【完結】マンハッタンカフェのそっくりさんをスカウトした転生トレーナー 作:クスクス
世界に祝福されたウマ娘。
彼女が現れた瞬間、世界が変わった。
その栗色の髪が陽光に照らされて、赤や金の輝きを振りまく。
戦場のように張りつめているはずのレース場を王女が庭園を歩くかのように優雅に愉し気に歩く。
パドックを一周しただけなのに、このレース場はもう彼女の王国だった。
そしてレースでは。
彼女が踏みしめる大地が喜んでいる。
そう錯覚するほど軽やかに優雅に彼女はその長身を運ぶ。
彼女の一挙一動は走る事、生きる事への喜びの詩だった。
周囲のウマ娘が苦し気に顔を歪める中、彼女は心からの笑顔でレースを走り終えた。
イージーゴア。
偉大なる名バ「セクレタリアト」の再来。
私は深く息をついた。
彼女のレース映像に圧倒されて無意識のうちに息をとめてしまっていたらしい。
先のG1を勝った事で私達はケンタッキーダービーへと名乗りを上げた。
もちろんサンデーサイレンスの望みはそれだけではない。
その先の米国3冠。さらにその先のまだ見ぬレースへと。
彼女の時折口にする”楽園”がその勝利の果てにあるなら、私はどこまでも支える。
だが。
それはこのウマ娘…イージーゴアとの対決が避けられない事を意味していた。
レース映像を停止させ、PCに彼女の資料を表示させる。
超名門の家系に産まれ、名家のトレーナーとともにすでにG1を2勝。
直近のG1こそ2着と敗れたものの、ケンタッキーダービーの大本命と目されている。
軽く目を閉じる。
イージーゴアの世界に愛され、祝福された走り。生きる事の歓喜の歌。
サンデーの、飢えを満たす獣のような走り。世界に己の存在を証明するための叫び。
境遇も走りも対極にある彼女達がぶつかった時、果たして勝つのはどちらなのだろうか。
そんなもの思いに沈んでいると私一人のはずのトレーナー室に聞きなじんだ声がする。
「…トレーナーさんお茶をどうぞ…」
「ああ…ありがとうサンデー」
反射的に受け取ってからふと気づく。
サンデーはG1の疲労回復のために今日はトレーニングは無しにしたはずなのだが…?
慌てて彼女を見ると、彼女の金の瞳が嬉しそうに輝く。
私の傍らに寄り添うように立ち、私をのぞき込んでいた。
…あのG1以降、彼女の距離が近い。
今もさりげなく彼女の尻尾が私に絡められている。
私もトレーナーである前に一人の男なので、そういうのは心臓に悪いのだが…
トレーナーとしての私を信頼してくる証と思うと下手に注意する事もできない。
気をそらすためにサンデーに声をかける。
「今日はトレーニングはお休みだよ。それとも…なにか相談かな?」
「…トレーナーさんのお顔が見たくて…ダメですか?」
「いや。もちろんいつでも勧げ…」
そこまで言いかけてイージーゴアが私のPCに表示されている事に気づき、躊躇する。
彼女がどういう反応をするか予想がつかない。
そこで彼女の金の瞳がPCのイージーゴアを捉える。
彼女の瞳が細められる。
PCが破壊される事も覚悟したが…
彼女の口から出たのは意外な台詞だった。
「…可哀そうな子ですね」
可哀そうとは。
世界に愛されてるとしか言えないほど恵まれた境遇にあるウマ娘にもっとも似つかわしくない言葉ではないか。
彼女がそのまま言葉を続ける。
「…誰もが彼女を愛するばかりでレースを走る事の意味を、戦う事を教えなかった」
そう言ってサンデーは楽しそうな笑顔で走るイージーゴアの写真を指さす。
だが、彼女は2度もG1を制しているし、スタートで出遅れる時はあるもののレースの技能は見事なものだ。それを指摘すると彼女はかぶりを振った。
「私達…ウマ娘にとって走る事は生きること…レースとは生きるための戦いなんです」
これほど他のウマ娘について饒舌な彼女を見るのは珍しい。
そして、これから話す事はきっと彼女にとって大事なことなのだろう。
彼女からレース前の時のような静かな高揚を感じる。
さりげなく椅子を回して彼女と向かい合う。
「トレーナーさん。彼女はこう思ったことがあるでしょうか。…あと1日走れるのなら、死んでもいいと」
答えが求められている質問でない事はわかった。
彼女は自分の過去の事を話している。
彼女の瞳の中に底なしの穴のような飢えが見える。
「走り続けても誰にも見てもらえなくて、誰でもいい。何を差し出してもいいから私をレースに連れていってほしいと思った事は?」
彼女の瞳が肉食動物のように炯々と輝く。
彼女の瞳の中で黄金の焔が燃える。
醜い、捻じ曲がった脚で走るはずがないと自分に目を向けなかった者達への怒り。
彼女がレースで見せる飢えと怒り。
その根源が少しだけわかった気がした。
それはきっと、彼女を襲った理不尽な運命の中で育まれたのだろう。
「きっとないでしょうね…だから彼女には飢えがない。勝利を渇望した事がない。…彼女は本当の意味でレースを走った事がありません」
私はそれを聞いて内心複雑だった。
勝つことだけがレースの全てではない。
ウララちゃんのようにレースを走る事を純粋に楽しみ、そして周囲を楽しませるというのも立派にレースを走っている事になるとは思う。
だが、サンデーサイレンス。彼女にとっては生きる事と走る事は密接に結びついており、レースとは互いの生命を賭けた生存競争の場所なのだ。
だから、イージーゴアを憐れんでいる。
レースの残酷な側面を知らず、天賦の才だけでレースに勝つイージーゴアは、サンデーにとっては戦場に連れ出された幼子のように見えるのだろう。
そっとイージーゴアの写真を見る。
先ほどと同じ、心からレースを楽しむ無垢な笑顔。
だが、サンデーの話を聞いた今ではそれが別の意味を持つように見えた。
再びサンデーに目を向ける。
彼女の怒りと飢え。
それは彼女の尊厳の一部であり、決して否定すべきものではない。
だが。
その怒りと飢えはいつか彼女自身をも薪として燃え上がり、彼女を食い尽くしてしまうのではないだろうか…そんな不安を覚える。
「そして…」
そこまで言って彼女が軽く目を閉じる。
再び目を開いた時、その金の瞳に先ほどの飢えと怒りはなかった。
代わりに、穏やかだが決して揺るがない何かがその瞳に黄金の煌めきを与えている。
彼女の金色の瞳の中で私がどんどん大きくなる。
彼女はほとんど触れ合わんばかりに身を寄せて私に話しかけていた。
「彼女は知りません。暗い道を独り走っているようだった私を拾いあげてくれた手の温かさを。貴方の瞳に私が映る事の尊さを」
彼女の瞳が私のネクタイに向けられる。
あのG1の時に、ネクタイピンがつけられていた場所に。
「そして、生まれて初めての祝福を二人でわかちあうことの喜びも。…彼女が世界に愛されていても…トレーナーさんの愛バである私には勝てません」
愛。
彼女の瞳を輝かせているものはそれだったか。
彼女の白皙の美貌が目の前にある。
彼女の黄金の瞳に魅了され、私は彼女の頬に優しく触れる。
そして、嬉し気に瞳を揺らめかせる彼女に私は…
そこで授業の予鈴が鳴る。
私はそこで我に返った。
慌てて彼女の顔から手を離す。
「ほら、授業の時間だ…行っておいで」
何とか普段通りの声を取り繕う。
彼女は名残惜しそうに身体を離すととぼとぼとドアに向かって歩きだす。
その背中に私は先ほど彼女が思い出させてくれた事を呼びかけた。
「サンデー。君は私の愛バだ。君は誰よりも強い。もちろんイージーゴアよりも」
サンデーが振り返り、金の瞳が先ほどと同じ光に輝く。
そのまま心ひかれるように何度も振り返りながら、彼女はトレーナー室を出て行った。
そんな彼女を見送って私は…机に突っ伏す。
危ないところだった。予鈴が鳴らなければ私は…とんでもない過ちを犯していたかもしれない。
そのまま先ほどのサンデーの嬉し気な瞳を思い出す。
彼女は私の愛バであり、私は彼女を愛している。
一方で彼女も私を慕ってくれている事には気づいていたが、それはトレーナーとウマ娘としてのものだと思っていた。
だが…私のうぬぼれであってほしいのだが。
彼女の愛はもしかしたらもっと別の種類のものなのかもしれない。
そして何より問題なのは。
そうであったら嬉しいと感じてしまう自分がいる事だった。
もしかしたら私とサンデーサイレンスの関係は、引き返し不能点に近づいているのではないだろうか。
そんな漠然とした不安を抱えつつも身体を起こすと画面の中のイージーゴアの無邪気な笑顔が目に入る。
「結局…君も私も…サンデーサイレンスには勝てないという事か」
そう画面の中の彼女に呼びかけるも、もちろん答えはなく彼女の女神のような美貌が静かに輝いていた。
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教室に向かいながら私は…トレーナーさんの触れていた頬にそっと触れる。
あと少しだけ時間があれば。
そう思うと口惜しい気もするが、追う楽しみも狩りの醍醐味だ。
トレーナーさん。愉しい狩りにしましょうね。…ただし獲物はあなたですが。
弾みそうになる脚を抑えて歩きつつ、今日のきっかけをくれた彼女の事を考える。
イージーゴア。
世界に愛されたウマ娘。
私と違い、幸福に育ち周囲に祝福されて歩んできた彼女。
彼女について思う事はトレーナーさんに話したが…隠している事もある。
あなたにはきっと想像もできないでしょうね。
走るという事がウマ娘にどんな意味を持つのか。
心の中で彼女に呼びかける。
軽く目を閉じる。
横転したスクールバス。血の匂い。ウマ娘達の悲鳴。
慣れ親しんだ光景が脳裏に広がる。
二度と走れないと言われたウマ娘の慟哭を聞いた事がありますか。
傷の痛みに耐えながら、友人達のように自分も二度と走れなくなるのではないか。
そう思って過ごしたことは?
あの日、事故にあったウマ娘の中で再び走れるようになったのは私だけだった。
他のウマ娘達は…皆二度と走れなくなった。
彼女達の無念が。あの慟哭が私の中に焼き付いている。
だからでしょうか。
レースになると私は酷く飢える。
彼女達の無念が。果たされずに散った夢の欠片が私を駆り立てる。
他のウマ娘達を喰らえと。
その夢を、希望を、未来を踏みにじれと。
…これはトレーナーさんにも明かした事はありません。決して明かす事もないでしょう。
優しいあの人に醜い怪物の私を見せて。
もし失望させたら。あの人が私を恐れたら。
それはきっと死ぬより辛い事だから。
イージーゴア。
祝福されたウマ娘。
あなたの夢は。希望は。一体どんな味がするのでしょうね。
私の中の黒い怪物が舌なめずりをする。
満たされぬ飢えが彼女を欲している。
そして…別の私も彼女を欲している。
全ての人から愛されるあなたは…トレーナーさんをも確かに魅了した。
ええ…構いませんよ。
獲物が華麗で強大であればあるほど、猟犬の栄誉は高まる。
あなたを狩り、トレーナーさんへの私の愛を証明します。
あなたならきっと。
楽園への良き贄になるでしょう。
決戦の舞台はアメリカ。ケンタッキーダービー。
まだ見ぬ獲物に私はにんまりと笑みが浮かぶのをとめられなかった。
※サンデーサイレンスのレースについての考えはこれが正解!というわけではないです。あくまで彼女の人生の中で見出した答えなので、レースについての正解はウマ娘ごとにあるのだとおもっています。
本人が一度も出ていませんがイージーゴア回です。
最強のライバルなので魅力的に書けていればいいのですが。
たくさんの評価とお気に入りをいただきありがとうございます!
正直、期待に応えられるか自信がないのですが…楽しんでいただたら幸いです。