書斎に着くと、脆い床がぎしぎしと音を立てて軋む。山荘自体古い建物だから全体的に脆くなっているが、ここの床が館内でも一番傷んでいる。
慎重に歩を進めてはいるが、何時底が抜けるか分からない。白杖が、数歩前の空間を指し示す。後二歩先は床が無い。
「シンヤ、気を付けろ。その先は床が抜けてるぞ。
ちょっと待っててくれ。…よいしょっと。よし、これで通れるぞ。」
横を誰かが通り抜けたと思うと、暫くして、ガタガタ大きな音をさせて、何か重くて丈夫なものなのだろう。物を引きずるような音と共に横をするりと抜けた。
声を聞くと輝の様だが、一体何をしたのだろうか?
白杖は先ほど空洞を指した場所に、乾いた木の感触に触れた。向こう側まで板を渡した様である。
「ま、板を渡しただけだから、気をつけるに越したことは無いけどなぁ。」
この一言が余計な事を本人はいつ気付くのか。
輝に先を進んでもらい、手を引いてもらいつつ、なんとか板を渡り切る。
事前に聞いていた美琴と見つけたという本棚の前まで移動すると、本棚を触りながら大きさ等を確認する。
何処にでもあるような、天井丈ある本棚だ。どこの棚にも所狭しと本が並んでいる。…ように、見せかけは精巧に作られていた。
「これだけ、偽の棚みたいなんだ。どうやってもビクとも動かないし…。この下の床に奇妙な切れ目があって、下がありそうなんだけれど。」
「位置からすると、この下が隠し部屋なんじゃないかって思うんだ。あたし、アンタらが来る前にこんな紙切れを拾ったんだけど、何か意味があるかな?」
その紙は、輝に渡されたらしく、輝が読み終わると反復するように声に出して書いてある内容を読み上げる。
「所々、掠れてて読めないな…。『私は…灯を消し
炎を焚いて 像の涙を拭い…。』この先は、紙が破れてて分からない。」
「像…。何かそれらしい物は部屋にあるの?」
深雪の気配が暫く前から遠い。
今も、板を渡したこちら側には気配は無く、何処かで物音だけが聞こえてくる。
「…あ、像ってもしかすると、これかもしれません。」
深雪の声が、書斎に入った入口付近からする。美琴がその声に応えて深雪の近くへ移動したようだ。そうしていると、二人の声が段々と近くで聞こえるようになる。
「書斎に入ってすぐの所にあった机の上に小型の金庫位の台に乗った天使の像があったよ。」
「台に像が固定されているので、持っては来れませんでしたが、他に像らしきものは見当たらないのでメモにある像はこれの事じゃないでしょうか。」
紙に書いてあるメッセージは何を示しているか分からないが、何かの暗号である事は違いない。
「炎というのは、下の食堂の暖炉の事でしょうか…?」
「となると…。灯っていうのはなんだ?」
「照明のことじゃない?」
各々が思いつくことを討論している様だが、どれも的を射ていない気がする。
「あの暖炉は元々飾り暖炉だと林さんが言っていたし、昔から使用していた痕跡が無いから、メモとは関係が無いと僕は思う。メモの示す部屋は何処なのかは、分からないんじゃない?」
「じゃあ、他に何を指してるんだよ。ここに隠し部屋がある。怪しい暗号がここにあった。ここまで揃っていたら、この暗号は隠し部屋への扉を開ける為のもの。こう考えるのが妥当なんじゃないのか?」
美琴が噛み付くように、意見する。
「他の部屋へ行って何かを解いたらここが開くと考えにくい。そう言ってるの。この部屋の事なんだから、扉を開ける鍵はここにある筈だ。」
灯とは?炎を焚くものは?像があるが、涙とは?
この部屋にあるもので、紐解いていかねばいけない。
「ここの照明以外で明かりになるものはあるの?」
「入り口の側に、ランタン掛けがありました。ランタンは像がある机に置いてありましたよ。」
確認してくる。と輝がその場から動く気配がする。暫くして、奥から大きな声で輝が声を上げた。
「かなり古そうだが、ロウソクがあれば使えそうだ。林さんに言ってロウソクを貰って来るよ。」
「じゃあ、後は像の涙か…。」
像が、机の上で固定されている。そう言っていたはずだ。
像なんて、いくらでも配置を変えたり、何十年と経てば倒れたりするものを、そこに固定した。
それは…、そこになければならない理由があるのでは?
「さっきの固定された像。表情は泣いてる様だったの?」
「外見は天使の様な像でしたよ。微笑を浮かべていて、弓を携えていました。」
「ん?あれ微笑なのか?あたしには泣き笑いに見えたけどなぁ。」
「見る角度のせいかな…?光の当たり具合?像の涙って言うのは像が影で表情が沈まない様にしろって事かも。」
深雪が言う、「表情が沈まない様にする」というのは面白い着眼点だ。中々しない発想だろう。
「卯野さん。面白い事閃きますね。」
「っえ?…そ、そうですか?」
「多分、そんな発想でいいと思う。問題は、その先の部分が分からないって所かな…。」
深雪の発想が助けになり、大体のカラクリの糸口が解れてきたが、問題の隠し扉の開閉に繋がっているのかまでは分からない。
一行は、話しながら問題の像の前へ来ていた。
僕は、像を手で触りながら、形を把握していく。向かって右側に弓を構えているようだ。他にも、像の周りに手を着いて何か突破口はないか、じっくりと調べてみた。
机にほんの少しだけ盛り上がっている部分を見つける。涙型に隆起し固まった表面は滑らかで、爪をたてると脆くも崩れた。蝋が垂れ固まった跡だろう。
僕の考えていたカラクリの解き方はこれで磐石だった。
後は、輝がロウソクを調達できれば、正しいかどうかは分かる。
丁度その時になって、書斎の扉が勢いよく開かれた。
慌てたようにガチャガチャと何かをしている。
様子がおかしい事に気付いた美琴が輝に声を掛けようとした時に、外から大きな声が聞こえてくる。
「どうして逃げるのかな〜?」
「杵島さん、手を貸して!ここを施錠して隠れなきゃ…。」
「一体どういうこと?」
「話は後だ!」
切迫した空気が突如書斎を包み、いよいよ事が大きく動いていく予感がした。
杵島が輝を手伝い、扉の前で大きな物音を立て何かを動かしている様子だ。
程なくして、向こう側から物凄い力で扉を叩く音が響く。
「早く君らは烏丸のカラクリを解いてくれれば良いんだよ。そうしたら、楽に殺してあげるから。」
扉の向こうの声の主は、林さんの様だが…。先程までの、物腰の低い語調とは打って代わり、言葉の一つ一つの響きが醜悪なもので、とても同一人物と思えない。
「外の…。林さんか?」
「…どういうことなんでしょうか?」
いきなりの事に、深雪と美琴も不安げな色の声色で囁きあっている。深雪はその後も不安げな言葉を美琴に掛けていたようだったが、美琴は輝達を手伝う為に扉付近に移動したようだった。
扉を塞ぐ事に成功した様子で、輝達の気配が近くに寄ってくる。
「…聞いてたと思うが、林さんがヤバい…。ロウソクは、隠れながら入った倉庫で見つけたんだ。これで、隠し部屋に逃げ込めれば、暫くは大丈夫だろうと思うけど…。
シンヤ、もう解き方は大丈夫なんだろ?」
「僕頼みだったわけ?
…まぁ。大丈夫。開くと思うよ。」
輝からロウソクを受け取り、像の前で深く深呼吸した。