ゴールドカップを終えた後、あるウマ娘と少しだけ話をした。
私は宝塚記念のためにすぐ帰国したかったので本当に短いやり取りで、用件はストレートに『あの子の友人になってあげて欲しい』──彼女は"詩人"ことマルディンウィルトさんのトレーナーだ。
以来ぽつぽつとメッセージのやり取りなんかがあって、ウィル(呼び捨てにしろと言われた)のこれまでについても色々と聞いてはいる。
エクリプスステークスで戦うこともヒースロー空港に迎えに来ることも、予告されたので承知はしていた。
でも、それはそれだ。
「あなたからの同類認定を受け入れた覚えはありませんから」
「えっ」
「なんで意外そうにするんですか!?」
思わず空港で叫んでしまった。驚かれたことが不本意過ぎて。
だって今日までのウィルとのやり取りは大体がすれ違いだったのだ。例えば──、
普通に着てますけど……
──勝手に裸族認定してきたりとか。どうもウィルと同じレベルの自由人・野生人だと思われているらしい。
だけど彼女は思い込みが激しいだけではない。ごく限られた部分には凄まじい嗅覚を発揮する。
「
「ぇ…………」
競技者としてではなく戦士として。となると夢の中で神機をぶん回してる件しか無い。
アレは私なりの切り札だから伏せてるというのに、この人は何処を見てそんな判断をしてるんだ。
しかも彼女の言葉を受けて、隣から低い声が。
「……ワーンー?」
あっ、やってることが割と暴力的だからサキさんにもボカしてあるんだった。ウィルが余計なこと言うせいで心配かけちゃったじゃないか。
「あ、いえその危ないことは……あんまり、それほど……」
「後で詳しく教えてね」
ひぃん。サキさんのこの笑顔はお説教フラグである。
夢の中なら怪我しても現実には反映されないし、アナさんが護ってくれてたから掠り傷くらいしか負ったこと無いんだけど、サキさんなら『相談してからやってくれ』って言うに決まってるよなぁ……。
《安全なんだから隠す意味は無いだろうに》
『伝える意味も無いと思ったんですー』
あんまりサキさんの手を煩わせたくなかったのだ。
保留にしてた新勝負服のデザインもいきなり決めて急ぎで作ってもらう感じになっちゃったし、他にやって欲しいこともあって。
《何を遠慮してるんだ?》
『大事なレースが再来週に迫ってるんですよ──』
アナさんも知ってはいるはずだけど、あんまり重視はしてないんだろうな。私が出るわけじゃないから。
『──サマードリームトロフィーっていう』
《ドリームトロフィーというと、アルヘイボゥか。そういえばこのところサキと会わない日が僅かに増えていたか?》
『はい。独占はできませんから』
年に2回、1月と7月に開催されるドリームトロフィーリーグ。今度のやつはボゥ先輩にとって(トゥインクル引退後の)初戦となる。
結構上の世代も含めて強いウマ娘しか所属できないリーグみたいだし、きっとサキさんの助けを求めてるはず──先輩はそういうの遠慮しちゃいそうなので、こっちから押し付けていかないと。
《良い気遣いだとは思うぞ。それはそれとしてお説教だろうが》
ですよね。ぬぁー。
エクリプスSはサンダウンレース場の2000m。
ゴールドカップの4000mと違ってウィルの得意距離だ。
「言っておくが、キミのことをステイヤーだなんて愉快な勘違いはしていないぞ。キミのレースはすべて観た」
パドックでも構わずウィルは絡んでくる。それ自体は別に良いんだけど──、
「ウィル先輩! 私の宣戦布告聞いてました!?」
「聴こえてはいたが、返事なんて要るかい? お前は走りで見せつけるべきだし、私はそれしか信じない」
「っ……!!」
──ウィルに勝ちたいらしい後輩ちゃんのことをもう少し気にかけてあげたらどうか。結果的に私の方を睨んで来て、圧が強い強い。
エクリプスSは日本で言えば安田記念みたいな、『その年初めてクラシック級とシニア級が直接ぶつかるGⅠ』にあたる。彼女はどう見てもウィルに執着していて、そのウィルは私のことしか見ていない。
「私もウィルのレースは観たよ。それより──」
「それより?」
「──いや、いいや」
とはいえ文句を言う資格も無いのだろう。安田記念でバスちゃんがやろうとしてたことに、私は全然気づかなかった。レースの後でアナさんから教えてもらって初めて、ひどく危なっかしい考えを持ってたと知ったのだ。
おまけに私は、最終的には本人の意志だと割り切っている──だって壊れる間際になってテセさんみたいな“領域”に目覚めるかも知れないし。
ウィルを窘められるほど立派な“先輩”はできてないよね。優しい先輩ならきっと止めるんだ(ナーは多分そうしている)。
私にできることは少ない。せめて真摯であろう。
「走りで語るよ。その点はウィルに大賛成」
「良いね」
サンダウンの2000mは大きく3つのパートに分けられる。
スタートからの直線が約900m(後半は緩く右に曲がる)。
第3と第4コーナー。
ホームストレッチ約800m。
最後の直線は長い上に平坦で、それだけ聞くと追込み有利っぽいけれど……実際はそうでもない。
コーナーがめちゃくちゃ鋭いのだ。コーナーワークを自慢にしてる私でも、ここに関してはフルスピードだとインベタから膨らんでしまう。それほどの急カーブ。
スピードを落として距離の無駄を省くか、外回りを覚悟でスピードを維持するか。選択を迫られる難所だ。
私は先頭を逃げつつ前者を選んだ。
となれば、後続が仕掛けてくることは予測できていて。
「こ、こ、だ!」
それでもなお、意表を突かれた。
領域具現──
生と死に満ちた情景の中、ウィルの野性が形を得る。それは4本の脚で地を蹴る、アナさんによればウマに似た姿──だったよねゴールドカップでは!?
『な、なん、なんですかアレ』
《馬の居る世界ではケンタウロスと呼ばれていたものだな》
『ケンタウロスってヒトミミ&ウマ尻尾でしょう!?』
《この世界ではそうなのかー》
呑気なアナさんは《何故あの子があの姿を?》なんて考えてるみたいだけど、そんなことはどうでもいい。
というか分かりきっている。単に合理的な判断だ。
2本脚より4本脚の方が速い。上半身に2本腕がある方が曲がりやすい。神話オタクのアナさんが考えるような深遠な理由なんか無くて、ウィルにとってはそれだけなんだろう。
「私の前で減速なんて、悠長な真似を!」
「言ったね……!」
このカーブの内ギリギリを攻めて、私の真後ろに来てから必要なだけ膨らむなんて際どいコースを取りながら、全く減速しないとか! あっ、これ割とプライドが傷ついたかも。コーナリングはもっと研ぎ澄ませよう。
とはいえそれは今後の課題。私はぶっつけ本番よりも用意してきた手札で戦うタイプだ。野生児とは違うんだよ。
悠長だなんてとんでもない。再加速を手早く済ませる手段があるから減速しても構わなかっただけだ。
コーナーを抜けた瞬間はほんの少し抜かれてたけど……すぐに抜き返す。
「っ! もう伸びるだと!?」
あぁ、驚かせる意図は無かったけどそういう反応になるのか。
わざわざ減速しなきゃ曲がれないコーナーなんて私にはほぼ初めてだから、過去のレースからじゃ立ち上がりのタイミングは察せないよね。
こっちの速度が落ちた隙に外から抜いて逃げ切るというウィルの思惑は挫いた。後は直線勝負。槍を手にしたアナさんが敗けるもんか。
後方へとウィルを突き放す。
彼女は舌打ちするどころか哄笑をあげた。
「ふ、ふは! 前は分からなかったがなるほど! キミは兵器で疾走っているわけだ! ハハハ!」
「兵器って……まぁそうだけど」
「参考にしよう。次はこうはいかない」
こわ。
まぁ次ってK&Qのことだろうから、私も今とは違ってる。敗けない。
各国のトレセン学園には短期留学のようなプログラムがあり、アナグラワンワンは以前にも(ムーンカフェと共に)パリトレセンに滞在している。それと同様、今回はロンドントレセンに留まらないかという打診が先月の内からあった。
『エクリプスSの翌週はジュライカップでしょう? わざわざ日本に帰らなくてもロンドンにいたら良いんじゃないかしら』
(ジュライCが行われるニューマーケットレース場はケンブリッジにあり、ロンドン市街からは車で2時間ほどの距離)
マルディンウィルトのトレーナーからの提案である。担当ウマ娘の希望を叶えてやるような意図もあったのだろう。
それを分かった上でグラは了承した。
他人に視えないモノが視えてしまうムーンカフェが多少の同情を覚えたように、レースに関わることでのみ息苦しさを忘れられる点では似たような経験があるので。
──その点に限ればの話だが。
「ウィルって、自分が満足いくレースをするためなら怪我とか怖がらないタイプだよね」
「ふむ? レースが出来なくなるのはツラいから自重はしている。だけどまぁ、最高の1戦の対価だというなら迷わず支払うだろうな。キミは違うのかい」
「私は健康に引退するつもりなので」
「なんと……」
意外そうな反応。このようにギャップは在る。リスクへの価値観においてはある後輩の方がよほど近いだろう。
「安田記念ってレースでこんなことがあってさ──」
「ほう、コンバスチャンバー。仲良くなれそうだ」
「そういう物々しい欲求、バスちゃんはきっちり隠してたよ」
ナーサリーナースが“擬態”と評した仮面は分厚いものだった。『生きて戦い死ぬだけだ』にも通じる『たったひとつの勝利のためなら』というスタンスが劇物なことを分かっているから。
もっとも、マルディンウィルトとて素顔で過ごしているつもりはない。今は普段から寝起きしている部屋にいるので、
「私だって外ではちゃんと服を着るし、レースのルールだって守るじゃないか」
「……まぁ寮室で全裸なのは構わないけどさ」
部屋の中でだけ裸族。彼女なりの成長の証である。
グラにもそうするよう勧めはしたし、拒まれたことを不思議そうにはしたものの、強制まではしなかった。その程度の社会性はどうにか持てているようだ。
価値観の押し付けという意味では、むしろグラの方に反省がある。
「そういえば、顔を見て謝りたかったんだ。ゴールドカップでのこと」
「うん?」
「ウィルの“領域”を否定するようなことを言っちゃったなって」
〈
『あなたは! 生き残った側でしょうに!』
『おぉ? いやいや、私はマルディン・ウィルトその人じゃない。大仰な逸話を継いだだけのウマ娘さ』
マルディンウィルトはさして気にしていないが、あれは八つ当たりに近い。グラの怒りはラケルに向いていて、それも『(アナさんの)母親なら生きて欲しい気持ちぐらい分かれ』という視点から。
「否定なんて慣れっこさ。私の使い方は私が決める」
「うん。……あ、それを後輩ちゃんに勧めるようなことは流石に止めるかも」
「しないしない。あいつもあいつで決めることだ」
「ん」
ちなみに先日の後輩は7着。出走したクラシック級の中ではトップだったが、この2人がライバルと認めるには不足を否めない。
地下バ道に降りるとすぐ大泣きした彼女。
マルディンウィルトはその姿を困ったように(もしくは鬱陶しそうに)見やりながら、しかし声はかけず無言で控え室に引っ込んだ。
慰めることなどできはしない。『走りで語ることができなかった』という嘆きに何かを──例えば『またかかって来い』とか──言うことは出来ても、挑戦を続けよと強いる力を絞り出すのは結局のところ本人だから。
その場でグラとお喋りするような真似を控えた辺り、マルディンウィルトなりの気遣いは在ったのだろう。
1週間ほど未来の話。
彼女は自分の中でラインを引いて、そこでの立ち位置を決めた。『"金剛"については自分で張り合うのではなくウィル先輩を応援する』という、言わば常識
エクリプスSの翌週に行われたジュライCを観て、自ら競い合う気をなくしたらしい。ジュライCはアナグラワンワンの大勝で、しかも1200mのスプリント。ゴールドカップ2着のウマ娘が走るようなものではないから、常識が理解を拒むのは無理からぬことである。
弱気だと蔑むような者はいない。むしろ──、
世話を焼いてくる
どうしたものか
ありがたいことだと思うけど
──マルディンウィルトを苛む日常のストレスを和らげ、よりレースへと集中させる一助になっていくのは、もうしばらく先のこと。
後輩ちゃん:
『クラシック級でエクリプスステークス7着』は決して悲観したものではないが、非常識と言われるほど突き抜けてはおらず、またナーサリーナースなどとは執着の方向性が違ったらしい。
アプリで言えば有力なサポカにあたるかも知れない。