寮に帰ってすぐ、俺は携帯を取り出してある番号へと電話をかける。
携帯を耳元にあて、相手が出るのを待つ。
「急だな」
もしもし、なんて定型文を言うことなく。
電話の相手はいきなり話し始めた。もう少し心の準備をする時間が欲しかったがもう腹をくくろう。
「はい。取引の電話です。堀北先輩」
「取引……か」
そう繰り返してから、少しの間。
が、すぐに会話は再開された。
「それで、内容は」
「一年生の中間試験の過去問をください」
「ずいぶんと大胆なことをするな」
「大胆?過去問を欲するなんて一般的じゃないですか」
テストの過去問を欲しがるなんて一般的なことだと思っていたが、この学校においては違うのだろう。
それもそのはず。もしものことがあった場合、そのまま退学しかねない。しかも、まだ入学して一か月と少し、学年をまたいで行動する奴なんて俺は一人しか知らない。
が、そんなことは俺には関係ない。この行動が問題ないことは知っているし、過去問が有効なことも知っている。
使わない手はない。
「やはりお前には、何かが見えているようだな」
「急になんですか?」
こうやって、面倒くさい奴らに目を付けられるのは嫌だが、印象付ける上では役立ちすぎるこの力。
何かあったときに頼れる人間が多いのはいいことだからな。少なくとも全面的に争うつもりはない以上、頭のいい奴らと知り合いになって悪いことはない。
注目こそされるが、実際に手を出してくるのは龍園ぐらいだろうし、俺は彼とかかわるつもりはない。どんなことがあろうとも、彼と知り合うことは恐れている。
俺に何か不利益が発生するとしたら、十中八九彼の可能性が高いと予想されるからだ。
ほとんどの人間のヘイトが綾小路に向く中、龍園はいろんな人間を狙うタイプだ。触らぬ神に祟りなし、あいつは端から眺めるのが一番だ。
「仲介料として堀北先輩に一万、提供者には三万でどうでしょうか」
ただでさえ少ないポイントをかなり使うことには抵抗があるが、悪いとは思っていない。
過去問を一週間以上前に手に入れるのだ。これはやはりでかい。
勉強へと精神的負担が減るのはもちろん、点数の調整が容易になる。
須藤の件がある以上、低すぎる点数は取れないし、高すぎる点数も取れない。
須藤を赤点にしつつ、平均点が高すぎないように調整する必要がある。そのためにも、過去問はほしい。
「さすがにこれ以上を望まれると払えません。無い袖は振れないので」
今月のポイントが入らなかったので、余裕はない。
最大限譲歩したうえでの金額がこれである。
「お前のしたいことは分かった。だが、1つ分からないことがある」
「なんでしょうか」
「なぜそれを、俺に話した」
堀北先輩に話した理由。
多分彼の頭の中では、どうして成功率の低そうなAクラスに過去問の調達を頼んでいるのかという疑問が浮かんでいるのではなかろうか。
原作でも、綾小路はDクラスの人間に頼んだ。ポイントが欲しくてしょうがない、取引の容易な相手を選んでいた。
だが、俺は別に過去問を最優先でほしいわけじゃない。
最悪貰わなくても、前日に櫛田が配ってくれる。
だから、俺の目的はただ一つ。
原作知識を持ちながら、唯一逃れられない可能性への回避。
その活路となりえるのは、堀北兄と綾小路ぐらい。
「ただ、あなたに俺という存在を強烈に認識させたいだけですよ」
言ってることが南雲みたいだな。
早いうちにその辺も言った方がいいかもしれない。二代目南雲がいるとか思われたらいやだ。
「……そうか」
理解したのかは不明だが、回答が得られた堀北兄はそう端的に返事をした。
一体彼の頭の中ではどんな思考が行われているのだろうか。
「取引に関しては了解した。あとで、橘の方から送らせよう」
「助かります。支払いは──
「目的の品物が届いてからで構わない。それも橘の方に送ってくれ」
「はい」
ありがとうございましたと、感謝の言葉を伝え、俺は電話を切った。
そして訪れる静寂。
電話から音は聞こえなくなり、静かな部屋が俺の意識を支配する。
それに遅れて、どっと疲れが俺の体中に現れる。
「はあ、心臓によくねえわ。マジで」
やっぱり、堀北兄と話すのはなれない。
どうしても心の奥底が勝手に恐怖してしまう。
表面上は冷静さを装えても、いつかボロが出そうだ。
いざってときに虚勢を張れるぐらいのメンタルがほしい。
「しかし、これで少しでも俺はもしもに備えられる」
この先に存在するもしもに対抗するためには、彼から信頼を勝ち取るしかない。
しがない一年生の、しかもDクラスの人間がわずかな可能性に欠けるならそこだ。
俺には手がある。自分を救える手が。
そんな一件から数日後、なんとなくと点数の取り具合を決めた俺は、黙々とテスト勉強をしていた。
もちろん、学校では赤点組という立場のため遊びつつ、残りの時間をテスト勉強に使っていた。
そんなある日の昼。
櫛田から連絡がきた。
『ちょっと話したいことがあるから、パレットに来てくれない?』
デートのお誘いなんて、甘ったるいものではないだろう。
俺の記憶だと勉強会のお誘いあたり。具体的な日付が分からないので、身構えていたがようやく動き出したようだ。
遅れるわけにはいかないので、さっさとパレットに向かうこととしよう。
パレットに着くと、池と山内が櫛田、綾小路、堀北の三人と話しているようだった。
須藤の姿は……
「ん、お前なんでこんなところにいるんだ」
俺の後ろから、須藤が現れる。
「櫛田に誘われてな」
「お前も?てか、あいつらもいんな」
と、俺の向けていた視線を池たちへと向ける。
いくら頭が悪い須藤でも、この状況を見て何が起こったのか理解したのだろう。
また、何が起こるのかもわかった。
「俺帰るわ、用ができたとか言っといてくれ」
そういって、須藤は踵を返そうとする。
さすがにそれは許されない。
ここで須藤が、櫛田たちに会ってくれないと勉強どころの話ではないし、こいつを退学から救える可能性が下がる。
全部赤点でした、なんて言われたらいくら綾小路でも見捨てかねない。
「そんなこと言うなよ。櫛田のためにも、な」
と、俺は帰ろうとしている須藤の腕をつかみ、無理矢理連れていく。
それに抵抗しようとするが、絶対に逃がせないので力いっぱいつかみ、そして引っ張って彼を合流させた。
「悪い、てこづってた」
逃げようとする須藤を無理矢理引き連れて、俺は勉強会の場へと合流する。
その様子を見て、堀北がさっそくかみつき始めた。
「ずいぶんと無様な姿ね、須藤くん。逃げようとしたの?」
「なんだよ。悪いか」
「ええ、悪いわね」
前回の一件を全く反省していない堀北は、ただでさえ扱いの難しい須藤をストレートに罵倒する。
やめてほしい。何かがあったときに焦るのは俺なのだ。
可能な限り、原作通りに進んでほしい。退学者なんて出されて、ぎすぎすしたクラスで過ごしたくない。
「お、落ち着けよ須藤」
そんな様子を見かねたのか、池が須藤をなだめた。
池ってこんなことするタイプだったけ。
どうして彼が須藤をなだめたのかは分からないが、そのおかげか少し須藤の抵抗が収まったのを感じる。
俺の引っ張る力が弱まってもそこまで逃げないからだ。
「ねえ、須藤くん。もう一度みんなで勉強しない。これからバスケするためにも、もしもの事態は避けたいでしょ?」
と、その場にとどまることを選択した須藤に対して櫛田がさっそく仕掛ける。
他の二人は須藤の顔色をうかがう面があるため、須藤さえ落とせれば今後の展開はスムーズになるだろう。
「けど……、俺はこの女の施しみたいなのは受けたくねえ。こいつの言ったこと、俺は絶対に許せない」
櫛田の言葉に、わずかに心揺らいでいる須藤だが。
堀北のバスケへと言葉が引っかかってしまい、首を縦に振らない。
もし、堀北があそこまでバスケを罵倒しなければもうこの時点で須藤は受け入れていたのだろうか。
「そう、けどこの際お互いのことが気に食わないというのは些細なことじゃないかしら。私は私のために、あなたはあなたのために勉強する」
「そこまでか」
「ええ、そこまでよ。私は、そこまでする」
自分よりも身長の高い須藤に対して、堀北は一切臆することなく言い切っていく。
彼がすぐに手が出やすい性格だと知っているはずなのに、少しの隙も見せず、自分の考えを断固として貫きとおす。そんな力強さが感じられた。
「悪いが、俺はバスケで忙しいんだ。勉強なんかやって、他の奴らに後れをとれねえ」
だが、須藤も引かない。
堀北の眼光にされされていながら、自分の意思を曲げることなく勉強ではなくバスケの方が大事だと言う。
こいつも堀北も我が強すぎるな。協調性の欠片もない。
しかし、こんなことは堀北にとっては想定済み。カバンから一冊のノートを取り出し、須藤に突きつける。
「この間の勉強のやり方。あれは失敗だったわ。あのやり方では何もうまくいかない。だから、私なりに考えて改良した」
「それがこのノートに書いてあるってことか」
「ええ、このやり方なら。あなたたちもついていけるでしょ」
そういって、堀北は三人───ではなく、俺を入れた四人に説明を始める。
これから平日の授業中に勉強をすること。
授業後に集まり、分からなかったところを報告すること。
そして、分からなかったところの解説を堀北が考えたうえで、綾小路と櫛田を加えた講師側が俺たちに解説する。
原作だとマンツーマンだった気がするが、俺がいるので堀北が点数が一番高かった俺。そして、二番目の山内を教えることで時間を効率化する。
堀北の説明に、たびたび難色を示していた三人だったが、そのつど堀北が説明し彼らの疑問と不安を消していく。
そのおかげで、次第にみなこのやり方で勉強をするという意思が芽生えているように感じられた。
しかし、一人頑なに勉強をやりたがらない人間がいる。
「でも……俺は参加しねえ。堀北に従うのは、やっぱり俺は納得できねえ」
須藤は、最後まで堀北という存在が引っかかり納得できずにいた。
自分の大好きな存在を否定してきた彼女が、どうしても許せないようだ。
そんな彼を幼稚。とばっさり切り捨ててるのは違うと俺は感じる。
怒りっぽい彼だが、そんな彼でも本当に許せなかったのだろう。
「なあ、櫛田。お前って彼氏はできたか?」
心が揺れていながらも抵抗する須藤を見て、綾小路が動き出した。
堀北という存在が最後の一押しをしてくれない須藤に対して、少しでも気を楽にして動けるように。
「え!? えっと、まだいないけど……」
と、綾小路の行動に困惑しながらも櫛田は質問に答える。
「なら、もしオレが50点を取ったらデートしてくれっ」
綾小路の手が、櫛田へとのびる。
その行動に、山内と池が素早く反応した。
「な! 何言ってんだ、綾小路!俺は51点取るよ!だから、俺と!」
「は!?俺とデートを!52点取って見せるから!」
それに遅れず、俺もこの櫛田争奪戦に参入する。
ここで流れを切るわけにはいかない。
「俺も!53点!53点とってみせるから!」
急な話の流れに対応しきれなかった櫛田が、一瞬会話が止まったことにより状況を理解する。
また、綾小路がこのような行動を始めた意図もわかったようだ。
「ど、どうしよっかな……。点数なんかで人を判断できないよ?」
「でも頑張ったご褒美はほしい。池たちも乗り気みたいだしさ。最後の燃え上がるご褒美を」
「そ、それじゃあ、テストで一番点数の良かった人とデートってことなら。私、嫌いなことでも頑張ってやる人は、好きだよ」
なんて、甘い言葉を並べる櫛田に山内と池や分かりやすく大喜びする。
こいつらの扱いは簡単で助かるな。須藤とは大違いだ。
「なあ、須藤。どうだ、こんなチャンスないぞ」
と、綾小路は本来の狙いであった須藤に声をかける。
ここまでやって彼が首を縦に振らなかった場合、俺の方でも手を打つ必要が出てくる。
視線を左右に動かして、少しの沈黙。
「……しょうがねえな。デートってのは悪くねえ。俺も参加する」
見事。綾小路の策略は成功し、須藤はやっと参加を決断した。
少し照れくさそうに天井の方を見ていたが、言質はとった。後はこっちのもんである。
「はあ、覚えておくわ。男子は私の想像以上に単純でくだらないって」
俺たちの必死の攻防に対して、堀北は冷静に分析結果を口にする。
こっちはこれだけ頑張ったってのに、素直に迎え入れてくればいいものを。
そこからの、勉強会は初回の雰囲気が考えられないほどうまく進んだ。
みな、難しい問題にぶつかる瞬間は苦しそうな表情をするが堀北の解説を聞き、少しずつ前進していく。
その時の俺たちはいまだかつて見たことないほどの、結束力だった。