「それではこれより、北方地方侵攻作戦の作戦会議を始める」
一三〇〇――会議室へ各大隊の隊長が集められ、作戦会議が始められることになった。
厳格な雰囲気が会議室に充満し切っていたその時、リューズの隣にいる別の大隊長が、そのピンと張り詰めた空気を切り崩した。
「ワルトシュタイン少将、大隊の隊員達にはなぜ召集をかけなかったんですか?」
「問題はない。彼らの部屋のモニターに、この会議の様子をオンラインで中継してある」
レベッカは眉一つ動かさずに答える。
事実、寮の部屋の壁をスクリーンとして、各部屋の隊員へチェスの駒が載せられた地図の様子が中継されていた。リューズと同室であったクラセルは、それを静かに見ていた。
リューズは少将に意見したその大隊長を一瞥すると、すぐ盤上のチェスの駒に目を移す。恐らく自軍の駒を白、敵軍の駒を黒に見立てているのだろう。地図上では帝国本土に白の駒、些かの海を挟んで北に位置する国に黒の駒が載っている。
「今回の目標は『ハーディングフェーレ公国』、北方三国の中でも随一の国力を持っている。一見無謀な戦いとも思えるだろうが、ここを制圧しなければ勢力拡大は叶わん…」
因みに、帝国の領土はそこまで広い訳ではない。確かに、本来ならば他国の侵攻や吸収によって大人しく消える筈だった。だがそれでも、戦争の中で帝国が地位を確立できた。
その由縁は、後進国の中でも卓越した技術力と、軍人達の持っている蠅かネズミかと見紛うくらいのすばしっこさだ。
そしてレベッカは、そんな中でも飛び抜けたすばしっこさを持っていた。
「今回の作戦では、主に四つの部隊に別れて進める。本命が二つ、偽物が二つだ」
「陽動ですか?」
リューズはレベッカに尋ねる。彼女の語尾に噛み付くような、直後の発言であった。
「それくらいの備えは必要だろう」
一体どこからどこまでがレベッカの計算なのか、それはリューズには分からない。だが戦いこそが軍の存在する意味とも考えているリューズは、例え特攻作戦でも何でもござれと思っていた。
彼女が、部下を木っ端のように扱う輩だと言いたい訳ではない。しかし、優しさばかりでは生きてはいけないのが現実である。しかも、世界各国が仲良く戦争をしている今なら尚更だ。
どこかで聞いた。「軍は国民を守る盾であり道具である」と。そんな軍の中に身を投じたのは、紛れもない自分だ。なぜ軍人を志望したのかは、全くと言っていい程覚えていないが。
「――作戦はAルートからDルートに分け、それぞれ同時進行で行う」
レベッカが地図に指を置く。
地図上では、公国は大陸から少しはみ出したような形状をしている。繋がっている陸地はないわけではないが、決められたルートを通るしかない。この場合、公国の都市へ辿り着く事のできる経路は4つしかない。否、4つもあると言った方がいいだろうか。
「まずはAルート――」
――
寮の2階、西棟の角部屋。そこにレットとカレンは居た。
「私だって、好きでここまで生き延びてきた訳じゃないんだけど…」
「……」
乙女はぼやき、青年は黙った。
レットは壁に寄り掛かりながら耳をモニターに向け、目をカレンに向ける。彼がいつも目の当たりにしていた事象は、起床寸前の夢景色のように一瞬で、かつ跡形もなく消失してしまったようだ。
「部屋の入れ替えって本来ダメだったよな。ってかそもそも、恋愛自体が軍則で禁止だし……。もし、これをいつものリューズが見たらどう思うことやら。まあ向こうも今は同じだけどよ…」
カレンはというと、ベッドに座りながら頭を掻き毟っている。作戦も耳には入っていないようだ。険しい顔をしているのだろうが、俯いているように顔を下方に向けているせいかよく見えない。
溜息を吐き、頭を掻く。普段は、まさに獲物を前に構えをとる猛獣のごとく欲望に忠実なレットだが、人間としての理性は機能している。絶えず戦場に身を投じる軍人ならば尚更だ。
この部屋の入れ替えというのも、今は二人を落ち着かせるのが先決だと判断したレットにより申し出られたものだ。流石のリューズもそれには同意したようで、今に至る。
(ま、俺をカレンと同席させたのはいい判断だったと思うよ。俺みたいな、理性の効かねえ性欲暴走機関車が同室だったとしても、カレンなら容赦なくぶっ飛ばせるからな)
部屋の割り当ても、リューズが考えたうえでのもののようだ。
幼馴染とは言え、考えや価値観の違いなどによるケンカは免れないのか。それとも、幼馴染だからこそ生じるいざこざなのだろうか。何であれ、今は距離を置いた方がいい。それぞれが考える時間を設けることもまた、必要な手間だ。
最も、争いの仲裁などレットにはできたものではない。彼にできるのは、精々気休め程度に励ますくらいのものだ。元来彼は口論や弁明が苦手だ。下手をすれば双方を刺激し、状況をより悪化させかねない。
「まあでも、今は作戦を頭に叩き込むことに集中しようぜ。いちいち引き摺って軍務に支障が出ちゃあ、それこそ仕事以前の話になっちまうぞ」
「ハイハイ……。いつまでも過去を引き摺るような、そんな未練たらたらなメンヘラ女子じゃないですよー。カレンさんは」
「ツッコまねえぞ?」
カレンのいつもの好奇心も、今は一時休戦となったようである。
――
「続いてBルート――」
レベッカは淡々と説明する。リューズもまた、地図の上で、彼女の指によって動かされる駒を見ていた。その時、
「――?」
不可解な音が、ほんの一瞬の間だけ彼の思考の邪魔をした。
無理も無い。その音は人間達が腫れ物のように忌避し、親の仇のように敵視してきたある一つの昆虫の這い回る音に告示していたのである。それは他の何かを揶揄したような表現などではなく、たった今耳を掠めた音を、これまでの人生においての経験や知識から割り出した末に出た結論だ。
一般的には、人間が『G』と呼んで忌避する生物のことだ。事実、黒く小さいその生物が、会議室の物陰に隠れていたのである。
――
その部屋では変わらず、女が目の前の画面に双眸を貼り付けていた。
「ふーん、面白いこと考えるじゃん。共和国のやつら」
ノラは、左手に持った炭酸飲料を喉に流し込む。既にぬるくなっていたため、彼女は舌を出して息づいた。
「うーえぇー…。ちょっとパソコンいじり過ぎたな」
一般的に販売されている炭酸飲料の炭酸は、飲料自体が冷たい状態であるからこそ、美味しく感じるものだ。プラスチックのボトルでは、パソコンいじりの間の保温には耐えられない。
――一方では、ノラは、部屋の外の厄介者への対処に頭を悩ませていた。最も、部屋の外に居る彼女の両親、延いては世間一般と言う名の偏見の塊のような群衆から見れば、ノラの方を厄介者と言うのだろう。
奴らの心無い言葉には慣れた。一方で、親戚からの無理難題には一向に慣れなかった。
「ま、帝国も帝国で面白そうか…。でも、そう悠長なこと言ってらんないのが現実なんだけどね……」
ノラはペットボトルの蓋を閉めると、またしてもキーボードのEnterキーを叩いた。画面には、9つの人物の顔を映したモニターが現れた。
――
「はーい。みんな集まってる?」
誰であろう? ただ、傍から見てみれば様々な威厳ある人物が映っていた。ノラは9人全員の顔が画面に映っている事を確認すると、口を開いた。
「さて、みんなには伝えた通り、南のある帝国が最近暴れ回ってるって事なんだけど……」
すると、画面に映る別の人物が喋り出した。軍服と勲章という見た目から、公国軍の大佐だと推測する事は容易であった。
「どうするのですか? 我がハーディングフェーレ公国は、中級の国力しかありません。同盟国の一角であるということが、唯一の救いと言ってもいいでしょう」
主に先進国で構成された軍勢――同盟国。
「ま、共和国の後ろ盾があるだけマシなのは確かだね。でも、頼りっきりだと支援とかしてくれなくなるかもしれないし」
同盟と言うのも聞こえは良いが、その派閥の中でも、主導権は殆ど共和国が握っているようだ。
派閥が存在するのならば、必ずそこで上下関係は発生する。それは否が応でも発生する事態であり、何の防ぎようのない事であると、人類の歴史がそう証明しているのである。
権力を手にした人間がどう行動するのか、それはいつの時代でも同じであろう。今回は同盟国という派閥という中で、上下関係の最上部が共和国だったというだけだ。
(ま、レイ姉が何の理由も無くそうするとは、とてもじゃないけど考えられないけど。やるとしても、説明くらいはするだろうしね)
「しかし、相手は後進国。我々が恐れるような相手ではないでしょう」
中級と言えど、公国は先進国だ。国民がそうやって高を括るのもある意味仕方がないと言える。公国の人間にとっては昔からそれが当たり前だったのだから、今更彼らの意識など、変えられたものではない。
しかし、ノラは違ったようだ。
「そう言い切るのは余りにも早過ぎますよ、裁判官さん? 戦場じゃ、そうやって調子に乗った人から土に還っていくんだから」
彼女は片方の口角を吊り上げる。
「公国が全滅、そして更地になるなんていう事も、確率はゼロじゃないんですよ? 帝国は、下級の先進国とならやり合えるらしいから。それとも……、」
かと思えば、先程までの雰囲気とは打って変わって、睨むように鋭い目で、責め立てるように低い声で言った。
「アンタが戦場に行くか?」
「も、申し訳ございません! ノラ様」
ノラの言葉に、裁判官は身を震わせる。
何故彼女がそこまで凄んでものを言えるのか。
簡単な話だ。ここは名に「公国」とあるように、貴族が君主となる国だ。王国では王が、帝国では皇帝が君主であるように。つまりは、ノラの一家である貴族――セビリャーナ家が、このハーディングフェーレ公国の実質的な全権を握っているという訳だ。
それは、セビリャーナ家の一存で公国の全てがどうにでもなることの裏付けであり、ノラの鼻先一寸で皆が膝を折ることの暗示であった。
「ま、分かれば良いんですよ」
しかしノラには、民衆を跪かせて支配欲求や加虐性性的嗜好を満たすような、そんな趣味は無い。傲慢不遜な性格である訳でもなければ、それを裏に隠して真人間を演じるような特技も無いのだ。
「さて、共和国には、ある程度頼る事にはなるかもしれないね。資金や資源、後は軍用機とか、そうAI軍の支援とかも必要になるでしょう。まあ私が申し出れば、共和国も少しは折れてくれるかなー?」
「AI兵器は、共和国の特権のようなものですからね」
ノラの意見に、大佐が付け加える。
「特権というより、独占事業だね」
大佐の言い分に、ノラが訂正を入れる。
(ま、面倒な事になるかもしれないっていう懸念は拭えないけどね)
最善の状況はいつになっても来ないが、最悪の状況はいつでも訪れる危険性を孕んでいる。それをノラは何より心得ていた。公国が戦争で敗北を喫することになるという事も…
――無論、信頼していた人間に裏切られ、嵌められ、陥れられることになるという事も、だ。
――
「場合によっては、北方三国全てが束になる事も考えられる。だから、二つの陽動部隊にも戦闘の配備をしておく事になる」
レベッカは、白の駒で黒の駒を叩いて倒しながら言った。直後、黒の駒が小さな音を立て、地図の図面上にその身を叩き付けた。
(十中八九、共和国の支援は受ける筈だ。ならば、輸送経路を止めるための艦隊や航空部隊も編成させておいた方がいいだろうか…? いや、もし公国が我々の目的を読んでいたとしたら…)
「と、大まかな進行ルートは以上のものだ。何か質問のある者は居るか?」
誰も、手を上げる者は居ない。
「把握した。ルートごとの担当大隊は翌日に決める予定だ。場合によっては他の師団との関わりもできるかもしれないが、そこは了承してくれ。では、午後の訓練は一四四〇からだ。訓練場に遅れないように。では、解散!」
「「「イエッサー!」」」
レベッカが言うのとほぼ同時に、他の大隊長は敬礼をし、各々の棟へと戻って行った。リューズもまた、彼らの成す群れに紛れての退散を試みた。だが、その試みはすぐ背後から聞こえた声によって挫かれることになった。
「お前は待て」
足を止め、声がした方角へと振り返る。
目の先では一人の人間が、自分の考えや何かを探ろうと、虎視眈々と牙を研いで待ち構えているように見えた。