Cross-two Night   作:滝村亜華音

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『Hacking to the Frontier』

 紅い水面に、自分の顔が映る。何より見てきた光景だが、水面の中の顔は初めて見るものだった。

 

「――」

 

 死人のようだ、とレイラは思った。目の下の隈も黒く、頬もどこかやつれているように見える。

 

 ――夜通しで情報収集でもしていたのだろうか。

 

「……嫌なモノ見たわね」

 

 今の彼女にとって水面や窓ガラスなど、鏡の役割を果たすものは、この世の何よりも邪魔なものとなっていた。今の顔には、淑女としての威厳は感じ取れない。だからと言って、ティーカップを床に投げ付ける訳にもいかない。それにこそ軍事貴族としての威厳は皆無だ。

 

 紅茶をテーブルに置き、テーブルに肘を突き、またしても頭を抱える。

 

「AI軍も大きな痛手を負ったし…」

 

 この精神状態も何回目であろう。一種の鬱状態とも言えなくもないが、今までは指揮官としての責任感のお陰で、どうにかここまで歩を進めてきた。

 因みにAI軍とは、人工知能を搭載した機兵、戦車、戦艦、戦闘機で構成された、AIのみの戦闘部隊の総称である。

 だがダスタリア地区にての敗北が、彼女に向けられた信頼を容赦なく敵意へ変換しようと牙を研いで待ち構えている。そんな事にもなれば、レイラの心もいよいよ壊れてしまう。

 

 『現実に打ちひしがれる』とはこの事なのだろうか。いや、それとこれとはまた別の話のようにも感じるが。

 

(子ども…。生きていたら多分、私と同級生くらいかしら。だとしたら、同盟国も合わせて国民のデータを漁れば…。いや私の担当は軍事だけだから、国民のなんて見られないし。見れたとしても軍に所属か関与している人達だけ…。はっ、もし敵対国に囚われていたりしたら……)

 

 鬱状態の次は早とちりだ。僅かながらに残っている記憶の断片を頼りに、レイラは稚拙な憶測を並べる。根拠や定義などまるで無い。であるならば、そこから出る行動は世間知らずな赤子と見紛うくらいの身勝手さだ。

 

 生憎、自分は軍事貴族であって独裁者ではない。

 

 せめて行動ができるくらいの理由が欲しい。そこで、ノラにあらゆる国の機密情報のハッキングを依頼したのだ。レイラが見ることのできる機密情報は、あくまでも軍事に関係するものだけだ。だからこそ、ハッキング技術を持ったノラに協力を仰いだという訳だ。

 

 我ながらに我儘だとは思う。しかし、それ程に気になってしょうがないのだ。

 

「今はノラに殆ど任せっきりだけど、私も私で出来ることをしなきゃ…! はっ……、そう言えば…」

 

 レイラは軍服を羽織ると、思い立ったように自室を出て行った。

 

――

 

「外に出る事自体が久し振りに感じるわね。部屋の中で過ごし過ぎたかしら。これじゃ、ノラと一緒ね…」

 

 自嘲気味に呟くと、レイラは痛みに喘ぐ頭を抱えながら歩く。

 

 廊下――先日、会議室に行った方向とは正反対の方向へと歩いていく。足取りはその時と比べて重いようだったが、今の彼女には左程重要ではない。

 

(確か、あそこに)

 

 長い廊下を歩く。自身の部屋のドアから数えて7つ目の扉、そこが父の書斎であった。レイラにとっては幼い頃に聞かされ、その時に少々足を踏み入れた程度の場所だ。つまり彼女の認識上では、そこは未開地の如く、初めて目の当たりにするに等しい場所なのであった。

 

(多分、久し振り過ぎて殆ど忘れているでしょうね)

 

 レイラが幼かった頃から共和国軍に属していたアウルならば知っていたのだろうか。否、ポロネーズ家の、ましてやレイラの側近兼護衛として就いたのは最近のことだ。

 

 まあ、そんな昔話はどうだっていい。

 

 兎にも角にも、今彼女の目指す先は父の書斎だ。まだお目に掛かれていないお宝が眠っている筈、そんな蝶の羽が起こす風のように些事な期待を抱きながら、未開地へと足を踏み入れる覚悟を決めた。

 

「図書館に無いのなら、もしかしたらって思ったけど…。今までの不発の経験から考えると、期待はあまりしないのが吉ね」

 

 屋敷の図書館とは一線を画される理由。それは至極単純なもので、共和国の軍事の機密情報も取り扱っている可能性があるから、というものであった。以前の共和国軍の指揮官として立ち回っていた父ならば、あり得ない話ではないと思うが…。

 

 しかし、死人になんとやらだ。

 

「まさに『藁にも縋る思い』ってやつね。同時に、『一寸先は闇』って感じもするけど…」

 

 レイラは焦げ茶色のドアを前に、きつく唇を結んだ。

 

――

 

 暗闇。程なくして灯りが点された。どうやら人が入ると、自動的に電気が点灯する仕組みのようだ。

 

 天井から降り注がれた光の雨は、睡魔によって閉ざされかけていた、レイラの瞼を無理矢理抉じ開けた。一瞬にして光の世界へと放り出された彼女の視界は、目も眩む程の数の書物を映し出した。と言うのも、父の書斎はどちらかと言えば書庫と言う方が適切で、そこのフロアはどこもかしこも本、書物、資料で溢れ返っていたのだ。

 

「ここに共和国の機密情報でも載っていれば、だけどね」

 

 情報と文字の海に落ちた瞬間の彼女は、意外にも冷静な様子だった。

 

(父さんはそれなりに几帳面な人だった。いつの日か、『戦いの成果だけじゃなく、戦場の状況や戦火の跡地の様子も逐一記録している』って言っていたし…。もしかしたら、帝国の情報もここに入っているかも……)

 

 父の性格から情報の有無や精度を推測する。その推測が、情報検索の過程で好転するか悪化するかは、これからの物事の動きで分かることだ。

 

「ここでも無かったら、もうなにもかもそれまでね…」

 

 深呼吸を一つ。そして、入ってすぐの右隣の本棚に手を伸ばした。

 

――

 

 暗い部屋の中――正確には明かりが無い訳ではないが、それはよく目を凝らさなければ見えるものではなかった。と言うのも、その領域における明かりとは机の上のデスクライトと、パソコンから溢れ出るブルーライトしか存在していなかったのである。

 

「さてと、取り敢えず共和国とか王国のデータでも見ますかー」

 

 パソコンの前に張り付く一人の少女、ノラ・セビリャーナは何の気なしに、と言った様子で流暢にキーボードを叩いていた。

 

 彼女はハッカーだった。否、ハッカーだというのは語弊がある。外面を見れば中級貴族――セビリャーナ家のお嬢様なのだが、ノラの持つ趣味というのが貴族の御令嬢のそれではなかった。

 

「その前に、お気に入りのサイト巡回っと」

 

 元々、彼女の趣味はパソコンいじりだったのだ。両親からは『貴族の人間の持つ趣味ではない』と否定されているが、そんな意見にはシャッターを閉めて生きている。元来人と関わるのが苦手なノラにとって、外交的に振る舞うという事の方が理解出来ない行動だ。

 

「それにしても、レイ姉も面倒な任務頼むよねー。そんな急に話進める? 何か、初めて親戚が厄介に思えたよ…」

 

 何であれ、自分には自分に合った生き方というものがあるのだ。彼女にとっては、それがたまたまインドアなものだったというだけだ。何もおかしくはない…筈だ。

 

「よーし、巡回完了。じゃ、データ漁りますか」

 

 ノラは自身のお気に入りのサイトのフォルダを閉じる。同時、フォルダを隠れ蓑として息を潜めていた機密情報と思われるデータベースが、その姿を露にした。

 それは一見、黒の背景に白の文字の羅列のようでしかないが、ノラには違うように見えているらしい。

 

「さて、何から見て行こうか…」

 

 キーボードから手を離し、右手を傍のマウスに乗せる。彼女がマウスを動かすのに比例して、画面に表示されているカーソルが動く。

 カーソルが文字の羅列と重なった瞬間、カーソルの形が矢印から人の指へと変わった。それとほぼ同時に、ノラは文字の羅列をクリックする。

 

 これまた画面に表示されたのは、ある国のデータだった。

 技術、経済、商業――そして軍事や人民の個人情報ですらも、恥ずかしげも無く書き連ねられていた。

 

 プライバシーもクソも無いな、とノラは思った。事実、ハッキングされてしまったセキュリティーなど、そんじょそこらに転がっている潰れた空き缶となんら変わりない。最も、ノラのハッキング技術の前ではどれ程強固な壁であろうと、瞬く間に瓦礫の山に早変わりするのだが。

 

「まあでも、私の言えたことじゃないか」

 

 敵方の情報を強制的に開示させる事ができたというのに、それを行ったノラ自身は、素人目に見ても分かる程に憂鬱そうな顔をしていた。

 気でも狂ってしまうような大多数の情報。その最上部には、このような単語が書き留められていたからである――『ウニゾーン帝国』

 

 ノラはエクスプローラーに保存している「ブラックリスト」という名のフォルダを思い出す。と言うのも、先程そのフォルダの中に、現在画面に書き記されているものと、寸分違わぬ単語を書き留めてきたところなのだ。

 

「よりにもよってこいつに当たっちゃったか。ま、ハッキングするくらいならケガはしないでしょ」

 

 ノラは慣れた手付きで、マウスのホイールを転がした。

 

――

 

 スクロールされる画面には、様々な人間の顔写真があった。顔写真の右には、白く小さい文字で、その顔写真の人物のものと思われる人名が書かれていた。

 

「で、レイ姉の幼馴染君というのは…。同級生でも漁ればいいか」

 

 だがノラが経験してきたハッキングの歴史の中では、学校の音楽室における楽器のように見慣れたものとなっていたため、嫌でも何食わぬ顔で作業をすることは彼女の中では日常となっていた。

 

 彼女のメガネのレンズに、パソコンの画面が反射して映る。ブルーライトを遮る機能は搭載されているものの、暗い部屋に強い光があるのだ。さらに、親戚の頼みのために惜し気もなくキーボードを叩き続けている。自然と、ノラの瞳孔と指は悲鳴を上げていた。

 

 だが、彼女の脳はそんなことなどお構いなしだ。依頼された任務を遂行するまで、決して目や手に休養の要請など与えない。

 

「お、あったあった」

 

 暫くは、個人のプロフィールや生い立ちなどの情報を見て回っていたが、どれも期待していた以上の情報はなく、内心ガッカリしていた。マナは途中から、友人の家で一押しだと見せてもらった映画が眠ってしまう程に面白くなかった、そんな気分になった。

 

「あー、もう何もないかなー。レイ姉には悪いけど…」

 

 いつの間にかマウスからも手を離し、椅子の背もたれに寄り掛かりながら両腕をぐいと伸ばしていた。

 

「まあ私も無慈悲じゃないし、最後に何か詳しく調べてみますか」

 

 ノラは再度、マウスに手を置くと、適当に選んだ顔写真をクリックした。それは幸か不幸か、はたまた運命のいたずらによる偶然か、写真の右にはこう書かれていた。

 ――『リューズ・バルカローレ』

 

――

 

 ノラは詳細を読み上げる。

 

「えーっと…リューズ・バルカローレ。身長169㎝、体重56㎏。階級は少佐。出身は帝国の地方の『アコール地方』。一人っ子で両親は既に他界…。なんかレイ姉と似たような境遇だね……。えーっと…あとは…。ひえー、大隊長かぁ。ってことはそれなりに軍の中でも立場があるってこと? おっかないなー」

 

 偶然引き当てたその青年は、どうやら帝国の軍務に勤しんでいるようだった。ノラにとっては軍務など、地獄にて罪人に課される苦行のごとく恐ろしいもので、想像しただけでも身の震えの止まらぬ行為だ。

 

 最も、今のノラは趣味にこり過ぎたお陰で、ほんの少しの外出さえ嫌うようになってしまった。俗に言う「引き籠もり」というやつだ。だが、一日の中で左程運動もしていないのにも関わらず、彼女の体型は一向に細身のままである事は、有体に言えば謎であった。

 

 それでも、ノラにとってはそんな話はどうだっていい。

 今は目の前の画面に表示されている青年の情報を、事細かく調査する事が、何より重要な任務なのだ。

 

「さて、取り敢えずここのURLでも送っておけばいいかな。いちいち口で説明するよりかは、見てもらった方が早いだろうし」

 

 ノラはメールウィンドウを起動させ、文字を打ち込む。勿論、宛先はレイラのパソコンだ。

 

「ここから何が起こるのか、案外見物かもねー」

 

 彼女は悪意なき微笑を浮かべると、送信ボタンにカーソルを合わせ、マウスのボタンを一押しした。

 

――

 

 書斎の椅子の上で目を覚ます。瞼は力を入れる必要も無く、すんなりと開いた。どこか心地いい。瞼の隙間からじわじわと入り込んでくる光が、徐々に、またゆっくりと彼女の脳髄を覚醒させていく。

 

「ん……うう…」

 

 目覚まし時計のように音で叩き起こすものは、完全には覚醒できず、脳にも身体にも悪影響だとどこかで聞いたことがある。それと比べるとここまで違うのかと、妙に目から鱗が落ちた。

 

「――っ!」

 

 どうやら、眠ってしまっていたらしい。

 

「居眠りしちゃったのね。私としたことが…」

 

 顔を上げる。書斎の壁の天窓から紅い光が差し込む。時刻は夕方時のようだ。

 

「結局何もできなかったわ。明日また出直そ」

 

 椅子から立ち上がり、首と肩を二、三度回す。眠る前と比べ、些か身体が軽く感じた。たった今の睡眠の効果であろうか。

 

 このまま書斎に入り浸るという手もある。だがそれをしてしまうと、ノラと同じような引き籠もりになってしまう。否、完全になってしまう訳ではないが、可能性はゼロではない。と言うのも、人と関わるのが苦手だという点では、レイラとノラは同じなのだ。

 

「はあ…。私何しに来たんだろ」

 

 レイラは書斎を出る。

 その時の彼女の顔は入る時とは対照的に、目の下の隈は消え、頬のやつれも消えていた。顔もどこか血色が良い。気持ちも落ち着いている。どうやら爆発寸前にまで蓄積されていたストレスは、どういう訳か、睡眠中に一種のガス抜きに成功したようだ。

 

――

 

 片付けを終え、書斎を後にする。その時には、空の紅の色を黒が侵食しかけていた。一筋の光も通さぬその黒は、人一人の運命がどうなろうと知った事ではないようだった。

 

 部屋へ戻る道中、手の中に一冊の本があることに気付いた。

 

「間違えて持って来ちゃったのか…」

 

 レイラは暫く考えた後に閃いた。

 

「そうだ、部屋で調べよう。何かあるかもしれないし…」

 

 睡眠不足のお陰で今まで身体が不調を訴えていたということは、今の彼女はとうに忘れているのである。

 

――

 

 夕食と入浴を終え、自室のベッドに身を預ける。目には天井しか映らない。何の気なしに見ていた空間ではあるが、どこか言いようのない虚無感があった。底の見えない空間に体をポイッと投げ出されたかのような。はたまた、誰一人居ない空間に自分一人だけが取り残されたかのような。事実、今のレイラの自室には、レイラ自身以外誰も居ないのだが。

 

「……」

 

 首を90度左に回す。そこにはいつも通り、彼女が使っているテーブルがある。椅子も一つ、すぐ傍に添えられ、小さくまとまっている。だが一つ、いつもの光景ではないものが紛れ込んでいた。

 

(そうだ、本)

 

 書斎から持って来てしまった本のことだ。

 

 レイラはベッドから起き上がり、その本を気に掛ける。そして、半ば現実逃避でもするかのような、他の何かに縋り付きたい思いで手に取った。その時の顔は、いつかの侵攻作戦の時のように暗い面持ちだった。またいつものように小さなことで深く考える、彼女の悪い癖が出できたようだ。

 

 ベッドに仰向けで寝転がり、本をパラパラとめくる。内容など覚えていない。ページをめくる度に小難しい文字が敷き詰められているからではない。内容は理解できる。理解はできるのだが…、どうにも脳が拒絶反応を示しているのだ。

 

「はあ……、明日にしようか…」

 

 表紙を閉じかけた時、ページの中から一枚の紙切れがハラリと落ち、レイラの鼻頭を直撃した。その拍子に思わず両目を瞑ってしまった。

 

「あで…。もう何よ、次から次へと」

 

 顔面に覆いかぶさるようにして落ちてきた紙切れを、自身の身に降りかかる不幸への呪詛を紡ぎながら引き剥がす。

 

「…ん?」

 

 顔から右手に移ったそれは、紙切れではなかった。

 

「これ、写真?」

 

 写真…。そう、写真だ。レイラの手には写真が握られていた。どうにもその写真は、一人の子どもと思われる人物が映っているようだった。目測でなら、6歳前後だろうか。

 

「誰だろ…。まあいいや。またあとでノラに調べて貰おう」

 

 同時刻、とある引き籠もりの女が布団の中で寒気を覚えたことは、また別の話である。

 

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