1度目の4コーナーを抜け、急坂を登りながら
聴覚の増強。歓声が凄くて聴き分けづらいけど、知りたいことはすぐに分かったので即解除。
『テセさんは膨らみましたか。バレてるー』
《あぁ、間違いない》
1人離れた16番手に位置するテセさん。最内の経済コースを通れるはずなのに、あえて大きく外を回っていた。わざわざ私が踏み締めた辺りを通っていた。
こちらの仕掛けに気付かないようなら次の周で罠にハマっただろうけど、やっぱ後ろから見てれば分かっちゃうか。まぁ遠回りをさせてほんの僅かにスタミナを削れたという成果で満足しておこう。
『割れんばかりの声援の中、ホームストレッチを駆け抜けていきます』
『アナグラワンワン、4番手に上がった後は距離を詰めていきません。
先頭はムーンカフェが僅かに位置を下げまして、3人がきれいな縦列を形成しました』
『恐らく溜めに入っていますね。ドゥームデューキスとルーテデラソワはリードを作れるでしょうか』
先頭で風を切るのは結構しんどいはずだけど……今のところ〈否定〉も〈二重否定〉も使ってないし、ジャパンカップの時ほど精確無比な動きでもない。ドゥも力を溜めてると見るべきだろう。
間近で見ているルーテさんもそれを察したのだろうか。1コーナーの手前で迷うような素振りを一瞬だけ見せた。
『今、外から抜こうとしましたよね?』
《私にもそう見えたな》
『登りながらのカーブなので躊躇うのも分かりますが……あ、行った』
『1コーナーでルーテデラソワ前へ出ました、するすると先頭を奪います! 何かトラブルでしょうかドゥームデューキス苦しそう!』
う、嘘くさぁ! こんな序盤でドゥが疲れるとかありえないし!
だけどルーテさんからしてみれば初めてぶつかる相手だ。判断はつきづらいかも知れない。
ムンちゃんは……プライベートで仲良しってことはないけど、皐月賞で
ドゥがブラフとか使いまくることはムンちゃんも分かってる。ムンちゃんが分かってることもドゥは知ってるはずだけど……何を企んでるやら。
『どうやらついて行けないようです、このまま3番手にまで落ちるでしょうか』
『いえ、どうやらムーンカフェもペースを落としました2番手はドゥームデューキスのまま。後続アナグラワンワンたちとの距離がじりじりと詰まっていく!』
『逆にルーテデラソワはリードを作りました、なおも離していきます』
ムンちゃんは脚を緩めたようだ。こっちの考えは分かりやすい、というか分かりきっている。『何を企んでいようが最善を尽くして勝つ』だ。割といつもそう。
侮ってるわけじゃなく、ちゃんとした警戒の結果だ。脚質的に急加速が不得手で逃げ専に近いドゥと比べたら、後半勝負はムンちゃんの有利。最後にどんと抜いてそのままゴールするのが安心・安全な定石だから。下手に途中で前に出てしまう方がつけ入る隙になりかねない。
さぁて、1コーナーを抜けた。ここからは私の得意な下りだ。力を使わずに位置を上げていこう。
『2コーナー下りに入りまして、鋭いコーナーワークで集団から離れますアナグラワンワン』
『先頭はルーテデラソワ単独で、そこから3バ身空いてドゥームデューキス、ムーンカフェが真後ろに。更にその背中にひたひたと迫り、向正面の直線に入って静かに追いつきました』
『残り1000m切りました、1500m地点の通過タイムは1分30秒9。概ね平均的なペースでしょうか』
『良バ場でこれは速い時計とは言えません。しかしムーンカフェやアナグラワンワンはかなり抑えめに走っているように見受けられます』
仰る通り。私たちにとってここまでは前哨戦──、
『最後の爆発に注目ですね』
──おっと、それは違う。前哨戦はもう終わった。
残り950m、下り坂がゆるやかに平坦へと変わる。脚に優しい多段階の軟着陸は、しかしルーテさんやドゥの歩調を僅かに乱した。そこを射抜く。
ムンちゃんとドゥを抜き去り、更にルーテさんに迫ろうとしたところで──、
領域具現──
──アナさんの【ブラッドアーツ】に
〈ルフス〉は今日
スパルタ過ぎた気もするし、同じ恩恵をムンちゃんも受けているけれど。菊花賞のラストでもやろうとしてた〈新月〉による割り込み、今回は抜群に速かった。
しかもそれはほんの一瞬で解かれている。
《──な、ちっ、【ブラッドアーツ】だけ遮ってすぐに〈新月〉を解いたのか? 器用になったものだ》
『おかえりなさーい。今〈極点〉にするのももったいないとか思ったんじゃないですかね』
《周りに“領域”を使わせてから、か。その方が得ではある》
『3コーナーを待たず向正面の半ばで"金剛"動いた、一息に先頭を奪いました! ルーテデラソワは食らいつく、ドゥームデューキスも息を吹き返して位置を上げ、ムーンカフェはゆったりと加速したでしょうか4番手に残る!』
『5番手以降も激しく順位動いていますペース上がってきた、最後尾テセウスゴルドは集団に近付いたものの未だ静観の構えです』
今の一時的な〈新月〉なんて、レベルアップしてしまったムンちゃんにとっては秘策でもなんでもない。
ただちょっと私の邪魔をして、『スタミナなりスピードなり削れたらラッキーだし、対処されても別に構わない』的なちょっかい。小技というか、そんな程度の扱いだ。
周りからどう見えるかは別として。
「Trop bien!!」
「器用過ぎてキモいわ!!」
……いやあの、フランス語と日本語で同じようなこと言ってこられると返事に困るんだけど?
あー、んー、ここはドゥでも知ってそうなフランス語で返しておこうか。
「「
あ、タイミングも台詞もムンちゃんとかぶった。挟まれた2人がめっちゃ怒ってるけど、示し合わせた挑発とかじゃないんだって。褒めてくれたんだからお礼は言わなきゃでしょ? それだけだって。
ダメだよ、レース中に冷静さを失ったら。ムンちゃんの餌食だ。
領域転象──
この“領域”、ターフの景色は全然変わらないんだよね。そこに突然アラガミ(の姿をした霊魂)がたっくさん現れるんだから、私とのレース経験が多くたってぎょっとすると思う。
菊花賞の時のニュクスさんは、合宿の時にムンちゃんが描くアラガミの絵を見てたから多少はマシだったかも知れないけど、ドゥやルーテさんは完全に初見。しかも怒りや苛立ちに浮ついた瞬間にそんなものを見せられたのだ。
「「!?」」
〈盈月〉もすぐに閉じられたけど、その一瞬で体勢を崩してしまったことは責められまい。こうしてムンちゃんは脚を使わぬまま2人に追いついた。
『先頭アナグラワンワン、3コーナーに入ります。1.5から2バ身空けてルーテデラソワ、ドゥームデューキス、ムーンカフェここはほとんど差がありません』
『4番手以降は隙間の少ない縦隊です、先頭から最後尾までは10バ身強といったところ』
残りは800m、ここから第3コーナー。
さぁムンちゃん、隠し玉はいつ見せてくれるのかな。こっちもばっちり用意してきたけど、そっちだって何かあるんでしょう。
ドゥたちも仕掛けてくるなら今の内にね。
何もしないなら、私はここから一気に逃げ切っちゃうぞ。
『アナグラワンワン、3コーナー入り口で強く踏み込んだ速い速い! いつもながら何故このスピードで回れるのか、圧巻のコーナーワークです!』
『ここで追うか、セオリー通り4コーナーで加速するか……後続はどうでるでしょう』
最初に反応するのは誰かな……来た、まずはルーテさんか。
領域具現──
彼女の“領域”は凱旋門賞で既に見た。
『
最初は不思議に思ったものだ。効果と名前が噛み合わないように感じた。
その言葉は経済学の用語として辞書に載っている。国や政府はできるだけ自由経済に介入すべきではない、云々。
『経済とか商売とか、そんな本質を持つ“領域”ってどういうことですかね?』
ヒントをくれたのはいつも通りアナさんである。
《彼女は
『…………あー』
ヨーロッパと東アジアを繋いだシルクロード。それは冒険心や好奇心(あるいは金銭欲)に衝き動かされたウマ娘商人たちが、激流も岩山も砂漠も越えて品々を運んだ命がけの
《シルクロードを結んだのってウマ娘の商人なのか》
『そりゃそうですよ、ヒトミミには無理があるでしょう?』
《……私の世界ではヒトミミが行き来したんだよ。動物の力は借りたにしても》
『え、すご』
そう言えばアナさんの世界にはウマ娘自体が居ないんだっけ。いや、それはさておき。
ルーテさんの魂が大昔の冒険家に(または冒険家の連れていたウマに)由来するなら、〈凱旋式〉が発動するまでの力強い追走も頷ける。
あれは多分、前を行く相手が強大なほど自分を強化する感じの『開拓者』魂だ。言い換えれば『困難を切り開く者』みたいな? もしかすると後に続く者が多いほど力を増す『先導者』でもあるかも知れない。
てことは、
それが展開された場合、もちろん私の走りも大いに影響を受けるだろうけど、他も全員(ルーテさん以外は)キツいことになるだろう。神機使いの走破性能なら相対的に有利に立てたような気もする。
まぁそんなの、許されるはずもなく。
領域具現──
来た。そして今度はさっきと違う。“領域”全体が重っ苦しく感じるほど濃密だし、すぐに解除されることもない。
アナさんが私から引き離され、だから次の変化も必然だ。
領域捕喰──
初めて体験するルーテさんには理解も及ばないだろう。〈為すに任せよ〉は──〈凱旋式〉で無効化されるまではトリィさんにすら追いすがった強力な“領域”が──今やムンちゃんの味方になった。
「行くわよグラぁ!」
「届かせない!」
3コーナー半ば過ぎ。
ゴールまでは700mを切っている。