ニュクスヘーメラーの心中を一言で表せば、それは『怒り』なのだろう。
思うようなスタートを切れない自分への怒り。
躓くことなく思う走りを体現できる(ように見える)周囲への怒り。
惨めな過去を覆せない現実への怒り。
本人も自覚していない要因としてテセウスゴルドの存在も大きい。彼女は脚質も気質も魂も全てが追込み向きだ。
対してニュクスヘーメラーは、追込みには使いどころの薄い魂を追込み向きの身体に詰め込まれ、心は幼少期に捻くれて歪んだまま。誰を責めようと変わりはしないが、不揃いでバラバラで収まりが悪い。
頭では分かっている。これが自分だ、認めるしかないのだと。
そもそも向き不向きでいうなら、ウマですらないソウルの持ち主はどうなるというのか。
スタートと同時に呟かれた言葉ははっきりと聴こえていた。
『……絶対、哀れんだりしない』
大丈夫、哀れんで欲しいわけではなかった──本当に? 自己憐憫が欠片も無かったと言い切れるか? そういう甘えがゼロだったなら、どうしてその瞬間に感情が弾けたのか?
他のライバルたちなら『当たり前だ』と怒るところだろうに、明らかにそうではない幼さが胸に燻っている。
どうしたら良いのか分からない。
あぁ、もう、考えたくない。
走ろう。走ることだ。
全て魂に委ねてしまえ。
《本ッ当にギリシャの神々はろくでもない!!》*
『えぇ……』
ニュクスさんの──というかウマソウル『ニュクスヘーメラー』の──暴発によって天気がみるみる悪化する中、アナさんは忌々しそうに吐き捨てた。
あの、今それどころじゃないんですが。
《
『そうなんですか?』
《あそこらの神格から名付けられたアラガミは3種。アイテール、ニュクス・アルヴァ、ヴィーナスだ》
『うわぁ』
いずれも鬱陶しい強敵だったと聞いている。アラガミなんてシオさん以外は嫌われてたに決まってるけど、中でも特に疎まれていた面々。
っていやいや、そうじゃなくてですね。
『アナさん、この天気どうにかできませんか!?』
《? なんでだ?》
あっ本気で不思議がってる。
そりゃあね、こんな
轟音と閃光、そう遠くないところに落雷。普通のウマ娘は大きな音にも強い光にも弱く、結果としてますます私は勝ちやすい。
……だから不味いんですって。
『このままだと競走中止になります!』
《悪天候
『私たち以外は兵士じゃありませんので!!』
異世界出身のアナさんに常識が無いのは仕方ないですけどね、ふふーん。なんてドヤってる場合ではない。
競走中止なんて真っ平ごめんだ、勝てそうなレースなんだから。勝利数が減っちゃうじゃないか。
プラス、ニュクスさんも気に病むだろうし。
《そう言われても、天候を操るというのは》
『……そうだ! アレならいけるんじゃないですか!?』
運営側が中止の決断をする前に、つまり今すぐにどうにかしなきゃ。
というわけで、まずは剣をオラクルソードに切り換えて急速にオラクルを溜める。そしてあのアラガミの力を借りるとしよう。
《グラ、どうするつも──》
《──ウコンバサラ???》
夢の外では初めて再現するアラガミだ。
ウコンバサラ、背中のタービンで起こした電撃を操る紫色のワニ。
以上。……あれ?
『違う違う、なんでしたっけ!?』
《何がしたい?》
『ほらあの、顔に大砲が生えてて』
《オントバサラのことか》
『それ!』
初めてだから名前に馴染みが無かった。間違えたのでやり直し。
アナさんが良く使っていたのは
《近付いて全弾ぶち込めば中々強いんだぞ》
『砲なのに近付いて運用するアナさんって、もしかしてそちらでも非常識だったのでは』
《否定はしない。常識的な英雄なんて居るものかよ》
ともかく
気をつけないと味方も巻き込むらしいけど。巻き込んでばかりの砲手も居たらしいけど。
雷雲を吹っ飛ばすにはお誂え向きでしょう。
ほら、このレースが終わったら来週はお休みなので。回復弾が間に合わなくてもなんとかなるなる。
「 いっ、けぇーー!! 」
扱えるオラクルを全部籠めた。
ヒトミミには見えない弾丸が花火のように昇っていき、ヒトミミにも見えている灰黒色に突き刺さり──弾ける。
空に穴があいた。正確には雲に、か。
「わ、わぁ……いいお天気……」
《やりすぎだろ……》
レース場の真上だけ晴れたら充分だったんですよね、なんか視える限りの全天が真っ青になってますけど。調節なんか分からなかったので仕方が無い。
《流石にこれは超常現象が過ぎると思うんだが》
『い、いやでも夏に日本でも*やりましたし。たまによくあるんじゃないですかね、こんなことも』
《あの時とは規模が大違いだぞ》
いいじゃないですか今そんなことは! 実況の人だって大混乱しつつレースの話してくれてますよ!
『皆さま安全を最優せ──ハ? い、一体何が……。
失礼しましたレースは続いています、先頭アナグラワンワン! これは……バ場状態がひどいことになっているようです。全ウマ娘、思うようにスピードが出せません』
『あわや中断という通り雨でしたね。きっと女神さま方もこの過酷な戦いを見届けたいのでしょう!』
《女神のせいで中断しかかったんだよなぁ》
アナさんはすぐそうやって傍観者になろうとする。こっちは足下の悪さに悪戦苦闘してるっていうのに。
落雷とかがあったおかげで今の位置は余裕の先頭だけど、流石にここまでの道悪は経験したことがない。で、私は道に合わせた走り方を事前に用意してくることで他を圧倒してきたわけで。よたよた走ってるとどんどん迫られちゃう。
「く、そっ──!」
予測できないイレギュラーがあったとはいえ、これだけの差をひっくり返されてたまるか!
ブレードを
でもこのままだと危ないな、やれることは全部大盤振る舞いだ──、
──あ、やってみたら意外と加速できた。この“領域”の原動力になる敵意や戦意を強く向けてくれているようだ。
おかげでどうにか、逃げ切ることに成功する。
『逃げる逃げるアナグラワンワンを直前で捉えたか、それともこれは残されたでしょうか際どいところ!』
いやいや、私も2着3着の選手も際どいとは思っていない。きっちり残せている。すごい猛追ではあったけどね。
……ふむ、どうもドンカスターマイルでの大差勝ちとそこからの連闘で、オーストラリアの皆さんも腹に据えかねていたみたい。
凱旋門賞ではこういう感情で痛い目を見たけど、メリットもあるんだな。
《何か悪い企みを?》
『意図的に挑発したわけじゃないですぅ』
《まぁレースなんだから悪くはないのか。お疲れ》
あぁ、アナさんの雰囲気が普段より優しい。どうも私はかなりへろへろらしい。
クイーンエリザベスSが行われた日、アナグラワンワンとニュクスヘーメラーは言葉も視線も(スタート時の一方的な呟きを除けば)交わさないままだった。
お互いに体力とソウルを絞り尽くして、そんな気力も無かったのである。
しかしニュクスヘーメラーとしては自戒の念が強い。
まるで魂に引きずられるような酷いレースをしてしまった。そこには混乱もあったし、またしても競走中止の原因になりかけた恐ろしさもある。それに比べれば6着という結果など気にならないほどだ。
これ以上ずるずると引きずってはいられない。幸いにも大きなヒントを得たのだから。
きっちりと気持ちを切り替えた翌日、時間をもらって深々と頭を下げる。
「ごめんなさい、お恥ずかしい姿を見せました。次回からはもう大丈夫です」
「……スタートも?」
技術面の未熟や不足ではなく、失敗の記憶と苦手意識に根ざす問題。確かにこうしたものは、本人が大丈夫だと思えたことで本当に大丈夫になるケースもある。
しかし彼女の言うこれは全く意味が違う。克服できたという自覚など無い。
「もう面倒なのでスタートは捨てます。最後方から全員抜けばいいって分かったので」
「うわ」
「ワンワンさんのお陰で気付けました」
「私それ無関係では……?」
「ふふ、冗談ですよ」
涼やかに笑ったニュクスヘーメラー。ただの開き直りである。
以前にホウカンボクは、“領域”を自在に使いこなすアナグラワンワンを魔法戦士系ユニットと言い表した。同じく自身のことを純戦士系だと。
それに
だからスタートで遅れようと気にしない。問題にしない。それでも勝つ。そういう宣言だった。
妙な方向に覚悟が決まっている様子に、(自分の責任ではないと思いつつ)流石に不味かっただろうかと考えるアナグラワンワン。
もっとも、この会話にはお互いのトレーナーも同席している。最初から聞いていたのだから、後は葵の責任だろうと丸投げすることにした。
『もう、回復に専念しよ……』
気力・体力の消耗は菊花賞の後に近いレベルだ。普段ならすぐに帰国するが、丸1日ほどはこちらで休養することになるかも知れない。
しかし連闘はここで終わり。現在の練度なら中1週の休養で100%まで復調できる見通しだ。
次走は4月末、春の天皇賞。ムーンカフェとの対戦がどうなるのか、グラは愉しみで仕方がない。
ニュクスヘーメラー:
開き直って完全にやべー奴になった。
早く試したいのですぐにどこかで走る。