URAは毎年1月になると、前年に目覚ましい活躍をしたウマ娘を選んで表彰する。幾つかの部門に分かれており、例えばムーンカフェはデビューした年の『最優秀ジュニアウマ娘』に選ばれた。
この時、アナグラワンワンは何の賞にも選ばれていない。もしも出走数や勝利数を称える賞があれば、11戦9勝の彼女が選ばれていたに違いないが。
(“金剛世代”という呼称がはっきり定着したのは桜花賞・皐月賞を制した後のことで、年明けの頃はまだ様々に呼ばれていた)
本人はさしたる興味も無い。対して選ぶ側、URAは大変だった。
ジュニアではムーンカフェがはっきり上回った(芙蓉ステークスとホープフルステークスの両方で勝った)ので彼女を表彰すれば良いとして、クラシックでもそうとは限らない。
組織として選択を迫られることになるだろう。
『あのあまりに非常識なローテを称えてしまって良いのか?』
賞を与えることでアナグラワンワンに憧れるウマ娘を増やせば、故障に泣く者が増える方向に作用するだろう。それは看過しがたい。
『では非常識だからと称えないのか?』
それもおかしな話である。ただ数多く走っているだけでなく、アナグラワンワンは怪我もなく立派に勝っているのだ。
『周りに悪影響があるかも知れないから偉業を称えられない? ナンセンス。耳飾りの左右でウマ娘の強弱を決めつけるようなものです!』
かつて年度代表ウマ娘に選ばれたこともあるエアグルーヴ*は会議の席で吠えた。
話はシンプルで、怪我人を増やさないための備えをこれまで以上にしようというだけである。
具体的にはアナグラワンワンの検診結果などを細かく数値化し、トレーナー資格を持つ者なら誰でも見られるよう公開した。『もしあなたの担当ウマ娘が同じようなローテを主張してきたら、このぐらいの頑健さを示せなければ無謀である』という基準として。
実際のところあの異端児は『常識外れに頑丈だからダメージを負わない(すぐ回復している)』だけで『ダメージを隠して無茶な連戦をしている』わけではない。後者ならトレーナーもURAも止めている。
ウマ娘自身に対しても、新入生には入学式などの段階で散々に説明した。保護者や観客などにも広く周知が必要だろうから、その準備も済ませた。
そしてアナグラワンワンは実績を示した。1年間で23戦20勝の2着2回。授賞はほとんど満場一致である。
……もっとも、スムーズに決まったとはとても言えないが。
「ダート部門は……ティーガードンナでどうでしょう」
「いやいや、彼女はアナグラワンワンに1度も勝っていませんよ」
「ならダートも金剛に?」
「流石に年度代表・クラシック・ダートの3部門は多すぎませんか」
「では最優秀クラシックをムーンカフェに──」
「それこそありえないでしょう、クラシックの間はワンワンに勝てていないんですから」
「年度代表をアルヘイボゥに回すとか」
「アイビスサマーダッシュで金剛にも勝ってますしね」
「あれを勝ちと言えるかぁ?」
どんな決定を下しても文句を言うファンは必ずいる。さらに気を配るべきなのは──、
「最優秀ダートはニュクスヘーメラーかと思っていました。ティーガードンナにもアナグラワンワンにも勝ったことがあります」
「ニュクスヘーメラーは……」
「本人が喜びますかね……」
──ウマ娘の心情も。胃の痛い決断だ。
あれだけCMを打ったチャンピオンズカップでのゲート破壊を本人は深く恥じている。そのことは年末に行われた東京大賞典からも明らかだ。
会議は紛糾する。
「再審査に滑り込み合格だったとか。無理もありませんがゲートインの段階からどう見ても緊張していましたし、スタートの遅れには悲鳴があがったほどですよ」
「あそこから2着までまくったんだから実力は高いじゃないですか!」
「それは全員分かってます。でも表彰することで笑いものにしてしまったら逆効果でしょう?」
「なんだぁてめぇティーガーちゃん推したいだけだろうが!」
「あんたに言われたくない!」
大人げないやり取りにエアグルーヴなどは小さく溜め息をこぼすが、止めるのはもう少し疲れさせてからがいいだろう。
毎年のことである。URAの上層部にいる者など、ウマ娘への愛が強くて当たり前なのだから。
1月10日、URAは各部門の受賞者を発表した。
年度代表ウマ娘、ならびに最優秀クラシックウマ娘──アナグラワンワン。
最優秀ダートウマ娘──ティーガードンナ。
後者については若干物議をかもしたが、金剛だけに3部門を与えづらいURAの苦悩も理解はされた。
そもそもティーガードンナはジャパンダートダービーの勝者であり格は充分。人気や期待度も実に高い。東京大賞典にこそ出なかったが、それは1月末のペガサスワールドカップに挑むためと知られている。
同時にもうひとつ、表彰式は16日に行うというアナウンス。
例年なら表彰式は1月末頃に行われ、16日というのは早めの設定だ。もっとも多少の前後は珍しくない。受賞するウマ娘のスケジュールが優先なので。
月末を避けたものと思われるから、ネットでは早くも『アナグラワンワンが月末に走るということだ』との憶測が囁かれた。
実際、その憶測は正しい。正しいのだが……。
1月16日、都内にあるホテル。
生中継のカメラが入ったセレモニーホールに、アナグラワンワンの姿は無い。それどころかティーガードンナも居ない。
受賞者に合わせたスケジュールだろうに、年度代表が欠席とはどうしたことか? 会場の報道陣も画面越しのファンたちも眉を顰める。
病欠などではない。主催者であるURAは予め不在を承知していた。
改めて受賞者が読み上げられ、表彰状やトロフィーが代理の人間に手渡された段階で──、
「皆さま、大変長らくお待たせ致しました。
アナグラワンワンさん・ティーガードンナさんと中継が繋がっています」
──会場の明かりが落ちる。
大きなスクリーンに、ここにはいない2人が映し出された。
「それではまず、アナグラワンワンさんからファンの皆さまへメッセージを頂けますでしょうか」
〔はい。年度代表ならびに最優秀クラシックウマ娘に選んでもらいましたアナグラワンワンです。本日はこのような形での参加となりまして──〕
体操服姿にヘッドセットをつけた相手との会話には僅かなタイムラグがあり、それがかなり遠い土地であることが察せられた。
背景にはラチやターフがあるのでどこかの練習場なのだろう。しかし空は見えないことから屋内らしい。
報道関係者もコアなファンたちも、全く見覚えのない施設。それが何処なのかに触れないまま、祝いと慶びが交わされていく。
〔ティーガードンナです。あー、最優秀ダートウマ娘っていうのは、今のところちょっと名乗りづらく感じてます。でもペガサスワールドカップには勝ってみせるんで、いっちょ応援よろしく──〕
受賞自体は分かっていたことだしコメントも用意してあっただろう。ファンたちは段々と焦れてくる。
そこは何処なのか、何故
そうした興味が高まりに高まったタイミングで、ようやく司会がそちらへ話を向ける。
「──おふたりから受賞コメントを頂きました。続きまして、URAとトレセン学園が新たに開設しました訓練施設についてご説明いたします。
その施設の存在は初公開。会場の報道陣が色めき立つ。
更に直後、囁き合う声はどよめきに変わった。アナグラワンワンやティーガードンナの隣に現れた“所長”は、業界ではよく知られた人物だったからだ。
〔AST所長を拝命しました樫本理子です〕
かつて中央トレセン学園で理事長代理を務め、アオハル杯を復活させた女傑。今は代理の任から解かれ、こうして新しいプロジェクトに関わっている。
〔海外進出支援用訓練所。この名が示す通り、ここは『世界中の芝やダートを体験できる』ことを目指して建設されました。日本のウマ娘はどんどんレベルが上っていますが、やはり路面の違いには苦戦を強いられますから〕
カメラに映っているのは
〔パリのロンシャン芝はもちろん、ガルフストリームパーク*のダートも日本とは大きく違う。本番の前にここで慣らしをすることは間違いなく大きな力になるはずです〕
となると、そこはアメリカとは限らない。むしろそこまで広大な平地をアメリカに確保できるかは疑わしい。
理子が示した外観写真は、さながら金属製の巨大なビニールハウス。実は機能としてもそれに近い。内側は温度も湿度も自在に設定できる閉鎖空間で、人工的に雨風を再現することさえできるという。
世界中のレース場への環境適応をここだけで済ませようというわけだ。
「樫本所長、その施設は何処にあるんでしょうか?」
〔説明が漏れまして失礼しました。勘の鋭い方は既にお察しかも知れませんが──〕
そんなものを何処に造れるというのか? 候補は絞られる。
広い土地があり、ウマ娘レースへの関心が高いために用地確保がしやすく、また建設にも維持管理にも必要な物資の流通もしっかりしている場所。
日本のレースファンにとってもよく聞く地名であった。
〔──ここはアラブ首長国連邦の北東部。ドバイです〕
しばらくは施設の案内が続いた。
ダートのエリアに移れば、そこは日本人には馴染みの薄い赤茶けた砂地。泥や粘土の混じったアメリカのダートだ。それが配合比を変えて幾つも用意されているという。もちろん坂やカーブなども抜かりは無い。
グラやサキが『スケールが桁違い過ぎる』と絶句した、夢のような施設である。
レースファンたちは胸を熱くした。
これがあれば日本ウマ娘は海外でこれまで以上に活躍できるだろう。そのように全体を押し上げる効果があるのは確実だ。
が、それはそれとして。
この施設の恩恵を誰よりも多く喰らうのは? 考えるまでもない。
ここを使えるなら、一体どこまで世界を股にかけられるのか? 知るのが怖くもなるが、昨年からお預けされてウズウズしているのだ。
日本で高まるそのような熱は、遠くドバイでも確かに感じられた。
〔──さて、そろそろマイクを返します。アナグラワンワン、皆さんが君の言葉を待っている〕
言葉と共にカメラが横にズレると、千田サキとギンの親子が何やら大きな巻き物を掲げている。巻き物、あるいは掛け軸と呼ぶべきだろうか。
何が書かれているかは想像の通りである。
〔はい、では早速発表させて頂きます。私のシニア級初戦は今月末──〕
サキの手で軸先がゆっくりと降ろされ、上端から少しずつ露になっていく。
日付は1月最後の土曜日。
次にレース場。最後にレースの名前。
〔──アメリカ・ガルフストリームパークレース場、ペガサスワールドカップ
いきなりとんでもないことを言い出した。SNSではすぐに『ペガサス独占』が
なお、年末時点のグラはこのレースを走りたいと候補に入れつつ無理があると諦めていた。ガルフストリームパークの芝を練習するためだけにアメリカに滞在するのは時間的に厳しいからだ。
更にこの時、フロリダは記録的な寒波に襲われており現地での練習が出来ない。
どちらの問題も新しい施設が解決してくれた。グラはここを使い倒すつもりでいる。
〔ペガサスが終わったら、私はまたここに戻って世界中の芝を予習します。シニア2戦目は3月、中京レース場──〕
淡々と読み上げられる予定。開かれていく掛け軸。
1月:ペガサスWCターフ(米)。
3月後半から:高松宮記念→大阪杯→ドンカスターマイル(豪)→クイーンエリザベスステークス(豪)の4連闘。豪QESから中1週で春の天皇賞。
5月:ヴィクトリアマイル。
6月:安田記念。
〔えっと、安田記念と宝塚記念の間にもう1戦挟むかも知れませんが、これはその時のお楽しみということでナイショにさせてください。6月下旬の宝塚記念からは──〕
6月下旬から:宝塚記念→サンクルー大賞(仏)→エクリプスステークス(英)→ジュライカップ(英)の4連闘。ジュライCから中1週でKGⅥ&QES(英)。
8月:ジャック・ル・マロワ賞(仏)。
9月:バーデン大賞(独)とチャンピオンステークス(
10月:凱旋門賞(仏)、コーフィールドカップ(豪)、秋の天皇賞。
〔コーフィールドCは取り止めるかも知れません。凱旋門と秋天は確実に獲りたいので。以降は日本ばかりですね〕
11月:マイルチャンピオンシップとジャパンカップ。
12月:有馬記念。
〔──以上です。ご覧の通り、クラシックで勝ったレースはジャパンカップと有馬記念を除いて出走しません。
私は特定レースの連覇記録ではなく、『最も多くのGⅠレースを喰い散らかしたで賞』を目指します〕
取りやめる可能性が高いコーフィールドCと6月のナイショ案件も含めると……クラシックと同じく1年で23戦。その
アホである。バ鹿げている。そう言われる覚悟はしつつ、無謀とまでは考えていない。グラにとっては『高いが越えうる壁』だ。
SNSのトレンドが世界中のレース名で埋め尽くされたことは言うまでもない。