アメリカから帰ったら、なぜかムンちゃんが怒っていた。
「突然いなくなったら心配するでしょうが!」
「えぇ……?」
え、なに? トレセンを離れる時はいちいち断らなきゃいけないの?
「メンタルがヤバくなりがちなのよ、故障とかでレースに出られなくなったウマ娘っていうのは」
「あー……天皇賞より菊花で絞り尽くしたのが原因だけど、普段よりネガティブな時間もあったかな」
「それに東京ダービーの後はちゃんと連絡くれたでしょう」
「アレはサキさんも一緒に雲隠れしたからだけどね」
まぁ言われてみれば、今回のアメリカ行きは思い立ったが吉日って感じでサキさん以外に相談しなかった。先輩やロスたちにすら言わなかったのは──単純に言い忘れただけ。うん、私も本調子じゃなかったので。
「次から気をつける。わざわざ空港まで来てもらってごめんね」
「ふん、じゃあさっさと帰って併走付き合いなさい」
「はーい」
ところで、空港の待合で話すにはちょっと声が大きかった気がするんだよね。たまたま居合わせた何人かが、どことなく寮母さんを思わせる感じで気配を薄ーくしてたの、あれ絶対に聞き耳立ててたと思う。ウマ娘もヒトミミも。
数日後。
『日本から来た
ドンナさんはボールドルーラーステークス(アケダクト1400m・GⅢ)に勝った。着差は2バ身ほどで、ゴール直後も大して息が上がっていない。余裕じゃないですか。
〔大きな目標は来年のペガサスワールドカップ。
──いえ、この後は日本に帰ります。負け続けた相手へのリベンジを、済ませてこようかと〕
勝利者インタビューでもばちばちに宣戦布告してくるし。とても良い。
こちらもいつものようにSNSで予定を……公表できるように用意はしつつ、まだ保留中。ちょっと考えてることもあるし、珍しく反対されているから。
《楽しそうだなグラ》
『そりゃもう。アナさんはまだ
《
『だからジャパンカップの前週は空けますってば』
《空けるべきは後だと言ってる──最終的に決めるのはグラだが》
(ドンナさんとの決戦を年の瀬にある東京大賞典にすればジャパンカップの後は空くけど、それは有馬の翌週だしペガサスワールドカップの3週前なので却下した。アナさんもそれは聞いてただろうに)
なんかこう、口出ししないとか言いつつ少し心配性になったアナさん。菊花賞後の私がへろへろ過ぎたせいなんだろうけど、こうも変わるとは思わなかった。
ちょっぴり鬱陶しくて、割と嬉しい。前のアナさんなら内心で心配していても言葉にはしてくれなかっただろうから。
そうそう、心配といえば『急にいなくなるな、連絡しろ』とムンちゃんから怒られた件。
これはロスも私の弁護をせず責めてきた位だから今後は改めるけれど、気持ちとしてはあんまり共感できていなかった。『そんなに心配する? 私が信用ないってこと?』みたいに。
どうもムンちゃんは、相手が私以外でもがっつり心配するらしい。
それがよく分かる事件というか騒動があった。
ボールドルーラーステークスの翌日、東京レース場。
『おっとどうした! アナグラワンワンがいない今回は大本命とされていたテセウスゴルド、4コーナー抜けても最後方に沈んだまま!』
『先頭争いはどうか、最終直線ぽんと抜け出したのは──ここまで逃げで来たはずが更に切れる末脚、これは見事だ今ゴールイン!
秋の天皇賞を制したのはルーテデラソワです!』
テセさんは天皇賞で負けた。結果は6着、掲示板にも載らないのは初めてのはず。
『ルーテデラソワはフランス籍で──おや? 秋の天皇賞が外国ウマ娘に獲られるのは初めてのことかも知れません』
『ええと……そうですね、今回が初*のようです』
『これは、観客の皆さんも我々も中々悔しく感じるものですね。選手たちはなおさらでしょう』
『フランスの凱旋門賞がそうであるように、日本のタイトルも海外から狙われるものになってきたと。
インタビューの準備が整ったようです、ルーテデラソワ選手にお話を伺いましよう』
──その後のウイニングライブに、テセさんの姿は無かった。
天皇賞があった日曜の夕方から火曜の夕方にかけて、なんか色々と大変だったらしい。
テセさんは何かの理由で*実力を発揮できずに負けた。そして『実力を発揮できなかったこと』自体がメンタルへの追加ダメージになって、一時は本当にヤバい状態だったんだとか。
ムンちゃんが併せの予定を無断ですっぽかしたくらいだから、心配のあまり他のことが手につかなかったんだろう。
というか美浦寮総出のテセさん復活プロジェクトってなに? テセさんが暗く沈んでたら調子狂うのは分かるけど。
その眼前に『アイツに会いたければこのゴルシちゃんを倒していきやがれ!』と立ち塞がった卒業生とのラストバトルってなに? 好意的に解釈すれば『今はそっとしといてやれ』的な意味なんだろうけど。
《ドラマチックな青春ってやつか》
『私にはイマイチ縁の薄い話ですね』
《グラの感性、所々やけに枯れてるから……》
『自覚はしてますぅ』
ちなみに
彼女の〈雲隠れ〉に
(テセさんも『トレーナーの姿は契約の時しか見ていない』と言っていた。以降はタオルもドリンクもトレーニングメニューも『何も無かったはずの場所に気付いたら用意されている』みたいな感じらしい)
群雲さんがそういう力を持ってることはトレーナー陣全員が知ってるので、『テセウスゴルドが目の前で忽然と消え失せた』みたいな異常事態が彼女の仕業なのはすぐに分かる。
そうなればムンちゃんは、当然正面突破だ。常識や良識を説く割に脳筋なんだから。
領域具現──
他人というより他人からの視線を強く怖れる群雲さんは、〈新月〉で衆目の前に引きずり出されてひどいパニックに陥っただろう。可哀想な気もするし、テセさんが落ち着くまでの時間稼ぎって意図は分からなくもない(サキさんをルクセンブルクに拉致ったのも似たようなものだし)。
けど……仕方ないよね、学園にも居場所を知らせてなかったらしいから。最悪ガチの行方不明コースだよ。流石にちょっとどうかと思う。
「えーと、大変だった、ね? なんか映画にでもなりそうなドラマというか」
「前後編の大作が撮れるわよ、全く」
私の体験と重ねて言うなら、菊花賞の翌朝みたいなおかしなメンタルに敗戦まで重なっちゃった感じなのかなぁ。だとしたらそんな状態のテセさんを放っておけないのは分かる。
分かるんだけどさ。
終わってから愚痴を聞かされた側としてはどうしても過ぎた話というか……水曜お昼の現時点で、テセさんは既に元気いっぱいなんだよね。
「いやぁわりーわりー! でも独りになりたい時ってあるだろ?」
「反省してよお願いだから……」
こんな感じ。大変だねムンちゃん。
ちなみに今はテセさんが書くフランス語を見ている──翻訳の監修? みたいな。天皇賞を勝ったルーテさんに挑戦状を叩きつけたいそうで。
最初はムンちゃんに訊いたのに、『そういう教科書みたいなキレイな言い回しじゃなくてオラついた感じにしたい』とかで私に持ち込まれた。昨日までめちゃくちゃ心配かけてたムンちゃんにダメ出しできるメンタル、つよい。
心配は要らないし、不安定なよりは良いだろう。
だからそんなにカリカリしなくても。
ね? 愉しい未来の話をしようよ。
「テセさんの次走は有馬ですか?」
「おう。予定があえばルーテにも来てほしいんだよな」
「年末のフランスに大きなレースは無いから平気じゃないですかね。ジャパンカップにはたぶん出ないでしょうし」
「クラシックの間はもうトリィと戦わないってルーテ言ってたわよ。あと有馬には来ると思う、私も誘ったから」
「お、そりゃあ良い」
ギラギラと嗤うテセさん。憮然としつつ『レースで凹ませてやる』と猛るムンちゃん。
ええと、つまり有馬記念にはこの2人とルーテさんが集うわけか。私とドゥもそれ走るんだよね。
魔境じゃん。みんな好き者だなぁ、私も大好きだけど。
《おいおい大丈夫か。その前後はちゃんと空けてあるんだろうな》
『あ、年末は本当に余裕をみて組んでますよ。安心してください』
天皇賞から1週間が経った11月初旬、久々にSNSを更新。
今回はまだ悩んでるところもあるけど、このタイミングでお知らせしないと。
今後の出走計画をお知らせします。
検討中:エリザベス女王杯(11月2週)
確定 :ジャパンカップ(11月4週)→チャンピオンズカップ(12月1週)→有馬記念(12月4週)
・確定は『不測の事態がない限りは変更しない』です。怪我などがあればスキップされます。
・年内の出走はこの3戦ないし4戦のみです。
・来年の天皇賞は春も秋も出ます。
これを発表するまでの間、サキさんを通してURAの人と色々やっていた。
いやぁ、ドンナさんから言われたことに何にも感じないわけじゃなかったから。スケジュールを組む上での最優先にはしないけど、ついでレベルでできる恩返しならしていきたい。
『私とドンナさんとニュクスさんの“最終決戦”みたいなノリで広報したら盛り上がるんじゃないか』みたいな話をして、最終的にチャンピオンズカップの専用コマーシャルを撮ることになって。
そのCMは今日から放送・公開。それに合わせて告知してるわけ。
(“最初の3年間”だからか、大人からはこういう売り出し方を提案しづらいのかも知れない。こっちから持ち込んだらあれよあれよと話が進んだ)
スカッと勝って気持ちよく芝に専念しようと思います。
すぐに2人からも返信がついたので、それぞれの勝利宣言もりついーと(?)しておく。
ダートのお客さん、増えたらいいですよね。
余談。
「そういえばグラ、群雲さんのこと知ってたの?」
「あー、たまたま見つけたんだ。9月に入ってすぐの頃」
「たまたま……? いつも“領域”に隠れてるって聞いたけど」
「〈アイテール〉──あ、ニュクスさんじゃなくて
「……ふぅーん。どうだった?」
「残念、視えなかったよ」
「そう……。で、代わりに彼女を見つけたと」
「そういうこと」
私がすぐそばまで行って様子を眺め始めても、群雲さんはしばらく逃げようとも隠れようともしなかった。まさか学生に見つかるなんて思いもしなかったらしい──それを聞き出せるくらい会話が成立するまではかなり大変だったけど。
一対一なら随分マシだという割に、それでも過呼吸スレスレな様子だったもんなぁ。
「群雲さんといえば、学園にも居場所を知らせずにテセさんと〈雲隠れ〉に引きこもってたんだよね」
「ええ、実際には寮に戻ってたけど」
「そのことは分かってなかったんでしょ? 〈新月〉を使う場所の
「あー、ニュクスでも探せたのかしらね。思いつかなかったわ」
「む?」
“領域”は物理法則に縛られない超常だ。普通の方法じゃ群雲さんは探せない。どんなに耳を澄ましても心音すら聴こえないし、たぶん機械とかも欺くだろう。人海戦術も通用しない。
私やニュクスさんみたいな力が無いと探しようがない気がする。あてもなく探すには〈新月〉の効果範囲は狭すぎるだろうし。
その時ムンちゃんたち(美浦寮の皆さん)は、私なんかよりずっと適任な相手に助けを求めてサクッと居場所を特定している。言われてみれば大納得だ。
「アグネスデジタルさんに頼んだのよ」
「それならすぐ見つかるね」
群雲さん、ウマ娘だもん。我らが寮母さんから隠れられるわけないわ。
めでたしめでたし(?)。
群雲
対人恐怖は深刻なレベルにあり、已むなく『姿なき存在』として振る舞っている(トレーナー業のうちマスコミ対応などはサブトレーナーに代役を頼んでいる)。人目さえ無ければ優秀なトレーナーと言える──学園の敷地を出ないからと居場所を知らせない大ポカはやらかしたが。
現役時代はもっと常識的なウマ娘だった。ある敗戦をきっかけに自己否定と“領域”を暴走させ、一時はあらゆる人の認識・記憶・記録から消えたまま戻れなくなるなど壮絶な体験をしてしまう。詳しく語ればスピンオフ映画ができるだろう。
ウマソウルの名を名乗ることはもう無い。