競いうる獣
サキさんは日本とここを往復するので大変そうだけど、居ない間はドンナさんのトレーナーである
あ、あと所長の樫本さんも。
樫本理子さん。以前は中央トレセン学園の理事長代理も務めていたというクール系な大人の女性。
これまで知り合ったトレーナーさんの中では一番安全寄りというか、セーフティマージンが大きいかも知れない──だからって楽ではないんだけど。
例えば腿の筋肉に負荷をかけたとして、そこを限界まで追い詰めることはしない。早め早めに他の部位に移る。そうすることで筋肉を休ませて、クールダウンした頃にまた腿に戻って来ると。
《結果的に休憩が無くなってないか?》
『し、しんどい……! でもこういう合理性はかなり好み……!』
《アスリートという連中はどうにもマゾ寄りだな》
『苦しいだけなら喜びませんよ。強くなれる実感があるんです』
サドどころか、決して無茶をさせないという心配りはとても手厚い。でも私の身体を触って各部の状態をチェックすると、驚きつつも「3セット追加」とか言ってくるのだ。
「言葉足らずなところがあるけど悪い人じゃないから、疑問があったら訊いてね」
心配そうにフォローしてきたのは秘書(?)っぽいウマ娘のお姉さん。
確かに樫本さんは何から何まで説明してくれるタイプじゃないみたいだし、誤解とかされやすいかも。でも私との相性は悪くない。
「平気です。こういう淡々とした繰り返し好きなので」
「へえ。飽きたりしない?」
「今日のルーチンばっかり1週間とか言われたら飽きますけど、丸1日くらいなら」
真壁さんとかは色々変化をつけてくるタイプだったなぁ。同じことを繰り返す方が効率を追求できると個人的には思っている。
「ちょっと意外。随分と破天荒な子だって聞いてたから」
「戦績からそう思われるのは分かりますけど。食事や睡眠はかっちりしてるってサキさんからも褒められてますよ」
「なら理子さんとは合うか。良かった」
どうも秘書さんは樫本さんの教え子だったらしい。
徹底管理を謳う指導方針は時に毛嫌いされるもので──まぁゴルシさんとか絶対無理だろう──担当されるウマ娘もそんな反応に理解を示しつつ、寂しく感じてもいたと。だから拒否感を持たない私が新鮮でありがたいと。
まぁその、ドンナさんはね。口にはしなかったけど見るからにストレス溜めてたから、樫本さんはすぐに手を引いたし。合う合わないは仕方が無い。
そうしたわけで、樫本さんにも訊いてみた。
「下の世代のためにできること? まだ君が気にすることではないだろう」
「それはそうかもですが」
“最初の3年間”のことは理解してる。でもそれが過ぎたらぱっと大人として振る舞える? 無理でしょー。少なくとも先輩たちみたいな感じで下の面倒を見てやることは、今の私には難しい。
「ふむ、向上心は良いことだ。
しかし顔の見えない『下の世代』が相手ではできることもぼやけてしまう」
「樫本さんのお仕事は、沢山のウマ娘のためになると思いますけど」
「どうかな。私がやっていることも力による差別には違いない」
それは、まぁ。
海外に行くようなウマ娘の力にはなれても、それ以外からは嫉妬の的になるのかな。
「全体の底上げで、海外に行けるウマ娘は増えるんじゃないですか?」
「海外を目指すこと自体も望まない者はいるさ」
「……地方所属の人とか?」
「そう。地元を盛り上げたいと頑張っている者たちにとって、私はむしろ敵だ」
えぇ……。なんかアレだ、ちょっとドゥみたい。案外ネガティブだな樫本さん。
「だからまずは、特定の誰かに手を貸すのがいいんじゃないか」
「それはそれでやるつもりですけど……何か他に、ヒントとか貰えたらなって」
「そうだな……」
しばらく考え込んだ樫本さんが「究極的には」と答えたのは、「子供を産み育てること」だった。秘書さんから究極すぎだとツッコまれて無かったことにされたけど。
「経験の幅を広げることを勧める。フランスで初めて繋駕競走を観戦したように、未経験に触れ続けると良い。それはいつか君の力になる」
「経験……」
「まぁこういったものは巡り合わせだ。死ぬまで使いどころの無い力もあるが」
樫本さんの飾らない物言いに、今度も秘書さんは困ったような反応だけど……言ってることはその通りだと思う。
『アナさんだって
《そういう問題か?》
『そういう問題でしょ。“手元に武器があっていつでも使えるけど使う機会が無い”なんて理想的です』
《それは……確かにな》
黙って頷く私に樫本さんが続ける。使いどころがあるかは全く未知だが、と前置いて。
「明日は休養日だろう。久々に外へ出るといい」
「? オススメの場所があるんですか?」
「ああ。日本では観る機会の無いものだ」
「お前、アラビア語までいけんの……?」
「ある程度なら」
というわけでお出かけである。通訳やガイドとして来てくれた秘書さんと現地語で話していたら早速ドンナさんに呆れられた。
(ちなみにアナさんもアラビア語は知らない。陸海空の大規模インフラが軒並み壊滅した異世界では、中東の砂漠に住むこと自体が難しすぎてフェンリルの支部も無かったらしい)
ハンドルを握るのは土間さん──ドンナさんのトレーナーだ。運転手みたいな扱いでちょっと申し訳ないけど、ここでのお出かけには自動車が必須。それもGPSを備えたやつが。
施設の外、地平線まで砂漠なんだもん。
「ドバイって観光都市じゃなかったのかよ」
「ここはドバイの端っこなんでしょうね」
ぼやくドンナさんを相手に、軽く地理のご案内。
「日本人がイメージする“ドバイ”はドバイ市なんだと思いますよ」
「じゃあ私らがいたのは東京都内の23区外みたいな感じか」
「の、ノーコメント」
別に西東京や八王子は砂漠ではないでしょ……。
ともかく私たちは真っ直ぐ北へ向かっている。道も無い砂丘を上り下りしながら目指すのは、3月末にドバイワールドカップがあるメイダンレース場──ではない。ドンナさんはもう見学を済ませてるしね。
今日の目的地はメイダンより
樫本さんが勧めてくれた、ラクダレースの観戦に行くのだ。
それにしてもこの距離感。途中から国道っぽいところに出て、それからもかなり走ってる。うーん?
「あそこ、ドバイじゃなくてアブダビのような……」
樫本さんは中継でドバイって答えてたけど、『ドバイ市じゃなくてドバイ首長国の南端でした』……というのもブラフで、実はアブダビ首長国のエリアなんじゃなかろうか。ほら、所在地を隠すとかの意図で。
地面に境界線なんて引かれてないから自信は無い。でも秘書さんがギョッとして口を塞いで来たので正解っぽい。大丈夫ですよ、誰にも言いませんから。
無数に存在する異次元の中には、『ウマ娘という生き物が存在しない次元』もあるだろう。そこにラクダという生き物がいるとして、それらは比較的
「はや……え、速くないですか?」
「あんなデケェのに……」
アナグラワンワンやティーガードンナが目にしているのは、ラクダの中でもレースに最適化された精鋭。大昔からウマ娘というライバルと競い合ってきた血統の末裔たちだ。
現代でこそ安全上の理由からウマ娘×ラクダの混合レースは禁止されているものの、追いつけ追い越せを繰り返していた歴史の方が長い。
そもそも種族が違うのだから特性も違う。トップスピードと小回りではウマ娘に分があり、持久力ならばラクダの圧勝となる。
だったらそれぞれの領分で競えば良いではないか──そんな正論はレース脳には通用しない。速いものを見れば競いたくなるのがウマ娘であり、ラクダのブリーダーたちも負けてはいられなかったのだろう。
レース用のヒトコブラクダは体高220cm。ウマ娘という競走相手が居ない世界と比べ1割増しとなり、体重も相応に増えている。
加えて彼らは知能も高い。知能というか……自分たちよりずっと小さい2本脚の生き物が前を行くような事態には怒りを覚えるらしい。混合レースが禁止された現在でも、『ラクダに背中を向けて走り去ってはいけない』とされる。興奮させてしまうのだ。
そういった説明は事前に聞いていたものの、初めて目の当たりにするラクダの激走にアナグラワンワンたちは圧倒される。
ただし感じたものの違いは大きい。
『わー、地響きが凄い』
《……神機を構えたくなってくる》
『狩ろうとしないでください』
《自衛だ。よく訓練されているのは見れば分かるが》
グラはただただ感嘆するのみ。これはソウルが特異なせいだ。神機と神機使いに由来する異形の魂はそれ以上の反応を示さない。
純粋なウマソウルは──異世界の馬は、違う。
「なぁ、あれ混ぜてもらえねーのかな」
「「違法です」」
「合法でもダメ」
グラと所長秘書が声を揃えても、トレーナーが却下しても、ティーガードンナの疼きは治まらない。
競いたいのだ。仮に言語化するなら『同じ4つ脚の、サラブレッドでもない連中に負けていられるか』といったところ。
「え〜……じゃあせめてさ、レースの後であのコース走らせてもらうとかできねえ? ダートみてーなもんだろ」
担当ウマ娘が示した妥協・代替案。土間トレーナーとしては可能なら叶えてやりたい。
「…………できるんですか?」
「難しいと思いますが……」
気持ちは分かるが、訊ねられた秘書としても困ってしまう。常識で考えれば──日本のレース場で観客が走りたいと言い出したケースを想像する限り──無理そうなものだ。
しかしここは日本ではないし、ラクダレースは組織化された興行ではない。はっきり言ってしまえば富豪たちによる道楽に近く、(規模こそ大きいものの)私的な催しという側面が強い。
なので、常識に囚われなければ通る話もある。
「訊いてきました。私の顔もドンナさんのことも知ってて、『君たちなら大歓迎』だそうです」
「ひとりでふらふらした上に勝手な交渉して来ないでくれる!?」
「えっ、ごめんなさい」
アラブの富豪たちは日本のウマ娘レースにも通じており、『全力では走れないこと』はあっさり了承された。少数からは『どうせならラクダと一緒に』という声も上がったが、これは周りからのタコ殴りで黙らされ、逆にティーガードンナの方が残念そうにする一幕も。
秘書としてはなんとか『撮影禁止』をねじ込みたかった。しかし無断で撮影されてもそれを知る術も阻む術も無いわけで、仕方なく『ネットへのアップ禁止』だけは約束させた──グラがごねて書面に署名までさせたので信用してもいいだろう。引き換えに握手会を求められてしまったが。
「ラクダの臭いがするダートってのも新鮮だったな。楽しかったぜ」
「私は押しの強さに圧倒されましたね」
「いやお前、ばちばちに交渉してたんだろ。サンキューな、私のワガママで」
諸々の条件を詰め、2人きりの模擬レースをして、大盛り上がりの中で握手をして回り、それから施設へ帰る。
連絡はしたとはいえ、帰着の予定時刻は大幅に過ぎるわけで。樫本所長は大変なおかんむりであった。どれほど心配したかを思えば無理もない。