ムンちゃんに敗れた天皇賞の翌日、身体を休めなきゃいけない日の放課後。
私はロスのトレーニングに付き合っている。
オーストラリアから帰った時点で、彼女には2つのミッションを出してあった。
1つは『Make Debut!!』を含めて2〜3曲、ウイニングライブの練習をしておくこと。
もう1つはある人に繋駕競走について布教しておくこと。
2つ目はすぐ済むとして、1つ目はもっと時間をかけてくれて良かったんだけど、ロスは張り切ってたった2週間で仕上げてきた。
今日はそのお披露目だ。といっても場所は寮の裏庭だし観客も少ない。
まず1200mを走ったロスは(駕車なし・平地芝)サキさんによる脚の触診を受けてから、立て続けに3曲を歌い踊った。さすがにしんどいようで肩で息をしている。
大歓声(?)の中、再度サキさんにチェックしてもらうと──、
「うそでしょ……」
「サキさん、どうですか?」
「あぁごめんねワン、貴女を疑ったわけじゃなくて。……ロスの脚、僅かだけど踊る前よりも回復してる」
「よしっ」
──回復弾もどき、めでたく成功だ。
サキさんが怖々と訊いてくる。
「ねぇワン、これ広めるつもり?」
「安心してください、広められませんから。これはロスにしか──『トロゥスポット』にしか、出来ないことです」
鍵はソウルの名前にある。
どこか別の世界には、例えばムーンカフェとかアルヘイボゥとかいった名前のウマがいる/いたのだろう。それは多くの人に愛されて、逸話や祈りはウマソウルという形で結実している。
対して繋駕競走は
次元の壁(?)を隔てていない分、近い。あとファンの数も、個別のウマよりは競技ジャンルの方がずっと多いだろうし。
「この世界の人で、なおかつトロゥスポットって名前が繋駕競走のことだと知ってて、更に繋駕を愛して──いつまでも続いてほしいと願ってくれるファンがいれば。その目の前でライブをすれば。
ロスが元気になるのは当たり前です」
「当たり前ではないのよ?」
「じゃあロスもUMA娘ということで」
ちなみに繋駕のガチなファンは日本だと少ないだろうから、今日のところは質で量をカバーしている。さっきから1人で大いに盛り上がっている
……世界中からの祈りを受信するアンテナみたいになってるから、今の内にチリトリとか用意しておこう。もうじき限界を越えて灰になりそう(放っておいても勝手に復活するけど、風で散ると時間がかかるので)。
「ハッ、ハッ……まさか、こんなにあっさり……」
「お疲れロス。あっさりって言うけど、まだ取っかかりだからね?」
これで完成って話にはならない。テストに成功しただけで効果はかなり微妙みたいだから、まずは量の問題が立ちはだかる。
「日本では繋駕の知名度が低すぎるからさ」
「それは、ワタシが有名になればその名前の意味として共に広まるでしょう?」
「まぁそうなんだけど──」
トロゥスポットという名前ばかりが知られてもあんまり意味はない。『今ここにいるウマ娘』と『スウェーデンやフランスで広く愛されるスポーツ』とをちゃんと結びつけなきゃ。そういう広報というか宣伝みたいなものをきっちりしていかないと、繋駕と平地を『どっちも』という望みは実現しないだろう。
まぁ知名度は頑張ればどうにかなるとして。
それと、必要なことがもう1つ。
「──大きな問題が1つ残ってて」
「おや? なんですか、なんだって乗り越えてみせますよ」
ロスは自信満々に頷いた。良いことだ。ぜひ頑張って欲しい。
「ロス、病院って好き?」
「げェ…………」
わぁ、表情が凍るってこういうことを言うんだな。でも沢山走るなら慎重な検査を避けては通れない。
本人はほとんど挫けそうな顔つきだけど、きっと受け入れることになるだろう。だってミネイが──寮母さんの灰を掃き集めながら──『お任せください』って感じで頷いてるし。
良かったねロス、その夢はきっと叶うよ。
あ、病院で思い出した。
「サキさん、ニュクスさんの検査結果って聞いてます?」
「あぁ、葵先輩も遠くを見てたわ。“異常無しなことが異常です”って」
「それは良かった」
「良かった……うん、良かったのは、うん」
春天の前の週、ニュクスさんは福島ウマ娘ステークス*を走った。オーストラリアで聞いた宣言通り、ひどいスタートから全体をまくっての大差勝ちだ。
かのサイレンススズカさんは終始先頭を譲らないスタイルから『逃げて差す』なんて言われたらしいけど、ニュクスさんのアレは『差して逃げる』だろうか。差しとか逃げとかいう用語は全部あてはまらない気もする。
酷い出遅れをした上に1800mという距離で10バ身以上もの差をつけたこと、しかもそれが計画的なものではない4連闘(大阪杯→阪神ウマ娘S→クイーンエリザベスS→福島ウマ娘S)だったこと*などから、葵さんに『やり過ぎです!』と叱られて病院にぶち込まれて検査漬けにされたのだった。
無事なようで何より。葵さんの胃が無事かは知らないけど。
(なおサキさんは先日人間ドックを受けて問題なしだった。つよい)
そんなことを話している間にロスは気分を切り替えたらしい。いや、病院のこと棚上げにしてるだけか。
「それにしてもワンワンさん、思ったより落ち着いていますね」
「? 落ち着きって?」
「その、昨日の天皇賞で……」
あぁ、敗けた翌日の割にってことか。
「ロスが来た日だって凱旋門で敗けた直後だったけど、別にイライラとかしてなかったでしょ──え、してた?」
「あぁいえ、あの日も落ち着いてはおられましたが。今回はムーンさんとの勝負だったので、これは荒れるかと案じていました」
ふむ。そりゃあね、相手による違いっていうのはある。
だけど今は……うーん。
「まず、今日の私は全然落ち着いてない」
「えっ」
「このままじゃ次も敗けるって、すごくジリジリしてるんだよ。ただちょっと……なんだろう、待ってる? みたいな」
「待つ?」
「ごめん、上手く説明できないや」
いつまでも待つつもりは無いけれど。
色んな意味で動揺するのは仕方ないだろうし、昨日からずっと無言を貫いてるのなんか可愛らしいくらいだ。でも、ムンちゃんに勝つためには相談しなきゃいけないことが沢山ある。
分かってますよね、アナさん。
それに──私も覚悟しなきゃだろうし。
ロスとの話を聞いてはいたんだろう。その日の晩は夢に招き入れてくれた。
「…………」
目の前のアナさんは腕を組んで無言。不機嫌だぞとはっきり伝えてきている。
ちぇー。昔のアナさんが可愛くてすごいって話をしたくて、その映像を観たのは私とアナさんだけなのに。
アナさんはお喋りに付き合ってくれそうにない、どころか話題にもするなって態度だ。酷いと思います。
「むぅ……分かりました、なるべく触れませんよ。いまいち共感できてませんけど」
年末お祝い会でのムンちゃんもご両親に黙って欲しそうだったっけ。子供の頃に
アナさんは深く溜め息をついて応える。
「お前なぁ。赤ん坊の頃のホームビデオとか観られたいか?」
「私も似たようなものを観られたような。お互い様だと思ってました」
「幽体離脱みたいな真似はできない。グラの目から親御さんたちの若い姿を見ただけだ」
「あー」
なるほど、確かにお互い様じゃないな。〈閉ざす者〉の記憶はラケルさんの、つまり親側の視点だったから。
なんにせよ、アナさんが嫌がることはしたくない。
したくない、けど……必要っぽいからちゃんと話しておきたいんだよなぁ。だって今のままだとムンちゃんに勝つのはかなり難しい。
「幾つか、訊きたいことと話したいことが」
「……レースに勝つためなら、遠慮はしなくていい」
「ありがとうございます」
感謝して、なるべく事務的にいこう。
からかいたいわけじゃないのだ──そんな風に聞こえちゃうとしても。
「アナさん、生まれつきの神機使いとかじゃないんですよね」
「そんな奴はいない」
うん、改造人間みたいなものだって言ってましたよね。だから人間離れしたこともできるって話だったはず。
「じゃあなんで5歳かそこらでオウガテイルから生き延びてるんです……?」
「逃げ回っただけだ。あとは運」
「いやぁ、少なくとも逃げた『だけ』ではなかったでしょ」
孤児院が立ち上がってすぐの頃、アナさんしかいない時に小型アラガミのオウガテイルが1体やってきた。
警報か何かを聞いて大慌てで戻ったラケルさんたちが見たのは、本棚や神像やオルガンの下敷きになって藻掻くオウガテイル。身を案じていた幼女は逃げるどころか捕獲してのけ、しかも大人が来るのをアラガミのすぐ目の前で待っていた。
あの時の心情はたぶん、私がやらかした時のサキさんに近かったんじゃないかな。目の前の現実に常識を歪められた感じ。
『アン、早く離れなさい!』
『? 離れたら重しを喰べちゃう』
不思議そうな顔してんじゃねーですよ、危ないでしょうが。
つまり罠にかかったアラガミの鼻先をこれ見よがしにうろちょろしてたんですよね? 喰欲を自分に向け続けることで重量物から意識を逸らした。拘束から自由になってしまわないように。で、見事に無傷でやりとげたと。
「前にも言っただろう。あの世界の人間は弱くちゃ生き残れないんだ」
「それにしたって年の割に強すぎじゃないですか」
討伐したのはラケルさんと一緒に来た神機使いだけど、その人もめちゃくちゃ驚いてたし。
『確かにこいつらは阿呆だから、窪みとかに落ちて身動き取れなくなったところを悠々と狩ったこともあるが……民間人には危険な相手だ。お嬢ちゃん、神機使いになるか?』
言葉にはしないし、私はラケルさんを許せそうにないけれど。
アナさんを孤児院から追い出して最終的に親殺しをさせたのも『この子ならそれができる』って判断みたいなんですよね……。
他にも驚かされたエピソードが山ほどあるみたいだし。詳しく聞きたいことだらけですよ全く!
だけどレースのために必要な質問って考えるなら淡白な訊き方をするしかない。
「その辺って、“第1部隊のリーダー”の逸話として知られてたんですか?」
「特に知られてなかったはずだ。世界中探せば珍しい事例でもないだろうし」
「ンなわけねーでしょう。ラケルさんも本気で驚いてましたよアレ」
「…………」
「怒らないでください、もう言いませんから!」
睨まれてしまった。確かに珍しかったかどうかは重要じゃない。
神機の逸話──つまり、厄介ファンの仰ぐ英雄像──そこに『生来・天性の運動能力』は含まれないと。
含まれてたらムンちゃんに対抗できそうなぐらいの力なんだけど、それは無いってことだ。
……幸か不幸か、新しい力への手がかりはもうひとつある。
是非ともモノにしたい。だけど……だけど、あれは。
「あの、〈閉じる者〉を再現している時ですが。アナさんの過去
ラケルさんが抱えていた情報の大部分はアナさんに関すること。いわば養い親としての側面。
だけどちょっとだけ、博士としての側面も含まれていた。
「私の過去以外? あぁ、神機に関する先端研究とか実用化前のアイデアとか、そんなのもあったな」
「あ、じゃあ全部一緒に観てたんですね」
知ってしまったのか、と悲しい気持ちになりかけて……問題は無いと気付く。
今の神機は私に紐付いている。アナさんにできるのは剣とかの操作までで、喰核の情報を読み取ったりはできない。
だからラケルさんの知識だけ伝わっても大丈夫。今考えている『神機の新たな可能性』にアナさんが思い至ることは不可能だ。
そのことに安堵してしまった。
そう、私は伝えたくない。この人にとって酷な話だ。気が進まない。知らないままでいて欲しい。
そうだそうだ、これまで通り隠しておこう。
レースに勝つ方法なら他にもあるかも知れないし。
だけどそんな逃避は──、
「グラ、さっきも言ったぞ。レースのためなら遠慮はするな」
「……アナさん……」
──本人によって封じられてしまう。あるいは私自身に。
「できることをしないのは嘘なんだろう」
「そうですけど……」
思いついているプランはある。
すぐには無理だとしても、色々と準備すればきっとできるだろう。その可能性をこの神機は秘めているし、そこに至る筋道はラケルさんの知識にあった。レースの大きな助けになることも間違いない。
だけどそれをやったら伝わってしまう。
今はアナさんも知らずにいることが。知ってほしくないことが。
「私を気遣う必要は無い。必要なことをやれ」
「…………」
そんな、ことを言われても。
……とはいえ、貝みたいに口を閉ざしたって秘密は守れない。沈黙からだって推し量れることは沢山ある。
「安心しろ、というか諦めろ。もう大体は察している」
「っ、うぅ……」
「その沈黙はグラの優しさだ。ありがたいと感謝もしよう。だが分かってしまったことを知らないフリはできない」
凱旋門賞ではっきりしたように、アナさんには厄介ファンの声が聴こえていない。
それらの剣呑な声は暗示していた。この刃が、平和な博物館とかで飾り物になってはいられなかったことを。
「私の死後にまた何かがあって、神機は武器として使われた。そういうことなんだろ。
……そんなことで凹むと思うか? 私が?」
「“そんなこと”ではないでしょう!?」
トロゥスポット:
期待より早くやべーことになった。
デビューは今年ではなく来年の見通し。
ミネイ:
アグネスデジタルの扱いには慣れたもの。
日本はやべー国だと思っている。