※今回の会話は大部分スウェーデン語なので、いちいちフォントを変えていません。
ジャパンカップの前に、トリィさんが走る理由についてロスに訊ねた。対策になるかも知れないと思ったのだ。
……想定外の形で刺さっちゃったけど。
仲の良い姉妹だったという。幼い頃から駆けっこなんて何度もしていた。
いくらスウェーデンでも幼い内は駕車を牽いたりしない。つまり平地競走に近い形になる。
後から振り返れば“呪縛”になってしまったその日、大好きな姉が普段と違うことにロスは気付けなかった。いつもと同じ楽しい遊びだと思っていた。
でもそれは、トリィさんが──レフィさんて言うべきなのかな──“トリウムフォーゲン”だと自覚してから初めての駆けっこ。
(ウマソウルの名前は子供の内になんとなく分かるもので、その年齢は割と個人差がある。ロスは早めでトリィさんは遅め、妹の方が先だったそうだ)
自覚自体が周りより遅かった上に“
妹ってだけじゃなく“繋駕競走”なんて名を持つ相手にはなおさら負けたくなかったのだろう。
だけどその日のレースはロスの勝ち。
5歳と7歳。2人とも走り方とか習う前だったらしいから、2歳下と勝ったり負けたりしてたことは不思議じゃないと思うけどね。問題の1戦はトリィさんにも気負いとかあっただろうし。少し空けてまたやったら結果は逆かも知れない。
……実際にはやっていないそうだ。それが最後の駆けっこになったと。
その日を境にトリィさんは平地競走に全てを捧げるようになり、とりわけ『最高のレースでの1着』を求めるようになったと。
『お姉様が“縛られた”経緯は以上です。原因はワタシにある。ただ、誰も間違ったことはしていないと考えます』
『…………確かに、ね』
全力で走った結果を間違いとは言いたくない。ロスが
ただしこれはロスが語ったもの。私に進んで嘘を吐くとは思わないけど、真実かどうかはまた別だ。別に真実を暴こうとか思わないけど。
……全然思ってなかったんだよ?
2着が3人という異例のジャパンカップ、その翌日の夕方。
トレセンにトリィさんが来るらしい。
「ワタシへの面会として申請がありました」
「そっか、ちゃんと話してきなよ。
「いえ、ワンワンさんにも同席して欲しいのです」
「え、どうして」
「嫌がらせなど、幾つかの理由から」
私なりにこの子のことを分かってきた。
その理解でいくとロスは嘘をついてない。嫌がらせ目的で同席させようとしているの
「……もしかして照れ臭いの?」
「黙秘します」
「そっかー」
ちょっと分かる。私で言えばお母さんと2人きりになるのが気まずい感じに近いのだろう。軽い意地悪をぶつけたくなるのも含めて。
独りで部屋に来たトリィさんは私がいるのを見て思い切り嫌そうな顔をした(当たり前だ)けど、「ワタシが頼んて同席してもらいました」の一言であっさり納得した。妹のこと大好きっていうか言いなりになってない?
ミネイがお茶を淹れてくれて、まずはお客様であるトリィさんの前へ。当然のマナーなのに、受け取った側は何故か驚いている。
「お前が素直にお茶をくれるの初めてじゃないかしら」
「ワンワン様の前ですので」
「こいつが居なくてもゲストはきちんと持て成しなさいよ」
「ゲスト……?」
「確かに身内同然だけど! お前一応従者だし、今の私は客でしょうが!」
基本は真面目で優秀だから忘れそうになるミネイの辛辣さ、ロスだけじゃなくトリィさんにも向けられるんだ。
まぁどことなく楽しそうな気がしなくもない? トリィさんは慣れた様子だし、きっと
ミネイなりのやり方で緊張を解したとも取れる。だってこのお客様、いつになくガチガチだもん。
「ったく。
それで、ね。今日はラウラに……謝りに来たの。ごめん、なさい」
「………………」
何を謝ってるのかトリィさんは言わない。ロスも訊き返さない。
勝てなかったこと。“日本一”を逃したこと。無敗を貫けなかったこと。最強の姉でいられなかったこと。
第三者でも色々と思い当たるのだから、姉妹の間は視線だけで通じ合っているのだろう。
姉の側は言葉にするまでもないと思っているらしい。私が居るせいかも知れないけど。
対する妹は違う意見のようだ。私を使った嫌がらせでもありそうだけど。
「お姉様のお気持ちは分かっている、つもりです。ですが改まって言葉にしたことはありませんよね」
「…………いいわ」
苦い表情は僅かの間。すぐに頷いたトリィさんは、静かに言葉を紡ぎ始める。
「あなたが繋駕を好きなのは分かってる。周りの期待に応えたいのも嘘じゃないし、嫌がってないのは本当でしょう。無理強いされてはいないのよね。
でもそれだけじゃないでしょ?
平地だって嫌いじゃない。平地を走りたい気持ちもラウラは持ってる。それを我慢して、誰にも言えずに抱えてる──私のせいで」
…………そうなの? ロスに視線をやっても表情は動かない。代わりに何故かトリィさんが得意げな顔。私が知らないことがそんなに嬉しいですか。
「ラウラは早くにソウルの名前を自覚して、周りはみんな繋駕をやらせようとした。でも駕車なしで走るのも好きだったじゃない。
それをすっかり辞めたのは、あの日私と走ってから。私が負けたせいで奪ってしまった……。独りで走る道を、平地競走に進む未来を」
それは先週聞けた話だろうか。ロスのいう“呪縛”。
妹は『姉を縛ってしまった』と語り、姉は『妹の道を狭めた』という。同じ出来事についての話なのに。
「先にトリィさんが平地にこだわり出したから自分は繋駕に集中した、とか言ってなかった?」
「同じことよ。この子はね、『自分が平地を走ったらお姉様の勝利を阻んでしまう』って考えて平地を辞めたの」
「…………中々に上から目線で」
その傲慢を私は笑えない。ジュニアの頃、『メイクデビューが遅れないようにレースを分けようね』とか言ってムンちゃんに叱られた件*とそっくりだ。
「私がびしっと勝てばそんな気遣いは要らない。ラウラは平地も繋駕も好きな方を選べた。なのに……」
「えっと……あれ? つまりトリィさん、『平地に来たければ来なさい、私は負けないから』って示すための実績を求めてたってことなんです?」
「そうよ──ちょっとグラ、ラウラから全部聞いたって言ったじゃない!?」
うひぃ。大きな声を出さないで欲しい。怒る気持ちも分かるけれど。
ただこれについては私のせいじゃないと主張したい。
「聞いてた話とかなり印象が違うんですよ。ロスの、えっとラウラの話は──」
「ラウラって呼ぶのやめて」
「──失礼。ロスの話しぶりは『あの負けを払拭しようとしてる』みたいに聞こえたんです」
「それで合ってるわ」
いや、えぇと……自分自身のため、姉としての意地とかを守るため? そういう動機だと思ってた。ロスの語りは妹のためなんて雰囲気じゃなかったから。
私の言い訳を、トリィさんはばっさりと切り捨てる。
「だからそれも同じだってば。私が私のために姉の意地を貫く、イコール、妹のために出来る限りを尽くす。
当たり前でしょうよ。その様子だとグラには妹も弟もいないのね」
「…………確かにいませんけど」
ふふんと胸を張るトリィさん。うん、驚いている。本気で驚いた。
こういう姉妹もいるみたいですよアリー先輩? もちろんホウカンボクとロスは全然違うけれど、『幼い頃に妹に負けた姉』って構図は同じなのに。
「平地をやれとか言ってるわけじゃない。ただ私の弱さが壁になってるのが我慢ならない。これは私自身の意地で、同時に、妹の道を狭めないっていう姉の務めでもある」
ここで初めて、これまで黙っていたロスが口を開く。尖った言葉の棘を向ける。
「そんな義務はありません。お姉様こそ、ご自身に不要な重石を乗せないで欲しい」
「イヤよ。私はラウラの姉であることを諦めない、絶対に」
「それを見ている方の身にもなって下さい、こちらこそお姉様の未来を
「あら? それこそ降ろすべき荷物だわ、妹は姉の心配なんかしなくていい」
棘は刺さらない。なんだかあべこべになってきた。
ロスに言わせればトリィさんはありもしない義務に縛られていて、そこから解放されて欲しい。
トリィさんはその義務を手放すつもりが無いので気にしないで欲しい。むしろ妹には──、
「不公平な……!」
「姉妹だもの」
──姉を心配する権利が無い、みたいな口ぶりだ。
自分のためイコール妹のためって辺りはカッコよく思えたんだけどなぁ。逆に言えば『当たり前に公平ではない』態度なわけか。
「お姉様は昔からっ!」
「ええ。貴女が産まれた瞬間から、私はずっとお姉様よ」
それは事実としてそうだけども。
さすがにもうちょっとロスに歩み寄って欲しいような。もしかしてこうなるって読んで私を居させたんだろうか。だとしたら慰めるなり庇うなりした方がいいのかな。
と、心情的にはかなりロスに寄っていた。
ここまでは。
「ロスだってトリィさんを想ってるのに」
「ええ、優しさはラウラの美徳。あの日だって、負けた私が泣くほど悔しがるのは不思議だったでしょうに──」
そう、2人は何度も競っては勝ち負けを繰り返していた。問題の日もその延長だと思っていたのに、姉の反応がそれまでと違って戸惑ったと聞いている。
ただしロスの話には、その後の言葉が無かった。
「──『お姉様、そんなに泣いて可哀想』なんて……心配してくれたのよ! 羨ましいでしょ!」
……うわあ。
「いや全っ然羨ましくないです」
「なんでよ!?」
「ロスはトリィさんを哀れんだんですよ?」
子供の頃のことだ、責めはすまい。でもトリィさんには共感できない。
“可哀想”って……それは喜べないだろう。
負けて泣く真剣さをバ鹿にしている。姉バ鹿なのは否定できないにしてもだ。
トリィさんの味方をしたくなってきた──違うな、ロスの態度が気に入らないんだ。情の深いお姉さんと繋がれた鎖を、解き放てとか言いながら手放さずにいるのは妹の方なんじゃないの?
「……ねぇ、ロスはさ。自分が平地のために本気で鍛えたらトリィさんに勝っちゃうって、今でもそう思ってる?」
少し、怒気が漏れただろうか。ロスは強張って身を引き、トリィさんは庇うように口を挟む。
「昔ラウラが勝ったのはこの子の実力。私より才能があるわ、平地も含めてね」
「流石に身贔屓が過ぎると思います。
ねぇロス、どうなの。貴女のお姉さんは凱旋門賞で私を上回った。走ってもいないのに格下扱いしないで欲しい」
「ワタシ、は……」
繋駕のことは分からないけど、才能溢れるウマ娘なのは事実なのだろう。ノウハウのある家と国が全面バックアップしてるぐらいだし。
でもそれは
《……あまり恐がらせるな》
『お、っと。ありがとうございます』
じっと見つめていたら追い詰めてしまったようだ。ロスは今にも涙を零しそうで、声も震えかけて。
しかしそれらを必死に堪えたまま答える。
「ララは……お姉様の言う通りです、平地を走ってみたい気持ちは、ララにもある」
あ、一人称が子供っぽくなった。
これはアレだな、レースする機会があったら
「ワンワンさんに乗り手になって欲しいのは、誓って本心です。でも……その図抜けた回復力の秘密も盗みたかった。だからURAには正直であれなかったのです、受け入れられるはずがありませんから」
あぁ、そういう。
色々考えてるものだなぁ。言われてみれば目をつけられて当たり前って感じもするけれど。
でも今それは本題じゃない。
「それは……平地でトリィさんと
アナさんが止めてくれたように私は苛立っている。『見下すようなことは競ってから言え』みたいな。
いや、これも比較的どうでもいいな。もっと大事なことがある。
「──そうだ。
あなたはどうしたいの?」
「ララ、は……」
好きな道を選べるならそれが何よりだ。そこはトリィさんに同感。
じゃあどっちへ向かいたいんだろう。繋駕を選ぶも平地を選ぶもよし、体験してから決めるでもよし。どれを選んだってお姉様は応援するんじゃないかな。
個人的にはトリィさんが(望んで)こじらせまくっている過去に再戦の機会があってもいいと思う。ロスのいう“呪縛”を解くにはそれしか無いと思うんだよ。真剣勝負をしない限り敗けは敗けのままだ。
正直、姉バ鹿で妹を過大評価してるんじゃないかと。仮にロスが全ての時間を平地のトレーニングに費やしたって、この人に勝つのは容易じゃないはずだ。シニアに上がるまでは無理があるだろう。
そしたらトリィさんの『最高峰のレースに勝って力を示す義務感』は軽くなるだろう。ロスが望むならそうすればいい。
それとも。
このまま勝ち逃げして幼い頃の草レース(というかお遊び)での勝利を永遠にするのか。選ぶのは彼女だ。
「ちょっとグラ、家族の問題に口挟まないでよ」
「意思を訊いただけ……いえ、私情が漏れたのは確かです、ごめんなさい。ロスも、怖がらせてごめん」
そうですね、私の出番じゃない。
部外者が関わるとしたら、それはロスの選択次第。そこさえはっきりしてくれれば良い。
「ロスが『
「「…………は?」」
ミネイも含めた3人から思い切り胡乱な目を向けられた。同時にアナさんもかなり戸惑っている。
「どっちも、って……」
「まさかグラ、そのアホみたいな回復力をラウラに教えられるってこと!? ならお願い、どっちも走れるようにしてあげて!!」
「お姉様!? しかしそんな、見返りも用意できないのに──」
「どうしたいか訊いたのはコイツでしょうが! 欲しい時はとりあえず欲しいって言っとくもんよ!」
なんだなんだ2人して。回復力を盗みたいって言ったのはロスなのに、盗めるとは思ってなかったってこと? そんなのやってみなきゃ分かんないだろうに。
「や、出来るかどうかなんて私も知りませんよ。無理な気もしますけど、教えようとしたことも無いので。
試すにしても、私にはリスクの責任も持てませんしね」
《無理だろう、神機を持たない子に回復弾が使えるわけ……》
『アナさん。ウマソウルに理屈は通じないんです』
《説得力があり過ぎるなぁオイ》
ロスがUMA娘になるとしてもそれは少し先の話です。
次話からはチャンピオンズカップや有馬記念などレースの話へ戻ります。