ガールズ&パンツァー ――The silliest story―― 作:滝村亜華音
私という雑魚な戦力の元に近付く敵の前線部隊は、重戦車三両で構成された重厚なものであるらしい。たかが中戦車一匹に割く戦力としては過剰だ。我が軍の大将も指令に少々無理がある。先述の敵部隊を単騎でどう相手すればいいのか。多勢に無勢とは、如何にもシャルルアンリの怒りを招きそうな状況だ。彼女ならば「なんと卑怯な!」と喚きながらも単騎特攻と洒落込む事だろう。では私はどうするべきか。
「一対三は結構キツイよ、どうやって乗り切る?」
揺れる車内、砲手はスコープの照準の距離感を近くや遠くに何度も変えながら、私に対する愚痴のようにぼやく。一度後続の班に応援に来てもらおうかという案も出されたが、私の周囲からの信頼の無さを考慮するとすぐに却下された。
――やはり一両でどうにかするしかないと言うのか。三両で包囲されてしまったら、その瞬間に終幕である。そう言えば中学の地理の授業で、三つの島に取り囲まれた「魔の三角地帯」と恐れられる海域についてのことを、閑話休題として先生が話していた。名をバミューダトライアングルと言い、そこに差し掛かった船や飛行機が突如として消息を絶つのだと言う。内容の奇怪さから多くの小説や映画のの題材にもなった都市伝説だ。
先述の状況になってしまえば、私も消息を絶つことになるのである。
「発煙筒でも使って逃げ回る?」
「こいつがヴィットーリオさん程、上手く人を騙せると思う?」
「それもそうね…」
操縦手の提案を、砲手が親指で私を差しながら切り捨てる。装填手はと言うと、役職上戦闘時以外は完全な暇人であるために、暇潰しに地図の紙面を指でなぞる始末だ。何とも腹立たしいが戦車と言う兵器の構造上、外界の様子を確認できるのは砲手と車長のみだ。故に、私の職務が増えて行くのはむしろ必然だろう。
「……?」
ふと、私の耳が違和感を抱いた。車輪とベルトがギャリギャリと擦れる鈍い音、不定期に聞こえる火薬が爆発する音、ボソボソと呟く静かな声。何だ、もう来たと言うのか。私が眉間に皺を寄せるがそれと同時、装填手が低い声で言った。
「……よく分かんないな…」
彼女の指が地図のつるつるした表面を撫でて行く。そしてその動きは、ある地点でピタリと止まった。そこには赤色の円で印が付けられていた場所だ。そこは前線の右翼部隊が展開された範囲と一致する。
因みに「右翼」とは言っても、保守派や天皇主権派の勢力を意味する言葉ではない。あくまで戦場において、自軍の目線で見て右側の場所に配置された部隊のことだ。誤解の無いようにお願いしたい。
――現時点での我がチームの有志の分析では、敵軍前線は左翼に多めに兵力を注ぎ、我々の右翼の突破に力を入れているのではないかと言われていた。事実、私達が居る左翼に対してはあまり戦力が割かれていない。確認出来るものだけでも、エリアを大回りしながら私の元に向かっていると思われる、先述の三両だけだ。
しかし、私達に予想が出来る程の簡単な作戦で通すとも思えない。どこかで何かしらのミスリードでもありそうなものだ。だとして、目で見て分かりやすいものがあるとすれば…。
「敢えてこっち側が囮…とか?」
いつの間にか装填手と共に地図を眺めていた砲手が口を開く。敵軍の戦車が多く集まっているエリアを指差しながら、彼女は続けた。
「こっちに右翼や中央が気を取られてる隙に、手薄になった左翼を落としながら進軍……、って感じでさ」
「私も少しは考えたよ。でも、たかが囮でこんなに動員させるかな?」
砲手の語尾に噛み付くように装填手が返す。彼女は仲間達からの報告を基に、地図上で敵軍の動きを逐一メモしているようだった。そこでは、前線が確認した台数分と同じ9両の戦車が並んでいた。緩やかな形状の壁を模りながら、前線の中央部隊と右翼部隊の行く先を阻んでいる。私達のチームの前線は右翼、中央、左翼にそれぞれ三両ずつ配備されていた筈だから、このままぶつかれば、前線の中央と右翼はすぐにでも壊滅するだろう。
――現在我々のチームは中央と右翼が、先述の壁に対して目を光らせている。特にシャルルアンリは、爪で血が滲む程拳を強く握りながら牙を剥いていることだろう。そんな中、またもや通信機から声が聞こえた。姉からの通信だ。
「各グループ、前線と中線の左翼担当に連絡ー。逆にこっちも部隊を集中させて、重点的に攻めようか!」
またもや唐突な指令だ。チーム内で共有された上記の情報を基に判断を下したのだろうが、少々言うことに無茶が混じる。左翼担当と言えば、私が割り振られた配置だ。ということは私は、部隊の切り込み隊長を務めることになるかもしれないのか。否、切り込み隊長とは名ばかりの、噛ませ犬になるのがオチだろう。小さく溜息を吐いたのと同時、通信機から悪魔の声が聞こえた。
「フフフ…、頑張ってくださーい」
「黙れ! 赤い悪魔が」
やがて、何やら硬い物を引っ掻くような音がしてきた。乾いた金属と硬い土が擦れる音だ。その音がいくつも重なり、微妙な音のズレを含みながらも統制の取れた軍隊行動を示唆する。そしてその音の群れがじわりじわりと近付いて、私の鼓膜をこれでもかと震わせる。直後に入った通信によると、敵軍の左翼部隊が動き、我が軍の右翼部隊に向けて進行を始めたらしい。
負けじと私達左翼部隊も連絡を取り合い、姉から課せられた任務の完遂を目指して戦車を走らせる。ここだけの話、前線と中線の二つの左翼部隊が合流するのには、まあ時間を有した。現時点での目標は、敵軍の右翼部隊の打倒だ。その際、他の車両から通信機越しに私への罵詈雑言が寄せられたことは言うまでもない。
――
――以下の文章は、決勝戦後に、愛里寿嬢から聞いた話の内容である。
360度何処を見渡しても、焦げ茶色の土で模られた地平線と、それをなぞるように立ち並ぶ木々の深緑。風が吹けば小石がカラリと転がり、やがて大きな砂嵐へと飲み込まれる。まるで生を感じさせない空間であるが、これが人が作り出したものとは、何とも滑稽である。文明や技術の欠片程も存在しなかったのだから。
その中心に鎮座するは、一両の濃い灰色の戦車。六両の戦車に囲まれながら佇むその戦車は、戦車でも巡航戦車、A41センチュリオンである。
車両のハッチから上半身を出してタブレットに目を落とすのは、千代さんとよく似た髪色をした少女である。無表情でありながらもどことなく、何がしかの感情を秘めているかのようだった。目が据わっている。唇を固く結んでいる。風はやがて、彼女のサイドテールとそれを結ぶリボンを揺らした。だが彼女自身の挙動は、凍り付いたかのように微動だにしなかった。
画面の中では、前線部隊が左右の二手に分かれて進んでいだ。左側は9つ、右側は三つの点がそれぞれ固まって部隊を形成している。先程撃破された分の損失を加味し、中線の編成を組みなおす。だがその時、前線の右翼担当――戦車が三両居る方である――から通信が入った。ザリザリといったノイズ交じりの声が、少女の小さな耳へ入る。
「敵前線の左翼部隊がこちらに気付き、向かってきました。数は6両」
少女はタブレットの画面にある、自軍の右翼部隊の位置を確認する。その後、静かに通信機に向けて声を出した。
「分かった……。初動をパターンAからパターンBに修正、作戦自体は続けろ」
「了解」
通信機の向こうに居る隊員は、隊長の指令に即諾した。同時、左翼部隊の9両は隊列の形状と進路を変更した。一面に敷かれた緩やかな横列が一本に繋げられた緩やかな縦列へと変わり、右斜め前方へと進んでいった。敵軍前線の、先程まで左翼部隊が居たエリアへと、目標を変えたのである。
まずは敵軍の隊列に明確に穴を開ける、それが彼女の初めの目的だった。それも、次の段階の作戦への布石である。
――諸君は感染力の強い感染症と聞いたら、どんなモノを想像するだろうか。細菌、ウイルス、寄生虫、中間宿主など、多種多様な感染症の形態が存在することは多くの人が知っていよう。私だって知っていた。そんな奴らが人間を脅かす理由は五万とあれど、その中の一つとして、予想のつかない侵入口を経由していることがある。だからこそ、人間側の対策が追い付かないことがまああるのだ。
そこにおける外敵の侵入口を、敵軍の隊列の中に作ろうと言う段階だ。
――
来賓席、三笠学長は巨大なモニターを見ながら、両目を見開いて小さく声を上げた。指の間からタバコがすり抜けて彼女の足元へ落ちる。これで地面に三本、タバコが転がった。
「はえー、流石天才様。序盤から、考えることとやることの規模が違うね」
自分の娘と友人の娘が戦うという何とも言えない情景であるが、鉄の獣たちの咆哮というエッセンスのお陰で、この女も瞬く間に考えることを止め、魅了されてしまったようだ。モニターの中では、先述の左翼部隊が蛇みたいに這いながら、着々と木々の隙間を縫うように進んで行く。三笠学長はその9両の戦車の動きを目で追っていた。
千代さんはと言うと、扇子を小さく仰ぎながら殆ど無表情を保っていた。否、眉間に皺が寄せられていたことを考えると、また何がしかの引っ掛かる点があったのだろう。
しばらくして三笠学長は、厳かな声で言った。
「でも今回のあいつ等は、ほんの一味だけ違うんだなー。舐めて貰っちゃ困るね」
「…と言うのは?」
「いつものパターンじゃマンネリ化するし、一種の改革に取り組んでやろうって感じよ。…ってか勝って貰わないと困るし」
「改革……?」
千代さんの問いに、三笠学長は返した。直後、4本目のタバコに火を点ける。
――
私は左翼部隊の切り込み隊長として、皆を牽引する為に勇ましく戦車のキャタピラを鳴らしていた。6両という中規模な部隊であるが、私ごときが導こうなどと言うには手に余り過ぎる。しかし、三両の戦車ならばどうにかこうにか抑えることが出来よう。我々のチームは実力も技術も何から何まで相手チームに劣るが、すばしっこさとしぶとさは一級品だ。
しかし、数で勝っているとはいえ油断は出来ない。数が多いと言うことは、その分規模が大きく、的にされやすいということだ。更には数で勝っているということで、我々に慢心が生じてしまうこともあり得る。そこを突かれ、チームの総崩れの切っ掛けになりかねない。
ここまで書いてきて悪いが、どうにも煮え切らない。こちら側から見れば、三両という小規模な部隊は上手く確認出来そうにもない。時々ハッチから顔を出しているものの、木や岩や土が続くばかりで、鉄の獣の姿は確認できない。だが向こう側から見た時、6両の規模の部隊は視界の端に嫌でも引っ掛かるだろう。完璧に視認できなかったとしても、重なった走行音の大きさなどでは、簡単に存在が把握出来そうではないか。
そうなると、一定の状況下で向こうが有利に動けるだろう。作戦を立て直すために一度退くなどしそうなものだ。木々の隙間に隠れて闇討ちしたって良い。
(最早何処だ…。ここ)
――決して現在地が分からなくなった訳ではない。しばらくの間交戦も無く走ってきたお陰で、チームの本隊から大きく分離し、行き先の分からない暴走機関車状態になりかけてしまったのだ。ちなみに私の居場所は、いつもサークルから大きく分離しているが、あまり関係無いので詳細は書かないでおこう。
「さて、どう出てくるのか……」
連なる木々に挟まれるようにして、縦に並んだ6両の戦車が進む。内訳は列の前から、私の乗るT-44。他のT-44が一両。T-40が一両。BT-7が一両。ISU-122が二両。合計6両だ。鉄臭い車輪とゴム臭い履帯の臭いが、ほんのりと鼻を掠める。砂や木の葉の立てる音が一層煩わしく感じられた頃、私の耳が引き裂かれんばかりの轟音が鳴った。出処は私の背後にあるようだった。
音のした方向へと振り返る。そこには、黒煙と白旗を同時に上げたT-40の姿があった。
「――⁉」
僥倖であった。やはり島田流の教育をふんだんに受けてきた有志達。一筋縄ではいってくれないらしい。カラスのように目だけを立派に見開きながら辺りを見回すが、何処にも鉄の獣の姿は見当たらない。
(遠距離射撃…、それとも一撃離脱戦法か…?)
私は通信機に向けて声を発した。
「皆、周囲に警戒しろ。T-44、BT-7、何か妙なものは見えなかったか?」
「黙れ!」
「言ったって、アンタ何も出来ないでしょ!」
T-40の前後に並んでいた二両の元に連絡を入れるが、返って来るのは罵声だけであった。大学の未来を左右するかもしれない試合と言えど、それでも私とは協力したくないらしい。
「……」
私は装填手の広げる地図を眺める。音の大きさから、そこまで遠くから撃っているとは思えない。となれば一撃離脱に則って避難した、と考えるのが妥当だ。先程の砲撃音には私の右耳がいち早く反応していた。なら、右側の木々に一両が隠れているのだろうか。では、他の二両は? 近くに散らばっているのか、それとも後方で待機しているのか。どのパターンでも有り得そうなため、余計に考えがまとまらない。図面を睨み、髪を掻く。すると、側面ハッチから目を覗かせていた砲手が言った。
「あっちに居る。一両」
彼女の見詰める先は、私達の列の左側に隣する木々であった。
「種類は? ……あと、距離は?」
「アメリカ製。ほんで、ざっと300」
「かなり近いな」
息を潜め、虎視眈々と我々の隙を狙っていた。木の葉が揺れる。キャタピラの音はしない。動こうにも動けない。だって、残りの一両は大まかな場所さえ把握できていないのだ。先程の砲撃をかました車両だって、移動してしまったろうから分からない。
さて、どう動くべきだろうか――。
――
車体の側面に濃い水色の三角形のマークが印刷されたM26パーシング。その車長の元にも、一つの通信が入ったらしい。それは次のようなものである。通信機の向こうからは慌てふためく声が流れた。
「す、すみません! ウチのバカが早まってブチかましました。お陰で、相手は絶賛警戒モードです」
「はあー⁉」
丸メガネの奥の瞳孔が開いた。眉間に皺が作られる。
「誘い出して、囲い込む予定だったでしょ⁉」
ビリジアンの短髪を少々振り乱しながら、車長――ルミは通信機の向こう側に声と感情をぶつける。車長が取り乱すことはそう珍しくないのか、同じ車両に乗る他の隊員達は、やれやれと言った様子で軽く頭を抱えたり首を左右に振ったりしていた。中には溜息を吐く者も居た。さて、当の本人はと言うと、短くフーッと息を入れると平静を装い出した。声からも荒々しさが抜けていく。
「まあいいわ。どうせ殲滅戦、遅かれ早かれ潰さなきゃいけないから、私達の中で片付けるよ。こんな序盤でしくじっちゃあ、隊長にも顔向け出来ないからね」
現在地周辺を映した地図に目を落としながら続ける。半ば怒気や呆れを孕んだ声色ではあったが、仲間割れや粛清をしてしまえばそれこそ顔向けが出来ない。優先されるのは隊員個人の意思より、チーム全体の利益だ。ならば自分達の不平不満は、それぞれ飲み込む義務がある。
「それじゃ、三両で威嚇発砲しながらこっちに誘い込んで。もしかしたらそこで交戦することになるかも知んないけど、そうなったら連絡して。こっちで援軍を送るわ」
通信機を隔てて、相手の声が返って来る。あくまで初めに危険に足を突っ込むのは前線である、というしきたりに不満を抱いているようではあったが、島田家の権威に屈する形でその役割を了承したのだ。
通信機を元の位置に戻すと、ルミは溜息を吐いた。
――
車体の側面に焦げ茶色の四角形のマークが印刷されたM26パーシング。その車長の元に、一つの通信が入る。それは次のようなものであった。通信機の向こうからは冷静さを纏った、平坦な声が聞こえた。
「敵の左翼部隊のエリアに、もう少しで到達しそうです」
「うーん…成程ね」
黒の長髪を小さく揺らしながら、その車長は顎に手を当てた。暫しの沈黙の後、パチンと指を鳴らす。そして口角をやや吊り上げながら、通信機を口元に構えた。透き通った声が狭い車内に反響する。
「それじゃ、部隊を班ごとに分散させるよ。いや、もうここで一両ずつに分散させた方が早いかな…。でも、アズミに一両貸してるからなー」
「9両でもその場の戦力としては、十分多いと思いますが…」
同じ部隊の別の車両から、彼女――メグミへと意見が提示された。メグミは髪を掻きながら柔らかに反論した。声に微量の不安が混じる。
「でも、今回の隊長あいつだからなー。ぶっちゃけ、固まってた方が危ないんだよ」
彼女の脳裏には、サンダース大附属高校時代の一幕が映し出されていた――いつかの練習試合、自分とその女はぶつかり合った。その女に向けて、数々の策を講じて多くの戦力を投入したが、あと一歩で勝てなかった。同級生達から「クソ猫」「クソ犬」「アヒルの親玉」などと呼ばれて調子に乗っていたというのもある。だが、それ相応の実力や能力が自分にはあった筈だ。事実、全国大会のレギュラーメンバーの常連であったのだ。その自分が、同じく常連であった一人の先輩に敗れたのだ。
――主砲から煙を吐く敵車両と、横転した自車。それはメグミにとって、記憶に残っているものでも一番古い敗北の景色だった。その時の相手が今、敵軍の司令官を務めているのだ。
「……っ」
鳥肌が立つ。彼女は背中の寒気を振り払うように、少々活気を込めて声を出した。
「それに本来の目的は前線との交戦じゃなくて、敵部隊の内部への侵入だからさ。簡単に見つかんないようにするためにも、ここで一気に分散した方がいいよ」
「…了解しました」
通信機の向こうの隊員は承諾の意を示す。
「あ、作戦時は隠密行動を中心に頼むよ? アズミやルミの部隊が引き付けてはくれてるけど、完全に見つからない保証は何処にも無いからさ」
メグミは肩や首を二、三度回し、深呼吸をしてから進撃の号令をかけた。
「……それじゃ、行こうか…!」
彼女の声を合図に9両の戦車が、それぞれ9つの方向に分かれて進む。縦一列に並んでいた9匹の鉄の獣が四方八方に散らばり、野へ放たれたのだ。迂回、木の茂み、煙幕など、多種多様な隠密行動で森林や山岳を進む。木々や岩石の隙間を縫うようにして戦車達は走った。梢が揺らぐ音が、キャタピラの音に掻き消される。佇む岩が、砲弾に貫かれ砕け散る。進軍の仕方もまた、多種多様であったのだ。
ここからは、それぞれの単独行動における立ち回りに任せられる。そこに作戦の成否を委ねるのには不安も大きい。だが自分も含め、我が軍の大将と、後ろ盾である流派への忠誠心の証明のために死に物狂いで遂行するだろう。それだけは断言できる。
――
須呂脇大学チームのグループ4の、三両の戦車から成る前線中央班。その班長車――ISU-122は、偵察係として森と砂漠の境界線の地点に居た。そしてその車両の車長は、ハッチから顔を出して双眼鏡を構えていた。地平線と大小様々な丘、そして少量の木々が見える中、その自然界には明らかに似つかわしくないものがあった。目測500メートル先だろうか。濃い灰色の装甲に身を包んだ、アメリカ生まれの重戦車である。
ISU-122の車長はその存在に気付くと、天に拳を突き上げながら言った。
「パーシングが一両。ここは先手必勝だよ、やっちゃって!」
カノン砲が砲弾を吐き出す。轟音。赤い砲弾が灰色の砲塔を貫くかに思えたが、それはすぐに幻であったと彼女は知ることになる。着弾することは無かったのだ。
「――なっ⁉」
流石は島田家のお気に召す車両。反射神経は乗員に任せられるものの、機動性や瞬発力においては一級品だ。第二次世界大戦末期に試作車が作られ、その分技術が洗練されていたお陰か、数多の戦車の中で見ても性能は高い。そしてそれは、キャタピラの稼働力にだって大きなアドバンテージがあることを意味する。
M26パーシングは急発進、後退、うねりながらの走行やドリフトを駆使し、続くISU-122の砲弾を回避していった。ガンアクション映画でよくある、首を傾けて頭部に銃弾が当たることを回避するシーンを思い浮かべると分かりやすいか。それを彷彿とさせるような敏捷かつ俊敏な動きで、M26パーシングは敵の砲弾を回避してみせた。
「な、何でここまで…」
当たらないのと口走り、ISU-122の車長は頻りに砲手と装填手の肩を蹴る。しかし、M26パーシングが走路を変更したことでそれは無駄な足掻きだと理解する。それは何か。向こうは重戦車、こちらは自走砲。こちらの戦車は砲塔の回転が出来ないのだ。砲口の向きを変えたいのなら、キャタピラを操作して車両そのものごと動かすしかない。だが速力も機動力も、向こうの方が優位であった。
彼女が狼狽え、顔を青くして歯をカチカチと鳴らす間にも、M26パーシングは距離を詰めてくる。
「い、嫌…。来ない…」
車長が言い終わる前に、重戦車の主砲は火を噴いた。轟音。双方は軽く揺れ、それぞれの車長の髪が風になびく。立ち昇る黒煙。数秒後、煙が晴れる。――ISU-122の車体から、小さな白旗が伸びているのが見えた。車長は、砲塔の上面の鉄板に力無くへこたれる。
M26パーシングは他に二両のT-44を確認したが、攻撃を加えることは無く去って行った。直後、その二両が撃破されたISU-122の元へと走って来た。
――
――以下の文章は、智恵古大学戦車道サークルとのとある試合の後に、千代さんの知り合いから聞いた話の内容である。
隊長決定戦、決勝戦の三日程前のことである。
熊本県熊本市のとある邸宅。瓦屋根、木造の壁、畳の床、水墨画が描かれた襖、縁側と、典型的な日本の屋敷と言わんばかりの様相を呈する建築物だ。しかし外観を見渡してみると、和風に彩られた中央部の棟を挟み込む形で、洋風の建物が左右に聳え立つ。そしてそれらはどことなく、ドイツ風の装飾がしたためられている。それだけならばまだ、和洋折衷の意味を履き違えたバカな建築家の拠点か何かだと推測することも出来ただろう。しかし、そんな枠には収まらないのが実情だ。
と言うのも、ここには日本の戦車道における最大級の権威が眠っているのだ。ここに居る一人の人間の裁量で、この国の戦車道が彼女の思いのままに動くというのは、現代の戦車道女子ならば誰もが知って然るべき事実であった。襖に描かれた戦車、庭に鎮座するドイツ製戦車、門扉に掲げられた『西住流戦車道家元』と言う表札…。それらの要素からも、ここがどんな場所であるかは一目瞭然であろう。
――従って、ここの住人と対等な立場にある人間の数も必然的に限られてくる。何ならタメ口を聞いたり、個人的な事情で電話を寄越したり、会話の中で小粋なジョークを挟んだりするような奴は片手の指で足りる。少なくとも、その女の記憶の中では三人程度しか思いつかない。
一人目は自分と同じ、戦車道流派の師範と言う立場に居る腐れ縁だ。憎むに憎めない人柄と、それを証明する付き合いの長さがそいつとの間にはある。片手に携えた扇子とお高く留まった物言いは今でも受け付けないが。
二人目は目に見えて、学生以上に戦車道に熱意を向ける一等陸尉だ。子どもっぽく軽い性格なくせに、勘は鋭くてことの核心を突くのが上手い。アバウトな論説と、一発芸かと見紛う程に滑稽な感嘆行為は直して欲しいと思うが。
そして三人目は……、
「もしもししーちゃん? いきなりの頼み事で悪いんだけどさ、ちーちゃんと一緒に廉太んとこに殴り込み行ってくんない?」
相手の都合など一切考えず、電話で一方的に自分の用件や話題を押し掛けさせる非常識者だ。
――
「……」
しーちゃんと呼ばれたその女は、電話の向こうから流れてくる奇天烈な話題に対して、反応に困っていた。眉間に皺を寄せ、目を細め、頬に一筋の汗を垂らす。彼女自身とは特別な確執がある訳でも無いが、声を聞いただけでも気分が少々落ち込む。だが、電話と言うこちらの顔色が窺えない媒体のせいか相手は無遠慮に捲し立てる。
女は電話越しの声が収まるまで待ってから、用件を再度聞く。
「それで…、結局何が言いたいの?」
相手は一言で返した。
「これから忙しくなるから、覚悟しとけよって話」
「…まとめ過ぎよ」
女は詳しい説明を求めた。学生時代から思っていたことだが、こいつはいつも極端なのだ。どこぞの一等陸尉と似てよく思考や論理が飛躍する辺り、やはり姉妹は姉妹なのだろうと思う。
「分かった分かった。えーっと、廉太がこれまた大改革に踏み切ったんだよ」
「大改革……?」
「また新しく、学園艦が廃統合されることになったのね」
「…それのどこが大改革なのよ……」
元来、存在し得るものは全て、破壊と再生の波に呑まれるのがこの世の摂理だ。学園艦と言う法人も何一つ例外ではない。その波の中では、相当理不尽かつ不条理極まりない理由で、書類から名前を消された学園だってあったに違いない。それは問題無い。何なら、この女の学生時代にだってまあ起こっていたことだ。今更起きたところで何も不思議な点は存在しない。
「いや~ちょっとばかし、しーちゃんも無関係とは言えないようなことになってるというか……。あーでも、何っつーかなぁー…。俊果ちゃんのこともあるから、あんましーちゃんも思い出したくは無いかなーって…」
何かをはぐらかそうとするような、はたまた核心的な発言を避けるような回りくどい喋りだ。彼女が電話の相手と距離を置こうとする理由の一つである。後先考えないくせに、変なところで踏ん切りがつかない。何をしても中途半端で、ギリギリ歴史に名が残らないで終わるタイプだ。
「早くしてもらえる? 私にはあまり時間も無いの」
渋る相手に、女は低い声で催促した。暫くの沈黙の後、電話機からは溜息と、先程よりも低い声が聞こえてきた。その女も片手で数えられる回数しか聞いたことの無い声だ。一番新しい記憶では、彼女の年齢をネタに揶揄った時にこの声を聞いた。
「分かったよ…。……大洗女子学園って、知ってるよね? ……あそこが、廃統合の対象に選ばれたんだよ」
女は目を細める。心成しかクシャッと眉間に皺が入った。
「理由は結構簡単。旧東条派のクソ野郎共が圧力をかけたんだ…。未だに声のデカい連中だから、一役人の廉太は従うしかなかった。そういう意味じゃ、あいつも被害者だけどね」
女は黙って聞いていた。風で揺れる庭の梢の音だけが、静かに彼女の部屋へと飛び込んで来た。
「更に更に、確か最近しーちゃんとこの子が一人、そこに行った筈だよね? そのタイミングでコレだよ」
「それで……、私に何をしろと?」
「あの子にまだ思い入れがあるんなら、一つの宣戦布告って受け取ってもいいんじゃないかな? 報復のアイディアなら、あたしも出すよ。…まあ、あたしに言われても尚更腹立つだけだろうけどさ」
相手は声を押し殺しながら述べる。そんな悪魔の囁きを、女は冷たい声でバッサリと切り捨てた。向こうの語尾に噛み付くような即時の返答だった。
「不必要よ」
「……そっか」
電話の向こうから歯切れの悪い声が聞こえる。だが、その直後に言葉を返した。
「でも…、気には掛けてあげて。西住流って言う鎖から解かれて、自由になった矢先に羽を捥がれる――。それは、あの子が一番望んでいないことだから…」
様なことを言うようになったものだ。女の首が俯くように前に垂れる。
「じゃ、あたしはまだ仕事あるんで。廉太には気を付けろよ」
電話の相手はまたいつもの明るく、はっちゃけた様子の声色に戻った。バカなのか真面目なのかよく分からない人物だな。そう思うが早いか、電話からは不通音が鳴り出した。
――
午後の穏やかな日の光に照らされ、その応接室は電灯を点けずとも十分な明るさを蓄えていた。庭にドイツ製の戦車が鎮座していることに何の疑念も抱かない生粋の戦車道女子の感覚を持っていれば、すぐそこの縁側で緑茶の一杯でも啜れただろう。
だがどうにも今は、その女――西住しほは気分が乗らなかった。御家柄、あまり娯楽を知らずに育って来たと言うのもある。だが、今回は別の理由でそうなっているのだ。何か。先程の知り合いからの電話の内容だ。
整理すればする程先が思いやられる。
「……」
携帯電話の画面にあるメールのアイコンを一瞥する。彼女とは連絡など取らなくなって三ヵ月になろうとしているが、それ程の心配はしていない。理由は簡単だ。各種のメディア媒体を通じて、彼女の活躍が嫌でも目に入って来るからである。だが電話を受けて、心配に似た感情が芽生えたのはすぐのことであった。
彼女の属する学園が、その存在を抹消されようとしているのであるのだから――。
「……」
今度は障子を、向こう側を覗き込むように見る。薄い紙から入り込む光が、いつも通り部屋の一部分を照らしていた。
しほはその様子を見て、一層強く睨みを利かせた。自分達がどれ程の渦中に飲まれようとも、世界は顔色一つ変えずに回り続ける。事実は事実と割り切る性格ではあったが、今はこの事実が何より恨めしく思えた。そしてしほはやがて心中で、とある人間に対する畏怖と恨み言を述べた。だが、その後半は無意識のうちに声に乗せられた。
(死して尚、影響を及ぼし続ける……)
「東条英子(とうじょう えいこ)……。今度は彼を通して、私達を支配しようということ……なのね…」
しほは膝の上に置いた拳を強く握り、同時にギリッと歯を噛んだ。風が強く吹いて庭の木々が大きく揺れ、うるさいガサガサという音が西住邸を包み込む。これまた心成しか空は曇り、遠くで雷鳴が響いていた。