愛子は資料館と表札が掛けられた部屋へ入っていた。
本棚で埋め尽くされた部屋には古書がずらりと並んでいる。
部屋全体をぐるりと見渡して歩く。
持ち主が居なくなったのに、こんなにも綺麗にされているなんて...。 そんな事を思ったが、自分の考えが浅はかだった事に気付く。
そうだ、ここでツアー客を泊めているのだ。私達だけじゃない。 前からここを利用しているのだったら、綺麗な侭保存されているのにも頷ける。
変に気にかけるのも妙な感じだ。考えるのはよしておこう。
本の題名を目で追いながらぐるりと部屋を周っていると不自然に出っ張っている本棚がある。
暫く愛子はその本棚をじっくりと観察してみた。出っ張っている謎は解けた。
この本棚...作り物だ。
巧妙に作られているが、ここの本の上にだけ埃がうっすらと積もっているし、本の出し入れもされていない。一冊の本に手をかけ、持ち上げようとしたが、本棚にくっついていて動かなかった。
何故こんな物が設置されているのか、愛子には分からないが、何か隠されているのには間違いない。
人を隠すなら人の中...。
そういう事と一緒なのだろう。
本棚は押しても引いても動かなかった。何か他に仕掛けが隠されているのだろう。辺りをキョロキョロと見渡していた時にふと思いついた。
あの手記に残った謎めいた詩...。
"私は星を見る為に灯を消し
そして 眠りについた
炎を焚いて 像の涙を拭い
私は 幸福を得る"
そうだ...像の涙...。これは...。
本棚の壁を元来た通りに戻り、部屋から出てすぐ右手を見た。そこに設置された机の上に金庫程の大きさの土台に立つ天使の像を見つめる。
照明の光の影響だろうか微笑んでいるはずの天使の顔は哀しそうに見えた。"像の涙を拭い"...この像は関係があるのだろうか...。
腕時計に目を落とすと21時になろうとしていた。そろそろ夕飯が出来ているかもしれない。そう思った愛子は、ホールに向かって歩み出した。
ホールに近付くに連れて何やら異様な雰囲気を感じる。先程より照明が暗くなっているからだろうか?
そんな事を思っていたからか、突然照明がばちんと音を立てて落ちた。一寸先も見えない暗闇...。
狂気の住処だ...。愛子は何故かそう思った。この山荘に流れる重苦しい空気がそうさせているのだろうか?
暗闇の中で動くものを見た気がした愛子はそちらへ歩み寄る。が、足元を何かに取られて前のめりに倒れた。
なんだろうか...?丸太の様な物に足を取られたらしい。そちらへ目を凝らす。暗闇に少しずつ慣れてきた目が大きな物が床に倒れているのを確認した。
段々と輪郭がハッキリとしてくる。 ...あれは。人だ。
悲鳴が喉元まで出かかったところで、耳元で空気を切る音が聞こえてきた。次に何かが倒れる音...。
一体何が起きているの?分からない。どうしてこんな事になっているのだろう?
足を取られた人物の服装...。あれは紛れも無く透の物だった...。
とりあえずは、空気が切れる音がした方へ意識を持って行く。
早く透の事を確認したいが、そこにいる人物が自分にとって敵か味方かはっきりさせた方が良いように思えた。
目を凝らして見ても、暗闇の中では数十メートル先は判別出来ない。だが、愛子はそこから動くことが出来なかった。いるのだ。 確かにそこに何者かが。
影がゆらゆらと揺れている。 本能が動けと指図しているにも関わらず、動けない。頭では分かっているのに体が言う事を聞いてくれないのだ。
愛子は強引に足を後ろへ引いた。一歩ずつゆっくりと音を立てないように。少しずつ動めく影との距離を広げていく。
いきなり影が声をかけた。くぐもった声。聞き取りにくい。
「お前は誰だ?まだ、ツアー客が残っていたのか?」
...まだ?その言葉に疑問が湧く。ツアー客は皆...この人物に殺されたのか?
「どういう事?」
影に向けて声を発する。どういう事なのか?他のツアー客は無事なのだろうか...?
「いや、もうツアー客は皆、 殺したはずだ。 ...と、すると。
そこに居るのは愛ちゃんなんだね。」
透の他にこのツアー客の中に私の名前を知る人物が居るはずが無い。なら、こいつは誰なのか...?
「愛ちゃんにはもう少し、俺が死んでる様に思ってて貰いたかったけど。仕方ないか。
愛ちゃん、もう邪魔者はいないよ?さあ、来るんだ。」
「どうしちゃったの?トオル君?」
私には解らない。どうしてこうなってしまっているのか...。
「俺達を邪魔する奴らはいない!!富も名声も金もっ!俺達にはいらないんだ。愛さえあれば、世界は廻るんだよ。」
こんな考え方をする人じゃなかったのに...。透の身に何が起こったというのか...。
今の彼に、正気を感じる事は出来ず、何かに取り付かれている様に思えた。
自分の身が危ないと感じる。この場から逃げた方が良さそうに思える。
「この山荘で、永遠に暮らそう愛ちゃん。」
「私は...。今の貴方とは一緒に居れない」
言いながら後ろにじりじり引き下がる。
早く此処から出る必要がある。逃げなければ。出入口までは右手側に走れば直ぐだ。が、この状態では、走り抜けるのに問題がある。扉を開けるのにもたついてたら捕まってしまう...。
「...君も、俺を否定するんだ。そうやって俺を見下して...許せないなぁ。やっぱり君にも死んでもらう。でも君は特別だよ?
死体を綺麗に保存して一生僕と暮らすんだ。どうだい?素敵だろう?」
嗚呼...。やっぱりこの人は狂っている。
眞広悠弥は裂けたスーツを脱ぎ、脇腹の様子を探る。掠ってはいるが、この程度ならば大丈夫だ。
さて、上司に何と説明しようか...。自分が追っていた事件はただの銀行預金の横流し事件に関係しているであろう村山透の追跡だったはずなのだが、なぜ、村山透はこんな殺人を企てたのか?悠弥には理解が出来なかった。
それよりも、まず...。生存者の確認を急ぐ事が重要だ。
村山による襲撃を負ったのは想像もしていなかったが、追っていた事件の容疑が一つ増えるだけの事だ。
理由については、後で警視庁に着いてからでも遅くは無い。
悠弥は自室に宛がわれた部屋から奥に歩を進めた。まず隣室の部屋のドアを開く。ベッドの上に人影が見えたが見ただけでドアを閉めた。
シーツを赤く染めた血は酸化してどす黒く変色し出していた。とてもじゃないがあの状態で助かってはいないだろう。首の動脈をスパッとヤられている。
次の部屋、その次もダメだった。踵を返し階段の反対側の部屋も見て回ったが、室内が空っぽの他には全ての部屋で死体が横たわっていた。 とんでもない事になった...。これでは、精神的におかしいとしか言いように無い。自分一人では無理だ応援が欲しい。だが、残念ながら此処は山間。電波が通らないしこの時間だと東京からの応援では全く意味が無い。そして、手遅れに成りかねない。体制を整えたくとも、この機会を逃して村山と接触出来る機会はありえないと思えた。
階下へ下りると、いきなり明かりが消えた。恐らく村山の仕業だろう。闇に隠れながら村山の姿を捜索する事に悠弥は意識を集中させた。
動く影が見えてきてから、一体が視界から消えた。悲鳴...。また一体視界から消える。
遅かったかと舌打ちをし、ホールの柱の後ろに姿を隠す。すぐさま何かが音を立てて倒れた。
倒れたのは人だ。誰かが村山と何か話している。
生存者がいる...!
悠弥は村山の後ろに静かに回り込んだ。村山は持っているものを振りかざしている。走る。走る。村山に向けて体当たりし、そのままもみ合う。持っていたナイフを取り上げ、とりあえず締めていたネクタイで相手の手首を拘束しようとのたうちまわる相手を取り押さえようとするが、相手が殴り掛かってきた。なかなか拘束は上手くいかない。鳩尾に一発食らわせ、伸びた所で拘束した、一先ず、この生存者を保護し此処から逃がす方が先である事に間違い無さそうだった。