【完結】マンハッタンカフェのそっくりさんをスカウトした転生トレーナー 作:クスクス
戦いは続く。
2週間。
それがケンタッキーダービーからプリークネスステークスまでに与えられた期間だった。
G1を走り終えたウマ娘の消耗は凄まじい。
それを癒すにはあまりにも短い時間。
そして…サンデーには災難もあった。
あの限界を超えた走り。
それが右足に負荷をかけすぎたのか、軽い炎症を起こしていた。
それで…私は何と言うか…つい動転してしまった。
彼女の脚に香油を注いでマッサージしたり、数時間おきに湿布を貼り換える。
怪我に応じたトレーニングメニューを組む、そうしたトレーナーとして当然やるべき事では飽き足らず、四六時中つきっきりで側にいて、彼女の面倒を見ていた。
いやもちろん彼女には介助が必要だったのは事実なのだが…
手ずから食事を食べさせたり、彼女の髪や尻尾の手入れまでする必要がはたしてあったのだろうか…?
サンデーの求めに何でも応じていたが、冷静に考えれば脚の負傷が関係ないものも混じっている気がする。
「食べさせてください…」と甘えるサンデーが親鳥に餌をねだる雛のようで可愛らしいという役得はあったが…
そして、今、私の傍らに立つ彼女は。
黒い太陽。
そんな事を思わせるほど生命力に満ちている。
漆黒の髪は艶々として、その黄金の瞳は金の燐光を放つかのようで…
とにかくすごくすごい調子が良さそうだ。
そんな某ウマ娘のような事を考えていると、いつものように私のネクタイピンを付け終えたサンデーが私の手を引いて歩きだす。
これは今まで無かった事だ。
「行きましょう…彼女の様子を見に。私が狩るに足る獲物か見定めましょう」
そう言って金の瞳を嬉しそうに揺らめかせるサンデーは。
長年の親友にでも会いにいくかのような弾んだ声をしていた。
控室は混雑していたが、幸いにもイージーゴアの長身とその美貌はよく目立つ。
私達が近づいていくと、あの騎士のような男…イージーゴアのトレーナーが私達を見つけ、傍らの彼女に声をかける。
「来てくださったのですね…サンデーサイレンス」
イージーゴアは私達に向かって微笑みを浮かべる。
前回と変わらぬ喜びに満ちた微笑み。
だが、今の彼女にはそれに加えて戦いに臨む者の静かな緊張と憂愁があった。
王国を守るための戦いに赴く王女。
そんな初々しさと愛らしくも確固たる決意を感じさせる。
「レースとは戦い…貴方の言った事が少しだけわかった気がしますの。セクレタリアトの再来という皆さまの期待を私は…裏切ってしまった。今回は負けませんわ。家名にかけて。そして…私を応援してくれる皆さまのためにも。私は戦います」
事実、控室のここまで観客のイージーゴアを待望する声援が聞こえてくる。
ダービーウマ娘のサンデーへの応援もあるが…それでもイージーゴアのほうがやや優勢か。
だが、そこまで力強く言い切った後、イージーゴアはどこかすがるような目をサンデーに向けた。
「だから…今度のレースでは私を見てくれますか?」
そんなイージーゴアにサンデーは愉しげな光を金の瞳に宿らせて静かな笑みを浮かべる。
「ええ…いいでしょう。イージーゴア。このレースであなたを狩ります…そして私の愛を証明しましょう」
サンデーの金の瞳とイージーゴアの美しい空色の瞳が交錯する。
強敵同士の邂逅。感動的なシーンだ。
…サンデーの尻尾が堂々と私の腕に絡ませられていなければ!
真剣に、だがどこか嬉しそうにサンデーと見つめあっていたイージーゴアがそれに気づき、彼女の瞳が大きく見開かれ、雪花石膏の如き肌が鮮やかに赤くなる。
「サ、サンデー…!?レ、レース前に破廉恥ですわ!」
そんな彼女の当然の抗議にもサンデーは悪びれた様子はない。
「言ったでしょう?レースで愛を証明すると。…私とトレーナーは愛し合っているのですから。これぐらい当然です」
そうですの?と問いかけるイージーゴアの視線と”見損なったぞ”というイージーゴアのトレーナーの視線が痛い。
だが…誇らかに胸を張る愛バの手前、否定するわけにもいかず、私はあいまいに微笑んで誤魔化した。
「まあ!」
好奇心で瞳を輝かせるイージーゴア。
しかし、そんな彼女にサンデーは静かに歩み寄る。
「レースとは…私達ウマ娘だけの戦場。1位になったものだけが讃えられ、それ以外の娘は顧みられる事もない。彼女達の夢も、憧れも、想いも。そんな残酷な場です。…だからこそ私達はレースの場では欲ばりになっていい…自分に正直になっていいと思いませんか?」
淡々としているが、その言葉には彼女の信念の重さがあった。
イージーゴアも再び真剣な顔になる。
そしてサンデーはしばし沈黙する。
沈黙の中で、サンデーとイージーゴアを求める群衆の声が遠くに聞こえる。
「私の脚を醜いと蔑んだ人々が、私が勝利した途端に掌を返す。人々の期待などあやふやなものです。…誰にも顧みられぬ日々の中で、トレーナーさんだけが私を見出してくれた。そして祝福の場へと導いてくれました」
サンデーの瞳に黄金の炎が燃える。
「だから、私は勝ちたい。他のウマ娘の夢を踏みにじってでも。私を嘲笑した人々に私を。私とトレーナーさんの愛を認めさせたい。そして、トレーナーさんと私で祝福を分かち合いたい。愛する人に勝利を捧げたい。…それが私の戦う理由です。…あなたも」
呆然と見つめるイージーゴアにサンデーは穏やかに告げる。
「あなた自身の欲するもののために走ってください。…家名も人々の期待も関係ありません。もちろんあなたがセクレタリアトのそっくりさんかどうかも。だって私が戦うのはイージーゴア。他ならぬあなたですから」
「私自身…」
イージーゴアは目を閉じて考え込む様子だったがやがて静かに告げた。
「名家の出身として恥じない存在である事、人々の期待に応える事…これは捨てられません。私の人生の一部ですから。そして、貴方のような切実な願いは私にはありません。でも」
そして花がほころぶような笑顔を見せる。
澄み切った朝の空の色の瞳に喜びを湛えて。
「私は貴方に勝ちたいと思っていますの。これは私、私自身の嘘偽りのない気持ちです。美しい走りをする貴方、トレーナーと深い愛で結ばれた貴方に。そして…私自身のために走っていいと言ってくださった優しい貴方に私は勝ちたい」
「…私は優しくはありません。だって私はあなたを狩ろうとする猟犬ですから」
照れた様子でそっぽを向くサンデーサイレンス。
そんな彼女にイージーゴアは優しく微笑む。
「いいえ、貴方は優しい人です。私がずっと欲しかった言葉をくれたのですから…」
そこで時間を知らせるブザーが鳴り、二人は連れ立ってパドックへと向かっていった。
後に残された私達は顔を見合わせる。
「まったく…君たちが盤外戦術を仕掛けてくるとは思わなかったよ。だが…」
イージーゴアのトレーナーは後悔と感謝の混じった複雑な表情をする。
「だが、誰かがもっと早く彼女に言ってあげるべきだった。自分自身のために走っていいと。家名も、ましてやセクレタリアトの再来などという身勝手な期待など気にしなくてもいい…とね。まさか敵であるサンデーに言われるとはな」
「そこまでわかっていながら何故君が言わなかった?彼女のトレーナーである君が」
私の問いにさらに苦い顔をするイージーゴアのトレーナー。
しばらく迷ったように視線を宙にさまよわせていたが…やがて観念した様子で話し始めた。
「君に言っても手遅れだろうが…トレーナーだからといって担当ウマ娘の人生に深入りしていいわけじゃない。特にイージーゴアの、彼女の家に雇われている身としてはな」
…手遅れとはどういう意味なんだ。手遅れとは。
そんな私の目にも気づかないかのように彼は続けた。
「彼女の家としては、イージーゴアには名家に相応しいウマ娘でいてほしい。セクレタリアトの再来という期待に応えてほしい。当然じゃないか?…幸いな事にイージーゴアには才能があった。そんなプレッシャーの下でもレースを楽しみながら勝てる才能が。だから僕は彼女を勝たせ続けた。完璧なウマ娘、祝福の娘、セクレタリアトの再来として」
「君はそう思っていないのか?完璧なウマ娘だと?」
私が口を挟むと、彼は目を細める。
「ああ…過大評価だよ。彼女はただの一人のウマ娘なんだ。のんびり屋で、夢見がちな優しい女の子だよ。そんな娘に理想を押し付けたのは僕だ。だから…どうしても言えなかった」
「今からでも遅くはない。自分を理解してくれる人は世界に何人いてもいい。そして君はイージーゴアのトレーナーだろう。世界でただ一人の。…他ならぬ君が言わなくてどうする」
彼は私の言葉に沈黙していたが、やがて口を開いた。
「妙なものだ。トレーナーとウマ娘そろって、宿敵に諭されるとはね…君達はなぜそこまでする?敵に情けをかけたつもりか?」
そんなつもりはないと私は答える。
私は君がトレーナーとして真摯だから仲間として助言しただけだ。
そして…サンデーも同じなのではないか。
いや、彼女の場合はもう少し思いが深いかもしれない。
自分に唯一比肩するウマ娘に自分と同じように走ってほしいと思っている。
同じ思いを共有する相手。
それは、友人と呼ぶのではないだろうか。
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レース中盤。
狩るべき獲物の逃げウマ娘の後ろにつきながら、イージーゴアの動きを伺う。
今度も私をマークするつもりのようで数バ身後ろにつけている。
…懲りませんね。前回のレースでそれでは私に勝てないと学ばなかったのでしょうか。
若干の失望を感じていると、彼女が加速して私の横に並ぶ。
相変わらず、祝福された、喜びに満ちた走り。
ですが…そこに前回になかったものを感じます。
確かな決意と…私に対する敵意。
それは彼女の戦略にも表れていました。
私が外に出るのを塞ぐように進路を取り、前の逃げウマ娘に進路をふさがれた私を封殺する動き。
くすりと微笑みを止められません。
イージーゴア。
あなたの産まれたての敵意は…可愛らしいですね。
まるでガラスの温室で守られた薔薇の、小さな棘のよう。
そして…祝福されて生きるというのも楽ではないのですね。
無数の群衆の声援が。名家の一員としての役割が。身勝手な『セクレタリアトの再来』という期待が。
あなたに鎖のように絡みついている。
…理不尽な運命には立ち向かう事もできます。
そして…私は一人ではなかった。
私を駆り立てる黒い飢え。友人達の無念と、そして夢が一緒でしたから。
愛してくれるトレーナーさんと出会い、手を引いてもらえましたから。
けれど祝福はどうでしょう?
抗いようもなく積み上がり、他者はただ羨むだけ。
あなたは世界から愛されています。
無数の手があなたに差し伸べられているけれど、真にあなたを愛する手はどれでしょう?
そして…最終コーナーを前にして、追い立てられるように彼女が速度を上げて、先頭へと出ていく。
観客のイージーゴアを呼ぶ声が轟音となって周囲を満たす。
ああ。イージーゴア。
あなたは世界から愛されているのに。
ひどく孤独に見えます。
だから…私が狩ってあげましょう。
忘れたのですか。
コーナーは私の狩場だという事を…!
彼女を追って私も漆黒の猟犬となって加速する。
友人達の無念は消えてしまいましたが…これは私自身の飢え。
そしてトレーナーさんへの愛があります!
コーナーを巡って彼女に追いつく。
彼女と視線を交わすと、そこには安堵と感謝。そして、敬意と確かな敵意。
彼女に絡みついた余計なものが抜け落ちていくのがわかります。
始めましょう。私達のレースを。
ただ、このレースを走る一人のウマ娘として。
お互いに全力で駆ける。
一歩ごとに、彼女の走りと私の走りが調和していくのがわかります。
私とトレーナーさんだけの静寂の空間だった場所にイージーゴアがいる。
だけど…不思議とそれが不快ではありませんでした。
いえ…それどころか。
認めたくないのですが…走る事を楽しいと感じてしまう私がいました。
私達は今、一緒に走っている。
一瞬のような。永久のような。
でも、刻一刻とゴールは迫ってきます。
そして、私の目がトレーナーさんの目を捉えます。
…ごめんなさい。イージーゴア。
心の中で彼女に謝る。
楽園に行くために。
あの人に勝利を捧げるために。
その気力で一歩だけ私が前に出て。
満場の喝采の中、トレーナーさんに抱き着きます。
2冠目。
3冠に向けてあと一歩。
愛する人の腕の中で、幸福感に浸りながらイージーゴアを探します。
地面に頽れた彼女は、彼女のトレーナーに抱きしめられていました。
「彼女達は…きっと立ち上がってくる。強敵になるな…」
私が何を見ているのかを知ったトレーナーの声。
イージーゴア。あなたは楽園に立ち塞がる敵。
でも、どうか折れないでほしい。
あなたのような価値ある敵に打ち勝ってこそ、楽園に至る価値があるのですから。
…そんな身勝手な想いを私は抱いてしまったのでした。
偉大な名馬であるイージーゴアをちゃんと魅力的なウマ娘として描けているのか…不安なのですが、私の書ける限りでは精一杯書いた…と思います。
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