□ □ □ □ □
た。
った。
かった。
なかった。
らなかった。
ならなかった。
にならなかった。
話にならなかった。
まるでお話にならなかった
川上竜は背中から床に叩きつけられている。
相手は村井虎四郎ではない。
関修一郎。
一蹴。
村井にむかって突進し、日本拳法を象徴する直突きを放とうとした瞬間、横合いから入ってきた関に、腕を捕まれ--
(そこまでは覚えている。覚えているんだ。数秒の間時が吹っ飛んだとしか思えない)
残ったのは結果だけだ。
事前動作すら見えない。
呼吸や代謝を意識して行う人間はいない。関にとって『投げ』は習慣を超え無意識の域に達している。
川上は抵抗できず技の餌食になった。『払い腰』
関は川上のダメージを軽減するため腰ではなく背中の部位から下ろしている。
最速の投げを決めながら相手を労わる余裕。関の実力は川上のそれとあまりにも乖離していた。
(佐川先生がまともな条件で戦えば関といい勝負ができる。俺のその認識は誤りだったのか?)
精神を病んだ川上は、トーナメントの三試合以降をまともな状態で観戦していない。彼の中でまだ最強は佐川徳夫だった。十兵衛の策略さえなければ無傷で一回戦を勝ち上がり、決勝戦で関と激突する。そんな未来を幻視していたが……。
(俺と佐川先生の差が、佐川先生と関の差に等しいと? まさかありえん……)
口を開こうとした村井を手で制し、関が話しかける。
「少し話をきいてくれるか、川上。不満はわかる。だが俺たちは今大事な試合の直前なんだ……。佐川徳夫は残念だったな。不運な形の敗戦だった。だがそれも含め勝負だ。勝負にもしもはない」
川上は手加減されたことを理解している。だが、
構える。打撃主体から柔道の構えに。手を開きつかみにかかる。
「川上!!」
村井は怒気をはらんだ声を放つ。だが位置は変わらない。関がその間に入る。
「応援してくれないか、俺のことを。同じ柔道家だろう?」
「ふざけるな。関、おまえは関係ない! 引っこんでいてくろ!!」
「……おまえは日本拳法に逃げたんだろ?」
「逃げてなどいるか!! 俺は一番……強くなりたかった。そのために柔道から離れただけだ。日拳を学びおまえたち柔道家を倒すために!!」
「柔道が最強だ」
関はそう断言し、
村井はその後方で腕を組みうなずく。
「……どうしてそう言い切れる」
「そりゃもちろん歴史的に他流試合をやり始めて勝ちまくったのが柔道……。古くはコンデ・コマこと前田光世先生……いやそんな大昔の話をしても仕方ないか」
関はそう言って含み笑いをする。
「てめぇ馬鹿にしてるのか関っっ」
「悪いかよ。柔道こそが最強だ。空手だのボクシングだのレスリングだの……その他たくさんの格闘技がある。だが陰陽のルール、なんでも有りのルールで一番強いのは柔道だ。関修一郎だから優勝できるんじゃない。柔道だから優勝できるんだ!」
川上は構えをとく。
毒気を抜かれた形だった。
「おまえが言いたいのはつまり……」
「柔道を代表してトーナメントに出場していたのは俺じゃなかったかもしれない。おまえや村井や、カワタク……。ああ金田もか。金田が代表選手だったら応援できなかったかもな」
「あいつはねぇよ」と村井。
「俺はさ、柔道が好きだからきっと日本でテレビ観戦なんてできなかったぜ。番組で解説……なんてかったるいし、どんなに高くてもチケット入手して、かぶりつきで代表してる奴を応援していただろう」
屈託のない笑顔を見せる柔道の象徴。
「……俺に同じことをしろと? たった今師匠が負け、半死半生になっている俺に」
「帰ってこいよ、柔道に。それは別に佐川徳夫や日本拳法を裏切ることを意味しない」
「俺にはもう居場所がない。あんなことがあったあとに柔道に戻れるかよ!!」
川上は横をむく。もう戦う気はないようだ。
試合の開始時間が迫っているが、関に慌てる様子はなかった。
「おい、関。そろそろ時間だ……」
「俺がおまえに場所をつくってやる。俺はな、関。講道館柔道がスポーツに寄りすぎていることくらいわかっている。いくつもの技が禁じ手になり、寝技の時間制限……。不満を言ったらキリがない。……だがそれも今だけだ」
「どういうことだ?」
「協会の老害どもを黙らせる実績をこの大会でつくってしまえばいい。俺の今日までの功績なんて比じゃない」
「なにをするつもりだ!?」
川上は冷や汗を流している。関の顔を、次いで村井の顔を見て様子をうかがう。
(まさか、いや、正気なのかこいつらは)
「勝つだけじゃ足りない。圧勝だ。全試合圧勝。今日の4試合に結果・内容ともに誰にも文句の言えない勝利を魅せる。俺たちの柔道こそが迷いなく最強の格闘技であるとわからせる。それができる柔道家は流石に俺だけだろう」
「田島にも勝つ」
「有無は言わせない。そうすれば俺の権威・権力は誰にも止められない。お前を柔道界に戻すことだって容易いだろう。お前が身につけた打撃を有りにするルールの、(講道館隆盛以前の)当て身有りの大会を開くことだってできる」
当て身……つまりボクシングと日拳を学んだ川上の居場所だ。
すでに国民栄誉賞を手にした大柔道家が、途方もない夢を口にした。
「ったく、マカオでドラゴンボールを集めるつもりかよ」
村井は笑って関の肩を叩く。
「……今だけの嘘には聞こえなかったな。関、ずいぶんはっちゃけた性格してんだな」
「マスコミがうるさいから優等生してたんだよ。この大会と田島戦を終わらせたら、やることはもう柔道界改革くらいだ。そのときはおまえの力を借りたい。それでだ……」
川上に憑いていた憑き物はすでに落ちていた。関の発言はすべて真である。
(俺を落ち着かせるために口から出任せを言っているわけではない)
「家族は日本においてきた。凄惨な試合になるかもしれない。俺が人を殺すところを肉眼で目撃してもらいたくないからな。仮の話だぜ」
「ああ、そうだろうな」
川上は次に関がなにを言うのかがわかってしまった。
「だが一人くらい、観客席で応援してくれる人がいたらモチヴェーションが上がるなぁって思うんだ。できれば柔道家で、俺の知りあいで」
「ったく、わかったよ」
「なら急いで俺の控え室の前まで移動してくれ。担当のホテルマンがチケットをもっている。最前列の特等席だ……。試合が始まったら集中してくれよ。なにせ」
「瞬殺するんだろ?」
川上には容易に想像できた。相手を一投で牛耳り、寝技で意識を奪う関の姿が。
「敵はお前の師匠の兄貴だ。これも奇縁だな」
川上と別れた関、村井が会場のドアの前に立つ。
村井が告げる。
「お前が史上最強の柔道家であることに疑いの余地はない」
「木村政彦、山下泰裕、へーシンク……。過去のレジェンド相手に評価で渡りあうには、そいつらができなかったことを実践してみせるしかないんだよ」
(入江文学、金隆山、上杉均、反町隆宏、カブト、里見賢治、そして田島彬……日本格闘技史上最高の世代がそろったこの大会で完璧な戦果を残す)
歴史を遡れば優れた柔道家は複数いた。だが他流の対戦相手に恵まれた者は少ない。
時代は関修一郎を選んだ。
□ □ □ □ □
田島彬が非常口からホテルを脱出した三分後。
陰陽トーナメント第六試合、関修一郎対佐川睦夫が始まる九分前。
アンダーグラウンドの中継はまだ終わっていなかった。
廊下での攻防を中継していたMCが山本陸に話しかけようとするも無視され続けていた。
山本陸が座っていたイスは、肘掛けが左右両方とも破損していた。
空の目がつぶされた瞬間、空手王の両拳が握りしめられ一瞬にして亀裂が走ったのだ。
(田島の野郎が俺と同じことを空に対しても……だが俺は)
上杉が口にしていたことを同じことを思った。
「殺されるリスクのある襲撃作戦に空は参加した。ならば田島のあの反撃は」
理はある。
(上杉からして不意打ちで目を潰す予定だったはず……)
猛獣を相手にするかのように弱腰で、かつ距離をとったまま、小声でMCは空手王に話しかける。
「あの、陸先生……。できればこちらのインタビューに答えていただけるとありがたいのですが……。もちろん息子さんに不幸なことがあったことは理解しておりますが……」
「小さい声でなに言ってるかわかんねぇよ」
山本陸はスマホから手を離し、MCにむかって手を振る。邪魔だからあっちに行っていろ、と。
陸の通話相手は彼のもう一人の息子、海だった。
「──親父、なにがあったのかもう一度詳しく話してくれ」
「上杉たちが田島への仇討ちを敢行した。参加者は四人。そのなかの一人、空が田島に反撃を喰らった。両目を目潰しで……」
山本陸は凄惨な記憶を頭のなかで再生する。
田島が後ろ向きになって空の首を極め、
上杉がICUから姿を現し、
それと同時に田島は空の両目の光を奪った。
空の拘束が解かれると同時に里見は動き出す。意拳の極意でもって田島を壁に叩きつけ、そのままカウンターを放つ感覚で投げる。後頭部を床に叩きつけ、スタンして防御不能となった田島の右目を突く。
山本陸はようやく田島彬の意図を正確に理解した。
陸は舌打ちをする。その表情は空がしていた舌打ちによく似ている。
(まだ上杉も里見もこの考えには至っていないだろう……)
「……確実に失明した、そう言い切れるのか?」
「経験者の俺が言うんだから間違いない。治療してもあいつは戦える人間には戻れないさ」
海はスマホの向こう側で悪態をつく。
「畜生! どうしてそんなことに。大体里見の野郎はなにをしていたんだ!!」
「知るか。あいつらがどんな計画を立てていたかなんてわかりっこない」
「親父……こう思ってるんじゃないか? 『勝手に俺の仇討ちだなんて余計なことをしやがって』」
「まぁな」
「田島をターゲットにしているのは自分一人で良かった。そのほうがわかりやすい」
「まぁな」
「……上さんは間に合わなかったのか? 上さんなら田島が空を人質にとる前になにかできたんじゃ……」
「数秒の差だった。上杉があと数秒早く廊下に出ていれば、田島の目を潰していたのは里見ではなく上杉だっただろう。あいつはその役を里見に譲らなかったはずだ」
「それは……上さんの性格的にわかる。あいつは親父のことを尊敬していたから。すごく……」
大会前、上杉と会ったことを思い返している海。
「田島は上杉と里見を比較し、里見のほうを評価していたんだろう。だから里見に目を突かせたかった」
「親父……なにを言ってる? 田島が里見の指を折ったとは聞いたが……」
「里見の指を折ったのは目を潰されたことへの復讐ではない。里見の戦力を削ぐための手段にすぎない」
「つまり田島の頭ん中では……」
「トーナメントを制する可能性が高いのは里見だと……。うちの上杉もナメられたもんだ」
「里見が優勝しなければ、その強い里見と対戦する必要がなくなる」
「ああ」
海は弟を想い、悔しさをにじませる。
「もし空を害さずに拘束を解けば、里見が田島を地面に叩きつけたあと、目を潰す役を空、あるいは上杉がやることになっていただろう」
「自分の目を潰した奴の指を折るのが田島の目的だった」
「ああ」
「奴は空の目と里見の指を交換したというのか!?」
回復可能な里見の二本の指と、
回復不可能な空の両の目を……。
陸が自分の長男と連絡をとっているのは、海に自分のメッセンジャーとしての役割を与えたからだった。海は今マカオ国内にいる。大会が行われているホテルに直行し、上杉らと接触するために。
通話を終えた陸はモニターを見ている。
すでにアンダーグラウンドの中継は終了している。
MCは呆れた顔をして陸を見ていた。
「少しは協力してくれたって……ルーキーなんだぞ、少しは会員を楽しませてくれても」
「俺を強者と戦わせてくれるって言ってたよな。だが弟子の食い残しを師が喰い漁るわけにはいかない。B・B・Bの怪我が癒えるまでは待てんな」
「おい、空手王が戦いを拒否するのか!!?」
「勘違いするなよ。対戦相手は他にいる。トーナメントの敗退者だ。敗北の屈辱を雪ぐための相手が俺ならほとんどの奴らが拒否しないだろう。怪我が浅い奴が候補になる。候補が複数いるなら俺に選ばせろ。戦いが公になるのかアンダーグラウンドになるかはそいつの都合にあわせる。利益になるならタンは拒否しないはずだ」
タン・チュン・チェンの財力なら対戦に必要なコストも大した負担にはならない。
「……俺の一存では決められない……」
「命懸けの試合になってもかまわない。櫻井裕章でも、佐川の次男でも。誰でも」
山本陸の見立てでは、関修一郎も、反町隆広もその候補だった。
「ビッグネームばかり口にするな。もしかして、連戦でも呑む気か?」
冗談めかした口調でMCがたずねる。
「いっこうにかまわんが」
真顔でそう答える進道塾元塾長。
かつて最強と謳われたその男は、巨体を機敏に動かし室内を移動する。
モニターのコントローラーを手にした陸は廊下の映像を逆再生し、その場面を映しだした。廊下にいる陰陽トーナメント出場者およびセコンドは二人。里見と空だ。上杉と橋口はICUにいる。
虚ろな眼窩を晒す山本空は担架に乗せられ、
その右手を強く握る里見賢治。
「やったんですね、田島の目を」
「ええ……。そうです!! 私がやり遂げました……!!」
「良かった。先生が。なら俺のことなんて……どうでもいい。セコンドは誰かが替わってくれるでしょう。あとは大会を勝ち上がってもらえればなによりです。これは必要な犠牲だった」
「そんなことはない……空君はずっと私のそばに……」
担架が動き出す。すぐそばの診察室に運ばれる。中国語で交わされる医師たちの会話。忙しそうに治療のための道具を運ぶ看護師。
「俺の前で弱いところを診せないでくださいよ。……俺はあんたに賭けたんだ。空手じゃなくて玉拳に。有り金全額賭けたんすよ。だから……」
「あなたを後悔させたりなんてしない。……今は休んでいてください。そして勝利を祈っていてください。あなたの祈りは一億人の応援を上回りますから……!!」
「面白いこと言うんですね。少し痛みが薄れた気がします。大会が終わったらすぐに教えてくださいよ。里見さんがどんな勝ち上がり方をしたのか」
目が見えない空に、試合が視覚情報で伝わることはない。
山本空は闇の世界に一人とり残された。
かつて、周りの人間に天才とおだてられた男は、年下の弟子になにもなすことができない。
「……も、もちろんです」
「四試合とも全部」
「詳細に伝えますよ……空君」
山本陸は思う。
(里見賢治。かつて俺が鎧袖一触した相手。若き天才。拳聖。大陸に渡って拳法を学んだ男。闘士としての強さとは別の次元の話になるが、人間として見れば情に厚い男なのか。クールぶっているが中身は上杉と同様身内への愛情が強い。その点は俺と大きく異なっているな)
(空は……両目を失いながら、それでも里見という男への信頼を失っていない。新しい格闘技……玉拳といったか。その創設者の一員として自覚をもった直後にこの疵……あいつの人生はあいつのものだ。冷酷だが俺は父親であることに矜持をもっていない)
もとより弟子を置いて失踪した身だ。
(田島彬……あいつがどういう理屈で上杉よりも里見が強いと判定した理由はわからん。……今は奴に対する恨みの感情はやや薄れたか。弟子たちが報いを受けさせた。そうか、あいつ一人を対戦相手に選ぶ必要もない。残り少ない格闘家としての現役の時間……ならば肩慣らしに陰陽の敗退者の誰かを倒したあとは……強者を募る先は日本だけではなく世界になるだろう)
改めて自分の強さを他者に誇示しなければいけなくなった。
その手間が面倒でもあり楽しくもある。
陸は後退した髪の生え際を撫でた。
最後に思うのは一番弟子。
(上杉……相変わらず相変わらずな奴だ。弟子を守り、敵を気遣い、仇敵を見逃すその甘さ……。俺が指摘しても変わらなかった。エゴイストの俺と違い他者を優先し動く。空手を教えるのもあいつのほうがずっと上手かったっけ……。B・B・Bとの戦闘は、ざっと見た限りあいつの力だけでは説明がつかない。芝原戦からのダメージから回復するために薬物を使用し、その効果が現れたか……。ナイフ折り、そして合気を思わせる体捌き。そして心臓打ちか)
愛弟子の思わぬ成長に喜ぶと同時に、この男はこうも思った。
上杉を含めこの世のすべての格闘者は、俺に見逃されているにすぎない。
「機会があったらやりあおうぜ、上杉。互いが納得いくまでとことん」
(俺は老いや病で死にはしないだろう。俺を殺すのは誰だ? この生涯続く死闘の先に答えはあるはずだ)