【完結】マンハッタンカフェのそっくりさんをスカウトした転生トレーナー 作:クスクス
明け方。
柔らかく暖かな重みを感じて、目が覚めた。
カーテンの隙間から入りこんだ夜明けの光がぼんやりと室内を照らしている。
窓からはすでに熱を帯び始めた空気が入り込む隙をうかがっているのが感じられた。
今日も暑くなるだろう。
緩やかに頭を巡らせて時計を確認し、安堵した。
…起きるにはまだ少し早い。
一旦は布団から上体を起こしたものの寝なおそうとして…
私にぴったりと寄り添って眠るサンデーサイレンスを発見する。
彼女はまるで幼い子供のように安心しきって完全にくつろいだ様子だった。
そうか…夢か。
ぼんやりした頭が遅れて状況を理解する。
間仕切りで仕切られた向こうで寝ているはずの彼女がここにいるはずがない。
しかし、彼女が私の傍らに居るのはまったく自然で正当な事のように思えた。
あどけなく微笑んでいるかのように見える彼女の寝顔を見て、幸せな気持ちになる。
彼女の顔にかかっている髪を、彼女を起こさぬように優しく払う。
薄明りの中でも透き通るほどに白い肌と闇を溶かし込んだような黒髪。
世の中の善いものは柔らかで滑らかな感触をしている。
彼女の髪と肌のように。
彼女の寝姿を改めて見つめる。
いつもは彼女の野生と意志の強さを映して輝く金の瞳は閉じられている。
普段は恐るべき力を発揮する四肢もただ安らかに投げ出されていて。
この華奢な身体で大舞台に立つ彼女を誇らしく、そして愛おしく想う。
私の前で無邪気に眠る少女は清らかで聖なるものに見えた。
布団に再び身を横たえ、サンデーをそっと抱き寄せる。
彼女のやわらかな匂いを感じた。
彼女の髪に手を差し入れる。
生命力を強く感じさせるその感触に安堵した。
そのまましばらく彼女の髪をゆっくりと撫でる。
それを感じたのか、彼女がかすかに身じろぎし、声にならない吐息が漏れた。
微笑んで、撫でるのをやめる。
それから、可能な限り優しく彼女の頬に触れた。
叶うなら私の手で、君の幸福を守ってあげたいと思う。
世界中の何もかもから。
そんな想いをこめて彼女の額に接吻を落として。
私は二度寝をする事にした。
この夢から覚めるために。
獣の金色の瞳が私を見つめている。
改めて目覚めた私の感想はそれだった。
まだ夢を見ているのだろうか?
身体を起こそうとするが、優しく…しかし断固たる力で抑え込まれて動けない。
何かはわからないが、肉食の獣の優美な前足が私の肩を捕えている。
そんなイメージに身震いをするが…
そこで頭がはっきりしてくる。
何のことはない。
私の愛バ…サンデーサイレンスがウマ乗りになって私の顔を覗き込んでいるのだ。
彼女の透き通るように白い肌にはあざやかな血の色が通っていて。
喜びと、何かに突き動かされているような真摯さがその美貌に表れている。
そして…彼女の顔がだんだんと近づいてきて…
そのまま、彼女は私の額に静かに唇を捧げた。
たっぷり数秒間接吻をした後、彼女は私の身体から滑り降り、花咲くような笑顔を浮かべた。
「おはようございます…トレーナーさん」
蕩けた声で朝の挨拶をするサンデーサイレンス。
私は固まったまま彼女を見ていたが、私の布団の傍らに彼女の布団が敷かれている事に気づく。
そして私の身体についた彼女の甘やかな匂い。
なるほど…?
つまりあれは夢ではなかったと。
幸せそうに額を撫でているサンデーを見て…私は深々と溜息をついた。
サンデーへのお説教を終えてトレーニングのため海に向かう。
睡眠時間はアスリートにとって重要だ。
今日は少しだけ昼寝の時間を長めにとるようスケジュールを調整する。
他にも準備があるので、サンデーには先に海に入っていてもらった。
…最近、サンデーからのアプローチがどんどん過激になってきている。
どうも旧友のアイビーに再会してからちょくちょく恋愛相談をしているらしい。
結果として、優秀な参謀を得たサンデーの猛攻に遭う羽目に陥っているのだった。
情報源は少女漫画やティーン向けの雑誌で、可愛いものだろうが…
二人とも実際の恋愛経験がないだけにあまりにも無防備だ。
私とて聖人君子じゃない。
時には今日のように魔がさす事もある。
それに…いや、やめておこう。
この眩しい太陽の下で考えるべき事じゃない。
そんな私の気持ちも知らずに、その美しい肢体を惜しげもなくさらして私に手を振るサンデーに私は本日2度目の深いため息をつくのだった。
泳ぎ終えて、私達の家に戻る。
暑かった。
時折サンデーと一緒に海で泳いだが、それでは収まらないほどに。
8月の太陽は、7月の爽やかな暑さとは違い、熱気を増していた。その光と熱気が私の中に流れ込んでくるようで、得体のしれない狂暴な気分が私の中に横溢していく。
太陽。サンデーサイレンス。海。接吻。そして愛。
意味のない文字列がくるくると私の中で回っている。
何かが崩れつつある。
私からは手を出さない。
その一線を私は破ってしまった。
自分の中のルールを。
昼食を作りながら私とサンデーはほとんど口も利かなかった。
彼女は私の沈黙を嗅ぎ分け、味わっていた。
彼女は沈黙を通じて語り、また沈黙から多くを読み取ってしまう。
そんな聡いところがある。
そして、肉食獣が血の匂いを決して見逃さないように。
私の沈黙の理由を察してしまったように感じられた。
窓からの空の青と海の青が濃い。
そして外の熱気も冷房に遮られてここまでは入ってこない。
ここは楽園だ。
ここから眺めていると、世界は美しくシンプルに思えてくる。
サンデーは私にとって世界一愛しい女の子で、彼女も私を慕ってくれている。
そして、時間は永遠のようで。
ここは私達2人の家だ。
なぜいけないのか。
それは私がトレーナーで、サンデーは世界一大切な女の子であるからであり、夏合宿は残り2週間しか残っておらず、ここは単なる合宿所で、トレセン学園は婚活会場ではないからだ。
私は首を振ると大いに食べ、サンデーにむかってことさら陽気にしゃべりたててみせた。
満腹の状態で邪な事は考えられない。そして、陽気なおしゃべりからは真実は生まれない。
そんな私をサンデーはあの美しい金の瞳で静かに眺めていた。
私はひたすらしゃべり、彼女が軽く相槌を打つ。
やがて、私がしゃべりつかれて黙ったところで、彼女が見計らったかのように口を開いた。
「トレーナーさん…この時期は日本ではお盆というのですね。そして家族の元に帰り、祖先の霊を偲ぶと聞きました…ご家族のところに行かなくていいのですか?」
まったくの予想外の質問。
フェイントで全くの無防備なところに一発食らったようなものだ。
だから私も何気なく答えてしまった。
「愛バを放り出して…かい?そんな事をするトレーナーはいないよ。それに、私に家族はいない」
私の声は、まるで最近のG1で勝ったウマ娘の名を教えるようにあっさりと響いた。
「ご家族と仲が悪いのですか?」
「いや、単純にいないというだけさ。私は、施設に捨てられた子だったんだ」
これまで何となく明かす事を避けてきた私の過去。
もっとも孤児である事に引け目は感じていない。
かえって転生という特殊な事情があるだけに良かったとすら思っている。
サンデーも軽く頷いただけだった。
それが何でもない事でもあるかのように。
ただ、その後、彼女が肩を広げて呼吸をした事に気づいた。
彼女がレース中にする呼吸。最終コーナー以外のカーブではその呼吸をして一息つくのだという。
最終コーナー。彼女の狩場に備えて。
今思えば、私はそれにもっと気を配るべきだったかもしれない。
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※サンデーサイレンス視点
その夜、私はトレーナーさんを散歩に誘いました。
手をしっかり繋いで、私がトレーナーさんを先導します。
ウマ娘は夜目が利きますから。
浜辺にたどり着くまで私達は黙っていました。
月の無い夜。
恐ろしいほどの星。
Milky Way…いいえ、天の川が降り注ぐかのようです。
そして真っ暗な海。
トレーナーさんの手を離します。
「サンデー?」
戸惑ったようなトレーナーさんの声。
その声に…少しだけ寂しさが含まれているように思えるのは私の期待しすぎでしょうか。
私は答えずに、トレーナーさんから離れて歩き出します。
トレーナーさんはしばし私の答えを待っていたようですが、諦めたのか苦笑してその場に佇んでいました。
潮騒だけが私達の間で響きます。
無窮の星空と暗い海を背にして佇むトレーナーさんはひどく孤独に思えました。
その姿を目に焼き付けます。
広い世界でたった一人で戦ってきたあなたの姿を。
この姿は私だけのものです。これからは、私があなたを独りにはさせませんから…!
やがて沈黙に耐えかねたかのように、トレーナーさんが口を開きます。
「天の川が綺麗だね。サンデー」
「はい。とても。…故郷を思い出します」
私の声にトレーナーさんが安堵するのが感じられて…嬉しくなります。
しばしの沈黙の後、静かに口を開きました。
「寂しいかい?何なら君こそ帰省する時間をとっても…」
「いいえ…ただ懐かしかっただけです。私が帰る場所は…あなたの隣なんです」
故郷の草原で、一人星空を眺めた時よりも。
あなたと二人で星空を眺めている今のほうがずっと…安心します。
「そうか…」
そう言ってトレーナーさんが黙り込みます。
私も黙ったままトレーナーさんの前に回り込んで、海を背に対峙します。
「トレーナーさん…家族がいないというのは本当ですか」
「ああ…本当だよ。でも私はそれを恥じてはいない」
トレーナーさんは静かに私を見つめて語りました。
「確かに施設で育つというのは楽な事じゃない。職員の人は頑張ってくれたけど何もかも満ち足りた生活…というわけにはいかなかった。それでも、私なりに頑張ってきた」
トレーナーさんの目は過去を見据える遠い目をしています。
…やっとあなたの過去を知る事ができました。
「寂しくは…ありませんでしたか?」
トレーナーさんはしばらく迷ってから観念したように力無く答えます。
「寂しくなかった…と言うべきなんだろうな…本当は。でも率直に言えば寂しかった。誰もこの世界に私を愛してくれる人がいないというのは辛いものなんだ。月並みな感想だけどね…」
それからトレーナーさんは力無く笑ってこう続けました。
「こんな事を話すのは君が初めてだ。…それに本当は星空を眺めるのも嫌いだった。でも君と眺める星は悪くない。君とは…初めての事ばかりだな」
なぜか自分が罪人でもあるかのようにうなだれるトレーナーさん。
その顔はいつもの優しい”大人”の顔ではなく、傷ついた少年の顔をしていました。
一歩一歩。
砂を踏みしめて。
トレーナーさんの下に歩み寄ります。
”今が走る時なんだ”と私の本能が叫ぶ。
最終コーナーを回る時。
…コーナーを曲がるのにはコツがあります。
勢いに逆らわない事、そして一瞬のタイミングを逃さない事です…!
胸の鼓動が潮騒を圧して私の中で響き渡ります。
まるでレースの最中のように、私の血潮が沸き立ち身体が震える。
潮風が私の髪を撫でるのが、スパートをかけた時のように感じられます。
…きっと後戻りはできない。
安穏としたトレーナーさんの愛に守られた生活も終わってしまうかもしれません。
でも。子供の目には世界を閉じ込めているように見えたガラスドームも、大きくなって見ればただの玩具でした。
きっと、この合宿も大人のトレーナーさんから見たら単なる担当ウマ娘のトレーニングで、今朝の事も単なる気の迷い、思い出の一つとして笑い話にでもなるかもしれません。
だから、駆けなくては。
私の全力で。
この想いを思い出にはさせません。
私の気配に気づいたトレーナーさんが顔を上げるのと同時にトレーナーさんを静かに抱き締めます。
透明な愛の破片が私に降りかかってくる。そんな幻想。
「トレーナーさん。あなたを愛しています。…世界で独りぼっちだなんてそんな悲しい事を言わないでください。…私が側にいます。これからずっと」
彼の背中を優しく撫でる。彼の孤独と寂しさが消え去るように。
「私と家族になりましょう…これから二人で色々な”初めて”を経験しましょう。私の故郷の草原を一緒に見てください。あなたの育った場所を見せてください。それから私達の新しい家族も作りましょう。そうすれば…きっと寂しくありません」
「私には…君を幸福にできるかわからない。…君にはずっと幸福でいてほしいんだ」
「私はもう幸せです。…それに幸せは二人で掴むものです。忘れてしまったのですか?」
「そうだな…君はいつも正しい。そして…強いな」
そう言って彼が笑うのを聞いて私は彼を抱く手を緩めました。
トレーナーさんの声にいつもの調子がもどってきています。
彼の手が私の背に回され、私を抱き締めました。
「トレーナーさん…」
愛を籠めて彼を呼び、そのまま彼を見つめます。
彼が私に優しく笑いかけ、それから真剣な顔になります。
「君を愛している。サンデー。トレーナーとしてだけじゃない…私の全てで君を愛している」
私の頬に優しく彼の手が触れ、軽く上を向かせます。
そして…彼の唇が私の唇に触れました。
優しいキス。
その瞬間、私は”楽園”を見る事ができました。
まだ見ぬ私の娘達が光を纏ってそれぞれの幸福に向けて走っていくところを。
やがて、キスを終えるとトレーナーさんが優しい声で私に語り掛けます。
「さっきも言った通り、私は君を愛している。でも、君が私に縛られる必要はない。…君が走り終えた時、私が不要なら捨てて行って構わない。さっきの君の言葉で私は救われたのだから」
むっとして私は彼を引き寄せてキスをしました。
呆然とする彼に私は笑顔で答えます。
「良い猟犬は獲物を逃がさないものなんです。…絶対に逃がしませんから」
いよいよ次話でイージーゴアとの決戦です。
長かった…!
ここまで読んでいただいた読者の皆様には感謝してもしきれません。
そしてできれば最後まで読んでいただければ…と思います。
恐縮ですがもしよろしければ…感想と高評価を頂けると幸いです!