作中の年始からナイショにしていた1戦、ようやくドゥームに明かされるの巻。
安田記念にはどうにか勝てた。
私はこの後、再びドバイ(にあることになってるけど実はアブダビ)の訓練所へ向かう。
ただ日本を発つ前に、ロスにはしっかり言い含めておく必要があるだろう。
「あのねロス。平地のトレーニングをサキさんに見て欲しくなるのは分かるし、受け入れられたんだから教わるのは構わないよ。でも気をつけてね」
「何か問題がありましたか?」
心当たりなど無さそうにロスは応えた。どっちだこれ、本当に無自覚? いやー分かってそうだけど。
「サキさんの常識を歪めにかかってない?」
「ひどい。どうしてそんなことを仰るんです」
「う……」
さも傷ついたという風に俯かれると追及しづらい。飛び級してなければまだ小6か中1だものね。ちっちゃい。
でも中身はこんなに可愛らしくないはずだ。傷ついて見えることがおかしいっての。
「サキさん、悩んでるんだからね。『ワンと違ってあの子には常識があって、自分は異常だって苦しんでる』とか」
「おや、ワンワンさんを刺す気は無かったのですが。申し訳ありません」
ほら、けろっとしちゃって。真面目な話だぞ。
「サキさんにも無駄な負担かけてるんだよ」
「心苦しくは思いますが……無駄ではありません」
うんうん、真面目に答えてくれて偉いね。だから私もきっちり詰めよう。
「ううん、無駄。ロスが病院での精密検査を我慢すればいい」
「 殺生な!? 」
「死なないってば」
本当にそういうことなのかこの子……。
サキさんが常識的かつ健康重視なのは間違いなく良いことだ。なのにロスは、そのせいで通院を強いられると嘆いている。
異常も無いのに病院へ行きたくないっていうのは分からなくもないけどね。かなり時間取られるし。
「どうにか『UMA娘のことは心配するだけ無駄』と思っていただけないでしょうか」
「だからってさぁ……」
ロスのやっていることは、悪く言えば洗脳だ。『自身の異常性に苦しむ子供』を演じて大人を心配させる。精神的に寄り添わせる。その異常を前提とした思考に慣れさせ、当然のものと染めてしまうために。
サキさんが易々と洗脳されるかは別としてシンプルに悪どい。先祖代々の繋駕の家ってどんな魔窟なんですかトリィさん。
ただまぁ、『病院に行く回数をできるだけ減らしたい』を目的とするなら──倫理を脇におけば──効果を見込める方法なのも確かで。そういうエゲツない合理性は嫌いじゃなかったりする。
なので『そんなことするなら乗り手になってあげないよ』みたいな止め方はしづらいのだ。これも読まれてるのかな?
というわけでこの件はアリー先輩に引き継いでいこうと思う。私が国外に出ないとしても、常識サイドへの引き留め役は先輩の方がずっと適任だし。
我がことながら、バ鹿みたいに頑丈な私の存在って怪我人が運動制限を守る上ではかなり邪魔だよね。なのに先輩はこの非常識に左右されず最短で治しきった。素直にすごい。
──まぁその凄さは、後から教わって初めて気付けたんだけど。
そしてもちろん、ロスの態度も『サキさんには包容力があるから弱い部分を聞き出せてるんだ』ぐらいにしか思ってなかったけど。
「……約束はしませんが善処しましょう。ところでワンワンさん、ワタシがやっていたことによく気付かれましたね?」
「ロスは私をなんだと思ってるのかな」
「嘘は吐きたくないのでノーコメントです」
「うん、まぁ、大体分かったよ……」
《く、くくく……もうほとんどバレてるだろ、私のこと》
『最近ロスからの尊敬度みたいなのが削れてってる気がするんです』
《グラは見ていて飽きないなぁ》
『人生をエンタメにされている……!』
アナさん抜きの実像を知られたら間違いなくポンコツだと思われてしまう。今のところ隠せてるんだから、どうにかこのまま伏せておきたい。
ところで、今回のドバイ行きはロスに驚かれた。安田記念から宝塚記念までは3週間しかないからだ。受賞式の場で公にしなかった1戦がどこのものにせよ、その土地で備えれば良いと考えたらしい。
だけどそれは無理。この期間に私がやっておきたいのはイギリス・フランス・ドイツ・アイルランドの各芝に対する予習なので。樫本所長にはすごく面倒をかけてるけど、正直大助かりである。
到着したその日はゆっくり身体を休めて、翌朝からトレーニング開始。
ムンちゃんとの併走は割と久々だから楽しみ──なんだけど。
「遅刻……?」
「寝坊したって連絡があったわ。もうすぐ来るわよ」
秘書さんに言われて少し待つことになった。ほんの数分とはいえ珍しいことだ。
「あ、来た。おはようムンちゃん、まだ時差ボケ?」
「ちがう……」
並んでアップのジョギングを始める。
段々目が覚めてきたムンちゃんによれば、昨夜は所長さんから熱血指導を受けていたらしい。
「課題をやってたら遅くなっちゃって……」
「レポート? 分かんないとこあったなら呼んでくれて良かったのに」
「そうしてれば寝不足にはならなかったかも」
「? 分かりづらかったの?」
「ううん、あの人ね──」
もちろん教え方の問題なんかではなかった。
私はその時の課題さえ解けてればそれで終わりにするんだけど、所長さんは基礎的なところも含めてきっちりフォローアップしようとしたそうだ。
「あー、納得」
「グラって案外要領よかったのね」
「ううん、私のは単なる手抜き」
「え」
要領とかではなく、熱意がなかっただけ。相手の理解に抜けや漏れがあっても私はスルーしてきた。
「クラスのみんなもそうだけど、教えてる間ずっと『早く外に出て走りたい』ってうずうずされるんだもん。気持ちは分かるし引き止めるのも面倒だから、最低限で切り上げてたの」
「あー……」
教師として誠実なのは間違いなく所長さんの方だ。ていうか学園の教師陣はハートがタフ過ぎると思う。
とはいえ、それで睡眠不足にさせるのはいかがなものか。
「イヤだって断ればやめてくれる人だよ?」
「私の苦手なところをばっちり指摘してくる上に、善意100%なのよ。断りづらくて」
「えー。レースの邪魔になっちゃってるような」
「いいえ。所長さんの時間管理は完璧だった」
「ん?」
別に遅くまで拘束されてたわけじゃないらしい。じゃあなんで寝不足に? 首を傾げると意外な言葉が返ってくる。
「レポートは時間内に書けてたんだけど、色々教わったら未完成に思えちゃって……手直ししてたの。納得できた時には夜遅くで」
「えっ、じゃあ自主的に机に向かってたんだ。すごい」
「悪かったわよ、寝坊は私のせい」
いやはやびっくり、これは所長さんを責められない。
ムンちゃんの勉強嫌いは私の知る平均レベル、つまり『必要最低限は我慢するけどそれ以上は拒否』な感じだから、自分から遅くまで勉強して寝不足なんて予想外だろう。
(ドゥにも少しは見習って欲しいものである。……ニュクスさんの諦めっぷりはもう手遅れな気がするので、あそこまで悪化する前に)
さて、ストレッチなんかをしてから本格的なトレーニングに移る──その前に。
ちょっと真面目な話をしないと。
「「ところで」」
おっと、タイミングが被った。そして内容も同じらしい。
「次走の話?」
「うん」
「グラが
「次のためだよ。KGⅥでも走るけどさ」
私たちがいるのは、この広い施設の中のイギリスエリア。中でもアスコットの芝を再現したレーンだ。
ムンちゃんと次にぶつかるレースはKGⅥ&QESと同じくアスコットで行われる。
「出るつもりなのね」
「迷ったけど、出ることに決めた。……そのことで、謝っておこうと思って」
「……言ってみて」
言う前から分かってるっぽいけど、これは言葉にしておきたい。痛みを堪えて絞り出そう。聞いてくれるのはありがたいことだ。
「今度のレースはまだ勝てない。ムンちゃんが怪我とか病気とかしない限り、今回だけは2着前提で走るよ。その先で勝つために」
「…………」
静かに目を閉じて頷きもしないのは、やっぱり不満なんだろう。仕方の無いことだし、もっと激しく怒られることも覚悟していた。反応が静かすぎて逆に驚く。
「何よその顔。どうせ私が何を言おうとやることは変えないんでしょ」
「……うん、ごめん。これが私の最善だから。こうしておかないと勝てるようになれない」
「謝る気があるんだか。まぁ良いわ」
呆れられてしまった。でも年末に激突を避けるとか真っ平でしょう? これはムンちゃんも同じだと信じてる。
「ちなみに、私以外には?」
ムンちゃん以外というと……イギリス勢だろうか。
K&Qでムンちゃんに次いで2着になったウマ娘は、その後アイルランドチャンピオンステークスでムンちゃんを降した。
「例の"詩人"さん?」
「確かに厄介だけどアイツはマイル寄りの中距離だから来ないと思う……来ないと思いたい。いや、長距離にも何度か出てたか……」
「長距離はどれも負けてたような」
「イギリスのUMA娘だもの、アイツのことは読めないから脇に置きましょう」
有力なライバルを脇に置いちゃったよ。彼女のことではないらしい。まぁ私から見ても出鱈目な(距離とかグレードとかばらばらだし、大勝したかと思えば大敗も多い)戦績の持ち主だから読めないのはその通りかな。
イギリスには他にも強敵がいるはずだけど、ムンちゃんはそれも違うという。
じゃあ誰のことかと思いきや──、
「そうじゃなくて、ドゥームとかテセウスとか。宝塚記念を走る面子のこと」
──ああ、そういう。
首を横に振る。
謝るとしても直接言うべきだし、そちらについては謝る理由が無いので。
「宝塚は本気で奪りに行くよ」
「身体は平気なんでしょうね」
「大丈夫、ちゃんといつもの検査は受けるし」
前にドゥにも怒られたし、非常識なことは分かっている。私にとっても木曜日から日曜日っていう
でも木曜のムンちゃんとのレースでは脚やソウルをそんなに酷使しないつもりだからなんの問題も無い。宝塚でも全力は出せる。
「テセさん、ラストレースだって意気込んでるんでしょ? そこでぬるい走りするのはいくら私でも申し訳ないって。でもそんなことにはならない」
「そ。ならいいわ」
《……私には、あの子が衰える直前とは思えないんだが》
『私もそう思います』
ムンちゃんによるとテセさんのことは誰も心配してないそうだ。だよね。
ムーンカフェは日本にいるドゥームデューキスへメッセージを送った。
美浦寮の"金剛"対策会議で話したことだ。
アナグラワンワンが宝塚を勝つのは無理があると。もし奪られたら軽蔑するかも知れないとも。
ムーンカフェはその時点でグラの予定を──つまり、宝塚記念の直前に自分とぶつかることを──知っていた。
だから宝塚では勝てないと断言したわけだが、『2着前提』と聞いたからには話が変わってくる。
ダメージも残さないって
怒られておけばよいものを。ムーンカフェはそんな風に思うが、グラとしては謝る理由と同様に怒られる筋合いも無いのである。ならばわざわざ怒らせることはないと考えたようだ。
もっとも、いくら先送りにしたところでどうせレースの情報は伝わるのだが。
ロイヤルアスコットミーティング
ロイヤルアスコットミーティングとは、その名の通りイギリス王室が主催するアスコットでの大イベントである。
様々な条件のレースが5日間にわたって行われ、その日程は宝塚記念の直前。連覇を狙うドゥームデューキスにとっては検討すら対象外だ。
更に付け加えると、非常識なのは日程だけではない。
内訳まで暗記していないため、そのおかしさを理解するのはネットで検索した後となる。
宝塚の3日前だろ
ゴールドカップ4000mかよ
ゴールドカップと名付けられた競走は世界各地にあるが、アスコットのそれはいわゆる超長距離戦。フランスのカドラン賞などと並んでグレード認定レースでは世界最長級の距離にあたる。
その3日後に宝塚記念を走ろうと言うのだから、ドゥームデューキスの怒りも当然だろう。
噴火することが分かりきっていたからムーンカフェは早々に逃げた。
ドゥームデューキスのヤる気がますます上がっている。
次話、アスコットゴールドカップ。