【完結】マンハッタンカフェのそっくりさんをスカウトした転生トレーナー   作:クスクス

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楽園(前編)

審判の日。

ブリーダーズカップ当日。

観客達の歓呼の声。

 

それに揺らがず静かに立つサンデーサイレンス。

喧噪に満ちた簡素な控室の中で、彼女の周囲だけは不思議な静寂に包まれている。

漆黒の勝負服を纏った彼女の身体は、まるでまどろむかのように見えたが、芯には獲物を狩る獣の鋭い緊張がある。その姿は、弛緩と緊張の非常に微妙な均衡を感じさせた。

 

私が静かに彼女に歩み寄ると、彼女の金の瞳が徐々に輝きだす。

サンデーは獣の身軽さで、私の前に立つ。

 

その手にはネクタイピンが握られている。

私達の愛の証。前哨戦のスーパーダービーを制した時に渡していたものだ。

 

彼女の手が貴いものに触れるかのように私に触れ、ネクタイピンがつけられる。

私達を包む沈黙の中に私達の愛が流れている。

彼女の金色の瞳に私の姿がある。

 

それを見た時、初めてのG1でサンデーがネクタイピンを付けてくれた時の事を思い出した。

万感の想いがこみ上げる。

あの時、彼女の瞳に映る私はウマ娘達のレースへの想いとその情熱に怯えていた。

サンデーとの日々は、私にウマ娘の尊厳を教えてくれた。

走るとは生きる事、戦う事、そして愛する事。

彼女達が背負う”走る”という宿命の重さとその一瞬の生命の輝きと喜びを。

 

サンデーの瞳に映る今の私は…怯えてはいない。

 

サンデーサイレンスの肩に手を置く。

滑らかな勝負服の生地の感触。そして彼女の柔らかな肉体と決して揺るがない彼女の生命。

私達は一つだ。

 

「サンデー。共に楽園に行こう」

「はい…一緒に行きましょう。愛しています。トレーナーさん」

 

彼女の身体が痙攣するかのように一度震え、静かに言葉が紡がれる。

サンデーの金の瞳が燃え上がった。

彼女の闘志と走る事への歓びがその輝きを通じて室内に放射されるのを感じる。

愛しい恋人、サンデーサイレンス。

彼女をレースへと送り出す。

ウマ娘だけに許された戦場、そして祝福の舞台へと。

 

彼女をパドックへ送り出す途上、イージーゴアが視界に入った。

相変わらず彼女は完璧に優雅で美しかった。

しかし、あの王女のような天真爛漫な無垢さは失われていた。

代わりに今まさに咲き誇らんとする薔薇の暴力的な生命の美しさと愛する者の強さがあった。

イージーゴアとそのトレーナーの固く結ばれた両手が何よりも雄弁に二人の関係性を語っている。

彼女は王女から女王になったのだ。

 

 

観客席に座ると、観客の声援は地鳴りのように感じられた。

憧憬、熱意、喜び、人間の持ちうるあらゆる正しいものが渾然一体となった原初的なうねり。

無数の色彩を帯びた声が私の皮膚に染み通り、染め上げていく。

観客席の人々はまるで一つの生命のように熱狂の中で溶け合っていた。

しばし圧倒される私の肩にそっと誰かが触れた。

これ以上はないという適切なタイミング、適切な力加減で。

振り返ると、イージーゴアのトレーナーが立っていた。

 

「隣、構わないかな?」

「もちろん」

 

彼は静かに私の隣に腰を下ろした。

あいかわらず騎士を思わせる端正な顔立ちだったが…以前にはない老成が感じられた。

 

「君にはお礼を言いたかった」

 

狂奔する群衆の中で、その声ははっきりと響いた。

 

「君はプリークネスで言ってくれたね。僕がイージーゴアの、世界でただ一人のトレーナーだと」

 

私は黙って頷いた。

 

「僕は嬉しかった…ずっときっかけを待っていたんだが、どうしても一歩踏み込めなかった。彼女はあまりにも純粋で、関係を壊すのが怖かったんだ」

「君達には確かな絆があったというだけだろう…私のあれは攪乱戦術だった」

 

私の言葉を聞いた彼の青い瞳に穏やかな光が浮かび、愉快そうに笑った。

 

「攪乱戦術か…君は僕が知る限り世界で一番それに向いていない男だよ。いずれにせよ、君の言葉が無ければ、僕が彼女のトレーナーとしてここにいる事はなかった」

「なぜだろう?君は立派に役目を果たしていた」

 

ゆっくりと彼は首を振った。

 

「こんな事を言うのは悪いが…君の言葉が無ければ僕たちはベルモントで勝つ事はできなかった。それに…ベルモントの後に僕は彼女に3冠を取らせ損ねた事で彼女の担当から外されるはずだった。しかしイージーゴアが僕を降ろすなら自分ももう走らないとワガママを言ってね。…それが彼女の人生初めてのワガママだというんだ」

「君も…愛されているな」

 

私の言葉に苦笑して、彼は静かに自分の手を見つめたあと力強く続けた。

まるで殉教者が信仰を告白するかのように。

 

「僕もイージーゴアを愛している。君がサンデーサイレンスを愛するのと同じように」

 

私は黙って微笑んだ。

その時、イージーゴアとサンデーサイレンスがパドックに姿を現した。

観客の興奮が最高潮に達し、それまで一つに溶け合うようだった観客達が二つに分かれて声援を送る。

サンデーサイレンスとイージーゴア、それぞれに。

イージーゴアのトレーナーが立ち上がった。

 

「勝つのがサンデーサイレンスとイージーゴア、どちらになるとしてもこのレースは歴史に残るレースになる。…君達のような偉大な好敵手と巡り合えた事を誇りに思う」

「私もだ」

 

彼は私としっかりと握手を交わし、トレードマークの爽やかな笑みを浮かべて去った。

一人になった私は観客席の一角にさりげなく目をやった。

そして、車椅子に乗った銀髪のウマ娘、ホワイトアイビーとウマ娘達を見つける。

私がサンデーの旧友達を招待したのだ。

流石に全員とはいかなかったが…それでもかなりの人数が招待に応じてくれた。

ホワイトアイビー達は懸命にサンデーに声援を送ってくれている。

 

サンデーに微笑みかける。

11月にしては暖かな陽光が彼女に降り注いでいる。

競技場を揺るがす声援と祝福。旧友達との再会。

君が勝ち取ってきたものだ。

運命に逆らって走り続けた君自身の脚で。

それに、私の愛の全ても捧げる。

 

だから共に楽園に行こう。

 

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※サンデーサイレンス視点

 

澄み渡った空が楽園の到来に震えている。

パドックに立つとそれが感じられました。

勝利の予感に満ちた空気を身体一杯に吸い込みます。

私にはわかります。

今日こそが約束の日…私とトレーナーさんが楽園に行く日なのだと…!

 

それに陶酔して身体を伸ばした瞬間、足音を聞きました。

軽やかに…けれど力強く。

まるでアリアを歌いあげるかのように独自のリズムを持った、大きなストライドでこちらに歩んでくる。

振り返ると、栗色の髪を陽光に誇らかに輝かせる長身のウマ娘が微笑んでいました。

ああ…あなたがいましたね。

イージーゴア。

私の宿敵。楽園に立ちはだかるウマ娘。

 

パドックでイージーゴアと向かい合う。

もう、かわいそうとは言えません。

彼女は戦う事を知っている。

心地よさそうに栗色の髪を風に靡かせるイージーゴアは女王のような風格がありました。

 

「お久しぶりです。サンデーサイレンス。またお会いできて本当に嬉しいですわ!」

「…私は別に会いたくなかったのですが」

「もう…!相変わらずつれない方ですの。でも良いのです。貴方は私のたった一人の好敵手なのですから」

 

私の憎まれ口にも関わらず嬉しそうに目を輝かせるイージーゴア。

彼女の瞳には私に対する深い親愛の情があります。

そして、”私の好敵手”という言葉を大切そうに噛み締めて話しているのがわかりました。

私も…彼女に敬意を払う事にしました。

渾身の闘志を乗せて彼女と視線を合わせます。

 

「それには同意します。イージーゴア。…今日は私とあなたのどちらが強いのか…そして年度代表バに相応しいウマ娘がどちらなのか決まる日です。戦う準備はできていますか?」

「ええ…私の全てを賭けて。全身全霊でお相手いたしましょう。貴方という好敵手と戦える事を誇りに思います。例え敗れたとしても悔いはありません。…けれど」

 

落ち着き払って優雅な発音で私の問いに答えるイージーゴア。

しかし、いったん言葉を切ると弾けるような笑顔と共に言葉を吐き出してきました。

 

「けれど勝つのは私ですわ!貴方に勝ってから私もトレーナーと一緒に勝利を積み重ねてきました。これは私の愛の証。ですから…今日勝つのは私です!」

「思いあがらないでください。私とトレーナーさんの間にも愛があります。決して揺らがない愛が…!」

 

私とイージーゴアの闘志を激しくぶつかり合います。

一触即発の空気ですが、やがて彼女がふっと力を抜いて静かに笑います。

 

「ふふ…私達は似たもの同士なのですね」

 

似ている…私達のどこが似ているのでしょうか?

私達はまるでコインの裏表のようです。

期待を一身に受けて育ったあなたと誰にも期待されなかった私。

ニューヨークで活躍したあなたとカリフォルニアと日本がホームグラウンドの私。

あなたは直線が得意で、私はコーナーが得意。

何もかもが正反対の私達。

 

でも。認めたくないですが…たどり着いた場所は…彼女の言うように似ているかもしれません。

だから…あえて彼女に問いかけてみました。

 

「あなたと私は全く似ていませんよ」

「そうでしょうか?…私と貴方は良く似ています。私達二人とも自分のトレーナーを愛していますし」

 

彼女は柔らかく、どこか母性を感じさせる微笑みを浮かべた

 

「何よりも走る事に真摯であろうとしている。私はレースで走る事をトレーナーと同じように愛していますし、貴方にとっては…人生そのもの。そうではありませんか?サンデー」

 

私は言い返せずに黙るしかありませんでした。

だって…彼女の言った事は私の思っている事と同じでしたから。

 

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薄暗い地下バ道にパドックでのお披露目を終えて本馬場へ向かう私とウマ娘の靴音が響きます。

コンクリートにその響きが反響するのが、いやに大きく感じられます。

出口から差し込む光が眩しく感じられました。

この光の先にトレーナーさんがいる。そして…楽園があります。

…そう思うとここはトレーナーさんと出会う前の私の人生に似ているかもしれません。

 

その連想にたどり着いた時、唐突に過去の記憶が降りかかってきました。

もうずっと…思い出す事もなかったのに。

フラッシュバック。

過去の奔流が私の中から溢れ、過去の地獄を再演する。

むせかえるガソリンの匂い。ウマ娘達の悲鳴。血液の錆びた匂いとぬるぬるした感触。

身体に突き刺さった硝子片と灼熱の苦痛。

…ただの幻覚です。

歩き続けろ。

そう念じて、一歩一歩踏みしめる事に感覚を集中させる。

ホワイトアイビーの銀の髪を。

彼女の駆る車椅子の輝きを思い出します。

そして、旧友達の激励の声を。

理不尽な運命も私達を打ち砕く事はできません。

 

やがてフラッシュバックが薄れ、現実が戻ってくる。

軽く頭を振って、脳裏にちらつく硝子片の水晶のようなきらめきを追いやります。

 

「サンデー?大丈夫ですか?」

「大丈夫です…何も問題ありません。あなたも…敵に構っている暇はないはずですよ」

 

隣を歩くイージーゴアが心配そうに声をかけてきます。

表情に出さない事には慣れていたはずなのですが。

彼女はなおも心配そうにこちらを見ていましたが、私が不敵に笑ってみせると頷いてそれ以上の詮索はしませんでした。

 

しかし、安堵する間もなく…後ろから小さな足音が駆けてくる。

これも幻聴なのはわかっています。

なぜなら…その足音が私を追い抜いて。

黒い小柄な影…今よりも少し小さな私の幻影が私の前を駆けていきます。

 

がむしゃらに。必死に。

何かを追って。何かに追いたてられているかのように。

狂おしく…けれどどこか弱弱しい怯えた姿に懐かしさがこみ上げます。

そしてあの時の感情を…思い出しました。

 

今日も誰にも見てもらえなかった。

でも私はまだ生きている。走れる。

だから…明日はもっと早く走ろう。

たとえ最後まで誰に見てもらえなかったとしても。

私自身のために。

 

懐かしい思い出です。

その想いだけで走っていた私。

私の前から去っていき、小さくなっていく影に、あの頃の私に語り掛けます。

 

大丈夫です。

あなたの努力は。想いは無駄ではありません。

ただ、無為に苦しんだのではなかった。

 

燃えるような夕暮れにあの人が私を見つけてくれました。

晴れ渡る午後に、初めてのG1を取った私を祝福してくれました。

曇りの日に私を愛してると言って赤い薔薇を捧げてくれました。

そしてあの完璧な夏の朝に私の額に接吻して。

星空の煌めく夜にあの人と私は一つになりました。

 

だから…あなたの歩む道は楽園へと続く確かな路です。

 

かつての私の幻影は地下バ道を抜け、光の中に消えていきました。

私もそれを追って歩きます。

過去の記憶も。かつての焦燥も。全ては今日、楽園に辿り着くために。

 




後編は明日投稿します。
サンデーの旅路の果てをどうか見届けていただければと思います。

※作中のサンデー視点での”トレーナーさんと一つになった”というのは15話で過去と愛を共有した事を指します。あくまで現時点ではトレーナーさんとの愛はプラトニックなものとお考えください。

評価と感想いただけるととても嬉しいです。
なにとぞよろしくお願いいたします。

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