ガールズ&パンツァー ――The silliest story―― 作:滝村亜華音
姉の元へ向かう道中、私はチームのメンバーに片っ端から通信を入れて回ったが、誰一人応答しない。皆姉率いる部隊にやられてしまったのだろうか? フクロウの如く首を全方位に向けて動かし、辺りを見回すが、仲間の戦車どころか相手チームの戦車すら見当たらない。このことについては、ラッキーと言うよりかはむしろ不信感に似た恐怖を覚えた。
「ねえ、もしかしなくても詰んだよね? 私達」
「アレクサンドラさんまでやられちゃったくらいだもん。完全な負け戦だよ」
キャタピラの軋む乾いた鉄の音と、キャタピラに潰される石の砕け散る音が私の耳に立ち込める。そしてそれに交じって、AとBが私を扱き下ろす内容の会話に花を咲かせていた。普段は人と言う人が自身の元を離れ、孤独感に大いに浸るばかりの日々であったが、まさか戦車の中でもそれを忘れることが出来ないとは…。今までそう言うことが全く無かった訳では無いが、何度も行われると流石に気が滅入る。
「もうここで一丁謀反起こそうか」
「いいね」
「…聞こえてるぞ」
姉と私の信頼の差に愕然としつつも、私はほぼ存在しないに等しい一発逆転のチャンスを願って戦車と共に市街地を突っ走っていた。建物の壁は錆びついて、ヒビが入っている。物によっては苔が合えていたり、ボーボーに伸びた植物が巻き付いたり絡み付いたりしており、ヒビの隙間から葉や茎が顔を出していた。こんなゴーストタウンを戦車が走り回っていると言う光景が驚きの物であることは言わずもがなだが、こんな土地を大学が所有していたと言うのも驚きである。
スマートフォンのGPS機能で、現在地と目的地を確認しながら急ぐ。そんな中、ふとスマートフォンの電話でなら繋がるのではないかと思ったが、それもまた無駄に終わったことは言及の必要は無いだろう。私は無性にアスファルトにスマートフォンを叩きつけてやりたい衝動に駆られたが、婦女子らしく耐えた。
――進みながらよく耳を澄ませてみると、KSP-76が走る音とはまた違う音が飛び交っているのが分かる。ドカンと撃たれる砲撃の音、鉄の弾が壁をバリバリと砕く音、キャタピラがギャリギャリと地面を撫で付ける音などよりどりみどりだ。
必然ではあるが、私達や姉達以外にも戦闘を繰り広げている者達は居るようだ。あちらこちらに振り向いてみれば、色々な場所で、二両以上の戦車達が砲撃をし合っている様子が確認できた。その戦車達のどれもが、近くを走り去るKSP-76に気を向けない。それぞれ自分達の戦いに集中しているのだ。私を雑魚と判断して舐めている訳では無いだろう。きっと。
まるでこの世界に私一人だけが取り残されたような感覚に陥りかけたが、そんなルサンチマンな妄想癖は中学時代ににゴミ箱へ投げ入れた。きっとあの頃が、今の私が誕生するためのターニングポイントになったであろう。決して、失恋したが故に人生を悲観するようになったとか、そんな理由ではない。そこは誤解の無いようにお願いしたい。
――
――やがて、指定された学校の校庭へと辿り着いた。砂を敷いたコンクリート製の校庭だ。キャタピラの音に交じって、砂がジャリジャリといった音を立てる。
その学校は、校舎と道路一本で隔てた先に、流れる川を挟み込む土手が見える。
「ヤッホー、待ってたわ」
二、三年チームのフラッグ車――T-34のハッチから上半身を覗かせながら、姉は私を歓迎する。まるで、親の迎えを心待ちにしていた小さな子供のように笑顔が輝いていた。片手を上げて私の方に大きく振る。それ程私を待っていたのだろうか。
校庭の隅には白旗を上げたT-44に凭れ掛かるアレクサンドラ達が居て、その横では我々一、四年チームのフラッグ車――もう一両のT-44――を二、三年チームの戦車――BT-7が二両でサンドイッチみたいに挟み込んでいた。両車両が主砲をT-44に向けている。成程、「人質に取っている」とはそういう事であったか。まさか戦車ごと人質に取るとは…。だが、どうにも人質の方が強そうな見栄えである。
私など待たずに、早くフラッグ車を撃破していれば余裕で勝利できたものを。やはり姉の考えることは理解できない。
私は校舎を背中に、姉との束の間の会話に興じる。
「少し遅れてしまったかな」
「別にいいわよ? 栗麗葉ちゃんと話すの楽しかったし」
「…アレクサンドラと?」
アレクサンドラが気軽に他人と話す様子など想像が出来ない。無口で無愛想で無慈悲という三拍子揃った彼女が、一体どうして他者と談笑に浸ることが出来ようか。彼女が学部内で、他の学生や教授からどのように見られているのかは分からない。だが、先程のAやBの反応から推測するに、法学部でもそれなりに一目置かれているのではなかろうか。
それでもアレクサンドラの性格や振る舞いを考えると、彼女が他人に対して笑顔を振りまいている構図は想像出来ない。外面は冷淡で冷血で冷酷な人間だ。それ故か、自分から彼女に近付こうと言う者は今も居ない。強いて言うならばヴィットーリオとシャルルアンリくらいである。
「まあ関係無い話はやめにして……、やろっか」
姉が一言。同時、笑う。姉は笑っている。確かに笑ってはいる。しかし、目は笑っていなかった。まるで、獲物を前に牙を研ぐ猛獣のように私を睨み据えていた。妹でさえ獲物と見る、戦車道に対する姉の姿勢は中学の時から変わっていないようだ。
「ああ、そうだな」
私は答える。心成しか私の声は震えているようにも思った。蛇に睨まれた蛙とはこのことを言うのだろうか。
私の腕や背中に一斉に鳥肌が立つ。首筋や背中に氷のような冷気が染み込んでいく。一筋の汗が額から頬を通って顎へと伝う。そしてその汗は顎から滴り落ち、ハッチの円い器のような部分――ここではキューボラの縁のような部分だと思ってくれると分かりやすい――に叩き付けられ、その身を散らしていった。その後で、ハッチの表面の鉄板にジワジワと染みていく。
私もこの汗のように、力無く叩きのめされる運命にあるのかと考えると、尚更身体が震える。気のせいか歯もカチカチと鳴っていただろうか。
「どうする? ガンマンみたく、早撃ちでやる?」
「……生憎、まだ銃の扱いには慣れていないんだ。遠慮しておこう」
姉が軽いジョークを飛ばし、私はそれを軽く躱す。
プラウダ高校時代から戦車に乗っている身だが、肝心な戦車道におけるスキルは中学生未満と言う悲惨な状態だ。それで姉と撃ち合いになると言うことは、パンツ一丁で額に銃口を押し付けられていることと同義である。正面からやり合えば仕留められることは確実だ。勝機は無い。故に少なくとも、真っ向勝負は回避したい。
「じゃ、一対一で当てた者勝ちってことで!」
「ああ…、分かった」
姉は左目を瞑り、パチンと右手の指を鳴らす。同時、タイマン勝負の形式を私に伝えた。どうせ私はどんな勝負形式にしたって勝てる筈が無いため、半ば諦め気味に、無気力に答えた。
「遠慮はいらないよ。その代わり、私も遠慮しないから」
姉の瞳の中の黒い何かが、光った気がした。
――
轟音。同時、T-34の主砲が火を噴く。細い鉄の管から弾き出された砲弾は、空気を切り裂きながらKSP-76に迫って来る。私はその砲弾に恐怖を覚えた。心臓が、やけに速い拍子で鼓動し出しているのが分かる。いつもはこんなことは無いのに。姉の背後から静かに醸し出される気迫に、圧倒されているせいだろうか。
「おい!」
「もうやってる!」
私がBに指示を出そうとした時、彼女は必死になって、操縦桿を上下左右に動かしていた。車両が右に90度回転し、直後に後退する。そうやってKSP-76は被弾を回避する。
「そっか…。じゃ、これはどうかな?」
姉がボソッと呟く。その後にT-34の主砲が45度程度上に傾き、また一発、砲弾を発射させた。主砲から噴き出た煙が晴れた青空を覆い隠すと共に、砲弾は校舎の4階壁辺りにその身をぶつける。同時、校舎4階の壁、ベランダの庇、屋上部分のフェンスは砕け、それらの破片がKSP-76目掛けて落下する。
「――っ!?」
私は反射的に、両腕で頭を守るように身構えた。その後に、聴覚が捉えた固い物同士がぶつかる乾いたような音。砂を敷いたコンクリート製の校庭に、鉄の瓦礫が落ちたのだ。落下音に私の耳が悲鳴を上げる。そして、瓦礫の落下によって立ち込めた砂埃にも、私の目が悲鳴を上げた。
「くそっ…! 校庭から出るぞ。一旦立て直す」
少なくとも、この校庭は姉の射程距離内だ。今の私は、虫籠の中でカマキリから逃げ惑う蝶と相違無い。恰好の獲物という訳だ。まずはここから出て距離を取らなければ。
「おっと…、させないよ」
「――っ!?」
姉が一言。その直後に、轟音。視界の端で煙が上がる。振り向くと、校門近くの植木が砲撃で薙ぎ倒され、校門が塞がれているのが目に入った。逃げ道が塞がれてしまったようだ。裏口はあっただろうか?
姉の方に向き直ると、彼女が笑みを見せているのが分かった。
「試合開始から探し回ってやっと見つけたんだから。もう少し楽しもうよ」
――狩られる。このまま行くと私の眉間さえ撃ち抜かれかねない。これが無謀と言うのか。四肢が、根元から指先にかけての範囲で震えているのが分かった。
「安心して、頭は最後にしてあげるから」
「……は?」
姉は私の心中の言い当てた。やはり何かしらの能力を持っていたのか? ならば心理戦においては向かう処敵無しだ。いくらギフテッドだからと言って不公平ではないか。せめて私に、その能力の破片や一端を譲渡してくれたって良いだろう。
「そんじゃ、もう一発!」
轟音。私はBの肩をやや強めに蹴った。KSP-76はスピードのままに前進し、T-34の主砲のスコープから外れることに努めた。キャタピラが先程の瓦礫に乗り上げ、車内の空間が一瞬の大きい揺れに襲われる。直後、砲弾が雑用品箱を掠った。同時、キャタピラは砂粒を巻き込みながらコンクリートを撫で付け、それによってKSP-76はフェンスで区切られた校庭の端まで逃げ込む。
Bが操縦桿を自動車のギア変速を行うドライバーの如く、慣れた手付きで動かす。KSP-76はキャタピラの向きを変えて、体育館の方向へと走り出した。因みに体育館は、校庭や陸上トラックを挟んで向かい側に鎮座している。校庭にあったサッカーゴールを盾にしたりもしたが、T-34の撃ち出した弾は、ゴールの鉄製の骨組みさえも容易に砕いた。流れる景色の中に、鉄やネットの破片が混じる。
T-34は、砲塔を回転させながらKSP-76に標準を合わせようと努めている。それ以前に、姉の目はKSP-76に張り付いて離れようとしない。瞳の中に吸い込まれそうなくらい、私達を見つめている。私達を逃がしはしないと、目だけで訴えている。私の背にゾクリとした感覚が走り、心成しか歯がカチカチと鳴ったように聞こえた。
さらに、一つ疑問が生じた。T-34のポテンシャルはこれ程のものだっただろうか。私の記憶では、もう少し使い勝手が良くなかった筈だが。
「おい!」
「分かってるよ!」
私がAに指示を出すと、Aは砲弾を装填して三秒程の後に主砲の引き金を引いた。轟音。その後、KSP-76が吐き出した砲弾はT-34の砲塔に当たるが、小破と言う結果に終わった。
砲手と装填手を兼用しているということや、軽量な車体が耐えられないという理由から、流れるような連射は出来ない。故に、主砲を焼き切ってしまわぬよう、少しの時間を置かなければならない。半ば必然的に反撃の手段が限られる。何から何まで不遇である。
――
距離を置いてばかりで反撃の手立ても無く、逃げる一方のこの醜態には、流石の姉も落胆しているに違いない。一瞬、これで姉が幻滅して見捨ててくれるかとも考えていたが、姉の『好きなことには全力』という方針から考えて絶対にあり得ないことだと思い直した。
逃避の末に体育館を背にしたその時、背後からまた別の轟音が鳴るのが分かった。直後、砲弾がKSP-76とT-34の間に割って入る。そして破裂音と共に、辺りに砂埃が舞う。
私が咳込む中、KSP-76でもT-34でもない戦車のキャタピラの音が耳に入ってきた。体育館の玄関の近くから、陸上トラックを経て校庭に立ち入って来る。そのギャリギャリというような音は、私のすぐ隣まで来て止まった。その後、いやに聞き覚えのある憎らしい声が私の耳を突いた。
「助太刀しますよ」
砲弾とキャタピラが舞わせた砂埃が晴れた後、私の目は、自分のでも姉のでもない戦車の姿を捕らえた。T-40だ。
シャルルアンリの乗っていたT-40ならば、つい先程撃破された筈だ。では、この戦車の主は……。
「…ヴィットーリオ」
「どーもー」
ヴィットーリオが私に手を振る。お気楽な様子だ。私の今までの戦いを面白がっていたかのように。だが彼女の事だ。きっとその通りだろう。
さて、暫くの間私とヴィットーリオは小さな言い争いに興じていた。
「お前、いつからそこに居た?」
「割と序盤から」
「何故ここに辿り着いたんだ?」
「河川敷で見掛けた時から、お姉さんの後を付いて来ました」
姉に気付かれずに来たと言うことか。姉の目さえ掻い潜ることが出来るとは、彼女はそれ程隠密行動に優れていたのか。
悪運の強いヴィットーリオは、それに味を占めているのか、見えない状況で相手にちょっかいを掛けることを至高の遊びとしていた。
智恵古大学との親善試合にて、単騎で敵の背後に潜んで、キャタピラの下に置いた手榴弾を爆破させ、『火事だー』などと叫んだ日には一週間の試合出場停止命令が彼女に下された。敵のチームを一層の混乱に陥れておいて一週間の罰とは、罰の役割を果たしていない。これもまた、ヴィットーリオの悪運が祟ったのであろう。
「成程ね。でも、少し感心しないね」
姉の声が入る。ほんの少し不機嫌そうな声だった。仕方がない。私もヴィットーリオと顔を合わせてしまえば、無性に激しい憤りを感じる。
先述の試合においては、私も相手チームのメンバーに同情を禁じ得なかった。その日初めて私は、ドイツ戦車が生身の人間を追い回す光景を目にした。だがそんな時でも、ヴィットーリオは持ち前の悪運を活かして、全ての砲弾を避けていたのだが。
――
姉はT-34の砲塔の照準をT-40に合わせた。私ではなく、ヴィットーリオを始末するのにかかった訳だ。直後、またも轟音が鳴る。砲弾が顔色一つ変えずにT-40へと迫って来た。黒を基調とした尖った砲弾が、目の前の鈍色の鉄の塊を打ち砕かんと突進してくる。
確かに常識的に考えれば、どちらかと言うとパワー特化となるT-34で、比較的よく軽量化が施されたT-40を吹っ飛ばしたいという欲求に駆られることは、戦車道女子ならばむしろ当然の性であろう。
常人とは一線を画すポテンシャルのある姉でも、先述のような人間的な情緒も持ち合わせていたようである。天才でも常人染みた一面を持っていることもあると考えると、どこかほっこりした気分になる。まるで子の成長を見守る親の様だ。安心感さえ覚えるかもしれない。
考え方を反転させるならば、人間の内に秘められる卑しい本性が垣間見える瞬間であったとも言えるかもしれない。邪魔者や弱者など、始末しやすい者から先に葬っていく、そして相手の喉元へと着々と刃を近付ける、そんな目論見であろう。第二次世界大戦にて、アメリカ軍がドイツに侵攻する際に、その先駆けとしてイタリアを攻撃したのと同じメカニズムだ。
――そうして、一瞬にして砲弾はT-40の鼻先へと迫っていた。
「……よっと」
ヴィットーリオが軽く呟く。同時、T-40は後退と向きの角度の変換を駆使して軽々と砲弾を回避してみせた。これはT-40が身軽なおかげか、操縦手の技術のおかげか、はたまた彼女の悪運のおかげか。
――
「私が囮になります。隙を突いて急所を撃ってください」
――私は通信機越しにヴィットーリオから作戦を聞かされた。肝心の王手をかける役目が自分に託されると言うのが不安で不安でしょうがないが、ヴィットーリオの悪運を利用してみてもいいかもしれない。百パーセント信じている訳では無いが。
「大丈夫か? T-40は、武装や装甲が貧弱なことでまあまあ有名だが」
「意気地無しですね…。つべこべ言うなよ」
「黙れ、牛が」
「うっさい、断崖絶壁」
敵を前に、私達は悠長に口喧嘩に勤しんでいた。傍から見ると、私とヴィットーリオが仲良しであるかのように見られるのだが、決してそんなことは無い。私達はお互いに孤独を回避するために仕方無くつるんでいるだけだ。
「いいから、頼みますよ」
「……分かった」
――ヴィットーリオは操縦手に指示を出した。T-40はT-34に接近し、空砲を一発かました。その音に反応して、姉がヴィットーリオの方へと振り返る。互いの視線が交差する。その瞬間、きっと周りでは喧しい音が飛び交っていたのだろうが、私にとっては一切の音が遮断されていたかのように感じられた。沈黙とはこれ程までに大きな力を持つのか。
いずれヴィットーリオは、姉との間に生じた沈黙をじっと見据え、大声を上げた。19年余りの人生の中で、きっと一番大きな音であったろう。
「百合の間に挟まってしまい申し訳ありませんが…私とも一度、手合わせ願います」
刹那、姉は目を見開いていた。だが、直に笑みを取り戻し、私の方に向き直り一言。あと私達はただの姉妹であって、別に愛し合っていない。百合の間に挟まる者には男だろうと女だろうと人権が存在しないのは当たり前だが、私と姉の関係性を誤解して貰っては困る。
「分かった。それがアンタの策なら、大歓迎!」
姉の言葉は、昂る気持ちを何とか抑えているかのように上擦っていた。喜びの感情を押し殺しているのが分かる。
きっと今の姉は試合など重要には思っていない。目の前の勝負をただただ楽しみたいだけの、ゲーム好きの子どものようだった。
――
――T-40は細い管から小さな砲弾を吐き出しながら、T-34の周りをなぞるようにして走る。連射に耐えられる程の丈夫な作りではないが、なるべく短い間隔で撃ち続けている。T-34の砲撃を回避しながら、連射で姉の気を引こうとしているのだ。何処か、ヴィットーリオなりに作戦遂行に徹しようとする姿勢が見えた。
Bが操縦桿を動かす。KSP-76は、時に近づき、時に離れ、T-34から一定の距離を保つようにして、様子を伺う。
四角いコンクリートの校庭の中で、一体の獣を取り囲みながら、二人の新米兵士が討伐を試みている。彼女が逃げ回りながら砲撃する中で、私が撃破のチャンスを伺う。そして急所を見定めて、Aに引き金を引くよう指示を出す。それでも、簡単に上手くはいってはくれない。
「おりゃっ!」
T-34は基本的にはT-40に照準を合わせようと追っているのだが、時々、砲塔をKSP-76に向けて砲弾を発射する。それはそうだ。当然ヴィットーリオに気を向けているからと言って、私の存在も忘れる訳無かろう。二両同時に相手にしなくてはならない状態では、流石の姉も少しは隙を見せるのではなかろうか。
私が何とか姉の攻撃を回避する一方、ヴィットーリオは軽々と砲撃を回避する。姉の攻撃さえ容易に避けて逃げ回ることが出来るのは、単なる悪運で片付けていい物かどうか甚だ疑問である。
時に砲塔を回転させながら、時にキャタピラで車体ごと回転させながら、姉は二人の敵対戦力をものともせず、攻撃をさばく。私を追っていたかと思えば、ヴィットーリオの砲撃を阻止する。T-40を砲撃したかと思えば、KSP-76に狙いを定める。そのようにして交互に対応し、上手く私達の攻撃をかわしている。
「……!」
あることが引っ掛かった。T-34の足元を一度狙撃した時、一瞬だけ車体がグラついたことがあったのだが、その時に、姉が少し焦ったような顔を見せたのである。それは半ば当然とも言える反応だ。
戦車は地上で戦う重機だ。地面の安定具合が、そのまま戦車の立ち回りの安定具合に影響すると言ってもいい。ぬかるみがあれば滑って上手く進まないし、石や砂利が多い場所なら揺れが大きくなる。また、T-40のような水陸両用の戦車は、キャタピラが水に浸ってもスムーズに進めるように改造されている。これは、通常のキャタピラでは水場が進みずらいことが理由になっている。
そのような訳で、地面の状態や状況に気を配るというのはむしろ当たり前とも言える行動だ。
そんな中で、私は一つ思い付いたことがあった。もしかすればだが、先述の一瞬だけ隙を作ることが出来るのではないだろうか。
「おい、T-34の足元を狙う。上手く近付いてくれ」
「はあ!? また死にに行くの?」
Bに指示を出すも、彼女は怒気を孕んだ声色で抗議した。私の耳が悲鳴を上げたことは言うまでもないが、いちいち気にしていては事は発展しない。
「お前は連射の準備をしろ。腕が千切れるだろうが、我慢してくれ」
「ふざけないでよ! 脳みそまで鉄屑なの?」
Aにも指示を出したが、彼女も私に睨みを利かせながら喚く。私の自尊心と自己肯定感が崩れる大きな音を聞いたが、それも今に始まったことでは無い。
「連射には、車体はどれくらい持ちそうだ?」
私はT-34の足場の状態を確認しながらAに質問する。Aはまた悪びれた様子で答えた。
「んー…、持って三発ね。それ以上は主砲が焼き切れて、修理しても治らなくなるかも」
KSP-76は偵察用であるために、作りはまあお粗末だ。通常の戦車と比べてより相手に近付かなければならない程砲撃の威力も弱い。先程より大きな衝撃を与えるためには、もっとT-34に近付く必要がある。やるとするならばT-34がT-40を標的にした時だ。
――
やがて、姉はT-40に標的を合わそうとヴィットーリオを目で追い始めた。隙が出来た。
「今だ、行くぞ」
私の声を合図にBが操縦桿を動かした。KSP-76はギャリギャリと音を立て、T-34に接近する。鉄とコンクリートが擦れる大きな音と共に、KSP-76は徐々にスピードを緩め、T-34のすぐ傍の地点で止まった。そして二列のキャタピラの間に主砲を向け、更なる隙を作らせる為にAが引き金を引く。
轟音。コンクリートに砲弾が突き刺さり、少しだけヒビが入る。地面が揺れるような感覚。その揺れがキャタピラを伝い、校庭に居た三両がそれなりの大きな揺れに襲われる。当然T-34も揺れて、少しばかり、姉が動揺を見せ始めた。姉が焦っている。言い切るのは早計だが、好機はこの時くらいしか無い。
T-34はT-40からKSP-76へと標的を変更し、砲塔を回転させる。一方、KSP-76は主砲の角度を上げていた。T-34の砲塔に標的を定め、カモフラージュの一種としてまた砲撃をかました。
轟音。T-34の主砲の根元に砲弾が衝突する。車体が揺れた後に砲弾の当たった地点から煙が噴き出した。姉の乗る戦車に、僅かながらダメージを与えることが出来たのだ。ヴィットーリオがヒューと口笛を吹く。当然だが喜ぶのはまだ早い。撃破することは出来ていない訳なのだから。
KSP-76は主砲の角度を少し狭め、T-34のエンジンが眠る部分に照準を定めた。この練習試合では最後の一発である。私が肩を蹴ったのを合図に、Aが人差し指に力を込めた。
轟音。KSP-76がT-34のエンジン部分に向けて発砲した。姉が掻き鳴らすものと比べると可愛いくらいの軽い砲撃音だ。その後で、T-34の車体の中枢部にボンと衝撃が加わる。T-34の車体は大きく揺れ、車体の中部から煙が上がった。じきにその揺れは収まる。煙が晴れる。それにより車体の状態が露わになった。
――少々装甲に傷を負いはしたが、T-34への致命傷とはなっていなかった。姉の撃破には、失敗したのだ。
「やーっぱダメだったかー」
ヴィットーリオは両手を後頭部に置き、愚痴でも言うみたいに呟いた。
「……案の定だったな」
私は彼女の言葉に不快感を覚えながらも、心中を吐露するように呟く。せめて、せめてあと一発撃てたら……。
「だって普通に考えてダメだって分かるでしょ。あなたもKSP-76じゃ望み薄だって分かってる筈ですよね? T-44がやられた時点で諦めはついてたでしょうに…」
「クソッ」
私はこの時になって初めて、自分がどれ程絶望的な状況に居たかを理解した。
T-34の主砲がKSP-76に狙いを定める。
「結構考えた方かな。ま、楽しかったよ」
姉が一言。その後に、T-34がKSP-76に発砲した。大きな衝撃が身体に伝わり、車体から黒煙が天へと駆け上がる。続いて、小さな白旗が勢いよく飛び出した。
姉が一呼吸置いた後に二両のBT-7に合図を送った。
「もう用件は済んだし、やっちゃって」
人質に取られていたT-44が、両側からBT-7二両に砲撃されて二つの黒煙を発生させる。T-44が白旗を上げた。
「一、四年チーム、フラッグ車、戦闘不能。二、三年チーム勝利」
――一回の試合の中で様々なことが起こった気がするが、確かなことが二つだけある。やはり姉は強かったということと、私は少しも成長していなかったということだ。
――
私がその日のサークル活動を終え、帰路についている最中、ポケットの中のスマートフォンが振動した。また私の元に何かしらのメールが届いたのか。
誰であろう。どうやらヴィットーリオからのようだ。あいつからのメールとなると、いつだって嫌な気分になる。吐き気を催すことだって何度もあった。今回のメールだって、悪意の下で送られてきたものに違いないだろう。彼女の性格からして、簡単に予想出来る。
画面を確認し、通知の部分をタップすると、一つの文章と一枚の写真が表示された。
『サークルの後に打ち上げ中』
写真は飲食店のテーブルに並べられた料理の数々だった。そして、すぐにまた新しいメールが届いた。
『あなたのお姉さんも一緒です』
「あの野郎っ!」
私は右足で、道端にあった電柱を力いっぱいに蹴った。また翌日に大学に足を運ぼうと言う気が削がれたのを感じた。