【完結】マンハッタンカフェのそっくりさんをスカウトした転生トレーナー 作:クスクス
夜。
ホテルの部屋で一人、拳を握る。
サンデーの夢を叶える事ができなかった。
2回勝利した事でイージーゴアに対する侮りがどこかにあったのかもしれない。
あるいはサンデーの能力に甘えてしまっていたか。
今日の敗北の責は自分にある。
サンデーは最善を尽くした。
”走る事とは生きる事、レースとは戦い”その信念の通り、生命を、彼女の尊厳を賭けて。
ならば、彼女に敗北をもたらしたのは私の能力と努力が足りなかった事に尽きる。
私の胸に輝くネクタイピンを眺める。
初めてだ。
これを彼女に付ける事ができなかったのは。
彼女の勝利と祝福の証。
変わらぬ輝きが、今は目に痛い。
私の不足を詰るかのようだ。
何とも陳腐な表現だが、身を切られる思いがする。
“契約解除”。
アプリでは目標レースに勝たせられなかった時はそうなるのだったな…
彼女を”楽園”に導く事ができなかった私にはもはや彼女のトレーナーでいる資格はないかもしれない。
だが…万が一そうなるとしても。
サンデー。君は幸福になる。
3冠を逃しても、君がこれから歩む道は幸福で祝福されたものである事に変わりはない。
ダービーを制して2冠を手にした君を嘲るものなどどこにもいない。
そして、イージーゴアも完全無欠のウマ娘ではない。
今日の走りは確かに脅威だ。
彼女の最高速度はサンデーを上回っている。
それは認めよう。
しかし、コーナーから加速を始められるサンデーに対して、彼女はコーナーでいったん減速してから再度加速しなければならない。
要するにイージーゴアが最高速度に達するまでにリードを稼ぎ、逃げ切ってしまえばいいのだ。
キーを叩き、先ほどまで作業していたトレーニングメニューを表示させる。
今日の結果を元に今後のトレーニングを修正した。
細部はまだこれから調整が必要だが、決して彼女がイージーゴアに後れをとる事はないだろう。
また、金銭的な事でも決して不自由はしないはずだ。
これまでのレースの賞金だけでも、一生暮らしていけるだけの額にはなっている。
それに加えて、悲惨な境遇から自らの努力で這い上がってきた彼女の人生とイージーゴアという華やかなライバルの存在が爆発的な人気を生み、グッズやCMの依頼は引きも切らない。
名だたる大企業がこぞってサンデーを求めている。
まあ…サンデーはあまり金銭には興味がないが…
レースが終わっても人生は続く。
無いよりはあった方が良いだろう。
そう、決して悲観する事はない。
問題は、彼女が果たしてそう思ってくれるか…
”楽園”にたどり着けなかった無念は察するに余りある。
私が解任されるにしても、何とか次につながるような気持ちになってほしいものだ。
頭を悩ませていると…
呼び鈴が鳴る。
一旦思考を中断してドアへと向かう。
ルームサービスは注文していない。きっとサンデーだろう。
果たして…漆黒の勝負服姿のサンデーが立っていた。
元々色白だが、今の彼女の顔は蒼白くさえ見えた。
昏く沈んだ金の瞳が、私の胸元のネクタイピンに向けられる。
何かを口に出したいのだが、口に出せない。そんな気配を感じる。
「サンデー。おいで」
微笑んで彼女を部屋に招き入れる。
サンデーは黙ったまま、静々と私に従った。
彼女をソファーに座らせると、私はコーヒーメーカーから珈琲を注ぐ。
サンデー用にはデカフェのものを。
そして、常備しているペパーミントキャンディを取り出す。
サンデーはペパーミント味の物に目がない。中でもこのキャンディは彼女の大好物だ。
彼女の前のテーブルにキャンディと珈琲を置く。
普段通り、お茶をする時のように。
私も彼女の隣に座る。
サンデーは身じろぎもせずにじっと座っていた。
まるで、その静寂を保たなければ、彼女自身が消えてしまうかのように。
私も彼女と同じように沈黙する。
誰かに黙って側にいてほしい時というのはあるものだ。
彼女の緊張が少し和らぐのを待って私は口を開く。
「すまなかった。今日の結果は私の責任だ」
先ほど考えていた事を彼女に語り掛ける。
彼女のこれまでの真摯な努力、そして戦いに恥じる点などない。
ただ、私の責任である事。
決してサンデーがイージーゴアに劣ってはいない事を。
サンデーはじっと黙って聞いていたがやがて口を開いた。
「トレーナーさん…私はまだトレーナーさんの愛バですか?」
声色は静かだが、すがるような甘える色を含んでいる。
「もちろん。君をスカウトした日からずっと。君は私の愛バだ」
予想外の言葉だったが、それには自信を持って答えられた。
「獲物を取れなかった猟犬の私でも、3冠バになれなかった私でも…良いのですか?」
彼女の声はこみ上げる感情に震えていた。
「君の走りに惚れこんでスカウトした。そして君の事を良く知る度に君の事が好きになっていった。君の頑張り屋さんなところも、意外といたずら好きなところも、そしてレースに対する気高さも。だから、何があっても君は私の愛バだ」
「…なら私は大丈夫です」
彼女がそっと私の肩に身体を預ける。
「…変な気持ちです。あなたに勝利を捧げたかった。3冠ウマ娘になってあなたと”楽園”に行きたかった」
彼女の涙の雫が落ちていく。
私は黙って彼女の髪を優しく撫でた。
柔らかい、絹のように滑らかな髪。
「もし負けたら…きっと生きていられないと思っていました。あなたに失望されるぐらいなら…楽園にたどり着けない醜い姿を見せるぐらいなら…と」
「サンデー。二度とそんな事を言うな。私が君に失望する事なんてない」
つい口調が強くなってしまう。
彼女の声があまりに真摯で、恐ろしかった。
「はい。…きっとそう言ってくださると思っていました。だから大丈夫です。あなたが愛してくれるから。…私は狡いですね」
そう言って泣き笑いの顔になるサンデー。そして言葉を続ける。
「それに…イージーゴアに負けた時、びっくりしました。いつも、最後の直線では私の前に誰もいませんでしたから。あの子は戦う理由を見つけて…強くなりました。あの子はもう獲物じゃない。…敵です」
彼女の声が少し明るくなる。
「でも…彼女と走って思いました。愉しいと。そして…負けたくないと。私はまた彼女と戦いたい。そう思っています」
彼女が身を起こして私と見つめあう。
「トレーナーさん。私はもう3冠バにはなれません。それでも私は走ります。だって私はまだ生きているから。彼女との戦いはきっと”楽園”につながっていると思います。だから…私と一緒に楽園への道をもう一度歩いてください」
「もちろんだ。君をきっと楽園へと連れていく」
しかし、彼女はふるふると首を振った。
「…二人で一緒に歩いて行きましょう。今まで、ずっとトレーナーさんに甘えていました。トレーナーさんが全部自分の責任だというのを聞いて…そう思いました。でも…私は弱いです。きっと一人では抱えきれない。だから分かち合ってください。勝利の喜びも敗北の苦しさも。全部。そうしたら私は”楽園”へたどり着けます」
「誓うよ。その代わり君自身を大切にしてくれ。…何もかもわかちあうんだろう?君が傷ついたら、私も傷つくのだから」
「はい…!」
彼女が飛び込んでくるのを抱き締める。
彼女の体温と重さ。決して失いたくないものを抱く。
そして、彼女を離すと…彼女の金の瞳が熱っぽく輝いていた。
何かを思いついた嬉しそうな顔。
非常に嫌な予感がする。
前回サンデーがこの顔をした時は、レース後に抱きしめられたのだったな。
「トレーナーさん…」
サンデーの手が私の首に回される。
彼女の人形のように整った顔が近づいてくる。
そして彼女の目が閉じられる。
流石にそれはまずい。
何よりも…私の歯止めがきかなくなる。
起死回生の手段を探すと…テーブルの上にあるキャンディが目に入った。
そしてスーツのポケットの中にもキャンディを入れてあるのを思い出した。
何とか、キャンディを取り出し包み紙をはぎ…サンデーの唇に触れさせる。
彼女の瞳がびっくりして見開かれる。
目を白黒させるサンデーにそっとキャンディーを見せる。
サンデーはしばらくぷくーと膨れていたがやがて諦めてくれた。
私の手からキャンディーを口に入れる事が条件だったが。
「…甘いです」
私の膝の上に座ったサンデーが満足そうにつぶやく。
ああ。本当に。
ペパーミントキャンディの甘味のように。
彼女との日々は私には甘すぎる。
果たしてこの先、耐えられるのかどうか…一抹の不安を抱くのだった。
史実のサンデーサイレンスもペパーミントキャンディが好物だったらしいです。
練習に行くときの道中でイタズラばっかりするので道中はキャンディの包み紙の音で気を引いて練習のご褒美であげてたとか。
可愛いですよね。
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