狩人~かりうど~   作:山背としや

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逃がれるため

 屋敷を出て、どれくらい走ったろうか...。愛子は暗闇ではっきりとは顔は見えないが、長身の男に手を引かれて山道を走っている。

 

そこの角を右に折れて、真っ直ぐ行けば吊り橋に出る。吊り橋を渡れば大通りに(山の中では人通りは無いが辛うじて明かりが灯った舗装道路)出る。あと少しだ。

 

 

 その時、男がよろめき倒れた。握られた手に引きづられる様に倒れた。何が起こったのか解らなかった。起き上がろうと両腕に力を込める。右足に鈍い痛みが走った。次に右肩。何か棒の様なもので叩きつけられている。必死に頭の上に手を翳して頭を守った。横で人が動いた。強打音。次にうめき声。

 

 静寂が流れる。ゆっくりと辺りを見渡す。私を連れて逃げていた男の姿も、襲い掛かってきた奴も辺りには居なかった。一人という恐怖心が支配し始める。どうすれば良い?此処から私はどう動けばいいのだ。

 

 

 微かに砂利を蹴る音が聞こえた。走ってきた方に目を凝らす。もし、ここまで連れてきた彼で無かったら...。私はどうすれば良いだろう...。

 

 

 

 頭を強打した。振り向いた先にはあの添乗員。林小五郎の姿があった。彼女に向かいパイプを振り下ろしている。立ち上がり、力任せに殴りつけた。そのまま林は蹌踉めき地面に背中を押し付けた。

 

 立ち上がると、こちらに背を向けて森へ走り込み、森の中を進んでいった。

 

 「ちっくしょう...!!待ちやがれ!」

 

追い掛けて行く。10分程走った所でこちらを迎える様な形で林は佇んでいた。

 

 「お前は何が目的だ?」

 

 「...。私はただ金が欲しいだけだ...。それより、良いのか?彼女を一人にして、まだ、きちんと拘束出来た訳じゃ無いんだろう?犯人は。」

 

 ...しまった!!感情にかまけて、こいつを追って来てしまった!あの人が一人になってしまう...!

 

急いで道を戻った。元の山道に向けて疾走する。どうか...。最悪の結果にならない様に!

 

 

愛子は、驚愕の気持ちを隠せなかった。彼は追って来ていた。手には光る物が握られている。逃げなくては...。此処から逃げなくては...。

 

だが、体が思うように動かなかった。強打された右足に力が入らない。重い足を引きずりながら何とか前に進んだ。未舗装の道路が走り難い...。道の凹凸に足を捕られ転んだ。振り向いたらもうすぐそこに彼の姿が近付いていた...。

 

村山透は、激しい憤怒の念を抑えきれないでいた。彼女だけには解ると思っていたのに...。

 

 

彼は資産家の一人息子だ。親の敷いたレールに逸れる事無くこれまでの人生を歩んできた。だが、彼には一つ、大きな疑問が心底に転がっていた。

 

 

毎日、変化が無いのだ。望む物は直ぐに買い与えてくれた。望まぬ物は直ぐに払い除けてくれた。何も欠く事の無い毎日。

 

最初は自分は世界一幸福だと信じて疑わなかった。が、望む物は直ぐに底をつく。その後は退屈な毎日だった。それからは、世界一退屈な人生だと落胆した。

 

 

そんな彼にとって、自らと良く似ていて、それでも退屈を知らぬ愛子が不思議だった。

 

彼女の家も決して貧しい訳ではない。位置付けするなら裕福極まりない家庭だと思う。彼女と出会ったのは、彼女の父親の個展会場での事だった。

 

彼女の父親と彼の父親は融資する側、される側の関係であった。つまりは取引相手なのだ。父の得意先。彼女と交際するのに時間は掛からなかったし、お互いに障害が出る事が無いと思っていた。

 

だが、人生はそんなに甘くない。彼の前に始めて大きな鉄の扉が佇んだ。

 

 

彼の前に佇んだ壁。それは父親だった。しかも互いの。自分には継ぐべき家業がある。大手銀行の社長の息子が求婚しているというのに、愛子の親ときたら交際を認めた覚えは無いの一点張りだ。

 

 そして、あろう事か愛子と会う事を禁じられた。それから数日で連絡も着かなくなってしまった。

 

透の父に至っては、自分がふがいないせいだときつく責めあげられ、之まで良好だった関係に溝を落とした様に感じた。

 

 

始めて、思い通りにならない苛立ちを知った。

 

彼の中で何かが弾け飛んだのは丁度その頃...。苛立ちを解消するために彼はまず、カエルを切った。徐々に苛立ちをぶつける対象は大型になり、苛立ちは外の世界への歪んだ憎悪に変わった。

 

 

財力、権力は"周りの人間を縛り、苦しめる"もの。

 

"その者を麻薬の如き快楽に酔わせる"もの。

 

そんなものは世界に"いらない"もの。

 

その両方の魅力に目が眩んだ父の目を覚まさせなければならない。

 

透は父の 弁護士や政治家といった著名人の得意先に金を横流していった。銀行に不信感を抱かれれば、父を魅了しようとする財力も権力も全て地に伏す。それが狙いだった。

 

 

そして、愛子の父の目を覚まさせるのには、先ずはその財産で痛い目を見せるのに、愛子を誘拐する。金を使っても愛子を助けられなければ、彼の自尊心はズタズタだろう。その為には最愛の人を失くさないとならないが、彼等を懲らしめるのに犠牲は付き物だろう。

 

透は、追い詰めた彼女の前に阻み、逃げ場を封じた。もっと違う境遇で出会っていたなら彼女とは上手くいった筈なのに...。

 

 

 

愛子は覚悟していた。彼の異変に気付いてから、薄々は感じていたが、彼の喜劇は自らの手で終らせなければならない気がした。

 

それが、自分の役目ではないか?

 

 

大金や権力があれば何にでもなれるし、何にもなれないのではないか?

 

彼の言っている事も正しい訳ではないし、間違っている訳ではない。だが、それを理由に人を殺していいなんて道理は無い。

 

彼の過ちを、彼の喜劇を。今止めないで何時止めるというのか。

 

 

立ち上がり、彼の目を見つめた。彼もそれに応える様に見つめ返してくる。

 

 

「トオル君...。貴方がしている事は間違っているわ。お願い、止めて。」

 

「ああ...。忠告ありがとう。でももう戻れないんだよ。オレは自分の父と君の父親に解らせなければならないんだ。貴方方の信じているものは間違っているとね。」

 

「止めるつもりは無いのね...。それなら力ずくでも止めるわ...!!」

 

「それは、どうかな?」

 

彼はズボンのポケットからナイフを取り出し、間合いを埋めていく。すかさずじりじりと後ろへ下がり間合いを離す。

 

力ずくで止めるって言っても...どうやって?

 

私にはナイフを止める手立てだって無いのよ?

 

 

 

頬を掠めた切っ先はそのままぐりんと背後に周り、ナイフを持った腕が捻り上げられる。

 

背後には悠弥が彼の腕をがっちりと、掴んでいた。

 

 

 「君は逃げなさいっ!!ずっと遠くに!早く!」

 

 

言葉を聞いて、愛子は躊躇った。が、自分がここに居ては足手まといになるのは解った。

 

 

まっすぐ吊橋を走り抜けた。今頃、透はどうなっているんだろう?

 

あの人は無事なのか?

 

 

とにかく無我夢中に走った。気が付けば月が路面を照らしていた。この幹線道路伝いに山を下って来てはいるが、まだ農村の景観さえ見えない。ずっと足を動かし続けていたからか、足がもつれだした。

 

一旦、足を止めて息を整える。整える事だけに時間が掛かった。

 

ゆっくりと空を見上げる。

 

満月が頭上を青く染めている。まだ、歩けるだろうか...。その美しさに足を止めた。しばしの休息を取るために...。

 

彼女は麓までふらふらの足で何とか下りた。 自分が助かったという安堵感に包まれて気持ちに余裕が出来たからかもしれない山道に入る入口の辺りで力尽き、その場に倒れ込みそのまま意識を失った。

 

 

どれくらい眠っていたのだろう...。

 

起きた時に最初に見たのは 機械的な天井だった。灰色のコンクリートには所々にヒビが走っている。 首を右にずらしてみた。

 

まだ物がぼやけて見える視界には事務用の机に椅子が並んでいる様に見える。だんだん意識がハッキリしてきて、ここがどうやら警察署だと言う事が解った。

 

そして自分は2人掛けのソファに寝かされている様だった。

 

ゆっくりと体を起こして、辺りに目をやる。 愛子は刑事ドラマの影響か、机に向かって何かの書類と睨み合いをしている刑事がいるもんだと思っていたが、そのような様子は無く、机に向かって座っているのはたった1人だけだった。

 

 

その人は、私に気付いた様だが、話掛ける事はしたくない様だ。見て見ぬふりを決め込む態勢で、こちらに一瞥も向けて来ない。

 

代わりに奥でホワイトボードに意識を向けていた人がこちらに気付いて近寄ってきた近くに来た時にやっと相手が誰だか認識した。私を助けた男性だった。

 

 

 眞広悠弥は報告書にペンを走らせていた。

 

"三櫻銀行横流し事件の行方は、当初 村山邦重が犯行に及んだと思われたが、その一人息子村山透による物だと断定。その後、村山透は交際中の三上愛子の両親との懇談が上手くいかない事を逆恨み、逆上し山荘ツアーに参加した地名人を数名惨殺。取り押さえようと追撃中崖から墜落。死亡したと考えられる..."

 

 

 あの後、林小五郎の姿を林間の隅々まで歩き回って捜索してみたものの、結局見つけだす事が出来なかった。

 

事件は何故起こってしまったのか、何故 林が村山透と共犯したのか...。そして、最後に村山透は何故転落したのか...。

 

納得がいかないが、結果は変えられぬ現実なのだ。仕方が無い事なのか...?

 

 

悠弥は煮え切らない思いで書き終えた報告書の束を茶封筒に詰め込み、席を立った。ホワイトボードに視線をやる。

 

悠弥が地元の警察署に駆け込んだ理由は2つあった。

 

1つは先に逃がした三上愛子の身元の確認の為。もう1つがホワイトボードに結果として書き出されていた。

 

 

"山狩りの結果...林小五郎と思われる人物は見当たらず

 

村山透と思われる死体は発見されず"

 

 

...一体どういう事だろうか。林はともかく、村山透が見つからない筈は無い。滝壺に落ちた訳でも無いのに死体が上がらないのは不自然だ。...状況からすれば村山は間違い無く即死に近い状態だったのだが...。

 

これは地元と連携を取って村山透の身元を確認しなければならないだろう。

 

 

 

「...そうだったんですか。」

 

 

悠弥が話し終えた後、三上愛子は静かに答えた。

 

 村山透が 横流しに関係していた事を彼女は知らなかったらしい。

 

 

それ所か、こんな惨劇が待ち侘びていようとも思っていなかったと語っていた。

 

そうすると、ますます村山が何の為に彼女を呼び出したのか解らない。

 

 

「彼が...何の為に貴女を呼び出したのか解りますか?」

 

 

私が分かっていた事それは...。

 

 

彼は...。

 

 

「彼は、きっと私と心中するつもりでした。あそこで。」

 

 

きっと、そうに違いない。あの日、ビジネスホテルの部屋の一角で...私達がした事。

 

備長炭に七輪を部屋の中央に置き、そのままベッドで2人横になった。父が許してくれないのなら、私にも考えがある。死ぬ位本気だと見せ付ける為にトオル君にけしかけた。

 

 

だから...。人気の無いあの場所にたどり着いた時には、なんとなくそうなんじゃないかと思っていた。

 

 

 

全てを聞き終えた悠弥はただ、黙って窓の外を見つめていた。

 

すると、唐突に彼の唇が動いた。

 

「また、出会えるさ。」

 

「へ?」

 

「いい人に。"世界は繋がる"んだろ?」

 

 

彼の一言が、何かに取り付かれた様な私の心に染み込んだ。

 

そうだ。幾星霜...世界は繋がり、廻っていくのだ。

 

 

私はここで、終わるんじゃない。始まるのだ。

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