レベッカの立案した作戦の下、第一五九師団は動くことになっている。それは、他の師団も同じではあるが…。
師団一つにつき2万5千を超える人間が一つの列を形成していた。他の5つの師団も場所は違えど、景観はそう変わらない。
前後左右何処を見渡しても人が居る。リューズにとってはこれ以上に落ち着かない状況は無かった。いち作戦の遂行中であるというのも心の休まらぬ理由の一つとして十分数えられるが、本筋はそこではない。
だが気分が悪いだけで作戦を辞退するなど、彼の美学に反する。否、美学などと言う程に輝きを帯びてくれる代物ではない。もっと醜い、何かに必死で縋り付くような目も当てられぬ程の汚い痴態に過ぎないモノだ。
それを皆の前で晒さぬためにも、心の奥底から這い上がって来る気持ち悪さを必死に押さえ込みながら、隊列の一員として目的地に向けて歩を進めていた。
――北へ北へと、歩を進めていた。
――
カレンとクラセルの間に割って入るような形でレットとリューズが話す。
「護衛艦隊なんて役に立つのか?」
「さあな。無いよりはましじゃないか? 輸送船がやられれば終わりなんだ」
「まあ、そりゃそうだけどよ……」
銃器を肩に掛けて爆弾を隠し持った制服姿の人間が集団を成し、度々一時的な拠点を気付きながら歩を進め、いずれ自然と構成される戦線に備えて人殺しのノウハウを今一度履修する。日頃から訓練においても続けてきた訳ではあるが、実戦ともなると些か気分が乱されて思うようにはならない。
「どっちかって言うと、飛行機の方が好きだったんだけどよー」
「なら、お前だけ連邦の方に落とされるな」
「冗談キツイぜ。あそこどんだけ寒いか分かってんのか?」
臨時の拠点の中、二人の青年の会話が小さく紡がれていた。
「北方でなら、持久戦に持ち込まれたら厄介だな。特に冬が来たら、連邦程ではないだろうが、ほぼ勝ち目はない」
「なら尚更やめてくれよー」
手筈通りにいけば、6つの師団はそれぞれ帝国の輸送船団に搭載され、帝国海軍の艦隊の護衛を付け、公国に存在する数ヶ所の港やそこに属する町を経由して上陸する予定だ。また、帝国空軍の航空部隊が支援や補給を担うということだった。
公国は同盟の加盟国だ。共和国を始めとした同盟国が公国を支援することも容易に考えられる。何なら、帝国が侵攻を図ったと知った他国から攻撃されかねない。
平和そのものと言えた世界情勢の中、帝国の行動によって世界中が帝国の敵に回った。皆にとっては世界の敵こそが帝国なのであろう。共和国や公国に目立った動きは無く、むしろ第三者の視点からは、帝国はただの戦闘狂のようにしか見えない。
――暗い空の下の黒い海の上で、一行は輸送船団に揺られていた。上空を飛んでいた数機の航空機が、護衛艦隊の一部を捉えたことは、この時は大部分の誰もが知る由も無かった。
――
――公国の軍本部。そこに、女は現れた。
「やぁやぁみんな、元気にしてたかな?」
ノラはいつもと変わらぬ声で、司令室への入室をアピールした。その上機嫌さは、催し物の舞台上で子どもを泣きじゃくらせるピエロの持つ、独特の狂気と似ているものがあった。
遊園地などでピエロの姿を見るなり泣き出したことは、ノラにとっては数少ない幼少期の思い出だ。確か、その時もルイーセが必死に慰めてくれたことも覚えている。
「ま、これから戦争って時に元気でいる訳ないか……」
スイッチでも切り替わったかのように、声の調子が対照的になる。無気力の文字をそのままにしたように、溜息交じりの声が目立っていた。無理も無い。いくらノラでも、無理矢理明るく振る舞うのには体力を使うのだ。故に、疲れる。
いつか、ネットゲームで3日程度睡眠を忘れたことがあった。その時の疲れは、漠然としたイメージでだがしかと覚えている。しかし、今は、その時の疲れを優に超える。身体に重りを付けているどころか、身体が重りに変化してしまったみたいだ。
「おい、作戦の実行の準備に移るぞ」
「相手は帝国、油断なりませんよ」
何より嫌悪していた者の声が、ノラの耳を無情に突き刺す。その拍子に、彼女の顔は一層険しくなった。奴の声は最早監獄の鐘の音、死刑執行を知らせるチャイムだ。
――こいつらは、親でも何でもない。自分と言う存在を好きなだけ搔き乱しておいて、用が無くなればポイ捨てする。そんな、マナー違反もいいところのモラル欠如人間である。
父の顔をした男と、母の皮を被った女。親という体裁をやっとの思いで守り続けているだけの、ただの冷血クソ人間だ。
(表沙汰じゃ、頼れる貴族様だからねぇー。弁解もままならないや)
黒い泥が胸の中に溜まっているのを感じながら、作戦の計画書を今一度見直す。生憎一族の実権は自分には無い。一族、延いては国を動かせるのは別の二人の人間だ。そいつらにとっては自分も操り人形のうちの一つか。否、どちらかと言えば邪魔者の方が正解に近いだろう。
――キーボードをカタカタと叩きながら、AI兵器のデータベースにハッキングを試みる。共和国からの受け売りの軍事兵器を、見よう見まねで取り扱う。
兵器の輸送の際、共和国から数百人余りの士官を派遣して貰っているが、公国での戦いとなると些か土台が弱々しく思える。共和国での一部の司令部にも協力を仰いでいるが、十分な軍事介入はきっとしてくれない。
希望があるとすれば、レイラ一人だけだ。
やがて、機兵の目に緑の光が灯ったことで戦いへの準備が整った。他国のAIに干渉することも、ノラのハッキング技術を使えば、なんてことない単純作業に過ぎなかったようだ。
「共和国のAI兵器までハッキングできてしまうとは、恐ろしいな……」
「ノラ様であれば、多分この司令部さえ簡単に乗っ取られるでしょう」
司令部に居た公国の参謀や参謀長が騒ぎ立てていた。その通りだ。その気になれば、ノラの指先だけでこの司令室をジャックできる。しかし、
「ま、結構大変だったけどね」
ノラが扱えるのは国家機密の盗み見や、企業スパイの代役のようなものだ。軍事とはまた別である。今回のハッキングも、AI兵器達が公国の司令部の管理下に堕ちるようプログラムを書き換えただけであり、全て自身の思うままに動かすには、数段階上の技術が必要だった。
――やがて、両親が司令室の中心に立った時、暗黙の了解での開戦の合図となる。
それが君主であるセビリャーナ家の意思であり、国を挙げた市民の総意となる。例え誰が反感を覚えて異を唱えたとしても、それは直系の子供でさえ国家に対する反逆と見做される……という噂だ。
本当かどうか、試してみたい方が居れば試してみてくれ。
それでもし命に関わるような事があったとしても、当方では一切の責任を負わない。生きて帰ってこられたとしても、ベッドに寝た切りの生活を送ることになるか、万が一動けることができても、ベッドから起き上がる度に地獄のような痛みに身体を蝕まれるがよい。
「では、出撃をしようか。帝国に『待った』をかけるためにもな」
「共和国の後ろ盾があれば、帝国も敵ではない筈です」
機兵が動き出し、公国軍と共に軍事行動を開始する。ノラもまた、地図上での軍の行動を監視する情報部の一員としての役割を果たすことになっている。
「さ、死にに行くとしますか」
眉間にシワを寄せ、片方の口角を吊り上げる。唇の隙間からチラリと白い歯が覗くように、彼女の「心の傷」という隙間から、「負の感情」という本性が外の世界を覗き込んでいた。
――
――会議室の中、一人の女は複数の人間を相手に作戦の再確認を行っていた。説明はいらないとは思うが、その人間達は彼女の関係者である。とは言え、側近やその妹程に面識がある訳でも無い。
「共和国空軍は主に二つの部隊に分かれて哨戒して貰おうと考えています。一つ目は公国帝国間、二つ目は共和国公国間です」
「何故、帝国に対して直接部隊を用意しないんだ? 帝国が公国に夢中になっているなら、その隙に叩けばいいじゃないか」
一人の人間――共和国空軍の参謀の一人が意見を提示した。成程、当然の疑問だと妙な納得を覚えた。女――レイラは地図の表面を指でなぞりながら、空軍参謀への説明を始める。
「今のままでは、まだ帝国相手には巻き返しづらいでしょう。こちらから積極的に戦いを挑むのも得策ではありません。それが原因で対共和国の戦線でも張られたら、それこそ厄介です。なので、今は公国空軍に紛れながら、帝国に対する諜報活動を続けようという目的です」
「海の方は補給や支援と言ったところか」
今度は海軍参謀の一人が呟く。相手の語尾に噛み付くかのように、すぐにレイラは返した。
「正解です」
――彼等に対しては言葉の自由など一切の許しを与えぬような気概で、一人の女は国の軍を動かすために策を凝らしていた。その起源は軍事貴族としての威厳か、はたまた、侵攻失敗以来からどん底にあり続けた自身の信頼を取り戻すためか、真偽については、レイラ自身のみぞ知るところだ。
――
作戦開始から二日経過――。
――輸送船の露店甲板の上。海に落ちるギリギリの地点に設けられた鉄柵に身体を預けながら、リューズは変わらずタバコを銜えていた。息と共に煙を吐き出す。それに載せて、自身の苦悩や府の感情、不機嫌の原因までも吐き出してしまえたとしたら、どれ程楽に生きられただろうか。
「はあ……。どうせ死ぬくせに…」
隣でクラセルがあからさまに不機嫌そうに呟く。とは言っても、ブツブツと心無い言葉を並べている程の小さい声であったため、幸か不幸か、その言葉がリューズに届くことはなかった。今までの高貴な貴族のお嬢様の如きお淑やかな雰囲気は影も見えない。
目の前には終わりの見えない波があちらこちらへと身を捩じらせている。まるで意志を持った生物のようだ。
そう言えばだが、海軍の人間達が言っていた。波が高い時は敵が近くに居る可能性が高い、と。戦いの前に、不吉な話を聞いたものである。
――
――司令室の中、AIの無機質な声が響き渡る。その無機質さが、やけにレイラの背中を凍り付かせた。
『ハーディングフェーレ海峡にて、6コ程度の船団を確認』
画面にはハーディングフェーレの傍の狭い海域の地図と、そこに浮かぶ37隻余りの船のマークが現れた。同時、公国の港から艦隊が出発した様子も画面に現れた。
北上する帝国艦隊、南下する公国艦隊、2コのそれぞれの艦隊が牙を剥き出し合っている。共和国は公国側についているが、海と空からの援軍は、いつもより一層頼りなく思えた。
「ノラ…、生きて帰って来て……」
人の立たされた状況を憐れんでいられる立場ではないことは知っているが、他国には干渉できるうちにしておかなければならない。黙っていれば必ず、遠くないうちに淘汰される。
どこか古い時代の書物に、こんなことが記されていた気がする――「沈黙は賛成と同じだ」と。そしてそれは今や、国際的な状況下でも何一つ違いが無い。レイラ自身はその考え方に対しては肯定的ではなかったが、最早それが世の真理として根付いてしまっている。誰がどう言おうが、それが世界のルールなのだ。
司令用のAIに、次の行動を命令の内容に組み込む。
「AI航空隊、帝国の船団の一部に爆弾を投下。念のため、AI艦隊にも出撃の準備を」
レイラの声に反応するが早く、司令用AIが現地のAI航空機に司令を送る。続いて、航空隊は帝国軍の護衛艦隊を手当たり次第に標的に定めた。流れるように一部の船団がロックされ、獲物として気付かずに我らの間合いに入ろうとしてきている。
『無誘導爆弾、投下』
航空機が腹に携えていた爆弾を、下界に向けて切り離した。ごく小さい音を立てながら眼下へ吸い込まれていく火薬の塊。鉄の皮に包まれたそれは、表情一つ変えずに敵の船へその身を落とそうと覚悟を決めていた。
爆弾たちで構成された合法的特攻部隊。彼らがその身を散らせる時が、帝国艦隊の安静が散る時でもあった。
――
「――」
画面越しの爆発音。その後、煙がゆっくりとフェードアウトしていくにつれて、帝国艦隊の姿が現れて行く。
煙が晴れた。帝国艦隊は健在であった。
――
護衛艦隊の乗組員の眼前には、巨大な水柱があった。
「おい! 近辺に敵が居るぞ!」
乗組員の言葉でその場一帯に緊張が走る。小学校の頃だったか、ミスをして防犯ブザーを唐突に鳴らす人が一人は居ただろう。それに匹敵する程の緊張であった。
腕には鳥肌が立ち、背中には得体の知れない透明な何かが這い回っているような感覚になり、今にも身体をビクつかせ、跳び上がりそうにさえなる。まあ、敵が近くに居るという時点でとうに跳び上がるだろうが。
水の象徴とされる生命体が海底に位置する遺跡に封印されているというのは、架空の神話体系の下で執筆された有名な小説の設定である。今回の場合、そこまで大層な事象ではないものの、これは一大事だ。その生命体の代わりに、火薬が、海の中にて、鋼鉄の外皮からの封印を解かれようとしているのだ。
――一切の油断も許されない。
爆弾に反応して、波が驚愕の感情を表現しているかのように暴れ回る。まるで、尻尾を踏まれ、驚きと痛みのあまり暴れ回る動物のようだった。
――
『護衛艦隊より電報。護衛艦隊より、空から爆撃が仕掛けられた』
「そうか。どの国も同じだな」
いかにも皮肉らしくリューズは呟く。クラセルと共に甲板から待機室へ戻る道中、爆撃による余波の影響か妙に艦船が右へ左へとその身を揺らしていたことを覚えている。
「世界の敵とはよく言うな。そいつにとっての敵は世界ってところか…」
――リューズ達の乗るグループ5の艦隊の前には、一隻の艦船が姿を見せ始めていた。大きさから、その船の艦種は駆逐艦と思われた。多分、公国か共和国のものだろう。もし共和国ならば、帝国の公国への侵攻を阻止するために支援したのだろう。他国の後ろに立っても手は尽くしているようだ。
どうやら向こうはこちらの姿を捉えたようで、その駆逐艦が砲撃を加える。凄まじい轟音と共に砲弾が叩き込まれる。それに呼応するように周りで波が荒れ狂う。波でこちら側の視界が一時的に揺れ、それに比例するように標的も定めづらくなる。
流石、AIを搭載した駆逐艦だ。
砲撃で瞬間的に注意を引くと、今度は魚雷の一部を護衛艦隊に向けて発射した。今度は轟音はならず、代わりに先程のものよりも身長の高い波が水中から飛び出した。この時、魚雷が命中したのは一隻の巡洋戦艦であった。波が、巡洋戦艦の足元から飛び出してきたのだ。
内部では、聴力さえ簡単に奪われてしまいそうな爆音とあっちこっちへ備品が振り回される揺れに、パニックが起こりかけていた。
「くそっ、流石AIだ。こっちの弱点をこれでもかとつついてきやがる」
「今に始まったことでもないだろーがよ」
「倒せるほうに百」
「強気だな。じゃあ俺は、撤退命令が出る方に二百だ」
巡洋戦艦の乗組員の中には、戦況がどう転ぶかで賭けを持ち掛ける者も居た。
――グループ5の者達が乗り込む輸送船も、撃ち落とされてはなるまいと警戒態勢を強めていた。それはさながら自然界で子供達を守る猛獣のようで、指一本でも触れればたちまち、その指どころか体全体に隅から隅まで傷と赤い体液を付けられることだろう。
「ひえー、おっかねぇー。下手すりゃ死ぬわこりゃ」
こんな状況になっても、カレンはテンションを崩さなかった。当然だ。戦争という彼女にとって今一番興味を惹かれる事象が、今目の前で、かつ現在進行形で起こっているのだ。
今まで戦いを交えたことはあれど、船に乗った上での戦闘は初めてであったため、口で怖がりながらも彼女の心臓はいい意味で鼓動していた。
「まあ確かにな。結構、興奮してきたな」
横で相槌を打つのがレットである。
口で軽く話し相手をしながらも、彼の中にはあることについでの「?」が渦巻いていた。というのも、侵攻開始前夜の記憶と現在の記憶で大きな食い違いが発生しているのだ。
あの夜、あれだけ魘されていたカレンは、今日はいつもと変わらない様子で振る舞っている。それが何より不可解であり、それに対して強い不信感を抱いた。まるで、恋人は自分に対して普通に接してくれるのに、恋人の携帯電話の写真フォルダーには、自分の知らない男と恋人が二人して楽しそうな顔を浮かべていた写真や動画がこれでもかと保存されていた時のようであった。
「はあー……、こんな時に…」
レットは呟くと、憂鬱そうに髪を掻き毟った。その時の顔は、可能な限りは誰にも見られて欲しくないと思った。例え、今隣に居るカレン、実質的な部隊内別居を構えているリューズやクラセルに対しても…。