有馬記念を終えてから、あるいはその前の特訓辺りから、グラの神機操作は精度が極まっている。もう私より器用かも知れない。
どう極まっているかというと、例えば私の夢の中で超大型アラガミであるウロヴォロスを再現して『伏せ』をさせ、その上を走り回れる程度。
坂路トレーニングのつもりだという。そりゃ起伏は大きいし走りにくくもあるだろう。だからってなぁ。
「アラガミを足場扱いとかお前……」
「アナさんが言ったんじゃないですか、これは
それはそうだが。変化するのは形だけじゃなく性質もだ。これまでアラガミを再現した時は例外なく暴れようとしていた。
叩きのめすだけなら私にもできる。こんな飼い馴らすような扱いまでは無理だ。カピバラ*や大型犬じゃないんだから。
アラガミを馴らそうとした人間はいたが、奴らは(シオは例外として)食欲や敵意しか示さなかったというのに。全くこのUMA娘は。
私から教えることはもう無い。
そんな風に思ったタイミングで。
「そういえばアナさん、ものすごく今更なんですが──」
おっと、まだ教えられることがあったようだ。どうも榊博士からの受け売りになりそうだが。
「──アラガミって、そもそもなんなんですか?」
哲学者や思想家なら『人類に下された罰』とでも言うだろうか。グラが求めてるのはそういう答えじゃない。
もっと具体的に、トロゥスポットに回復弾を使わせる為の手がかりとして知識を求めている。そういうことなら分かる限りは教えよう。
「無数のオラクル細胞が集まった群体だ。生物のような姿に見えるが脳も心臓も無い。
群体を統率するコアを抜き取れば霧散するが、ばらばらになるだけで個々のオラクル細胞は死なない。焼いても潰しても凍らせても生き続けて、いずれどこかで再集結して別のアラガミになる。つまり、実質的には不死身だ」
話す意味も無いからこれまでは詳しく教えなかったこと。改めて振り返ると状況がクソ過ぎる。斬っても斬ってもその場しのぎにしかならないし、コアの発生原理も不明だから総数を減らすこともできない。むしろ増殖してどんどん増えていくのだから。
グラはドン引きしつつ「よくそんなのに勝ちましたね……?」などと呻いているが、勝ち方は本筋ではない。自分から話題を戻した。
「オラクル細胞、ですか。
回復弾もオラクルっていう、なんか謎のぱわーを使ってますよね。あれはアラガミのエネルギーってことです?」
「元を辿ればそうなんだろう。神機無しでは使えなかったし」
ふむふむ、と頷くグラ。
それからいよいよ重々しく、改まった口調で訊ねる。
「“オラクル”──“
うん、意図は明白だ。トロゥスポットでも回復弾を使いうるかを考える上で、オラクルの実態は気になるところだろう。
だがすまん、与太話が大好きな榊博士でも全てを話してくれたわけじゃないんだ。放っておいたら何時間でも喋り続ける人だったし。
「知らん」
「──ぇ、ええー……全然、全く?」
「全く。『どうしてオラクル細胞と呼ぶのか』なんて考えたことも無い。
想像で補うなら、そうだな。どこかの悲観主義者がアラガミの発生を“神様のご意思”とでも思ったんじゃないか」
「それで“
知らん知らん。あの子に回復弾を使わせようと決めたのはグラなのだから、自分で頑張ってくれ。
私はお前の異常性を理解することをとっくに諦めてるんでな。
グラが成長したおかげで、夢の中の私は暇をもて余すようになった。グラの方もひとりでじっくり考えるような時間を多くとっている。
何を考えているかなんて訊ねない。知らずにいた方が楽しめると分かってきたし、レースのことにせよ『下の世代のため』にせよ、グラの人生の主役はグラなのだから。
しかしこの子は素直にそうしてくれるような『いい子ちゃん』とは程遠い。
1月も半ばを過ぎ、そろそろアメリカへ移動するとなったある夜、いきなりこんなことを言い出すのだ。
「アナさん、また過去に戻りたいとか思わないんですか?」
「ハァ? なんだ藪から棒に」
確かにかつて時間遡行じみたことはやっている。
最初にあちらで死んだ後、ウマソウル的なものに加工されてグラの身体にねじ込まれた時はまだ赤ん坊だったのだ。その目を通してこの世界の平和さを知り、兵士でしかない自らの危険性を恐れた。
こんな子供とこんな素晴らしい世界に厄災を齎すなんて冗談じゃない、ふざけるな。
そうした
戻ってきたらグラはトレセン学園に入っていて、後はもうなし崩しだ。
今になって振り返ると、このタイムリープを敢行する意味があったかはかなり怪しい。
あちらへ行っている間、小学生時代のグラにはかなり苦労をかけたようだし。神機の逸話と思しき“厄介ファン”にはランナーとしての私が反映されていないし。
まぁこんなトンチキ現象の先を予測するなんて誰にも出来なかったはずだが。
ともかく、グラは私の後悔について言っているのだろう。
と思ったが、後悔の中身は予想外。
「シオの件より以前に、ということか」
「そのこともですが……子供の頃、ラケルさんとのことも」
「え」
……先生のことなんて考えたことも無かった。ラケル先生の凶行を、未然にとめる? まぁそれが叶うなら良いことではあるんだろう──いや、本当にそうか?
この際、『過去に戻れるか』は一旦脇に置こう。記憶を保ったまま幼い日の
仮に可能だったとして、うーん。
駄目そう。
「根本的に人の話に耳を貸さない人だからな。それに説得できてしまっても不味いんだよ」
「え、そうなんですか?」
「先生は神機使いの世界的な研究者だ。血塗れの研究成果だったとしても、あれが無くなってしまうと……」
そもそも神機使いは一種の改造人間だから、倫理的にはどうしたって問題だらけなんだが。
それはさておき、とりわけヤバい行いだけでも手を引かせたとしたら。その結果──、
「……人類、滅びるんじゃないか?」
──どうにもならなくなるような気がする。
「えっ。そのラケルさんが滅ぼそうとしたんじゃ」
「あー……整理すると、滅びのきっかけは大きく2つあったんだ」
私の世界で人類を滅ぼしえた2つの脅威。
ひとつはアラガミそのもの。喰われれば人は死ぬし、都市も畑も港も区別なく破壊される。
もうひとつは終末捕喰。“特異点”に統率されたオラクル細胞が粘菌のように地球を覆い、あらゆる生命を再分配する
「先生は後者を引き起こそうとして、私たちはそれを阻んだ。過去に戻れればその戦いは無くせるかも知れないが、前者は先生が生み出したわけじゃないからそのままだ」
「……でもそれは、アナさんたちがいれば」
「いや、神機使いがどれだけアラガミを狩ってもそれは時間稼ぎだ。前に言ったろ? オラクル細胞は殺せない」
神喰いは対症療法。オラクル細胞は増殖を続け、いつかは神機使い側の対処能力を超えていただろう。そうなれば終末捕喰が起こらなくても人は滅ぶ。どん詰まりだ。
「でも、人類は生き残ったわけですよね」
「あぁ。こうして振り返れば……あれはラケル先生の
「え」
「地球全土に散っている全てのオラクル細胞に干渉する特異点──コアみたいなものだな。終末捕喰を統率するそれを人為的に作ったんだ。そのコアに働きかけることでオラクル細胞を鎮静化させて、アラガミが現れないようにした」
「ほぇー」
まぁ私らがやったことはコアを抉り出して榊博士たちに丸投げしただけだが。兵隊にできることはその程度だ。
そして博士たちも、先生が作って
その特異点の主な素材は
「じゃあ実はラケルさん、人類の味方だった?」
「………………あり得なくは、ないが……」
「ものすっごく不本意そうですね」
そりゃあ気に入らない。何が気に入らないって、そう考えれば諸々に説明がついてしまうことだ。
「だとしたら、私を孤児院から放逐したのは『恨まれるため』か。最期の瞬間に……」
しまった、と思った時には遅い。私が口ごもったという事実だけでグラは察する。以前から薄々勘づいてはいたのだろうか。
「育ての親への情に負けず、ラケルさんに引導を渡す役目、ですか」
「…………そうだ。先生は私の後も複数の孤児を育てて『ブラッド隊』を結成したが、彼らでは刃が鈍っただろう」
親殺し。
あれを過ちとは思わない。先生を止めなければ世界は終わっていた。
そう判断して自覚的に犯した大罪だ。あれが実は、殺される側の筋書き通りだったかも知れないなんて。
「そう思うとムカついてきたな」
「タイムリープできそうですか」
できそう。ふざけんなよ先生。
ただ……駄目だな、やっぱり。
「だとしたら
「……レア博士? 初めて聞く名前です」
「先生の姉だ。レア・クラウディウス」
あの人は、良くも悪くもマトモだったから。終末捕喰を望む意思に侵食されたらその通りに動いてしまう気がする。というか正体不明の『意思』から干渉されながらダイナミック自殺と人類救済の筋書きを完遂した(と疑われる)ラケル先生の精神力が異常だ。
ふむ、と頷いたグラは問いを重ねる。
「アラガミの意思、というのは」
あー、以前に『アラガミは食欲や敵意しか見せない』とか話したか。矛盾に感じたかも知れないが、ここでいうのは個々のアラガミのではなくアラガミ総体の意思だ。恐らくそういうものだと思う。
「直接は見たことも聞いたこともないが、ラケル先生やシオは『声が聴こえる』と。その声に操られるようにして、終末捕喰を起こす方へ動いていた」
「…………それは」
「ん?」
「個々のアラガミのじゃないってことは、それはオラクル細胞の意思ということですか。むしろ
何かが刺さったらしい。グラは早口に推測を連ねていく。
「──その幕引きの発信元は
だからってアナさんがいた星の力がこっちまで届くなんて考えにくい。なら回復弾が使えてるのは、私が生まれたこの星からの
いや、これは推測というより逆算だな。こじつけとも言う。
『トロゥスポットでもオラクルエネルギーを使い得る』という都合の良い内容を事実と決めつけて、どうにか結びつけようとしているのだ。辻褄さえ合えば後はこじ開けてみせると。
「ネオユニさんに言わせればここは祈りの世界。異世界のトロゥスポットというウマに向けられた祈りを、この星は現に受け止めてる……はず。ロスはそれを汲み上げるだけでいい」
ほんとかー? そんなに都合良く行くとは思えないが。
グラと当人がイケると思えたらイケてしまうのかも知れん。これまでの超常現象を鑑みれば。
1月後半のこの会話は、『トロゥスポットのヒントになるかも知れないこじつけを得た』ことで区切りとなった。
──それが唯一の成果なのだと、私は思い込んだ。
少しだけ未来の話。
あるレースの最中、アナはようやく理解した。
《グラァ! お前1月からこんなこと考えてたのか!?》
『正面から訊いても答えてくれない気がしたので』
アラガミやオラクルについての会話の中に、それだけでなく別の問いも隠されていたことを。気付かぬまま無自覚に答えていたことを。
騙された、とも感じたが。
グラは嘘をついていない。ほんの些細な隠し事だ。少女として当たり前の──というには些か悪辣な。
《こうなると分かってたら教えなかっただろうさ》
『ですよねー。なのでこっそり訊き出したわけです。中々うまくやったでしょう?』
その点は認めざるを得ない。
これまで以上に驚かされたし、初めてグラのことを怒鳴りつけそうになった。全く予想もしていなかったダメージのせいで。
※最後の会話は少し先の話です。
次話、ペガサスワールドカップ。