『Chill out, lady』
目覚めはいつもと変わらず、気が重いだけだった。
「何で、朝って来るのかしら…」
このセリフだけを切り取れば、引き籠もり体質のお嬢様の久し振りの起床だ。しかし、実際はそれ程自分が優雅な存在ではないことを、レイラは知っている。優雅ではなかったからこそ、他の部分でどうにか補って生きてきた。
だが、それもこれも永続的なものではない。
雨水が、外の世界を思う存分に濡らしていた。
「はあ…。これ、どれだけ飲んだんだろ…」
代わりに部屋のテーブルの上には、酒の瓶が所狭しと転がっていた。レイラは頭を抱えた。昨夜の記憶があまり無い。
髪を掻き上げると、毛布をどかし、ベッドから出る。仕事の準備をしようとしたが、まずはテーブルを片付ける必要があった。
その傍でメイドが部屋に入って来た。部屋に入った途端、メイドは鼻をつまんだ。
「お嬢様、もう朝で…うっ! 酒臭い」
「あ、ごめん」
「いえ! こちらこそ失言を…」
「大丈夫よ。…ちょっと、お風呂に入ってくるわね」
「自分の体臭は気付かない」とはよく言うが、今のレイラには容易に分かる。寧ろ、酒で記憶を失う、というルーティーンにウンザリしていたところだ。酒で潰れた夜の次には、身と口内を清めるところまでが、レイラにとっては考える必要も無い行動パターンなのだ。
――
力無く水が流れ、滴り落ちる音が響く。場所が風呂場ということもあり、普通の部屋と比べて音が余計に響く。
顔が見える。鏡に映った自分の顔が。一晩中布団の中で過ごし、酒による睡眠促進効果も得ていた筈だ。なのに、酷く疲れた顔をしていた。隈が目の下に黒く浮き出ている。
「今日は休んだ方がいいかな」
指で隈をなぞる。瞼を必死にこじ開けようと、彼女の体力が使われていた。
――
時を刻むその音が、いやに大きく響いていた。
ベッドに横たわり、息を吐く。歯磨きはしたが、酒の匂いが取れているかどうかが心配だった。けれども、徐々に重くなる瞼に、考えるのが面倒臭くなった。まだ昼前だというのに、もう目を閉じてしまいたくなった。レイラは腕を顔に置き、目を覆う。
「レイラ様」
その傍で声がする。三度ウンザリしながらも身体を起こす。また、メイドとは別の声だ。姿を見なくとも見当はついている。マナだ。
「マナちゃん、か……。」
「作戦については心中お察しします。ですが、後悔していても仕方ありません」
自分を励まそうとしているのは分かる。だが、マナの顔も同じように肉が引き攣っていた。
「あれ、アウルは?」
いつもは側近を務めるアウルが起こしに来るのだが、今日はマナだった。
「兄さんなら、先日の疲れで寝込んでいます」
先日の――『ダスタリア地区侵攻作戦』の事だ。
共和国軍の敗北に終わり、敵国に隙を見せることになった戦いだ。疲れるのにも頷ける。レイラも同様、いやそれ以上に、戦いで負った重荷に悲鳴を上げていた。身体的にも。精神的にも。
出来ることならレイラも一日中、布団の中で現実逃避をしていたかった。だが、共和国の軍事を担う人物がそんなものでは務まらない、と同時に思ってもいた。
「そう、まあいいわ。それで、今日の仕事は…」
「いえ。今日は、レイラ様にもお休み頂こうかと」
レイラの言葉を遮り、マナが意を伝える。
「…そんな訳にはいかないわ。私は、共和国軍の指揮官でもあるんだから」
「ですが…」
「大丈夫、私はポロネーズ家の当主よ。共和国の軍事の中枢を担う人間が、小さい事で音を上げてられないわ」
空元気――まさにその意味通りの状態だった。マナの目から見れば、主人兼指揮官のあからさまな演技はすぐに分かった。
共和国内での権威が高い分、責任というものが付いて回る。それをしっかりと考えているのは分かる。だが、それらの事に過敏になり過ぎるのは賛成出来ない。
「いいえ。あれは敵を侮り、機械に頼り過ぎた私達の責任でもあります」
今の共和国の軍事は、殆どAIや電子頭脳を核とした、ほぼ無限に稼動出来る様々なAI、アンドロイド兵器を使ってのものだった。だが、緊急時には人が戦うように定められている。
だがダスタリア地区侵攻作戦では、敵戦力が帝国の一部隊だと舐めてかかった。慢心が共和国人の心中に住み着き、人による部隊も対応が遅れた。結果、久しい期間を経ての敗北を喫した。負けなしと称えられた超大国が、並大抵の力しか持たない国に敗北したというのだから、一大事として扱われるのは必然だ。
アウルもその作戦の後処理に奔走し、ついに寝込んでしまった。
「取り敢えず、私は何とも無いから」
「レイラ様…」
そしてその責任を一番重く受け止めているのは、レイラ本人であろう。
――
執務室――レイラは会議の内容や戦果が記された資料をまとめていた。いつもと何ら変わりない仕事内容だが、それにやり甲斐を感じることは無い。仕事自体にやり甲斐を感じることなどある人間の方が少ないのだろうが、そう言う意味ではない。
(内政面に対しては問題ないとしても、軍事面にはそれなりに影響が出てるわね)
内政は共和国の政府が担当しているが、一部分ではポロネーズ家が携わっている。軍事貴族という権限もあるが、当家が共和国の繁栄に貢献したと言うのも理由だ。
一族の全権力、全責任を先代より受け継ぎ、今のレイラがいるのだ。最も…、レイラが共和国の軍事面や、内政面にまで干渉出来るのは完全に一族の七光りだが。
(もう少し陸軍を中線前方に配備するべきだったかしら)
「後悔先に立たず」…、まさにそれだ。だが、レイラにとってはある情報についての確証を得られなければ、行動を起こそうにも起こせないのだ。それも今に始まったことではない。
そんな中、同様に執務室で仕事をしていたマナ――今日はアウルが休んでいるため、マナが一人でレイラの手伝いをしているのだ――が口を開く。
「レイラ様。思い付きですが、プレテュード王国をターゲットにしましょうか?」
「王国に…?」
プレテュード王国とは、どちらかと言えば下級の先進国であり、フラーリッシュ共和国と同盟関係にある国だ。
王国は帝国の近辺に位置しており、ダスタリア地区侵攻作戦の際には、共和国の軍事施設と通信を繋ぎ、王国の基地から軍を出撃させたのだが…。
「少し、王国への支配を強化しておいた方がいいかもしれません」
「え、それは一体…⁉」
「次の作戦に影響があるかどうかは、まだ分かりません。ですが…」
マナは何か考えがあるようだ。彼女の目から醸し出される不穏な雰囲気に、レイラはたじろいだ。
――
カレンは基地の近くの河川敷に座り、溜息を一つ。彼女にしては、どこか珍しいようなそうでもないような…、そんな様子だ。
「この世界も変わっちゃったもんだねぇー」
「何昼間から黄昏れてるんですか」
後ろから聞き慣れた声がした。カレン自身にとっては、聞き慣れたと言うのはまた違う。とっくの昔から馴染んできた声、彼女に生活感を出す上で最も重要な役割を担っている一つの声。当然と言えば当然なのだろう。彼女達を結び付ける幼馴染という関係は、友人とは一味も二味も違う人間関係なのだから。
「あー、クラセルじゃん。ウィっす」
心成しか、クラセルと話している時が一番カレンは生き生きとしているように見える。
「相変わらずですね。あなたも…」
そう言いながらクラセルは、カレンの隣に座る。カレンの方は、愚痴を吐きながら道端の石を無作為に選んで拾う。
「そりゃあねぇ。毎日毎日戦争三昧、体も命もいくつあっても足りないよー」
いつもは単純な理由の元に行動している彼女だが、その実、現実的な思考が根幹として存在している。それによってカレンが提示する自身の考えや何かは、どれも理屈が骨になって通っていた。そしてそれは、誰よりクラセルがよく知っていた。
「同感です。しかも私達が配備されるのは、ほぼ前線ですからね」
「ゴミでも積めば壁になるってことかい?」
「捻くれた考え方ですね。まあ、あながち間違いでは無いんでしょうけど」
カレンはふてぶてしく呟き、クラセルは至って冷静に返す。
「バカタレ!」
勢い任せに叫ぶ。
同時、カレンの振りかぶった手によって石が河川の中に投げ込まれる。すると、その石はクッションにでも落ちたかのように飛び上がり、再度水面にその身をぶつける。その工程が三回程繰り返された後、石は水中へと吸い込まれ、姿を消した。
「あ、三回」
「見事です」
水切りが三回。カレンはその結果に喜ぶ訳でも無く、すぐに河川敷に寝転がった。
「はあー、つまんないの」
今は作戦の計画立案の段階。カレンにとっては退屈極まりない時間である。無理も無い。自身の興味を引くものにお目に掛かれる機会が少なくなってしまうのだから。
「そう言やあ、リューズ達は何やってんの?」
どうにか興味を引く話題でも無いかと、クラセルに話を振る。
「ついさっきまで、三人でトランプやってましたよ。バルカローレ少佐は途中から、ベランダでたばこ吸ってましたけど」
「ニコチン中毒かな?」
「きっとそうでしょうね」
カレンは何の気無しにリューズをディスり、クラセルは適当に話を合わせる。これもまた、彼女達の間ではいつもの事なのだろう。クラセルの話の合わせ方は、上司の話に適当に相槌を打つ部下のように、妙に手慣れていた。最も、階級上ではカレンがクラセルの上司である事は事実なのだが。
――
「ねえ、次の作戦って何かあったっけ?」
カレンが小指で耳をほじりながら尋ねる。
「はあ…」
クラセルは溜息を一つした後に答えた。
「北方侵攻ですよ」
「ああ、そうだったねぇ」
北方侵攻――北方地方侵攻作戦――はその作戦名の通り、帝国より北に位置する国へと侵攻する、と言う内容の作戦である。
作戦のことを聴いても仕様が無い、と言わんばかりにカレンはあくびをする。
その様子を横目に、クラセルは無意識か意図してか、ある話を切り出す。それは、二人の間では定説となりつつある話題である。リューズやレットには分からない、カレンとクラセルの二人だからこそ初めて伝わる話だ。
「……そんな態度じゃ、妹さんに顔向け出来ませんよ」
「クラセル…」
あまりにも唐突だった。先程とは打って変わって、カレンは低い声で幼馴染の名を呼ぶ。同時、芝に寝かせていた上半身を起こした。少し背中を丸めると溜息を一つ。そして髪をわしゃわしゃと掻き毟った。
――瞬く間の沈黙、その後に彼女は口を開く。
「その話さ、『やめて』って言ったよね?」
誰がどう見ても分かる。明らかにカレンは機嫌を悪くした。
当のクラセルは彼女の態度に臆する訳でも無く、かと言って悪びれる風でも無く、沈黙を貫いていた。暫くの時間が過ぎた時、先に沈黙を破ったのはクラセルだった。
「――忘れようとするなら、それらのことに対して一切の後腐れの無いように処理をする。それが、対象への最低限の礼儀だと思いますよ」
カレンは俯いたまま応答する。その声は、明らかに隣の人間に対しての呪詛を唱えるような、低く陰鬱な声だった。
「忘れようとしてる訳じゃないよ…。ただ、思い出したくないだけ」
「それを、忘れようとしてるって言うんです」
「…うるさい……!」
いつもそうだ。クラセルは、正論を並べる腕前は一人前だった。何も知らない事に対しても、常に正しい意見を提示する。そしてそれは、どれも非の打ち所がない。彼女を誰よりも知っているカレンでも、何も言い返せないのだ。
カレンはそんな彼女の強さが憧れであり、目標でもあった。だが、今はその憧れと目標の根源が障壁となって、カレンの前に立ち塞がる。否、カレン自身の咎を認めさせようとしてくる。
否、咎ではない。咎ではないのだが…。
「まあ、失言であることに変わりはありませんね。失礼しました」
クラセルは立ち上がり、カレンに軽く頭を下げる。カレンは歯を食いしばる。悪意あって正論を並べている訳では無いとは分かっている。だが、それが尚更気に入らなかった。余計に腸が煮えくり返るような思いだ。
そしてクラセルは、体を90度回転させ、捨て台詞を一つ。
「どうするかは勝手ですが、軍務に支障は出さないで下さいよ。マズルカ大尉」
そう言って、基地の方へと戻って行った。カレンはただ、黙っていることしか出来なかった。
――
「只今戻りました」
基地の寮、リューズの部屋にクラセルが戻って来た。と言うのも、先程彼女がそう言っていたようにリューズ、レット、クラセルの三人でトランプをして暇を潰していたのである。
「おー」
レットが平坦な声で返事をする。
――机の上には、無造作に置かれたトランプカードの山が出来ている。その傍でレットは頬杖をつきながら、何処か空を見詰めていた。リューズは変わらず部屋のベランダで、右手にたばこを携えながら口から煙を吐き出していた。
クラセルはレットに缶コーヒーを渡し、ベランダへ出た。そして、リューズに向けて右手を出す。
「一本、もらえますか?」
「……」
リューズは口を閉じたまま溜息を吐いた。そしてポケットからたばこの箱を取り出し、クラセルの前に差し出す。
彼女は何処か曇った表情をしながら、それを一本取り出す。
リューズは箱をポケットにしまうと、今度はクラセルにライターを渡す。彼女は火を点けると、日頃の上司と同じように口から煙を吐き出した。
「普段の行いからは考えられないな」
リューズは呟く。隣に居る女にとってもそれは知っていたようで、返す言葉も無い、と言った様子だった。
「私だって、何のストレスも無い訳じゃないんですよ」
クラセルは溜息を吐いた。その拍子に、少量の煙が彼女の口から飛び出していった。