私のソウルは菊花賞ですっからかんのへろへろになってしまったけど、アメリカに渡ってドンナさんに会ったりチャンピオンズカップ広報の話をしたり、色々やってる内に回復はする。
1週間が経った秋天時点で6割まで戻っていた。サキさんの呆れ顔が心に滲みるなぁ。
『将来のことを考えてたら回復が早まるとか?』
《ダート業界のために動いたのが良かったのかもな》
『あー、厄介ファンが考える“英雄らしさ”に合致したんですかね。じゃああの声に媚びればもっと走れる……?』
《…………無理はしないようにな》
アナさんは物凄く止めたそうにしていて、だから最初はエリザベス女王杯を『検討中』と書いた。でも結局は走ると決めた。
菊花賞からは中2週。ジャパンカップまでは中1週。(私の異常な回復ペースを前提にすれば)前後の期間は充分あると見立てたサキさんのことを、私はもちろん信じてるしアナさんも信じるほか無い。
だったら出るじゃない?
《特に競いたい相手も居ないんだから見送ったっていいだろうに》
『来年のことを考えましょうよ。女王杯→マイルチャンピオンシップ→ジャパンカップの3連闘を2連闘に減らせると考えれば、今年済ませとく方がむしろ身体のためじゃないですか』
《来年はチャンピオンズカップには出ないわけだから……確かにそうか》
ち ょ ろ い 。
身体を労れとか言ってくるようになったアナさんだけど、たぶん自分の身体を労ったことが少ないんだよね。そりゃ3連闘でも4連闘でも神機使いの任務よりはヌルいもん。
基準はガバガバ。そのことを一応は自覚しているアナさんなので、サキさんがいけると判断すれば引き下がってくれる。
そんなわけで。
『アナグラワンワン! 2番手との差が見当もつきません、10バ身開いたか! 圧倒的な一番人気を反映したかのような圧勝、彼女にプレッシャーというものは無いのでしょうか!?』
きっちり勝ちましたとも。私の目算では11バ身差だ。
『あっはっは、無さそうですねぇ』
『あなたすっかり金剛脳になってますね!?』
金剛脳とは一体。
私のやることなすことに驚かなくなった状態のことなんだろうけども。
『ふふ、でもお気持ちは分かります。人気に
すかさずゲストの方が柔らかくフォローした。
ちなみに今日の京都レース場は普段より警備が厳しい。このゲストさんの影響で。
『ファインモーションさんは、その……』
『気を遣わないで平気ですよ? なんでも訊いてください』
『ありがとうございます。
現役時代には何度も一番人気に推されましたよね。期待を背負うことの難しさをよくご存知ではないでしょうか』
『そうですね、エリザベス女王杯の頃は分かっていなかったかも知れません、まだ無敗でしたから』
京都ラーメンを食べに来たついでとか言ってたけど、どこまで本気なんだろ。ファインモーションさんが解説席にいるのはかつてエリザベス女王杯に勝っている縁だ。
彼女はこのレースの後に有馬記念で初の敗北を経験している。
『一番人気で負けて、その次も一番に推して頂いて、やっぱり負けて。それを繰り返しました。応援を重く感じたこともあります。*
でも違ったんです、推して頂くことは大きな力でした。サンスポ阪神でも信じて貰えたおかげで連敗を止められたと思っています』
『プレッシャーよりは力になっていたんですね、個人的にも嬉しい限りです。
アナグラワンワンも同じでしょうか?』
『んんー、私とは違うタイプとお見受けしますよ? むしろ彼女は──』
なんかね、かつての英雄の方々に苦手意識すら湧いてくるんですけど。
アグネスタキオンさんといいネオユニヴァースさんといいヤマニンゼファーさんといい、私ってそんなに見透かし易いのかな。さらっと内心を見抜かないでほしい。
『──自分が何番人気なのか全然気にしてなさそうな……あ、今ギクッとしました? ふふ、それも良いと思うよーっ』
そんなこんなでエリザベス女王杯には快勝。翌週にはマイルチャンピオンシップがあるけどこれは来年に回すので今年は出ない。
中1週空けての次走はジャパンカップ(東京2400m)となる。有力なライバルは3人、ドゥとニュクスさんとトリィさんだ。
今回もサキさんとみっちりミーティング。
「まずドゥームデューキス。
「はい。“領域”のタネは割れましたが……」
「防げるものではないと」
「ええ。どちらかといえば今度の方が手強いと思っています」
「2000mは彼女には短かった、か」
頷く。
そもそも距離適性とかはサキさんの方がよほど細かく把握してる。そしてそこ以外でもドゥのことは甘く考えられない。
「そのはずです。プラス、無策で来るとは思えない辺りがなんとも──」
「楽しみね?」
「──はい!」
頷く、強く。
きっと何かしら用意してくる。それがどんなにネガティブなやり方でも細く微かな勝ち目だとしても、そこに全振りしてくる恐ろしさ。ドゥのいいところだ。
「次にニュクスヘーメラー。菊花賞は、その……なんというか……」
あいまいに、頷く。
ニュクスさん、もっと溜めてから最後に追込みかけた方がたぶん強いんだよなぁ。少なくとも脚質的には。
いやどうだろう、そうすることで
「ニュクスさんが何してくるか考えるのやめません? 不毛なので」
「実は葵先輩も似たようなこと言ってたのよね。その瞬間のパッションに任せるのが一番強いって」
「私よりひどい」
トレーナーからその扱いは笑う。
でも、そうだな。葵さんですらニュクスさんの動向を読めないなら、私の予想だって信頼性は似たり寄ったりかも知れない。
「……思うんですけど、ニュクスさんの本命はチャンピオンズカップな気がするんです」
「あら。んー、続けて?」
「ニュクスさんから見たら私とは1勝2敗。その1勝は東京ダービーの、ダートのものです。『芝では敗けてもダートは譲らない』とか……具体的には違うかもですが、何らかのラインを境に負けん気がグツグツ煮えてるんじゃないかと」
「負けん気。あまり表には見せないけど、ワンはそう思うのね?」
「負けても楽しそうではありますし、本心から楽しんでもいると思いますよ。でもそれはそれ、負けは負けです」
キラキラしたお嬢様みたいな外見や物腰(いや本当にお嬢様なんだけど)、負けても暗くならない前向きさ、そして何度負けようと絶対に退かない腰の強さ。
ムンちゃんやトリィさんみたいな分かりやすい焔は窺えない。でもニュクスさんの場合、きれいに
それを見せてくれたら嬉しい。ただ、ジャパンカップでは隠されるかも知れない。
「東京優駿では切り札を隠して東京ダービーで裏をかいてきた。ああいうことをまたしてくると」
「ジャパンカップを『捨て石』にはしないと思います。でもチャンピオンズカップへの『布石』的な……うーん、やっぱり何してくるかは分かんないですね」
「いいわ、チャンピオンズの参考にしましょう。今はジャパンカップのこと。
3人目、トリウムフォーゲンは……
…………頷く。ふたつの意味で。
ひとつ。トリィさんは『いける』。
「トリィさんってこう動物的というか、超がつく感覚派なので。もう〈凱旋式〉は何処でも使えると思います。難しいことでも成功したら一発で体得しちゃう、そしたら以降は失敗しない、みたいな?」
「なるほど、そういうタイプの天才か。聞いた限り、対策がとりづらい“領域”ではあるのよね」
「そう、ですね」
凱旋門賞で覚醒した〈エトワール凱旋式〉は、色んな意味で厄介な“領域”だ。
あの中ではアナさんが【ブラッドアーツ】を使えない。つまり〈カリギュラ・ゼノ〉の最高速が出せない。
そして効果範囲が観客席という特異性。触れられないから〈マルドゥーク〉での“領域”破壊はできない(ムンちゃんの〈新月〉なら消せるのかな? 私には無理)。
アイビスサマーダッシュで〈平定の花〉を突き破ったみたいな力技も無効。だって私を含む競走相手に直接作用するものじゃないから。何もされないのだから反発のしようがないのだ。
(弱点を挙げるとしたら発動位置の制限ぐらい。〈凱旋式〉はトリィさんが観客席に投射するものだから、多分その近く──ホームストレッチでしか使えない)
となると……あちらに有利なあの環境の中で、不利を跳ね返して上回る必要があるわけだけど。
ふたつ。それでも私は『いける』。
「こっちにはボゥ先輩がついてますから」
「それ、本当にワン向きの“領域”よね。心強いわ」
ボゥ先輩から受け継いだ〈風梳る3色柱〉が要であり、特大の勝算だ。
凱旋門と菊花賞では無我夢中すぎてはっきりしなかったけど、先日のエリザベス女王杯で完全に理解した。女王杯での〈風梳柱〉は、前の2回と比べて格段に
ヤマニンゼファーさんの言うものとは違いそうだけど、〈風梳柱〉における“風”っていうのは
そういう
というわけで、トリィさんは〈風梳柱〉の効果を極大化してくれる。彼女ほど爆アゲしてくれるのはムンちゃんぐらいじゃないかな。
付け加えると〈凱旋式〉では妨害できない。〈風梳柱〉の燃料は観客席からじゃなく同じターフから供給されるんだからね。
「仮に〈凱旋式〉に
「その場合は〈ゼノ〉がいけそう」
「──はい。アナさんと先輩の両方を封じることは、トリィさん
「……勝機は充分、ということね」
えぇまぁ、ムンちゃんの〈新月〉は〈風梳柱〉も封じてきますけど。今は頭から追い出しておこう。
最後に、よく考えてゆっくりと頷く。
「現状でも分は悪くないと思っています。
ただ少しでも勝率を上げるために、そろそろ踏み込んでみようかと」
「
「そうじゃなくて。それもちょっと気になるけど、今は真面目な話」
寮に戻ってから、改めてロスから色々と訊いた。
プライベートなことだろうから言いたくなければ断っても良いと念押しして、そんな気遣いは無用だと笑い飛ばされて。
「トリィさんが走る理由。正確には各国の最高峰を狙う理由、かな」
「……ワンワンさんはどうお考えなんです」
「ロスが関係してるのは間違いないと思う」
少し前までの仮説はこうだ。
トリィさんは『大切な妹が国や家によって繋駕競走を強制されている』と思い込んだ。そこから解放すべく、平地競走という未来も選べるよう地均しをしたいのだろう、と。
「でもこれは違いそうだなって」
「ほう。理由を伺っても?」
「だってロスとトリィさん、かなり頻繁に連絡とってるし」
姉妹の仲が断絶してるならそういう思い込みもあるかも知れない。トリィさんなら変な方向へ視野狭窄しても不思議は無い。
でも本人同士が直接話してるのだ。ロスが繋駕を好きでいることぐらいは伝わるだろう。
「そうですね、そこは恐らく。私が日本に拐われたなどという誤解も、本心では正しく理解しているから大人しくフランスに留まったのです」
「だよね、本気で誘拐だと思ってたらトーヴェさんでも止められないでしょ」
「…………」
「え、どうにかなるの」
「トーヴェのことは置いておきましょう。アレは怖ろしい人間です」
「ええ…………」
何やらかしたのトーヴェさん。すっごい気になるぞ、今はスルーするけど。
「話すのは構いません。個人的なことですが特に伏せてはいませんし、誰かを……姉以外を傷つけることもない」
「や、トリィさんが傷つくようなら聞き出す気は無いけど」
「訂正します。誰も傷つきません」
「ほんとぉ……?」
ロスは時々、特にトリィさんには辛辣で悪辣だからなぁ。冗談の切れ味が鋭いこと鋭いこと。
でも今回、冗談ではなかったらしい。
「“トリウムフォーゲン”は傷つくでしょう。しかし、どこか見も知らぬ世界の愚か者がどうなろうと構いません。“レフィお姉様”は
「……レフィっていうんだ?」
「家族はそう呼びます──呼んでいました」
親から与えられる名前。私が
「……トリィさんが、ソウルの名前に縛られてるって?」
鎖や呪いになって人生を縛ることもありえるだろう。でもトリィさんはそう見えない。ロスの意図もそこには無い。
「いいえ。お姉様を縛るのはソウルではありません。“トリウムフォーゲン”でもなければ“トロゥスポット”でもない」
「トロゥスポットでも、ない?」
繋駕競走。スウェーデンのウマ娘には重い名前だ。
……こちらでもない? じゃあトリィさんは──レフィさんは、何から解放されるべきだと?
「
「えっと、本当に無理しないで。言わなくても構わないんだから」
「いえ別に、誰が悪いという話でもないので。無理はしていません。ですが先に目的は訊いておきたい」
目的。
トリィさんが走る理由を、私が知りたがる理由。
「レース中に囁いたら動揺を誘えそうだから?」
「ッハハ! ふ、ふふ……日本には武士の情けという言葉があるのでは?」
「武士じゃないし」
「クク、ク。実に
『ロスもイイ性格してますよね……』
《自分を棚に上げるなよ。本当にやる気か?》
『内容によっては。笑い話ならやります』
《…………まぁ、分別があるなら良いか……》