ロスに回復弾を習得させるなんてことが本当に出来るのか、はっきりしたことは何も言えない。普通に考えればニュクスさんが〈
じゃあ試してみよう! というのは流石に性急だ。ロスにどんな影響をもたらすやら分かったもんじゃないし──、
「ワタシもお姉様とよく話しておきたいので。本国にはまだ伝えない方が良いですね?」
「うん、ぽろっと言っちゃったけど本来隠すべきことだから。少し待ってほしい」
「了解しました」
──私もサキさんと相談しなきゃだし。
《本来はトロゥスポットたちに提案する前に言っとくべきなんだが》
『分かってますー。口が滑ったんですー』
ともかく、ロスに対してすぐに何かするってことは無い。
まずは次走、チャンピオンズカップに集中だ。
……と、思ってたんですけどねぇ。
「無茶を承知でお願いします。またアナさんの夢の中に入れてもらえませんか」
トリィさんが来たのと同じ日(月曜)の夕食後、今度の相談者はニュクスさん。
アナさんの夢空間でやりたいトレーニングがあるという。
「…………このタイミングで、ですか」
「はい。ワンワンさんとダートで競えるのはこれが最後ですから、その前に」
ニュクスさんとは6日後のチャンピオンズカップでぶつかる。彼女の求めに応じることは『敵に塩を送る』そのものだ。
夏合宿の間は良かったんですよ、3つの陣営がお互いに高め合う約束でしたから。実際に私が2組から学べたことは多いわけで、ニュクスさんとムンちゃんにも恩恵を受け取ってもらわなきゃ困ってしまう。
でも今回は、私が一方的に与える形になりそうで。ちょっとすぐには頷けない。
……というか、ニュクスさんは無茶だと分かって要求してくるようなタイプだろうか。トリィさんじゃあるまいし。
何かのっぴきならない事情があるのだろう。
「詳しく伺っても?」
「もちろんです、えーと……」
前提。
ニュクスさんの脚質は追込みだ。トップスピードと加速力に優れている。最後方からほんの僅かの間に先頭を奪い去る、華のある──先行するウマ娘的には怖ろしい──勝ち方。
一方ニュクスさんの“領域”はというと。
バリエーションの多彩さは随一。
ただその中には、追込みに直接役立つような瞬間加速系(テセさんの〈
そんなニュクスさんにとって、寮母さんから教わった〈尊み〉はとても有り難い効果を持つ。ゴール前で一気に加速する追込み向きの力だ。脚質とマッチしている。
おかげで/そのせいで。
頼りになり過ぎて枠にハメられてしまった、みたいな。ニュクスさんは
「言い訳みたいですが、依存するに足る大きな力ではあるんです。
ただ、アレの効果を最大限発揮しようとすると……デジタルさんに
「……ニュクスさんらしい走りではなくなる?」
「そう、そんな感じです。もやもやするんです」
言われてみれば。
冬に知り合ってから東京優駿頃までのニュクスさんへの印象は、今とかなり違っていた。
私には名前の件で過剰なほど感謝してくれてたけど、他のウマ娘一般に対しては……バトルマニアというか、戦うのが好きなだけで戦う相手には(強さ以外)興味が薄そうな。寮母さんとは大きく違う。
「“尊み探し”、無理してましたか」
「実は割と。いえ、それで勝てるなら無理も構わないんですが……貴女にはもう通じないと感じました。
だったら
本題。
自前のソウルを早急に鍛え直したいから夢の中に入れて欲しい。
(元が他人であることを踏まえれば、私が喰べたボゥ先輩の因子は扱い易い部類なのかも知れない。“尊み探し”みたいなことしなくたって戦意が向けられるだけで効果が高まる。そして私のことを眼中にも入れないような対戦相手はまず居ない)
「話は分かりました。でも、うーん……ちょっと考えさせてください。とりあえず今夜は無しで」
「分かりました」
「え」
え、あれ? 分かりましたなんて変だ、素直過ぎる。断ってすぐ引き下がる位なら最初からこんな頼みはしてこない。
「ですがワンワンさん、考えてみてください──」
そら来た。私が断りづらくなるような何かをぶつけてくるはずだ。
「──ワンワンさんが競いたいのは、アグネスデジタルさんですか。それとも私でしょうか」
「実に効果的でズルいお言葉ですね! でも今夜のところは無しです!」
くそう、こっちの好みも把握されてるなぁ。
サキさんにはまず大まかに伝えて、翌日(火曜)の放課後にじっくりミーティングをすることになった。
とはいえ、うーん。このままだと決められない気がするんだよね。
私は迷っている。どうしたいのかはっきりしていない。ロスにも訊ねたように、これを見過ごしたままじゃダメだ。
なので火曜のお昼、素直に人を頼ることにした。
「──って言われたんだけど、私はどうしたいんだろう」
ご飯を食べつつニュクスさんからのお願いを再現する。もしかしたら私以上に私のことを分かってそうな相手に向かって。
「…………なんで私に訊くわけ?」
「え、唯一無二の大親友だから?」
「ちっとも学べてないわね、距離感の詰め方」
言わずもがなムンちゃんだ。
(アナさんは不干渉を貫いて何も言ってくれなかった。先輩方には相談したとしても『知らないわよそんなこと』とか『好きにしたら良いと思うよー?』とか返ってくるに決まってる)
「合宿もライブもしたし、今なら付きまとっても周りはストーカーだと思わない気がする」
「変な開き直り方しないで! 友達だとは思ってるから!」
「わーい」
GⅠのウイニングライブでセンターを押し付けあった仲じゃないか。こんな関係あんまり無いと思うよ──あって堪るか。
第一ムンちゃんは、ぷりぷりしつつ相談にはちゃんと乗ってくれるのだ。
「で、えーと? ニュクスの訓練に手を貸すかどうか?」
「うん。一応、相手の手の内を探れるって意味でこっちにもメリットはあるけど」
「なら受けても良いんじゃないの。何が引っかかってるのよ」
「んー……」
菊花賞とジャパンカップでの走りから見て、ゴール前になるとニュクスさんの切り札は〈尊み〉しか無い。そしてアレが発動するタイミングは実に分かりやすい──うるさく感じるほど気配がキラキラするから。
追込みの恐ろしさである『後ろにいたはずの相手が気付いたら横/前にいた』みたいなことが起こりにくいのだ。東京ダービーでは初めてだったから不意打ちもらったけど、分かってれば対処はできる。
「……断った方が私の勝率は高い気がして、さ」
手を貸さなければ、チャンピオンズカップでも同じようにレース展開を計算できるはず。何をしてくるか不透明なよりは勝ち易いはず。
こちらを選ぶべきだ。合理的に考えれば。
「へぇ。勝ちに拘るようになったのね」
「うん、秋天を休んだ時に色々考えた」
「良いじゃない。潰し甲斐があるもの、『愉しく戦えればそれでいい』なんてよりは」
「ムンちゃんも愉しそうだよ」
ギラギラしちゃってまあ。私も大差無いんだろうけど。
でもその笑顔から、ムンちゃんは予想を越えてくる。
「──ま、そういうことなら結論は出たわね」
「…………うん、断るべきだよね」
「は? 逆よ逆」
「うん?」
むしろ引き受けるべきだ、と。
首を傾げる私に、ムンちゃんは少し悩んでから教えてくれた。
「んー……特別にプレゼントよ、グラ。
危機感を抱きなさい。貴女が菊花賞のままなら、有馬は私が獲る」
「へ。──あ、そういう……ふっ、ふふふ」
ふ、ふふ、最高。やっぱりムンちゃんは最高だ。
「それはつまり、ニュクスさんを
「したくないなら別にいいわ。私が勝つだけだもの」
ドンナさんの恐ろしさを軽く見られてる気がするけど……まぁ仕方無いとしよう。ムンちゃんの中でチャンピオンズカップは合宿仲間2人の激突なのだ。
そして、既知のニュクスさんにこれまで通り勝つだけじゃ成長は無いという。有馬までにより厳しい戦いを経験して来いと。そのために相手に塩を振って喰ってしまえと。
……実際、菊花賞でのムンちゃんは未完成だった。〈盈月〉を活かしきれていなかった。
絶対に改善してくるはずだ、とは思う。それにしたって言いっぱなしにはさせたくないけど。
「言い切るね。立て続けに負けたくせに」
「今のところ2勝2敗、イーブンでしょうが」
「ジュニアなんて昔のことじゃん、クラシックは私の全勝だけど?」
「はっ、それを言うなら菊花賞も大昔よ。いつまで過去の栄光に縋ってるわけ?」
「まだ2ヶ月経ってないよ!」
口先だけだって負けたくはないのだ。特別な相手だから。
夕方には改めてニュクスさんと話した。もちろんサキさんや葵さんも交えて。
「承知してると思いますけど、リスクはあります。ニュクスさんの走りにどんな変化が起こるかは全く責任持てないので……遅くなっても文句言わないでくださいね」
「もちろんです。そこさえ同意すればOKですか?」
「はい、私は。サキさんたちはどうです?」
トレーナー陣の立場はいつも通り、担当の意見を尊重してくれた。より上に置かれるのは安全だけだ。
「こちらのリスクはほとんど無いわけだから、ワンが構わないなら私は止めません。葵先輩はいかがですか」
「こっそりやるのは無し。翌朝のジョギングとかも必ず同行します。それと特に異常が無くても本番の直前はやめておきましょう。今夜を含めて3回だけ、その間に掴むことを目指してください」
「分かりました!」
というわけで、火曜から木曜までの3日間。ニュクスさんの血をちょっぴり舐めて、夢の中に招き入れた。
私たちの訓練を盗み見るとか、そういうことは全然無い。アラガミを再現して欲しいとか頼んでくることも。
これ以上は頼れないと。入れてくれただけで充分だと。
見ていると、どうやら『無茶をしても身体を傷つけない練習場所』としてここを求めていたらしい。その必要があったんだと納得してしまうような無謀にも挑んでいる様子。挑むというか試行錯誤というか……もしかして迷走、なのかも?
「…………なんというか、我武者羅ですね?」
「あぁ。具体的なプランがあるわけじゃなさそうだ」
アナさんと揃って首を傾げた。最初の晩だけは。
1晩目から翌日の昼間に何を考えたやら、2晩目にはもう方向性が固まっている。〈尊み〉を借り物の力と称したニュクスさんが、自らの魂と向き合って見出したのは──、
「やっぱり荒っぽいの隠してた。なんていうんでしょう、ああいうの」
「言葉にするなら、そうだな。“唯我独尊”といったところか?」
「そうそう、そんな感じ」
──これまでは表に出してこなかった、自己中心的な渇望。
走りたいのに走れなかった鬱屈。走れていたウマ娘への羨望。走れるようになった喜びや感謝。それらの感情は、ニュクスさんが走る動機であると同時に手段でもある。
……手段でもある、らしい。本人が教えてくれた。
「ほら、ワンワンさんもトレセンに来るまでは苦労してたんですよね。だからこの
「ホウカンボクのことですか。ていうかそんな詳しく話しちゃって良かったんです?」
恨み
「隠してもバレる気がしますので。それにチャンピオンズカップにはティーガードンナさんも居ますから、羨む相手には困りません」
「ドンナさんでも良いんですね……」
「八つ当たりなのは承知しています。でもレースを通してぶつける分にはアリでしょう。結果が全てです」
「まぁそこは同意ですが」
自分を棚に上げて言えば、ニュクスさんの本質は結構ワガママな気がする。
だってホウカンボクやドンナさんは過去の彼女に何もしてない。『イヴィルアイ』の件は誰のせいでもないはずだ。嫉妬なんかまるで筋違い。
ソウルの名前なんて理不尽に振り回されてたことを思えば、感情としては分からなくもない、かな……。つらい過去のせいでちょっぴり歪んでいる。
「どうやら、歪みを自覚してなお否定はしないと開き直ったらしい」
「……まぁ否定したところで魂のありようが変わるわけじゃないでしょうし」
「そうだな。グラ、ああいう覚悟を決めた奴は手強いぞ」
「でしょうね」
八つ当たりも筋違いも分かっていて速さに変えようとする。
寮母さんの力が肌に合わないわけだ。ニュクスさんは
3日目の晩は一転して、静かに心を研いでいた。
魂の刃が相手を選ばぬように。具体的には私相手でも斬れ味が落ちないように。
3日間でニュクスさんは大きなものを掴んだ。それは多分プラスに働くだろう──いや、葵さんが付いてるんだ。間違いなくそうして来る。
『……塩を送り過ぎた気がします』
《〈
『ドンナさんも大概ですけどね』
チャンピオンズカップを目前に控えた時点では、全く想像もしなかった。
この変化が、ニュクスさん自身の魂が、まさかあんな形で……暴発するなんて。
わ、私はちゃんと伝えたもん!
結果に責任は持てませんよって!