお袋さんに世話かからないようにな!」
「杉田さんは...私の父親じゃ無いんですから!」
「パンばっかり食ってるんじゃ偏っていけねぇと思ったんでな。」
豪快に笑いながらおでんを口に運ぶ。自分も器から餅巾着をつまんで口に入れた。
たまにはこうして屋台でおでんというのも良いなと思いながら。
自分がこの人の隣にいるのも後24時間と少し。
この出汁の利いた人は自分を見て微笑んだ。
この屋台のおじじゃんは炭火焼きオルグと思って書いてます。