呑気だと言われればそれまでだが、これもまた、彼らにとっては戦争の中での日常であった。
帝国陸軍第二三八大隊を含む帝国陸軍の師団は、北方侵攻に向けての準備に入っていた。とは言っても、第二三八大隊はまず一つの大隊として本部に集まり直す必要があった。
「司令部からも、召集掛けられてたな」
ダスタリア支部を出発した軍用車の中、レットは肘を突いて、流れゆく景色を眺めながら呟いた。
向かいの席に座る女は、どこかあからさまに不機嫌な様子であったので、刺激しないよう話しかけないことにした。一方、もう片方の窓際の席には、自分の同僚一人と上司一人が向かい合って座っていたのだが、そちらはさほど問題ないように見えた。
その実、こちら側と何一つ変わってはいなかった。
「やめておけ…」
「窓、開けてますよ」
「違う、万が一ニコチン中毒になったら…」
「あなたが言っても説得力無いですがね」
クラセルはリューズに手の平を見せ、タバコを渡すようせびる。その必死な様子は、餌を前に涎を垂らす犬のようであった。自分を客観的に見ればこう映って見えるのか、とリューズは思った。難儀なものだ。
「……」
遠くの陸軍本部が近付いて来る。リューズはそれを一瞥すると、咥えていたタバコを窓の外へ捨て、彼女の手には何も載せずに箱を仕舞った。クラセルは、声も出さずに手を引っ込める。そして、少々不貞腐れたように肘を突く。
「これ、いつまで続くんだ?」
レットはメールでリューズに尋ねる。指でキーボード叩くその様子は、敵対組織にバレぬよう任務をこなす新米のスパイのようであった。
「多分、お互いが折れない限りずっとだ」
リューズはここでも冷静であった。当事者であるクラセルと似たり寄ったりな箇所があるからこそ、彼は宥める事に成功しているのだろうか。だとするなら、レットはカレンと同じでバカっぽいという事になるが…。
「せめて司令部で内戦起こすのは、勘弁して欲しいけどな」
「そこは同感だ」
事の顛末を粗方、リューズは知っている。とは言っても、先日の二人のケンカの様子を、遠目で盗み見ていただけであるのだが。
言っている間にも、陸軍本部が近付いて来る。日光が窓に反射しキラキラと光った。リューズ達の都合など、どこ吹く風だ。
帝国軍陸軍司令部――本部の中に位置するそれは、自分達の所属する職場であり、自分達の帰還すべき場所であり、生と死の境界線が究極に薄い場所であった。
――
彼女達は一向に顔を合わせようとしない。つまるところ、顔を合わせるタイミングを見失ったと言った方が正確だった。
他の第二三八大隊の団員がリューズ達の元へ集まって来る時も、決まってその二人の周辺には、目には見えない壁が出来ていた。最も、二人の間に見えない壁が出来ていることは説明不要だろう。
「――」
「――」
二人の間にあるのは、沈黙だけだった。それとは対照的に、周りの空間は面白いくらいに騒がしい。多分、どちらかが声を出そうとしたとしても、全て周りの騒音が吸収してしまうことだろう。
「一体何のための召集だ? ついに子供が出来ましたーってか?」
「なら徴兵されるだろうから、すぐに会える」
「成程なー。女だったら少し口説いてみるか」
「お前、そろそろ憲兵に連れていかれるぞ…」
リューズとレットはと言うと、二人の仲違いの処理を諦め、世間話に花を咲かせていた。
――
――第一五九師団は陸軍の中でも特に有力株とされる師団で、第二三八大隊が含まれている師団でもあった。そんな師団の構成部隊に召集がかけられ、こうして集まっている所以とは…。
簡単だ。次の作戦の『北方地方侵攻作戦』、略して『北方侵攻』についてのものだ。今回の作戦の主導はこの第一五九師団が務めているものだったらしい。
「先に来た人から着席してください」
体育館のように広いフロアにて、リューズ達は決められた配列で椅子に座る。どこもかしこも人、人、人。リューズにとってはその空間は苦痛でしかなかった。落ち着こうにも人が集まっており、おまけに召集の命を受けた身とあっては、タバコを吸うなど身勝手極まりない。
苦悩する彼をよそに、事は着々と進んでいく。師団に所属する全ての団員が集まった頃、一人の男が壇上で話を始めた。
「これより、師団長の挨拶がある。今回の作戦の指揮官でもあるため、よく覚えておくように」
男が言い終わるのと同時に、また一人の人間が舞台に上がって来る。
「?」
師団長と言うからには階級も自分らより上だ。ならば、必然的に年も取っている筈である。だがその師団長の風貌は、今のリューズ達と左程変わらないように見えた。どことなく若々しい。道行く者達は、皆振り返ってしまいそうな凛々しさがあった。
「何か凄い人だなあ…」
リューズの後ろに並んでいるカレンが、小さく言葉をこぼした。そこについては、リューズも同意見だった。
壇上に上がり、師団長は口を開く。
「諸君。突然の召集に応じてくれたことに、まずは感謝する」
見掛け倒しにもならず、凛々しく、それでいてよく透き通る声だ。「鶴の一声」とは言うが、この師団ではこの人物がその鶴となるのだろう。師団長ともなる訳ではあるから、当然と言えば当然だが。
「私は、今回の作戦の指揮官を務める第一五九師団師団長、レベッカ・ワルトシュタイン少将だ」
ギャラリーは騒ぎ出す。
「え? ワルトシュタイン少将?」
「あの『殺人ロボット』のか?」
「凄い! これで怖いモン無しだ」
「いや、ある意味私達もヤバいでしょ…」
様々な声が飛び交う中、レベッカは一言でその場を制する。これが先程言った、「鶴の一言」というものなのだろうか。
「静粛に…!」
そこに居る全ての人間が蛇に睨まれた蛙となった時、レベッカは静かに演説を始めた。
「まずはここに集まって来てくれた事、感謝する! そして、この長きに渡る戦争でここまで生き残ってこられた事、誠に大義である!」
今までの共和国の攻撃を受けて来た上での生き残りは、それぞれに相応の覚悟があったことの証左だ。何せ、覇権国と謳われる程のパワーを前にして生き残ることは、それなりの技術と運が無ければ到底叶わない。並大抵の精神や人間性では成し遂げられない所業だ。
「だが、それは今に始まった事では無い。四年間、そして六年間に渡り皆を苦しめた。そして今、始まってから18年が経っている。過去の事例と比べても、死ぬことが、より身近にある世界になってしまったのだ!」
話の意味は分からなくもないが、リューズにとっては言っていることは、少し自分の考えと違った。
「私の本来の目的は、この戦争の終結だ。これ以上、帝国内で死者を出すのは本意ではない。共和国を抑えるには、少しでも力を蓄えなければ話にならない。『北方地方侵攻作戦』はその先駆けだ」
レベッカは強い口調で言う。その外観は一種の洗脳行為のようであったが、帝国軍人でもある皆にとっては、共和国を抑えるという目的は同じだった。
だが端的に言えば、勢力拡大を目的とした作戦であることには寸分違わないのである。それでも、強敵に迎え撃つためには勢力を強化しなければならないことは、火を見るよりも明らかであった。
「長々と喋って来たが言う事は一つ、……死を見据えて覚悟しろ!」
何であれ、この作戦には今までの覚悟では望めない。
「では、一旦寮にて待機とする。一三〇〇に各大隊の隊長を集め、会議室にて作戦会議だ! 今はここに来るまでの疲れをとっておけ」
ひとまず解散となった。
リューズ達は、二人一部屋の構成で決められた部屋に通される。リューズもまた、一つの部屋に通される。
「よろしく…」
「どうも」
ルームメイトはクラセルだった。そのことに少々の溜息を吐くが、いちいち構ってはいられない。衝撃を受けすぎるとどんな壁でも崩れるのだ。
午後1時には作戦会議であるため、リューズはいち早く布団で仮眠をとる事にした。出来れば、夢は見たくないと思った。
――
――北方に位置する天下統一を叶えた三国の内の一つ――ハーディングフェーレ公国は、力を蓄えていくウニゾーン帝国を脅威として見ていた。
と言うのも、二週間程前の『ダスタリア地区侵攻迎撃戦』は、帝国の名が再び全世界に衝撃を与える切っ掛けとなっていたのである。まさに、能ある鷹が爪を使い始めたのだ。
「調子こいてるだけ…、って訳じゃなさそうだね…」
無理も無い。それは覇権国、フラーリッシュ共和国を初めて退けた攻防戦なのだ。超大国が撤退する程の威力を持っていると言うのだから、当然のことながら波紋を呼んだ。チャンスがあれば、歴史の教科書の年表に書き記されることであろう。
「このウニゾーンって奴、ブラックリストに入れとこうか。あんまり気が進まないけど…」
一人の女は執務室の中、カタカタとキーボードを叩く。そしてある時、何処か別の場所へと電話を繋いだ。
――
――レイラは携帯電話を受け取ると、耳に近付ける。
「はい」
自身でも驚く程に重々しい声が出て来た。誰がどう見ても分かる。彼女の精神は疲弊し切っている。日頃から蓄積されたストレスが、ある時に爆発を起こすのと同じだ。今のレイラは爆発の一歩手前の状態なのだ。
「いい加減休んだらどうですか、レイ姉」
「あなたもそう言うのね、ノラ」
電話先の主――ノラと呼ばれる女は部下と同様、レイラに休養を強く推奨していた。だがそんな些事な安らぎでさえ、レイラは無駄だと切り捨てる。いくら意識が高いとは言え、自身の健康を害してまで任務に就くと言うのは好ましい考えではない。
レイラは溜息を一つ。そしてまた、声を紡ぐ。
「それはそうと…あなた、情報の解析は出来た…?」
「情報って、幼馴染君のこと?」
対照的に、ノラはあくびをしながら応答する。レイラはすかさず訂正を挟む。
「幼少期によく一緒に遊んでたってだけよ」
「それを幼馴染って言うんだよねー」
レイラの認識が正しいのか、ノラの認識が正しいのか。今はそこが論点ではないのだが少なくとも、レイラの記憶の中にあるその人物が、彼女にとって無視出来ない存在となっていることは確かだ。
「ふざけないでちゃんとやってよ!」
「分かってるよ。結構、レイ姉にはお世話になってるから…」
ノラは再び溜息を一つ。どうやら彼女はレイラに対し、少々の呆れや疲れを感じているようだ。それが問題の主軸という訳でも無いが、彼女にとっては、現在レイラに依頼されている事自体がどうだっていいことだった。ただ仕事をこなす、それだけだ。
「じゃあ色々分かり次第連絡、ってことで良い?」
「ええ、それで構わないわ」
ノラは電話を切ると、再びキーボードを叩く。
――
普通の仕事かと言われると少し違う。人間技とは思えない程の手際の良さと、そこで何が起こっているのかも分からないような速さでのタイピングだ。
そして、Enterキーを一つ。
――タンと小気味いい音がした後、彼女の目の前の画面には、目も眩む程の数のデータが並べられた。
「このノラ様にかかれば、ハッキングなんて朝飯前だね」
ノラは自慢気に呟き、中指でメガネを押し上げた。
毛筋程にも配慮をせぬその侵入者は、彼らのものをいつ貪り食ってやろうかと、喚く腹の虫を抑え込んで待機していた。