ガールズ&パンツァー ――The silliest story―― 作:滝村亜華音
When you look into the abyss, the abyss is also looking into you(深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいている)
気が付けば缶ジュースが温くなっていると言うのは、いつもと変わらない平穏な土曜日を問題無く送れていることの証左である。と言うのも、私が戦車道観戦に時間を割くときは必ず意識そのものが戦車しか受け付けなくなるのである。ただそれは私一人に限った話ではない筈だ。
互いの凌ぎを削り合う熱烈な戦いと多種多様な戦車を崇め奉り、あわよくば「礼節のある、淑やかで慎ましく、凛々しい婦女子」とお近づきになるべく、大学に所属する学生を始め、その保護者や卒業生、果てには他大学に通う中高生時代の友人など多くの人で賑わう。
――そしてかく言う私もその一人なのである。
今日もまた、あちらこちらで轟音が鳴る。今日の試合は、智恵古大学との練習試合の特別一般公開であった。かつての合併校同士での戦いと言う何とも言えない展開ではあるが、それも物ともしない程に会場は熱狂の渦に包まれた。
対峙から数秒と待たずに黒煙が天へと駆け上る。なんのそのと相手を撃破したあの戦車は、間違いない。姉の乗っている戦車だ。
やはり姉は強かった。この大学で特待生の一人に数えられる理由もちゃんと存在しているのだ。今でも多くの男性達の眼が姉に釘付けになっている。これで将来、姉は一切男には困らないであろう。私とは大違いだ。
「二時の方向、軽戦車が二両」
姉が一言。同時、主砲が60度回り、轟音と共に火を噴き出す。これを二回。すぐ後に黒煙と少々の赤い炎が飛び上がると、被弾した二両の敵が白旗を上げる。この間、10秒足らずである。
最早戦車が姉の身体の一部になってしまったかのような芸当に少々言葉を失う。姉が戦車に乗る時だけは口数の多い私であっても、脳と口と喉が、石か氷かはたまた鉄かと見間違えるくらいには固まって一切の業務を放棄するのである。きっとこれらの部位達も姉の迫力に魅了されてしまっていることであろう。純潔を拗らせた男子ならば卒倒する事請け合いだ。
味方の人間の中には姉に影響を受けた者が紛れ込んでいると言うのは何も珍しい話ではない。姉の仲間への作戦指揮や戦闘スタイル、戦車の手入れの手順や愛車への話しかけ方、ふとした時の口癖はどんな声と口調で言っているか、家ではどんな小説を読み込んでいるかなども真似している例があった。ここから察するに、学内にファンクラブが創設されていることも想像に難くないであろう。
事実、姉の乗った戦車が敵を撃破していく度に観戦席は黄色い声で包まれるのである。こんなことを言ってしまえば私の人間性が疑われかねないが、誤解を恐れずに言おう。最早、戦車目当てなのか姉目当てなのか分からない。
――しかし、そんな中でも一人、静かに戦いを眺める人間が観戦席の最後列にて佇んでいた。
――
やがて敵軍の戦車が一両残らず、一切の動作を放棄して白旗を上げた。
「勝者、須呂脇大学チーム!」
大学の放送席から実況の声が試合会場に向けて扇状に響く。これを俗に言う「鶴の一声」いうモノなのだろうか。そしてその声の尻尾に噛み付くかのようにして、すぐさま観客席にも轟音と言うべき音があちらこちらで沸き立った。髪が逆立ち、耳が吹っ飛ばされる程の衝撃を全身に浴びながら、私は自身と姉の差を全身で受け止める。
私とて戦車乗りの端くれだ。日々成長する志しを忘れてはならない。姉が試合に参加する日には、必ずそれを観戦する。それによって自分と姉では何が違うのか、どうすれば姉に追い付けるのか、何をすれば姉と対等になれるのかなど、姉にはあって私には無いものをとことん炙り出し、姉に負けず劣らずの戦車乗りになるための研究に時間を掛けるのである。
そして肝心の姉はハッチから上半身を覗かせ、自身の髪からするりとヘアゴムを取っていた。その拍子に、彼女の長い髪がふわりと風に舞う。その時の凛々しさと全身から醸し出していた謎の美しさは、厳しい法と厳罰によって統制した、かつての冷酷無比の象徴とも言われた秦の始皇帝さえ心を揺るがすものと思われた。そして、そんな代物であるのだから、ましてや純潔を拗らせた男子達がその美貌のあまり卒倒するのは訳ないことだ。
「姉さんは一体、何処まで強いんだか…」
独り言のような、半ば嫉妬に駆られたが故の行き場の無い感情の吐露のような一言を漏らし、温くなったオレンジジュースの缶を傾けた。案の定、温かった。耐えられず、口の封印を突き破って舌が外界を覗き込んだことは言うまでもない。
試合が終わったことにより各々が帰路に就く。だが観戦席を離れる殆どの人間が、我が須呂脇大学戦車道サークルへの労いの意を込めた差し入れや称賛の言葉を送るために、サークルの部室に押し掛ける。更にその中の約6割は姉目当てなのである。
姉はどんな側面から見ても将来は有望だ。戦車道の才能に恵まれ、卓越した指揮能力や見違える程の撃破数を戦果として上げ、数少ない戦車道を取り扱うこの大学で特待生にまで登り詰めた。私と同じ血を引いているとは到底思えない。
否、同じ血を引いていると思えないのは、私の方であろう。
――
――些か中身の残った缶を携えながら、私は観客席からもお暇しようとした。だが、どういう訳かその場で足を止めた。理由は簡単だ。ある一人の人間がまたもや目に入ってきたのである。下手をすれば姉よりも、居るだけで存在感を放つその人間。どこか満足そうに手を叩いている奴は…、彼女は確か、一人で静かに佇んで観戦していた者ではなかったか?
少々の疑問を抱きながらも、彼女を横目に試合会場を後にしようとする。だがそんな私の細やかな目論見は、ある一人の人間の言葉によっていとも簡単に挫かれることとなった。それは、次のようなものである。
「なかなか面白いものですねえ。あなたのお姉さんも……」
「…は?」
姉を引き合いに出したような切り口から、思わず声のした方向へと振り向いてしまった。それと同時に、その人間の姿が目に入る。そいつはまた、全身をピシッと固めた印象かと思えば、何処かホワワーンとしたようなラフな印象を受ける――日傘でおおよその姿を隠し、赤いスーツとスカートに身を包んでいるかと思えば、手には何やら昔の戦いで負った古傷を隠しているのだと言わんばかりにそれらしい黒の手袋を被せ、頭にはまあまあサイズの合っていない黒い帽子が灰色の混ざったクリーム色の髪の上にちょこんと鎮座ましましていた。
得体の知れぬ雰囲気を醸し出すその人間――女は、一歩踏み違えれば女の私さえ惚れてしまいそうな可憐さも持ち合わせている。
兎も角、先程の言葉は空耳であったと考えることにしてその場から立ち去ろうと考えた。その理由は過去の経験に基づいた教訓である。
それは中学時代のこと、ある一人の同級生の男子生徒の思わせぶりな発言のせいで恋愛史にも残る盛大な失敗を犯すことになった記憶は、今でも私の繊細なハートを容赦なく潰しにかかる。あの時学習したことは「勘違いで行動を起こすな」ということである。
人間と言うのは恥や外聞をその身に受けながらもそれを乗り越えて成長しなければならない。私も御多分に漏れず、成長のために先述のことを学習したのだ。そして今この時こそ、私の成長が物を言うときである。
そんな訳で、私は立ち去ろうと足で強く地を踏もうと決意したが、それも彼女の一言によって阻まれることになる。
「ちょっと、無視なさらないでくださいますか?」
私は鉛のように重くなった首を懸命に動かした。
「私に言ってるんですか?」
「ええ」
「何の用です?」
私は、その女の汲み取ることさえ禁じられているであろう意思を、命知らずにも汲み取ろうとした。だって彼女は見るからに只者ではないではないか。人に名前を聞くときはまず自分から名乗れと言う風習が存在するように、相手の意思が分からなければそもそも会話の土俵に上がることさえ躊躇われる。その風習が果たして目の前の女に通用するかどうかは定かではないが、もし私のような愚者とのコミュニケーションも可能であるのなら、遠慮なく会話に花咲かせたいところである。
「あなた、須呂脇大学チームの隊長さんの妹さんではなくて?」
如何にも今回の試合における須呂脇大学チームの隊長は、私の姉に当たる人物である。
「…そうですが」
「なかなかに面白い試合でしたので…」
「はあ……」
我が須呂脇大学と対戦相手の智恵古大学とは各々が独立した今でも仲が良く、毎月のように特別試合が行われては、互いの学生達が入り混じってカフェやファミレスで身の上話に興じる。最早その特別試合は一種の風物詩にさえなりつつある。
そうだ。この女を幾度か学内で見掛けていたことを思い出した。
「自己紹介がまだでしたね。私は戦車道における、とある要人の一人です」
女が自己紹介に時間を割く中、私は缶に我が物顔で居座っていた残りのジュースを全て喉に流し込んだ。が、続く彼女の言葉によってジュースは胃に到達する前に一滴残らず外界へ吐き出された。
「正確に言えば、島田家の現当主…、島田千代と申します」
「――っ⁉」
驚天動地。これを驚きの感情と言うのだろうか。喉と胸がむせ返る。喉を通りかけていたそれはよりにもよって液体であったため、余計に拍車がかかる。咳をしながらどうにかこうにか自身を落ち着かせ、先程彼女が放った言葉にあらん限りの疑問符を打つ。
「し、島田⁉」
「島田千代です。二度も言わせないで下さい」
「いや、そっちじゃなくて…」
驚くのも無理は無い。むしろ、その名を聞いて何の反応も示すなと言う方が無理難題極まる。私は全てを知っている訳ではないが、なぜそんな反応を示したのか理由を簡単に説明しよう。
――『島田家』とは、世界にその名を轟かせた名立たる日本有数の戦車道流派の一派――『島田流戦車道』とそれを先祖代々受け継ぐ家元を含めた家系の総称である。世界中にその道場を構えており、業界の覇権を握るとされた最大の力を持つ戦車道流派――『西住流戦車道』と対を成すとも考えられ、その底力たるや常人には到底計り知れない。否、常人がその力を安易に推し量ろうなどとは、おこがましいにも程がある。そんな文字通りに器の小さい者達には相応の罰が下されて然るべきであろう。毎夜毎晩、喧嘩を売って来る『ボコられグマ』を自分がボコさなければならないという悪夢に魘されるがいい。
兎も角、千代さんはそんな島田家の現当主に当たる重要人物ということだ。しかし、何故そんなすごい人間が、よりにもよってこんなところに…。
「もうすぐ大きな試合が始まる。今や、多数の大学から精鋭を一人集めるのも大変なものなのです。戦車一両の維持費さえバカになりません。大学選抜は人気投票の側面もありますから、より厳正に選出しなければならない。本当に骨が折れます……」
「何の話ですか?」
「来月にもなれば戦車道連盟は、本格的に隊員達を選出しなくてはなりません。目的はハッキリとは言えませんが、かなり重要な試合になるのです」
私が更に質問を重ねると、彼女は懐から一冊の手帳を取り出しながら説明を続けた。もしかすればだが、その手帳には国宝にも劣らぬ貴重な情報が眠っているのではないか?
私の記憶に間違いが無ければ、千代さんは確か『日本戦車道連盟』の理事だって務めていた筈だ。島田流戦車道家元と戦車道連盟理事のある意味での二足の草鞋を履いているのだから、コミュニティー内での権力は圧政など簡単に布けるくらいには持っているに違いない。
ならば手帳一つだって油断ならないのではないか?
理事である彼女にしか目にすることの許されぬ極秘情報の一欠片だって眠っている筈である。そんな手帳を屋外で、且つ人前で広げるだなんて、何という冒険家っぷりであろう。それ相応の信頼と実績と自負が無ければ到底成し得ない所業だ。私がこれをそっくりそのまま真似するのには、今までの宇宙の歴史に相当するくらいの輪廻転生を経なければならぬと踏んだ。それなら、お釈迦様でも辿り着けなかったもう一次元上の悟りの境地にだって達することも夢ではない。
しかしながら、前述のことはあくまで一個人の推測や仮説に過ぎない。もしそれが本当だとすれば、手帳の中身を覗いた瞬間私はただでは済まないだろう。
サングラスをかけた黒服の男達に訳も分からぬまま連れていかれ、全身を滅多打ちにされた後に、口をガムテープで塞がれ、身体は電気コードでぐるぐる巻きにされて、ドラム缶に放り込まれて、そこに満遍なくセメントを流し込まれ、蓋をされ、日本海溝の暗い暗い底で自身の19年余りの人生の余韻に黄昏れながら永遠の眠りに就くのだ。人生十九年、そう悪くはないものでした。父、母、そして姉よ、さらばじゃ。おぬしらと過ごした時間、悪くはなかったぞ…。
と、私が勝手且つ壮大な妄想の中でどうにかして最悪の事態を引き起こさずに済むかと策を巡らせている間、千代さんはパラパラとその手帳のページをめくっていた。そしてあるページが開けたその時、彼女はページをめくるために規則的に動かしていたその手をピタリと止めて、そこに記されている内容を、これまた不可解なことに私に向けて開示してきた。そしてこう続ける。
「チームを結成するに至っては、そこにおける隊長を決めなければならないというのは、言わずもがなのこと」
そして帳面に記されたとある表と、それに伴って連ねられた多数の人名の中にある、一人の人間の名前を指差しながら言った。その名前には赤色の丸印が付けられており、何よりその名前には幼い頃から見覚えがあった。
「ここにあなたのお姉さんの名前があります」
紙の上で千代さんの指が滑り出し、そのまま優雅で流麗なスケートリンクを始めるかと思われたが、そんな思慮に身を預ける暇も無く、また別の地点でスイッチでも切れたかのようにピタリと止まった。その地点には、まるで予め指を止める合図でもしていたかのように人名に赤色の丸印で囲まれていた。そしてその名前も、どういう偶然か私は多数のメディアで何回も見掛けていた。
「そしてここに、我が娘――愛里寿の名前…。これが何を意味するか分かりますか?」
「……どういうことです?」
「思いの外アホですね。私は『大学選抜チーム』の責任者として、誰か一人をチームの隊長に任命しようとしている」
千代さんは不敵に左の口角を吊り上げ、さらに続ける。心成しか黒い感情が、その瞳の奥に渦巻いているように見えた。
「要するに、あなたのお姉さんか愛里寿のどちらかです……」
――この女は…、姉か愛里寿嬢のどちらかを、大学選抜チームの隊長に任命すると言う……。