Cross-two Night   作:滝村亜華音

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『Nora Sevillana』

 ――メカ好きだったという趣味一つで腫れ物になった5歳の頃、両親の目がやけに冷ややかだったのを覚えている。

 

 元々、肉体労働イコール下級民族の仕事という価値観が貴族の間に浸透していたことは、奴隷貿易を始めとした公国のルーツ上仕方の無いことだ。だがいつかそこから派生する形で、工業系の職業やあらゆる分野での現場仕事、軍に所属する兵士にもその波は押し寄せた。

 

 世論の影響力と言うモノもまあバカには出来ないものであるが、それ自体は何も問題無い。問題なのは、国を治める貴族の娘が、下級民族の事物に興味を持ったと言うことだ。

 

 貴族はその服や装飾品、化粧に代表されるように外からの見てくれの印象、つまりは体裁を気にする。それもまた、何もおかしくは無い。何がしかの力を持つ者には相応の振る舞いが求められると言うのも、今に始まった話ではないのだ。某蜘蛛男の映画シリーズに一貫して掲げられているテーマにもあるように、人と違う何かを持つ者には様々な形での「代償」が、理不尽にも要求される。そしてそれは、当時のノラにも当てはまっていた。

 

 姉と違ってセビリャーナ家の生まれだと言う自覚が少なかった彼女は、商店街で騒ぎ立てる糞餓鬼共と大差無かった。故に、周りからの「貴族として」の評価も良いものではなかった。他の貴族の子どもからは指を差され、政務の際には議会議員から嘲笑の的にされる。世間の風当たりはノラには少し強かったのだ。

 

――

 

 ――あれは何時であっただろう。そう、大学一年生のある日のことだ。少女は母親との口論に身を投じていた。説明をするとなると、それなりの時間を有することになるが、付き合えるものだけ読み進めていただこう。

 

 その日のノラは、初のオリジナルゲームを制作していた。と言うのも、姉のルイーセが中学時代に書いたと言う全三部の恋愛小説を基に、ゲームへと仕立てていたのだ。その制作過程の終盤、携帯食品を片手にゲーム全体のデバッグ作業に勤しんでいた。

 

 ――その小説は、今は亡き姉が遺していった創作物である。第一子ということで、親の期待や一族の未来を一身に背負う身。そんじょそこらの御令嬢とは違う、息苦しさを抱えるのも無理無い話だ。そんな現実を忘れたい瞬間が、きっと姉にもあった筈であろう。その書物は、彼女の欲望と夢が織り交ぜられた、儚き妄想の成れの果てだ。

 

 そしてそれをゲームに昇華しようと言う企みは、少女の幼稚な衝動から生まれたものだ。――姉が不在となったことで半ば必然的に、第二子となる自分が家督を継ぐことになった。次世代の国を牽引する身、次代の国の君主となる身となったのである。朝から晩まで片付けても無くならない勉強量や仕事量に、彼女の心身は悲鳴を上げる。両親からの期待は殆ど無い物であろうと予測していたものの、いざ自分の成果が誰にも評価されないとなると、胸にずしりと重い物が圧し掛かった。そんな苦痛を紛らわせようと言う傲慢と、姉の遺したものをより自分に近い位置で感じたいと言う強欲が、妹をこのゲーム制作へと駆り立てた。『使命』がある事は誰より知っている。でも、一時だけは趣味の類に興じたっていいじゃないか。

 

 ――そんな中で突然、何者かが部屋に駆け込んできた。

 

 「…んぅ~…、何?」と、ノラは音源へと振り返る。

 

 母親だ。眉間に皺が刻まれ、唇が固く結ばれている。彼女の目は鋭く、視線の先にはパソコンに張り付く娘が居た。寝ぼけまなこ、跳ねた髪、縒れた襟元、肩に掛けている変色した毛布、果てにはガスや害虫の死骸の類を彷彿とさせる、褐色の臭いが部屋に充満していた。案の定、部屋には物が溢れ返り、足の踏み場を確認するのさえ困難に思える有様だ。お世辞にも貴族の子とは思えぬ部屋である。――汚らしい、それが母親の抱いた印象だった。

 

 同時、腹の底にふつふつと溜まっていた怒りにも似た何かが暴れ出した。長女と違い、考えが読めない次女。姉と違い、高尚な趣味を持たない妹。第一子と違い、貴族としての相応の振る舞いが出来ない第二子。ルイーセを死に追いやり、自身が後継者の枠に収まっておきながら、貴族として最低限のことも出来ないノラ……。

 

 思えば幼少からそうだった。何を要求するでもなく、主義主張を示すでもなく、ただただ自分の殻の中だけで息をする。これでは単なる引き籠もりと相違無いではないか。腐っても一国を背負う君主の血族であり、次期当主だ。それ相応の責任感を持った行動をとって欲しい。

 

 情けない、これが公国君主の子か。これがセビリャーナ家の次期当主か。名目上とは言え、目も当てられない……。――気付けば、左手でパソコンを力強く折り畳んでいた。ガラスとプラスチックがぶつかる、無機物的だが鼓膜を震わせる音。同時、ノラが一瞬だけ肩をビクつかせる。八の字に傾く眉。微かにカチカチと鳴る歯。何かに恐れをなす様な、怯えている様な顔をする娘だが、すぐに両眉は吊り上がり、母親に向けて不機嫌を孕んだ声を投げ掛ける。

 

「ち…ちょっと、何すんのさ⁉」

 

 癇癪を起した子どものように喚き、花園を踏み荒らさんとする不届き者の真意を問う。相手は左の目尻をビグッと震わせながら声を返して来た。

 

「勉強もしないで…、何やってんの…?」

 

「……今日の分の課題は終わらせてる。だから問題無いでしょ」

 

「そう言うことじゃないわよ。禁止にした筈なのに、何で機械なんかいじってんのよ……!」

 

 ――宿題を投げ出してゲームをしている小学生か私は、それがノラの持った感想だ。少女は聞こえの良い言い訳を述べようと脳を唸らせる。だがその試みは、眼前から飛んでくる怒声によってすぐに遮られることになる。

 

「アンタはこの家の娘なの、それ以前に貴族の娘なのよ? 何でこんな、『機械』や『工学』なんて野蛮で原始的なものに興味を持つの⁉ 昔からそうだったけど、もっと公国君主の自覚を持ってよ。貴族として恥ずかしくない振る舞いをしてよ。体裁を良いモノにしないと、その家の品位や教育のレベルが疑われるのよ。分かってんの?」

 

 堰を切って溢れる怒号。少女の顔に、真正面から雨霰と降り注ぐ罵声。腹の中に蓄積された、何処へも向けようの無い感情の混合物が惜し気も無く吐き出された。怒り、哀れみ、落胆や後悔の念が混ざりまくった黒い黒い泥が、怒声へと変わって外界へと飛び散り、娘の顔を歪ませる。

 

「またかよ…、それ……」

 

 人間が持ちうるおよそ全ての負の感情を濃縮させたその母の声は、娘の反抗心を駆り立てるのには十分過ぎる代物であった。瞬間、ノラは立ち上がって母親の胸倉に掴み掛かった。つい先程まで座っていた椅子が、ガタンと引っ繰り返る。感情に支配されかけた少女は、唾を飛ばして応戦を始めた。

 

「ふざけんな! 今更偉そうに、何が『貴族として恥ずかしくないように』だ。私は、最低限の礼儀作法は弁えてる。学校や仕事の場じゃあ、お淑やかに振る舞ってる。外面なら綺麗に取り繕ってんだ…!」

 

 窓や屋根が吹っ飛ばされんばかりの勢いで罵声が飛び出す。ノラの腹にも蓄積された泥もまた、暴言と言う名の銃弾となって母親の顔目掛けて発射される。

 

「結果は出してる。お陰で世間の評価は鰻上り、絵に描いたような汚名返上だよ」

 

 事実、ノラも全くの無力では無い。彼女は学業と並行して、家業の政に参加することがあった。因みに、その時の成果は次のようなものだ。

 

 ――国内の企業を管轄と言う名目で支配する、中央集権的な協会、『企業団体連盟』。そこを解体して民間の権力の集中を解消させ、不当な税金制度を凍結。違法労働の摘発にも成果を見せた。他にも、メカ好きが高じて身に付いたハッキング技術。これを駆使して植民地での反政府軍の兵器を操り、紛争を鎮圧。更には、親族関係にあることを利用し、ポロネーズ家に交渉を持ち掛けた。そして、フラーリッシュ共和国が独占する『アコール鉱石』の、公国への分配にまでこぎつけた。

 

「今の公国があるのは半ば私のお陰だろ? これで何が不満なんだよ!」

 

 「『アンタのお陰』?」と、女は嘲笑する。眉が八の字に、右の口角が吊り上がる。

 

「そんなアンタをここまで教育してやったり、仕事を回して来てやったのは何処の誰よ?」

 

「……っ!」

 

 ノラは声を詰まらせる。痛い所を突かれた、と彼女は睨む事しか出来なくなった。その様子を母親は鼻で笑う。

 

「結局アンタはその程度なんだから、黙って従ってなさい。それで内から見ても外から見ても、上手くいくんだから」

 

 母親が娘の手を振り払いながら、厳かに告げる。だが声の節々が妙に穏やかだ。何となくだが推測できる。相手を軽蔑して、舐めてかかっていることがよく分かる喋り方だ。それを見て、重ねて腹が立った。

 

 その時だ。ノラの腹に溜まる鬱屈した感情の破片が、口を衝いて出た。ノラ自身も、意図してその文言を口にした訳では無い。傍から見れば苦し紛れの言い訳と同類のものだが、どういう訳かその言葉は、母親の顔を再び歪ませるのには丁度良い物であったらしい。言った後で、母が面食らうのが分かった。

 

「そう…。でもさ…、その程度の人間に仕事を手伝って貰って、それで初めて国が立ち直って…。今まで母さんは、どうやって結果出して来たのさ?」

 

――

 

 ――国の明日を左右する政を、手伝いと称して子にやらせる…そんな芸当も今ではノラの能力あってこそのモノなのだが、やはり普通では考え難い。そこやってのけた父親の奇策やら機転やらは非難の的であったが、それが娘の名誉挽回の機会となり、国の土台の立て直しが叶ったことは結果オーライだ。時期国主の能力が本物であると、国民に知らしめる御披露目会にもなったのだから。

 

 誤解を招かぬよう補足を入れると、これらは、ノラが皆の先頭に立ったことで実現した訳では無い。彼女はあくまで裏方…政策のアイディア出しに始まり、外交上での両国の情報の精査。紛争の中での諜報活動。あとは、政策の後処理のための、新たな法の制定の提案などに留まる。表立って事を進めていたのは両親で、自分は二人の補佐の範囲を出なかったのである。それでもノラ無しでは、実現し得なかった物事かもしれない。

 

 しかし、だからこその問題も生まれる。それは、現国主やその周りへの不信感であった。と言うのも、それ以前の数十年間の公国は混迷の時代にあった。企業団体連盟の権限による労働者階級への重税だの、国内での資源の枯渇だの、果てには「帝国の宣戦布告」と言う、この上無い厄介事だ。

 

 多種多様の問題が山積みになった中で、限られた体力を使って処理しろと言う時点でそれなりの無理難題である。短時間で如何に多くの問題処理が行えるかでも、その人間の能力を推し量る目安となる。故に、残した成果が何も無ければ「役立たず」のレッテルを貼られるのは避けられない。そしてそれは、政界の頂点に立つセビリャーナ家の人間も何一つ例外ではなかった。

 

 では混迷期の公国で、先頭に立っていた両親は目だった結果を残せたのか。否。答えは否だ。ノラが今まで読み込んで来たどの世界史の教科書にも、国の内政が良い影響を与えた旨は記されていない。ならば、先述の理論の通りに話を進めると、従来の政界の人間達の能力が疑われるのも仕方が無くなる。故に、先代に対する不信感が生まれたのだ。

 

――

 

 ――言ってやった。ノラの言葉は、先述のことを引き合いに出したものだった。きっと母はこれまでも、貴族としての振る舞いが出来ていないらしい自分を見下していたのだろう。母は何においても自分が上だと思っている節がある。そこを逆手に取って、今自分は反撃出来たんだ。そう思った途端…、

 

「…――っ⁉」

 

 鼻に強い衝撃を感じた。同時、顔の中心部に強い圧力が加えられ、頭部が後方へと仰け反った。それに伴ってノラの身体は、足場が無くなったかのような浮遊感に襲われる。直後、後頭部、背中、腰、臀部、脹脛、踵にやや強い衝撃と少々の痛みを覚えた。身体の前面に重力を感じる。

 

 殴られた――その衝撃で自分の身体は床に倒れたのだ。

 

 それに気付いた時には、母親は次の作業に移っていた。痛みを感じるより先に、驚愕が少女の脳を支配する。母親の手は、つい先程まで自身がいじっていたパソコンへと掛けられていたのだ。左手が装置、右手がコンセントの穴と繋ぐコードを掴んでいる。ノラが見上げるような形で机の上の装置に目を移す。その時には母の手がコードを引き抜こうと、何度も何度も引っ張っていた。強く引っ張るあまり、コードが途中から千切れそうだ。

 

「な…、やめろ!」

 

 上半身を起こし、立ち上がって母の行動を阻止しようと試みる。だが女の右腕に振り払われる形で、ノラの身体は引き剥がされた。同時、薄いデバイスが机の上から母親の手の中へと移る。コードが外されたのだ。ノラにとっては、自身を生と繋ぎ止める唯一の命綱が外れたように思えた。

 

 ――すると途端に母は、抱き抱えていたパソコンを力いっぱいに床へ叩き付ける。薄い鉄板と繊維の床面が衝突する鈍い音。

 

「――っ!」

 

 直後、靴の踵が追い打ちをかけるようにパソコンへと落とされた。鉄板の裏で、ガラスにヒビが入る感覚。心成しか周りの床に、パラパラと、見覚えのある材質の大小様々な破片が散らばる。少女の瞼はさらに開かれ、瞳の焦点が合わなくなり、震える。直後、再度パソコンは踏みつけられた。ヒビが深くなる。

 

 少女は女の脚や腰にしがみ付く。だが中学生――下手をすれば小学校高学年――に見間違われる体格の彼女では、女の凶行を止められる程の力など有る訳も無かった。

 

「やめろっ…、やめろおおー!」

 

 ノラの涙ながらの制止も虚しく、彼女の宝物とも相棒とも言うべきコンピューターは破壊されていく。少女の泣き声にも聞こえる叫声に混じり、鉄板、ガラス、プラスチックの砕ける音が聞こえてくる。それに並行してノラにとっては、何より大切な、姉の遺産と記憶が破壊されていくようにも思えた。――パソコンが砕けて行く音と少女の喚き声が木霊する、喧しい事この上ない筈の空間であったが、誰にとっても無音に思えた時間が流れて行く。

 

――

 

 ――実時間にして十分弱、体感時間にして数時間が過ぎた頃、家全体を揺らす様な音は止まった。嵐のような、唐突な終焉だった。少女は絶望の色をその顔に湛え、力無くへたり込んでいた。瞳に光が灯っていない事とやけに頬が濡れている事を除けば、無表情と何ら変わりない。隣で女が何か言っているが、ノラの耳に届く筈も無い。

 

 良い年した大学生としても、貴族としても、次期国主としてもみっともない。だが、ノラ自身にとっては生きる希望を絶たれたに等しいのである。

 

――

 

 ――自分はずっと殻に籠って生きて来た。だが、ただそれだけであった。否、それを否定するのも正確では無いが、やるべき事は自分でやっていた。誰にも迷惑は掛けていない筈だ。自分の殻の中で息をして、全てを内部だけで完結させている。私情を仕事に持ち込む様な真似はしていないし、衝動や感情のままに悪口を投げ付けたりもしていない。ただただ沈黙を貫いているだけ。そして、無言と言う警笛でテリトリーに入るなと警告している。ただそれだけなのだ。私はお前に何一つ干渉しないからお前達も私に干渉して来るな、そう言っているだけである。触らぬ神に何とやら、お前達はその言葉の意味くらい知っているだろう。お前らに何かを言おうとするとお前らは露骨に顔を歪めるから、自分は可能な限り相手の領域に踏み込まないよう努めて来た。それなら尚更、何故私に強制をしようと試みるのだ? 「縄張り」と言うと言い過ぎかもしれないが、誰にだって侵されたくない領域――所謂「プライベートゾーン」と言う奴だろうか――があるだろう。お前らにあるのなら、私にもある。私は、私のやり方で仕事や問題を片付けて行く。そしてそれはしっかりと、法律や規制を始めとしたシステムの中でやっている。何も問題は無いだろう⁉ だからお前らは、お前らの主張や意見を押し付けてくるな。こっちが土足で踏み込んではいないのだから、お前らも土足で踏み込んで来るな。そう言っている。

 

 ――なのに……、なのに…、なのに、なのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのになのに……‼

 

 何故そこまでして私に干渉してくるんだよ! お前らは私の親ってだけだろうが。そこには本来、上下関係も何も無いだろ? 対等な関係だ。じゃあ私の要求も少しは飲んでくれよ。自分は良くて周りはダメなんて、そんなの余りにも自己中が過ぎるってモンだろ。何が目的だ? 何を考えてんだ? 一体全体何が悲しくて、私をこうもおいつめるんだよおおぉぉ……⁉

 

――

 

 軍服の上から羽織る毛布の毛の先端に、曇天から降る白い粉粒が付着する。ユラユラと風に揺られながらまつ毛の先にも軽く触れるが、瞬きによってふわりと空へ投げ出され、再び宙を舞い出す。また、軍靴が白い絨毯を踏み締め、サクッという軽い音が鳴ると共に人の足とよく似た形の跡が付く。

 

 そこだけを切り取ってみれば何処か静けささえ感じる情景だ。しかし「木を見て森を見ず」という言葉があるよう、何かを語るのは必ず物事の全体を見通した上でなければならない。そうでなければ暴論しか口にしない、視野の狭い阿呆の完成だ。そうならないためにも、物事の全体を把握すると言うのは重要だ。ではこの情景の全体像を見てみよう。

 

 ――ウニゾーン帝国から派遣された六つの師団が、ハーディングフェーレ公国の地を踏む。全ての部隊が各々の方向を向いて、敵地を支配するために行進しているのだ。黒の軍服の上に茶色の毛布を羽織り、表情の無い人間達が武器を構えながら歩を進める。規則的に鳴る鉄製の装飾品がぶつかり合う音が、戦争の無機質さをより引き立てる。

 

 「軍靴の音が聞こえる」と言う言葉の意味通り、戦いが始まることを、その国の地に居る皆が容易に想像出来ていた。

 

――

 

 公国の第三都市、ラルクヴェイグにその基地はあった。《ラルクヴェイグ陸海軍基地》である。公国陸軍と海軍の基地が併設されており、門から見て中央を宿舎として、右には陸軍用の訓練場や戦車ガレージ、左には海軍用の建造ドッグや工廠というほんの少し奇怪な構造をしている。公国の国土が狭いせいもあるが、軍部の中でも特に区別されるべき集団同士が同じ敷地内に居ると言うのは、少々奇妙な状態だ。

 

 両軍の間では定期的に隊員達による共同演習や、研究員を動員しての兵器の共同開発が行われる。更には、双方の交流会や新人歓迎会も催されていたりいなかったりと言う噂もある。いつもは隊員達の文句を言い合う声と共に、銃弾の放たれる乾いた音、戦車や戦艦の鉄管から砲弾が放たれる時の轟音が飛び交っている。

 

 ――賑やかであり騒がしい居場所がこの基地であったが、今は死体のような静けさが満ちていた。

 

 決められた隊列に並ぶ300人程度の人間達が眉間に皺を寄せ、唇を固く結んでいる。大まかに一コ大隊程度の集会であろうか。更に、そんな彼らの前に立つ一人の男が、これが鶴の一声だとばかりに声を張り上げた。音と言う空気の振動が、隊員達の鼓膜を揺らす。

 

「諸君も知っての通り、帝国の勢いは宣戦布告以降、止まることを知らない。奴等は、首都を含めた複数の重要都市の陥落を視野に入れている」

 

 遠くから聞こえる砲撃音や波の荒れる音が、隊員達の背中に鳥肌を立たせる。心成しか、両の頬が無数の針に刺されたような感覚にも見舞われた。戦闘を前に気が立っているせいか、北の国だと言うのに肌に滲み出す。

 

「その一つがこのラルクヴェイグだ。国土や資源は勿論だが、一番守るべきは市民の安全だ。…お前達が出せるだけの力で、この国を守り抜け! では、解散」

 

 皆が顔を顰める中、隊長は言った。

 

 一人の公国兵が溜息を吐いていた。彼は特段、訓練をサボる程の怠惰な人間ではなかった。だがこの時の男の顔には煩わしさや厄介、後は呆れの色が浮かんでいた。それは十数年と続くこの戦争の長さに対してのものか、それとも自国ととある資源を共有する別の国へのものか。

 

(共和国と同じ『同盟国』だからってだけで狙われて、いい迷惑だぜ……)

 

 そんな兵士に、別の兵士が話し掛ける。話し掛けられた兵士は、右斜め後ろへと振り向いた。人を小馬鹿にしたような顔つきの青年が、その先に立っていた。だが、そんな相手に対して腹を立てるようなことはしない。何故か。それは今日に至るまで、そいつの顔を見て慣れているからだ。

 

「肩落として背中も丸めて…、どうした、トルヴァラン? 今回は共和国や王国との共同作戦だ。むしろ心強いモンだろ」

 

 トルヴァランは友人の声に、ほんの少しばかり瞳に光を灯す。

 

「ニルス…。お前は、この国の人間のために戦おうと思えるか?」

 

 ニルスは首を捻り、右手で空を掻き混ぜながら答える。

 

「いきなりだな。ん~…、心の底からは思わねえな。特に肉体労働系をバカにする貴族様には…、絶対にな……!」

 

 言い終わる頃には彼は、腕を組んで空を睨んでいた。表情をコロコロと変えたり、身体がじっとしていられなかったりと忙しい奴だ。そのせいかよくトルヴァランは振り回されがちだが、そんな友人を嫌悪したことは無い。

 

「そうか……、俺もだ」

 

 二人の兵士は少々低めの声で会話を楽しんだのちに、苦笑の色を顔に湛えた。

 

――

 

 ――ラルクヴェイグを目指して進むグループ1、もとい第六七師団。2万5千に重なる軍靴の音が、やがて雪から土へと響くようになった。彼らの視界の両端にもコンクリートや鉄造りの建物が連なるようになったが、建物の中に人の姿は見えない。何処かに避難したか布団の中で震えているか――否、多くはカーテンの隙間から片目を覗かせていた。皆が眉を歪ませ、中には女の細長いものや子供の円いものもある。そしてそのどれもが、帝国兵と目が合った瞬間に布の奥へと隠れて行ってしまうのだ。

 

「……」

 

 第三都市を含んだ街の十字路に差し掛かった時、グループの先頭を行くガレインが立ち止まった。続いて右手を上げる――一時停止の合図だ。左右の次に前、の順に道路を眺める。戦車どころか普通乗用車、通行人の類すら見えず、閑散とした濃い灰色のアスファルトが細長く伸びているだけだ。やれやれとばかりに肩をすくめた後で、前を向いたまま話を始めた。

 

「これより、三手に分かれての別行動で敵の基地を落とす。ルートは南、東、北へそれぞれ伸びる市街地の街道だ。歩兵だけなのが頼りないが、総統の、なるべく都市を破壊せず占領せよとのお達しだ」

 

 後に並ぶ隊員の皆は眉一つ動かすことも無く聞いていた。同時、数多の視線が複数のポーチを含んだ、黒を基調とした軍服へと注がれる。

 

「故に侵攻段階の今は、極力戦闘を避け、市庁に到達することを念頭に置かなくてはならない」

 

 灰色の空の下、白い粉のような粒が降る中、低く厳かな声が響く。

 

「戦車などの重機が出たら、まともにやり合おうとは思うな。隠れるなり散らばるなりしてやり過ごせ。現在の目標は市庁への到達と、市長の降伏宣言だ」

 

 その筋骨隆々な身体が象徴するような、分かりやすい脳筋っぷりだ。こんな奴を一師団の長に任命するとは…。帝国の国防省の思惑は予想のつかないところだが、そんなことはどうだっていい。今この場においての最優先事項は、彼らがどうして、ラルクヴェイグへの侵攻を成功させられるかどうかだ。

 

「可能な限り、船内で確認した通りの動きで。では、分散!」

 

 その掛け声の通り、グループ1は三手に分裂した。武装した迷彩服の人間の群れが三又に分かれ、それぞれの目と鼻の先に延びる道路へと、木々の隙間を移動する蛇のようにその造形をくねらせながら入り込む。重なる靴音は東と北へ8千3百、南へ8千4百と分散していく。やがて軍隊が去った後の道路は、アスファルトの端に生える少量の草や、歩道の植木に偶然生えた一輪の花でさえ踏み折られていた。

 

 ――公国と言う名の家屋に忍び込んだ害虫の群れが、自身らの巣を築くために行動を開始したのである。

 

――

 

 ハーディングフェーレ公国の軍本部の司令室。そこで女は、またもコンピューターのキーボードを叩いた。直後、公国の地図を映した画面、そこのラルクヴェイグ陸軍基地の上で光の点が動く。

 

「動き出したな、自軍も」

 

 彼女の父が呟く。予想はしていたものの無駄に大きな雑音に、娘は眉間に皺を寄せた。微小な溜息を吐き、心成しか打鍵音は速く大きくなっていく。最もこの女――ノラは職業柄、タイピングは速い方だ。時間との勝負として動き回って来た人生だったが、いつの間にか家族との戦いに身を投じることとなってしまった。否、こんな奴等……、家族ではない。

 

――

 

 意気揚々と進むグループ1の欠片たち。そんな彼らの耳に、魔物の腹の音かと間違える程の重々しい音が聞こえる。同時、地盤が生きているのではないかと錯覚する程の「揺れる」感覚に襲われた。加えて彼らが目を細めるその先の車道には、ポツポツと複数の黒い影が小さく見える。それが戦車や装甲車の部隊の類だと知るのには、そう時間はかからなかった。

 

「おいおい、いきなりかよ」

 

「死ぬね…、これ」

 

「散らばれ、吹っ飛ばされるぞ!」

 

「でも、これだけの人数は隠しきれないでしょ…」

 

 口々に言いながら、隊員達は鋼鉄の魔獣達の視界から外れる為に、道路の両端に連なる建物の死角へと潜り込む。

 

――

 

 公国軍本部の司令室。モニターの中の地図では、多くの光の点が散らばり右往左往している。女は画面を見ながら口角を吊り上げた。

 

「へへ、やってやろうじゃ~ん」

 

 そして、小気味良い音を立てながらEnterキーを一つ。

 

――

 

 戦車の砲台は道路の遥か先を見据えて角度を上げた。スコープが捉えた先には大量の人間。通常は重機で生身の人間を吹っ飛ばすなど、倫理観や道徳心の欠落を疑われるところだがその恐れは無い。何故なら、彼らは敵国の人間だからだ。

 

 人間の集まりがロックオンされた途端、辺りに轟音が鳴った。同時、目の前の道路の果てで黒煙が立ち上がる。集団へ一発の黒い砲弾が突進し、激突の末に煙がそれを包んだのだ。直後、砲弾がその身に抱えていた火薬を栄養源として、周辺の地面が炎で彩られる。戦車の主砲の砲口からは黒の細い煙が立ち上っていた。

 

 煙が晴れる――赤黒い水溜まりの中に、傷に塗れていたり体の一部が欠損したりしている「人間であったモノ」が、四方八方に散らばって浮かんでいた。

 

 砲撃の衝撃で気絶できた者や、爆発に巻き込まれ即死できた者はまだ幸運であっただろう。血溜まりの中では度々、筆舌し難い痛み抱えながら、必死に生に縋り付く者が見えた――片方だけになった腕で、黒く焦げた身体を這いずり回らせる者。肉が抉れた末に剥き出しの骨となった右脚を、四つん這いで引き摺る者。爆発で木の枝や建物のベランダへと半身が吹き飛ばされ、提灯の様にぶら下がる者も居る。

 

 だがそれでは飽き足らず、周りを焼き尽くす炎がアスファルトを熱し始めた。次第に肉を抉られた痛みだけでなく、肉を焼かれる痛みに喘ぐ声が溢れ出す。それは地獄に居る多くの亡者達の悲痛の叫びであり、捕食される獲物の声であった。

 

 ある家屋の少年は、それが自国の軍の所業であると理解しつつも、胃から込み上げて来たモノを口から吐き出さずにはいられなかった。

 

――

 

『21人死亡。49人重傷。34人軽傷』

 

「お~…! さっすが共和国の戦車だ」

 

 無機質な司令用AIのアナウンスの直後、ゲームに興じる少年の如くはしゃぐ声が聞こえる。その声の主は、事実をそっくりそのままに映し出すスクリーンを一瞥し、手元からはまた無機質なタイピング音を続かせる。

 

「さぁ~て、『ウォー・ゲーム』の始まりだよー」

 

 女は、自身の中に燻ぶる何処へも向けようの無い感情を、明らかな格下や弱者に向け始める。それは単なるストレス発散やヒステリックの類ではない。もっと別の、深く、熱く、大きい場所に居座って、際限無く膨張を続ける――今までのものとは全く別物の狂気だ。

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